2011/01/31

イ・オクソンの最後の願い



イ・オクソンという人は、当初は兵隊に誘拐されたとは言っていなかった。彼女の証言の変遷については、こちらのサイトに詳しい(名前が紛らわしくて申し訳ないが、当サイトとは無関係)。彼女は最近オランダのラジオ局の取材を受けていたが、その証言はさらに過激になっていた。いずれ紹介できると思う(こればっか)。

とにかく、韓国の新聞は、英字版だとかなりハメを外すキライがある。

国史が選択科目になる云々という話は、先日もちらっと出て来たが、こういった細かい所でもハルモニを政治利用しているのを見ると、ちょっとどうかな、と思う。

84歳のイ・オクソン(李玉仙)は、手の上のハガキの山を読みながら裏返す。ハガキには「ハルモニ、サランヘヨ(お婆ちゃん、愛してる)。Happy New Year」と書かれている。

最後の三つだけ英語で、あとは韓国語だ。短いが心温まるメッセージは、李がアメリカカナダの人々から受け取る沢山のメッセージの一つだ。

「この若い女性は歴史の先生なの。私の話を聞いてから、歴史をもっと理解し教えることが出来るようになったからと、毎年お礼にカードを送ってくれるんです」と特別な物語を持つ李は言う。彼女は、第二次大戦中、朝鮮半島を侵略した日本軍によって性奴隷として動員された「慰安婦」の数少ない生き残りの一人だ。現在、李は京畿道広州市にある元慰安婦の為のグループ・ホームで暮らす。

李がウルサン(蔚山)で日本の軍人たちに誘拐されたのは15の時だった。ちょっと用たしに出た所を捕まった。日本軍によってさらわれた他の少女たちと一緒に李は中国へ送られ、日本軍のバラックで慰安婦として三年間過ごした。李によると、休日になると50人もの兵隊がドアの外に並んだという。

兵士による激しい暴行のため、李の聴力と視力は激しく損なわれた。あまりに酷かったので、彼女は「台無しになって帰ってきた」。

1966年、李は自分の体験談を持って公に出る決意をした。

「私たちは『慰安婦の印を掲げる(かける)』と言ってるの」と李は言う。

李は米国、中国、日本、カナダやフィリピンといった沢山の国々を旅するようになる。慰安婦の真実を伝えるために。

「歴史を語って欲しいと言われて、他に選択肢はなかったの」女性センターの彼女の部屋の中で、外国の学生たちと撮った数えきれない自分の写真に囲まれて李は語る。

今となっては彼女の話ははかない思い出である。なぜなら李は病んでおり、生存する少ない慰安婦の殆ども同様だからだ。

「心臓も肝臓も悪いんです。死ぬ前に(日本から)謝罪を受けなければならないんです」狭心症も患う李は言う。彼女は昨年心臓の手術をし、時間が残されていないと気に病んでいると言う。

2010年の初めの時点で、韓国政府に登録された慰安婦は88人いた。しかし、たった一年でその人数は76人にまで減った。9人が昨年亡くなり、1月13日にさらに二人が亡くなった。

「まだまだ我が国には慰安婦問題について知らない人がたくさんいます。私は『慰安婦のサイン』を掲げて彼らに知らせているのです」。彼女の声は次第に小さくなった。

韓国の高校で国史の授業が選択科目になると聞いて、李は言葉を失った。

「私たち老いたお婆ちゃんは世を去る時なの。若い人たちは歴史を知るべき。私たちの純潔は15歳の時に奪われ、踏みにじられました。だけど(日本人は)、そんな事はしなかったと言ってるの」と李は言った。「私たちの娘たちは、歴史を知らなかったからといって同じ目に遭ってはならないのです」。

JoongAng Ilbo 2011.1.22

Last wish of former ‘comfort woman’

Lee Ok-sun, 84, turns over a pile of cards in her hands as she reads the words of one, which says: “Halmoni, Saranghaeyo [Grandmother, I love you]. Happy New Year.”

With the last three words in English and the rest scrawled in Korean, the short but heartfelt message is one of many Lee has received from people in the United States and Canada.

“This young woman is a history teacher. She sends me cards every year to thank me, saying she understands and teaches history better since she listened to my lecture,” said Lee, who has a special story to tell. She is one of the few remaining “comfort women” of Korea, who were drafted by the Japanese military as sex slaves during the Japanese invasion of the Korean Peninsula in World War II. Lee now lives in a group home for former comfort women in Gwangju, Gyeonggi.

Lee was just 15 when she was kidnapped by Japanese soldiers in Ulsan. She had just come outside to go on an errand when she was taken. Along with other young girls who were snatched by the Japanese military, Lee was sent to China and spent three years as a comfort woman in the Japanese barracks. According to Lee, on holidays as many as 50 soldiers would be lined up outside her door.

Because of the severe beatings from the soldiers, Lee’s hearing and vision were greatly impaired, so much so that she “came back mutilated.”

In 1996, Lee made the decision to go public with her story.

“We call it ‘hanging up the comfort woman sign,’” Lee said.

Lee began traveling through numerous countries — including the U.S., China, Japan, Canada and the Philippines — to tell the truth about the comfort women.

“I had no choice but to speak, when [they] were pleading for me to tell them about the history,” said Lee, surrounded by countless pictures of herself with foreign students in her room at the women’s center.

Now the lectures are fond memories because Lee is ailing, as nearly all of the last few comfort women are.

“My heart is bad. My kidneys are bad, too. I should receive an apology [from Japan] before I die,” said Lee, who also suffers from angina. She had heart surgery last year and says she is worried she is running out of time.

As of early 2010, there were 88 former comfort women registered by the Korean government.

But in just a year, their numbers have dwindled to 76. Nine women passed away last year and three others passed away on Jan. 13.

“There are still so many people in our country who don’t know about the comfort women issue. I put on the ‘comfort woman sign’ to let them know...” she trailed off.

Lee was at a loss for words when she was informed that history would become an elective course for Korean high school students this year.

“It is time for us old grandmothers to die. Young people should know the history and help. Our purity was taken away from us and trampled on at fifteen. But [the Japanese] are saying that they didn’t do it,” said Lee. “Our daughters shouldn’t have to go through the same thing because they don’t know the history.”

村山一兵の解雇【ハンギョレ】ナヌムの家



10日前にもお伝えした村山一兵がナヌムの家を解雇されたというニュース。同じ日のハンギョレの記事も追加しておく。連合ニュースと比べて特に新しい情報はないが、ハンギョレの記事の方が、村山に対して同情的かもしれない。ナヌムの家には、日本から抗議のメールや電話が寄せられているらしい。

村山本人は、ナヌムの家の所長や幹事から「日常的に無視・叱責などの精神的圧力」などの「人権侵害的な行動」を加えられていると訴え、「明確な形の謝罪と業務停止解除」を求めている(本人のメール)。 [閉架]

興味深かったのは、彼が支援者に当てたメール [閉架]で、「事務所幹部からの対応は、すべて口頭で、証拠が残らないように行われています」とか「事務所幹部らからの組織的な行為です」と訴えている点か。

どこかで聞いたような話である。

慰安婦ハルモニ9人の憩い場の京畿広州市、退村面の「ナムヌの家」には日本人職員が一人いる。 村山一兵(31)氏は2006年からナムヌの家歴史観研究員で常駐しながらハルモニたちを世話して、毎年2,000人余りに達する日本人訪問客の案内を引き受けた。 2003年交換学生で韓国に来て日本軍慰安婦の真実を知ることになった後、彼が選択した道だ.

彼は国内で「懺悔の象徴」で受け入れられた。 恥ずかしい歴史を冷遇する自身の祖国日本の代わりをして慰安婦ハルモニたちと共に生活しながら、彼女たちの被害事実を通知するために先頭に立ったのである。しかし彼はこの一月、出勤はしても日本人訪問客らを少し離れた場所で眺めなければならなかった。 去る7日からは、ナムヌの家に出勤すらしないでいる。

村山氏は昨年12月初め無期限業務浄地通知に続き年末には解雇通知を受けた。 村山氏と彼の知人たちは不当解雇と主張する一方、ナムヌの家は合法的手続きを経たという立場だ。 論議は国内の関連団体をはじめとして日本にまで広がった。 彼にどのようなことが起きたのか。

ナムヌの家が明らかにした解雇理由は二種類。 要求されていた始末書二件を提出せず、無断で個人行動したことだ。

村山氏は昨年12月の初めに東京で開かれた慰安婦関連シンポジウムに、許諾なしで参加して慰安婦被害者姜日出ハルモニの通訳などを引き受けた。 ナムヌの家は「日本の家に行くと言っておきながら、行事に参加して事務局を困らせた」と明かした。 しかし村山氏は「ナムヌの家が日本語が不自由な職員を送ることにして日本の主催側も慌てたし姜ハルモニ も不安に思ったので、休暇を出し自腹を切って個人の資格で行った」と説明した。
村山氏とナムヌの家事務局の間の葛藤は事実その間何回もあった。 村山氏は首に名札をかけて通えとの事務局指針を「圧迫感を感じる」という理由で拒否し、韓日強制併合100年だった昨年には、ナムヌの家のハルモニたちに日本大使館の前の水曜デモに日本人たちがたくさん来るという話をして「体の具合が悪いハルモニにまで集会出席を勧めた」として事務局から注意を受けることもあった。 ナムヌの家はこの二件に対する始末書を書くよう指示したが、村山氏はまだ提出しないでいる。

お互いに対する沈殿物も依然として残る。 村山氏は「ナムヌの家歴史館の業務を不適切に処理したり、ハルモニたちが集会に出てケガをしたり事故が起きたというわけでもないのに、業務停止と解雇は過度な処分ではないか」と話した。 しかしアン・シングォン ナムヌの家所長は「態度と職務などの面で色々な問題点が指摘したが、改善されなかった」と言い切る。 「解雇時には書面で30日以前に通知しなければならない、という基本原則も守らなかった」(村山氏)、「正確に言えば、解雇でなく3月に再契約をしないということ」(アン所長)など解雇に対する見解も異なる。

村山氏は「一ヶ月間一人で悩んでいた」と明かした。 自身の事情が日本の右翼勢力に知らされてややもすると慰安婦問題に悪用されるかも知れないという憂慮のためだった。 村山氏の報せに接した日本の慰安婦関連市民団体と市民たちは、ナムヌの家に抗議電話とEメールなどを送っている。

「彼が解雇された場合、この間ナムヌの家で実践してきた国際連帯運動に大きい支障が出て、熱い信頼を送ったハルモニたちも不安感を感じるでしょう」(大阪公立高教師)、「若い人々が村山氏の説明をよく理解し、彼がハルモニたちを日本に連れてきて証言するように尽力し、人々に感動を与えて、加害国の男性である彼の話自体も日本の男性たちの(慰安婦関連運動)への参加を増やしている」(ツボカド・ヒロコ)は背中呼び掛けも続いている。

村山氏がナムヌの家を離れるのは単純に職員一人が消えるという問題でない。 彼は100万~150万ウォンの月給を受けながら慰安婦被害者立場を代弁して最前線で韓国と日本の間のメッセンジャーの役割を果たした。 ハン・ホング聖公会大教授は村山氏に「こんな事になって恥ずかしい」と慰労を渡したという。

葛藤にもかかわらず、彼は「再契約が可能ならば、もっといたいと思う」と話す。 仕事を辞めるなら他意でなく自らの決心が必要で、ハルモニたちと整理する時間が必要だという考えからだ。 「ハルモニの一人は『私が死ぬ時まで一緒にいるものと思ったが、必ず離れなければならないか』として泣かれました。 病床にいらっしゃった他のハルモニも『お婆ちゃんたちだけ考えろ。 君がこらえてはいけないの』として手をしっかりと捕まえて下さった」。現在ナムヌの家の事務局は、日本語講師として活動中のボランティアを彼の後任に内定した状態だ。


위안부 할머니 9명의 쉼터인 경기 광주시 퇴촌면 '나눔의 집'에는 일본인 직원이 한 명 있다. 무라야마 잇페이(村山一兵ㆍ31)씨는 2006년부터 나눔의집 역사관 연구원으로 상주하면서 할머니들을 돌보고, 매년 2,000여명에 달하는 일본인 방문객의 안내를 도맡았다. 2003년 교환학생으로 한국에 왔다가 일본군 위안부의 진실을 알게 된 뒤 그가 선택한 길이다.

그는 국내에서 '참회의 상징'으로 받아들여졌다. 부끄러운 역사를 외면하는 자신의 조국 일본을 대신해 위안부 할머니들과 함께 생활하면서 그들의 피해 사실을 알리는 데 앞장섰기 때문이다. 그러나 그는 지난 한 달 동안은 출근을 하고도 일본인 방문객들을 먼발치서 바라만 봐야 했다. 지난 7일부터는 아예 나눔의집에 나가지 않고 있다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 무기한 업무정지 통보에 이어 연말엔 해고 통보를 받았다. 무라야마씨와 그의 지인들은 부당해고라고 주장하는 반면, 나눔의집은 적법한 절차를 거쳤다는 입장이다. 논란은 국내의 관련 단체를 비롯해 일본에까지 번졌다. 그에게 무슨 일이 일어난 걸까.

