2012/02/29

国連人権理の閣僚級会合で韓国、慰安婦は人道に対する罪



まるで反論する気のない日本政府と、国内世論に煽られて対日批判を止めることが出来ない韓国政府。

もう20年以上も前になる。韓国の運動家たちが、女子挺身隊として徴用(強制連行)された朝鮮人の女性たちが慰安婦にされた、民族抹殺政策の一環だった、責任者の処罰を、と国連で大騒ぎした。

日本政府は、慰安婦は徴用(強制連行)の対象ではないと疑惑を否定していたが、社会党の清水澄子などが国家総動員法として徴用されたなどと食い下がり、そこへ朝日新聞と吉見義明のコンピが関与の証拠を発見したとミスリーディングな発表を絶妙のタイミングで行ったことで、混乱した日本政府が謝罪に追い込まれるという奇妙な騒動があった。慰安婦騒動の第一幕である。

そして国連では、今も韓国政府が慰安婦問題を人道に対する罪だと日本を糾弾し、それに対して日本政府は、関与を認めたのだからと赦免を請うている。

強姦殺人者として隣人に訴えられた男が、風俗店の経営に関わっていた事を認め謝罪した。隣人は強姦殺人犯は凶悪犯として裁かれるべきだと言い、言いがかりをつけられた男は、風俗業に関与していた事は認めたのだから勘弁して欲しいと懇願しているのである。・・・全然噛み合っていない妙ちきりんな話である。しかしこの妙ちきりんさこそ、慰安婦騒動の本質なのだろう。

普通に考えれば、日本政府はここで「では、韓国政府はいつになったら自国の慰安所政策に関わった人々を『人道に対する罪』で裁くのか」と言い返せばいいだけの話であるが、それが出来ないのがこの国の人の好さなのだろう。


慰安婦、脱北者送還で応酬 国連人権理の閣僚級会合で日本、韓国、中国、北朝鮮

ジュネーブの国連欧州本部で27日始まった人権理事会の閣僚級会合で、韓国が旧日本軍の従軍慰安婦問題や中国の北朝鮮脱出住民(脱北者)強制送還の問題を提起、関係各国代表団による反論や非難の応酬となった。

会合では、韓国外交通商省の金奉●(=火へんに玄)調整官が韓国代表として演説し、国名を名指しせずに「脱北者に対して人道的配慮を行い、強制送還されないよう国際社会に求める」、「従軍慰安婦は『人道に対する罪』であり、責任者の処罰や2国間協議など必要な措置を取るべきだ」などと訴えた。

これに対し、中国側は「脱北者は不法入国者であり、国際法に基づき対処する」と韓国側の姿勢を批判。日本も「慰安婦問題については既に関与を認め、誠実に対応してきた」などと反論した。北朝鮮は脱北者は難民ではないと韓国を批判。韓国側はそれぞれの主張に再反論した。(共同)

産経 2012.2.28

写真で見る水曜デモ4 お婆ちゃん長生きしてね



초등학생들 '위안부할머니 건강히 오래오래 사세요~' (小学生ら「慰安婦おばあさん健康に長生きして下さい~」)

第1010回水曜デモ(先週)での光景。Paran 2012.2.22 ..年の長きに渡って日本政府に抗議している・・・のではなく、お婆さんたちの生活の一部になり、生きがいにもなっているのだろう。国民の妹ならぬ、国民のハルモニ(お婆ちゃん)である彼女たちは、幸せに満ち満ちているようだ。しかし一方で顧みられる事もなく老いて、そして恐らくは死んで行くであろう女性もいるのである。


日本軍慰安婦と同じ支援をと訴えるこの米軍相手の国策娼婦は、素顔を晒すことすら出来ない

2012/02/27

ニューヨークに慰安婦道路



悪ノリが過ぎる・・・ということではなく、たぶんKAVCの展開するキャンペーンを本気にしたのだろう。

追記: 産経の記事も加えた。

ニューヨークに日本軍慰安婦追慕の道

米ニューヨークに北米では初めて日本軍慰安婦を追慕する名前がついた道路ができる見通しだ。ニューヨーク市のピーター・クー市会議員は24日、こうした内容の道路名改名案を推進中だと明らかにした。彼はニューヨーク市クィーンズの韓国人密集地域フラッシングを地盤としている。

クー議員は中国・上海で生まれた中国系米国人で普段から韓国人社会問題に積極的に取り組んでいる。追慕道路はフラッシング37~39アベニューの間の138ストリートが有力だという。

クー議員は、「昨年ニューヨーク韓人有権者センター(KAVC)が主管した日本軍慰安婦とドイツのナチ大虐殺(ホロコースト)生存者の出会いを見守りながら日本軍慰安婦問題の惨状を知ることになった。慰安婦問題の真実を米国社会に知らせる方法として慰安婦追慕の道を推進することにした」と話した。クー議員は、「現在市議会に提出する改名案を作っている。韓国人社会の意見を取りまとめて最終案を市議会に提出するだろう」と述べた。改名は通常、市会議員が改名案を提出すれば条例案として作成し市議会本会議での採決で確定する。クー議員はこれとともに慰安婦を称える碑の設置も推進中だ。現在中国系不動産開発会社TDCがフラッシング公営駐車場を大規模住商複合団地にするプロジェクトを推進中で、ここに作られる野外公園に慰安婦を称える碑を立てるという。

慰安婦を称える碑は2010年10月23日にニュージャージー州パラセイズパークに立てられたことがある。クー議員は1971年に米国に移民し、薬科大を卒業した後に大型薬局チェーンを設立し事業家として成功した。


今度はNY市に慰安婦通り 中国系市会議員が計画

【ソウル=黒田勝弘】慰安婦問題を材料にした反日行動が内外で目立っているが、今度は米ニューヨーク市で通りの名前を慰安婦を記念するものに改名する計画が持ち上がっている。

27日付の韓国紙によると計画を推進しているのは中国系のピーター・クー市会議員。自らの選挙区でもあり、韓国系米国人らが多数住んでいるニューヨーク市クイーンズのフラッシング地区で、通りの名前を慰安婦を“追慕”するものに改める条例案をまとめつつあるという。

クー議員は1970年代初めに米国に移民し薬局チェーンで成功した事業家。このほか地区の公園に慰安婦記念碑を建てることも計画中という。

米国では在米韓国人や中国人らによる日本の慰安婦問題を取り上げた反日運動が盛んで、2007年に米下院で日本批判の決議案が採択されているほか、慰安婦記念碑も一昨年、ニュージャージー州に建てられている。

昨年は在米韓国人団体主催のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を生きのびた女性と元慰安婦の韓国人女性の“出会い”といったイベントもあった。また、日本人学校に対し、竹島問題を記述した日本の教科書の使用中止を求める動きもあった。

産経 2012.2.28

2012/02/25

問われるカナダの先住民族児童虐待



オーストラリアも似たような問題を抱えているのだが、慰安婦問題を考える上でも参考になるはず。

カナダ政府が先住民の子供たちを親元から引き離し、キリスト教系の寄宿学校に入れた。そこで子供たちは性的虐待を含む虐待を受けた。それについて、カナダ政府は総括を迫られている(これとは別に、カトリックの寄宿学校で多発した児童性虐待でバチカンも非難に晒されている)。

慰安所システムにも言えることだが、これらの政策は当時は善意で行われたものだったりする(貧しい先住民族の子供をより良い環境に移し、教育を受けさせる)。しかし、過去の出来事を現在の価値観で裁かれることもあるのである。だから、「慰安婦は金をもらっていた!」と言って国際社会に反論した気になるのは間違い。現在では軍隊による買春はご法度であり、国連はPKO要員の買春スキャンダルに神経を尖らせている。

慰安婦騒動のポイントは、執拗に日本だけをヤリ玉に挙げて糾弾し続けるジャパン・バッシングであるという点だろう。これは、アン・ビョンジクや、C. サラ・ソーも指摘している。つまり、自ら慰安所を運営あるいは利用した韓国やアメリカ(の運動家たち)が、自分達はなんら後始末をすることなしに日本の償いは不十分だと非難しているのである。こういう理不尽を止めさせる為には、カナダ政府がやったような徹底的な洗い直しと、(英語での)事実の公表が必要だろう。もちろん不名誉な発見も覚悟しなければならない。

(オーストラリアやカナダでこの種の総括ができるのは、国内の和解が目的であるという事情もあるかもしれない。他国に対する加害行為となると、ここまで積極的になるかどうか・・・)

Canada commission issues details abuse of native children

From the country's formation in the 19th Century until the 1970s, the children had to attend schools where they were stripped of their identity.

Many of the 150,000 children also suffered physical abuse from the staff at the church-run boarding schools.

An interim report says children left the schools "as lost souls".

The Truth and Reconciliation Commission of Canada report, They Came for the Children, says their lives were "soon to be cut short by drugs, alcohol and violence".

It concludes that the schools were an assault on indigenous children, their families, culture and their nations.

Native Canadians remain among the poorest members of society, with many still living on reserves.

The commission was formed as part of a landmark settlement in 2006 that included more than C$2bn (£1.3bn) compensation for surviving former children and their families.

It has already taken 25,000 statements from survivors, visited about 500 communities and has heard from about 100 former school employees.

The schools were set up to assimilate native children into Canadian society.

The report starts with a quote from Hector Langevin, the Public Works Minister of Canada in 1883: "In order to educate the children properly, we must separate them from their families. Some people may say that this is hard, but if we want to civilise them we must do that.''

The federal government acknowledged 10 years ago that physical and sexual abuse in the schools was widespread.

Many students recall being beaten for speaking their native languages and losing touch with their parents and customs.

"It is commonly said that it takes a village to raise a child," said commission chairman Justice Murray Sinclair during a press conference to present the report on Friday.

"The government of Canada took little children away from their villages and placed them into institutions that were the furthest things from a village you could expect," he said

The report said the result was damaged relations within aboriginal families and with Canadian society at large.

It calls for a comprehensive programme of education to help the process of reconciliation.

The report concludes: "There is an opportunity now for Canadians to engage in this work, to make their own contributions to reconciliation, and to create new truths about our country."

A final report is due to be published in 2014.

BBC 2012.2.25

第32軍司令部壕説明板から慰安婦削除



このニュースの続報。けっきょく県は、説明板設置検討委員会の「慰安婦」記述を拒否した。「沖縄戦研究者ら」は「2点(慰安婦・住民虐殺)の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」と主張しているらしい。仲井真知事も不満そうである。まだひと揉めありそうだ(追記: 翌日の報道で、削除の決定を下したのが仲井真知事である事が明らかになった)。

この壕であったかどうか忘れたが、沖縄の壕の中から回収した櫛を慰安婦の遺品だと言って中国に出来た慰安婦資料館に寄贈したというニュースもあったような[要確認]。女子供を含む民間人が避難していた壕の中で見つけた櫛が何で慰安婦の持ち物だと判るのか不思議に思った記憶がある。仏舎利でもあるまいし。

埼玉県平和資料館の「従軍慰安婦」表記を巡って運動家や民団が押し寄せて来るように、ある種の人達にとっては、こういう事はとても大事らしい。従軍慰安婦という言葉は当時は存在しなかったとか、慰安婦が壕の中にいたかどうか確認できないと説明しても納得しない。慰安婦(問題)が信仰の対象になってしまったからだろう。

「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定

那覇市の首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕の第1坑道入り口付近(園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の裏手)に設置予定の司令部壕説明板で、県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(会長・池田榮史琉球大教授)がまとめた説明文から、証言が分かれていることを理由に「慰安婦」という文言と、日本軍による住民虐殺に関する記述を削除することを23日までに決めた。同委は沖縄戦の実相を伝えるためには欠かせないとして同日午後、下地寛環境生活部長に削除撤回を求める意見書を提出した。
これに対し下地部長は「慰安婦の問題は明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない。虐殺についてもあったという証言と、なかったという証言の両方あって不確か。限られた範囲内で両論併記も難しい」と削除の方針を変えないとした。
検討委は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を県に答申した。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
沖縄戦研究者らは「2点の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」「もう少し歴史資料を踏まえて丁寧に書くべきだ」などとしている。

<用語>32軍司令部壕
沖縄守備軍・第32軍司令部が首里城の地下一帯に構築した壕。守礼門、園比屋武御嶽石門付近から金城町方向に延びる。司令部壕の規模は南北400メートル、総延長は1キロ超。壕構築は1944年12月上旬に開始、沖縄師範学校男子部の学生らが動員された。32軍司令部は米軍の猛攻撃を受け45年5月下旬に壕を放棄し本島南部に撤退。軍民が混在する地上戦が南部で展開され、犠牲者の増大を招いた。

