2016/10/18

水原市民、現地韓人会と協力しドイツ慰安婦像計画再推進

推進委員会(2016.9)

「水原市とドイツのフライブルク市が進めていたヨーロッパ初の平和の少女像」「フライブルク市が日本側の妨害と圧力で建立合意を履行できないという公文書を水原市に送ってきた」・・・?

フライブルクの市長は、像は姉妹都市からのプレゼントだと考えていたが、日本に対する外交圧力が狙いだった知り、慰安婦像の提供を水原市に断ったのである。現地紙のインタビューで本人がそう語っている。市長の気持ちを理解しようとしない人々。彼らからも「平和の少女像」からも、まったく平和の香りがしない。

姉妹都市への贈り物作戦が失敗し、水原市の市民団体は作戦を変更。現地の韓人会と韓国系の?教会が設置場所を提供し、水原の市民団体が像を製作してドイツに持ち込むという計画。ドイツ人平和運動家ポール・シュナイス牧師なる生臭坊主まで出て来たが、シドニーの時のビル・クルス牧師といい、よくこういう胡散臭い人間を見つけてくるものである。国連の人権デーに合わせて設置しようとか、こういう演出が大好きなのである。

失敗に終わったドイツ平和の少女像、水原・ドイツ民間団体が再推進

水原推進委員会、現地韓人会や教会とドイツの他の都市に設置で合意
市民の寄付で少女像を製作、今年の年末の建立を目標
京畿道水原地域の市民社会団体がドイツの韓人会などと協力し「ドイツ平和の少女像」の建立を目指す(?)

水原市とドイツのフライブルク市が進めていたヨーロッパ初の平和の少女像建立が日本政府と右翼団体の圧力で先月失敗に終わるや直ちに民間レベルでドイツの他の都市に少女像を建立することに方向を定めた。

ドイツ平和の少女像建設推進委員会」のキム・ヨンギュン事務局長は17日、「二つの行政機関の間の協議で推進された少女像の建立が日本の圧力で失敗に終わり非常に遺憾だ」としながら「再びこのようなことが起きないように民間レベルでドイツの他の都市に少女像を建立する計画だ」と語った。

ドイツ平和の少女像建立推進委員会は「水原市国際姉妹都市ドイツのプライブルク市平和碑建立推進委員会」に、その名称だけ変更され、平和碑推進委員会に参加した水源地域の70余りの市民社会文化団体がそのまま新しい少女像建立に助力している。

フライブルク市平和碑建立募金運動を行った推進委員会は先月の21日、フライブルク市が水原市に平和碑造成の白紙撤回(霧散)を通知するや直ちに緊急(?)総会を開き、議論の末、ドイツの民間団体と一緒に少女像の建立(計画)を継続して進めることを決定した。

これに伴い、先月の3日から8日にかけて推進委員会の関係者がドイツのフランクフルト市でドイツ韓人会と教会関係者たちと会い、少女像の共同設置のために協議した。

この席でドイツの韓国人団体と教会が少女像の建立場所を用意すれば、水原の少女上推進委員会が市民の寄付で少女像を作り、運搬まで担当することで合意した。

推進委員会はまた、5・18民主化運動を全世界に知らせたドイツ人平和運動家ポール・シュナイス牧師とも会い、「少女像建立に参加する」という意思を確認した。

ポール・シュナイス牧師は2014年の8月27日午後、ソウル市鍾路区の日本大使館の前で開かれた第1141回水曜デモに参加し、「日本政府は自分たちがした事に対して謝罪する必要がないと主張するが、真実は隠すことはできない」として「若者たちは、私たちが処(?)歴史的悲劇を正しく理解し、世代を繋いで戦って行かなければならない」と述べた。

推進委員会は可能な限り国連が定めた第68周年世界人権デーである12月10日に設置しようとしたが、時間的に無理だと判断し今年中に目標を変更した。

推進委員会は少女像建立基金の用意のために20日午後3時水原万石公園の第2野外音楽堂でコンサートを開く。

推進委員会が目標にしている少女像建立費基金は少女像の製作費と運送費などを含め計7,700万ウォン。 現在の推進委は1千700万ウォンを集めた。

水原市は先月の5日、市長同士の合意でフライブルク市に平和の少女像を建立することで合意したと発表し、これに伴い水原の市民団体で構成された推進委員会が発足し、建立費の募金を始めた。

しかし2週間後(?)の同月21日、フライブルク市が日本側の妨害と圧力で建立合意を履行できないという公文書を水原市に送ってきてヨーロッパ最初の少女像建設が失敗に終わった。

聯合ニュース 2016.10.17[2]