日本人(主にメディア)がこの問題に関心を失っている間に、海外ではかなり歪んだ日本軍慰安婦像が定着しつつあるという事を訴えたくてブログなどを始めたわけだが、最近は慰安婦写真展が中止に追い込まれたりと過剰反応が見られ、2007年の時と同じようにこれが国際的なイメージダウンに繋がりつつある(海外のメディアにも取り上げられている)。これは慰安婦問題懐疑派のフラストレーションから来てる部分もあるだろう。
そこで、「慰安婦の強制連行」は世界の常識というのは否定のしようがないにしても、ごく一部にしろ、そういった見方に対する疑問の声が外国人の中からも上がって来た、そして変化の兆候もあるのだという事を、この際お知らせしておいた方がいいと思う。
歴史あるジャパン・タイムズが慰安婦騒動を煽る一翼を担ってきたのに対し、無名の外国人たちが作るニュースブログ、ジャパン・プローブは、曇りなき眼でこの問題を論評してきた。偏見に満ちたコメントも寄せられるが、コメント欄の常連がこれをやり込めている。原発報道に関しても、捕鯨問題に対しても、記者や常連の批判の矛先は偏見に満ちた海外メディア(+ジャパン・タイムズ)に向けられることの方が多い。
慰安婦問題に懐疑的な人々は、ジャパン・プローブの常連の言うJapan hater(嫌日厨)相手に感情的になり「どっちもどっち」と思われる代わりに、こういった理解者を増やして行く努力をすべきだろう。最初は記事の本文を紹介する積りだったが、Grayというハンドルネームのコメントが良くまとまっており、ここまで理解しているのかと感心させられたので、こちらを紹介することにした。文の内容から日本在住らしい。
こういった冷静なコメントは5年前にも見られたが、以前見られたものよりも踏み込んでいる。強制連行の誤解がどのように生じたか、吉田清治の詐話や挺身隊との混同、そしてこの騒動を焚きつけたのが実は日本自身の左翼(Japan's own left wing)であったことも彼は承知している。米軍や韓国軍がまったく同じシステム(The exact same comfort system)を利用した事にも触れている。
こうした嘘を「粉砕する事は容易だったにも関わらず」「ここまで大きくなったのは、日本のメディア、学会や政治家の非力さの証」と言う彼の意見には考えさせられる。韓国には北のシンパがいるし、アメリカには911は政府の自作自演と主張する人々がいる。しかし、反体制派の嘘が国際常識になることを阻止できなかった日本政府のケースは、外国人の目から見ても、やはり異常なのだろうか?こういう指摘は、呉善花などアジア系の論者の中からはこれまでにも出ていた(呉善花:「日本の左翼活動家たちが、韓国の反日感情に同調、火に油を注いでさらなる反日を煽っている」)。しかし欧米人(という確証はないが)から、ここまで踏み込んだ分析を聞いた記憶はない。
彼/彼女はC・サラ・ソーの「The Comfort Women」を推薦しているが、ユキ・タナカ(田中利幸)の近著も良い本だと言っている。どの本か分からないが、最近発売された本だとすれば、これ(Beyond Victor's Justice? The Tokyo War Crimes Trial Revisited)の事だろうか?
更に感心するのは、Grayがサラ・ソーやユキ・タナカが賠償派の一員(日本国内のいわゆる強制連行派とつるんでいたわけではないだろうが)としてスタートした為に、未だにそこから脱却し切れず苦しんでいるらしいことも見て取っている。両者の著書を実際に読んだわけではないので、断言は出来ないが、さもありなんという気はする。
Grayも言うように、英語によるアカデミックな仕事が不足しているのが一番大きい。しかし日本政府ももう少し何か出来るはずである。Grayは1~5年以内に慰安婦問題に対する国際常識は大きく変わると見ているが、自分はそこまで楽観的ではない。それでも最終的には真実が勝つのだろう。だから、あまり感情的にこの問題で反発して欲しくない。もともとはJapan's own left wingが焚きつけた問題だと思えば、隣国に対する罵詈雑言も抑えられるだろう。汚い言葉で罵っても日本は決して同情されないし、理解者は増えない。
この問題に対する一般的あるいは学術的情報の不足は、歴史が主要国の圧倒的なパワーによって書き換えられることの完璧なサンプルだ。このケースで真におっかないのは、背後にあって慰安婦運動を突き動かした大部分が日本自身の左翼だったということだ。僕のこのテーマに関する研究はつい最近始まったばかりで、人身売買の分野から入った。この問題を勉強するまで、僕は何年にも渡り「事実」を知っている積りで安倍<引用者注:安倍晋三元首相>や他の否定者たちを敬遠していた。だけど、彼らの主張と文書資料の方が補償派の物より遥かに説得力があることに気づくまで時間はかからなかった。率直に言って、あまたの嘘を粉砕する事は容易だったにも関わらずこの問題が反撃も受けずにここまで大きくなったのは、日本のメディア、学会や政治家の非力さの証だ。
簡単な例をいくつか:
上の記事<引用者注:ニュージャージー州に建られてた慰安婦の碑の撤去騒動に関するニューヨーク・タイムズ紙の記事>では依然として吉見<引用者注:吉見義明>の4から20万人という推定値の上端を数値として使っている。今ではこの推定の最大値はあまりに大きすぎことが明白になり、運動家たちでさえ5万人前後の値を支持している。
これは女性の総数で、慰安婦の多くが朝鮮人であったことを示す文書資料はないにも関わらず、しばしばそのように語られている。そうであった可能性も十分あるが、それを知る由もない。しかし、初期には日本人女性が彼女たちに数で勝ったことを示す文書の証拠があるし、中国のいくつかの場所では日本人女性の方が遥かに普通だった。
日本人と韓国人の研究者はとっくに吉田<引用者注:吉田清治>をソースとして使用することを諦めている。彼が強制連行説<引用者注: forced recruitment/強制動員>の原因だ(つまり性奴隷制度説の元祖)であるが、彼の「回顧録」はデタラメだった。