琉球新報 2012.2.24

「住民虐殺」削る 司令部壕の説明板

那覇市の首里城公園近くにある第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)の説明板の設置を進めている県が、壕内の様子を紹介する説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言を削除したことが23日、分かった。文案をまとめた有識者でつくる同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)は同日、県に削除した文言の復活を求める意見書を送付した。県環境生活部は削除理由を「二つの史実について県は確証が持てない」ためとした。「慰安婦はいなかっただろう」とする証言記録が1件あること、住民虐殺は「証言内容の場所が特定できない」ことなどを記述削除の根拠としている。

同検討委員会の池田委員長は「慰安婦や住民虐殺の記述を『行政の責任で抜きました』と県は説明したが、そのプロセスが理解できない。2回の委員会で県側から異論はなかった。県として沖縄戦をどう伝えるのかに関わる問題だ。記述削除の撤回を求め、県と話し合いを続けていきたい」とコメントした。

県は昨年から2回にわたり第32軍司令部壕を平和教育・学習の場として活用するための説明板を設置する目的で検討委員会を開催。委員会は同年11月に壕内部の様子などを説明する文案で「(壕内に)1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居」「壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」と明記した。

県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。

環境生活部は1月に仲井真弘多知事に内容を報告、同20日に部長決裁した。下地寛部長は「説明板設置は壕があった事実とつくられた経緯や役割、影響などを広く知らせるのが目的。さまざまな証言があり、県として事実の確証が持てないため削除した」と述べ、文言を復活する考えはないとした。

県は説明板の発注も済ませており、3月中にも設置する予定。説明板設置事業の予算は約215万円。

知事「知らない 確認する」

仲井真弘多知事は23日、第32軍司令部壕に設置予定の説明板の記述が変更されたことについて「知らない。確認させてほしい」と述べた。その上で「委員会でちゃんとつくった案を部長が独断でそういうこと(記述変更)やれないんじゃないか」との認識を示した。県庁内で沖縄タイムスの取材に答えた。

2012/02/23

中国・朝鮮人を強制的に慰安婦にした日本人の異常性--Madan G Singh



写真やこれまでのコラムから見るとインド系かその周辺といった所ではないかと思われるが、このコラムを書いたMadan G Singhという人物がどこの国のどういう人物かは分からない。世界中に広まった「日本軍性奴隷」伝説は、アルジャジーラに取り上げられたこともあるし、インドの新聞が記事にしたこともある。インド系?の彼がこの問題をどのように認識しているか訳してみた。ちょっと超訳になったかもしれないが、その辺は下の原文で補正して欲しい。

日本帝国陸軍の慰安婦

古の軍隊(陸軍)は「キャンプ・フォロワー(軍隊に随行する娼婦) 」として知られる女性の随行員を伴って行動した。英印軍の場合、女性、コック、ヘルパーや同種の兵員といった莫大な数の非戦闘員が戦闘や行軍の際に随行した。
アメリカの南北戦争の際も、同様の女性達が軍隊(陸軍)の一部を成した。兵士たちの性的要求を処理するという目的の為に奉仕したこの女性たちは、お金の為に自発的に軍隊と共に旅をしたのである。

一方、日本帝国陸軍は、従属させた国家の女性を強制的に徴集して慰安婦、あるいはキャンプ・フォロワーとした。英印軍や南北戦争の軍隊のキャンプ・フォロワーとは微妙な違いがあった。これらの軍隊は女性を募集するのに強制はしなかったし、敗れた軍隊の女性が当然の事として(?)徴集されることもなかった(引用者注: 占領国の女性を強制的に慰安婦にしたという意味か?)。それに対して帝国陸軍は、慰安婦にするのに主に朝鮮人と中国人の女性をターゲットにした。これらの女性は強制的に徴集され、さらに悪いことに非人道的に扱われた。

彼女たちは満足に食べさせてもらえず、数千人が日本人たちの気をわずらわせる事なく死んで行った。日本人たちは捕まえて来た朝鮮人や中国人の少女たちで簡単に死んだ少女たちの穴埋めをした。

日本人たちはニコバル諸島でも虐殺を行った。男たちを殺してから女性たちを兵士たちの相手役や束の間のめかけにしたのである。この日本人の精神と文化の特徴は、これまで適切に説明された事はない。3000年の伝統を自慢していた文明が、その文化全体の面目を永遠に失ったのである。これら第2次大戦中の振る舞いにについて、日本人たち自身が何と言うか聞いてみたいものである。

Expertscolumn 2012.2.21

アンダマン諸島の慰安所というのは海軍の管轄で、軍人だけでなく、商社員も利用していたという。韓国のメディアは例によって朝鮮人慰安婦がこんな南方の島まで連行されて行った・・「ハルモニたちの苦難に満ちた旅路はどこまで続いていたのか」などと慨嘆してみせるが、河東三郎の「草津の墓碑銘-ある軍属の物語」によると、ここには日本人慰安婦も(連行されて??)いたようである。

アンダマン・ニコバル諸島の住民に対する日本軍による弾圧はあったのかもしれないし、もしかしたらそのドサクサに一部の女性が慰安婦にされた事もあったかもしれない。これについて自分は何とも言えないが、Madan G Singhがインドで色々と問題も起こしていたはずのイギリス軍に比べても日本軍が特筆すべき残虐な軍隊であったと考える根拠は、日本軍が従属させた国家(朝鮮や中国)から女性を強制的に徴集し、それらをキャンプ・フォロワーにした挙句、虐待して死ぬにまかせていたという特殊性にあるようだ。彼はそんな日本人の異常(特殊)な精神性・文化が学術的に解明されるべきだと考えているようだ。

インドでイギリス兵が児童買春していた話はカール・ヨネダが書いているし、南北戦争でキャンプ・フォロワーが活躍したことは風と共に去りぬ(小説)に出てくる。英字でインターネットを眺めている限り、慰安婦問題に対する欧米人の認識は彼と五十歩百歩といった所だろうという印象である。喧伝されている日本軍慰安所の特異性は、慰安所に軍隊が関与したことでもなければ、生活の中の強制性でもなく、日本軍が use(d) force to recruit the women--つまり慰安婦たちが強制連行によって集められたということである。

彼は反日でも日本の悪口を言っているつもりでもなく、ネガキャンとしての慰安婦問題を真に受けてしまっただけなのだろう(ただし、彼は現地を訪れた経験があり、自分で見聞きした情報から日本軍にはかなり批判的である。参考:Japanese Army, Tribal Girls and Occupation of Car Nicobar Island)。こういうケースが着実に増えているから、多くの人がこの問題は何とかしなければならない、反論しなければならないと考えているのである。アメリカの下院決議案のどこに「強制連行」と書かれているのか!と「ネトウヨ」をやりこめて凱歌を挙げている左派系日本人ブロガー達は、故意かどうかは分からないが、こういう現実を無視していると思う。


The olden armies travelled with a retinue of women who were known as 'Camp Followers'. The British Indian army had a vast retinue of non-combatants like women, cooks, helpers and similar personnel who accompanied the army in battle and while on the march. Similarly women were also part of the armies during the American civil war. The women served a definite purpose in looking after the sexual needs of the troops. The women were volunteers who for consideration of money travelled with the troops.


The Japanese Imperial army on the other conscripted by force women of the sugjugated nations as comfory women or campfollowers. There was a subtle difference between the camp followers with the British Indian army and the American civil war armies. These armies did not use
force to recruit the women and the defeated armies women were not conscripted by right. The Imperial on the other hand especially targetted Korean and Chinese girls as comfort women. These women were conscripted by force and worse treated inhumanly. They were not fed properly and thousands were allowed to die with the Japanese batting an eyelid. The Japanese simply replaced the dead girls by another batch of captured Korean and Chinese girls.


The Japanese also carried out a massacre in the Car Nicobar islands and after killing the men the women were handed to Japanese soldiers as companions and transitory mistresses. This trait of Japanese ethos and culture has never been properly explained . A CIVILIZATION THAT BOASTED OF A HERITAGE OF 3000 YEARS debased their entire culture for all time to come. I wonder what the Japanese have themselves to say of these acts during the Second World War.


2012/02/22

梁石日「めぐりくる春」 韓国で出版



梁石日さんの「めぐりくる春」 韓国で出版

「血と骨」「闇の子供たち」などで知られる在日小説家、梁石日(ヤン・ソギル)さんの「めぐりくる春」が、韓国で出版された。

2010年8月に日本で出版された同小説は、従軍慰安婦として連行された朝鮮人女性の物語。翻訳者によると、「慰安婦を題材に日本語で書かれた初めての小説」だ。

東京に居住する梁さんは18日、聯合ニュースとの電話インタビューで、「日本人は慰安婦問題にほとんど無知。慰安婦問題を小説として残しておく必要があると思った」と執筆動機を説明した。

小説は日本人の慰安婦支援活動家や韓国での取材などを通じ、従軍慰安婦の過酷な運命と真実を浮き彫りにしている。17歳の主人公が中国、シンガポールなどの戦場で残酷な性的虐待を受けるシーンでは思わず、眉をひそめてしまう。

梁さんは「痛ましい気持ちだったが、できるだけ客観的に書こうと努力した。現実に目を背けず、受け入れる姿勢が必要だ」と話す。

慰安婦問題を題材にしているだけに、日本の右翼から批判が多かった。それでも梁さんは「私の文学観として慰安婦問題は避けて通れない問題だった」と語る。また、慰安婦問題を解決するためには「無関心が最も恐ろしい敵。韓国でより多く取り上げられるべきだ」と呼び掛けた。


"慰安婦問題、無関心が一番恐ろしかったこと"

在日作家ヤン・ソギル'またくる春'出版

'血と骨' '闇の子供たち'などの小説で良く知られた在日朝鮮人出身作家ヤン・ソギル(76)の新作小説'またくる春'が出版された。

2010年8月現地で出版されたこの小説は日本軍慰安婦に引きずられて行った朝鮮女性キム・スンファの話だ。

翻訳者のキムンギョ淑明(スンミョン)女子大教授によれば"慰安婦を素材にして日本語で使われた最初の小説"だ。

東京に居住する作家は18日電話インタビューで"日本人たちは慰安婦問題に対してほとんど知らなくて、慰安婦を扱った小説もなくてかなり以前からこの問題を小説で残す必要があると考えた"として"慰安婦の話はまもなく'植民地支配とは何か'に対して尋ねることなので伏せておけなかった"と執筆動機を明かした。

1936年大阪で生まれて韓国語をほとんどできない作家は日本人慰安婦支援活動家などをインタビューして現地取材などを経て日本軍慰安婦の惨状を生き生きと生き返らせた。

小説の中では平南(ピョンナム)、江西郡(カンソグン)出身の十七才純化が上海工場に就職させるという言葉にだまされて日本軍慰安婦に引きずられて行って中国、南京、シンガポール、ミャンマー、ヤンゴン、Lashioなど戦場(全長)を回って残酷な性的虐待にあう姿が赤裸々に描写される。

作家は"残酷な場面を使いながら私もやはり非常に大変だった。

しかし感情におぼれないで客観的に接近して使おうと努力した"として"現実を冷遇せずにありのまま受け入れなければならない"と話した。

作家が慰安婦問題を扱ったことは初めてだが今回の小説は東アジア地域で国家イデオロギーが身体に加えた暴力に深く掘り下げてきたその間の作品世界と脈を同じにする。

彼の評論集の題名でもある'アジア的身体'がこのような作品世界を説明するキーワードだ。

彼は"'アジア的身体'はまもなく'捨てられたからだ' '捨てられた人々'を意味する"として"在日同胞問題はアジア的身体の根本であり今回の小説もこの主題に焦点を合わせた"と説明した。

本の中で"肉体的苦痛と精神的苦痛は離すことができないことだった"とか"肉体と魂が分離融合体の'私'という存在は冥土と現世を常に往復しているように考えられる"という表現などはからだと心が分離したのではないとの東洋的事故(思考)観を土台にした作家の主題意識があらわれる部分だ。

この小説は出版に先立ち日本週刊誌に先に連載されたが敏感な素材だっただけに論議もなくはなかった。

キムンギョ教授は"日本右翼のインターネット サイトには'ヤン・ソギルを暗殺しなさい'という句が上がっては下りた"と伝えた。

しかし本来本が出版された以後にはかえって'ジョヨン'したという。

作家は"私の既存作品に比べて異色であるためなのか書評も殆どない"として"私の文学観では慰安婦問題を絶対避けられなくて果敢に挑戦した"と話した。

慰安婦問題の解決法に対して彼は"無関心が最も恐ろしかったこと"としながら"慰安婦問題は韓国でもさらに多く扱われなければならない"と頼んだ。

高齢にも休むということなしで作品活動をしている作家は済州道(チェジュド)4・3事件以後日本で密入国したジェイル詩人キム・シジョン(83)の話を扱った小説を最近脱稿したし二編(便)の小説をさらに連載中だと伝えた。

散歩. 528ページ. 1万4千800ウォン.


