韓国軍慰安婦の存在に光を当てたことで知られるキム・キオック(金貴玉)教授。ネットを検索した彼女は、日本の右翼が自分の主張の一部だけを恣意的に引用していると不満を漏らしておられる。しかし、金貴玉で検索すると
このブログ(2012.5.7)もヒットするが、少なくとも自分は「『日帝が諸悪の根源』というのが彼女の結論らしい」と、彼女の主張のキモを紹介したはずである。
韓国軍慰安婦問題を親日派問題、親日派問題を清算せよという彼女の「反(親)日」は強固なものがある。韓国軍が慰安所システムを採用したのは親日派のせいで、韓国軍慰安婦の問題が社会問題化しなかったのも親日派のせいだと言う。
しかし、彼女の説明を読むと、どうも韓国軍のシステムは劣化コピーではないかという印象を受ける。つまり、日本軍では意に反して慰安婦にすることはご法度であり、防止の手段がこうじられた。「アカ」であることを理由に慰安婦にしてしまうなど日本では考えられなかったろう。日本軍の場合でも戦地ではスキャンダルが発生したが、国内でこのような不法が行われていたというのは、朝鮮戦争が内戦であったが故の悲劇だったのか?もっとも、キム教授の解説だけでは不安がある。韓国軍の慰安所システムについては情報が少なすぎる。韓国軍でも本人や親の同意が必要とされていた可能性もゼロではない(疑わしいが)。
キム教授は、日本が悪い種を蒔いたと言うが、それは、親父が妾を囲っていたから自分も浮気をしたと言うようなものである。しかも、親父はちゃんと女性関係を清算したが、お前はどうなのかという話である。
我々の間違った過去を自ら正すことで、むしろ日本に恥をかかせる(?)ことが出来ると思います。私たちが日本に対し「貴方たちが蒔いた種のために間違って育てられた花である軍慰安婦問題を、私たちが自ら解決するのだ」としながら。 こうなれば、逆に(?)日本に日本軍慰安婦に対する責任をはっきりと糾明しろと堂々と促すことができます。
「日本のネットを調べると私の名前がかなり多く出て来ます。
・・日本の右翼が引用したものでした」
キム教授によれば、彼女の勤務先に韓国軍慰安婦の研究を止めさせるよう国防部から圧力があったという。軍事編纂研究所から資料が消えたとのこと。また、彼女のニュースがマスコミのサイトから次々と取り下げられているのは政府の圧力ではないかと疑っているが、日本政府が関連文書を公開していないなどと言うような人だから、要確認といったところか。河野談話は「日本軍慰安婦動員の強制性を認めた」もので、国家賠償は当然という考えであるようだ。
プレシアン: 教授は、2002年「朝鮮戦争と女性:軍隊慰安婦と軍慰安所を中心に」という論文を通じて韓国軍慰安婦の問題を提起しました。当時、論文で陸軍本部が1956年に出した「後方戦史(要人便?)>に記載された「軍慰安隊」の記録に基づき実際の被害女性の証言も聞き取りました。論文に対する説明をお願いします。
キム・キオック: 当時論文では「後方戦史」をはじめ、朝鮮戦争時の国軍、米軍、北朝鮮派遣工作員、民間人、被害女性、予備役将軍の回顧録や証言などに基づいて韓国軍慰安婦の存在を立証し、それにともなう争点、課題を提示するのに力を注ぎました。
特に論文に記述したように韓国軍慰安婦を企画した人々が日本軍の関東軍出身であったという点に注目しました。1948年大韓民国の軍を創設した人脈の主流は関東軍の出身者などであり、日本軍での経験をそのまま韓国に持ち込みました。
実際の1948年大韓民国政府樹立以降、親日派は国家および軍部形成に深い影響を及ぼしました。特に合同参謀議長は初代がイ・ヒョングンで14代のノ・ジェヒョンまで、陸軍参謀総長は初代イ・ウンジュンから第21代の李世鎬(?)に至るまで日帝軍の経歴者などが軍部の中心でした。これらの事実から推測すると、韓国軍慰安婦問題とは清算されることが出来なかった親日派問題と直結しているということが分かります。
基本的に韓国軍慰安婦問題は日本の帝国主義の問題です。 韓国軍が慰安婦を作ることができたのは、単純に制度として日本軍慰安婦を模倣したのではなく、日本の植民地経験があったので可能だったと思う。 すなわち日帝が我が国に持ち込んだ植民主義の遺産が、制度だけでなく個々人の世界観、認識、人間性を形成する重要な要素として作用し、これが韓国軍慰安婦誕生に重要な影響を及ぼしたということです。そしてこれは朝鮮戦争当時韓国軍の主軸を形成した人々によって韓国軍慰安婦という形でよみがえりました。
プレシアン: 解放後、韓国軍の中心が光復軍でなく満州軍や関東軍で構成された理由は何ですか?
