2016/01/17

韓国人父兄協会とT・アベラ再び慰安婦教育法案NY議会に


今度こそ、ニューヨーク州で慰安婦問題を公立学校のカリキュラムに義務化させると意気込んでいるのは、トニー・アベラ、ニューヨーク州上院議員とニューヨーク韓国人父兄協会。彼らは昨年失敗しているので今度は二度目の挑戦である。

アメリカの若者たちが「正しい歴史」を学ぶことで、彼らがいずれ日本政府に対して賠償と「正しい歴史教育」を要求して圧力を加えてくれるようになることを期待している。韓国のように、教育からアメリカを変えようという野望。

今や水曜デモの主役は若者や子供たち
「正しい歴史教育」で米国も変わるか?

ニューヨークの政治家、韓国人父兄らと世界初「慰安婦教育法」再推進

トニー・アベラ議員、ニューヨーク韓国人父兄協会、公立校慰安婦教育義務法案

慰安婦問題がアメリカでも関心を集める中、ニューヨークの政治家が韓国人父兄らと共に慰安婦教育法案を今年通過させると宣言した。

ニューヨーク州のトニー・アべラ上院議員が7日記者会見を行い、ニューヨーク州の上院で慰安婦教育法案が通過するように法案を再上程する」と発表した。 この日会見にはニューヨーク韓国人父兄協会(共同会長チェ・ユンヒ、ラジョンミ)の役員らが同席した。

ニューヨーク州の慰安婦教育法案は、戦時慰安婦動員を日本帝国主義による史上最大の「反倫理犯罪」行為と規定し、戦時中女性を相手にした性暴行をニューヨーク州の公立学校での教育を義務化する内容を骨子としている。 これと共に東海(日本海)併記についても教育を義務化し、歴史を正すための理想的な法案という評価を受けている。

当初この法案は、アベラ議員が2014年2月にニューヨーク韓国人父兄協会など韓国人社会の積極的な支持を基に発議し、上院を通過したが下院で会期内に処理出来ず自動的に廃案になった。下院でも支持議員が多かったが、当時下院で政略的と(?)解釈され衝突したせいで表決にすら持ち込めずお蔵入りした。

昨年も同じ法案が再推進されたが、ニューヨーク韓国人会の状況などの韓国人社会がしっかりとサポート出来ず(?)再挑戦の機会を逃した。 しかし最近日本政府間の慰安婦合意が議論になっているのと関連し、ニューヨーク韓国人父兄協会は「今年こそ必ずこの法案を通過させ、世界で初めて慰安婦歴史教育を義務化する元年にする」という意気込みを見せている。

アベラ議員は「慰安婦問題のような暗黒の歴史が繰返されないためには未来を担う学生たちが正しい歴史観を持たねばならない。 ニューヨーク州が世界で初めて発議した法案が必ず通過するよう、韓国人社会が積極的な活動をして欲しい」と要請した。

ニューヨーク韓国人父兄協会のチェ・ユンヒ会長は、「ニューヨーク州では東海法案は2009年から、慰安婦教育法案は2014年から発議しているが、最後の難関を越えることが出来ず、毎回挫折している。 慰安婦問題がどれほど残酷な犯罪で、再び繰り返されてはならない悲劇なのか、教育課程に入れアメリカの若者たちが学び、進んで日本政府の公式謝罪と賠償はもちろん、日本も将来世代のための教育をするように誘導する」と明かした。

ニューシス 2016.1.9[2]

뉴욕정치인 한인학부모들과 세계최초 '위안부교육법' 재추진

토니 아벨라의원 뉴욕한인학부모협회 공립학교 위안부교육 의무법안 

【뉴욕=뉴시스】노창현 특파원 = 위안부 이슈가 미국에서도 관심을 모으는 가운데 뉴욕의 정치인이 한인학부모들과 함께 위안부교육법안을 올해 통과시키겠다고 선언했다.

뉴욕주 토니 아벨라 상원의원이 7일 기자회견을 열고 뉴욕주상원에서 위안부교육법안이 통과될 수 있도록 법안을 재상정한다"고 발표했다. 이날 회견엔 뉴욕한인학부모협회(공동회장 최윤희 라정미) 임원진이 함께 했다.

뉴욕주의 위안부교육법안은 전쟁 위안부 동원을 일본 제국주의에 의한 역사상 최대의 ‘반인륜 범죄’ 행위로 규정하고 전쟁기간중 여성을 상대로 한 성폭력을 뉴욕주 공립학교에서 교육을 의무화하는 내용을 골자로 하고 있다. 이와 함께 동해병기도 교육을 의무화해 역사 바로세우기를 위한 이상적인 법안이라는 평가를 받고 있다.

당초 이 법안은 지난 2014년 2월 아벨라 의원이 뉴욕한인학부모협회 등 한인사회의 적극적인 지지를 바탕으로 발의해, 상원에서 통과했으나 하원에서 회기내 처리하지 못해 자동폐기됐다. 하원에서도 지지의원이 많았음에도 불구하고 당시 하원에서 정략적인 이해가 충돌하는 바람에 표결조차 하지 못하고 사장된 것이다.

지난해도 같은 법안이 재추진됐으나 뉴욕한인회 사태 등 한인사회가 제대로 된 지지동력을 주지 못해 또한번의 기회를 놓쳤다. 그러나 최근 한일정부간 위안부 합의가 논란을 빚고 있는 것과 관련, 뉴욕한인학부모협회는 "올해 반드시 이 법안을 통과시켜 세계 최초로 위안부 역사교육을 의무화하는 원년으로 삼겠다"는 각오를 보이고 있다. 
DA 300


아벨라 의원은 “위안부 문제와 같은 암흑의 역사가 되풀이 되지 않기 위해서는 미래를 이끌어갈 학생들이 올바른 역사관을 갖고 있어야 한다. 뉴욕주가 세계 최초로 발의한 법안이 반드시 통과될 수 있도록 한인사회가 적극적인 활동을 해 달라"고 요청했다.

