「日本は人権尊重しているか」 中国外務省、慰安婦問題提起
中国外務省の華春瑩報道局長は25日の記者会見で、日本政府が新疆ウイグル自治区の人権侵害に「深刻な懸念」を表明したことについて、「日本は慰安婦問題という人道上の犯罪で言葉を濁している。彼らは人権を尊重していると言えるのか」と反発した。
その上で「デマに基づいた中国に対する中傷をやめるよう望む」と強調した。
華氏は「日本の侵略戦争で3500万人を超える中国人が死傷し、南京大虐殺で30万人以上が犠牲になった」と中国側の主張を改めて展開。靖国神社にA級戦犯がまつられていることも問題視し、「歴史を直視し深く反省し、言葉を慎むように望む」と語った。
時事2021.3.25
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2021/03/25
中国、ウイグル問題牽制に慰安婦問題を悪用す
「言葉を慎むように望む」
2021/03/13
パク・ユハ教授「契約書はあったが、偽造も多かった」
そうです。偽造も多く、戸籍等での偽りが多かったからです。そもそも存在さえ知らなかった人たちもいます。 https://t.co/PxEOvoQlrj
— 朴裕河 (@parkyuha) March 13, 2021
そうでしょうね。ラムザイヤー教授の主張は、基本的に慰安婦は自らの意思で契約して仕事をしていたが、例外もある・・・というものだと思うが、テーマがテーマだけに、これは少々雑な物言いだったのではないか。
なお、(基本的に)契約書を交わしていたというのは、恐らく正しいのだろう。いわゆる「証文」という奴ですね。もちろん、昭和の時代だから、実際には証文とは言わなかったろうが。
欧米人には信じがたいことでも、日本人ならすぐ分かる。
慰安婦が契約書を、と聞くと欧米人は驚くようだが、高卒程度の学歴がある日本人なら「そりゃ、身売りなら証文はあったろう。なくてどうする?」と考えるだろう。基本的な事が分かってないんだから、引っ込んでろよと。 pic.twitter.com/9VzRn509uc
— Hazama Hisatake (@Hazama_Hisatake) March 5, 2021
2021/03/08
フィラデルフィア市議会 ラムザイヤー教授批判決議採択
米フィラデルフィア、ハーバード大教授の慰安婦論文を糾弾 日本軍慰安婦被害者を「自発的な売春婦だ」と歪曲する論文を書き批判されたハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授が、日本政府との関係を事実上認める中、彼の歴史歪曲を糾弾する決議案が米国フィラデルフィアで採択された。
学界だけでなく社会的に議論が広がる状況で、米国で六番目に大きな大都市であるフィラデルフィアが論文に反駁したという点で意味があるという評価が出ている。該当論文の撤回と教授の謝罪などを求める上で影響があるとみられる。
5日(現地時間)、フィラデルフィア市議会によると、先月25日に発議されたラムザイヤー教授の論文に反駁する決議案が可決された。この決議案は、アジア系初のフィラデルフィア市会議員に当選した韓国系のデビッド・O・議員が主導し発議した。
今回の決議案で、フィラデルフィア市議会は「ラムザイヤー教授の論文『太平洋戦争の性契約』に反論する」とし「歴史的合意と性奴隷を強要された数千人の女性の証言を覆す非常に不正確で侮辱的な話だ」と批判した。
決議案は、日本軍慰安婦を悪質な人身売買と規定し、「第二次世界大戦で日本帝国軍によって占領された韓国・中国・フィリピン・台湾などには性的搾取を受けた多くの女性たちがいる」とした。
また「ラムザイヤーの論文は彼女たちの甚大な苦痛を考慮せず合意された売春とする失礼な歴史の書き換えだ」とし「生存者と女性に代わって、今回の論文を断固として否定する」とした。