キム・キオック: 当時の状況にともなうアメリカの選択が主だったと思う。アメリカが見るのに当時光復軍は数も少なかったし、まともに訓練されていなかった。軍事的に粗末な部分があったと評価したのでしょう。
また、光復軍を主導した臨時政府は祖国の独立のために数十年間苦労し、民族自尊を強く意識した(?)集団だった。 このような組織が別の「外部勢力」であるアメリカの話をたやすく聞くはずはありませんでした。それでアメリカは光復軍の代わりに日本軍、満州国軍または、関東軍出身者を利用しました。
このような基本的な人的構成に加え、朝鮮戦争の状況も韓国軍慰安婦を作ることになった要因でした。朝鮮戦争当時、韓国軍の将軍や隊長、司令官は概して20台後半で30代そこそこが多かった。十分な指揮能力を備えないまま戦場の責任者の立場に置かれました。
ところで、1951年を前後で戦争状況が以前とは違った様相を帯びることになります。それまでは前線が南北に上下し激しい戦闘が繰り広げられていましたが、51年の7月頃停戦協定のための会談が開始され、戦闘は38度線を中心に展開し、小康局面を迎えましたた。無論一日の主な仕事は相変らず戦闘でしたが、以前と比べ激しい戦闘ではなくなりました。
こうなると将軍の統率力が落ち始めました。 前線が洛東江から鴨緑江に移される戦闘の中では生き残るために必死に戦った兵士たちが小康状態になると緊張が解け始めた。 これは将軍(一般兵士?)や佐官級、尉官級の将校も例外ではなく、彼ら指揮部は北から連れてきた女性たちを含め10台後半で20代始めの若い女性たちを取り(?)始めた。 部下の立場からこういった有様が良く見えるはずはありませんでした。
こんな状況で軍の指揮部は「このような場合、慰安婦を入れた方が良い」という考えたようです。兵士たちを共犯にしてしまうのです。過去日本軍にいた人々は、慰安婦を通じて概してこのような経験を共有したので、自然と慰安婦を作らなければならないと考えたのだと思います。
プレシアン: 最初の論文が発表されて12年が経った今、再びこのテーマで論文を書かれました。以前と異なり今回の論文では「東亜日報」と「京郷新聞」の報道を追加資料として提示した。特に「京郷新聞」の1953年11月16日の「将兵慰安所増設」という記事を通じ韓国軍慰安婦が拡充されたという見解を明らかにしましたが?