뉴욕한인학부모협회 최윤희 회장은 "뉴욕주에선 동해법안은 2009년부터, 위안부교육법안은 2014년부터 발의했음에도 마지막 고비를 넘지 못하고 번번이 좌절됐다. 위안부 문제가 얼마나 참혹한 범죄이고 다시는 되풀이되서는 안되는 비극인지 교과과정에 넣어 미국의 젊은이들이 배우고, 나아가 일본정부의 공식 사과와 배상은 물론, 일본 역시 미래세대를 위한 교육을 하도록 유도하겠다"고 밝혔다.

「合意無効の全国行動」 日韓両政府に対抗し財団設立

挺対協にとって今がピークなのかもしれない
「全国行動」発足式

挺対協が、慰安婦たちにアジア女性基金の金を受け取らせないよう、韓国政府に金を出させたのが20年前。今度も彼女たちは同じような事を始めた。新基金を失敗させる為に、対抗して財団を作り先回りして金を用意し、基金をから償い金を受け取ることを妨害される慰安婦の不満を吸収しようという作戦。

外交部(外務省)へ向けてデモ

日本政府もこうなる事は予想していたので、予め今回の基金には韓国政府も関与させ日韓合同事業とする体裁をとった。よって、挺対協は今回、韓国政府をも直接攻撃の的とせざるを得ず、韓国は「最終的解決」を巡り政治的に分裂。挺対協も大統領支持派の一部から攻撃を受けている。これは少しずつダメージとして蓄積して行くのではないか?もっとも、国に頼らず資金を集めることが出来るとすれば、この20年間に挺対協がどれだけ力をつけたか分かろうというもの。

10億円に対抗 「慰安婦」財団設立推進
600の個人・団体「合意無効と正しい解決全国の行動」が発足

韓国政府と日本政府が日本軍「慰安婦」問題の妥結(12.28合意)の為に10億円(約97億ウォン)の財団を設立するのに対抗して、市民社会が「日本軍『慰安婦』正義と記憶財団(正義記憶財団)」の設立を進めることになった。

韓国挺身隊問題対策協議会、我らの同胞一つに運動本部、全国民主労働組合総連盟、韓国労働組合総連盟、平和の蝶、参与連帯などの市民社会は、14日午前11時ソウル市世宗大路の韓国プレスセンター国際会議場で「韓日日本軍『慰安婦』合意の無効と真の解決のための全国の行動」を旗揚げし「正義記憶財団」設立の意向を公表した。

「正義記憶財団」は日本軍「慰安婦」問題の解決は真相究明、事実認定、公式謝罪、法的賠償、後世への教育、追悼事業などの再発防止後続措置が原則とならなければならないということから出発した。

しかし、「12.28合意」の後続措置として設立される財団は該当原則と距離があるため、長期的観点から日本軍「慰安婦」問題解決に寄与する財団が必要だという認識だ。

主な事業は△日本軍「慰安婦」被害者福祉および支援、△真相究明および記録保存、△平和碑(少女像)の建立および追慕、△教育、△出版および広報などになる見通しだ。

この日335人の個人と383の団体が名乗りを上げる中で、「正義記憶財団」の活動等を含んだ「韓日日本軍『慰安婦』合意無効と正しい解決のための全国の行動」(全国の行動)が発足した。

これらは発足宣言文の中で「合意が成立するまで被害者は何の説明も聞くことが出来なかった。韓日の外交長官『合意』は、被害者達と支援団体の要求を全く入れることが出来ない」として合意の無効を訴えた。

これについて全国の行動は「2016年から再び日本軍『慰安婦』問題の正しい解決のための行動を始める」として「日本政府の犯罪事実の認定、翻意することの出来ない明確かつ公式の謝罪、謝罪の証拠としての賠償、真相究明、歴史教育と追悼事業などが措置を世界の人と共に要求していく」と強調した。

そして韓国と日本政府が設立する財団を「第2のアジア平和国民基金」と規定し、「10億円の出연を断固(全身で)拒否して、全世界の人々が日本軍「慰安婦」で犠牲になったハルモニと手を握る募金運動を始める」と明らかにした。

同時に(?)「ハルモニに真の名誉と尊厳を抱かれて差し上げるだろう。この地で再び戦時性暴力が起こらないようにする。この地で再び戦争が起こらないようにする」とし、「私たち皆ハルモニの涙を拭いて差し上げ、平和碑がはじめて踵を地面につけて(?)差し上げる」と宣言した。

全国の行動は先に△「12.28合意」無効の国民的共感拡散および再協議要求世論の結集、△対政府、大政界再協議圧力(迫)、△「10億円慰労金」を代替する国民募金で被害者らと連帯、△平和碑守護および追加建立などの活動を行っていく予定だ。

このために各界の宣言、署名運動、キャンペーン、講演などを展開し、来たる三一節に街頭行進を行う計画だ。そして国連など国際社会に緊急呼び掛け書簡を送り、アメリカでのキャンペーンも行う方針だ。

特に、日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議緊急代表者会議を来る2月18日南北、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダ、中国、日本など代表団が参加した中で開催することにした。

この日全国の行動発足式に参加した日本軍「慰安婦」被害者キム・ボクトン・ハルモニは「韓国政府に(?)立ち上がって解決してくれと言ったのは、このように虚しく妥結したという声を聞きたかったから(?)ではない」として「12.28合意」に反対した。

キム・ハルモニは10億円財団の慰労金の受領拒否する意思を繰り返し明らかにし、「私たちはそのようなお金は受け取らない。法的に謝罪して賠償すべきだ、これでもなくてあれでもなくて・・・私たちはこんなお金を受け取ることは出来ない」と話した。

