ページ

2014/12/07

韓国の子供が学校で教わる慰安婦 (読売新聞取材班)

慰安婦問題を学ぶ中学生(蔚山)

読売新聞の取材班は、90年代以前にも韓国の教科書には微妙な表現があったと言う。確かに、若い女性が強制的に戦場に連行されたという記述は微妙である。ただ、これは本当に微妙。ハッキリと慰安婦の名が教科書に登場するのは、韓国より日本の方が早かったと言われる(要確認)。日韓いずれが先だったにせよ、90年代に始まった慰安婦騒動で状況が一変したのは間違いないらしい。

2002年の韓国の教科書にある、女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ一部を慰安婦にしたというのは、本来の意味の「慰安婦の強制連行」である(吉田清治が証言したのもこれ)。2012年からは「広義の強制連行」へのシフトと見られる記述が現れるが、2014年になっても挺身隊の一部を慰安婦にした・・説が韓国の教科書には生き残っているという状況らしい。

2010年から民間会社が教科書を製作する体制になり、歯止めがかからない状況になったであろうことは容易に想像出来る。取材班は「写真やイラストなども加わり・・・記述が一層充実化する傾向にある」と報告している。比較的ドライに記述した教学社の教科書がバッシングに曝されるという事件もあった。言うまでもないが、教育現場における左翼系の影響(黒田勝弘)は日本も同じで、日本の教科書の中には韓国紙のお墨付きを得る物もあったくらい。しかし、国内にはこれにブレーキをかけようという動きもある。しかし、こと慰安婦問題に関する限り韓国ではそういった動きは期待出来そうにない。

※ なお、ブログ主は歴史の光も影も教えるべきだと言う立場で、ホルホル教育には組しない。一応。


韓国では2002年まで、歴史教科書は、中学、高校とも国定教科書の1種類だけ。そこに慰安婦に関連する記述が初めて登場したのは、1968年の高校用だった。「か弱い女性も女性挺身隊という名で強制動員した」と記述された。

当時の韓国では、慰安婦と挺身隊が混同されていたため、慰安婦のことを指すのかどうか判然としない記述だ。

79年には中学の「国史」にも、「はなはだしきは若い女性も産業施設と戦線に強制的に連行した」と記述された。82年改定の中学用では、「韓国の女性も侵略戦争の犠牲にした」、90年改定の中学用では「女性も挺身隊という名で侵略戦争の犠牲となった」との表現に変わるが、まだ間接的な表現にとどまっている。

しかし、90年代初めの朝日の報道などを受けて慰安婦問題が日韓の間で外交問題化したのを境に教科書の表現も具体化していった。

96年改定の高校国史で「女性まで挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」と初めて慰安婦という単語が登場する。97年の中学国史でも「女性も挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」とした。

2002年改定ではより表現が過激になっている。中学が「日本は、多くの女性を強制的に動員して日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦にして非人間的な生活をするようにした」、高校が「若い女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ、その一部は前線に連行して日本軍慰安婦にする蛮行を犯した」となった。

そして国定から、民間の複数の教科書から選択できる検定制度に完全移行した2010年以降は、写真やイラストなども加わり、慰安婦に関する記述が一層充実化する傾向にある。

キョウハク図書『中学歴史(下)』(2012年発行)では、「歴史との対話」という別コーナーで慰安婦問題を1ベージで特集。日本軍慰安婦の宿所の写真や、元慰安婦の強制連行の様子を描いた絵画とともに「ある日、男が良い職場を紹介してやると言って私を連れて行った」などとする「ある日本軍慰安婦のおばあさんの証言」を掲載している。元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が毎週、ソウルの日本大使館前で行っている水曜デモについて写真入りで紹介している。

水曜デモについては、「現在、日本政府は日本軍慰安婦の募集、移送、管理などに日本軍が日本軍が介人したことを認めながらも法的な賠償ではない慰労金レベルで問題を解決しようとした。これに日本軍慰安婦の被害者の中の多数は、慰労金名目でお金を受け取ることを拒否して今も水曜デモを続けている」となっている。

良い本新思考社の『中学校歴史②』(2013年発行)も「性奴隷生活を強要された日本軍慰安婦」を1ページで特集した。「妊娠した朝鮮『日本軍慰安婦』」のキャプションがついた写真や挺対協の水曜デモの模様を日本大使館前に設置された少女像の写真入りで紹介している。

朝日が2014年8月に「虚偽」と認めて取り消した吉田清治氏の以下の証言も、「日本軍慰安婦の真実」として紹介されている。

「6000人ほど直接連行した。村に到着すればまず女性全員を道路に引っ張り出した。逃げ出したら木刀でなぐり、若く健康な女性を選んでトラックに乗せた・・・」

この部分について、教科書本文の記述では「数十万人の女性を軍需工場に動員し、はなはだしくは若い女性を日本軍慰安婦という名目で強制動員して性奴隷生活を強要した」となっている。