残酷な真実、 "日本軍慰安婦は人類最大の性犯罪"

どんな公式の記録も文書も痕跡もない。職業を得られなかった。
涙いっぱいで一つの部屋に閉じ込められた。下着をはく時間もなかった。
...
私たちに残ったもの、消えない衝撃、子供も家もない空っぽの子宮.
私たちに付けられた名前、慰安婦、堕落した女たち.私たちは今八十三才、九十四才、毎週水曜日、日本大使館の前で私たちが願うこと、直ちに私たちの声が消える前に話しなさい!
-1000回目の水曜集会で演劇'ポジャイノ・モノローグ'の俳優たちが朗読した詩から

昨年12月14日、毎週、日本大使館前で開かれる慰安婦被害おばあさんの水曜集会が千回をむかえた。それでも相変らず見て見ないふりをして冷遇する日本政府のせいでおばあさんたちはとめどもなく胸を痛めている。

この‘慰安婦’の残酷な真実を描いた話が出版された。「血と骨」「闇の子供たち」などの小説で名前を知られる済州(チェジュ)出身の在日僑胞(海外在住韓国人)2世作家、梁石日(ヤン・ソギル,76)氏の「めぐりくる春」だ。

1936年大阪で生まれ育ち韓国語をほとんどできない作家は昨年、韓国を訪問して日本人慰安婦支援活動家などをインタビューし現地取材などを経て日本軍慰安婦の惨状を生き生きとよみ返らせた。

「めぐりくる春」は日本軍慰安婦に引きずられて行った朝鮮女性キム・スンファさんの一代記だ。十七の年齢で上海工場に就職できるという言葉にだまされて日本軍慰安婦に連れていかれ、初日から六人の日本軍に強姦されたことから話は始まる。

そのように8年を越える時間の間、中国、南京、シンガポール、ミャンマー、ヤンゴン、ラシオなど戦場を回って性的虐待にあった過程が残酷な程赤裸々に描写される。日本軍の日常的性的虐待、殺人に至る暴力にさらされる慰安婦被害者たちのみじめな現実が胸をえぐり、容易に本を置けない。

この小説は単にひとりの‘スンファ’の一代記はでない、‘朝鮮’という処女性を持った集団的身体が強姦にあった歴史の証言だ。日帝に花のような人生を根こそぎ奪われた数多くのスンファたちの話という点で世間の注目を集める。

イム・ホニョン民族問題研究所所長は「作家ヤン・ソギルがねらう批判の対象は日本をはじめとする戦犯国家に他ならない。性犯罪は古くからある侵略行為の一種で、帝国主義が産んだ最大の反倫理的罪悪に属する。その延長線で「めぐりくる春」を読んだら良いだろう」と紹介した。
1万4千800ウォン.

キム・テヨン記者

jejusori.net 2012.2.20

※1
"위안부 문제, 무관심이 제일 무서운 적"


재일 작가 양석일 '다시 오는 봄' 출간


'피와 뼈' '어둠의 아이들' 등의 소설로 잘 알려진 재일 조선인 출신 작가 양석일(76)의 신작 소설 '다시 오는 봄'이 출간됐다.


2010년 8월 현지에서 출간된 이 소설은 일본군 위안부로 끌려간 조선 여성 김순화의 이야기다.


번역자인 김응교 숙명여대 교수에 따르면 "위안부를 소재로 해서 일본어로 쓰인 최초의 소설"이다.


도쿄에 거주하는 작가는 18일 전화 인터뷰에서 "일본인들은 위안부 문제에 대해 거의 알지 못하고, 위안부를 다룬 소설도 없어서 오래전부터 이 문제를 소설로 남겨둘 필요가 있다고 생각했다"며 "위안부 이야기는 곧 '식민지 지배란 무엇인가'에 대해 묻는 것이어서 덮어둘 수 없었다"고 집필 동기를 밝혔다.


1936년 오사카에서 태어나 우리말을 거의 하지 못하는 작가는 일본인 위안부 지원 활동가 등을 인터뷰하고 현지 취재 등을 거쳐 일본군 위안부의 참상을 생생하게 되살렸다.


소설 속에서는 평남 강서군 출신의 열일곱 살 순화가 상하이 공장에 취직시켜주겠다는 말에 속아 일본군 위안부로 끌려가 중국 난징, 싱가포르, 미얀마 양곤, 라시오 등 전장을 돌며 참혹한 성적 학대를 당하는 모습이 적나라하게 묘사된다.


작가는 "잔혹한 장면을 쓰면서 나 역시도 무척 힘들었다.


그러나 감정에 치우치지 않고 객관적으로 접근해서 쓰려고 노력했다"며 "현실을 외면하지 말고 있는 그대로 받아들여야 한다"고 말했다.


작가가 위안부 문제를 다룬 것은 처음이지만 이번 소설은 동아시아 지역에서 국가 이데올로기가 신체에 가한 폭력에 천착해 왔던 그간의 작품 세계와 맥을 같이한다.


그의 평론집 제목이기도 한 '아시아적 신체'가 이러한 작품 세계를 설명하는 키워드다.


그는 "'아시아적 신체'는 곧 '버려진 몸' '버려진 사람들'을 뜻한다"며 "재일 동포 문제는 아시아적 신체의 근본이며 이번 소설도 이 주제에 초점을 맞췄다"고 설명했다.


책 속에서 "육체적 고통과 정신적 고통은 떼놓을 수 없는 것이었다"거나 "육체와 혼이 분리융합체인 '나'라는 존재는 저승과 이승을 항상 왕복하고 있는 것처럼 생각된다"는 표현 등은 몸과 마음이 분리된 것이 아니라는 동양적 사고관을 바탕으로 한 작가의 주제의식이 드러나는 부분이다.


이 소설은 출간에 앞서 일본 주간지에 먼저 연재됐는데 민감한 소재였던 만큼 논란도 없지 않았다.


김응교 교수는 "일본 우익의 인터넷 사이트에는 '양석일을 암살하라'는 글귀가 오르내렸다"고 전했다.


그러나 정작 책이 출간된 이후에는 오히려 '조용'했다고 한다.


작가는 "내 기존 작품에 비해 이색적이기 때문인지 서평도 거의 없다"며 "나의 문학관으로는 위안부 문제를 절대 피할 수 없어 과감하게 도전했다"고 말했다.


위안부 문제의 해법에 대해 그는 "무관심이 가장 무서운 적"이라며 "위안부 문제는 한국에서도 더 많이 다뤄져야 한다"고 당부했다.


고령에도 쉼 없이 작품 활동을 하고 있는 작가는 제주도 4·3사건 이후 일본으로 밀입국한 재일 시인 김시종(83)의 이야기를 다룬 소설을 최근 탈고했으며 두 편의 소설을 더 연재 중이라고 전했다.


산책. 528쪽. 1만4천800원.

※2
참혹한 진실, "일본군 위안부는 인류 최대의 성범죄"


제주 출신 재일 동포 2세 양석일 작가 '다시 오는 봄' 출간


어떤 공식적인 기록도 문서도 자취도 없다. 직업을 얻을 수 없었다.
눈물 가득한 방에 갇혀 있었다. 팬티 입을 시간도 없었다.
우리가 해야 할 것들, 이름을 바꿔야 했고,
너무 많은 사람과 해서 걸을 수 없어도 해야 했다.
...
우리에게 남은 것들, 지워지지 않은 충격, 자식도 집도 없는 텅 빈 자궁.
우리에게 붙여진 이름들, 위안부, 타락한 여자들.
우리는 지금 팔십삼 세, 구십사 세, 매주 수요일 일본 대사관 앞에서
우리가 원하는 것, 당장 우리의 이야기가 사라지기 전에 말하라!
- 1000번째 수요집회에서 연극 '버자이너 모노로그' 배우들이 낭독한 시 중에서


지난해 12월 14일, 매주 일본대사관 앞에서 열리는 위안부 피해 할머니의 수요 집회가 1000번째를 맞았다. 그럼에도 여전히 본체만체 외면하는 일본 정부 탓에 할머니들은 하염없이 속만 태우고 있다.


이 가운데 ‘위안부’의 참혹한 진실을 그린 이야기가 세상 밖으로 나왔다. '피와 뼈' '어둠의 아이들' 등의 소설로 이름을 알린 제주 출신의 재일 교포 2세 양석일(76) 작가의 ‘다시 오는 봄’이다.


1936년 오사카에서 나고 자라 우리말을 거의 하지 못하는 작가는 지난해 한국을 방문해 일본인 위안부 지원 활동가 등을 인터뷰하고 현지 취재 등을 거쳐 일본군 위안부의 참상을 생생하게 되살렸다.


‘다시 오는 봄’은 일본군 위안부로 끌려간 조선 여성 김순화씨의 일대기다. 열일곱의 나이에 상하이 공장에 취직시켜주겠다는 말에 속아 일본군 위안부로 끌려가 첫날부터 쉿 여섯 명의 일본군에게 강간당한 것으로 이야기는 시작된다.


그렇게 8년이 넘는 시간 동안 중국 난징, 싱가포르, 미얀마 양곤, 라시오 등 전장을 돌며 성적 학대를 당한 과정이 참혹하리만치 적나라하게 묘사된다. 일본군의 일상적 성적 학대, 살인으로 치닫는 폭력에 노출된 위안부 피해자들의 비참한 현실이 가슴을 저며 와도 쉽게 책장을 덮을 수 없다.


이 소설은 단지 한 사람 ‘순화’의 일대기가 아닌, ‘조선’이라는 처녀성을 지닌 집단적 신체가 강간당한 역사의 증언이다. 일제에 꽃같은 인생을 송두리째 빼앗긴 수많은 순화들의 이야기라는 점에서 이목을 끈다.


임헌영 민족문제연구소 소장은 “작가 양석일이 겨냥하는 비판의 대상은 일본을 비롯한 전범국가에 다름 아니다. 성범죄란 자고로 침략행위의 일종으로, 제국주의가 낳은 최대의 반인륜적 죄악에 속한다. 바로 이 연장선에서 ‘다시 오는 봄’을 읽어줬으면 좋겠다”고 소개했다.


도서출판 산책. 1만4천800원.

駐日大使 「慰安婦問題は韓日史において最も象徴性が強い」


日本政府が慰安婦像の撤去を求めた事は適切でなかった、と言いつつ、慰安婦問題が解決すれば慰安婦像(平和の碑)の問題も自然に解決すると言う。普通、慰安婦問題の解決といえば、日本政府が「公式謝罪」をし被害者に賠償すれば云々という話を指すが、実質は日本政府が慰安婦支援団体(挺対協)に屈して彼女たちの要求を丸呑みすることを意味する。したがって、この駐日大使の言っている事もまんざら間違いではない。

日本政府がモンスター市民団体、挺対協のわがままを聞いてくれれば、慰安婦像の問題も解決する。・・・ということだ。人道的解決について口にしたのは野田首相だけではない。前原(写真は、韓国外交部長官代行時代のシン・ガクスと握手する前原)や朝日新聞もだが、新たな基金の創設では挺対協は納得しない。

「慰安婦問題は韓日の過去の歴史において最も象徴性が強い」とシン・ガクス大使は言う。そう。運動家たちは、日本の(世界史上稀に見る)残虐な植民地統治の象徴として慰安婦(強制連行)伝説を膨らませて来たのである。



<インタビュー>駐日韓国大使「慰安婦像の撤去要請は不適切」

在外公館長会議に出席するため一時帰国した申ガク秀(シン・ガクス)駐日韓国大使は21日、外交通商部で報道各社のインタビューに応じた。

申大使は、日本の野田佳彦首相が昨年12月の韓日首脳会談で、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に設置した「平和の碑」(慰安婦の少女像)の撤去を求めたことは「適切でなかった」と述べた。慰安婦問題が早期に解決されれば、平和の碑をめぐる問題も自然に解決されるだろうとの見方を示した。