フィラデルフィア市議会は決議案で、米連邦下院を含む多くの主要国が慰安婦被害者を支持し、日本の歴史否定に反対する決議案を採択したという事実を紹介した。また、今回の論文についてもハーバード大学の韓国人学生会などが謝罪と論文撤回などを要求したと発表した。
一方ラムザイヤー教授は、ハーバード大学の校内新聞とのインタビューで、日本政府と関係があることを否定するかという趣旨の質問に「私がなぜ否定する必要があるのか」と反問して、事実上認める態度をとった。 ラムザイヤー教授は2018年、日本政府勲章の「旭日章」を受賞している。WoW!Korea 2021/03/07
2021/03/07
イ・ウヨン 朝鮮人慰安婦の契約
朝鮮人業者と契約し慰安所を転々とした慰安婦の証言
「契約書がない」というラムザイヤー論文に対する批判への反証
(略)
ここで取り上げるのは、「中国に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦2」(韓国挺身隊研究会著、ハンオル、2003)に出てくるヒョン・ビョンスクの証言である。娘が親に売られて売春婦や慰安婦になるケースが非常に多かったことは、すでに何度も述べている。ここではそのような状況において、契約が結ばれて契約書が作られていたことを証明するため、この本に書かれている証言の中から重要だと思われる部分を抜粋する。
ペ・ジュンチョル(質問者):その店からいくらもらって行ったんですか?
──500ウォンだよ。期限は2年でね。その500ウォンは父と母にあげたの。2年経って家に帰ってきたんだけど、家でぼうっとしててもしょうがないし、またほかの所へ行ってお金を稼いで、父と母にあげようと思って。村にはいないつもりだった。
証言者のヒョン・ビョンスクには、酒場で働いていた経歴があった。売春を兼ねていたと思われる。2年の務めを終えて家に帰ってくると兄から結婚するように言われ、ならばいっそのこと、またお金を稼ぎに行こうと考えたのだ。そこで人を探すことにする。
──だから朴哥(パク・カ)って人に会いに、博川(パクチョン、平安北道)へ行ったの。ある旅館に行って、「女性を買いに来たって聞いたけど、この辺のどこにいますか」って聞いたら、「あそこの旅館だよ。中国から女性を買いに来たってさ。行ってごらん」。それで行ってみたら・・・、男が一人座ってた。「女性を買いに来たんですか」と聞くと「若いお嬢さんがどうしたのかね」と聞くから「私も中国へお金を稼ぎに行きたいです」と言ったの。
ペ・ジュンチョル:おばあさんはその時、中国に行って何をするのか知ってましたか。
──知ってたよ。
ペ・ジュンチョル:日本の軍人を大勢相手にすることも知ってましたか。
──もちろん。
彼女はその人が何のために女性を買いに来たのか、よく知っていた。続いて、彼女は契約条件の交渉に乗り出す。
親がその場にいなければ支払われなかった前借金
ペ・ジュンチョル:そういう話をどこで聞いたんですか。
──うわさで聞いたよ。いろんな話を聞いてね。あちこち歩き回ってから見つけたの。それで、私を買うかって聞いたら買うって。いくら欲しいかって聞かれて「うちの父と母が困るから、3年を期限にいくらくれる?」って聞いたら「2000ウォンあげよう」と言われた。だから、「2000ウォンじゃあ、1年で1000ウォンにもならないよ。1年に1000ウォン欲しい」と言ったら「いいだろう。3000ウォンにするから、家に帰って親の同意を得てきなさい」ってなって。
前回の寄稿で述べたように、慰安婦として就職するためには戸主、つまり父親の承認が必要だった。ヒョン・ビョンスクの父親も最初は反対するが、娘に強くせがまれて、結局は承諾する。無論、父親も娘がどんな仕事をするのか承知していた。
ペ・ジュンチョル:「ハンコはもらえましたか」
──もちろんだよ。父か母を連れていったらお金をもらえたの。それに、祖父や祖母のハンコももらえって。当時は厳しかったんです。
ペ・ジュンチョル:「それは何歳でしたか」
