イ・オクソンと抱き合うドノバン郡長
李は信用できる証言者なのだろうか?
慰安婦の証言が紹介される度に「嘘」だと脊髄反射するネット上の風潮も残念だが、確かに元慰安婦の中には問題のある人もいるし、支援者が「証言」をコントロールしている気配もある。例えば、最近では日本で慰安婦が証言する場合、荒唐無稽な話はしない。初期にはあったらしいが、日本ではいろいろと突っ込みが入るので無難な発言に終始しているようである。あるいは証言者自体も支援団体によって選別されているのかもしれない。ところが、欧米で証言する場合、日本では聞けないような話がしばしば現れる。
イ・オクソンが日本の軍(人)によって拉致されたという話を(アメリカで)語ったのは初めてではない。ただ、二年前の中央日報の記事では、アメリカでの発言とは断定し難かった(前後の文章からその可能性は高いと思われるが)。今回は、確実だろう。朝鮮日報によれば、彼女は「近所を歩いていたら日本軍に無理やり連行された」などとアメリカで話している。また、憲兵が二度と逃げられないようにしてやると言って軍刀を腕や足に打ち下ろしたとも語っている。スパイならいざしらず、なぜ憲兵が慰安婦を拷問するのか?日本では到底通用しない話でも、アメリカでは十分通用する。イ・オクソンの話を聞いてバーゲン郡のドノバン郡長は、涙を流し彼女の肩を抱いたという。
ドノバンにはスミア(中傷)キャンペーンに加担しているという自覚はないだろう
運動家たちは欧米と日本とで証言を(そして時として証言者も?)使い分けている。「欧米では女性の尊厳の問題と捉えられている」「関与があった事は否定できない」などと言っている日本人は、もう少し引いた視点でこの騒動を眺めた方がいい。イ・オクソンは、元々韓国でもこんな話はしていなかったのである(「従軍慰安婦問題を考える/慰安婦証言/李玉善」を参照)。
慰安婦:「慰安所はと殺場のようだった」
李玉善さんが訪米、慰安婦としての体験語る
「15歳のとき、近所を歩いていたら日本軍に無理やり連行された。それから3年間いた場所は、人が住む所ではなく『と殺場』だった」
米国ニュージャージー州バーゲン郡庁舎の会議室で15日午前(現地時間)、元慰安婦の李玉善(イ・オクソン)さん(86)が70年ほど前のつらい経験を打ち明けた。李さんは「筆舌に尽くし難い苦痛を被った。家族と連絡を取ることができず、毎日強制的に日本軍人の相手をさせられた。自殺さえできなかった」と振り返った。
慰安所から逃げ出して捕まり、連れ戻されたこともあったという。日本軍の憲兵は「二度と逃げられないようにしてやる」と言って軍刀を李さんの腕や足に打ち下ろした。李さんが袖をまくると、右腕に4-5センチの刀痕が2本くっきりと現れた。
証言を聞いていたキャサリン・ドノバン郡長たちの目に涙がにじんだ。ドノバン郡長は証言を終えた李さんに花束を手渡し、肩を抱いた。
李さんは在米韓国人の利益団体「市民参与センター」の招きで訪米。この日、ドノバン郡長の案内で、バーゲン郡の裁判所前に建立された慰安婦犠牲者を追悼する「慰安婦の碑」を訪れた。李さんは花を供えた後、しばらく無言で碑石を見詰めていた。碑石の銅板には英語で「第2次世界大戦の際、日本帝国主義の軍隊により性的奴隷にさせられた韓国と中国、台湾、フィリピン、オランダ、インドネシア出身の数十万人の女性と少女たちを追悼する」と記されている。
この慰安婦の碑は昨年10月に来韓したドノバン郡長が元慰安婦たちと面会し、建立を約束したもので、今年3月に設置された。同裁判所の前には米国の奴隷制度の犠牲になった黒人、ナチスに虐殺されたユダヤ人、英国の収奪に苦しめられたアイルランド人など全世界の人権被害者を悼む碑石が置かれている。
ドノバン郡長は庁舎で李さんを迎え入れながら「韓国での約束を守れてうれしい。李さんを案内できて光栄だ」と語った。李さんは「日本からの謝罪がないことがずっと無念だったが、米国でこんな風に私たちを記憶してくれて感謝する。恨みがずいぶん晴れた」と答えた。李さんは同日午後、ニュージャージー州パリセイズパーク市にある米国で最初に設置された慰安婦の碑も訪問した。
朝鮮日報日本語版 2013.7.17