キム・キオック: 韓国軍慰安婦の記録が残っている後方戦史を見ると、当時は慰安所と위락 または、慰問施設を区分していました。記事(後方戦史?)では慰安所に対して韓国軍慰安婦の女性たちを韓国軍男性に(?)性を提供する慰安所だと明確にしていませんが、用語から見れば慰安所は日帝強制占領期間、朝鮮戦争当時慰安所と同一線上にあると分かります。軍を慰問するための公演を主にする군예대(軍-yedae)とは異なり性を提供する慰安所が実体的にも用語的にも別に存在しました。
一方1953年は停戦になった時です。 停戦になっても突然軍隊を縮小することは出来ませんでした。以前と同じように最前方には軍人がいなければなりませんでした。 それで慰安所を作ることになり、当時最前線の軍人が休暇にソウルに立ち寄ったので慰安所がさらに必要だったと推論することが可能です。 このような情況での(?)記事がで言及した慰安所は韓国軍慰安婦の延長線上にある、すなわち軍人にセックスを施す(?)慰安婦がいる場所だと考えることができます。
プレシアン: ところで韓国軍慰安婦の存在を立証することが日本軍慰安婦問題を正当化させる口実を与えるという指摘もあります。実際、日本の右翼の中には「韓国にも慰安婦があった、日本軍慰安婦の何が問題なのか」という話を公然とする人もいます。
キム・キオック: 日本のインターネットサイトを調べると私の名前がかなり多く出て来ます。相当数は、日本の右翼が引用したものでした。私の論文の全体像(?)を紹介するものではなく、「朝鮮戦争当時、韓国軍によって創設された韓国軍慰安婦があった」という事実を明らかにした部分だけ引用しているのです。
それと共に日本の右翼は「韓国軍にも慰安婦があった。太平洋戦争の慰安婦がなぜ問題なのか」と、慰安婦を作った歴史的事実を歪曲したり糊塗しようとする態度です。
それでこの問題について正確につかなければならないと思いました。日帝によって作られた日本軍慰安婦問題と韓国軍慰安婦問題がどのように関連しているのか明らかにするのが私の問題意識であったのに、これが歪曲されているので、もう少し具体的に論証するという考えで論文を新しく発表することになりました。
ところで日本右翼が韓国軍慰安婦問題を事実と認定する限り、自らを縛る結果をもたらす他ないと思います。 韓国軍慰安婦は前に(?)調べたように日本軍慰安婦の経験がなければ生じなかったからです。つまり、韓国軍慰安婦は日帝の植民主義または、軍国主義を内在化した満州国軍や日本軍出身の韓国軍幹部がなかったとすれば生じなかったでしょう。したがって日本の右翼勢力が韓国軍慰安婦を認めるなら、日本軍慰安婦も認めるほかはない状況に陥ることになります。
また、韓国軍慰安婦問題は韓国軍の歴史において수치だが、現在の立場では、我々の間違った過去を自ら正すことで、むしろ日本に恥をかかせる(?)ことができると思います。私たちが日本に対し、「貴方たちが蒔いた種のために間違って育てられた花である軍慰安婦問題を、私たちが自ら解決するのだ」として。 このようになれば逆に(?)日本に日本軍慰安婦に対する責任をはっきりと糾明しろと堂々と促すことができます。
棺に入る時まで、口を閉ざすという韓国軍慰安婦被害者
プレシアン: 2002年教授の論文で韓国軍慰安婦問題が世の中に出ることになりましたが、今までこの問題が社会的に公論化されなかったことが不思議です。韓国社会内で親日勢力がそれだけ強く席を占めているためなのでしょうか?
キム・クィオク: 政府レベルでストップがかけられたようです。2002年初めて日本でこの内容を発表した時、日本の日刊紙「朝日新聞」がこれを報道しました。その後KBSの 「9時のニュース」、主要な日刊紙など国内でも多くの報道があった。ところが、今これらの記事を見つけることはできません。当時の記事が残っている所はオーマイニュースだけです。このようにいっせいに記事が全て無くなったのは、政府が介入したからとしか説明しようがないでしょう。
また、当時慶南大学の客員教授でしたが、国防部から学校に連絡が来ました。韓国軍慰安婦に関連した研究活動を自制させろということでした。その上、韓国軍慰安婦存在を立証する決定的な記録である「後方戦史」が軍事編纂研究所から消えたりしました。こうした状況を見ると(?)、当時の韓国政府がこの問題を非常に不都合に思い、直接的に制止しようとしたと思われます。国家レベルで死んだ声を(?)作ってしまったのです。
ところでオーマイニュースに記事が残っているので、朝鮮戦争の季節になると放送局からいつも連絡がきました。放送で要求されるのは、韓国軍慰安婦被害女性の証言でした。私は「後方戦史」という文書があるので、先にこれを放送して公論化させれば被害女性たちが声を上げることができると話しました。
韓国軍慰安婦の問題が公論化され、これが当時の政府が間違った行為というものが明らかになれば、この過程で自身の被害事実を明らかにしようとする被害者が出てくる可能性があるという考えでした。研究者の声だけでこの問題の解決を語ることには限界があるためです。
プレシアン: 日本軍慰安婦の場合、1991年キム・ハクスンさんの証言以降、社会的な関心事になりました。韓国軍慰安婦の場合も、問題解決のためにはやはり公けの証言が必要だと思いますが、被害者が証言しない理由は何でしょうか?
