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2013/02/23

野田政権は、韓国と合意寸前だった


以前にも書いたことだが、来日した挺対協の幹部がこの件について話していた。慰安婦問題の解決に乗り気になっていた野田首相の意向を受け、ソウルの日本大使館から挺対協の事務所に足しげく日本の役人が通って来たと。しかし、日本側がアジア女性基金方式を考えているというので、顔を洗って出直して来いとばかりに追い返したとか。もちろんこれは挺対協側の説明だが、大筋ではその通りだったのではないか。

KBSによれば、「心から謝罪」することで日韓両政府が合意していたというのだが、まさか日本政府はこれまでの歴代総理による謝罪が嘘っぱちだったとは見なしていないだろうから、改めて謝罪する事で合意したといった所が実際ではないか。しかし、挺対協の説明とは異なり、国家賠償でも合意に達していたというのがKBS(前大統領府対外戦略企画官)の説明である。挺対協の説明とは一致しないが(その後、日本側が翻意した可能性はある)、東郷和彦前オランダ大使なども国家賠償を提案していたので、野田政権がその気になっていた可能性はある。

それが頓挫したので、頭に来てイ・ミョンバク大統領が竹島に上陸したのか?(「李大統領の竹島訪問の背景には、従軍慰安婦問題などで進展が見られず、野田政権への不満が強まっていることがあると・・・」日テレNEWS24 2012.8.11)

韓日 一時は慰安婦問題で“合意寸前”

元日本軍従軍慰安婦問題について、韓国と日本は2011年12月に行われた首脳会談を機に対話を重ね、合意寸前までこぎつけていたことがわかりました。
これは、朝日新聞が22日、「李明博外交の5年」と題した記事の中で、金泰孝(キム・テヒョ)前大統領府対外戦略企画官とのインタビューを引用する形で伝えたものです。

そのなかで、金泰孝氏は、「おととし12月、李明博(イ・ミョンバク)大統領と当時の野田佳彦首相が京都で会談し、元日本軍従軍慰安婦問題について議論して以降、韓日両国が対話を重ね、合意寸前まで行っていた。うまくいけば慰安婦問題の合意は、夏には発表でき、関係は改善したはずだ」と述べました。

当時、交渉の内容は、日本の首相が元慰安婦の女性たちに心から謝罪し、国が償いもするということが核心で、金泰孝氏と日本政府官邸の高官との間の特別なチャンネルでは、ほとんどの部分で妥結する手前だったということです。

結局合意できなかった理由について、金泰孝氏は、韓日の外交当局がそれぞれの立場を反映させようとしたことや初の韓日防衛協力となるはずだった韓日情報保護協定が韓国の世論の反発によって署名式直前で見送られ、慰安婦問題が宙に浮いた形になったためと説明しています。

KBS WORLD 2013.2.22

「心からの謝罪」+「国家賠償」で合意していたにも関わらず、「韓日の外交当局がそれぞれの立場を反映させようとした」ので頓挫したというが、日韓の外交当局が譲らなかったそれぞれの立場とは何だろう。日本政府(国家)による強制動員を認める認めないといった所か?