弱者たちの英雄、韓国人の友 エバンズ前米下院議員
彼の名前の前には「韓国人の友」という呼称が常につきまとった。
レイン・エバンズ前米連邦下院議員(55)。エバンズ氏は、米議会で日本軍慰安婦強制動員問題を浮き彫りにした主役であり、米国屈指の「人権政治家」だった。
パーキンソン氏病で昨年末に引退するまで、24年間にわたって下院議員として働き、専ら韓国系米国人のような少数民族や弱者の人権のために献身した。病魔と闘う中でも助けを求める周囲の人々を助けようと、苦痛と困難を経験してきた。
エバンズ氏は、従軍慰安婦問題の活動家であるワシントンの従軍慰安婦対策委員会のソ・オクジャ会長と長年にわたって友情を深め、結婚まで約束したという。
▲引退後の寂しい生活〓13日、米議会筋によると、エバンズ氏はイリノイ州モーリン市療養者村の2部屋のタウンホームで暮らしている。弟が同居人になっているが、実際に世話をするのは、週に訪問する看病人しかいない哀れな状況だ。
氏は、24年間、当選12回の議員だったが、クリーンだったため築いた財産も多くない。それでいながらも、周囲から助けを求められると、手に余っても断ることができない「惜しみなく与える木」だった。
特に、3人兄弟の2番目の氏には、長年経済的に頼っている弟家族がいる。昨年初めに健康が極度に悪化し、3月に再出馬しないことを宣言した後、弟がエバンズ氏の法的代理人として登録したが、裁判所は6月、首席補佐官のデニス・キング氏に法的代理人を変え、財産は銀行が管理するよう決定した。
▲病と切ない愛〓エバンズ氏は海兵隊出身だ。ジョージタウン大学法科大学院を卒業し、児童や貧民のための人権派弁護士として活動していた31歳の1982年、伝統的な共和党支持地域であるイリノイ州第17選挙区で、民主党所属下院議員として当選した。
数日間夜を徹して働いてもビクともしないほど心身ともに健康な政治家だった氏に、95年頃、パーキンソン病の苦痛が訪れた。
昨年1月には、韓国国会の招請で来韓した際、救急病院に運ばれるほど病気が悪化していた。ワシントンの軍病院に3週間入院して退院したエバンズ氏は、ワシントン近郊のメリーランド州のソ・オクジャ会長の自宅で6週間過ごした。ソ会長とは00年、従軍慰安婦対策委員会定期総会の招請講演者として初めて会い、友情を深めてきた仲だ。
1987年に米国に渡って社会心理学博士の学位を取得したソ会長は、メリーランド州のワシントンバイブルカレッジで社会心理学教授として在職中だ。
病院にいる時は食事もできないほど悪化していた病状が、ソ会長の真心のこもった看護もあって好転した。階段を一人で上れるほどになると、エバンズ氏はまたイリノイ州に戻った。
昨年夏、夜0時が過ぎた時間に電話をかけてきて、「とてもつらい」と訴えたと、ソ会長は伝えた。数日後、イリノイ州に行ってみると、氏は屋根裏部屋のカーペットの上で過ごしていた。
つらく孤独だが、それでも外に出れば、エバンズ氏は依然として英雄だった。病気の体を起こして行事会場に顔を出すたびに、地域区民たちは彼の手を握って「私たちはあなたを愛しています」と引退を残念がった。
寂しい闘病生活に疲れたためか。独身主義者だったエバンズ氏は昨年5月、独身のソ会長にプロポーズした。予想もしていなかったプロポーズに、ソ会長は時間がほしいと言った。二人は互いを本当に信頼し尊敬していたが、キスもしたことのない仲だとソ会長は言った。強いて二人の関係に名をつけるなら、精神的な愛や同志愛に近い。
その後数ヵ月間、エバンズ氏の闘病生活を見守ったソ会長は、「そばで世話をする人がいなければならない」と考え、10月にプロポーズを受け入れた。しかし、エバンズ前議員の弟と法的代理人のキング前補佐官が強く反対した。ソ会長も「世俗的な誤解」を買ってまで結婚する考えはなかった。孤独でつらい彼の闘病生活を不憫に思っただけだった。
昨年末、議会が閉会した後、エバンズ氏と外部者の連絡は難しくなった。韓国政府が修交勲章光化章を授与しようとしたが、法的代理人が連絡を取り持たず、勲章を渡す方法すらなかった。
彼のために韓国の気治療の専門家3人が昨年11月、自費で米国に向かったが、そのまま引き返さなければならなかった。東亜(トンア)日報記者も、キング前補佐官と数回接触を試みたが、返事がなかった。
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