そして「正義記憶財団」の設立と関連し、「私も被害者だが(?)、私たちのように被害を受けて苦労している人々のために熱心に戦って欲しいと(?)私もやはり(?)参加する」「絶対に(10億円財団の慰労金)は受け取らないので皆さんが協力してほしい」と訴えた。

イ・ヨンス・ハルモニも「パク・クネ大統領がこの問題を引き出して解決しようとしたと自慢げに話している。正しくしなければならない」として「歴史に残ることだ。(合意に)絶対反対だ。私たちは解放され(?)なかった」と話した。

同時に「日本が公式謝罪し、法的賠償してこそ解放になる」としながら「最後まで日本と戦う。力を違って。国民を信じて生きる。国民を信じて戦う」と強調した。

この日の参加者100人余りは、「韓国政府に送る要望(求)書」を採択し、韓国プレスセンターから外交部庁舎まで行進した。要望書は外交部関係者に渡された。

彼ら(?)は要望書において「韓国政府が日本軍『慰安婦』被害者の尊厳と名誉回復の為に果たして心底努力したのか疑わしい」として「被害者の意を勝手に曲げ、今回の合意を合理化させてはならない」と強調した。

そして「歴史歪曲と再武装に拍車を加える日本との軍事協力のために歴史の正義回復の原則も、被害者と国民の意思すら破った今回の合意は、何の正当性も持たず完全に無効だ」として「合意を廃棄し、被害者の意が全面的に反映された正しい解決のためにやり直す(?)こと」を要請した。


2016/01/15

「最終的解決」に触れない福島瑞穂



福島瑞穂について、以前のエントリーに書いたことを繰り返すことはしないが、彼女は慰安婦騒動の仕掛け人の一人であった。池田信夫の評(リンク先参照)は多少辛すぎるかもしれないが、今回の合意について触れようとしないというのはどうなのか?合意がなった昨年12月の28日から今日に至るまで、この件について触れていない(少なくともツイッターでは)。


12月27日から1月1日分

[写真で見る水曜デモ30] in ロンドン



1月6日に世界同時開催を謳って行われた連帯(水曜)デモ。ロンドンの韓国大使館前にも20人超が集まり、日韓合意に抗議した。日本で行われたデモ同様、ここでも「少女像」の絵が登場。なお、デモは日本大使館ではなく、韓国大使館前で行われた。

[報道] 慰安婦像、撤去のめど立たず


日本にとっては、悪い状況ではない。

慰安婦像、撤去のめど立たず…野党も合意反対に

ソウルの日本大使館前に設置されている慰安婦を象徴する少女像の問題で、元慰安婦を支援する韓国挺身ていしん隊問題対策協議会(挺対協)などが14日、ソウルで記者会見し、少女像の撤去や昨年末の慰安婦問題を巡る日韓両政府の合意に反対する声明を計386の団体名で発表した。

韓国の朴槿恵パククネ大統領は合意履行の意思を表明しているが、合意反対の動きに野党も加わる中、少女像撤去について前進の糸口が見えない状況となっている。

「(少女像の)移転を論議するのは屈辱的で国民の権利を侵害する越権行為だ」

挺対協などは記者会見でこう主張し、日韓合意に基づき、韓国政府が元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、日本政府がこれに対して一括で拠出するとした10億円について受け取りを拒否すると宣言した。

こうした動きに乗じ、最大野党「共に民主党」も日韓合意の再交渉を主張している。別の野党を率い、次期大統領選の有力候補と目される安哲秀(アンチョルス)議員も合意には批判的な立場で、少女像問題が今年4月の総選挙で争点となる可能性が高まっている。「韓国ギャラップ」が8日に発表した世論調査では、少女像の移転に反対する回答が72%に上っており、朴政権としては、移転の議論さえ持ち出せない状況が続いている。

読売 2016.1.14

2016/01/14

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約


著者本人による『帝国の慰安婦』の要約。本を読む気力のない人の為に。

それにしてもパク教授、どうも秦教授や吉見教授の本を読んだことがないのでは、という気が。・・・別に、問題ではないのだが。

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約
2013年7月30日

慰安婦問題をどのように考えるべきなのかー秦郁彦・吉見議論(2013・6)を踏まえて(2013・7・15、明治学院大学)

慰安婦問題はどのように考えるべきなのだろうか。昨今大きな混乱を呼んでいるこの問題について、とりあえず日本で「慰安婦問題の第一人者」とみなされている二人の歴史家のお話に議論を添わせる形で話したい
。

ここで議論の土台にするのは、去る6月にラジオで放送された「秦郁彦 吉見義昭 第一人者と考える慰安婦問題の論点」である。安倍首相は「歴史家に任せたい」としていたが、歴史家の「第一人者」の議論がなかなか接点を見いだせていないことから分かるように、慰安婦問題はもはや単に「歴史家」の考えだけでは日韓の合意どころか「日本内」の合意さえ見いだせない状況となっている。

日本内、あるいは日韓間の「合意」を導き出すのが難しくなっているのは、この問題がすでに長い間解決されないまま長引き、両国民の多くがこの問題に関してかなり詳しい「情報」を持った結果として政治問題となってしまったからである。それには、「慰安婦」そのものをめぐる情報や考え方の食い違い自体よりも、現在身を置いている政治的立場やそれに伴う感情までが入り込んでしまったという背景がある。さらに、この問題に直接・間接にかかわってきている人の数が多く、そのほとんどの人たちが間接的な「当事者」にもなっていて、かかわった期間が長かっただけにそれぞれの主張が自らの価値観や政治的立場を示すものにさえなっていることも、既存の考え方や立場をなかなか崩せない大きな原因となっている。