나눔의집이 밝힌 해고 사유는 두 가지. 요구받은 시말서 2건을 제출하지 않았고, 무단으로 개인행동을 했다는 것이다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 일본 도쿄에서 열린 위안부 관련 심포지엄에 허락 없이 참석해 위안부 피해자 강일출 할머니의 통역 등을 맡았다. 나눔의집은 "일본의 집에 간다고 해놓고 행사에 참가해 사무국을 곤란하게 만들었다"고 밝혔다. 그러나 무라야마씨는 "나눔의집이 일본어가 불가능한 직원을 보내도록 해 일본의 주최측도 당황했고 강 할머니도 불안해해서 휴가를 내고 자비를 들여 개인 자격으로 간 것"이라고 해명했다.

무라야마씨와 나눔의집 사무국 사이의 갈등은 사실 그간 여러 차례 있었다. 무라야마씨는 목에 명찰을 걸고 다니라는 사무국 지침을 "압박감을 느낀다"는 이유로 거부했고, 한일강제병합 100년이었던 지난해에는 나눔의집 할머니들에게 일본대사관 앞 수요집회에 일본인들이 많이 온다는 얘기를 했다가 "몸이 불편한 할머니에게까지 집회 참석을 종용했다"며 사무국으로부터 주의를 받기도 했다. 나눔의집은 이 두 가지 일에 대한 시말서를 쓰라고 지시했고, 무라야마씨는 아직 제출하지 않고 있다.

서로에 대한 앙금도 여전히 남아있다. 무라야마씨는 "나눔의집 역사관 업무를 잘못 처리했거나, 할머니들이 집회에 나갔다가 다치거나 사고가 난 것도 아닌데 업무정지와 해고는 과한 처분 아니냐"고 말했다. 그러나 안신권 나눔의집 소장은 "태도와 직무 등의 측면에서 여러 가지 문제점이 지적했지만 개선되지 않았다"고 잘라 말했다. "해고 시 서면으로 30일 이전에 통보해야 한다는 기본 원칙도 지키지 않았다"(무라야마씨), "정확히 말하면 해고가 아니라 3월에 재계약을 안 한다는 것이다"(안 소장) 등 해고에 대한 입장도 다르다.

무라야마씨는 "한 달간 홀로 속앓이를 했다"고 밝혔다. 자신의 사정이 일본 우익세력에 알려져 자칫 위안부 문제에 악용될지도 모른다는 우려 때문이었다. 무라야마씨 소식을 접한 일본 내 위안부관련 시민단체와 시민들은 나눔의집에 항의전화와 이메일 등을 보내고 있다.

"그가 해고 당할 경우 그간 나눔의집에서 실천해온 국제연대운동에 큰 지장이 생기고 두터운 신뢰를 보낸 할머니들도 불안감을 느낄 것입니다"(오사카공립고 교사), "젊은 사람들이 무라야마씨의 해설을 잘 이해하고, 그가 할머니들을 일본에 데리고 와 증언하도록 도와 사람들에게 감동을 주고, 가해국 남자인 그의 이야기 자체도 일본 남자들의 (위안부 관련 운동) 참가를 늘리고 있다"(쯔보카와 히로코)는 등 호소도 이어지고 있다.

무라야마씨가 나눔의집을 떠나는 것은 단순히 직원 1명이 사라지는 문제가 아니다. 그는 100만~150만원의 월급을 받으면서 위안부 피해자 입장을 대변하며 최전선에서 한국과 일본의 메신저 역할을 했다. 한홍구 성공회대 교수는 무라야마씨에게 "이런 일이 있어 부끄럽다"고 위로를 건넸다고 한다.

갈등에도 불구하고 그는 "재계약이 가능하다면 좀 더 있고 싶다"고 말했다. 일을 그만두려면 타의가 아니라 스스로의 결심이 필요하고, 할머니들과 정리하는 시간도 가져야 한다는 생각 때문이다. "할머니 한 분은 '내가 죽을 때까지 같이 있는 줄 알았는데, 꼭 떠나야 하느냐'라며 우셨어요. 병석에 계신 다른 할머니도 '할머니들만 생각해라. 네가 참으면 안 되겠니'라며 손을 꼭 붙잡아 주셨고요." 현재 나눔의집 사무국은 일본어 강사로 활동 중인 봉사자를 그의 후임으로 내정한 상태다.


2011/01/30

泉谷明子 米国の韓国紙のインタビューに答える


この人も、昨年の10月にカナダで催されたトロントアルファ主催のシンポジウムに招かれていたっけ。その時は大変喜んでいたようだが、本来は政治運動とは関わりのない人だと思う。それは、この記事にも取り上げられている彼女の映像作品の予告編(Youtube)のコメント欄にある彼女自身の真摯な書き込みからもうかがえる。

だからこそ、運動家たちに利用されないよう気をつけて欲しいと思う。なぜ若い中国人や韓国人が日本を嫌っているのか、その理由は彼女が考えているより複雑なのである。慰安婦騒動にこういった側面←があることを、彼女は知らないだろう。韓国人や帰化韓国人が慰安婦騒動についてこのような指摘←をしていることも知らないだろう。


「日本人たちが歴史を正しく習う時まで、もう少し忍耐を持って待って下さい。」

映画を勉強するために米国に来た日本の留学生が「慰安婦」を主題にドキュメンタリーを製作した。

監督であり作家・編集まで1人4役を引き受けた泉谷明子(Akiko Izumitani, 35, 写真)さんが作ったドキュメンタリー「恥ずかしい沈黙(Silent Shame)」は第二次世界大戦当時、日本が犯した蛮行をひとつひとつ見せる。特に過去数十年間、日本政府が否定して補償から目を背けている「慰安婦」の存在を認め、日本の誤りを各種歴史的資料と証人たちの口を借りて指摘している。

このドキュメンタリーは韓国人コミュニティばかりか米主流社会と国際社会でも注目され去年はサンガブリエルで開かれた国際映画大会で「ベスト ドキュメンタリー」を受賞し、北京国際映画祭「ベスト ドキュメンタリー」、アイルランド ホイル映画祭「正式出品作」に選ばれた。

ドキュメンタリーを作った理由を訊ねる質問に彼女は最近の韓日サッカー戦をすぐ引きあいに出した。インターネットで韓国人が日本サッカーチームを応援した韓国芸能人を糾弾する記事を読んだ日本人たちの中で、果たしてどれくらい多くの人々が韓国を理解すると想像できるのか」と逆に聞き返した。

日本で生まれ育った1世で中学校の時、初めて日本軍中に「慰安婦」があった事実を習ったというアキコ氏に韓国は近い友達で、「韓国人と中国人がなぜ日本を嫌うのか知りたかったため」だった。

歴史資料を探すために彼女は韓国と中国、フィリピンに通って関連資料を収集した。当時の参戦勇士を訪れ歩いてインタビューも数えきれない程行った。

アキコ氏は「大部分の生存した日本人たちはもちろん、新世代も第二次世界大戦の時、日本が犯した過ちをよく知らなかった」として「慰安婦という単語は1995年に初めて登場した。特にまだ'慰安婦は職業女性'という認識が残っていて、まだ韓国が願うほどの補償や謝罪などが無いようだ」と説明した。

「日本で生まれた私さえも当時の日本関係者や証人に証拠資料を提出して説明を求めたが、満足な返答を聞くことができなくてドキュメンタリーを作るのは大変だった」というアキコ氏は「そのため、韓国と中国の日本に対する怒りや憎しみを少しは理解できる」と話した。

「多くの人々が私のドキュメンタリーを通じて歴史を学び、誤りを悟って過去を繰り返さないことが私の目的」というアキコ氏は「忍耐心を持って日本を眺め、対して欲しい」と頼んだ。

彼は「言葉がない怒りの代わりに親切に歴史を教えれば、日本人たちはすぐ真実を知ることになるだろう」としながら「韓国と日本が本当に近い隣国になることを希望する」と強調した。




[コメント欄 BU




"일본 만행 더 알려야 한·일 미래 있죠"
[LA중앙일보] 일본인 유학생 영화학도 '위안부' 다큐 제작 화제

"일본인들이 역사를 제대로 배울 때까지 조금만 더 인내를 갖고 기다려주세요."

영화를 공부하기 위해 미국에 온 일본 유학생이 '위안부'를 주제로 만든 다큐멘터리를 제작했다.

감독이자 작가 편집까지 1인 4역을 맡은 아키코 이수미타니(35.사진)씨가 만든 다큐멘터리 '조용한 치욕(Silent Shame)'은 2차 세계대전 당시 일본이 저지른 만행을 조목조목 보여준다. 특히 지난 수십 년동안 일본 정부가 부정하고 보상을 외면하고 있는 '위안부'의 존재를 인정하고 일본의 잘못을 각종 역사적 자료와 증인들의 입을 빌어 지적하고 있다.

이 다큐멘터리는 한인 커뮤니티 뿐만 아니라 미 주류사회와 국제사회에서도 눈길을 끌어 지난 해에는 샌게이브리얼에서 열린 국제영화대회에서 '베스트 다큐멘터리'를 수상했으며 베이징국제영화제 '베스트 다큐멘터리' 아일랜드 포일 영화제 '정식 출품작'으로 선정되기도 했다.

다큐멘터리를 만든 취지를 묻는 질문에 그녀는 최근 한일 축구전을 대뜸 끄집어냈다. 인터넷에서 한국인들이 일본 축구팀을 응원한 한국 연예인을 성토하는 기사를 읽은 일본인들 중 과연 얼마나 많은 이들이 한국을 이해할 지 상상할 수 있느냐"고 오히려 반문했다.

일본에서 태어나 성장한 1세로 중학교 시절 처음으로 일본 군대 안에 '위안부'가 있었다는 사실을 배웠다는 아키코씨에게 한국은 가까운 친구는 "한국인들과 중국인들이 일본을 왜 미워하는지 알고 싶었기 때문"이었다. 역사 자료를 찾기 위해 그녀는 한국과 중국 필리핀을 다니며 관련 자료를 수집했다. 당시 참전 용사들을 찾아다니며 인터뷰도 수없이 했다.

아키코씨는 "대부분의 생존한 일본인들은 물론 신세대들도 2차 세계 대전 때 일본이 저지른 잘못을 잘 모르고 있었다"며 "위안부라는 단어가 1995년에 처음 등장했다. 특히 아직도 '위안부는 직업여성'이라는 인식이 남아있어 아직도 한국이 원하는 만큼의 보상이나 사과 등이 없는 것 같다"고 설명했다.

"일본에서 태어난 나 조차 당시 일본 관계자나 증인들에게 증거 자료를 제출하며 설명을 요구했지만 만족스런 대답을 듣지 못해 다큐멘터리를 찍는 동안 답답했다"는 아키코씨는 "그래서 한국과 중국의 일본에 대한 분노나 미움을 조금은 이해한다"고 말했다.

"많은 이들이 내 다큐멘터리를 통해 역사를 배우고 잘못을 깨닫고 과거를 되풀이하지 않는 것이 나의 목적"이라는 아키코씨는 "인내심을 갖고 일본을 바라보고 대해달라"고 부탁했다.

그는 "말없는 분노 대신 친절하게 역사를 가르친다면 일본인들은 금방 진실을 알게 될 것"이라며 "한국과 일본이 정말 가까운 이웃나라가 되길 소망한다"고 강조했다.

