ページ

2011/01/24

あっぱれ、コリア・ヘラルドの英作文




さすがに今にもなっても、「朝鮮半島だけで20万人」の女性が慰安婦として連行されたなどとは、韓国のメディアでも書かないだろうと思ってよく見れば・・・これは、なかなか上手く書かれている。ある意味、アッパレである。

よく目を凝らしてみると、朝鮮半島から20万人の少女が、sent to war zones in Asia or some factories in Japan(アジアの戦場か日本の一部の工場に送られた)と書いている。

つまり内地に送られた女子挺身隊と、戦場へ送られた慰安婦の数を合算しているわけだ。

挺身隊は法律に基づき動員される(写真は日本人)。現代の韓国の徴兵のようなものである。慰安婦(所)というのは、軍が他の行政機関の了解も得て事業を誘致したものである。最近で言うと、国土交通省が音頭をとった「ようこそ、ジャパン」キャンペーンみたいなものか(ちょっと違うか?)。

90年代前半なら挺身隊と慰安婦を意図せず混同してしまうという事もあったろうが、2011年ともなると、これはわざとだろう。しかもmobilized(動員された)少女たちはアジア中の戦場か、some(いくつかの)日本の工場に送られたと言うのだから、知らずに読めば20万人の大部分が慰安婦にされたような書き方である。

さらに言えば、some girls(一部・少数の少女)ではなく、some factories(少数の工場)となっているから、文法的には「工場へ送られた少女は少数で、多くは慰安婦としてアジアの戦場に送られた」とも言っていないのである。読み手がそう錯覚したとしても、それはコリア・ヘラルドのせいではない、ということなのだ。

困ったものである。

Two old women whom the international media had called “former comfort women for the Japanese imperial army” died last week, ending their long hard lives. The deaths of Kim Seon-yi at a hospital in Ulsan on Thursday and Im Jeong-ja in Masan on the same day left 76 women of similar experiences alive. Kim was 83 and Im was 89.

世界のメディアが「日本帝国陸軍のための慰安婦」と呼んだ二人の老女が先週亡くなり、長い苦難の人生を終えた。木曜日に蔚山の病院で亡くなったキム・ソニと、同じ日に馬山で亡くなったイム・ジョンジャは、同様の経験をした76人の女性たちを残して先だった。キム83歳、イは89歳であった。

Last year, which marked a century since Japan’s annexation of the Joseon Kingdom, 10 former comfort women passed away. Because of their advanced ages, the number of surviving women will rapidly be reduced while there is little hope that they will be able to fulfill their ardent wishes ― the Japanese government’s admission of guilt on the state level.

日本による李氏朝鮮併合100周年の昨年、10人の元慰安婦が亡くなった。高齢のため、生存する女性たちは急激に減っていく。彼女たちの切なる-日本政府が国家レベルの責任を認めるという-願いが満たされる望みが殆どない中で。

The old women from the government-arranged shelter, the House of Sharing, and some others from provinces have held their weekly demonstrations in front of the Japanese Embassy in Seoul to urge the Tokyo government to end its silence and make sincere apology and compensation. Young activists join them in the Wednesday rallies, which they say will continue until Japan changes its attitude and until the last comfort woman dies.

政府の用意した収容施設ナヌムの家や地域の老女たちが、日本政府に沈黙を止めて誠意ある謝罪と賠償をするように促すべく、ソウルの日本大使館の前で毎週恒例のデモを行った。水曜日デモには若い運動家たちが合流し、日本政府が態度を改めるか最後の慰安婦が亡くなるまで続けると言っている。

When Japan offered compensation in the name of a private foundation in 1995, the then administration of President Kim Young-sam rejected it and took relief measures for the unfortunate women. Various records revealed as many as 200,000 young girls were mobilized from across Korea from the late 1930s and were sent to war zones in Asia or some factories in Japan.

日本が1995年に民間基金の名で補償を申し出た時、当時の金永三政府はそれを断り、不運な女性たちの為に救済手段を講じた。様々な記録が、1930年代の朝鮮全土から20万人もの幼い少女がアジアの戦場と、一部は日本の工場に送られたことを明らかにした。

In wars, armies kill civilians but there was no known precedent of any military systematically operating brothels with women taken from a colony. Japan simply cannot recognize and accept these most shameful deeds in its history. But it cannot extricate itself from the state-level responsibility for the inhumanity by just denying it.

戦争では軍隊は市民を殺すものだ。しかし、これまで軍隊が組織的植民地から女性を調達して売春宿を運営したなどという例は知られていない。日本政府は、単純にこの歴史上もっとも恥ずかしい自らの行為を認めることができない。しかしそれを否定したところで、この非人道的行為に対する国家責任からは逃れらない。

Ten or 20 years from now, there may no longer be a witness to testify the crime. Yet the souls of the victims would still be waiting for words of conscience from the authorities in Tokyo.

10年か20年後には、この犯罪を証言する証人もいなくなっているかもしれない。それでも、犠牲者の魂は日本政府の良心の声を待ち続けているだろう。



戦争では兵士による不法行為は起こりうる(韓国軍も例外ではない?)。しかし日本軍の慰安所は特別だ、という主張は昨日紹介した絵本作家クォン・ユンドクの主張と同じ。

最後は、被害者は死んでも魂は不滅だという形で結んでいる。