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。

1、できるだけ早い解決

2、そのためにこの問題を「慰安婦」という存在自体をめぐる状況はむろんのこと、ここ20年の運動や葛藤の様相についても知る。

3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。


1、「慰安婦」とは誰か

近代以降、交通の発達や国家の勢力拡張の欲望を内面化する形で、海外へ単身で移動する男性たちは多かった。そしてそのような男たちを支えるために女性たちの「移動」も多くなった。日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

そして彼女たちは朝鮮に駐屯した軍隊や国家の移住奨励政策に従って移住していった男たちのために朝鮮にも移住して行った。やがて朝鮮半島にも公娼制がしかれ、朝鮮人女性もそこで働くようになる。すでに日露戦争の時から軍人たちを「慰める」女性たちはいたのであり,軍隊を支える役割をしているという意味で彼女たちは「娘子軍」と言われていた。

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

2、「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」

当然ながら、日本の場合は遠い海外へ「国家のために」でかけている男性のために「慰安婦」が用意されるのでその対象は「日本人女性」だった。ところが、朝鮮が植民地となったがために「朝鮮人女性」や台湾女性もその仕組みに組み込まれることになる。1920年代にはすでに中国や台湾には朝鮮人女性も海外にいる「日本人」や「日本人となった朝鮮人」を相手するためにでかけていった。のちの「朝鮮人慰安婦」の前身と見るべき存在である。

3、「からゆきさん」の「娘子軍」化

からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。彼女たちが「娘子軍」と呼ばれるようになったのはそのためで、そのようにして彼女たちは蔑まれる一方で「格上げ」されることになる。一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。「慰安婦」とはそのような仕組みが支える名称である。

4、様々な「慰安所」

したがって、日本軍が1930年代に入って突然「慰安婦制度」を発想して<「慰安所」を作った>のではなく、それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。他国の場合と違うのは、‘愛国心がその仕組みに利用されたことである。
日本軍は、満州国と日中戦争のために駐屯軍のために、それまで衛生など(内地なら警察が管理していた)の「管理」をしてきた売春施設のうち(料理屋、カフェなどにはその役割をしたところもあった)、基準を満たすところを「指定」して「軍専用の慰安所」にした。しかしやがて軍隊の数が増えたことや、便宜性などを考えシステム化するにいたったのである。そして業者を使って「募集」するにいたったが、その形はさまざまであった。

つまり今日「慰安所」と考えられているところには、必ずしも軍が新たに作ったところだけではない。日清・日露戦争以降の既存の施設も含まれ、すでに個別に働いていた人たちに軍が接受した場所を提供し、「収容」する場合もあった。「業者」を、移動や経営に関する便宜を与えるために「軍属」(あるいは軍属扱い)にする場合もあった。

しかし、それはあくまでも「軍が作った」慰安所に限る。したがって「慰安所」の形が様々であるだけに、「業者」のあり方も様々だった。島などの場合、
業者自ら、自分で粗末な「慰安所」を作り、「臨時営業」(一種の派遣業務)を始める場合もあった。しかしいずれにしても戦場の場合、移動に関して軍の許可が必要だったため、基本的にはその
多くの動きを軍が知り、統括していたのは間違いない。しかし、将校などは指定慰安所を使わずに、普通の料理屋を慰安所として利用する事も多かった。

軍が慰安所を作った(指定した)理由は、言われているように性病防止やスパイ防止以外にも、利用軍人が多くなるにつれて、部隊から近いところにおく便宜性や「安く」利用できるようにするため、の理由もあったとようである
。その場合の料金は<公>と言われた。

「慰安所」は、ひとつの形ではなく時期や場所によって様々な形があったことを念頭におく必要がある。

5、様々な「慰安婦」

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者は、厳密な意味では「慰安婦」とはいえない。

したがって、アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきではなく、本来の「慰安婦」の名前にふさわしいのは、「日本人」や「日本人」にさせられた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけと考えるべきである。

しかし、普通の売春施設にいた女性たちも「慰安婦」と同じように軍を対象にした性労働に従事し、「愛国食堂」のような看板を掲げて軍人を受け入れてもいたので(もちろん指定業所になっていたはずだ)、事態はややこしい。

しかし、すくなくとも、戦場での一回、あるいは継続的強姦をさせられた女性たちと、日本人を含む「慰安婦」たちの、軍人との関係の違いは歴然としている。

「慰安婦」は、このように国籍や時期、そして場所(最前線か後方か)によって、その体験は異なっている。

にもかかわらず、そのすべてを「「慰安婦」と考えて、問題の対応に当たったことから、大きな混乱が始まったのである。

しかし、そのどのケースであっても性的労働に従事させられるのは、社会における弱者であり、彼女たちの多くが病気にかかりやすく、死が隣り合わせの悲惨な境遇にいたことを認識することは、慰安婦問題を考えるための大前提とならなければならない。

6、「強制連行」について

したがって、軍人を相手に性労働をするまでになった経緯も当然ながら一つではない。中には本格的な募集が始まる前から現地にいた女性もいた。

韓国で最初にこの問題を提起した人は、自分が経験した「挺身隊」のことを「慰安婦」のことと勘違いした。彼女が経験した「挺身隊」は「学校」で「判子」を押すような形だったので彼女はその募集を「強制」と思ったのである。しかし「挺身隊」の募集が「学校」単位での「国民動員令」によるものだったことから分かるように「教育」のある人が対象だったのに対して「慰安婦」はほとんど低いレベルの教育か教育を受けていない人がその対象だった。韓国で慰安婦が「強制連行」されていったと考えるようになったのは、日本の否定者たちが言うように慰安婦が「嘘」を言ったからではなく、まずはこの90年代の勘違いによる。