キム・キオック: 原因を確かめるためには誰を韓国軍慰安婦に連れて行ったのかを調べなければなりません。慰安婦として連れて行かれた女性は軍人によって性暴行にあった女性でした。これには南北の区別ありませんでした。当時には全国的にレイプが起きました。
戦時に起きる性暴行は偶発的なものと性格が違います。敵方を制圧するということが戦時性暴行の最も重要な要因です。敵方を制圧して恐怖化させること、屈服させるということが含まれた性暴行です。性的欲望のためにだけ起きるのではない。
また他の部類は思想的なレベルの問題が結びついたパターンです。自分の体験を棺に入るまでは話せないと語った被害者は北側で女性同盟(北朝鮮民主女性同盟)に所属していた人でした。人民軍に賦役した人だったということです。 このような女性たちを慰安婦として連れて行ったのは、遠からず潜在的な敵や敵になる可能性があるとか、時の家族を慰安婦として連れて行った(?)ことを意味します。
慰安所に連れて行かれはしなかったが、危うく慰安婦になるところだった女性の証言でもこのような側面が明らかになっている。 朝鮮戦争勃発当時、医大生だったこの女性は避難する事できず、そのためソウルを占領した人民軍に従軍することになった。 韓国の立場から見れば典型的な「赤」だが、この女性の立場では生きる為の止むを得ない選択だった。 ところが、人民軍が後退してからやって来た韓国軍によって慰安婦として連れて行かれる運命に。この女性は結局慰安婦になることはなかったが、戦場に連れて行かれると、女子中学生くらいに見える子供たちが数十人いたと証言した。
このように性暴行にあったという自身の辛い過去に加え理念的な問題も絡み、韓国軍慰安婦被害者は自分の被害事実について一貫して沈黙していました。 この話を公言した瞬間、自分の全人生が壊れてしまうという状況なのですから、国家が過ちを認めない限り自分の被害事実を語ることは非常に難しくないでしょうか。
また、日本軍慰安婦被害者はこの問題を解決する為に日本と戦いますが、韓国軍慰安婦被害者は自分の国と戦わなければならないという点も韓国軍慰安婦被害者が自分の話を持ち出し難くさせています。必然的に、国と争い反体制者と烙印を押されればどうなるかという心配が存在します。 被害者が背負っているこのような重荷を減らすためにも韓国軍慰安婦の誕生背景を研究することは重要です。
プレシアン: おっしゃるように日本軍慰安婦と韓国軍慰安婦は性格が多少違うようです。ところで日本軍慰安婦問題に人々が関心を持って見られる(?)理由が女性の人権よりは日本に対する韓国国民の反感に傾斜していると見れば、韓国軍慰安婦問題の責任を問うことは一層難しいのではないですか?
キム・クィオク: 容易なことではありません。それでも試みなければなりません。すでに数年の準備を経て米軍慰安婦被害者が訴訟を起こさなかったですか?米軍慰安婦は直接的には米軍が作ったと言っていませんが、米軍と韓国軍と事業主が三拍子のようにして共同で作ったのです。 米軍慰安婦まで生じたのは、結局韓国軍慰安婦を清算できなかったためであり、これは日帝植民清算を正しく行うことが出来ないことにまで繋がり(?)ます。韓国軍慰安婦と日帝残滓を清算できないことに対する戦いが広がっているのです。
現政権が日本軍慰安婦問題を解決するために韓日局長級協議を行っています。被害者が納得できるレベルの解決を示すには、韓日の過去の歴史を清算し非可逆的な平和の方式として持っていくべきなのに、実際には日本軍慰安婦問題だけ解決されれば成立するのではありませんか(注: 日本軍慰安婦問題だけ解決して終わりにしてしまう、という意味か)?
日本軍慰安婦問題は日本の植民支配の中で最も弱い人々が国家が犯した暴力によって人権を蹂躙された事件です。このような暴力的な事態を解決し、未来に真の和解が成立する基礎を作ることが日本軍慰安婦問題解決の要諦ならば、日本軍慰安婦制度によって作られた韓国軍慰安婦問題やはり必ず解決しなければなりません。 韓国政府が韓国軍慰安婦について顧みずに日本に日本軍慰安婦問題だけ解決しようとすれば自己矛盾に陥るほかありません。
一部の韓国軍慰安婦被害者が人民軍に加担したり、当時北朝鮮と関連があった人もいたというような理念的基準を突きつける可能性もあります。ところで、いわゆる「赤」だから不法に性暴行を受けても構わないということでしょうか?これは理念とは違うレベルの問題です。
その上、証言をした方は、人民軍がソウルを占領してやむを得ず賦役行為をした人々だ。これらを「赤」と追い詰めることが国家の役割なのでしょうか?国家はこれらが「赤」になる時までいったい何をしていたのでしょうか?