──16歳になってたと思うよ。酒場にも2年くらいいたからね。祖父と祖母のハンコまでもらえなんて。ハンコを押してくれるか心配で。父なら私の話を信じてくれる。だから父の手を引っ張って川辺に連れてって話したの。「お父さん、女性を買いに来た人がいるんだけど、いくらいくらくれると言うから、遠い所へお金を稼ぎに行きたい」。父にいい暮らしをさせてあげたかったし、好きなものを食べさせてあげたくて。「お父さん、私を働かせて」。
この場合、前借金はその場に親がいなければ支払われなかった。そして、両親と祖父母の同意と捺印が必要だった。父親だけでなく、母親と祖父母の同意と捺印まで必要な理由は分からないが、連帯保証人だったものと思われる。これが契約でなくて何であろうか。契約条件の一つとして、娘をほかの所に売り渡すなという要求を付ける。
──「それなら行かせてやろう」と父が言って、父と母の名前を書いてからハンコを押してくれた。「おじいさんとおばあさんのハンコも欲しいって。どうしよう、お父さん」と言うと「じゃあ父さんが書いてやる」。父が書いてから祖父と祖母のハンコを押して、それからみんなの同意をもらった。それを持って博川へ行ったの。父は「あなたに売るのだから娘をほかの所に売り渡さないように」。そんな約束をした。私が「父はこう要求してますけど」って言ったら、「それはあなたの好きにしていい」と言われて「分かりました。行きましょう」ってなったの。
慰安所を転々としたヒョン・ビョンスク氏
父親が自分で名前を書いて捺印した。恐らく契約書だったはずだ。このようにして彼女は再び売春婦として働くことになる。だが、最初に行った場所では客をあまり取れなかったという。彼女は自分の外見のせいだったと述べている。そのため、中国の奉天(瀋陽の旧名)に移ることを決心する。
──しかたないでしょ。そこではお客さんを一人も取れないんだから。私はブスだからね。お客さんはきれいな女性を選んでいくのよ。ブスなんて誰が選ぶと思う。そこには女性がたくさんいたね。20~30人くらいいたかな。全員朝鮮人女性だったよ。私を買って連れてきた人の息子に「私、ここにいたら借金を全部返せないから、ほかの所に行かせて」と言ったら、「お前のお父さんと、ほかの所には行かせないっていう契約を書いたから・・・」と言われた。「本人が承諾してるから大丈夫です」と言ったら「じゃあ奉天の紹介所に行って、誰かが買ってくれたら、こちらはそのお金をもらおう」と言うの。「利子はどうしますか」と聞いたら「利子はいい。頑張って働いて家に帰れ」と。
ほかの人には売り渡さないという「契約書を書いた」という。転売しないと契約書に書いたのだ。契約書があったのは間違いない。売春婦になってからの転売の過程もここから分かる。前借金に対する債権は、そのまま新しい買い手に移される。そのお金については、利子を受け取る場合もあれば、免除してくれる場合もあったようだ。彼女が移転した奉天の売春宿または慰安所は、民間人と日本軍が共同で利用する所だった。
ペ・ジュンチョル:おばあさん、ところでその店には主にどんな客が来るんですか
──軍人も来るし、個人も来るし、いろんな人が来るよ。
彼女は残念なことに、奉天でもお金を稼ぐことができなかった。そこで今度は軍隊に付いていくことを決め、安徽(あんき)省の蚌埠(ほうふ)に移る。そこの慰安所のオーナーも朝鮮人だった。
──ここにはいられないって私は言ったの。軍隊が行く村に行ってお金を稼がなくちゃいけないと。だから奉天からほかの所へ行くって志願して、蚌埠へ行ったのさ。
ペ・ジュンチョル:おばあさんの前借金3000ウォンは、蚌埠のオーナーにそのまま渡ったんですね。
──はい。
ペ・ジュンチョル:蚌埠のオーナーも朝鮮人ですか。
──はい。みんな朝鮮人です。
転売条件もあった慰安婦