장연화 기자

関連ニュース: 日本の蛮行を告発映画『恥ずかしい沈黙』上映霧散 SBS

2011/01/29

民主化と慰安婦問題の顕在化【黒田勝弘】80年代




日韓新考(2002年)より。


近年の韓国における反日の動きは韓国社会の変化によるところが大きい。いわゆる従軍慰安婦問題もそうだ。・・・この時期(1980年代以降)にこの問題が登場した背景にはやはり韓国における民主化がある。

・・・盧泰愚政権移行の民主化時代の韓国は、あらゆる分野で自由化が進んだ。その最大のものが言論の自由だが、「性」にかかわる慰安婦問題も、この流れの中でマスコミに大々的に取り上げられることで公然化した。当時、韓国の二大テレビ局は慰安婦問題を競って長期の大河ドラマに仕立てて放送している。

1990年の国営・KBSテレビ「歴史は流れる」や1991年のMBCテレビ「黎明の瞳」がそれだが、とくに人気を博した後者は韓国人慰安婦のヒロインと徴兵された韓国人日本兵の慰安所でのベッドシーンから始まっている。これは明らかに民主化による「言論の自由」あるいは「表現の自由」の結果だった。・・・

慰安婦問題での支援・糾弾運動は主に女性によって展開されてきた。慰安婦問題の表面化は、韓国における民主化にともなう女権拡張の動きと重なっている。

民主化とは民主的でなかったとする過去に対する否定がともなう。だからこれまで隠されていたことを暴露したり、これまで否定されてきたことを肯定的に見ることが民主化で好ましいという雰囲気になる。慰安婦問題は前者であり、左翼解禁や北朝鮮に対する融和的見方は後者の典型である。


黎明の瞳: このドラマの成功が元慰安婦たちのカムアウトのきっかけを作り、慰安婦問題が全国的な関心を引く契機になったという報道もある。

2011/01/28

慰安婦・独島、学ぶ機会奪うな【韓国女子高生の憂国】




90年代までは殆どの人が気にも留めなかったろう慰安婦問題は、今や子供に至るまで韓国史のシンボルの一つとして認識されるまでになったようだ。若者の愛国心に対する世間の目は、日本と韓国ではだいぶ違っている様子。


光州(クァンジュ)の高校3年生の女生徒二人が、国史の選択科目指定に反対して17日から二人デモを行っている。

彼女たちが手に持つプラカードには、それぞれ「私たちの歴史の選択科目指定に反対します」「独島(竹島)が私たちの土地であるということを、カラオケだけで習わなければいけないのか」と記されている。

卒業を控えた二人の高校三年生の女学生たちは「国史の科目が選択科目と指定され、国史を教育しない学校が出てくる可能性がある」として「オフラインでは市の教育庁と全南大学で二人デモを、ネット上ではポータルサイト・ダウムのアゴラ(フォーラム)で署名と映像の広報活動を行っている」と明かした。

二人の女子生徒はオンライン署名の運動をしながら慰安婦、光州事件、独島についての動画も製作して広報している。

「国史は単純な科目でなく韓国社会構成員としてアイデンティティを持つようにする科目だ。 近い過去、外国の植民地に転落した経験がある我が国のような場合にはさらに徹底的に私たちの歴史を教えて再びそのような歴史を繰り返さないよう指導しなければならない」という主張だ。

彼女たちは、「卒業を控えた高三で、まだ入試が終わっていないという事で、このデモを入試に利用しようとしているという誤解を受けかねない。そこで顔と身分を露出しないまま活動した」と言う。

一方、24日現在1万人の署名を目標にするオンライン署名運動は1800名を越えた。 署名とオフライン・デモは今月31日まで続く。

教科部は「2009改正教育過程」で「韓国史」の科目を選択科目で指定した。それまでは高校一年の教育過程に国史科目が必修と指定されていた

Moneytoday2011.1.24

この高校生がカラオケで習うと言っているのは、この歌↓のことだと思われる(動画のタイトルは、Upload者がつけたもの)。

2011/01/27

日本企業と軍が海南島に慰安所建設【韓国政府調査】



海南島では問題も起こったらしいが、台湾人の慰安婦から「稼げた」という証言を聞いた人もいたはず。


中国の海南島で日本軍と日本企業が主導して1939年から1945年まで慰安所を設置・運営した事実が明らかになった。 中国で日本軍と企業が慰安所を運営したという事実が、政府レベルの調査を通じて明らかになったのは初めてだ。

対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会(委員長オ・ビョンジュ)は27日「海南島に連行された朝鮮人性的奴隷に対する真相調査報告書」を発表して、海南島の主要地域に軍人だけでなく労務者らのための慰安所が設置され、また慰安所ごとに最低5~6人最高50人を越える朝鮮人女性たちが動員され、被害規模は最小210人と推定されると明らかにした。

1939年海南島を侵略した日本は軍事施設と資源収奪のための作業場を作りながら慰安所も共に設置したと調査された。日本軍の保護の下、台湾拓殖株式会社などが慰安所建設と慰安婦募集に積極的に介入し、慰安婦たちはトラックで転々とし、軍部隊中で性的奴隷生活を強要されたことが現地調査と被害者陳述調査を通じて明らかになった。

2011/01/26

韓国挺身隊研究所の慰安婦論1




挺身隊研究所は、1990年から20年間慰安婦問題を研究してきた韓国唯一の民間研究機関とのこと。ネット情報の弱点として時期が特定し難いが、比較的最近のものだと思う。昔の物と比べると、韓国の慰安婦論も時間と共に変化しているのが分かる。


日帝は軍「慰安婦」女性を特に我が国で広範囲に動員した。 それは植民地女性に対する差別意識と共に国際法を避けることができるということを念頭に置いていた。 日帝は当時「婦人および児童の売買を禁止する国際条約」に加入しながら植民地では適用しないという留保条項を置いていた為だ。 また、日帝の収奪政策で朝鮮では貧困層が増え、特に農村では働き口を得ようとする娘たちが多かったために、これらを動員するのは容易だった。

日帝は自国人である日本人だけでなく戦争で占領した中国、フィリピン、インドネシア、ラバウルなどの現地女性たちまでも「軍隊慰安婦」として動員した。

全部で何人の女性が慰安婦になったのかは正確に分からないが、少ないところで5万から30万程度と推定されている。 そのうち朝鮮人軍「慰安婦」が何人かは推定できないが、ほぼ80%に達するという主張もあるなど、中国や東南アジア各地に幅広く連行された事実からして相当数に達したことは間違いない。

軍「慰安婦」に引きずられて行った当時の女性の年齢は、10代初めの未成年から20代後半の既婚女性もいた。 これら女性は工場に就職させてくれるとか、お金をたくさん儲けられるようにしてやるなどの就職詐欺にあって慰安所に行った場合が多かった。 または、慰安所業者や募集人によって誘拐されて人身売買されたり、官吏、警察、軍によって強制拉致されることもあった。

民間業者が女性たちを集めた場合でも、これら民間業者は関東軍、朝鮮軍司令部などの管理、監督統制下にあった

業者らが引率して慰安所まで移動する時でも、軍用トラックや軍用列車が多く利用された。 船に移動する場合では、たいてい連絡船で日本に行ってから、再び軍貨物船や軍艦に乗った。 このような移動にともなう輸送手段の利用には軍官の許可と協力なしでは不可能なことだった。 色々な資料から推察する時、警察と軍が直接介入したことはもちろんで民間人が動員に関与した場合にもその背後には日本政府と軍があったことをよく知ることが出来る。 どんな形式に引きずられて行こうが当事者が事実を知って同意した事実がないからこれらは強制連行、動員されたのだ。

7) 軍「慰安婦」女性たちの生活は基本的に慰安所規則が適用された。 慰安所利用規則には軍の利用時間、料金、性病検査、休日などに関する細部事項まで規定されていて、特に衛生関連規定が多かった。 しかしこの規則は基本的に軍人のために制定されたのだ。

軍「慰安婦」たちは、大抵朝から宵の口までは兵士を、宵の口から夜7~8時までは下士官、そして遅れた時間(?)には将校を相手にした。 将校は宿泊することができた。 色々な部隊が一緒に駐留した場合には互いに曜日を分けて慰安所を利用したりもした。

軍人一人当たり大概30分や1時間以内と利用時間が制限されていた。 軍「慰安婦」たちは一日に平均10人内外で30人以上の軍人を相手にしなければならなかった。 週末は遥かに多かった。 また、慰安所がない地域に派遣されれば仮設テントでその部隊の全員を相手にしたりもした。

慰安所は利用時間と軍隊慰安婦がどの民族かにより料金が違った。 例えば日本人慰安婦の代金が最も高かった。 軍人らは料金を支払ったというけれど、軍人らが支払った料金は業者の腹(?)だけ呼ばれただけ、軍隊慰安婦の手に入らない場合が多かった。 無料で運営された慰安所も少数あった。

11) 軍「慰安婦」たちは初めは軍人らにさからう事もあったが、歩哨のために逃げる敢えてなせないまま諦めるほかはなかった。 名前も「ハナコ」「ハルコ」など日本式の名前や番号と呼ばれたし韓国語も使わないようにするなど皇国臣民になることを強要された。 酒に酔った軍人らは「慰安婦」たちを手で殴ったり刃物で刺すこともした

軍「慰安婦」たちは一週間~または、2週間に一回ずつ軍医や衛生兵に性病検査を受けなければならなかった。 検査に合格した「慰安婦」だけが軍人を受けることができた。 ところが金儲けに血眼になった主人たちは、検査に落ちても軍人の相手をするよう強要した。

13) 軍人たちは性病予防のために原則的にコンドームを使わなければならなかったがコンドームを使わない軍人も多かった。 その結果「慰安婦」の相当数が性病にかかった。 それで606号注射を打ったり中毒危険が大きい水銀で治療を受けることもあった。 性病が激しくなったり妊娠すれば、ある日慰安所から消えることもあった。 治療を受けられないまま追い出されたのだ。 また、女性たちは性病検査が大きな苦痛だったという。

軍「慰安婦」たちは部隊あるいは慰安所の主人にご飯と味噌汁、若干のおかずがある食事を一日に2~3食提供された。 軍人がとてもたくさん押しかけたり、部隊で派遣された場合には、まともに食事することができなかった。 衣服は軍で提供受けたり、時に購入する場合もあるが借金がなりやすかった。 簡単フクラは簡易福をかける水準が大部分だった。

15) このように軍「慰安婦」たちは軍慰安所で外出も制限されたまま定期的な性病検査を受けて毎日軍人を相手にする性的奴隷として生活した。 慰安婦たちが慰安所を抜け出すことは極めて難しかった。 慰安所の警備が厳重であり、島や荒野他国から脱出など思いもよらないことだった。 脱出を祈って失敗した時には苛酷な罰を受けた後、再び「慰安婦」の役割を果たさなければならなかった。

慰安婦たちは日帝が敗戦するとすぐに徹底して見捨てられた。 さらに日本軍は退却しながらこれらを一ヶ所に集めて殺すこともした。 生き残ったこれらはしばらく連合軍捕虜収容所に収容されて集団に帰国船に乗ったり、一人で実に多くの困難をくぐって故郷に訪れてきた場合もあった。

しかしこれらとは異なり、他国でそのまま留まらなければならなかった場合も多い。 帰ってくる方法を知らなかったり、分かっていても汚れた体で一文無しで帰れないと諦めた場合も少なくない。 また、ある人たちは帰国の途中連合軍の爆撃で船が破壊され集団的に収蔵されたし、自ら命を絶った人々もいた。


● 挺身隊の名で動員(徴用)説からようやく卒業?朝鮮人最多説は捨て切れず?

● 日本の研究者の影響が色濃く出ている部分も。

● 今だに根強い慰安婦殺害説。

「もう一度生まれたら、花に」より

일제는 군'위안부' 여성들을 특히 우리나라에서 광범위하게 동원하였다. 그것은 식민지 여성에 대한 차별의식과 함께 국제법을 피해갈 수 있다는 것을 염두에 두었다. 일제는 당시 '부인 및 아동의 매매를 금지하는 국제조약'에 가입하면서 식민지에서는 적용하지 않는다는 유보조항을 두었기 때문이다. 또한 일제의 수탈정책으로 조선에서는 빈곤층이 늘어났고 특히 농촌에서는 일자리를 얻으려는 딸들이 많았기 때문에 이들을 동원하는 것은 쉬운 일이었다.
일제는 자국인 일본에서 뿐 아니라 전쟁으로 점령한 중국, 필리핀, 인도네시아, 라바울 등의 현지여성들까지도 '군위안부'로서 동원하였다.
모두 몇 명의 여성들이 위안부가 되었는지는 정확하게 알 수 없으나 적게는 5만에서 30만정도로 추정하고 있다. 그 중 조선인 군'위안부' 여성이 모두 몇 명인지 추정할 수 없으나 거의 80%에 달하는 주장도 있는 등 중국, 동남아 각지로 폭넓게 연행된 점으로 보아 상당수에 달하였을 것은 틀림없다.
군'위안부'로 끌려갈 당시 여성의 연령은 10대 초의 미성년에서부터 20대 후반의 기혼 여성도 있었다. 이들 여성은 공장에 취직시켜 주겠다거나 돈을 많이 벌게 해주겠다는 등의 취업사기를 당해서 위안소로 간 경우가 많았다. 또는 위안소업자나 모집인들에 의해 유괴당해 인신매매되기도 하였으며 관리, 경찰, 군에 의해 강제 납치당하기도 했다.
민간업자가 여성들을 모은 경우에도 이들 민간업자들은 관동군, 조선군사령부 등의 관리, 감독 통제 아래 있었다.
업자들이 인솔하여 위안소까지 이동할 때도 군대트럭, 군용열차가 많이 이용되었다. 배로 이동할 경우에는 대개 연락선으로 일본으로 간 후 다시 군화물선이나 군함을 탔다. 이같은 이동에 따른 수송 수단의 이용에는 군관의 허가와 협조 없이는 불가능한 것이었다. 여러 가지 자료로 미루어 볼 때, 경찰과 군이 직접 개입한 것은 물론이고 민간인이 동원에 관여한 경우에도 그 배후에는 일본 정부와 군이 있었음을 잘 알 수 있다. 어떤 형식으로 끌려갔든 당사자가 사실을 알고 동의한 사실이 없기 때문에 이들은 강제연행, 동원된 것이다.

군'위안부' 여성들의 생활은 기본적으로 위안소 규칙이 적용되었다. 위안소 이용규칙에는 군의 이용시간, 요금, 성병검사, 휴일 등에 관한 세부사항까지 규정되어 있으며, 특히 위생관련 규정이 많았다. 그러나 이 규칙은 기본적으로 군인을 위해 제정된 것이다.
군'위안부'들은 대개 아침부터 초저녁까지는 병사를, 초저녁부터 밤 7~8시까지는 하사관, 그리고 늦은 사건에는 장교를 상대하였다. 장교는 숙박할 수 있었다. 여러 부대가 같이 주둔한 경우에는 서로 요일을 달리해서 위안소를 이용하기도 하였다.
군인 한사람당 대개 30분이나 1시간 이내로 이용시간이 제한되었다. 군'위안부'들은 하루에 평균 10명 내외에서 30명 이상의 군인을 상대해야 했다. 주말이면 훨씬 더 많았다. 또 위안소가 없는 지역에 파견되면 임시 막사에서 그 부대의 전 인원을 상대하기도 하였다.