女性たちの証言は多くの場合自己矛盾しているか、虚偽であることが明白だったり、明らかに想像を超えて誇張されている。何人かの元慰安婦は、ほとんどの女性が売春婦としての自発的な参加者だったと証言した(当然このような証言は運動家たちに取り上げられない)。
「軍」慰安システムは、戦前戦後数十年に渡って日本と朝鮮で広く見られた(合法的な)年季売春(実際には、年季労働が一般的)の慣習と同じだった。決して軍の発明ではなく、日本軍を批判のターゲットにするネタとなるべきものではなかった。軍は、しばしば家族によって売春業に売られた貧しい家庭の女性を確かに搾取はした。しかしながら、これは(今日でも、どこの貧しい国でもよく見られる)深刻な社会問題ではあっても、奴隷制とは全然違う。
このシステムは慰安婦たちにとてもよい給料を払った。どのような難儀が持ち上がったかは、慰安婦たちが置かれた地域の戦時下の状況次第だった。ある者たちは比較的ぜいたくな生活をし、他の者たちは厳しい環境で生活していた。多くの者が勤務中に莫大な額の財産を作った。彼女たちの生活を文章にした最初の女性たちの一人は、殆どの者<?>は戦時中のことの方が甘い思い出で、戦争が終わってからの扱いの方がもっと辛く感じると振り返った。
慰安システムは、しばしば少女や若い女性を工場労働者として使用した女子挺身隊と関連づけられる。いかなる研究者もそれらはまったく関連がないと認識しているにも関わらず、しばしば日本人が若い女性を徴用したという主張に利用されている(実際徴用は行われたが、イギリスの場合と同じく徴用工だった)。
まったく同じシステムがアメリカ兵たちによって戦後の日本で、そしてアメリカと国連や韓国の兵士たちによって韓国で利用された。
歴史記録の歪曲や他の国々の軍用売春について、僕は文字通り数百ページに渡って語ることが出来るが、ジェームズ<引用者注:ジャパン・プローブの執筆者の一人。慰安婦騒動について日本側に同情的な記事を以前にも書いている>のように、この問題の国際的なプレゼンテーションのされように同意しない人々ですら、まるで突っ込みが足りないとだけ言っておこう。この問題がまともに浮上した1991年以来、非常にゆっくりではあるが、現行の議論や関連するデータに関する正しい批評的検証の方向に着実な変化があった。どうやら1から5年以内にこの問題についての<引用者注:国際社会の?>一般的な理解は大きな変化を迎えると思われる。これは日本の歴史修正主義の所為ではなく、大部分が神話に過ぎない事柄について日本に謝罪を要求する韓国と中国のデマゴーグにより正しい和解が邪魔されることを防ぐ意味で、起こるべくして起こる変化なのだ。
この問題についてニュースから知り得た範囲でしか知らない人はいろいろ言いたいだろうが、残念ながらもう少し洗練された学術的研究がこの問題に関してなされるまでは、相当な時間を入手可能な文書資料の読み込みに費やさない限り、学術的見解は述べられない(学術的でない知的なコメントも不可能という意味ではない。まだ十分<引用者注:英語で?>文書化されていない高度に関連性のある情報があまりにも存在するという意味)。僕は日本でかなりの数の自称、この問題のエキスパート、に会ったが、彼らの知識は慰安<婦>賠償運動の提供する知識の枠に嵌っていたり、あまりにも頑なで賠償運動に沿った方向でしか議論が出来ない人達だった。現時点では、2009年発売のサラ・ソーのThe Comfort Womenがこの問題について書かれた一番いい本だが(ユキ・タナカの一番新しい本もいい)、両者とも確固な賠償派の一員としてこの問題について書き始めたことを未だに重く引きずり、この問題を歴史と政治の文脈の中で語るという必須のことが出来ずに苦しんでいる。
Japan Probe コメント欄(投稿者:Gray)
The lack of either general or academic knowledge on this subject is a perfect example of the frightening power of history to be rewritten by conquering nations. The truly thing is that in this case the impetus behind the comfort women movement was largely Japan's own left wing. My own study of the topic began only recently and came from the field of human trafficking, before studying the issue I had known the 'facts' for years and loathed Abe and the other deniers.It didn't take long to realise though that their arguements and documentary evidence were far stronger than those of the comfort redress movement. It is frankly a testatment to the weakness of Japan's media, academia and politicians that the issue was allowed to grow so large without and counter-attack, something which should have easily shredded the numerous faselhoods that have arisen.
