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2013/12/02

1992年慰安婦問題のビッグバン (秦郁彦)


慰安婦「騒動」を知るに当たっては、吉見義明の「従軍慰安婦」と秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」の二冊は読んでおきたい。さほど複雑な問題ではないので、この二冊に目を通しておけば大体の状況は分かるはずである。

ただ、最近は海外の日本人もこの問題に関心を持ち始めているようで、拙ブログにも海外在住者がコメントを下さる。アマゾンで割と簡単に注文できるとはいえ、海外で暮らす人が日本の書籍に目を通す機会は少ないはず。というわけで、非営利の個人ブログという立場に甘えここで中身を一部紹介しようと思う。(著作権についての自分の考えは、「ご挨拶とお断り」に)

※ 強調体は引用者

慰安婦と戦場の性

朝日新聞の奇襲

一九九二年一月十一日、朝日新聞の朝刊を手にとった人は、第一面トップに躍る慰安婦のキャンペーン記事に目を見はったことであろう。今にして思えば、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻きこむ一大狂騒曲の発火点となるものだった。第一面ばかりでなく社会面まで潰したこの大報道を紹介すると長くなるので、とりあえずは主な見出しだけを次に羅列しておこう。

「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」
「部隊に設置指示 募集含め統制・監督参謀長名で、次官印も」「〈民間任せ〉政府見解揺らぐ」
「〈謝罪を〉〈補償を〉の声さらに」
「募集など派遣軍において統制、すみやかに性的慰安の設備を」

さらに防衛庁資料を「発見」した吉見義明中央大教授の「軍関与は明白 謝罪と補償を」の談話、「不十分な調査示す」との女性史研究家鈴木裕子さん、「軍の関与は明らか」とする元日本軍慰安係長山田清吉少尉のコメント、「多くは朝鮮人女性」と見出しをつけた「従軍慰安婦」の解説コラムもつく構成になっている。

しかし「見出し」だけでは、なぜこんな大報道になったのか理解しかねる人もあると思うので、朝日新聞の意図を一面のリードから引用する。

日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが十日、明らかになった。

朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年十二月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。

このリード文を読めば、キャンペーン報道の意図が首相訪韓のタイミングに合わせて、それまで「国の関与」を否定していた日本政府に「偽証」の証拠をつきつける劇的な演出だったらしいことが読みとれる。

一月十一日といえば、訪韓の五日前にあたる。今さら予定の変更もできず、かといって予想される韓国側の猛反発への対応策を立てる余裕もない。私はタイミングの良さと、「関与」という曖昧な概念を持ち出して、争点に絞った朝日新聞の手法に、「やるもんだなあ」と感嘆した。

防研図書館の「陸支密大日記」は三十年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実だった。慰安所を利用した軍人の手記や映画やテレビドラマのたぐいも数多く、この種の見聞者をふくめれば、軍が関与していないと思う人の方が珍らしかっただろう。それをやや舌足らずの国会答弁(後述)に結びつけて、「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけたのは、トリックとしか言いようがない

吉見自身も、「発見」の経緯を雑誌『世界』の一九九二年三月号に「(以前から知っていたが)改めて昨年末と今年初めの二日間、同図書館に行って慰安所関係の資料を中心に捜し」と書いている。

私はこの頃、他のテーマで防研図書館へ通っていて、旧知の吉見氏から「発見」と「近く新聞に出る」話も聞いていたが、ニュースになるほどの材料かなあと疑問を持った記憶がある。その後、一向に新聞に出ないので、どうしたのかなど思っていたところへ一月十一日、くだんの大報道となったわけだ。

そして、このキャンペーン記事は、狙いどおりの大反響を呼ぶ。他の新聞も一日おくれで追随するが、同じ目の朝日夕刊には早くも「十一日朝から、韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され……李相玉外相は十一日、韓国記者らに対し、『韓日首脳会談では元従軍慰安婦問題に関する日本側の適切な立場表明があると考えている(後略)』と語った」むねのソウル支局電を掲載する手まわしの良さを見せた。

つづいて翌十二日の朝刊は、「歴史から目をそむけまい」と題した社説で「十六日からの宮沢首相の訪韓では・・・前向きの姿勢を望みたい」と追い打ちをかけた。

慰安婦問題における朝日の独走態勢は、その後もつづくが、追随した各新聞のなかで、朝日を上まわる過激さを見せたのは英字新聞のジャパン・タイムズであった

たとえば一月十一日の夜、全国放送のテレビ番組に出演した渡辺美智雄外相は「五十年以上前の話で、はっきりした証拠はないが、何らかの関与があったということは認めざるを得ないと思う」十二日付朝日)と語った。

ところがジャパン・タイムズ紙は、この外相発言を紹介したのち「この発言は、政府の責任者が日本軍によって第二次大戦中に何十万人(hundreds of thousands)ものアジア人〈慰安婦〉に対する強制売春forced prostitution)に加担したことを、初めて認めたもの」午三日付、傍線は秦)と悪質な解説文を付け加えた。

外相が言及せず朝日さえ認めていない「何十万人」とか「強制売春」を、さりげなく足しかわけだが、その後は各種のメディアが競合する形で、この方向へ報道と論調をエスカレートさせていく。

一方、後手にまわって失点を重ねる政府の不手際も、やはりこの時から始まった。不意打ちを食った形であわてふためく当時の政府幹部には、戦場体験者がほとんどいなかった。日米開戦の年に大学を卒業して大蔵省に就職した宮沢喜一首相も、この世代には珍らしく従軍体験がなかった。慰安婦や慰安所についての基本感覚が欠けていたので、反論はおろか、見当もつかぬまま日韓呼応しての奇襲攻勢に屈してしまったと言えそうだ。

宮沢首相は早々と十四日の記者会見で「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、十六日に「抗議のデモ相次ぐ」(十六日付毎日新聞)ソウルへ向っだが、滞在中も、天皇の人形が焼かれたり、名のり出た元慰安婦が坐りこむなど、反日デモが荒れ狂った。

挺身隊と慰安婦をとりちがえて「小学生まで慰安婦に」と報道する新聞の熱気に押されたか、韓国教育省が全国二千の小学校に学籍簿の調査を指示する険悪な空気のなかで、宮沢首相は日韓首脳会談や韓国国会での演説で「謝罪」をくり返し、「真相究明」を約束して帰国する。

毎日新聞ソウル支局の下川特派員は、のちに現場の空気を回想して、次のようにレポートした。

宮沢前首相が青瓦台(大統領官邸)の記者会見場で、卑屈な表情を浮かべている姿が記憶に生々しい・・・一時間二十五分の首脳会談で、宮沢首相は八回も謝罪と反省を繰り返した・・・。韓国の大統領首席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない



(1)朝日新聞の辰濃哲郎記者が、吉見から情報を入手したのは十二月二十四日頃なので、発表まで二週間以上も寝かされていたものと推定される。

(2)ジャパンータイムズの偏向姿勢は、外国新聞の東京支局を通じて流れ、この問題の海外における初期イメージを定着させたようである(『諸君!・』一九九二年八月号の佐瀬昌盛稿参照)。

(3)(九四一年十二月に卒業し、翌年一月に大蔵省へ採用された高文官僚は二十七人だが、多くは軍務につき、戦時中を大蔵省勤務で終始した人は宮沢をふくめ五人しかいない。

(4)毎日新聞の下川正晴による「記者の目--日韓関係」(一九九三年九月九日付)