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2014/07/24

強制連行という言葉で被害者性を特権化してはいけない (鄭大均)


強制連行という言葉が日本人には用いられないのは何故か?
(徴兵される日本人)

強制連行という言葉で世間を振り回す日本人左派と、強制連行という言葉に振り回される日本人右派。どちらも問題なのだが、慰安婦問題(騒動)を解決したいなら、強制連行があった無かったという論争から距離を置いた方がいいだろう。その為にも、強制連行という言葉について注意深くありたい。鄭大均が言うように、現在の強制連行(アリ)論者は「名前を偽り正しい名前を混乱させたり、事実を偽り正しい名前を混乱させたり、名前を偽り事実を混乱させて」いる。

もう一度確認しておこう。鄭大均が言う通り、「今日『強制連行』と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への『労務動員』を指して使われるのが一般的」だったはずだ。インドネシアではあったが朝鮮半島では慰安婦の強制連行は無かった、などと言っている論客も、どういう積もりであんな事を言っているのだろう?

朝鮮人であれ、日本人であれ、当時の日本帝国の臣民はすべて、お国のために奉仕することが期待されていたのであり・・・したがって強制連行などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本国の加害者性を強調する態度はミスリーディングといわなければならない」と鄭は言う。

「強制連行」という言葉

・・・「強制連行」という言葉は、だれかがある事象やリアリティを形容するのに使いはじめた名称と考えられるが、名前とそれが指し示す事象やリアリティとの間にはズレがあり、またこの名称には、日本国の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しようとする意図があったにもかかわらず、その誇張された名前が、逆に私たちの事象やリアリティに対する眺めを規定してしまっているという状況も見てとれる。[...]

荀子(紀元前二五〇年頃)は、一連の名実論に三つの誤りを指摘して次のようにいう。「邪説・僻言には三つの型かある・・・名前を偽って正しい名前を混乱させるもの・・・事実を偽って正しい名前を混乱させるもの・・・名前を偽って事実を混乱させるもの」(「正名篇」)。[...]萄子の時代同様、私たちの時代にも人々は邪説、僻言、珍説、怪説に惑わされているのであり、「強制連行」という言葉で私たちが経験している今日の状況も、そんなことのくり返しのように思われるのである。

ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私か共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。

今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への労務動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎていると思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にはいなかったのだということを想起されたい。

戦争が長期化すると徴兵が拡大し、そうすると労働力不足が生じる。それを補うために労働力の統制や動員が強化され、その過程で朝鮮半島出身の朝鮮人のなかに、炭鉱や建設現場といった劣悪な労働現場に送り込まれ、重労働を強いられ、多くの精神的苦痛が与えられ、食事、賃金などで民族差別的待遇を受け、また暴力的労務監督のもとで強制労働に従事することを強いられた者が少なくなかったというのは事実であろう。加えていえば、一九三八年二月からは、徴兵制の対象外であった朝鮮人にも志願兵制度がはじまり、四四年からは日本人同様徴兵制が施行され、また軍属として前線に赴いた者も少なくない。

だが、エスニック日本人の男たちは戦場に送られていたのであり、朝鮮人の労務動員とはそれを代替するものであった。兵士として戦場に送られることに比べて、炭鉱や建設現場に送り込まれ、重労働を強いられることが、より「不条理」であるとか「不幸」であると、私たちはいうことができるのだろうか。日本人の場合だって、一九三八年に成立した国家総動員法により、十五歳から四十五歳までの男子と十六歳から二十五歳までの女子は徴用の対象となったのであり、それは強制的なものであった。「赤紙召集」(徴兵)であれ、「白紙召集」(徴用)であれ、それは強制力を伴うものであり、応じない場合には、兵役法違反や国家総動員法違反として処罰され、「非国民」としての社会的制裁を受けたのである。

いいかえると、朝鮮人であれ、日本人であれ、当時の日本帝国の臣民はすべて、お国のために奉仕することが期待されていたのであり、多くの者は、それに従属的に参加していた。つまり「不条理」は、エスニック朝鮮人のみならず、この時代の日本国民に課せられた運命共同性のようなものであり、したがって「強制連行」などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本国の加害者性を強調する態度はミスリーディングといわなければならない。

鄭大均著 在日・強制連行の神話 P.59-62