위안소는 이용시간과 군위안부가 어느 민족인가에 따라 요금이 달랐다. 예컨대 일본인 위안부의 가격이 가장 비쌌다. 군인들은 요금을 지불했다고 하지만, 군인들이 지불한 요금은 업자의 배만 불렸을 뿐, 군위안부 수중에까지 들어가지 못한 경우가 더 많았다. 무료로 운영된 위안소도 소수 있었다.
군'위안부'들은 처음에 군인들에게 반항하여 맞기도 하였으나 보초 때문에 도망갈 엄두를 못낸 채 체념할 수밖에 없었다. 이름도 '하나코', '하루코' 등 일본식 이름이나 번호로 불렸고 우리말도 쓰지 못하게 하는 등 황국신민이 될 것을 강요당했다. 술에 취한 군인들은 '위안부'들을 손으로 때리거나 칼로 찌르기도 했다.

군'위안부'들은 일주일 ~ 또는 2주일에 한번씩 군의나 위생병에게 성병검사를 받아야 했다. 검사 결과 합격된 '위안부'들만 군인을 받을 수 있었다. 그렇지만 돈벌이에 혈안이 된 주인들은 검사에 떨어졌어도 군인을 상대하도록 강요하였다.
군인들은 성병예방을 위하여 원칙적으로 삿쿠(콘돔)를 써야 했으나 삿쿠를 쓰지 않은 군인들도 많았다. 그 결과 '위안부'들의 상당수가 성병에 걸렸다. 그러면 606호 주사를 맞거나 중독 위험이 큰 수은으로 치료를 받기도 하였다. 성병이 심해지거나 임신하면 어느날 위안소에서 사라지기도 하였다. 치료를 받지 못한 채 쫓겨난 것이다. 또한 여성들은 성병 검사가 커다란 고통이었다고 한다.

군'위안부'들은 부대 혹은 위안소 주인에게 밥과 된장국, 약간의 반찬이 있는 식사를 하루에 두세끼 제공받았다. 군인이 너무 많이 들이닥치거나 부대로 파견된 경우에는 식사도 제대로 하지 못했다. 의복도 군에서 제공 받기도 하고 때로 구입하는 경우도 있으나 빚이 되기 쉬웠다. 간단후쿠라는 간이복을 걸치는 수준이 대부분이었다.
이렇듯 군'위안부'들은 군위안소에서 외출도 제한당한 채 정기적인 성병검사를 받으며 매일 군인을 상대하는 성노예로서 생활하였다. 위안부들이 위안소를 벗어나기란 지극히 어려웠다. 위안소 경비가 엄격하기도 하려니와 섬이나 허허벌판 타국에서 탈출은 생각할 수조차 없는 일이었다. 탈출을 기도하다가 실패했을 때에는 가혹한 벌을 받은 후, 다시 '위안부'노릇을 해야 했다.
위안부들은 일제가 패전하자 철저하게 버림을 받았다. 더욱이 일본군은 퇴각하면서 이들을 한데 모아 죽이기도 했다. 살아남은 이들은 잠시 연합군 포로수용소에 수용되었다가 집단으로 귀국선을 타거나, 혼자 실로 숱한 어려움을 헤치면서 고향을 찾아온 경우도 있었다.

그러나 이들과 달리, 타국에서 그대로 머물러야 했던 경우도 많다. 돌아오는 방법을 몰랐거나 알았어도 더럽혀진 몸으로 돈도 한푼 없이 돌아갈 수 없다고 스스로 포기한 경우도 적지 않다. 또한 어떤 이들은 귀국 도중 연합군의 폭격으로 배가 파산되어 집단적으로 수장되었으며, 스스로 목숨을 끊은 사람들도 있었다.

世界の戦場に蔓延する強姦【エコノミスト】



戦場におけるレイプは、戦争それ自体と同じくらい歴史がある。16世紀前のローマの略奪の後、聖アウグルティヌスは、戦時のレイプを「古からの悪の慣行」と呼んだ。長い間、兵士たちにとってレイプは戦場での役得であるとみなされていた。1945年のソ連のドイツ占領時のレイプについて書いた歴史家Antony Beevorは、レイプは古代から戦争の際に発生、しばしば統率のない兵士たちによって引き起こされたと述べている。しかし、彼はスペインの内戦の時のモロッコ人傭兵部隊のように、レイプが辱めや恐怖を与えるために戦略的に用いられた例があることも主張している。 (以下略)

Rape in war is as old as war itself. After the sack of Rome 16 centuries ago Saint Augustine called rape in wartime an “ancient and customary evil”. For soldiers, it has long been considered one of the spoils of war. Antony Beevor, a historian who has written about rape during the Soviet conquest of Germany in 1945, says that rape has occurred in war since ancient times, often perpetrated by indisciplined soldiers. But he argues that there are also examples in history of rape being used strategically, to humiliate and to terrorise, such as the Moroccan regulares in Spain’s civil war.



エコノミストのこの記事は、いつか時間がある時に全訳して紹介したいと思うのだが、いつになるか分からない。英語が読める人は是非、リンク先のエコノミストのサイトで一読してみて下さい(記事の本文には、日本軍のことも慰安婦のことも取り上げられていない)。

それにしても、戦時の強姦事件の例として、日中戦争中の南京での2万件の強姦事件と、第二次大戦中に日本軍に供給された20万人の性奴隷の事を筆頭に上げているのは、いい加減なんとかならないのだろうか?エコノミストと言えば、4年前安倍首相を「恥知らず」と罵ったメディアであるが・・・。


ちなみに、スーザン・ブラウンミラーは、レイプがプロパガンダの材料としても使われることがあると指摘している。

 反米宣伝ビラ(朝鮮戦争)

2011/01/24

あっぱれ、コリア・ヘラルドの英作文




さすがに今にもなっても、「朝鮮半島だけで20万人」の女性が慰安婦として連行されたなどとは、韓国のメディアでも書かないだろうと思ってよく見れば・・・これは、なかなか上手く書かれている。ある意味、アッパレである。

よく目を凝らしてみると、朝鮮半島から20万人の少女が、sent to war zones in Asia or some factories in Japan(アジアの戦場か日本の一部の工場に送られた)と書いている。

つまり内地に送られた女子挺身隊と、戦場へ送られた慰安婦の数を合算しているわけだ。

挺身隊は法律に基づき動員される(写真は日本人)。現代の韓国の徴兵のようなものである。慰安婦(所)というのは、軍が他の行政機関の了解も得て事業を誘致したものである。最近で言うと、国土交通省が音頭をとった「ようこそ、ジャパン」キャンペーンみたいなものか(ちょっと違うか?)。

90年代前半なら挺身隊と慰安婦を意図せず混同してしまうという事もあったろうが、2011年ともなると、これはわざとだろう。しかもmobilized(動員された)少女たちはアジア中の戦場か、some(いくつかの)日本の工場に送られたと言うのだから、知らずに読めば20万人の大部分が慰安婦にされたような書き方である。

さらに言えば、some girls(一部・少数の少女)ではなく、some factories(少数の工場)となっているから、文法的には「工場へ送られた少女は少数で、多くは慰安婦としてアジアの戦場に送られた」とも言っていないのである。読み手がそう錯覚したとしても、それはコリア・ヘラルドのせいではない、ということなのだ。

困ったものである。

Two old women whom the international media had called “former comfort women for the Japanese imperial army” died last week, ending their long hard lives. The deaths of Kim Seon-yi at a hospital in Ulsan on Thursday and Im Jeong-ja in Masan on the same day left 76 women of similar experiences alive. Kim was 83 and Im was 89.

世界のメディアが「日本帝国陸軍のための慰安婦」と呼んだ二人の老女が先週亡くなり、長い苦難の人生を終えた。木曜日に蔚山の病院で亡くなったキム・ソニと、同じ日に馬山で亡くなったイム・ジョンジャは、同様の経験をした76人の女性たちを残して先だった。キム83歳、イは89歳であった。

Last year, which marked a century since Japan’s annexation of the Joseon Kingdom, 10 former comfort women passed away. Because of their advanced ages, the number of surviving women will rapidly be reduced while there is little hope that they will be able to fulfill their ardent wishes ― the Japanese government’s admission of guilt on the state level.

日本による李氏朝鮮併合100周年の昨年、10人の元慰安婦が亡くなった。高齢のため、生存する女性たちは急激に減っていく。彼女たちの切なる-日本政府が国家レベルの責任を認めるという-願いが満たされる望みが殆どない中で。

The old women from the government-arranged shelter, the House of Sharing, and some others from provinces have held their weekly demonstrations in front of the Japanese Embassy in Seoul to urge the Tokyo government to end its silence and make sincere apology and compensation. Young activists join them in the Wednesday rallies, which they say will continue until Japan changes its attitude and until the last comfort woman dies.

政府の用意した収容施設ナヌムの家や地域の老女たちが、日本政府に沈黙を止めて誠意ある謝罪と賠償をするように促すべく、ソウルの日本大使館の前で毎週恒例のデモを行った。水曜日デモには若い運動家たちが合流し、日本政府が態度を改めるか最後の慰安婦が亡くなるまで続けると言っている。

When Japan offered compensation in the name of a private foundation in 1995, the then administration of President Kim Young-sam rejected it and took relief measures for the unfortunate women. Various records revealed as many as 200,000 young girls were mobilized from across Korea from the late 1930s and were sent to war zones in Asia or some factories in Japan.

日本が1995年に民間基金の名で補償を申し出た時、当時の金永三政府はそれを断り、不運な女性たちの為に救済手段を講じた。様々な記録が、1930年代の朝鮮全土から20万人もの幼い少女がアジアの戦場と、一部は日本の工場に送られたことを明らかにした。

In wars, armies kill civilians but there was no known precedent of any military systematically operating brothels with women taken from a colony. Japan simply cannot recognize and accept these most shameful deeds in its history. But it cannot extricate itself from the state-level responsibility for the inhumanity by just denying it.

戦争では軍隊は市民を殺すものだ。しかし、これまで軍隊が組織的植民地から女性を調達して売春宿を運営したなどという例は知られていない。日本政府は、単純にこの歴史上もっとも恥ずかしい自らの行為を認めることができない。しかしそれを否定したところで、この非人道的行為に対する国家責任からは逃れらない。

Ten or 20 years from now, there may no longer be a witness to testify the crime. Yet the souls of the victims would still be waiting for words of conscience from the authorities in Tokyo.

10年か20年後には、この犯罪を証言する証人もいなくなっているかもしれない。それでも、犠牲者の魂は日本政府の良心の声を待ち続けているだろう。



戦争では兵士による不法行為は起こりうる(韓国軍も例外ではない?)。しかし日本軍の慰安所は特別だ、という主張は昨日紹介した絵本作家クォン・ユンドクの主張と同じ。

最後は、被害者は死んでも魂は不滅だという形で結んでいる。

ハルモニと葬儀業者



小さなニュースだが、こういったニュースも記録しておいた方がいいだろうか?


태양상조(taeyangsangjo)が慰安婦被害者の葬儀を後援することにしたと韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が14日明らかにした。

태양상조は葬儀用品と儀式用品、車両などを提供して故人の宗教に合わせて葬儀全般を支援し、慶南(キョンナム)泗川(サチョン)葬儀場を利用すれば施設使用料も全額支援することで、17日挺対協と協約式をする予定だ。

挺対協の関係者は「昨年の末、태양상조ハルモニたちの葬儀を手助けしたいと先に連絡をしてきて、すでに13日蔚山(ウルサン)で死亡したキム・ソニ・ハルモニの葬儀を引き受けた」と伝えた。

また「今後も慰安婦被害者の葬儀を専門に担当して差し上げることで、亡くなった時の葬儀を心配をするハルモニたちに大いに役に立つだろう」と話した。

生存する慰安婦被害者は大部分は80代以上の高齢で、現在の長期入院しているハルモニだけで10人で、昨年12月から直近まで5人が亡くなった。

挺対協の関係者は「高齢のハルモニたちに残われた時間は多くない」として「一日も早く日本政府が被害者らに公式に謝って法的賠償をするように韓国政府が立ち向かうことを望む」と話した。

DAUM 2011.1.14


한미희 기자 = 태양상조가 위안부 피해자의 장례를 후원하기로 했다고 한국정신대문제대책협의회(정대협)가 14일 밝혔다.

태양상조는 장례용품과 의전용품, 차량 등을 제공하고 고인의 종교에 맞춰 장례 전반을 지원하며, 경남 사천장례식장을 이용하면 시설사용료도 전액 지원키로 하고 오는 17일 정대협과 협약식을 할 예정이다.

정대협 관계자는 "지난해 말 태양상조가 할머니들의 장례를 돕고 싶다고 먼저 연락을 해 왔고, 이미 13일 울산에서 별세한 김선이 할머니의 장례를 맡았다"고 전했다.