しかしさかのぼれば植民地時代にすでに「挺身隊に行くと慰安婦になる」との風聞はあった。「慰安婦」は「挺身」して「兵隊さんのためのこと」をすると言われたのであり実際のところ看護補助や洗濯など「性的慰安」以外のことをさせられる場合もあったので、まったくの誤解とも言えない
(兵士の墓の掃除や洗濯なども、朝鮮人慰安婦たちはやらされていた)。

「軍人」がつれていったと証言する慰安婦の割合はすくなくとも証言集を見る限りむしろ小さい。そしてその場合も、「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた可能性が大きい。また、業者自らが、集めやすいように、当時始まっていた国民動員としての「挺身隊」へ行くのだと言った可能性も排除できない。業者は、日本人と朝鮮人がペアで現れたことが多かったようである。

しかし、慰安婦の募集は、一人や少人数でいるところを「工場」へ行くなどの言葉でだまして連れて行かれたことが、証言では圧倒的に多い。そういう意味では、「軍につれていかれた」という意味での「強制連行」はなかったか、たとえあったとしても「例外的」なこと—つまり「個人」の逸脱行為と見るべきであって、「軍が組織として(立案と一貫した指示体系を通して)だましや強制動員をした」と見るのは間違いと考える
。

オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれはより「強制性」が強い。ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言いにくい。日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味を持つからである。このような日本軍との「関係の違い」が無視されて同じ「被害者」としてのみ理解されたために、「強制連行」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせずに慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。

大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には,もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)、民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が「指定」し衛生などを「管理」した所で働いた人たち、戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが混在している。

軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ることもあったと見られる「業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的、しかし「法律を作っての」国民動員。しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。つまりもと慰安婦たちが「嘘」をついているというより(まったくないとは言い切れないにしても)、今はいないはずの「業者」たちが嘘をついた可能性も大きい。

7.日本軍と朝鮮人慰安婦

朝鮮人慰安婦は、場所によっては着物を着て日本名をつけられて働いた。つまり「日本人」女性に代わる存在だった。慰安婦たちには料金の区別がつけられていて、「日本人」が一番高く,その次が朝鮮人だった。本来なら巻き込まれないでいいはずの(日本を対象とした)「愛国」に朝鮮人も動員されたのである。その意味では朝鮮人慰安婦は日本の「植民地支配」が生んだ存在であり,その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。そして、慰安所に着くと最初に将校や軍医による強姦も多く、部隊移動中にも朝鮮人たちは「朝鮮人」であるゆえに、決まった性労働以外にも強姦されやすかった。

同時に、「国家のために」集められた「軍慰安所」に居た場合は、構図的には敵を相手に「ともに闘う同志」の関係にあった。兵士の暴行などを上官が取りしまり、業者の搾取を軍が介入して管理する場合も多かったようだ。

地域や時期にもよるが、慰安婦が、圧倒的多数を相手しなければならない過酷な体験をしたのは間違いない。同時に、基本的には兵士や業者の横暴から慰安婦たちを守るような規範もできていた。もちろんその規範が必ずしも厳しく守られたわけではなく、兵士たちはよく朝鮮人慰安婦によく暴行をふるい、注意程度の処罰しか受けなかったことも多かった。
朝鮮人慰安婦はそのように総体的な民族差別の中にいた。朝鮮人慰安婦と日本軍人は恋愛も可能だったが、そのことを見ることが、宗主国・植民地出身という構図のなかの差別や搾取を無化することになってはならない。

朝鮮人慰安婦の一部は、最前線においても行動を共にしながら、銃弾の飛び交うような戦場の中で兵士のあくなき欲望の対象になり、銃撃や爆弾の犠牲になるような過酷な体験をした。つまり、たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、朝鮮の女性たちをそのような境遇においたのは「植民地化」であった。したがって、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は、「戦争」責任以前に「植民地支配」責任として問われるべきである。

8、業者

軍が必要として集められたのは確かだが、拉致や嘘を軍が公式に許可したとする証言や資料は今のところみつかっていない。そして、嘘までついて強制的につれていったり、病気などの時も「強制的に」働かせたり、逃げないように監視したり、中絶させたのは、ほとんどの場合日本人や朝鮮人の「業者」だった。日本人業者の方が規模が大きく、朝鮮人業者の方が規模が小さかったように見える。
慰安婦たちの多くはは借金状態を抜け出せず、自由廃業ができなかったがその直接の原因はこうした業者たちの搾取構造にある。
吉見教授は慰安婦に「居住」「廃業」などの自由がなかったというが、それは基本的には「業者」による拘束と戦場であるがための拘束であり、「軍人」に移動の自由がなかったのと同じケースと考えるべきであろう。

そしてもと慰安婦たちの身体に残っている傷跡も業者によってつけられた場合が多い。軍が暴行する場合ももちろん多かったが、少なくとも公式には禁じられていた。

つまり、「慰安婦」を巡っての「犯罪」——当時の法律に抵触する行為は、拉致・誘拐や人身売買であって、「慰安所利用」を「道徳的に」問題のある「罪」と捉えることは可能でも,当時の(法律に抵触する)「法的犯罪」と捕らえるのは難しい。

9.20万の少女

「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数だったことが、1970年頃の韓国の新聞記事から推測可能だ。新聞は、日本人女性が15万,朝鮮人が5—6万、と言及している。こうした誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解されてきたものと考えられる。しかもその「慰安婦」の全てが必ずしも「軍が作った」「軍慰安所」にいたわけではないことはこれまで述べてきた通りである.