また、「慰安婦問題は韓日の過去の歴史において最も象徴性が強い。この問題が韓日関係全般に与える影響を勘案し、迅速かつ円満な解決を追求していく計画だ」と語った。

以下は一問一答。

――韓国政府が元従軍慰安婦の賠償請求権に関する2国間協議の開催を日本に提案し、現在、仲裁手続きを準備中だが、今後の見通しは。

「2国間協議に対するこれまでの日本政府の反応は、『法的には1965年の韓日請求権協定により解決された』というものだ。しかし、野田首相が昨年の韓日首脳会談で、人道主義的な見地から知恵を絞っていきたいと述べた。日本政府が解決策について苦心していると承知している。韓国としては、被害者らが納得できる解決策が得られるよう努力すべきだが、万一、解決されなかった場合は仲裁手続きを踏むしかない」

――北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去後、日本が拉致被害者問題などを議題に北朝鮮と接触してきた事実が明らかになっているが、韓日間の協力体系はどうなっているのか。


「日本では拉致被害者問題に対する関心が非常に高い。韓国も似たような問題を抱えているため日本の立場を十分理解している。拉致被害者問題の解決に向けた日本政府の努力を支持し、支援する。


ただ、日朝関係は南北関係、米朝関係、北朝鮮核問題の推移などとも関連がある。特に、北朝鮮核問題の解決において重要なのが韓米日の協力体制だ。拉致被害者問題の解決もその枠の中で行われるべきだというのがわれわれの立場だ。日本政府には『透明に』『韓米と協議しながら』という二つの原則の順守を要請しており、日本政府もそれを認知していると思う」


――日本は韓日中自由貿易協定(FTA)の締結に積極的のようだが、今年はどのような進展があると予想しているか。


「韓日中FTAと関連しては、昨年12月に産官学共同研究の報告書がまとまった。報告書は5月に開催される予定の韓日中首脳会談に提出する。今はまだFTA交渉の開始に向けた必要条件のうちの一つが満たされたにすぎない。5月までに、3カ国間の事前協議を通じ、どのような手順を踏むかが決まるのではないかとみられる」

2012/02/21

総連と沖縄のハルモニ



ここで出てくる元慰安婦ペ・ポンギに関しては、初期のインタビューが残っている。インタビューから見えて来る彼女の人柄は、とても素朴で、戦争という極限状態を体験しながら、その思い出を淡々と語っている。実際に自分が知っている多くの戦争体験者はこんな感じだった。

ソン・シンドにも当てはまるが、こういう素朴なお婆さんを「支援者」たちが変えて行く。そして最終的には運動家たちの理論の代弁者になり、死後もこのように過去の発言がひとり歩きし始める。もちろん、その中には実際に故人が喋った通りの言葉もあるかもしれないが、死んだ慰安婦に自分たちの政治的主張を仮託しているのではないかと思われるフシもある。

「夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん」

金洙燮という人は、元総連沖縄県本部委員長だったらしい。もしかしたら、ペ・ポンギは当時、金から総連の政治的主張も色々と吹きこまれたのかもしれない。


「平和のため闘った人」 ペ・ポンギさん、没後20年しのぶ

沖縄戦中、旧日本軍の「慰安婦」にさせられ、戦後も沖縄で過ごした朝鮮半島出身のペ・ポンギさんをしのぶ「没後20年、ペ・ポンギさんを偲ぶ 戦時性奴隷『慰安婦』問題は今?」(NPO法人沖縄恨之碑の会主催)が18日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるるであった。ペさんが亡くなるまで交流し支え続けた金洙燮(キムスソプ)さん、賢玉(ヒョクノ)さん夫妻が「人間的に尊敬できる人だった。平和のための闘いを続けてきた人だった」と思い出を語った。

ペさんは1944年にだまされて連れてこられ、渡嘉敷島の慰安所で1日20~30人の日本兵の性の相手をさせられた。戦後も故郷には帰らず、県内で暮らし91年10月に那覇市内で死去した。

金夫妻がペさんと出会ったのは75年。当時のペさんは他人を拒否する状態。夫妻は行っては断られ、追い出され、心を開いてくれるまで3年近くかかったという。

夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん。賢玉さんは「沖縄県民が二度と戦争に加担したくないと基地や戦争に反対していることに感謝の気持ちを抱いていた」と話した。

洙燮さんは「ペさんは、分断され米軍基地があって支配されている故郷には行けないと大泣きしたことがあった」と語った。

賢玉さんは「70年代、80年代のペさんの踏ん張りが小さな火となり線となり本土の『慰安婦』に力を与え運動が広がっていった。ペさんは『統一した朝鮮に帰り、日本政府に賠償してほしい』と言っていたことを忘れないでほしい」と結んだ。

琉球新報 2012.2.20


再録になるが、山谷哲夫によるペ・ポンギのインタビューも下に紹介する。このインタビューは、70年代のもの。短いが、彼女の人柄がよく現れていると思う。


山谷 おばあさん、天皇陛下が有難いと思ったことありますか。

ペ・ポンギ(本では仮名) ・・・。

山谷 渡嘉敷にいるとき、兵隊さんたち、死ぬとき、「天皇陛下万歳」といって死にましたか?

ペ これは、「万歳」っていうのは聞かないですが。だいぶ怪我したり、また死んだ人もいるしね、怪我してくる人もいる。

山谷 一緒にいた7人のうち一人が爆撃で死にましたね。

ペ ええ。

山谷 死ぬときは、おばあさん見ましたか。

ペ あの若い人3名は、炊事場に入って、うちら4名は風呂場に座っておったんです。ああ、上からもうやるんですよ、二三日も。もう、バンバンバンバン落ちてね、まっ黒くして何も見えない。その話聞くどころか、みんな銘々逃げる。うちはそのときゲタ履いて、ゲタ履いて逃げるとき入口でころんでね、草の中に、もう、入って隠れておったんですが。自分の身体がこんなこんなする・・・。

山谷 ハルモニ、たとえば、渡嘉敷で商売しなさいと言ったのは、結局(昭和)天皇陛下なんですけども、いままだ、天皇陛下は生きているんですけども、どう思いますか?

ペ まだ元気ですよ。少しは腰が曲がってるね、ちょっと前よりはね。

山谷 天皇陛下がね。

ペ 天皇陛下。まだ奥さん(香淳皇后)は、まだピンピンするね。少し腰曲がってるね、天皇陛下。

山谷 天皇陛下は嫌いじゃないわけですか。

ペ そんなことわからないですよ、嫌い好き、そんなこと・・・。


なお、沖縄恨之碑の会は、この様にペ・ポンギを紹介しているが[※1]、たぶん彼女は強制連行とは無関係。ぼかされてはいるが、琉球新報にもあるように女衒の甘言に釣られて慰安婦になったケース。

[...]アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)がいる。[...]

CML 2012.2.15
恨之碑の会の前身は、「恨之碑建立をすすめる会沖縄」。08年頃から韓国の市民団体と連携を始めた。恨之碑の会の名前は出て来ないが、この年に韓国挺身隊問題対策協議会の尹・貞玉(ユン・ジョンオク)が来島して宮古島の市長に慰安婦の碑を建てることを訴えているから、挺対協と恨之碑の会が結びついたということだろう。


※1
沖縄恨(ハン)之碑の会より連続講座のご案内です。


*重複配信失礼します。


今週の土曜日、ぜひご参加ください。


●第18回ポンソナ講座
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ -戦時性奴隷「慰安婦」問題は今?


●日時 2月18日(土) 午後6時半~
●会場 てぃるる 沖縄県男女共同参加センター
那覇市西町 パシフィックホテル奥側
●参加費 500円


●第一部  
DVD「希望へと羽ばたく蝶-20年の歴史 ハルモニの平和」
東京・ソウル集会に参加して  上間芳子さん
「慰安婦」問題の今   浦崎成子さん
●第二部
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ
キム スソプさん、キム ヒョノクさん、安里英子さん
結語  平良 修さん
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ソウルの日本大使館前では、毎週水曜日に日本政府に「日本軍『慰安婦』問題の解決を求める」、水曜デモが
行われる。それは、1992年に始まり、昨年の12月14日でちょうど20年となり、デモは1000回を数えた。その日、
ソウルの水曜デモに呼応して東京をはじめ日本の各地、沖縄でもデモと集会がもたれた。夏の暑い日も、酷寒の
冬でも、ハルモニ (おばあさん) たちとその支援者は、なぜ、デモを続けてきたのか。




アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍
の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)
がいる。ペ ポンギさんが亡くなって20年。今度のポンソナ講座では、ペ ポンギさんが1975年に「慰安婦」だったこと
を名乗り出ていらい、ずっとペ ポンギさんのお世話をしてきた、キム スソプ、キム
ヒョノク夫妻に、ペ ポンギ
さんの思い出を語ってもらう。
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●NPO法人沖縄恨之碑の会は、2004年から戦後補償問題、特に朝鮮人強制連行の問題や朝鮮半島と沖縄をむすぶ平和課題についての学習会「ポンソナ講座」を開催しています。
ポンソナとは、ハングル(朝鮮・韓国語)です。日本語では、「鳳仙花」。ウチナー語で、「てぃんさぐぬ花」の意味です。
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【お問い合わせ・連絡先】


NPO法人沖縄恨之碑の会
Tel・Fax 098-863-4776
携帯   090-3970-8772 (事務局まで)

2012/02/20

黒田勝弘「慰安婦広告は日本に対する嫌がらせ」



昨日お伝えしたソウルの地下鉄の駅に貼り出された広告について、韓国の事情に詳しい産経の黒田勝弘記者は、これを「日本への“嫌がらせ”」とハッキリ書いた。挺対協による日本大使館前の慰安婦像の設置を日本に対する当てつけだと書いた自分だが、この広告についてはそこまでとは思わなかった。昨日のエントリーで「彼らはこれが『慰安婦問題の解決』に役立つと信じている。少なくとも、そう主張している」と書いた自分は、まだまだ甘かったのかもしれない。黒田によると安国駅は日本大使館の別館にあたる公報文化院の最寄り駅らしい。これはソウル新聞の記事では分からなかった。昨日のエントリーを書いた時、一応ウィキペディアもチェックはしていたのだが、その時は気づかなかった。今、見返してみれば、確かにウィキにも駅周辺の案内として日本文化院(通称)が記載されている。黒田の言う通り、安国駅に掲示された慰安婦広告は、日本大使館(日本)に対する嫌がらせなのかもしれない。(追記: Tongilnewsによると[BU]、この広告は日本文化院に向かう4番出口に設置されたという。)

自分としては、今回の広告が100%嫌がらせと断言するのは躊躇してしまうが、慰安婦問題が韓国人にとって「自ら高みに立って...教訓を垂れることのできる貴重なカード」であり、「日本に対する道徳的優位を誇示するため(に使われている)」とする黒田の分析(産経 2007年3月14日)は、正しいと思う。

今度は日本文化院前に 韓国で反日慰安婦パネル

【ソウル=黒田勝弘】ソウルの在韓日本大使館前の反日・慰安婦記念像に次いで、今度は大使館の別館にあたる公報文化院前に慰安婦像をあしらった反日広告パネルが設置された。

大使館慰前の慰安婦像は支援団体による歩道上の無許可施設だが、今回の広告パネルは地下鉄入り口の通路の壁面で有料。さる広告デザイナーが自費で制作して出したという。

パネルは縦2メートル、横4メートルの大きなもので、慰安婦像の少女の顔を写真でアップし、そのほおに涙のようにハングルで「日本は謝罪しろ」と書かれている。

公報文化院は大使館本館から約500メートル離れており、各種の展示会や映画上映など日本文化紹介のほか、図書・資料室も備えている。玄関前が地下鉄の駅で、地下通路の階段を上がったところにある。慰安婦パネルは日本への“嫌がらせ”を狙ったものだ。

産経 2012.2.20

2012/02/19

ソウルの地下鉄に慰安婦像ポスター登場



韓国では、慰安婦問題は老いも若きも巻き込んだブームの様相を呈している。そのブームは「海外同胞」にまで及び、世界中で「謝罪しろ!」「アポロジー!」のキャッチフレーズが人気。ポスターを貼ったり展示会を開くのも流行っている。もはや慰安婦とは何だったのか、慰安婦強制連行の話は事実なのか、などはどうでもいい。流行りに理屈はいらない、という事だろう。最近、慰安婦に関わる人気アイテムの一つに加わったのが、日本大使館前の慰安婦像(「良心的日本人」が像の前で泣き崩れたりと大騒ぎである)日本政府は韓国政府に撤去を要請し、韓国政府もやや困惑の様子であるが、国民的支持と支援団体の政治力を前に、あえて火中の栗を拾えない。

二十代の青年二人がソウルの地下鉄の駅に日本大使館前の慰安婦像をモチーフにした大きなポスターを掲示した。かかった費用は日本円にして9万円ほど。彼らはこれが「慰安婦問題の解決」に役立つと信じている。少なくとも、そう主張している。さっそく多くの韓国メディアが取り上げている。


「日本は慰安婦問題謝罪しろ」

ニ十代の青年ニ人が日本政府に慰安婦問題に対する謝罪を促す大型広告物を地下鉄の駅に設置した。

小学校からの友人間であるキム・ヨセフ(左側・28)氏とカン・ミンソク(右側)氏は去る14日安国(アングク)駅4番出口と5番出口間に横4m・縦2m大きさの広告看板を掲げた。 広告看板には日本大使館の前の平和碑少女像を背景に「謝罪せよ」という文句が書かれている。 広告デザイン関連仕事をするこれらは一月ほどを投資、地下鉄広告を直接製作した。 広告費用129万 8000ウォンも共に当てた。 キム氏は「先月初め共に酒を飲んで慰安婦問題解決のためにできることが何かを悩んで地下鉄広告を考えることになった」と話した。 カン氏は「広告をすることに決心して先月初めて水曜集会に参加したし、問題の深刻性を切実に感じた」としながら「慰安婦問題を解決するように政府と政治家を動かすようにしようとするなら国民の力が切実だ」と強調した。 広告は翌月14日まで安国(アングク)駅にかかる予定だ。

ソウル新聞 2012.2.17


“일본은 위안부문제 사죄하라”


[서울신문]20대 청년 2명이 일본 정부에게 위안부 문제에 대한 사죄를 촉구하는 대형 광고물을 지하철역에 설치했다.


