2014/12/18

日中戦争前に満州で挺身隊(慰安婦)目撃したスーパー証言者現る

WW2はるか前に満州で挺身隊(慰安婦)を見た

バタフライ(蝶々)USAとは、アメリカに最近出来た慰安婦支援団体である。KACEやKAFCといった政治系の団体とは性質が異なる。こういったサークルは、本国韓国にも幾つか出来ているが、昨今の慰安婦ブームでアメリカにも次々と誕生(ワシントンやシカゴにも存在するらしい)。彼女たちは韓国の挺対協と繋がっている(詳細は後日)。

で、2013年以降に出来たアマチュア団体が貴重な慰安婦強制動員の目撃者を発見したというのだから話が出来すぎている。しかも、目撃者は彼女たちの膝元アメリカにいたというのである。韓国国内にも慰安婦の強制動員を目撃した人はいない。厳密に言うといないわけではなく、目撃したという罪の意識から名乗り出られないというワケの分からない目撃者しかいない。で、今回の証言者は、日本軍の為に仕事をしたという悔悟から本名を明かせないと言っている。

アンジェラ会長(右)とリンダ・リー副会長
バタフライUSA

しかし、1935年に満州に慰安所というのは、時期的に早すぎないだろうか?第一次上海事変の際、海軍が上海に慰安所を設置したのは事実だが、この老人がいたのは朝鮮に近い満州で、日中戦争(1937~)もまだ始まっていない。また、太平洋戦争中(1941~)朝鮮半島で挺身隊と慰安婦の混同(誤解)があったと言われるが、戦地で慰安婦が挺身隊と呼ばれていたという事実はない。そもそも、女子挺身隊が創設されたのは1943年である。その7~8年前に、日本軍の陣地にトラックで運び込まれる朝鮮人挺身隊(慰安婦)を見たとこの老人は言うのである。

「日帝慰安所惨状、今でも目に鮮明」

「日本軍討伐隊カメラマン」103歳の韓国人証言
朝鮮服着た娘数十人が毎週軍隊に連れて来られた

「今でも目に生々しいんです、朝鮮の幼い少女が苦痛の中に引きずられて来た場面です」今年で103才になった老人は、残酷だった日帝強制占領期を回想して歯ぎしりした。 満州での日帝の蛮行が極に達した1930年代、日本軍のカメラマンとして現場を駆け回ったキム・ジェフン(仮名)牧師は80年近く含んでいた惨状を慎重に語り出した。

日本軍のために仕事をしたという過去に対する悔恨がまだ残っていると、身分を明らかにすることは避けたが、彼の証言には日帝の人権蹂躪に対する告発の声が生々しかった。

12日、ロサンゼルスのコリアタウンのとあるカフェで会ったキム牧師の証言は日本軍慰安婦の真相究明と被害者支援に乗り出した「蝶々(バタフライ)USA LA」(会長 イ・アンジェラ)が後援者の繋がりで1年余りの説得の末実現した。 イ牧師も日本が慰安婦問題について歴史を前にして一貫して嘘をつく(?)のをこれ以上見ていられないと考え証言に臨んだ。

咸鏡南道の甲山郡出身で(?)ロサンゼルスに住む引退した牧師であるキム氏は、24歳だった1935年、満州、延辺図們地区(現延辺朝鮮族自治州の図們市か?)独島(ドクト)守備隊と呼ばれた日本軍討伐隊のカメラマンとして1年間働き現地で目撃した全てを覚えている。

キム牧師は「今は慰安婦という単語自体浄化されている。 その当時は挺身隊、すなわち日本軍に献身するものと呼ばれていた」「その当時、少女を乗せた軍用トラックは1ヶ月に4回、すなわち週に一度の割合で軍中に入った」と言う。

キム牧師は「討伐隊の討伐後、いつも軍用トラックで20~30人余りの少女が軍中に入った。 この中には15才の幼い少女もいたし、全て未婚の少女だった。 彼女たちは全員朝鮮服を着ていて、派手さはなくあどけない様子の田舎娘だった」と話した。続けて「この少女たちには笑顔が全くなく、恐怖で一杯だった。下着を着ずにスカート一つで日に40~50人以上の男を相手にしていた」と証言した。

キム牧師はまた、当時日本軍討伐隊が慰安婦動員はもちろん住民たちを対象にした放火、略奪もはばからなかったと伝えた。

これは本当に涙なしでは見られない胸が痛い場面だと話を繋いでいったキム牧師は「強制的に連れて来られたのは明らかで、実際に目撃し体験した人々がいるのに真実を隠そうとしてはならない」「日本政府は真実を明らかにし、被害者に対する謝罪と補償をしなければならない」と強調した。

