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清子の長屋を出て二、三軒まわり、本通りで佐々木刑事たちと出会い、いっしょに昼食に労報へ帰った。昨日からの募集人員を集計すると、今日労報に出頭してきた者を加えて八十人を超えていた。午後の募集には林と松井をいっしょに行かせて、私は身体検査と検診の打ち合わせに西川医院へ行った。
西川医院は労務報国会近くの岬之町にあって、内科・泌尿器科だった。西川先生は私を奥の応接間へ案内して、酒とビールの礼を言った。
「今どきたいへんな貴重品をいただいて恐縮でした。薬用アルコールの代用品ではあじけないですよ。おかげさまで昨夜は酒にしようかビールにしようかと迷いましてね。久しぶりに陶然としました」
「先生はどちらがお好きかわからなかったので両方を運ばせました」
「両方とも大好物ですよ。ところで慰安婦は集まりましたか。いくら朝鮮人でも百人も慰安婦を集めるのはたいへんだったでしょう」
「八十人ばかり集めました。今日じゅうには百人そろえる予定です。ただ料理屋で働いていた女が半分おりますので、病気をもっていなければいいんですが」
「朝鮮人の料理屋の女はみんな淋病や梅毒にかかっていますが、そんなにひどくなければいいんじゃないですか。一時しのぎに注射をしときましょう。戦地では兵隊にサックを持たせてありますからね。使わんやつが悪いんですよ。無きずの朝鮮人の女を百人も集めるのは、労務報国会でもむずかしいでしょうが」
「労報としては診断書さえつけて送ればすみますが」
「いいですとも。診断書なんかいくらでも書きますよ。私も北支事変のときは野戦病院の軍医をやりましたが、どこの部隊でも軍医が慰安所の女の検診なんかやるひまはないですよ」
「実は朝鮮人の女たちには慰安所行きとは言ってないんです。事実を言うと逃亡する者が出たりして取締まりがたいへんですから、対馬の陸軍病院の雑役婦ということにしてあります。それで料理屋で働いていた女は、検診を受けたりすると、慰安所行きだと気づかんでしょうか」
「職員のひとが持ってこられた動員命令書の写しには、妊婦を除くと書いてありましたね。妊娠しているかどうかを診察すると言っておいてください。診断書で朝鮮語でぎゃあぎゃあ騒がれたらかなわんですよ」
七日の朝出勤すると、労務報国会の前の歩道にはもう朝鮮人の女たちが五十人ばかり集まっていた。みんな意外にこざっぱりした身なりをしていた。労務報国会は電車通りで、市外電車の窓から日本人がめずらしそうに見て行った。朝鮮人の多い下関でも若い女がこれだけ集まると目立った。[...]朝礼をすますとすぐ動員係の今日の業務の分担をきめた。松井と山田には西川医院へ行って女たちの整理と診断書に氏名を記入させることにして、林には労報の前で女たちを点呼して、名簿順に二十名ずつ西川医院へつれて行くように指示した。
佐々木刑事が部長室で「朝鮮人女子挺身隊名簿」を調べていた。名簿は女子職員に数部複写させて、私の机の上にも一部置いてあった。通し番号は百十一となっていて十一名余分に募集していた。
「まるで一斉検挙ですね。大坪の女の大掃除になります。刑事室の連中も喜ぶでしょう」
「しろうとの女は何名くらいいますか」
「酌婦あがりが四十四名、逮捕歴のあるのが五十七名で合計百一名ですね。しろうとは産婆の朝島が指名した八名のほかに二名だけです」
「一名は食糧配給所の女中ですね。もう一名はどんな女ですか」
「年は十六歳です。住所と姓が酌婦と同じですから、たぶん妹ですよ」
「西川先生にたのんで、からだの弱いのから十一名を除きましょう」
「花柳病のがいますよ」
「西川先生が、あまりひどくなければ診断書を書くと言っていました。あの先生ならたいていは見のがすでしょう」
つづく