초등학교 친구 사이인 김요셉(왼쪽·28)씨와 강민석(오른쪽)씨는 지난 14일 안국역 4번 출구와 5번 출구 사이에 가로 4m·세로 2m 크기의 광고판을 내걸었다. 광고판에는 일본대사관 앞 평화비 소녀상을 배경으로 “사죄하라.”는 문구가 적혀있다. 광고디자인 관련 일을 하는 이들은 한 달가량을 투자, 지하철 광고를 직접 제작했다. 광고비용 129만 8000원도 함께 댔다. 김씨는 “지난달 초 함께 술을 마시며 위안부 문제 해결을 위해 할 수 있는 일이 무엇일까를 고민하다 지하철 광고를 생각하게 됐다.”고 말했다. 강씨는 “광고를 하기로 마음먹고 지난달 처음으로 수요집회에 참석했고 문제의 심각성을 절실하게 느꼈다.”면서 “위안부 문제를 해결하도록 정부와 정치인을 움직이게 하려면 국민의 힘이 절실하다.”고 강조했다. 광고는 다음 달 14일까지 안국역에 걸릴 예정이다.

2012/02/17

国連人権委員会元特別報告官マクドゥーガル、韓国外交通商相と面談



元特別報告官マクドゥーガル。慰安所を「強姦所」として報告したマクドゥーガル報告書で有名なあのマクドゥーガル。久しぶりに名前を聞いた。なぜこの人がソウルにいるのだろう?

慰安婦問題「努力尽くす」=韓国外相、元国連報告官と面談

韓国の金星煥外交通商相は17日、国連人権委員会の元特別報告官マクドゥーガル氏とソウルで面談し、旧日本軍の元従軍慰安婦問題について意見交換した。金外相は元慰安婦の平均年齢が87歳に達しているとし、「(解決に向け)できる限りの努力を尽くす」と強調した。
マクドゥーガル氏は1998年、国連人権委の小委に、元慰安婦への国家賠償を日本政府に求める報告を提出した人物。聯合ニュースによると、同氏は記者団に「日本は65年の日韓請求権協定に頼って法的責任を免れようとしてはいけない」と述べた。 
一方、韓国滞在中の申◆(◆=王ヘンに玉)秀駐日韓国大使は同問題について、日本記者団に「解決策を模索する」とした上で、「韓日関係に影響はないとは言えないが、完全に悪くなるとも言えない」と語った。

時事 2012.2.17

聯合ニュースの記事も追加。「韓国政府はこの問題について、非常に固い決意を持っている」というのはもちろん国内向けの発言。憲法裁判所に「努力不足」と言われてしまった手前。

ここで外務大臣(外交通商部長官)が、実は我が国も朝鮮戦争の時にその「反人道的問題戦争犯罪」を犯してしまったのですが・・・と告白したら、彼女はどんな顔をしたのだろうか?これまでの経緯から、あまり深く物事を考えたり調べたりしない人のようなので、彼女は気に止めないかもしれない。国連人権委員会の特別報告官とは、こういう人でも務まる仕事なのだということだろう。

慰安婦問題 元国連報告官「日本は法的責任取るべき」

来韓しているゲイ・マクドゥーガル元国連人権委員会・特別報告官は17日、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「日本は1965年の韓日請求権協定に依存し、法的責任を免れようとすべきではない」と指摘した。

マクドゥーガル元報告官は1998年に国連に提出した慰安婦問題の報告書で、慰安婦問題に対する法的責任を認め、被害者に補償するよう日本政府に勧告した人物。

同氏は同日の記者団とのインタビューや大韓国際法学会の学会での基調演説で「慰安婦問題は1965年以降に表面化したため、改めて扱うのが道理にかなっている」と指摘。また、「慰安婦問題は記憶可能な戦争犯罪のうちで最も極悪なものだ。慰安婦、慰安所といった婉曲(えんきょく)な表現は、性奴隷、強姦センターと言い換えるべきだ」と批判した。

続けて「韓日請求権協定は商業・財政問題に焦点を合わせたもので、極悪な反人道主義的問題は扱っていない。請求権協定のような2国間条約は、国際慣習法や規範上の国際法違反による請求権を消滅させることはできない」と指摘し、日本が慰安婦問題の法的な責任を取るよう、改めて促した。

マクドゥーガル元報告官はインタビューに先立ち、金星煥(キム・ソンファン)外交通商部長官と会談した。金長官はその席で「平均年齢が87歳の慰安婦被害者らは、数年後には全員死去するだろう。そうなれば、慰安婦問題は日本政府にとって消し去ることのできない負債として残るだろう」と指摘。その上で「韓国政府はこの問題について、非常に固い決意を持っている」と強調した。

慰安婦問題の解決に韓国政府が具体的な努力をしていないのは違憲だとする憲法裁判所の判決を受け、外交通商部は同問題を話し合う2国間協議を昨年2度にわたり日本側に提案したが、日本は事実上これを拒否した。

2012/02/16

甘言と豪州政府の関与、現代韓国人労働者事情



オーストラリア政府が韓国人溶接工の同国での就職を要請している」・・・つまりオーストラリア政府が関与しているわけですね?吉見義明風に言うと、もっと良い仕事があればタイル工などする人はいないから、これは社会的状況の産んだ「強制性」でウンタラカンタラ・・・。

こういう問題は日本政府も無縁でなく、日本政府が政策として招き入れた研修生が受け入れ先の民間企業で搾取されて人身売買だと問題になった事もありました。甘言に釣られて出稼ぎに行ったが、約束通りにはいかず辛酸を舐めたのは、古今東西女性だけでも、まして慰安婦だけでもなかった。

溶接工たち、高額年収夢見て渡豪するも…

昨年4月、溶接工のAさん(51)は1億ウォン(約700万円)以上の年収を保障するという溶接学校の言葉を信じ、オーストラリアに渡った。Aさんは学校に教育費や業務費、海外就職手数料などの名目で4100万ウォン(約290万円)を支払った。

だが、オーストラリアの実情は全く違った。Aさんは韓国では大企業の溶接工として働き、平均5000万ウォン(約350万円)の年収を得ていたが、同国での年収は3220万ウォン(約224万円)と、オーストラリア政府が定めた溶接工の最低年収(3200万ウォン=約223万円)水準にすぎなかった。さらに、就職した会社が不渡りを出したため、Aさんは4カ月分の月給をもらえなかった

Aさんのように、多額の年収を目当てに就職あっせん料など数千万ウォン(1000万ウォン=約70万円)を払いオーストラリアに向かったものの、仕事を見つけられず苦労している溶接工が増えている。いずれも京畿道水原市のある溶接学校に入学し、オーストラリアへ向かった。同国西部のパースだけでも40人ほどの韓国人溶接工がいるという。

海外就職をサポートする韓国産業人力公団によると、同学校の宣伝とは異なり、オーストラリアで溶接の職を探すのは容易なことではない。溶接の実力や各種溶接資格に加え、TOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)800点以上の英語力が必須となる。公団関係者は「オーストラリア政府が韓国人溶接工の同国での就職を要請しているのは事実だが、両国で求められる溶接の技術が異なる上、言葉の壁が高いため、実際に就職したケースはごくわずかだ」と話している。

政府庁舎まで押しかけた挺対協



産経新聞(共同)も記事にしているが、やはり聯合ニュースの方が詳しい。挺対協が日本大使館前だけでは飽きたらず政府庁舎にまで押しかけて来たのである。

イ・ミョンバク政権はもうこの問題に関わりたくないと考えているのだろうが、この「祭り」に便乗する政治家は与党野党を問わず多いし、何より国民の支持がある。この前の憲法裁判所の判断のような物が出ると、一気に運動家たちが勢いづく。

韓国政府はタスクフォースを作ったとか、「慰安婦被害ハルモニ」と面会するとか、日本政府にバッチリ言ってやりましたとか、いろいろとポーズをとっては鎮火を図っている。こういう時に、サービス精神を発揮しようと考える前原誠司のような日本人政治家が現れると、火に油を注がれる韓国政府にとっては大いに迷惑なのである。たぶん。

しかし、憲法裁判所の決定が下されてから6人の「被害者」が亡くなったと韓国政府を煽るくせに支援を求める元米軍向け(国策)娼婦には知らんぷりを決め込む挺対協。その挺対協の代理人となって奔走している日本人も偽善者である。肝心の「日本軍性奴隷」達は、(韓国人の目から見ても)謝罪やら賠償には、もうあまり拘っていないようなのである。

挺対協「慰安婦問題、政府意志疑わしい」

韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)は15日ソウル、世宗路、政府中央庁舎裏門で記者会見を行い「政府は日本軍慰安婦問題に対する憲法裁判所決定を早く履行せよ」と促した。

挺身隊対策協は「憲法裁判所決定以降、わが政府の対応が急流に乗るようだったが5ヶ月が過ぎても明確な対応が出てこない」として「今後の対応方案に対する質問には『仲裁手続きを考慮中』という曖昧な態度だけ繰り返している」と話した。

この団体は「日本の政治指導者は持続的に『慰安婦問題は法的に解決された』という妄言を吐き出している」として「仲裁手続きに対する明確な内容や時期さえ明らかにすることができない政府に慰安婦問題解決の意志があるのか疑わしい」と指摘した。

挺身隊対策協は「憲法裁判所判決以降、慰安婦被害者6人が故人になった」とし「韓国政府はもうボールが日本に移ったという形で責任を転嫁せずに断固で素早い姿勢で日本政府に問題解決を促せ」と強調した。

これに先立ち、憲法裁判所は昨年8月30日「政府が韓日間財産および請求権と関連した紛争を解決しようとする措置を取らなくて基本権を侵害された」として慰安婦被害者が国家の韓日請求権協定第3条不作為(不作為、当然しなければならない仕事をしないこと)に対して出した憲法訴訟審判事件で裁判官6(違憲)対3(却下)意見で違憲決定をした。

記者会見後慰安婦被害者のキム・ボクトン(86)・キル・ウォンオク(85)ハルモニと挺身隊対策協関係者たちは外交通商部にこのような内容を入れた抗議書簡を伝達して駐韓日本大使館前に席を移して1千9回目水曜集会に参加した。


정대협 “위안부 문제 정부 의지 의심스러워”


한국정신대문제대책협의회(정대협)는 15일 서울 세종로 정부중앙청사 후문에서 기자회견을 열어 “정부는 일본군 위안부 문제에 대한 헌법재판소 결정을 조속히 이행하라”고 촉구했다.


정대협은 “헌재 결정 이후 우리 정부의 대응이 급물살을 타는 듯했으나 5개월이 흐르고서도 뚜렷한 대응이 나오지 않는다”며 “향후 대응 방안에 대한 질문에는 ‘중재 절차를 고려 중’이라는 모호한 태도만 되풀이하고 있다”고 말했다.


