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2010/12/24

松井やよりの出会ったタイの売春婦【80年代】



松井やよりが80年代のタイで見た売春産業の実態。写真は最近のもの。昨日のエントリーのつづき。





少女たちは、少数民族との混血で美少女が多いといわれる貧しい北部や東北部の農村から、容姿によって5000バーツ(5万円)から1万バーツぐらいで売られてくる。

親たちがそれだけの前借金を受け取っているので、少女たちは一日平均3、4人、祝祭日には10人もの客をとらされても、5バーツ(50円)ぐらいしかもらえない。・・・

13歳の処女だったノイさんを買ったこの男性は5000バーツを払った。バンコクでは、中国旧正月には年若い処女、とくに生理も始まらない9歳10歳の幼い少女の相場がはね上がるといわれる。・・・

親から仕入れてきた商品である少女たちに逃げられては元も子もないと、業者は売春婦たちを監禁同然に拘束する。たとえ外出を許されても、田舎から出てきて西も東もわからない少女たちは、こわくて出歩けないのだ。

ノイさんもバンコクの町さえほとんど見たことがないという。毎日避妊薬を飲み、生理日も休ませてもらえず、病気で客をとるのをいやがると殴られ、ボロボロになっていた。・・・

同じバンコクの歓楽街パッポンは、日本人にもおなじみの、国際的に知られた売春地帯である。ベトナム戦争中は米兵たちの「R&R」(慰安施設)として、その後はそれに代わる政府の観光振興政策で、観光収入がタイの外貨収入の2位を占める”観光立国”の目玉として、栄えている夜の町である。

マンモス・マッサージパーラーで”金魚鉢”と呼ばれるガラスの向こうで番号札を胸に並ぶ厚化粧のマッサージガールたち。・・・ヤワラのティーハウスの少女たちよりやや年齢が高く、といっても圧倒的にハイティーンだが、比較的行動の自由もあり、中にはかなり稼ぐ女性もいるという。客は日本や欧米など外国人観光客も多く、観光売春の名所になっているからだ。