慰安婦になった人には「少女」がいなかったわけではないが、1960年代の韓国映画には朝鮮人学徒兵たちにおける慰安婦が成人だったことが分かる。
実際に証言を見ると十代前半のケースはむしろ少なく、当時の軍人たちにも「例外」な状況として受け止められていた。「慰安婦」と名乗り出た人の多くがまだ幼かった「少女」であったことを強調するのは、彼女たちがその「例外」のケースにいた人々と見るべきだろう。実際には、証言者の多くが、「他の人は自分より年上だった」と語ってもいる。売春業界に少女が連れ込まれるのは世界中にあることであり、そういう意味で少女が多かったことはありうるが、それは日本軍の意思というより、業者の意思によるものと考えるべきである。慰安婦の都市は一概に推定できないが、証言集や資料による限り、その平均年齢は、20才以上と考えられる。

10、敗戦後の帰還

慰安婦が敗戦後に帰国できなかったのは、戦場での爆撃の犠牲になった場合や玉砕に巻き込まれた場合が多かった故のことと考えられる。中国にいた慰安婦たちは、いわゆる「引揚げ者」たちの受難を同じく経験していて,場所によっては帰ること自体が難しく、その道のりで犠牲になった場合もあると考えられる。そのほかは帰ってきたかその地に残ったものと見られる。敗戦後に「置き去り」にしたことに、動員した軍に責任があるのは言うまでもないが、それでも慰安婦たちの「おきざり」に対するうらみは、日本軍より「業者」に向かう場合が多い。軍と行動を共にした場合、負ける戦闘のさなかでのことであって、その状況は様々で、軍が帰国を助けた場合もあった。

11、1990年代の謝罪と補償

1990年代に日本が「慰安婦」と名乗り出た人々に「謝罪と補償」をすべく作った「アジア女性基金」は、被害者たちが要求した「国会立法」を経たものではなかったが、当時の閣僚たちの合意に基づいて作られたものだった。国会では立法を進めた議員たちもいたが、韓国の場合、1965年の日韓条約で国家間賠償が終わったことと「強制連行」の有無が議論の焦点となって法案を通すにはいたらなかった。「基金」は「国会」は通さなかったが、「政府」閣僚たちが合意してやった「謝罪と補償」である。それは「国会立法」を主張する人たちに「責任回避」の手段と非難されたが、1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が、「法的責任」は存在しないと考えながらもなお、「道義的責任」を取る
として行った、いわば「責任を取るための手段」だった。国民の募金でまかなうと言われていたが、300万円に当たる医療福祉補助費も出されていて、名前こそ「補償金」でないが、実際に慰安婦たちにわたった補償金の半分以上が国庫金から出されている。最終的には事業費の89パーセントが国庫金からまかなわれていた。そういう意味では「基金」は、単なる「 民間基金」ではなく、日本政府と国民が心を合わせて行った「謝罪と補償」の試みであった。もちろんこのとき、日本政府は、基金への関与をより明確に言えばよかったであろう。

12、1965年の過去清算について

1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。「植民地支配」という過去清算に関する条約ではなかったのである。条約の文面にひとことも「植民地支配」に対する謝罪の言葉が入ってないのはそのためである。実際徴用などに関しての「補償」も、中日戦争後のことに限っていた。しかし朝鮮は日本の戦争相手国ではなく、むしろいっしょに闘った立場だったので、この補償は、恩給などに当たる、いわばもと「日本国民」としてのものだった。突然両国が引き離されることになったための、貯金やその他を含む金銭的事後処理が中心だったのである。

そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。

当初韓国側は「植民地支配」による被害について(人命損失など)も請求しようとした。最終的にそれが削除された理由は明らかでないが,おそらく今でも続いている論争——「植民地支配は合法」、つまり韓国の意志でやったことだというような議論があってのことかもしれない。確かに当時においてはほかの元帝国も「植民地支配」に関して謝罪したことはなく、それは時代的思考の限界だった。つまり、1965年の条約は植民地支配についての謝罪にはなっていないが、それは冷戦下にあって元帝国諸国がそのような事に関して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかったこと、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去清算」を急いでしまったためのことだった。

13、1910年の合併条約について

さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。そしてこの時の条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生じることになる。しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的には正しくても現実的には無理がある。それはアメリカやイギリスなどやはり植民地を作った大国の承認を得てやったことであって、彼らだけの「法」に基づくものだったという意味でなら「不法」と言えても、ともかくも「合併」を韓国が承認した文面が存在する限り、残念ながらそのことを「不法」とは言えなくなるという現実もある。

もっとも、国民のほとんどに意見が聞かれたわけでも知らされていたわけでもない「合併」は、「ほとんどの朝鮮人」の了解や承認を得ていないという点ではほんとうの意味では「了承」したとは言えない。しかし国の代表がそうしてしまった時点で、不服でも、「不法」といえないことは、政治的・時代的限界と考えるべきであろう。そのような「法」に問題があったことを後世の人々が認めるのなら(すでに90年代の日本の謝罪はそれを間接的に認めたことにはなる)、たとえ「不法」でなくても、道義的に問題があったとみなすことは可能である。「法」にかかわらず、日本に植民地支配の責任があることは間違いない。

14,「法」の問題

韓国政府や支援団体が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「不法」と認めて「賠償」せよとするものである(日本の支援者の多くもそれを主張している)。しかし、当時において日本内で「売春」が「不法」と認められていなかった以上、そのことを「不法」とみなすことは無理がある。たとえ国際的に不法と見なし始めていた時期だったとしても、である。当時は性暴力さえもまだ「法」で処罰することはしていなかった時代だったのであり、だからこそ男たちは罪の意識もなく強姦を繰り返したのである。

しかし「人身売買」は当時においても「不法」と認められていた。問題は、その人身売買を日本軍が指示したかどうかにある。実際に人身売買であることを知りながらも黙認したふしはある。しかし、日本軍は
詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない。

15、再び「アジア女性基金」について

そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。

すでにイタリアやイギリスも植民地支配に関して謝罪をしたことがある。もっとも、日本も,細川首相や村山首相が行った。しかし、最初は「慰安婦問題」を「植民地支配」と捉えていたのが、のちに別の国の人たちが現れることになったことが影響して、普遍的な「女性の問題」と捉えられることになったために、そのような捉え方はやがて消えてしまった。