彼女は中国のある場所から奉天、蚌埠へと移っていった。最初の店は一般の売春宿と思われるが、詳しくは分からない。奉天の店は軍人と一般人が共同で利用する場所、蚌埠は日本軍専用の慰安所と思われる。最初の店が一般の売春宿だったなら、彼女の経路を見るかぎり、一般の売春婦が日本軍慰安婦になる過程は非常に単純で容易だったことを意味する。新しい慰安所業者に「売り渡す」ことで十分だったのだ。売春宿のオーナー間で売春婦の転売が簡単にできたように、売春宿の主人が彼女を軍慰安所に転売するのはさほど難しくはなかっただろう。
ここで提示した事例を見ると、慰安婦になるために契約書を作成したことは間違いない。もちろん契約書なしの口頭契約で処理するケースもあったはずだ。この事例で明らかなのは、「契約」と「契約書」があったことである。朝鮮で契約を結ぶ時、すでに中国へ行って日本軍人を相手にすることを明確に知っていたからだ。
また、前借金の額は交渉を通じて決められ、契約期間が明らかであり、転売に関する条件もあった。戸主などの同意や捺印も必要だった。慰安婦とその親は日本の軍人を相手にどんな仕事をするのかも、転売が行われる場合に前借金が新しい業者に移るということも知っていた。契約だったことを立証するために、これ以上、何が必要だろうか。
JBpress 2021.3.7(全文)
2021/03/06
滋賀県議会の慰安婦問題決議に県民グループ「審議が不十分」
韓国非難の議会決議に「審議不十分」 市民団体、慰安婦問題巡り経過問う質問状
滋賀県議会が2月定例会議で可決した韓国人元従軍慰安婦問題に関する決議について、県民グループが「審議が不十分だ」として可決に至る経過を問う質問状を4日、細江正人議長に提出した。
提出したのは、約20人で結成した「県議会ウオッチアクション」。決議は、日本政府に元慰安婦の女性への損害賠償支払いを命じた1月の韓国ソウル中央地裁の判決を非難し、日韓政府に対応を求める内容で、自民党県議が2月15日に提案、賛成多数で同日可決された。
同グループは、重大な人権問題にもかかわらず本会議で提案理由の説明や質疑がなかったと指摘。県議会がこれまでに他国の裁判所の判決に対する意思表明や慰安婦問題の議論を行ったことがあるのかといった質問状を提出し、回答を求めた。
メンバーは県庁前で抗議のアピール行動をし、賛同者を含む37人が「尊厳を奪われた女性の苦しみを想像して」などと訴えた。
京都新聞 2021年3月5日
ラムザイヤー論文批判への反論(イ・ウヨン)
ようやく崩れ始めた「慰安婦強制連行説」の虚構
あくまでも性労働者だった慰安婦の現実。日本人よ、声を上げよ
李 宇衍
ラムザイヤー論文批判の中身
ハーバード大学のラムザイヤー教授は自身の論文にて、慰安婦と慰安所は契約の関係であったと主張した。これに異を唱える韓国や米国の研究者の一部は、いまだに批判を続けている。批判の中核は、契約の関係を立証する契約書、つまり契約内容の書かれた「紙」を提示できないということだ。ここには、合意内容を必ず文書に残す欧米の契約文化と、口頭契約の依存度が高かった韓国の契約文化との違いを理解していないという背景がある。
「契約書がない」という批判は、「契約自体なかった」という「確信」がベースにある。「契約がないのだから契約書も当然ない」という論理だ。批判者たちに共通しているのは、女性たちは契約ではなく日本の軍人や警察、官吏などに強制連行されて慰安婦になったという認識である。「強制連行だったのになぜ契約書や契約の話が出てくるのか」と責めているのだ。
批判者たちは「確信」する根拠が山ほどあるという。「被害者」である元慰安婦たちの「証言」、「加害者」である吉田清治氏の「告白」、1992年に吉見義明氏が発見したという「強制連行」を指示した日本軍の文書、1993年に日本政府が発表した「謝罪」の織り込まれた河野談話、1996年に国連人権委員会で公表されたクマラスワミ報告書のように、アムネスティ・インタナショナルや国際法律家委員会(ICJ)などのNGO(非政府組織)が発表した各種調査結果である。だが、その「確信」のベースになった「証拠」の中で、いまも健在なのは元慰安婦の「証言」のみだ。それ以外はすべて虚構か、あるいはこの「証言」を根拠にしたものである。