또 "앞으로도 위안부 피해자의 장례를 전담해 주기로 해 돌아가실 때 장례 걱정을 하는 할머니들에게 큰 도움이 될 것"이라고 말했다.

생존한 위안부 피해자는 대부분 80대 이상의 고령으로 현재 장기 입원해 있는 할머니만 10명이고, 지난해 12월부터 최근까지 5명이 유명을 달리했다.

정대협 관계자는 "고령인 할머니들에게 남은 시간이 많지 않다"며 "하루빨리 일본 정부가 피해자들에게 공식으로 사과하고 법적 배상을 하도록 한국 정부가 나서주기 바란다"고 말했다.

2011/01/23

絵本作家クォン・ユンドクが語る慰安婦




日本ペンクラブと国際子ども図書館が主催した講演会「いま、韓国の子どもの本は?」の感想がネットに上がっている。クォン・ユンドクのインタビューの内容が読める。

韓国では絵本のテーマとしても慰安婦は人気があるようで、彼女の「花のハルモニ」という作品については以前にも紹介した。今年の6月には日本語版も出版されるという。

このインタビューを読むと、慰安婦に対するイメージが固定化している韓国の作家が語る慰安婦論は、けっきょくは定型から一歩も出られないのだな、と思う。



・・13歳で無理やり拉致されて船に乗り込まされ、気がついたところは日本軍の駐屯地で20人くらいの女の子が狭い個室に一人ずつ入れられ、日に10人、多い時は30人もの男性の相手をさせられる…想像しただけで胸が苦しくなります。そういう事実を淡々と伝えつつも、最後は今も続く世界の紛争地に想いを馳せ、何を私たちがしなければいけないかを問う形になっています。クォンさんは、この絵本を韓国の子ども達が読んで反日意識を強くしてしまったらどうしよう、そうではなく、平和の大切さを考えるきっかけにしてほしいと、構想から3年以上苦しんだ結果が、その優しい色合いの絵本になっていったのです。


慰安婦問題は一部の不良軍人の犯罪ではなく、「国家が」「組織的に」「動員」した「植民地の女性を制度的に性暴行した事件」とクォンは言う。

もともと「制度」や「組織的」といった言葉は、運動家たちが政治的理由(Wikipediaの「強制連行」の頁を読むとイメージできると思う)があって使っているのである。作家なら、そういう人達からは距離を置いて自分なりの分析を試みるべきだ。それに、このような説明では内地(日本)出身の慰安婦たちが可哀そうだ。「慰安婦問題の核心の当事者は、まさに軍隊と国家に違いない」という最後の部分は、吉見本そのまま。


クォンさんは、講演の中で「慰安婦問題は、一部の質の悪い日本帝国軍人たちが罪のない女性個人を性暴行した事件を示すのではありません。その問題の本質は、戦争という非人間的な状況下において、弱者である植民地の女性たち制度的に性暴行した事件というところにあります。軍隊が駐留した全地域には、慰安所が設置されて、国家によって組織的・体系的に人員が動員されて管理されました。慰安婦問題の革新(ママ)の当事者は、まさに軍隊と国家に違いないのです。


クォンは戦時性暴力は絶えず起きていると言いつつも、「日本帝国軍隊の蛮行(慰安所システム?)は明確に特別な物」と考えているらしい。↓


また一つ、重要な点は、その問題が単純に過去の問題ではないというところにあります。太平洋戦争期の日本帝国軍隊の蛮行は、明確に特別な物がありましたけれども、国家の積極的な介入や黙認の下に行われた軍隊の性暴力は、最近でも世界中あちこちの戦場で絶えず起きています。・・・戦争が終わった後も、軍隊が駐留したところであるならば、女性に対する性暴力から自由ではないのです。慰安婦問題の本質には、こうした点が存在していて、したがって絵本『花のおばあさん』もいかなる方式であっても、こうした点を表現しなければなりませんでした。」と語っています。


「事実」「和解」「信頼」「過去の問題ではない」、「教科書から記述が削除(された)」。


この絵本プロジェクトに携わった日本の絵本作家・・・童心社の編集長池田さん、韓国側の出版社の編集長の方々からもお話がありました。

そこで共通して語られたのは、まずは真実を知ること、そして悩むこと、そして伝えたことで憎しみを増すのではなく、互いを理解し、和解し、平和を求めてほしいということでした。東アジアの一員として、互いに信頼を築くためにも、特に教科書から記述が削除され知らされないままに育っている日本の子ども達・・・



クォの「花のハルモニ」の主人公シム・タリョンは、挺対協によれば、朝鮮半島において「野草取りに出かけたところ日本軍につかまりトラックに載せられ台湾の慰安所に連行」されたというから、本当なら議論の多い強制連行(徴用)の生き証人ということになる。日本の国連常任理事国入り反対運動にも関わり、昨年の12月に亡くなった。




[F]

2011/01/22

現代日本の売春事情1



改正貸金業法については、改正される前から色々心配されてきたわけだが・・・。
借金地獄に陥り、やむにやまれず派遣型風俗店に勤めるごく普通の主婦が増えているという。原因は昨年6月(2010年)から施行された改正貸金業法。一家の食い扶持を得るため、娘が苦界に身を沈めたのは昔の話とばかりは言っていられない似たような話である。

「スパモニ」は規制強化の抜け穴として、新たな「ソフト闇金」と称する闇金が横行、主婦がいかがわしい風俗店に身を置かざるを得ない実態を取り上げた。

都内の雑居ビルの一室にある派遣型風俗店事務所。ここで待機するこの主婦(38)も、5か月前までは風俗店には無縁の2人の子を持つ普通の母親だった。10年前に夫を病気で亡くし、飲食店の正社員として女手一つで2人の子供を育ててきたが、4年前に飲食店が倒産。以来、パートなどの仕事をしながら、一時的な生活費の補てんにクレジットカードのキャッシングなどの借金をしながらやり繰りしてきた。

そこへ突然の改正貸金業法の施行。パートの仕事もなくなり5か月前から派遣型風俗店で働き始めた。主婦は「子供たちを食べさせていかねばならないし、借金も返さないといけないし…。最初は抵抗があったが、だんだん慣れてきた」という。

改正貸金業法は多重債務を減らす目的で、クレジット会社のキャッシングや消費者金融からの借り入れの上限を年収の3分の1に制限。収入のない主婦が借り入れる場合は、夫の同意書か年収証明書が必要となる。

件の派遣型風俗店従業員は、「改正貸金業法が施行された昨年夏以降、面接に来る奥さんが増えましたね。在籍者は100人近くいて、大半が主婦で家族持ちです」・・・

J-Cast 2011.1.21

2011/01/21

日本の議員がハルモニを訪う【2010】



2010年12月8日。日本の国会では岡崎トミ子(民主)ばかりが叩かれているが・・・。


水曜デモが終わった後、ハルモニたちと一緒に凍える体を温かい食事で暖めました。食事が終わるとすぐ鐘路にある事務所には移動せず、忙しなく西大門にある「ウリチプ」へ向かいました。「ウリチプ」には日本から国会議員の方々が訪問することになっていたからです。しかし、私たちより先に到着して玄関の門の外で待っているところに遭遇しました。門を開けて中に入り、ユン・ミヒャン代表が居間へと案内し、その居間を装飾している飾りの数々は、ハルモニたちが園芸治療プログラムと美術治療教室で作った作品を展示したものだと説明しました。

歓迎の挨拶と一緒に「ウリチプ」に一緒に住む4名のハルモニたちも紹介し、韓国の生存者たちの状況についても説明しました。日本の国会議員たちもハルモニたちに挨拶をし、ハルモニたちにまだ解決を届けられない事に対して申し訳ないという言葉もくださいました。キム・ボクトンハルモニは日本政府が当然しなければならない謝罪と賠償をしてほしいと要求しながら、この年老いた被害者を毎週水曜日に道に立たせることは日本政府と国会議員が恥ずべき事であると指摘し、今日のように寒い日にも私たちは水曜デモをしてきたと、これ以上生存者が死ぬ前に、一日も早く問題解決を見ることができるように努力してほしいと要請しました。キル・ウォノクハルモニは「被害者たちがみんな死んだからといってこの問題が解決するわけではなく、私たちが死んで一人もいなくなったとて、日本政府がこの問題をきれいさっぱり解決しなければ真の解決とは言えない。私たちが死んでも若い世代が続いてくれるから、時間稼ぎをせずに早く解決しろと日本政府に伝えてください」と要求しました。水曜デモが終わってから頭が痛いとおっしゃっていたイ・スンドクハルモニがちょうど病院から戻られました。ハルモニは頭を下げて挨拶をし、2階のハルモニの部屋へ戻ってしまいました。ハルモニのこの簡単な行動だけでも、私たちに日本軍「慰安婦」問題解決の緊急性を実感させてくれました。

日本の国会議員は日本に戻れば一生懸命「慰安婦」問題解決の為に努力すると言ってくれました。ハルモニはこれまで「ウリチプ」の園芸治療教室で作った石鹸をプレゼントし、キル・ウォノクハルモニが書道教室で作った「女性の人権と書いた私の絵」をプレゼントしました。プレゼントを受け取った方々が喜んでくださる様子は、ハルモニたちにも自負心を与えました。



挺対協20周年に日本から寄せられた祝辞



挺対協20周年(2010年)に日本の市民団体からの祝辞。JR東労組の名もみえる。 

さすがに戦後責任をハッキリさせる会からはない。



「ひるまず、あきらめずたたかいぬく挺対協の20年に敬意と感謝を送ります」-3月行動を呼びかける女たち

「挺対協はハルモニの誇りであり、人類の誇りです」-劇団水曜日

「挺対協の20年の足跡に尊敬の拍手を送ります」-日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会

「心から敬意を表します。連帯の力を込めて」-神戸女学院大学・石川康宏研究室

「ハルモニたちと共に戦った歴史を讃え、連帯!」-フィリピン人元「従軍慰安婦」を支援する会

「結成20周年を心からお祝いし、これからも共に闘うことを表明します」-憲法9条-世界へ未来へ連絡会(9条連

「貴会の活動に心からの敬意と連帯を込めて」-21世紀の平和と人権を考える市民のつどい

「挺対協なくして『今』はない!解決まで共に!」-「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク

「 過去・現在・未来へ協心戮力で連帯の運動を!」-「慰安婦」問題の解決に向けた意見書採択をすすめる会」

「日本軍「慰安婦」問題解決は平和な未来への第一歩」-早よつくろう!「慰安婦」問題解決法・ネットふくおか

「被害者と共にした20年。その献身と勇気に感謝!」-戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会

「歴史を拓いたハルモニ、共に闘う挺対協に感謝!」-日本軍「慰安婦」問題解決のために行動する会・北九州

「戦時性暴力根絶のために闘い続ける姉妹に連帯!」- アクティブミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)

「勇気と希望をもって共に頑張りましょう」-戦争を許さない女性たちのJR連絡会

「一日も早い解決のために闘いましょう!」-アジア子どもプロジェクト

「博物館建設のために共にに頑張りましょう」-JR東労組

「 篤くて温かい20年間の活動に感謝と連帯を!」-「慰安婦」問題解決を求める北摂ネットワーク

「女性の人権確立のために闘った20年に、栄光あれ!」-戦時性暴力問題連絡協議会

「日本軍『慰安婦』問題解決・被害者の尊厳の回復のための、20年間のたゆまぬ努力に敬意を表します。共に解決を勝ち取りましょう」-VAWW-NET Japan

2011/01/20

徴用とは【징용】韓国語


NAVER [注意: 機械翻訳(Excite)]

徴用-されている徴用--

1. <法律>戦時・事変または、これに準ずる非常事態に、国家権力で国民が強制的に一定の業務に従事することになる。

2. <歴史>日帝強制支配期に、日本帝国主義者などによって朝鮮人強制的に動員されて働かせられる。

* 日帝強制支配期に慰安婦に徴用された私たちの妹らを考えれば国力の重要性を節減することになる。



징용-되다徵用--[발음 : 징용되다/징용뒈다]

1 . <법률> 전시ㆍ사변 또는 이에 준하는 비상사태에, 국가의 권력으로 국민이 강제적으로 일정한 업무에 종사하게 되다.

2 . <역사> 일제 강점기에, 일본 제국주의자들에 의하여 조선 사람이 강제로 동원되어 부려지다.
* 일제 강점기에 위안부에 징용되었던 우리의 누이들을 생각하면 국력의 중요성을 절감하게 된다.

