昨日のニュースからも分かるように、両市の慰安婦支援者たちは青少年を運動に取り込むのに熱心である。二年前の話だが、彼女らによって教育された子供達が、日本の国会議員たちに送るハガキの中で「鬱憤をこらえることができず激しく心情を表現した」というような状況が出来した。歴史教育の資料とするためにDVDを制作するという活動も行なっている。
もう一つのポイントとして、慰安婦による寄付の話題も時々出てくる。官民からの支援が手厚い韓国人元慰安婦たちは生活にはあまり困らないようで、蓄えがあるのだろう、しばしば遺産(財産)を寄付する。もちろんお婆さんにとっては善意なのだろうが、これを韓国の支援団体やメディアが美談として大々的に取り上げるのは、注目を集める為と日本に対する当てつけの部分もあるのかもしれない。
ただ、報道はよく読み込む必要がある。朝鮮日報では日本の敗戦直前に「劇的に脱出し、釜山を経て故郷に戻った」としか書かれていないが、ハンギョレ紙によれば、彼女は「解放直前に日本軍艦に乗って長崎港に到着した」・・・つまり日本の敗戦前に軍により送り帰されているのである。少なくとも本土までは。また、朝鮮日報はハルモニが「日本軍の言葉にだまされ」たとしているが、これには多くの人が首を傾げるだろう。
日本軍は、敗戦目前の時期に貴重な艦艇を使い(朝鮮人)慰安婦を送り帰していた。もちろん戦地に置き去りにされた慰安婦もいれば、置き去りになった従軍看護婦もいる。白骨街道の一部になった兵士もいた。しかし、この記事からだけでも慰安婦を見捨てるのが日本軍の基本方針でなかった事は推測できる。プロパガンダを見破る情報は、案外発信者側の言葉の中にあるものなのである。
・・・もっとも、日本軍が慰安婦を従軍看護婦(軍属)名義で帰還させようとした事実を「『看護婦』とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性」があるなどと言い出す「専門家」もいるわけであるが。
94歳の元慰安婦、女子高に奨学金を寄付 /統営
生存する最高齢の元従軍慰安婦が女子高校に奨学金を寄付する。
元慰安婦の支援団体「日本軍慰安婦のおばあさんと共にする統営・巨済市民の会」(ソン・ドジャ代表)によると、慶尚南道統営市北新洞に住むキム・ボクトゥクさん(94)が30日、統営女子高校に2000万ウォン(約140万円)の奨学基金を寄付するという。
基金は、キムさんが政府の支援金(生活保護)などを少しずつためたもので、キムさんと統営・巨済市民の会は「慰安婦問題を解決して正義を成し遂げよう」との意味を込め、基金の名称を「正義奨学会」とした。
統営女子高校への寄付を決めたのは、2010年から自宅を訪ね、ボランティア活動をしてくれた同校の生徒たちに感謝の気持ちを表すためだという。
同校の「韓国青少年政治外交連合」に所属する生徒たちは、週末にキムさんの自宅を訪ね、掃除や洗濯を手伝い、食事を共にして話し相手になっていた。統営・巨済市民の会のソン・ドジャ代表は「キムさんが『親切な生徒たちに応えたい』と、寄付の意向を示した」と語った。
統営市で生まれたキムさんは、19歳だった1937年、工場に就職させてやるという日本軍の言葉にだまされ、フィリピンや中国で慰安婦としての生活を強いられた。植民地支配からの解放(1945年)直前、劇的に脱出し、釜山を経て故郷に戻ったという。元慰安婦に対する日本政府の謝罪や賠償を求め、ソウルの日本大使館前で行われる「水曜集会」に参加するなど、慰安婦問題の解決に向け積極的な活動を続けてきた。
奨学基金の伝達式は30日午後3時から統営女子高校の校長室で行われ、統営・巨済市民の会関係者や教職員、韓国青少年政治外交連合のメンバーたちが出席する。
昌原= 姜仁範(カン・インボム)記者
朝鮮日報日本語版 2012.4.27