이 단체는 “일본의 정치 지도자들은 지속적으로 ‘위안부 문제는 법적으로 해결됐다’는 망언을 쏟아내고 있다”며 “중재 절차에 대한 명확한 내용이나 시기조차 밝히지 못하는 정부에 위안부 문제 해결 의지가 있는지 의심스럽다”고 지적했다.


정대협은 “헌재 판결 이후 위안부 피해자 6명이 고인이 됐다”며 “한국 정부는 이제 공이 일본에 넘어갔다는 식으로 책임을 떠넘기지 말고 단호하고 발 빠른 자세로 일본 정부에 문제 해결을 촉구하라”고 강조했다.


앞서 헌재는 지난해 8월30일 ‘정부가 한일간 재산 및 청구권과 관련한 분쟁을 해결하려는 조치를 취하지 않아 기본권을 침해당했다’며 위안부 피해자들이 국가의 한일청구권협정 제3조 부작위(不作爲, 마땅히 해야 할 일을 하지 않음)에 대해 낸 헌법소원심판 사건에서 재판관 6(위헌)대 3(각하) 의견으로 위헌 결정을 했다.


기자회견 후 위안부 피해자인 김복동(86)ㆍ길원옥(85) 할머니와 정대협 관계자들은 외교통상부에 이같은 내용을 담은 항의 서한을 전달하고서 주한 일본대사관 앞으로 자리를 옮겨 1천9회째 수요집회에 참석했다.

[英語] Comfort women balk at impeaching Justice Del Castillo


フィリピンでは慰安婦問題は韓国とまるっきり違った展開をしている。政府VS左翼系の内輪モメのような・・・。少なくともフィリピンでは慰安婦問題は、ジャパン・バッシングの材料には使われていない。アキノ大統領は、落ち度があるとすれば、その責は自国の政府が負うべきだという態度である。
Comfort women balk at impeaching Justice Del Castillo

MANILA, Philippines—The House committee on justice was forced to cut short its hearing on the impeachment complaint against Associate Justice Mariano del Castillo on Tuesday not only for lack of a quorum but because the complainants said they did not really want him ousted.

Zambales Representative Milagros Magsaysay said the justice committee should drop the impeachment complaint against Del Castillo for plagiarism after one of the complainants belonging to the group of comfort women Malayang Lolas pulled a surprise on the lawmakers.

“We did not say we wanted him (Del Castillo) removed from his post but we only wanted our case reconsidered,” said Isablita Vinuya.

Committee members were to vote at Tuesday’s hearing whether there was probable cause to impeach Del Castillo. Last week, they had voted to uphold the complaint after declaring it sufficient in form.

Vinuya’s group had filed the impeachment complaint after Del Castillo penned a Supreme Court decision rejecting their appeal for compensation from the Japanese government for abuses committed against them by Japanese soldiers during World War II.

Del Castillo was found to have lifted portions of the decision from the opinions of foreign experts for which no proper attribution was made.

Magsaysay said that Vinuya and her group might not have understood the purpose of the impeachment complaint they had signed together with several lawmakers.

She said the committee should have focussed on Del Castillo’s act of plagiarism and not on the Supreme Court decision.

Magsaysay said the House majority had shown it was really behind the impeachment complaint against Del Castillo and not the comfort women, as shown by their questionable move to extend the 60-day limit for processing the impeachment complaint that was filed a year ago.

“It is obvious the comfort women are being used for their selfish political motives,” said Magsaysay.

Iloilo Rep. Niel Tupas Jr., the committee chairman, was unfazed by Vinuya’s testimony as he scheduled another hearing on the impeachment complaint next week.

Tupas pointed out that the comfort women were not the only complainants against Del Castillo but several House members as well.

However, after the committee hearing, Vinuya issued another statement saying they wanted Del Castillo impeached after all.

INQUIRER NEWS 2012.2.15

2012/02/15

tweet


ようやく日本のメディアも注目?米国の「慰安婦の碑」建立運動




アメリカでのこの慰安婦の碑建立運動は、何年も前から韓国ウォッチャー達がブログなどで紹介して来た。本(旧)ブログもその一つであったが、ようやく最近になって紙媒体にも取り上げられるようになってきた。

大切なのは、「慰安婦問題はもう終わった問題」だと日本人が安心している今現在も、世界ではある種の人々が「日本軍性奴隷問題」を国際常識にしようと活動しているという事実である。特に、アメリカやカナダでは学校教育を通じて周知させようと様々な活動が展開されている。この事を日本人と日本政府はキチンと認識しておかねばならないという事である。

ただし、ムキになって「慰安婦はお金をもらっていた」「売春婦だった」などといった抗議メールを送りつけ、日本の印象を一層悪くしてしまうようなやり方は頂けない(繰り返すが、軍人による買春は現在ではご法度である。弁解するなら、もう少し賢くやらねばならない)。

当時パラセイズ・パーク市では反対の声もあり、それをKAVC(韓国人有権者センター)を中心とした韓国系のグループがどうやって道理を曲げて無理を通したかは、以前にお伝えしたとおり(写真は、市議会議員たちを説得する韓国系の若者たち)こうしたヘイトに基づく記念碑を作ってしまったという事実は、韓国系にとってもアメリカにとっても負の歴史となるのである。それに対して感情的になる必要はない。といって、手をこまねいていてもいけない。



従軍慰安婦碑 米国で韓国人が36%の地域で反対の声消される

ソウルの日本大使館前に反日団体によって「従軍慰安婦の碑」が建立されるという暴挙に、韓国人の苛烈さを見て取った日本人も多いだろう。だが、ソウルだけではなかった。彼らは韓国内だけでなく、アメリカでも同様の碑を建てていた。日本人を貶める反日運動は、より戦略的に全世界で展開されようとしているのだ。ジャーナリストの水間政憲氏が報告する。
* * *
ソウルの日本大使館前で慰安婦碑の除幕式があった昨年12月14日、地球の裏側ではある告知記事が配信された。米国ニュージャージー州北部のローカルニュースを中心に扱うサイト「North-jersey.com」に掲載されたその告知は、ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館で2名の元慰安婦が行なう演説の案内であった。そこでは、
〈この2人の女性は韓国系アメリカ人の有識者評議会によって、アメリカ合衆国に招かれた人達で、(中略)日本軍による性奴隷として奉仕させられた数千人のアジアの女性と共に「捕虜収容所」に於いて、囚われの身で過ごしたのです〉
と、紹介されていた。さらに、パラセイズ・パーク図書館責任司書のスティーブ・カバルロ氏の「彼女たちはこのことを広く知ってもらい、このようなことが再び起きないよう、やって来ました」というメッセージも掲載されていた。
捏造歴史認識は、ますますエスカレートしている。「慰安所」が「捕虜収容所」にすり替えられているのである。
しかし一体なぜ、訪れた先がニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館だったのか。実は、そこに「日本軍従軍慰安婦の碑」(キリム碑)が設置されているのだ。
「キリム碑建立運動」は、韓国人有権者センター(KAVC)の主導で、2009年から始まったが、当時、同市住民は、特定民族の「追悼碑」を建てることに強く反対した。だが、街の人口約1万7000人に対し、韓国人が36%を占めるという、全米で最も韓国人が居住している地域でその反対の声はかき消された。
在米韓国人のロビー活動が奏功し、パラセイズ・パーク市長や市議会の判断によって2010年10月23日に碑は建立された。因みに同碑をデザインしたのは前出の同図書館責任司書カバルロ氏である。(SAPIO2012年2月22日号)

慰安婦像の前で泣き崩れる日本人牧師



2chでは相変わらず国籍を調べろなどと毒づいている人がいるが、実はこういうタイプの日本人は多いのである。特にキリスト者に目立つ。先々月ある韓国在住の日本人牧師の講演を聞きに行ったが、思ったのは、この宗教の教義自体にこの種の陥穽にはまり易い弱点があるらしいということ(誤解のないように言っておくと、キリスト教徒の中にもこういった人々に対して批判的な人はいる)。キリスト教とは関係ないが、在日朝鮮人(差別)問題と慰安婦問題を混同して冷静な判断が出来なくなるのは、村山一兵と同じパターン。


韓国の政治団体が日本政府に対する当てつけに作った偶像(彼女たちはこれを「平和の像」と名付けた)の前で泣き崩れる姿は、確かに一種の偶像崇拝であって合理的思考とは無縁な印象を与える。吉田清治のような詐話師でないにしても韓国のマスコミにとっては好餌なのだろう、カメラが周囲に群がっている。

この野村基之という人物は、過去にこのような文章も書いていたようである。

「大日本帝国の侵略を受け始めた後、1910年からは酷い植民地支配を受けるようになりました。[...]このような寒村にも嘗て日本軍の軍旗がはためき軍靴の音が轟きわたり、住民、特に婦女子を恐怖のどん底に突き落としたのか…あるいは鳥撃帽を深くかぶった特高が嗅ぎ廻っていたのか?…などと想像をしただけでも、日本人青年の一人としてあの穏やかで美しい田舎の土地の上に立つのに罪悪感を覚えたのを今でも鮮明に記憶しています。(日本による過去の侵略の歴史を全く学んでいない現在の日本の若者は韓国映画の俳優に夢中になっています。 極めて不幸な国民だと私はいつも戸惑っています。)」(韓国春川の白基豊校長先生

真実を探求するより想像力を優先させてしまうこの人の性向は、若い頃から変わっていなかったという事だろう。本当に「軍靴の音が轟きわたり」、婦女子が「恐怖のどん底に突き落と」されたのか、村の古老に聞いてみれば良かったのである。ある意味不幸なのはこの人の方である。「平和を愛する人々」と日本の社会に訴えたいと彼は言う。慰安婦像は「平和の像」。運動家たちは日本大使館前の通りを「平和通り」と名付けようとも訴えている。平和という言葉がどんどん胡散臭くなっていくようである。

追記: 中央日報と聯合ニュースの英語版の記事も追加した。中央日報では、野村は forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army(日本帝国陸軍によって性奴隷になる事を強制された)慰安婦を象徴する像にJapan's wartime atrocities(戦時の日本の残虐行為--慰安所システム?)を謝罪した事にされている。野村の場合は彼の本心とさして違わないのかもしれないが、大体において良心的日本人の行動を韓国メディアが解説する場合、話が膨らむ傾向にあるようである。聯合ニュースには日本軍が強制したとは書かれていないが、女性たちは強制された、日本政府が the war crimes(この戦争犯罪)について謝罪も賠償もしていないと書いている。

″花を踏みにじった日本、申し訳ない心を持つのは当然″

'清渓川貧民運動' 野村牧師‘鳳仙花’を演奏し、バラの花を献花
日本大使館への抗議訪問は不発

染みが浮かんだ八十歳の老人の手がフルートの上に用心深く乗せられた。 指を動かし、歌曲‘鳳仙花’の悲しい韻律がソウル、鍾路区の駐韓日本大使館前に鳴り響いた。‘ウルミッテソン ポンソンファヤ(垣根の下に咲いた鳳仙花)ネモヤンギ チョリャンハダ(君の形がわびしい…)’老人が準備したフルート演奏と一輪のバラは日本軍‘慰安婦’被害少女のためのものだった。
13日午前、少女の姿を形象化した‘平和碑’前に立った老人は、演奏を終えてひざまずいた。 そして涙を流した。彼は日本人社会運動家 野村基之(81・山梨県ベタニヤ教会)牧師だ。 「鳳仙花の歌詞の中の秋風は日本の侵略を意味し、落ちた花は‘慰安婦’被害者ですよね。5才の頃、日本人たちが朝鮮人を苛めるのを見て心が痛みました。その申し訳ない心を持って演奏したいと思いました。」

彼は約40年前にも幼い息子・娘を連れて日帝が虐殺を犯した京畿道(キョンギド)華城(ファソン)、堤岩里(チェアムリ)教会と独立活動家が獄苦にあえいだ西大門(ソデムン)刑務所を訪ねた。 野村牧師と韓国の縁は尋常ではない。韓国戦争が勃発する前に日本、東京に留学に来た韓国人の友人を知ってから韓国は彼にとって近い国になった。1968年、宣教師として韓国の地に第1歩を踏み、ソウル、清渓川の貧民街の惨状を目撃した。 野村牧師は1980年代中盤まで韓国と日本を50余回にわたり往復し清渓川で布教と貧民救済活動を行った。‘貧民運動の父’故チェ・ジョング前議員と共にしたことだった。‘平和碑’献花に先立ち、彼は12日慶南(キョンナム)、統営(トンヨン)で開かれたチェ前議員13周忌追悼式に参加した。 昨年も日帰りで韓国に立ち寄った。清渓川で布教活動をして縁を結んだおばさんが亡くなり、後に残った病院の借金800万ウォンを渡すためであった。

野村牧師は日本政府が‘慰安婦’問題の始末をつけなければならないと語った。1965年、韓-日協定を結んだが両国共にこの問題を覆いかくし適当にやりすごしたということだ。「‘慰安婦’被害は明らかな事実ではないですか。 申し訳ない心を持つのは私の良心としては当然のことです。」彼はこの日、駐韓日本大使館を訪問しようとしたが取材陣が集まり志を達せなかった。日本の一市民として‘慰安婦’問題に対する日本政府の立場を聞き、韓国人が納得できる措置を取ってほしいという話をしようとした。「2つの民族がなくなりはしないでしょう。 争うより仲良く過ごすのが良くないのかと、お願いしたかったのです。」

野村牧師の携帯電話の液晶画面には空を飛ぶ飛行機の写真がある。彼の家の窓を開けば空に見える日本成田空港と仁川空港を行き来する飛行機だ。彼はきちんとした韓国語で話を続けた。「飛行機を見るたびに韓国の友人を思います。」 15日に日本に戻る彼は平和を愛する人々と共に‘慰安婦’問題解決を望む意を日本社会に伝えると語った。

ハンギョレ 2012.2.13
livedoorニュース(訳) 2012.2.14

Remorse Over 'Comfort Women'

Japanese pastor Motoyuki Nomura bowed in apology for Japan's wartime atrocities on Monday in front of a statue representing the "comfort women" forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army during World War II. He played a Korean song on the flute in front of the statue, which was set up in December last year near the Japanese Embassy in Seoul.