国際機関の報告書はどれも元慰安婦と吉田清治氏の証言、日本軍の文書、河野談話に拠っていた。河野談話は、「被害者と加害者の証言があり、これを客観的に立証する日本軍の文書がある」と多くの人が確信する状況において、追い込まれた日本政府が作成したものだ。しかしその後、その日本軍の文書は「強制連行」と無関係であることが立証され、他の文書は発見されていない。また、吉田清治氏の「告白」は創作だったことが明らかになる。日本で吉田氏を集中的に取り上げて報道した朝日新聞は、その名声もむなしく、それらの報道を取り消すに至った。一見すると証拠が山のように積まれているが、実際は元慰安婦の証言だけしか残っていない。
では、元慰安婦たちの言う「強制連行だった」は信じられるのか。
政治的に「汚染」された被害者の証言
彼女たちがカミングアウトした1990年代初めの証言は「強制連行」と無関係だった。朝鮮人による就職詐欺や親に売られて慰安婦になったと証言しているのだ。ところが、慰安婦問題が韓国の社会的・政治的問題になり、韓日間の外交問題に発展すると言葉を変え、「強制連行」と言い出した。
(中略)
慰安婦になるために必要だった幾重もの本人確認
ラムザイヤー教授批判の先頭に立ち、韓国で有名になった米コネチカット大学歴史学科のアレクシス・ダデン(Alexis Bray Dudden)教授は、「主張を裏付ける書類がないのなら、そして証拠がないなら、その主張は真実ではありません」とテレビで述べた。そして、「無惨で」「典型的な」「詐欺」という単語を使った。元慰安婦たちの「証言」はダデン教授の基準をクリアできたのだろうか。
日本の官憲による「強制連行」でなかったとしたら、女性たちはどんなきっかけや経路で日本軍慰安婦になったのだろうか。朝鮮人斡旋業者が「いい仕事を紹介してやる」と言い(就職詐欺)、慰安婦として働くことを知らせずに女性を連れていったり、親をだまして売らせたりしたケースがあった。この場合、慰安婦の雇用契約は不要となり、前借金が支払われないか、最初から慰安婦として連れていく場合よりも小額が払われた。朝鮮において就職詐欺を含む誘拐は、戦前から警察の取り締まり対象になっていた。当時、朝鮮では数千人もの職業斡旋業者が横行していたのだ。
朝鮮から慰安所に女性を連れていくには、さまざまな公的書類が必要だった。中国や東南アジアなどへ行く旅行者は全員、旅行の目的などを記入した書類を提出し、警察署長の発給する「身元証明書」を取らなければならなかった。慰安婦の場合の手続きはさらに厳しかった。
女性と慰安所業者が共に作成する申請書といえる「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、世帯主と女性本人が捺印した就業承諾書、世帯主と女性本人の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成・発給してもらえない)が必要であり、日本領事館の職員も慰安所就業の意思があるかどうか、女性に対して調査を行った。女性を就職詐欺で連れてきたり拉致してきたりしたのなら、このような書類は用意できなかったはずだ(『反日種族主義』の著者、李栄薫教授が主催する「李承晩学堂」のユーチューブで朱益鐘氏が上記を主張している)。
本人の意思で慰安所に来ていない場合は、女性が着いてからも問題になった。慰安所の利用と管理を担当する部隊は、慰安婦本人がどんな仕事をするのか知っていて来たのかを確認した。前述のような書類を軍部隊で確認する手続きがあったため、だまされて連れてこられた女性を故郷に送り返したケースもある。