ピサン教育『中学校歴史2』は、慰安婦問題をめぐる日本政府の対応について
批判的に記述している。

「日帝は韓国をはじめ中国、台湾、インドネシアなどで数十万人に達する女性を強制的に動員した」とし、「しかし、日本は日本軍慰安婦たちが受けた被害を認めておらず、『自発的に軍について行った』という意味の『従軍慰安婦』という表現を使っている」と事実誤認の内容も含まれている。

さらに「資料の調査を通じて日本軍慰安婦について整理してみよう」として日本軍慰安婦についてまとめたインターネット上の動画映像のアドレスなども記述した。

高校教科書では、慰安婦問題について生徒に考えさせる問題も提示している。
チハク社『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「水曜デモに関連した資料を調べ、このようなデモが続いている理由を書いてみよう」とし、条件として「関連する新聞記事やおばあさんの証言などを活用すること」としている。

歴史的に定かでない数字も独り歩きしている。チョンジエ教育『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「日本軍慰安婦として動員された女性は約20万人と推定されている」と記述している。

読売新聞が調べた中学用13冊と高校用5冊の計18冊のうち、強制連行された慰安婦の数が「20万人」と記述している教科書は3冊。強制連行されたと記述しているのが10冊、性奴隷という表現を使っているのが11冊。少女豫の写真を掲載したのが9冊、慰安婦の写真を掲載したのが6冊だった。

各教科書の主な記述は以下の通り。

DAEKYO『中学校歴史(下)』

本文では「女性達の場合、女子勤労挺身隊という名前で軍需工場に連行され、労働力を搾取された。さらに多くの女性を日本軍が駐屯する地域に送り、強制的に日本軍慰安婦にした」と記述。歴史特集「日帝の侵略戦争で被害を受けた韓国人」では徴用被害者、被爆者とともに慰安婦を取り上げ、元慰安婦の証言を掲載した。

「朴トゥリおばあさんは17歳たった1940年に村を訪れた日本人募集業者の日本工場に入れてあげるという言葉にだまされ台湾に連行され日本軍慰安婦になった。20人余りの韓国人女性だちと共に5年ほど生活した。そこではフジコと呼ばれた。日本語を使えと強要され、食事もまともに与えられずいつも空腹だった。慰安所で右ももがひどく腫れる病気にかかり手術をしなければならなかった。慰安所の主人と管理人にひどくなぐられたことが原囚で耳も遠かった」

ミレエン社『中学校歴史2』

本文では「女子勤労挺身隊などの名前で女性も連行され労働力を搾取され、そのうち一部は日本軍慰安婦として連行された」と記述。これとは別に「日本大使館前の定期水曜デモ、1000回の叫び」とのタイトルで挺対協が実施している水曜デモを特集している。

「日帝は、中日戦争と太平洋戦争を起こし、日本軍が駐屯する地域に軍隊慰安所を設置して、占領地の多くの若い女性を強制連行して日本軍の性奴隷の役割を強要した。日帝時代に日本軍慰安婦として連行された女性は20万人余りと推定されている。日本軍慰安婦としての生は長い間、歴史の陰に埋もれていたが、日本軍慰安婦のおばあさんだちと市民団体は1992年から毎週、日本大使館前で水曜デモを実施し、日本政府の公式謝罪と賠償を要求している。しかし、日本政府は国家として日本軍慰安婦を募集したことはないといい、これまで公式謝罪や賠償を拒否している」

チョッジエ教科書『中学校歴史2』

本文とは別に「女性勤労挺身隊、日本軍慰安婦のおばあさん」とのタイトルで慰安婦を特集。「第2次世界大戦中、日本は韓国女性達を勤労挺身隊といって軍需工場に追い立て、そのうち一部の女性達を日本軍慰安婦(JAPANESE Military Sexual Slavery)として連行した。該当地域の日本軍が降伏を拒否して自爆する際、秘密の流出を防ぐ狙いから共に死ぬことを強要されたりもした。国連人権理事会は2008年、日本の慰安婦動員に対する責任の認定と謝罪、補償を求めたが、日本は日本軍慰安婦が自発的な活動だったと言い、これまで補償を拒否している。これに抗議して1992年1月から現在まで日本大使館前で日本軍慰安婦のおばあさんたちが毎週水曜集会を開いている

ミレエッ社の水曜デモの記述とも共通するのは、日本政府が1995年に国民の募金などで設立したアジア女性基金を通じた「償い金」など1人当たり計500万円の支給事業や首相のおわびの手紙の交付に取り組んできたことに全く触れていないことだ。

チハク社『中学校歴史2』では「日帝の蛮行を糾弾する声」として水曜デモを特集。「1000回目を迎え、韓国だけでなく世界各国の人々から注目されている。こうした努力の結果、1998年、国連人権委員会の小委員会は日本政府に日本軍慰安婦問題の解決に乗り出すよう勧告した。2007年、米国議会では、被害者たちに対する謝罪を求める決議案を採択した」と記述し、韓国の主張が国際世論の支持を得ていると強調している。