村山一兵「ナヌムの家」を解雇される




村山一兵は、韓国のマスコミにも何度か紹介されている有名人で、講演の為に頻繁に日本に戻って来ているので、一部の日本人にとってはナヌムの家の顔のような存在であった。その彼が、ナヌムの家を解雇された。

自分は彼の、「国際社会からは何度も何度も『この問題に向き合え』と言われてきてるんです」とか(彼らが言ってるのはレイプ・キャンプの事実を認めろということ。はぐらかしてはいけない)「右翼たちは有名な漫画家に高額を支払って自分たちの主張を込めた漫画を描かせています」(漫画家の実名を上げて欲しい)という訴えには賛同しないが、政治的な理由で慰安婦を利用している人々よりは、彼の方が評価できると思っている。信念があるだけに、他人とぶつかることも多いのだろう。


光州の「ナムヌの家」の日本人職員解雇の方針

ナムヌの家の「指示不履行、行動不遜」
3月再契約しないことで..事実上「解雇」

日本軍慰安婦被害者ハルモニたちの住居兼福祉施設である京畿道広州の「ナムヌの家」のイ・ハルモニたちを世話している日本人職員と再契約をしないことにしたことを巡り、解釈が交錯している。

ナムヌの家は、2006年4月から日本軍慰安婦歴史館の研究員であり日本からの訪問客の案内役を引き受けていた日本人、村山一兵(31)氏に昨年12月10日業務停止を通知した。

村山氏は2003年延世大に留学に来て、ナムヌの家と歴史館を訪問しキム・スンドク慰安婦被害者ハルモニの死を見とりながら歴史館で奉仕することを自任し、ナムヌの家が毎月160万ウォン余で職員として採用した。

ナムヌの家のアン・シングォン所長は「一兵氏が職員として業務を忠実に果たさず、数度指示に違反するなど問題があり、来る3月再契約をしないことにした」と話した。

5年あまりハルモニたちのために働いてきた村山氏を事実上解雇することになったのは、彼の逸脱行動のためだというのがナムヌの家の言い分だ。

村山氏は昨年12月初め東京で開かれた慰安婦問題をテーマにしたワークショップ「ピースロード(Peace Road)」にナムヌの家の許諾なしで参加し、慰安婦被害者ハルモニの通訳を受け持った。

11月の末に沖縄で開かれた行事に村山氏が参加したので他の職員を送ることにしたことに反発、行事期間に合わせて休暇を届け出て参加したものだった。

当初東京のイベントには在日同胞の参加者が通訳をすることになっていたが、村山氏が通訳を邪魔したとナムヌの家は主張している。

また、訪問客の案内の便宜のために全職員が名札をつけることにしたが、村山氏だけが特別な理由もなく名札ペチャルを拒否し、指示不履行の問題で事務長と争い、理由書と経過書の提出を指示されることになった。

ナムヌの家の関係者は「村山氏がスリッパを履いて歴史館の訪問客を案内したり、訪問客が挨拶しても受けることもないなど職員としての行動が適正でなく、歴史館の資料整理業務も3年目履行しないでいる」と話す。

村山氏がナムヌの家で仕事が出来なくなったという知らせに、すぐ一部の日本の社会団体がナムヌの家に抗議のメールと電話をよこしてしてきた。

村山氏がナムヌの家で永続的に仕事をしたがっていると分かったが、ナムヌの家は3年目奉仕をする日本人の結婚移民者を後任に決めた。

国内に留まることが分かった村山氏は、現在携帯電話に出ない状態である。



광주'나눔의집' 일본인 직원 해고방침…해석 분분

일본군 위안부 피해자 할머니들의 주거복지시설인 경기도 광주 '나눔의집'이 할머니들을 돌보고 있는 일본인 직원과 재계약을 하지 않기로 한 것을 두고 해석이 엇갈리고 있다.

나눔의집은 지난 2006년 4월부터 일본군위안부역사관 연구원이자 일본 방문객 안내역을 맡은 일본인 무라야마 잇페이(31)씨에게 지난해 12월 10일 업무정지 통보를 했다.

무라야마씨는 2003년 연세대에 유학하러 왔다가 나눔의집과 역사관을 방문하고 김순덕 위안부피해자 할머니의 죽음을 지켜보면서 역사관에서 봉사하기를 자처해 나눔의집이 매달 160여만원을 주고 직원으로 채용했다.

나눔의집 안신권 소장은 "잇페이씨가 직원으로서 업무를 충실히 이행하지 않고 수차례 지시사항을 위반하는 등 문제가 있어 오는 3월 재계약을 하지 않기로 했다"고 말했다.

5년여동안 할머니들을 위해 일해 온 무라야마씨를 사실상 해고하기로 한 것은 그의 일탈행동때문이라는 것이 나눔의집의 주장이다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 도교에서 열린 위안부 문제를 주제로 한 워크숍 '피스로드(Preace Road)'에 나눔의집의 허락 없이 참석해 위안부 피해자 할머니의 통역을 맡았다.

11월 말 오키나와에서 열린 행사에 무라야마씨가 참석했기에 다른 직원을 보내기로한 것에 반발, 행사기간에 맞춰 휴가를 내고 참석한 것이다.

애초 도쿄 행사에는 재일교포 참가자가 통역을 하기로 했으나 무라야마씨가 통역을 못하게 했다고 나눔의집은 주장하고 있다.

또 방문객 안내 편의를 위해 직원들 모두 명찰을 달기로 했으나 무라야마씨만 특별한 이유없이 명찰 패찰을 거부했고 지시 불이행 문제로 사무장과 다투기도 해 사유서와 경위서 제출을 지시받기도 했다.

나눔의집 관계자는 "무라야마씨가 슬리퍼를 신고 역사관 방문객을 안내하거나 방문객이 인사하면 받지도 않는 등 직원으로서 행실이 올바르지 않았으며, 역사관 자료 정리업무도 3년째 이행하지 않고 있다"고 말했다.

무라야마씨가 나눔의집에서 일을 못하게 됐다는 소식이 알려지자 일본 내 일부 사회단체 등에서 나눔의집에 항의 메일과 전화를 해 오고 있다.

무라야마씨는 나눔의집에서 계속 일하고 싶어 하는 것으로 알려졌으나 나눔의집은 3년째 봉사를 하는 일본인 결혼이민자를 후임으로 정해놨다.

국내에 머무르는 것으로 알려진 무라야마씨는 현재 휴대전화를 받지 않고 있다. (연합뉴스)

2011/01/19

戦争の手段としての強姦【コンゴ】蛮行止まず




戦争で用いられる武器は、銃や戦車だけではない。最近ではサイバー戦争といった言葉もある。プロパガンダだって戦争の手段である。

もうひとつ、強姦も戦争の手段として用いられることもある。ユーゴ紛争でも用いられた。被征服民の女性を強姦することで、民族浄化を行い(セルビア人の子供を産ませる)、同時に男たちの戦意を削ぐというものだと言われている。日本軍の慰安所も、そういった施設(レイプセンター)だという濡れ衣を着せられているが、それはともかく、今もコンゴではこういった事が止まないでいる。

BBCは記事を削除しないので、出だしとリンクだけ。


DR Congo army commander 'led mass rape' in Fizi

One of the victims has identified the military commander in the area of directing the violence

An army commander in eastern Democratic Republic of Congo has been accused of leading the recent mass rape of at least 50 women.

One of the victims, as well as sources quoted in a UN report, all accuse Lt Col Kibibi Mutware of links to New Year's Day rapes in the town of Fizi. (以下略)

19 January 2011 BBC

韓国の女性写真家「忘れられた韓国の女たち・米軍慰安婦」





「アジアと命、ビジュアル・ストーリーテリング」展

主催者によれば、「フォトジャーナリズム、社会派写真ドキュメンタリー、対象に深く入り込んで記録されたビジュアル・ストーリーテリングのなかで『アジア』と『命』をテーマに写真的活動、出版プロジェクトに関わる写真家、編集者とともに写真を見ながら、プロジェクト、撮影にまつわる経験を共有することを趣旨」として開催される企画、なのだそうだ。

イスラエル、トルコ、グルジア、シンガポール、中国、韓国と言った国々の写真家の作品が紹介される。
気になるのは、韓国出身の女性写真家Jean ChungのテーマKorea’s Forgotten Women - comfort women for US army (韓国の忘れられた女たち・アメリカ陸軍のための慰安婦)。

この人はアフガニスタンやアフリカで活躍した写真家らしいが、運動家たちからは無視され続けているこの米軍慰安婦をテーマにして、何を訴えているのか気になるところである。

慰安婦問題を政治利用することしか考えていない人々は、日本軍が関わらない限り興味を示さない。ここが本物を見分けるポイントなのだろう。

来月12日、東京恵比寿の東京都写真美術館で開催される。 

問い合わせはココ

2011/01/15

ウィキ・ウォッチ1【進駐軍慰安所】吉見理論で見てみれば



ウィキペディア(英語版)の進駐軍の慰安所(RAA)の頁を読んでいたら(この項目があるのは英語版だけ。日本軍の慰安所に比べて国際的に注目されていないらしい)、女性が強制的に働かされていた日本軍の慰安所とは違う、と書かれているのに気付いた。

ところで、慰安婦問題の国際的「権威」とされる吉見義明は、日本軍の慰安所について以下のような点を指摘している(岩波新書「従軍慰安婦」)。

● 慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである。たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。

● 前借金で債務奴隷状態にされていることも逃亡ができない理由のひとつだった。軍は、慰安婦の借金をなくすように業者に指導していた。しかし・・・借金を加重していくことには、軍は介入しなかった。

● 日本軍は・・・彼女たちを保護するための軍法を何もつくらなかったのである(ちなみに慰安所規則に廃業の規定はちゃんとある)。

● 慰安婦制度とは、特定の女性を犠牲にするという性暴力公認のシステムであり、女性の人権をふみにじるものである。

さて、そこでウィキペディアのRAAの解説である。

Unlike wartime "comfort women" forced to serve Japanese forces, most employees of the RAA were Japanese women, mostly prostitutes and others recruited by advertisement as well as through agents.

日本軍の為に働くことを強制された戦時「慰安婦」と違い、RAAの従業員のほとんどは日本人であった。ほとんどが売春婦で、他は広告や代理人を通じて募集された人々であった。

However, there are testimonies from some women saying that they were coerced into service as bonded labor, and some Japanese sources even assert that the centers were in fact set up by GHQ's demand.

しかしながら、何人かの女性から債務奴隷としてサービスを強制されたという証言も出ている。いくつかの日本のソースは、施設は実際GHQの要求で設立されたと断言している。

Wikipedia Recreation and Amusement Association(2011.1.15)


ということなのだが、吉見の主張を踏まえて考えるならば、

1) 好き好んで慰安婦になる女性などいるはずはない。これは当然進駐軍の慰安所で働いていた女性を例外とする理由はない。ならば、(吉見理論を採用するなら)RAAでも自動的に強制性が成立する。

2) では、借金など雇用主との金銭関係で女性が債務奴隷にならぬよう米軍は介入していたのか?以前韓国の基地売春婦が債務奴隷状態であったという証言を紹介したが、買春を秘め事にしていた米軍がそこまで世話を焼いてくれたか疑問である。

3) 米軍は駐屯地(日本に限らない)の女性を守る為の軍法(廃業規定)を持っていたのか?これも同様の理由で疑問。

4) 「慰安婦制度とは、特定の女性を犠牲にするという性暴力公認のシステム」というのは、RAAも買売春施設である以上、これも問題なく適用されるはず。


Unlike wartime "comfort women" forced to serve Japanese forces(日本軍の為に働くことを強制された戦時「慰安婦」と違い)?・・・少なくとも吉見理論に従う限り、RAAは充分に強制売春施設の条件を満たしていそうだ。



尹明淑 日本の軍隊慰安婦問題の論点



日本の軍隊慰安婦問題をめぐる幾つかの論点  
2011.1.9.尹明淑

1.軍隊慰安婦問題が社会問題として登場する経過
2.軍隊慰安所制度における強制性論争
3.日本政府の責任をめぐって ー 国民基金、決議案を中心に
4.金学順元軍隊慰安婦の被害者の初の名乗り出から約20年が過ぎて、これからの問題

0 はじめに

― 今日の発表の前提

・ 軍隊慰安所制度は日本軍・国家による性暴力であり、日本政府に法的責任がある。

・ 軍隊慰安婦は占領地における軍隊慰安所制度のもとで軍人軍属に性行為を強要された植民地、占領地、日本の女性をいう。

― 軍隊慰安婦問題を受け入れる我々の認識の問題

― 今日の論点は未確定の論理であり、研究者として悶々と悩んでいる問題である。

1.軍隊慰安婦問題が社会問題として登場する経過

1988 年2 月12 日~21 日、韓国教会女性連合会の尹貞玉、金慧媛、金信実、福岡、沖縄で、「挺身隊」調査

1988 年4 月、韓国教会女性連合会主催の国際セミナー「女性と観光文化」で報告

1990 年1 月、「挺身隊取材記」として『ハンギョレ新聞』(四回連載)に報道、韓国国内で大きな反響を呼ぶ。

1989 年1 月7 日、昭和天皇葬儀への韓国政府の弔問使節派遣反対する声明書のなかで、韓国の女性団体が戦後初めて「挺身隊」に対する謝罪を要求

1990 年5 月18 日、韓国の蘆泰愚元大統領の訪日の際、韓国の女性団体が「挺身隊」に対
する謝罪と補償を要求。

1990 年6 月6 日、本岡昭次社会党議員が参議院予算委員会で、「従軍慰安婦」について質疑し、政府は「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いていたものである」と答弁

1991 年8 月3 日、4 日、第一回アジア太平洋地域戦後補償国際フォーラム、東京千代田公会堂、約一千名傍聴。サハリン残留朝鮮人、在韓国被爆者、韓国太平洋戦争犠牲者遺族会、韓国・台湾・中国・フィリピン・インドネシア・マレーシアの泰緬鉄道労働者、在日韓国人BC 級戦犯者など10 か国の戦争被害者及び遺族が参加