A few short examples:
The above article continues to use the upper end of Yoshimi's 40-200,000 estimate for figures. Since then it has become quite clear the upper estimate was highly unlikley and even activists support a figure around the 50,000 mark.
This figure is for all women and there is no documentary evidence to suggest the majority of women were Korean and yet this is the way it is constantly portrayed. They may well have been, we have no way of knowing, but there is documentary evidence that shows in the early stages Japanese women outnumbered them and in parts of China Japanese women were also far more common.
Japanese and Korean academics have long given up use of Yoshida as a source. He was the origin of claims of forced recruitment (and thus the original cliam of sexual slavery) but his 'memoirs' were falsified.
The testimony of the women is in many case either self-contradictory, demonstrably false or clearly exaggerated beyond belief. Some former women have testified that most of the women were willing participants in prostitution (clearly such testimonies were not highlighted by activists)
The 'military' comfort system was identical in practice to the (legal) system of indentured prostitution (in fact, labor in general) that was widespread in Japan and Korea for decades before and after the war. It was by no means a military innovation and should never have become a tool for targeting the Japanese military. It did exploit women from poor families who were often sold into the work by relatives, however, while this is a serious social problem (and one still very common today in any nations with erious poverty) it in no way equates to slavery.
The system paid its workers very well. What suffering occured was dependent upon the wartime conditions at which workers were located. Some lived in relative luxury, others in harsh conditions. Many made huge amounts of money during their service. One of the first women who wrote about their lives found that most remebered their war years fondly and felt bitter more for how they were treated after the war.
The comfort system is frequently linked to the Teishintai women's volunteer corps, which used girls and young women as factory workers. Academics of any merit recognise they have no connection at all but it is often used as a claim that the Japanese rounded up young women (they did - for conscripted labor, something England also did).
The exact same comfort system was used after the war by US troops in Japan and US, UN and Korean troops in Korea.
I could literally go on for several hundred pages on the extent of the distortion of the historical record and the extent of militarized prostitution by other countries but this is . Suffice to say that even people like James, who disagree with how the issue is presented internationally, go nowhere near far enough. since the issue really arose in 1991 there has been a very slow but steady shift towards proper critical examination of the actual arguments and data involved and its likely that within the next 1-5 years there will be a major shift in public understanding of the issue. This is something that needs to happen not because of Japanese revisionism but to prevent Korean and Chinese demagogues from preventing proper reconcilliation by demanding Japan apologise for something that is largely a myth.
I'm sure that people who know about the issue just from what they've picked up on the news will have plenty to say but the unfortunate truth is that until some more polished academic work is done on the subject you would need to invest considerable time reading up on the available documentation before you can give an educated opinion (this does not prevent intelligent uneducated views, it just means there is too much information that is highly relevant that has not been adequately documented). I've met quite a number of self-professed experts on the subject here in Japan whose knowledge is limited entirely to what the comfort redress movement has presented and who are so entrenched that they are incapable of discussing anything outside of this. At present the best book in the subject is Sarah Soh's 2009 'The Comfort Women' (Yuki Tanaki's most recent book is also good) but they are both still too heavily influenced by having started their writing on the issue firmly in the the redress camp and have difficulty taking the broader view neccesary to place it in historical and political context.