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2013/06/14

「被害者」の証言は鵜呑みに出来るか?

いい思い出しか語らない者もいれば、辛い思い出ばかり語る人もいる

「被害者」の証言は、どこまで信用出来るものなのだろうか?いつも思い出すのは、千葉ロッテにいた金泰均。国に帰った後「本塁打を打っても(外国人だから)ハイタッチもしてもらえなかった」と日本での野球生活を振り返るのだが、映像がしっかり残っているわけで↓ 



人は自分の思い出を操作する。時に意識して、時に無意識に。これは野球選手でも慰安婦でも変わらないはずだ。昔ご隠居さんの所で知った話。

追記: 記事を差し替えた。この記事によると、キムは、”コーチが”ハイタッチを求めて来なかったとも言っている。コーチ連としっくりいっていなかったという事は、あったのかもしれない。

野球:金泰均、千葉時代の苦悩語る

[...]23日、大田市内のカフェで会った金泰均は、日本での挑戦を投げ出したことについて「全く後悔はありません。今は本当に幸せ」と言った。記者が「まだ納得できないファンが多い」と言うと、金泰均は重い口を開いた。

「地震は日本を離れることになった理由のごく一部です。僕はただ、ずっと好きだった野球が嫌になりそうで、それが怖かった。こう言うと、またいろいろ言う人がいるでしょうが、入団契約後、初めて日本の空港に着いた瞬間から息が詰まりました」

「僕は自由に楽しむタイプ。僕とは全く違う日本の野球のムードに慣れるのは難しかったんです」。金泰均は日本での1年目に4番打者で打率2割6分8厘、21本塁打、92打点を上げた。1年目としては無難な成績だ。前年リーグ5位だった千葉ロッテは、その年の日本シリーズで優勝も果たした。しかし、金泰均は優勝の感激を全く感じなかったそうだ。

「(チームで)誰も僕に『よくやった』『苦労したな』と肩をたたいてくれる人がいませんでした。傭兵はチームの成績に関係なく、とにかく自分の成績で結果を出さなければなりません」

このころからストレスが雪だるま式に増え始めた。「野球をしていて、いつも『チームの成績は個人よりも優先』と考えてきましたが、それを一瞬にして変えるのは簡単ではありませんでした」。打席でも楽しさを感じなかった。日本の選手がホームランを打つとコーチたちがハイタッチを求めてくるが、自分が打つと「傭兵だから当然」とでもいうように手も出さなかったという。

「僕はとても気が小さく敏感な性格なので、小さな音が聞こえても眠れません。小さなことが積もり積もって、僕のすべてをささげた野球がだんだん嫌になりました」[...]