1991 年8 月14 日 元「軍隊慰安婦」被害者、金学順さんの名乗り出と被害状況証言

# 1990 年6 月、参議院予算委員会での質疑応答

― 本岡、「強制連行の中に従軍慰安婦という形で連行されたという事実もあるんですが、そのとおりですか」(5 月25 日、韓国外相が日本政府に強制連行者の名簿づくりの協力を要請した直後)

― 答弁、「徴用の対象業務は国家総動員法に基づきます総動員業務でございまして・・・そうした総動員法に基づく業務としてはそうしたことは行っていなかった」

1992 年1 月11 日、日本軍が軍隊慰安婦の徴集に直接関与した関係公文書6 点、『朝日新聞』に報道

1992 年1 月12 日、加藤紘一官房長官、軍の「関与」を公式に認める談話、13 日謝罪の談話を発表

1992 年1 月16 日、訪韓した宮沢首相が「お詫びと反省の意」を表明、ただし補償については裁判の結果を見守りながら事実調査に誠意ある措置をとるとだけ話した。

1992 年7 月6 日、第一次政府調査結果を公表、加藤内閣官房長官の談話

1993 年8 月4 日、第二次政府調査結果を公表、河野官房長官の談話

加藤内閣官房長官の談話

慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められた河野官房長官の談話慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。


2006 年10 月、安部政権下、河野談話見直し論強まる。

[参考] 河野談話は再調査必要 従軍慰安婦めぐり下村氏(西日本新聞 2006 年10 月25 日)

下村博文官房副長官は25日夕、都内で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた1993年の河野洋平官房長官談話に関し「私自身の今後の検討課題」としながら、談話の前提となる事実関係を調査し直すべきだとの考えを示した。

下村氏は「河野談話はもう少し事実関係をよく研究しあって、その結果どうなのか、時間をかけて客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか」と述べた。安倍晋三首相は衆院予算委員会の答弁で、河野談話を踏襲する考えを示しており、野党から批判を受けそうだ。

ただ下村氏は、日本の「植民地支配と侵略」について謝罪した1995年の村山富市首相談話もあわせて「もし閣議決定された談話を修正するなら、もう一度閣議決定し直さなければならない。その時間が許されるか考えると、議論しているような時期ではない」と強調し、政府として見直すことはないとの見通しを示した。

2.軍隊慰安所制度における強制性論争

― 「強制連行」(徴集の方法)

― 商行為(公娼): 民間人の営業・合法

[河野談話]

慰安婦の出身地:日本、朝鮮 ― 植民地での徴集の特徴を言及
Cf.占領地

3.日本政府の責任をめぐって ー 国民基金、決議案

0 国民基金(http://www.awf.or.jp/)

- 被害者個人に対する、日本国民の広い償いを。1995 年8 月15 日より募金開始、翌年8 月14 日から支給開始(韓国・台湾・フィリピン)、2007 年3 月終了

- 問題点:国民基金みずからの主張すら貫けてない

・オランダは政府からの医療・福祉のお金のみ

・インドネシアの場合は、日本政府との協議の結果、インドネシア政府が高齢者社会福祉推進事業

*「『慰安婦』のケースのほか、レイプその他さまざまなケースが含まれているようで、その数は膨大なものになった。」

0 決議案

-アメリカを始め、

0 2006 年アメリカ議会の「慰安婦決議案」

日本政府は1930 年代から第二次世界大戦に至るアジア太平洋地域の植民地占領期間のあいだ日本皇軍が「慰安婦」として知られている若い女性たちをただ性奴隷にさせるために直接間接的に従属及び場合によっては拉致を放任し、日本軍「慰安婦」の悲劇は20 世紀最大の人身売買事件の中の一つであり、「慰安婦」女性の奴隷化は日本政府が公式的に委託・総括し、集団強姦、強制堕胎、性暴行及び人身売買を随伴し、・・・(下略)

0 2007 年7 月30 日 アメリカ議会の「慰安婦決議案」

日本政府は1930年代から第二次世界大戦に至るアジア太平洋地域の植民地期間のあいだ「慰安婦」として知られている若い女性たちを性奴隷として活用するために女性たちを公式徴集し、慰安婦制度は日本政府により強制された軍売春であり、残酷性や規模の面から前例のないことであり、集団強姦、強制堕胎、侮辱、そして身体麻痺・死亡・自殺に至らせる性暴力がなされたのであり、20 世紀人身売買史上最も大規模な事件の中の一つであり、…(下略)

0 オランダ決議案(2007 年11 月8 日);カナダ議会の決議案(2007 年11 月28 日)

… 強制売春制度・・・

0 このほか、EU 連合議会(2007)、オーストラリア(2007、日本政府の立場を受容)採択。

0 イギリスとドイツは進行中

*決議案の出典:日本軍慰安婦被害者e‐歴史館http://www.hermuseum.go.kr/の韓国語資料から翻訳

4.金学順元軍隊慰安婦の被害者の名乗り出から約20年が過ぎて、これからの問題

0 再び、原点に戻る

― 軍隊慰安所制度とはなにか。「慰安婦」被害者とは誰なのか。

・ 例えば、中国での性暴力被害者:山西省の被害者、南京での被害者、「慰安婦」

・ 植民地出身の被害者:例えば韓国人被害者が経験した慰安所があった地域として、日本の占領地、日本(北海道、沖縄)、朝鮮国内(フェリョン会寧、チンヘ鎮海)

・ 占領地(慰安婦)、日本国内及び植民地での駐屯地、軍需産業 - 植民地での平時と戦時体制の区別必要では? - 例えば、植民地での平時とは異なる戦時での朝鮮軍のあり方(植民地における戦時体制の意味)

占領地出身被害者植民地出身被害者の被害形態の共通点と相違点

― 結局、「我々」の問題=問題を理解する(できる)視角の問題

・ 日本:日本人被害者の問題

・ 韓国:名乗り出られなかった範疇の被害者の存在(例えば、「接客婦」出身など)等々

2011.1.9.尹明淑
http://www.ijrc.hit-u.ac.jp/pdf/files/ControversieAndProblems_1UXFLV.pdf

馬総統アマー(元慰安婦)に会いに行く【台湾】




果物市場に元慰安婦陳桃に会いに言った馬総統。聯合報1月9日(動画あり)。元慰安婦全員に 2万台湾ドル(5万6千円)ずつプレゼントしたという話も(ソースなし)聞こえてきている。




總統馬英九昨天在屏東縣行程滿檔,但最後一個行程卻是溫馨祝福滿點!馬英九下午特地到麟洛鄉果菜市場,探視90高齡曾被日本人強徵做慰安婦的鄭陳桃阿嬤。馬英九一見到阿嬤,就給她一個大擁抱,兩人也互贈圍巾,馬英九說「真是心有靈犀一點通」。


馬英九昨天下午抵達果菜市場,鄭陳桃阿嬤開心迎接馬英九到來,總統一路牽著阿嬤的手走進市場。


鄭陳桃阿嬤在市場賣椰子,她拿起彎刀,俐落地削椰子請總統喝椰子水,總統在一旁看得驚喜連連,兩人一坐下,馬英九問阿嬤:「切椰子有沒有問題」,阿嬤回答說,沒問題。


兩人對談過程中,馬英九不時握著阿嬤的手,真情流露。「阿嬤的故事讓人很不捨」,馬英九說,阿嬤念初二時,有天上學途中被日本警察騙說「我載你上學」,結果開到港口,載到印度當慰安婦,「她的一生就沒了」,阿嬤自力更生,賣椰子「真的很不容易」,要給予更多關懷。


阿嬤說,她從63歲賣椰子到現在,見過馬總統好幾次,上周到台北見馬總統,就邀總統到屏東。阿嬤說,從台北回來開始織圍巾,馬總統的藍色圍巾已織好,總統夫人的白色圍巾還要幾天才能完成。


馬英九昨天送元旦的國旗圍巾、建國100年的別針和手表給阿嬤,並拿2萬元現金向阿嬤買椰子,送給弱勢團體。


馬英九說,自己的母親也80多歲,身體跟阿嬤一樣健康。他提到,10多年前,王清峰創立婦女救援基金會,他也參與慰安婦救援工作,1999年,造訪以色列猶太人的流亡歷史博物館,當時贈送婦援會錄製「阿嬤的秘密」紀錄片影帶給博物館。


2011.01.9 聯合報

従軍慰安婦「おわび」見直す声【07年】河野氏「知的に不誠実」



[資料用]

安倍総理の発言をきっかけに国際的なスキャンダルになったこの時期、事態の鎮静化を図らなければならなかったというのは理解できる。しかし、信念があってこの談話を出したわけだから、日本を代表する政治家として外国にも説明する義務はあると思う。

さすれば、少なくともマイク・ホンダが主張していた陸軍の方針として強制動員していたのが慰安婦であったという誤解はぬぐえたのではなかったか?玉虫色の河野談話は少なくとも慰安婦の徴用(強制連行)説を認めたものではなかったはずだ。

河野洋平衆院議長が昨年11月、アジア女性基金(理事長・村山富市元首相)のインタビューに対し、従軍慰安婦の募集に政府が直接関与した資料が確認されていないことを踏まえたうえで「だから従軍慰安婦自体がなかったと言わんばかりの議論をするのは知的に誠実ではない」と語っていたことが明らかになった。

河野氏は93年の官房長官当時に従軍慰安婦問題で「おわびと反省」を表明する談話を出したが、各界でこれを見直す声が出ていることを厳しく批判したものだ。河野談話をきっかけに95年に発足し、元従軍慰安婦への支援を担った同基金が近く公表する「オーラルヒストリー」に掲載される。

インタビューで河野氏は、談話で「官憲等が直接(慰安婦の募集に)加担したこともあった」と認定した点について「どなたが何とおっしゃろうと問題ない」と断言。談話の前提となった政府調査での元従軍慰安婦16人への聞き取り結果を理由に挙げ、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる」と振り返っている。

従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は「処分されていたと推定もできる」と指摘。「(談話を出した)責任を逃げたり避けたりするつもりは全くない。談話を取り消すつもりも全くない」と強調している。

3月になって安倍首相の発言が河野談話見直しと関連して海外で報じられたことから、河野氏には欧米メディアから取材要請が相次いだ。事態の沈静化を図る河野氏は、現在は「信念を持って談話を発表している」と語るにとどめている

朝日2007.3.27(リンク切れ・要確認)

2011/01/14

中国に我が国が行った戦争犯罪を繰り返させてはいけない【森村誠一】



自分が昔訪れた時は、田舎の小さな郷土資料館のような所だった731部隊資料館。それが東京ドーム8個分の広さが史跡として整備されるのだそうだ。「証言の碑」や、日中交流を進める「平和友好の森」を作るといった辺りは、どうも俗っぽい臭いがしてならないのだが・・・。

ところで、昨年東京で開かれたシンポジウムで森村誠一が、

「(軍事力を背景に覇権主義を強める)今の中国はかつての日本に似ている。我が国が行った戦争犯罪、人間性の喪失を隣国に繰り返させてはいけない」

と、「中国で保存活動を進める意義を強調した」らしい。慰安婦問題にも共通することだが、これは非常に大事なポイントだと思う。

中国が日本と同じ過ちを繰り返すのではないかと懸念する森村は、歴史を本気で人類の教訓にしようと考えているように思える。一方で、日本軍の慰安所を糾弾しながら韓国にも同様のシステムがあったことに口をつぐんでいる「慰安婦支援団体」が、いくらもっともらしい顔で「過ちを繰り返さない為」と力説しても、これはもう信じるに値しないのである。

同じシンポジウムで中国側の関係者は、

遺構の価値として(1)細菌戦争の発祥の地(2)人類に幸福をもたらす医学と科学がその目的に背いた野蛮な歴史の記録(3)旧日本軍の侵略と証拠隠滅の物 証(4)人類に警告を発し、戦争を反省させる最も説得力のある例証--など6項目を挙げる。「遺構はハルビンにあるが、全世界の所有物。残酷な歴史が人類 に残した特殊な資産だ。保存はハルビン市民の責任であり、全世界の平和を愛する人々の問題でもある」と金所長。日本政府への要望として「保存に参加し史跡 として利用を進めるなら、世界平和への大きな貢献になる」 (毎日新聞 2011.1.11)


と述べたと言うが、彼は中国がかつての日本に似ていると言った森村の言葉をどう聞いたのだろう?