しかし、現在この問題で、ほかの国・地域は「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在慰安婦問題を「不法」だったとして「賠償」を求めているのは「韓国人慰安婦」だけなので、「日韓問題」として捉え直す必要がある。
そして、あらためてそうした状況を念頭におきながらしかるべき解決を考えるべきであろう。オランダや中国などほかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方だけでは、朝鮮人慰安婦の特殊性が見えてこない。そして、家父長制の中の犠牲者と捉える時、真なる「女性人権」の問題として向き合いなおすことができるだろう。

日本の一部の人はほかの国々もやったとして責任を回避しようとするのではなく、オランダを始め世界の「元帝国」に、「植民地支配」が起こした問題としての自覚と反省を呼びかけるべきだ。そうして始めて、アメリカもイギリスもオランダもこの問題を「自国」の問題として向き合うことができるだろう。それらの国の欲望のためにも、自国や他国の女性たちは動員されていた。

16、「性奴隷」について

朝鮮人慰安婦たちは「準軍人」のような役割もさせられていた。彼女たちの境遇が悲惨だったのはまぎれもない事実であるが、監禁し、強制にちかい労働をさせた主体は、軍のみならず業者でもある。自由がなかったという意味での彼女たちの「奴隷性」
は、まずは「主人」と呼ばれた業者との関係で成立しすると考えるべきだ。
同時に、彼女たちは、国家の必要によって過酷な労働を強いられ、命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないという意味で、軍人と変わらない。朝鮮人軍人には少ないながら一定の補償金が支払われた。それは彼らを守る法が存在したからである。そして、女性たちにはそのような『法』によって守られなかったのは近代国家システムが男性中心主義的だったからである。

17、河野談話

河野談話は「自分の意志に反して」慰安婦になったことを認めているのであって物理的な「強制連行」を認めているわけではない。つまり,連れていった過程が自分の意志ではなかったことと慰安所での性労働が彼女たちの選択ではなかったことに触れていて、物理的ではなく構造的な強制性を認めている。それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもあった。つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたものではない。しかも管理をしたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話を見直す必要はない。

18、解決をめぐる葛藤

日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識されたのは、まずは、マスコミなどの報道にもよるが、新たな補償が1965年の条約に抵触することを気にした政府が、基金に深く関与していることを十分に説明しなかったことに第一の原因がある。しかし、「仕方のない次善策」として受け止める人たちもいる中で「責任を回避するもの」と強く非難し,以後今日に至るまでこの問題で日本政府を非難している人たちの一部は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。それは、歴史認識をめぐる対立がポスト冷戦時代を迎えて行なわれ、過去の歴史に対する考え方でもって現在のアイデンティティを問われる形になったからである。
そして、正義のためのはずだったその主張は、慰安婦像と「強制連行」をめぐる理解において反対派と接点を見いだす努力を怠ったがために、結果として 、慰安婦問題に反発するひとたちが日本内にたくさん増えてしまった。
支援者たちは、天皇を犯罪者にするような国際裁判も開いたが、理念としてはいいとしても、「運動」としては広く「日本国民の合意」を得るのではない逆の方向へ行くものだったと言う点で、効果的だったとはいいにくい。2000年代以降、日本で「嫌韓流」に始まったへイトスピーチの根っこには左翼や慰安婦問題への嫌悪があった。

19、世界の意見

運動家たちは2000年代以降に日本政府を説得することよりも世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。そしてKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは 「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷として働かされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えている。欧米の議会の決議もそれらの報告書を参考にしているが、これまで見てきたように、世界の慰安婦問題への理解は、必ずしも正しいわけではない。

国連ではオランダの女性も証言していて、オランダのケースは確かに「レイプセンター」の言葉に近いものだった。しかしオランダの女性は朝鮮人や日本人慰安婦とはその立ち位置が根本的に異なる。オランダの女性が被害を受けたのは、彼女たちがオランダが植民地にしたインドネシアに暮らしていたためで、植民地をアジアに多く持っていた、オランダをはじめとする欧米諸国が、日本だけを非難するのも必ずしも公平とは言えない。

20、帝国と慰安婦

韓国や沖縄基地をはじめ米軍が基地をおいているところでは今でも遠い地に送られた兵士たちを「慰安」すべきとされている女性たちがいる。つまり、戦後直後の日本や韓国戦争での朝鮮戦争当時やその後の韓国がそうだったように、「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争に待機している)か戦時かの違いだけである。

それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国はそれを提供し黙認している。

かつて国家が政治経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのは、アイロニーと言うほかない。

弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうは意図しなかったはずだが、日韓の葛藤を維持することで韓国の軍事化や保守化を進めた。韓国が北朝鮮や中国と連携して日本を批判するのも、現実には冷戦構造の持続に加担することになる。

したがって、支援者たちは冷戦的思考にとらわれずこの問題を考え、否定者は慰安婦の悲惨さに気づくべきである。そして日本内の国民的「合意」を見いだすべきである。
まずはそれに向けて、意見が対立する人たちで議論し、接点を作れるように日韓協議体を政府主導で作るのが望ましい。「合意」を前提にし、
支援団体のほかに慰安婦本人や第三の識者を入れるのは必須である。密室議論ではなくメディアなどに公開し、この問題に関する知識を多く持つようになった両国国民に考えてもらい、納得してもらう必要がある。
最終的には、その結果に基づいて、植民地氏支配の結果としての認識を盛り込んだ<国会決議>ができるのが望ましい。
それには、
1、1990年代の基金の試みのやり直し、つまり国民を代表する国会が主体的に解決
2、欧米の決議を受け止めつつの批判的応答
3、「戦後日本」との自己認識を「帝国後日本」と捉えなおす
この三つの意味がある。