以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、何をするのか知りながら親が娘を売る人身売買のケースのほうがはるかに多かったといえる。当時の新聞を見ると、親が娘を売ることなどざらにあり、社会問題の一つになるほどだった。1920年代半ば、日本でも同様の状況が起こった。日本の二・二六事件(1926年)でも、娘を売らなければならないほど貧しかったことが、事件を触発する重要なきっかけの一つとなっている。
「売春婦は志願者か親に売られた人」という証言
前回の寄稿(「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」)で述べたように、このような取り引きは人身売買という違法と、戸籍制度下における正当な権利行使と職業斡旋という合法との境界線にあった。「人肉市場」と呼ばれる人身売買が横行し、社会的問題になる一方で、その容疑で捕まった人たちの大半が無罪に処された。
以上のような状況から考えると、募集業者と取り引きする親は、娘がどこへ行って何をするかを知っていたと見るべきである。文書に基づく明示的な契約がなかったとしても、両親がそのような事実に気付いていたなら、これは我々が一般的に言う契約に間違いない。韓国と米国の批判者たちは、このような当時の実情を全く知らない。
「慰安婦と業者の間で契約が行われた代表的なケースは、朝鮮内外で戦前からすでに売春婦として働いていた女性だったと考えられる」と前回の寄稿文でも書いた。当時の状況を描写した朝鮮人の証言がある。1945年初め、米軍に捕らえられた朝鮮人捕虜3人に対する尋問調書だ(Composite Report on Three Korean Navy [Imperial Japanese Navy] Civilians List No. 78, dated 25 March 1945, Re Special Questions on Koreans)。
質問は「日本軍のために売春婦(prostitute)として働く朝鮮人女性を募集していることを、朝鮮人は知っているのか。これに対して普通の朝鮮人はどのような態度を取るのか。君たちはそれによって引き起こされた騒乱や摩擦について知っているか」であった。答えは次の通りだ。
「私たちが見てきた売春婦はすべて、志願者(volunteers)か、親に売られた人たちだ。これは朝鮮的な考え方だが、日本人が女性を直接徴発(direct conscription)したら、年寄りも若者も憤怒して立ち上がっただろう。男たちは怒り、我が身がどうなろうとも日本人たちを殺したはずだ」
この答弁は「強制連行」はなかったしあり得ない、という事実とともに、慰安婦になる一般的な経路は親の人身売買や売春婦の転職、一般人の就職だったことを物語っている。慰安婦になる過程に関してこれほど総合的な証言を私は寡聞にして知らない。
あくまでも「セックスワーカー」だった慰安婦
慰安婦の募集方法において、親による人身売買や売春婦の転職が中心なら、やはり慰安婦自身あるいは親が業者と経済契約を結んだと考えるべきである。慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)だったのだ。彼女たちが性労働を行うために斡旋業者や事業主と契約を結ぶのは、我々が結ぶ労働者と経営者の間の労働契約と同じである。
行為者がいて、その者が一定のパターンに基づいて行動したならば、それは契約当事者が契約に基づいて行動したものであり、契約が存在したことを意味する。これを否定するには、前借金の収受、契約期間の存在、慰安婦と慰安所の間の売上げ分割などのように、ラムザイヤー教授が契約の実体として主張するものが存在しなかったことを証明しなければならない。
しかし、部分的にすら、ラムザイヤー教授の論文に対する批判は証明できていない。これを機に、韓国をはじめとする世界の学界で慰安婦問題を本格的に討論できるのではないかと、私は確信している。
JB press 2021.3.5(一部)