731部隊:遺構保存、中国・ハルビンで本格化 医学悪用、負の「世界遺産」目指す

「史上最大規模の細菌兵器工場」とされる旧日本軍「731部隊」。本部があった中国ハルビン市で、当時を伝える遺構の保存活動が今年、本格化する。活動するメンバーらは、医学や科学が悪用された「負の遺産」として、アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)や原爆ドーム(広島)と並ぶ「世界遺産」への登録を目指している。【山田大輔】

活動を率いるハルビン市社会科学院の金成民731研究所長がこのほど来日し、今年から6年かけて取り組む保護計画を明らかにした。計画によると、同市郊外の本部棟や衛兵所、細菌を拡散させるためのネズミ飼育室、死体焼却炉、凍傷実験室など7地区計37万7000平方メートル(東京ドーム約8個分)を史跡として整備する。旧日本軍戦犯の供述を刻んだ「証言碑」や、日中交流を進める「平和友好の森」も設ける。

■荒廃進み開発も

部隊は第二次大戦の終戦直前、証拠隠滅のため主な施設を破壊。残った施設も戦後、工場や学校として使われたり荒廃が進んだ。81年、作家の森村誠一さんが、部隊の行為を告発したノンフィクション「悪魔の飽食」を出版。それを機に現地で保存の機運が高まり、中央政府は06年、一帯を「重点保護区」に指定した。一方、保護区内にはショッピングセンターやマンションの建設計画が相次ぎ、地中から見つかった毒ガスなどの遺棄兵器による健康被害も問題となった。

金所長によると、09年から10年にかけて、保存の動きが進展したという。本部棟の一角にあった中学校や民家288戸が移転。1500平方メートルの地下貯水池が見つかり、他の地下施設とともに公開される見通しとなった。だが、解剖室などの重要施設は既に失われ、毒ガス発生室や細菌弾組み立て保管室は工場、市街地にある将校宿舎などは今も店舗や住宅として使われている。史跡として整備するには、今後数年かけてこれらの退去を促すほか、景観を損なうビル6棟の撤去も必要だという。

■人類への警告

金所長は遺構の価値として(1)細菌戦争の発祥の地(2)人類に幸福をもたらす医学と科学がその目的に背いた野蛮な歴史の記録(3)旧日本軍の侵略と証拠隠滅の物証(4)人類に警告を発し、戦争を反省させる最も説得力のある例証--など6項目を挙げる。「遺構はハルビンにあるが、全世界の所有物。残酷な歴史が人類に残した特殊な資産だ。保存はハルビン市民の責任であり、全世界の平和を愛する人々の問題でもある」と金所長。日本政府への要望として「保存に参加し史跡として利用を進めるなら、世界平和への大きな貢献になる」と述べ、「責任」という言葉を慎重に避けた。

昨年11月、東京都内で開かれたシンポジウムでは、初来日した犠牲者の遺族、李鳳琴さん(69)が「殺された父は普通の庶民だった。軍国主義が滅び、日本が大きな変化を遂げた今、日本政府にはきちんと謝罪してほしい」と訴えた。

「悪魔の飽食」を書いた森村さんも「(軍事力を背景に覇権主義を強める)今の中国はかつての日本に似ている。我が国が行った戦争犯罪、人間性の喪失を隣国に繰り返させてはいけない」と、中国で保存活動を進める意義を強調した。

■医学界も取り組み

ヒトラー政権によるユダヤ人迫害が行われたドイツでは88年、ベルリン医師会が医師の責任を認め、行為を謝罪する声明を出した。日本の研究グループ「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事長の刈田(かりた)啓史郎・元東北大教授(生理学)は「日本の医学界はまだ道半ば」と話す。

しかし、全国の医師らが09年、「戦争と医の倫理の検証を進める会」を設立。今年4月9日、東京都内で開かれる日本医学会総会に合わせ、国際シンポジウムを東京大で開く。刈田さんは「戦後65年以上たってまだ総括ができていないのは残念だが、医学教育の場で731部隊の行為を教える例も出始めており、これからの若い医師に期待している」と話す。

元慰安婦、同日に二人亡くなる




慰安婦が亡くなるニュースを聞くのは気が重い。自分の親の年齢が頭によぎるからだ。それもあって、日本は「慰安婦が死に絶えるのを待っている」と言われるのは不本意ではある。しかし敢えて言うなら、慰安婦がいなくなれば運動家たちが強力なカードを失うことも事実だ。そうなったら、もう情に訴えるやり方は通用しなくなる。

イ・ヨンスやキル・ウォンオクといった世界的に有名な語り部ハルモニを失えば、挺対協の打撃も大きかろう。しかし、最後まで彼女たちを騙し利用してきたのは彼らである。

沖縄から基地を無くしますと啖呵を切ったええ格好しいと同様に、彼らも報いを受けるべきだ。 もっとも、子供たちに囲まれてハルモニも幸せな晩年ではあったのだろう。

イム・ジョンジャは来日して証言をしたこともあるらしい。
・・・韓国挺身隊問題対策協議会は日本軍慰安婦被害者のキム・ソニ、イム・ジョンジャ・ハルモニが13日死亡したと14日明らかにした。 3日にはイ・キソン・ハルモニが、先月31日にはチョン・ユンホン・ハルモニが亡くなった。 半月で新たに4人のハルモニが亡くなった。

現在の生存しているハルモニの中で最高齢は95才、最年少は80代初めだ。

日帝時代日本軍に当てられた「性奴隷」生活を米国、オーストラリアなど外国を歩き回って証言したキル・ウォンオク、イ・ヨンス・ハルモニもすでに80代半ばに入り込んだ。 何年ぶり過ぎればハルモニたちの証言を直接聞くことができない状況になることになる。

毎週水曜日に日本大使館の前で開かれる集会に参加するハルモニの数も順次減っている。

3,4年前でも10人のハルモニが参加していたが、最近は一人か二人1に減り、はなはだしくはハルモニが一人もなしで集会を開催したこともある。

日本政府の謝罪と法的補償ははるかに遠く見える。 日本で民主党が執権した後ハルモニたちの要求が受け入れられる可能性が高くなると予想された。 しかし2000年、野党時代に「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」まで提出した日本の民主党は政権与党になったから手を離している。 わが政府も被害者ハルモニに対する経済的支援をするだけで、外交的努力はそれほど眼に触れるのがない。

挺身隊対策協関係者は「生存しているハルモニたちも入院するなど体の具合が悪い人々が多く、この人たちまで死亡すれば、日本の謝罪を受けることはさらに難しくなる」として「韓国政府で日本の公式的な謝罪を強力に要求しなければならない」と話した。

東亜日報2011.1.14

‘위안부 할머니’ 2명 한날 별세… 보름 새 4명 세상 떠나

日사죄는 '까마득'… 안타까움 더해

[세계일보]'등록된 위안부 피해 할머니는 234명. 이 중 생존자는 76명.'

일본의 사과는 까마득하기만 한데, 3분의 1만 남았다. 한국 정부도 뒷짐을 진 상황이다.

한국정신대문제대책협의회는 일본군 위안부 피해자인 김선이, 임정자 할머니가 13일 별세했다고 14일 밝혔다. 3일에는 이기선 할머니가, 지난달 31일에는 정윤홍 할머니가 세상을 떠났다. 보름 새 4명의 할머니가 세상을 떠났다.

현재 생존 할머니 중에 최고령은 95세, 최연소는 80대 초반이다.

일제시대 일본군에 당한 '성노예' 생활을 미국, 호주 등 외국을 돌아다니며 증언한 길원옥, 이용수 할머니도 이미 80대 중반에 접어들었다. 몇 년만 지나면 할머니들 증언을 직접 듣지 못하는 상황이 될 수 있다.

매주 수요일 일본대사관 앞에서 열리는 집회에 참여하는 할머니 숫자도 점차 줄고 있다.

3, 4년 전만 해도 10명의 할머니들이 참가했지만 최근 1, 2명으로 줄었고 심지어는 할머니들이 한 명도 없이 집회를 개최한 적도 있다.

일본 정부의 사과와 법적 보상은 요원해 보인다. 일본에서 민주당이 집권한 뒤 할머니들의 요구가 받아들여질 가능성이 높아질 것으로 예상됐다. 그러나 2000년 야당 시절 '전시 성적 강제 피해자 문제 해결 촉진 법안'까지 제출한 일본 민주당은 집권당이 된 후 손놓고 있다. 우리 정부는 피해자 할머니들에 대한 경제적 지원을 할 뿐 외교적 노력은 그다지 눈에 띄는 게 없다.

정대협 관계자는 "생존 할머니들도 입원해 있는 등 몸이 불편한 사람들이 많고, 이들마저 사망하면 일본의 사과를 받기는 더 힘들어진다"며 "한국 정부에서 일본의 공식적인 사과를 강력히 요구해야 한다"고 말했다.

2011/01/13

[資料] NYT ジェフ・キングストン【07年】




[資料用] ニューヨーク・タイムズ ジェフ・キングストン 2007年3月30日
いずれれ時間があったら日本語に訳そうと考えている。
Commentary: Japan's Shameful Revisionist History
恥ずかしい日本の歴史修正主義者の歴史


The Japanese prime minister and his allies have rewritten painful chapters of the country's past—in an affront to the dignity of those who endured the coercive 'comfort women' brothels and the horrors of Nanking.

WEB-EXCLUSIVE COMMENTARY

By Jeff Kingston
Special to Newsweek
Updated: 1:24 p.m. ET March 30, 2007

March 30, 2007 - Prime Minister Shinzo Abe has recently rekindled a nasty controversy over Japan's dark past in Asia by questioning the degree of coercion used in recruiting the so-called comfort women: tens of thousands of mostly teenage Korean schoolgirls sent to frontline brothels for Japanese soldiers during the war. Hideaki Kase amplified these doubts, as well as questions about the Nanking Massacre, in his recent commentary (“The Use and Abuse of the Past," April 2, 2007).

Let’s deal with the history first. The events in Nanking have been painstakingly documented—including by numerous Japanese scholars. Mountains of evidence show that a horrible massacre and countless rapes did take place there and that the Imperial armed forces were responsible. Eyewitness accounts by Japanese soldiers, many written in their own diaries, have corroborated testimony by Chinese survivors. As for the comfort-women system, there is again plenty of evidence, accepted by most historians, that it was established at the behest of the Japanese military and was an institutionalized system of sexual slavery. Abe and Kase’s hairsplitting is an affront to the dignity of the elderly survivors and seriously undermines previous attempts by Tokyo to accept and atone for this gross violation of human rights.


For decades after World War II, the Japanese government denied that the problem had ever existed. But in 1993, in the face of mounting evidence, Tokyo issued the informal Kono declaration, admitting state responsibility for the comfort women, acknowledging that coercion had been involved, expressing remorse and promising to pay further attention to this blot on the nation's record. Then, in 1995, the Asian Women’s Fund (AWF) was set up to pay compensation to and medical expenses for former victims (a total of $19 million has been disbursed for 364 women). The Japanese public contributed about $5 million to the AWF, but despite getting $31 million in government funds, it remained an awkward quasi-governmental arrangement that allowed the Japanese government to distance itself from the process. The small fraction of victims who accepted the compensation did receive letters of apology signed by the prime minister. But the vast majority of surviving comfort women turned down the money because they were encouraged to do so by the South Korean government, and many felt that the AWF let Tokyo dodge direct responsibility.

Now Abe has undermined the letter of the Kono declaration and the spirit of the AWF by questioning Japan's responsibility for its past crimes. After making his initial statements, he was quickly forced to retreat under a hail of criticism at home and abroad, and he subsequently voiced support for the Kono statement and expressed his remorse. He has now learned the hard way that he cannot unilaterally assert a history to his liking. Merely passing the buck to a study group of his Liberal Democratic Party, however, as Abe has now attempted to do, won’t achieve much; his backers embrace an unrepentant view of Japan's wartime past. They seek to rewrite history into a glorious narrative they hope will instill pride in their fellow citizens. But most Japanese have repudiated this attempt, and as the Nobel Prize-winner Kenzaburo Oe has stated, minimizing Japan's wartime atrocities can only bring the country shame.

Abe seems to be bowing to his conservative base—they never accepted the Kono declaration and are committed to retracting it. These conservatives opposed the establishment of the AWF. They have also successfully opposed the inclusion of references to comfort women and Nanking in most school textbooks. Abe disappointed this base when he made fence-mending trips to South Korea and China shortly after taking office. He seems to have decided to try to curry their favor once more to combat his imploding poll numbers (he’s dropped from 80 percent approval in October 2006 to 37 percent today) ahead of elections for the upper house of Japan’s Parliament in July.

But Abe’s about-faces have pleased no one, and only make him look like a man incapable of providing leadership—one who favors expediency over principle. In the process he has damaged Japan’s relations with its neighbors and with the United States, where Congress now seems likely to pass a resolution critical of Japan's selective amnesia. The U.S. ambassador to Japan, Thomas Schieffer, has loudly condemned Abe's remarks. Tokyo is all alone on this issue.

The only way forward for Japan is to finally reconcile with its neighbors. This will require an unequivocal recognition of Japan’s responsibility for the war, for crimes such as the comfort-women system and Nanking, and sincere gestures of atonement. The victims should also be prepared to accept such gestures. The AWF has been a disheartening experience for the majority of Japanese who accept Japan’s guilt and favor compensation. A fitting requiem for the AWF, and a way out of Abe’s morass, would be for him to now establish an Asia Future Fund, modeled on the $5 billion German Future Fund, which was created in 2000 by the German government and partially funded by German businesses to compensate former slave laborers in Eastern Europe. Such a scheme has helped Europe repair past wounds and could have a similar effect in Asia. Now is the time, and here is a chance, for Abe to show that he’s up to the task.

Kingston is a professor of history and director of Asian studies at Temple University’s Japan Campus.

URL: http://www.msnbc.msn.com/id/17873489/site/newsweek/