Nomura is known for his volunteer work in the 1970s and 80s when he visited Korea 50 times to help the poor living in slums along the Cheonggye Stream.


Japanese pastor's atonement over comfort women in Seoul

Motoyuki Nomura (R), a Japanese pastor, weeps after playing a Korean song on the flute at the Peace Monument, a statue of a young girl that symbolizes sex slaves known as "comfort women," in front of the Japanese Embassy in Seoul on Feb. 13, 2012. Nomura, 81, who hails from Japan's Yamanashi Prefecture and worked for the relief of poor people in South Korea in the 1970s and '80s, made the visit as a gesture of his own atonement for Japan's wartime atrocities. The monument was dedicated to now-elderly Korean women who were forced into sexual slavery for Japanese soldiers during World War II. Former comfort women, along with their supporters, have called for an apology and compensation from the Japanese government, which has yet to offer either for the war crimes.


“꽃송이 짓밟은 일본, 죄송한 마음 갖는건 당연”
팔순의 일본인, 위안부 소녀상에 무릎꿇다


'청계천 빈민운동' 노무라 목사
‘봉선화’ 연주하며 장미꽃 헌화
일본대사관 항의방문은 불발


검버섯이 핀 팔순 노인의 손이 플루트 위에 조심스레 얹어졌다. 손가락을 움직이자, 가곡 ‘봉선화’의 서글픈 운율이 서울 종로구 주한 일본대사관 앞길에 울려 퍼졌다. ‘울 밑에 선 봉선화야 네 모양이 처량하다….’ 노인이 준비한 플루트 연주와 장미꽃 한 송이는 일본군 ‘위안부’ 피해 소녀를 위한 것이었다.
13일 오전 소녀의 모습을 형상화한 ‘평화비’앞에 선 노인은 연주를 마친 뒤 무릎을 꿇었다. 그리고 이내 흐느꼈다. 그는 일본인 사회운동가 노무라 모토유키(81·야마나시현 베다니교회) 목사다. “봉선화 노랫말 속 가을바람은 일본 침략을 의미하고, 떨어진 꽃송이는 ‘위안부’ 피해자들 같아요. 5살 무렵, 일본인들이 조선인을 무시하는 것을 보고 마음이 아팠습니다. 그 미안한 마음을 가지고 연주하고 싶었어요.”


그는 약 40년 전에도 어린 아들·딸을 데리고 일제가 학살을 저지른 경기도 화성 제암리 교회를 찾았었다. 노무라 목사와 한국의 인연은 남다르다. 한국전쟁이 발발하기 전 일본 도쿄에 유학 온 한국인 친구를 알게 되면서 한국은 그에게 가까운 나라가 됐다. 1968년 선교사로 한국 땅에 첫 발을 디디면서 서울 청계천 판자촌의 참상을 목격했다. 노무라 목사는 1980년대 중반까지 한국과 일본을 50여차례 오가며 청계천에서 선교와 빈민구제 활동을 했다. ‘빈민운동의 대부’ 고 제정구 전 의원과 함께 한 일이었다. ‘평화비’ 헌화에 앞서, 그는 12일 경남 고성에서 열린 제 전 의원 13주기 추모식에 참석했다. 지난해에도 하루 일정으로 한국에 들렀다. 청계천에서 선교활동을 하며 연을 맺은 아주머니가 숨지면서 남긴 병원 빚 800만원을 내주기 위해서였다.


노무라 목사는 일본 정부가 ‘위안부’ 문제를 매듭지어야 한다고 말했다. 1965년 한-일 협정을 맺었지만 양국 모두 이 문제를 덮고 적당히 넘어갔다는 것이다. “‘위안부’피해는 분명한 사실 아닙니까. 죄송한 마음을 갖는 건 내 양심으로서는 당연한 일입니다.” 그는 이날 주한 일본대사관을 방문하려 했으나 취재진이 몰려 뜻을 이루진 못했다. 일본 시민으로서 ‘위안부’ 문제에 대한 일본 정부의 입장을 묻고, 한국인들이 납득할 수 있는 조처를 취해달라는 말을 하려 했었다. “두 민족이 사라지진 않잖아요. 싸우기보다 친하게 지내는 게 좋지 않느냐고, 부탁하고 싶었습니다.”


노무라 목사 휴대폰 액정화면에는 하늘을 날고 있는 비행기 사진이 있다. 그의 집 창을 열면 하늘 위로 보이는, 일본 나리타공항과 인천공항을 오가는 비행기다. 그는 또박또박 한국어로 말을 이었다. “비행기를 볼 때마다 한국 친구들을 생각합니다.” 15일 일본으로 돌아가는 그는 평화를 사랑하는 이들과 함께 ‘위안부’ 문제 해결을 바라는 뜻을 일본 사회에 전하겠다고 했다.

強制連行という言葉が死語になりつつある?



テレビで強制連行のウソというようなタイトルの特集を見た記憶がないので、強制連行の神話の崩壊にはネットがかなり貢献したのではないかと思うのだが、真相はどうなのだろう。ところで、朝鮮学校に対する教育の無償化が在日に対する差別問題と関連があるのか否かはともかく、日本生まれである事が差別の理由になる社会もあるらしいのだが?

「高校無償化」 ハルモニたちが文科省に要請
”差別はもうたくさん”〝孫を苦しめないで〟

朝鮮学校に孫を通わせているハルモニ(祖母)の会のメンバーら8人が13日、文科省を訪れ、朝鮮学校に対し「高校無償化」制度を早急に適用することを求めた。一行は、野田佳彦首相と平野文博文科相あての要請書を提出した。

朝鮮学校に孫を送る1、2世のハルモニたちは、植民地時代に渡日し差別を受けてきた体験や、日本で生まれ日本学校に通い、祖国解放後に初めて自国の存在を知ったという悲しい経験などについて述べながら、日本当局の在日朝鮮人に対する差別政策は当時から何も変わっていないと指摘。このような非情なことが、自身の親の時代から孫の代に渡るまでまかり通っていることに、憤りを禁じえないと訴えた。

金貞花さん(千葉県在住)は、「日本政府をはじめ一部の知事たちは、在日朝鮮人たちの然るべき権利に対して、いつも『やってあげる』という言い方でものを言う。21世紀になった今もそれを通そうとする卑怯さに胸がえぐられる思いだ」と厳しく指摘した。

康敬順さん(東京都在住)は、これまでも在日朝鮮人は中・高体連やJR定期券問題、大学受験資格など民族教育と朝鮮学校生徒の権利をたたかって勝ち取ってきた。朝鮮学校の子どもたちはラグビーで全国大会に出場したり、作文コンテストで内閣総理大臣賞を受賞したりと、立派に育ち日本学校の生徒と比べても何らそん色なく普通に学校生活を送っているのに、なぜ「無償化」の対象から外されなければならないのか理解ができないと述べた。また、「みんな納税義務を等しくしっかりと果たしているのに、教育の現場で得られる権利が私たちだけ違うのか。明らかに差別だ」と訴えた。

埼玉県在住の金福連さんは、自身が日本学校に通っていた頃は毎日つらいいじめを受けていたが、わが子も幼稚園の頃、心ない友だちから暴言を浴びせられることがあった。それは大人の考えや発言が影響しているとしながら、「私たちが子どもや孫を朝鮮学校に通わせているのは、朝鮮人としての自覚を持ってほしいから。日本学校では、それはできない」と話した。

幼い頃、日本に渡ってきたという金永愛さん(東京都在住)は、植民地時代に受けた差別を70年が経った今も忘れられないと訴えながら、「日本政府には人権平等の思想が根付いていない。過去清算もできておらず、差別政策は変わっていない。しっかりと、心ある対応をすべきだ。孫たちは朝鮮人としてのアイデンティティーを持つことだけでなく、いかに日本や世界に貢献し生きていくかを朝鮮学校で学んでいる」と語った。

(姜裕香)朝鮮新報 2012.2.14

参考までに・・・

北朝鮮、日本で生まれた金正恩の生母の出生地を“すり替え”

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長には決定的な障害物が一つあった。生母・高英姫(コ・ヨンヒ)の出身地だ。「喜び組」の舞踊家として活動し、金正日(キム・ジョンイル)総書記の目に留まった高英姫は、北朝鮮で蔑視される在日同胞出身だった。

その間、北朝鮮当局は金正恩が後継者になっても生母への言及を避けてきた。しかし最近、高英姫を「平壌(ピョンヤン)の母」と呼び始めたのだ。

13日の労働新聞は2月16日の金正日の70回目の誕生日を控え、朝鮮作家同盟詩文学分科委員会の叙事詩「永遠なる先軍の太陽、金正日」を掲載した。「偉大な金正日の誕生70周年に捧げる」という説明とともに、金正日に対する称賛を込めた長文だった。

この長文では日本で生まれた高英姫が平壌出身になっていた。「今日も馴染みの野戦服を着て明るく笑っていらっしゃる(中略)」などの内容とともに「きらきら輝く星の光を踏まれながら、静かな月の光を踏まれながら、庭を散策された平壌のお母様の足音、金正恩同志の足音」という表現が使われたのだ。

「戦線にいる将軍様を待ちながら、お母様と一緒に明かした2月のその夜を私は忘れることができません」という金正恩の言葉と、「平壌の家族が受けるべき父の情と愛を私たちがみんな受けたんだ。私たち人民がみんな受けてきたんだ」などの内容も続く。北朝鮮が高英姫に堂々と「平壌の母」という呼称を使ったのは今回が初めて。

高英姫の偶像化作業は金正恩の誕生日と知られた1月8日に本格的に始まった。この日、朝鮮中央テレビが放送した金正恩の記録映画で「いつだったか、2月16日(金正日の誕生日)にも現地指導から帰らない将軍様(金正日)をお母様(高英姫)と一緒に夜通し待ったこともある」という解説者の説明が伝えられた。公式メディアを通して金正恩の生母に言及したのは初めてだったが、何気なく流れる短い説明という程度にとどまった。

間接的な方法も使われた。8日の労働新聞には、在日同胞女性が北朝鮮に移住してきた過程と、金正日の体制下で恩を受けて暮らしてきたという記事が掲載されたりもした。北朝鮮社会で「チェッポ」と呼ばれるほど蔑視された在日同胞が官営メディアに堂々と登場したのだ。高英姫の出身に関して沈黙してきた北朝鮮は結局、出身地を操作する方法を選んだとみられる。今後、北朝鮮の住民に高英姫についてどう説明していくかが注目される。

北朝鮮は金正日が現地指導に行く列車で亡くなったという事実を改めて強調した。今回の叙事詩には「私たち人民との約束を守るために強行軍列車を一瞬も止めずに走ってこられた方が、このように列車に乗った」とし「行ってはならぬ道と引き止める医者たちよりもよく知りながらも、将軍様が乗った12月の野戦列車」という文句が含まれた。