<秦・吉見議論について>

——秦郁彦教授の意見について

1)
売春婦としてのみ見なしているー愛国した存在、特に軍が運営した場合は「準軍人」として支えたことが看過されている。たとえ売春婦としても悲惨さは変わらない。お金を稼ぎ、楽しかったとすれば、「軍のために働く存在だったから」ための強制された誇りゆえ。お金を稼いだ人だけに注目する傾向が強い。慰安婦たちが楽しかったとすれば、それはそれだけつらい生活をしのぐための自己欺瞞的誇りの結果と見るべきだ。

2)
業者を朝鮮人だけと考えているが、日本人も多かったと見える。

3)
朝鮮人だけの責任にしたがっている—需要を作った日本国家の責任を考えない。

4)
業者が軍に働きかけた境遇だけではない。業者は軍属の地位を与えられることもあった。

5)
女性たちをチェックしたのはそういう「商品」を利用しないようにしたことと考えられるが、契約書があれば問題がないという主張になる。本人が認知せずに軍を手伝うことと考えた場合もあるのだから、契約書があれば問題がないとはいえない。

6)
運動が政治活動になった動きがないわけではないが、それは参加者の一部。ほとんどは単に善意で動いたと考えるべきだ。

——吉見義昭教授の意見について

1)
`強制連行`を、構造的な強制性と捉えるのは正しいが、それを官憲がつれていったことと理解する人が多い以上、その違いは正確に語るべき。

2)
性奴隷的側面があるのは確かだが、直接に自由を拘束したのは業者であり国家。売春婦にも奴隷性があることを看過している。

3)
世界が慰安婦問題で韓国の主張を認めたことは、必ずしも支援団体の主張が正しいことを証明しない。

4)
慰安婦の生活困難は業者の搾取によるもの。インフレだけではない。

5)
オランダとの関係における違いを看過。

6)
業者には純粋に民間も存在。軍属のみではない。前線に行くひとのみ。様々な慰安所があるのに軍運営のものに限定して語っている。

7)
責任—人身売買の主体は業者なのに業者の責任は語られない。国家が加担したのは事実だが、知っていて指示し、助けた(船を使っただけで人身売買を助けたと言っていいかどうか)のと、知って黙認したのと知らずに利用したのは違う。時期によって場所によって違っていたはず。それを全て軍の責任としている。

8)
構造的強制性の中にある自発性を看過。人身売買だから性奴隷というが,そうでないケースもあるし、何よりも慰安婦の「主人」は業者だった。

*どちらも慰安婦の一面だけど見ていて結論が先だっているようだ。そうである限り「歴史学者」の議論であっても接点を見いだせないだろう。

*「被害」かそうでないかだけを強調しているが、「植民地」はその両方を持つ存在だった。

*考えるべきは、国家(帝国)欲望に動員された人々の不幸を誰が償うかのこと。兵士もその一人。慰安婦も。そこに加担した民間の責任(定住者たち、大人たち)もまた大きい。

*この問題が難しいのは体験が異なるのに、「補償」は一つの形にするほかないということ。

*慰安婦は「売春婦」も無垢な「少女」の面も併せ持っていて、そのような矛盾こそが「植民地の矛盾」だった。今では変わって来ている側面もあるが、慰安婦の役割は基本的に社会の弱者に担わされるという点で階級問題であり、家父長制や性をまで戦争に利用する国家の問題である。彼女たちは自分の身体と命の「主人」ではありえなかった。そのことを知ることこそが、慰安婦問題を考えることの意味にならなければならない。


韓国政府、慰安婦個別訪問もマスコミから逃げ回る

マスコミに見つかり逃げ帰る政府の公用車(1.11)



何度か書いたが、確か野田政権の時、来日した挺対協のユン・ミヒャン常任代表が講演で、ソウルの日本大使館から職員が説得に来るが出直して来いと追い返していると話していた。実際にどういう態度で日本の役人が追い返されていたのか分からないが、職務とはいえ、大使館の職員が気の毒になった。しかも相手は毎週大使館前で嫌がらせをしている連中である。

貴方はどこの国の外交官か、
ハルモニの叱責を受ける外交次官(2016.12.29)

パク大統領と安倍首相の合意に基づき、今後は韓国政府が嫌な役目を引き受けることになった。これまで、ナヌムの家を訪問した韓国政府の役人が、日本は国際的に孤立しているなどとハルモニに期待を持たせるような事を言っていたから、慰安婦にとってはあれは嘘だったのかという気持ちだろう。ナヌムの家を説明に訪れた外交部次官はイ・ヨンスに「日本の外交部所属か」と嫌味を言われ、一人暮らしの慰安婦を公用車で個別訪問しようとした役人は、マスコミに見つかり一部は遁走するはめに。

韓国政府、元慰安婦を個別に説得

韓国外務省報道官は12日の記者会見で、従軍慰安婦問題の日韓合意を受け、元慰安婦を外務省の担当者が11日に個別に訪問し、理解を求めたと明らかにした。訪ねたのは支援団体の施設で暮らしていない元慰安婦。12日付の韓国紙ハンギョレによると、生存している元慰安婦46人のうち、20人程度が独り暮らしか家族と生活している。

報道官は「独り暮らしで報道を通じた形でしか、交渉結果を知らない人もいる。今後も、合意を履行する過程で被害者側の意見をとりまとめ、反映させる努力を続ける」と述べた。

合意直後に韓国外務省の第1次官と第2次官がそれぞれ、元慰安婦の支援団体が運営する施設や、元慰安婦が共同生活する民間の支援施設を訪ねて合意内容を説明したが、元慰安婦らは反発した。

日経 2016.1.12[2]