国家が国民の責任を負わないまま烙印を捺すだけ追い込むなら、国民は国家に対して忠誠をつくすことが難しくなります。さらに国家が女性人権を蹂躪し、それ以後も被害者に息詰まる社会の中で生きさせたとすれば、一体国家の役割は何なのかと疑問を抱かざるをえません。
棺に入る時まで自分の話を公にしないと話した被害者の苦痛を考えれば、国が一度は過去の過ちを払いのけるべきではないでしょうか?再び戦争のない、そして戦争のために被害を受ける国民がいない国を作るという確約が日本軍慰安婦問題を解決していくための政府の基本的な立場なら、より一層問題解決に乗り出すべきだと思います。
日本軍慰安婦、謝罪だけ要求するのでなく
プレシアン: 昨年日本軍慰安婦に関する局長級協議が何度も開かれました(引用者注: 慰安婦問題限定の協議ではない)。今年も両国間の協議は予定されていますが、現実的にこの問題を解決するのが難しいのではないかという観測もあります。慰安婦を研究する学者として、この問題の解決のために韓国政府がどのように接近するべきだと思いますか?
キム・キオック: まず日本軍慰安婦の真相を糾明することが最も重要です。日本はまだ歴史的真実を表わさないでいます。民間レベルや訴訟過程で関連資料が出てくる程度です。一方で日本が国家レベルで行った謝罪は、私たちも謝罪と認める必要があると思います。 謝罪したにも関わらず安倍晋三総理がひっくり返すことに対して問題提起しなければなりません。日本軍慰安婦動員の強制性を認めた1993年の河野談話や1995年の村山談話はとても重要な事実を指摘しています。 2010年間管直人総理は「韓日併合100年に際した総理談話」を発表した。中途半端な部分はありましたが、これも過去の歴史全般について重要な内容を含んでいます。私たちは今後の日本の政権にこういった談話内容を継続して守って行くよう要求しなければなりません。そしてこれと共に日本の侵略を立証する歴史的な文書と資料を出せと促さなければなりません。
日本と戦いを多角的、戦略的に解きほぐす必要があります。 日本の河野談話などを既定事実に受け入れた後これを証拠資料を通じてはっきりと証明をやり遂げろと要求しなければなりません。 私たちがずっと謝罪しなさいとだけ言えば日本は「謝ったのに、まだ何をしろといっているのか」と言い、これがずっと繰り返される可能性が高い。 もう日本の言葉だけの謝罪に対して確実な責任を負えるようにする知恵と戦略が必要です。
プレシアン: 一部では慰安婦被害者に対する日本国家レベルの賠償が事実上不可能ではないかという指摘も出ています。
キム・キオック: そんなことはありません。正確な真相究明が行われれば、国家賠償は当然ついてくるしかありません。日本は当時強制労働をしないと言う。ですが、日本軍慰安婦だけでなく強制徴用を通じ不法的に労働力を搾取した。これに対する責任所在を明確に選別しなければなりません。
また、慰安婦を含め強制徴用された人々が労働の代価をまともに受けることができなかった。解放後故国に帰れなかった人も多く、たとえ帰還しても無一文で戻った人が多かった。このような状況に対する真相が糾明されれば、当然日本という国家から当然返してもらわなければならないということも出てくることになります。
結局、国家賠償問題は日本軍慰安婦をはじめとして強制徴用の実体を正確に明らかにすれば自然と出る問題です。研究者や特定の政治集団が解釈して判断する問題ではありません。参考として、ドイツは戦後賠償を払いましたし、ウイリー・ブラント総理が謝るとすぐに強制徴用を敢行した企業らがその費用をみな返すこともしました。決して不可能だったり難しいことでなく、当然の手順です。
※ 昨年12月30日、漢城大学で行われたインタビュー部のみ。翻訳は不正確かもしれない。