2012/02/14

[参考] 警察の不祥事


北海道警札幌中央署は11日、札幌市中央区南5西5の風俗店「クラブ パティオ」経営田中貴子容疑者(46)(同市白石区)を風営法違反(無許可営業)容疑で、客として居合わせた札幌厚別署留置管理課巡査長、泉沢有俊容疑者(28)(同市厚別区)を公然わいせつ容疑で、それぞれ現行犯逮捕した。


発表によると、田中容疑者は同日午前1時25分頃、道公安委員会の許可を取らずに、女性従業員に泉沢容疑者の接待をさせた疑い。同署が捜索したところ、店内には男女計16人の客がいて、縄で縛られた泉沢容疑者が全裸でステージ上にいた。同容疑者は容疑を認めている。奥村稔・道警監察官室長は「事実関係を調査し、厳正に対処する」とコメントした。

読売 2012.2.13

2012/02/07

中国へ線路引きに行ってた祖父の話 -2ch


匿名の書き込みには違いないのであるが、たまに考えさせられるような書き込みもある2ちゃんねる。当時の朝鮮半島に売春婦が多かったとしても恥じることはない。生きる為に女性が体を売るのは正当な行為である。

12 :名無しさん@12周年:2012/02/07(火) 19:31:26.41 ID:Wp6OUjqN0

・うちの爺さんは中国へ線路引きに行ってた非戦闘員だけど
朝鮮に入ると朝鮮女どもが軍の車や列についてきて
夜になると体を売りに来てたと言ってた
酷いやつになると中国までつきまとってきたらしい
中出ししたら子供を産んで、「これは日本人の子」と言って日本へ来たらしい

「朝鮮の女はひっぱってこなくても自分で寄ってくる」って有名だった

・可哀想な慰安婦の話を聞くのも良いが、
選択の余地ゼロで戦地に行かされた若い兵士たちにも
同じくらいの敬意を表してくれ。
彼らは性奴隷を狩ったと冤罪かけられてんだ

・月給の半月分を握り締め、売春宿の前に
恥ずかしそうにうつむきながら並んでいた
10代そこそこの、若い兵隊たち、翌日死んでいったかもしれない
彼らを、そんなに悪者にするな

2012/02/06

しかし、仲裁委員会は恐らく実現しないという本音



後ろから尻を蹴飛ばされているから、韓国政府としては、国民の注視する中で常にアクションを起こしていなければならない。しかし、「仲裁委員会が構成されない可能性が高い」と自ら認めざるをえないという悲しい現実。

慰安婦問題 「仲裁委」の提案準備進める=韓国政府

【ソウル聯合ニュース】韓国政府が提案した元従軍慰安婦の賠償請求権に関する2国間協議を日本が事実上拒否したことを受け、韓国政府が韓日請求権協定で紛争時に設置できると定められている「仲裁委員会」の提案準備を進めていることが、6日分かった。

外交通商部によると、政府は現在、人権問題に関心の高い国内外の国際法専門家などを対象に、仲裁委員の候補選びに全力を挙げている。

ひとまず、著書などで自身の立場を明示している専門家は候補から外すという。「裁判官の役を果たす仲裁委員の主張が固まっていると、日本がその委員を拒否しかねない」というのが、その理由だ。

また、仲裁委員会(委員3人で構成)の結論は、韓日がそれぞれ選任した仲裁委員同士が協議して選ぶ残り1人の委員にかかっているとみて、政府は寛容で説得力を持つ人物を候補にする考えだ。国際的な名声も重要な選任基準となる。こうした基準を踏まえ、政府はすでに候補の打診を始めている。

政府がこれほどまでに仲裁委員の選任に力を入れているのは、韓日請求権協定が「紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日以内に仲裁委員を任命しなければならない」と定めており、事前に内定しておかなければ慌てることになりかねないためだ。

政府は併せて、重要資料を英語に翻訳するなど、仲裁委員会に提出する関連資料の準備も進めている。早ければ今月中にも、仲裁委員会の構成を日本側に提案することを検討しているという。

外交通商部当局者は、2国間協議を再度提案するか、すぐに仲裁委員会の構成を要請するか、まだ最終判断は出ていないと話している。

だが、日本政府は韓日請求権協定により請求権問題は法的に解決済みとの立場を示しているため、仲裁委員会が構成されない可能性が高いと外交関係者らは見込んでいる。

2012/02/04

336名中314名は、偽慰安婦?



名乗り出た慰安婦336名中314名は偽物だった・・・という事かと思ったら、そういう事ではないらしい。ようするに息子や孫が親(祖母)が慰安婦だったと申し出たという事なのか?それとも審査中に候補者が死んでしまったのか?それにしては死に過ぎである。日本軍慰安婦だったというだけで国民的アイドルになってしまう時代であるから、何が起こっても驚かない。

それにしても、動員名簿と言っても何のことかお婆さん達には分からないはずだ。かつては、社会党(日本)の議員たちが名簿を出せと日本政府を難詰していいた事もあったが(当時彼女らは、本気で慰安婦が日本政府によって徴用されたと思い込んでいた)、今では慰安婦が強制連行(徴用)の対象でなかった事は常識である。最近のTVタックルでも、福島瑞穂の主張が大幅に後退していたのが印象的だった。なんといっても、彼女は弁護士時代から慰安婦騒動に関わっていたのだから。

ナムヌの家アン・シングォン所長は、東京のど真ん中に歴史館を作るよりも先にする事があるだろう。現在は日本軍慰安婦にしか門戸を開いていないナヌムの家を、韓国軍慰安婦被害者にも開放したらどうか?

国務総理所属「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」パク・イヌァン委員長は3日、京畿道広州ナムヌの家を訪問して日本軍慰安婦被害おばあさん4人と対話した。

この席でパク委員長は慰安婦問題と関連「日本が反省して謝る時まで調査するつもりだ。時間がかかっても真相をすべて明らかにする」と話した。

イ・オクソン(85)おばあさんが「みんな死ぬ前に私たちを強制的に引っ張っていった帳簿(動員名簿)を必ず探して欲しい」と切実な声で要請すると「日本が資料を出さないでいる。しかし率先して探すように努力する」と答えた。

パク委員長はそれと共に「委員会が一時的な組織という弱点があることを日本政府が知っている。委員会がなくなる時まで待つようだ」として常設機構になるべく法改正が必要という点を強調した。

ナムヌの家アン・シングォン所長が日本人のボランティア活動と歴史体験プログラム参加状況を紹介するとすぐにドイツとイスラエルの関係を例にあげて「日本国民まで教える責任がもう一つ増えた」としながら「日本の首都のど真ん中に歴史館をたてなければならない」と力説した。

高齢にもかかわらず国内外で旺盛な人権活動をしているイ・オクソンおばあさんは「日本王が私たちの前で謝罪する時まで待つ」と再び意志を見せた。

委員会は2005~2008年、慰安婦被害申告336件を受け付けてこの中の22件を被害者に決めた。残りの大部分は被害者死亡で具体的な立証資料を確保できず、判定不能決定を下した。同委員会は2009年発行したインドネシア動員女性名簿真相調査報告書などをこの日、ナムヌの家に伝達した。


강제동원조사委 "위안부 문제 日 사과때까지 조사"


(광주=연합뉴스) 김경태 기자 = 국무총리 소속 '대일항쟁기 강제동원 피해조사 및 국외 강제동원 희생자 등 지원위원회' 박인환 위원장은 3일 경기도 광주 나눔의 집을 방문해 일본군 위안부 피해 할머니 4명과 대화를 나눴다.


이 자리에서 박 위원장은 위안부 문제와 관련해 "일본이 반성하고 사과할 때까지 조사할 작정이다"며 "시간이 걸려도 진상을 다 밝히겠다"고 말했다.


이옥선(85) 할머니가 "다 죽기 전에 우리를 강제로 끌고 간 장부(동원명부)를 꼭 찾아달라"고 간절한 목소리로 요청하자 "일본이 자료를 안 내놓고 있다. 그러나 앞장서 찾도록 노력하겠다"고 답했다.




박 위원장은 그러면서 "위원회가 한시적인 조직이라는 약점이 있는 것을 일본정부가 알고 있다. 위원회가 없어질 때까지 기다리는 것 같다"며 상설기구가 되도록 법 개정이 필요하다는 점을 강조했다.


나눔의 집 안신권 소장이 일본인의 자원봉사 활동과 역사체험 프로그램 참여 상황을 소개하자 독일과 이스라엘 관계를 예로 들며 "일본 국민까지 가르칠 책임이 하나 더 늘었다"면서 "일본 수도 한복판에 역사관을 세워야 한다"고 역설했다.


고령에도 국내외에서 왕성한 인권활동을 하고 있는 이옥선 할머니는 "일본 왕이 우리 앞에 사죄할 때까지 기다릴 것"이라며 다시 한번 의지를 보였다.


위원회는 2005~2008년 위안부 피해신고 336건을 접수해 이 중 22건을 피해자로 결정했다. 나머지 대부분은 피해자 사망으로 구체적인 입증자료를 확보하지 못해 판정불능 결정을 내렸다.


위원회는 2009년 발간한 인도네시아 동원여성명부 진상조사 보고서 등을 이날 나눔의 집에 전달했다.

2012/02/02

カナダの反日教育がもたらしたもの



11年生だから、日本で言えば高校2年生にあたる。カナダのトロントにはトロント・アルファという反日(?)団体がある。ここが教育を通じて第二次大戦中の日本の残虐性を子供たちに教えるという活動を行なっている為に、トロントを中心に慰安婦問題に興味を持つカナダ人は少なくない。なぜカナダなのかというと、中国系の移民が多いからだろう。5年前になるが、カナダの議会でも「慰安婦決議」が採択され、中国系のオリビア・チョウ議員の出鱈目な演説が拍手をもって迎えられた光景が映像として残っている(下の動画参照)。

この高校生たちも慰安婦についてこれまで何も知らずにいた。しかし、学校の授業を通じて、第2次大戦中に、20万人の若いアジアの女性たちが日本軍の性の奴隷にされた事実(?)を知ることになった。慰安婦たちは「道で歩いている所を誘拐され、日に30回レイプされたのだ」と高校生の一人は解説する。トロントとオタワの学校関係者その他300人と130人の高校生が日本大使館に押し寄せる予定だったというから(実際に何人が参加したかは不明)、カナダでのこの手の対日プロパガンダはかなり浸透しているようである。

抗議は第1000回水曜デモに合わせた物(昨年の12月)だったが、平時における日本大使館に対するデモとしては最大のものであったとメトロ・ニュース紙は伝えている。日本政府は今に至るまで慰安所を設置した事実を認めていないとも書いている。授業を通じて高校生の「憤激に火がついた(sparked an outrage)」というから、教育が内包する危険性がよく分かるエピソードである。

この件について「カナダ社会考」のサンダース宮松敬子は、「日本人移住者、特にワーキングホリデーなどの若い世代は[...]この問題の核心や焦点を正確に説明できる人はそう多くないようだ」と残念そうに感想を述べている。しかし、彼女にも、この騒動の本質に対日ネガティブキャンペーンがある事までは見通せていないようである。この辺は、泉谷明子と同じか。


Rallying for ‘comfort women’

Two weeks ago, Grade 11 student Falan Bennett had never heard of “comfort women,” the cruel label Japanese soldiers used for the 200,000 young Asian girls they turned into sex slaves during the Second World War.

But a gritty history lesson last week at her Brampton high school has sparked an outrage the 16-year-old will take to Ottawa tomorrow on an unusual school trip to witness the largest peace-time protest ever held outside the Japanese embassy; a bid to pressure the Japanese government to apologize for its crimes against these women.

“They were kidnapped right off the street and raped up to 30 times a day and in most cases it ruined their lives,” said Bennett.

Bennett is one of 130 students from Cardinal Ambrozic Catholic Secondary School who will join nearly 200 Toronto teachers, school trustees and social justice advocates — plus 100 more from Ottawa — to present a written request to the embassy. On the same day, some of the frail, remaining “comfort women” will make their 1,000th consecutive weekly appearance since 1992 outside the Japanese embassy in Seoul, South Korea, to demand the same apology from the Japanese government.

“I would like to see them get an apology; it would at least comfort their soul,” said Bennett’s classmate Nana Barimayena, 16, a Grade 11 student who also will go to Ottawa.

The Canadian government urged Japan in 2007 to apologize for the practice. Numerous countries have also made the same request, but to date the Japanese government has not admitted to having ever set up the grisly “comfort station” shacks for Japanese soldiers to use near the front lines.

METRO NEWS 2011.12.12

カナダ議会でのオリビア・チョウの演説(2007)