彼は「もうこれ以上このような人権の蹂躪が発生しないよう真実を糾明しなければならない」「私だけでなく、その当時を証言できる人々が既にとても高齢で、正義を求める若い人々が最後までこの問題の真実が明らかになる時まで戦ってくれるのを伏して願うばかり」と付け加えた。

一方蝶々USA LAはキム牧師の証言を入れた映像を韓国挺身隊問題対策協議会と共同で真実を糾明する資料として使う予定。


“일제 위안소 참상, 지금도 눈에 생생”

‘일본군 토벌대 사진기자’103세 한인 증언
한복 입은 처녀 수십명 매주 군대에 끌려와

“지금도 눈에 생생합니다, 조선의 어린 소녀들이 고통 속에 끌려가던 그 장면이요”올해로 103세가 된 노옹은 참혹했던 일제 강점기를 회상하며 치를 떨었다. 만주에서 일제의 만행이 극에 달하던 1930년대 일본군의 사진기자로 현장을 누볐던 김재훈(가명) 목사는 80년 가까이 담고 있었던 참상을 조심스레 꺼내놓았다. 

일본군을 위해 일했었다는 과거에 대한 회한이 아직도 남아 있다며 신분을 밝히기는 꺼려했지만, 그의 증언에는 일제의 인권유린에 대한 고발의 목소리가 생생했다.

12일 LA 한인타운의 한 카페에서 만난 김 목사의 증언은 일본군 위안부 진실 규명과 피해자 돕기에 나서고 있는 ‘나비 USA LA’(회장 안젤라 이)가 후원자와의 연결고리를 통해 1년여 간의 설득 끝에 이루어졌다. 이 목사도 일본이 위안부 문제 대해 역사 앞에 거짓으로 일관하는 행태를 더 이상 보고만 있을 수 없다는 생각으로 증언에 임했다.

함경남도 갑산이 고향으로 LA에 거주하는 은퇴목사인 김씨는 24세이던 1935년 당시 만주 연변 도문 지역 독도 수비대로 불린 일본군 토벌대의 사진기자로 1년간 일하면서 현장에서 목격했던 모든 일을 기억하고 있다.

김 목사는 “지금은 위안부라는 단어 자체도 그나마 단어가 순화되어 있다. 하지만 그 당시에는 정신대, 즉 일본군에게 몸을 바친다는 것으로 불렸다”며 “그 당시 소녀들을 태운 군용트럭은 한 달에 4번, 즉 일주일에 한 번 꼴로 군안으로 들어갔다”고 전했다.

김 목사는 “토벌대가 항상 토벌 후에는 군용트럭에 20~30여명의 처녀들이 군 안으로 들어갔다. 이 중에는 15세의 어린 소녀들도 있었고 전부 다 결혼하지 않은 처녀들이었다. 이들은 모두 한복을 입고 있었지만 화려하지 않은 앳된 시골 소녀들이었다”고 말했다. 이어 “이 소녀들은 웃음기가 전혀 없고 두려움에 가득 차 있었고 속옷을 입지 않고 맨 치마만 입으며 하루에 40~50여명의 남성을 상대해 왔다”고 증언했다.

김 목사는 또 당시 일본군 토벌대가 위안부 동원은 물론 주민들을 대상으로 한 방화, 약탈도 서슴지 않았다고 전했다.

이는 정말 눈물 없이는 볼 수 없는 가슴 아픈 장면이라며 말을 이어나간 김 목사는 “강제로 끌려온 게 뻔하고, 실제로 보고 겪은 사람들이 있는데 진실을 숨기려고 해서는 안 된다”며 “일본 정부는 진실을 밝히고 피해자들에 대한 사과와 함께 보상을 해야 한다”고 강조했다.

그는 “더 이상은 이와 같은 인권유린이 발생하지 않게 진실을 규명해야 한다”며 “나뿐만 아니라 그 당시를 증언할 수 있는 사람들이 이제는 너무 나이를 먹어, 정의를 찾는 젊은 사람들이 끝까지 이 문제의 진실이 밝혀질 때까지 투쟁해 주길 간곡히 바랄뿐”이라고 덧붙였다.

한편 나비 USA LA는 김 목사의 증언을 담은 영상을 한국 정신대문제 대책협의회와 연대해서 진실을 규명하는 자료로 쓸 예정이다. 

2014/12/16

オランダ人慰安婦の娘がカナダで証言すると・・・


カナダのトロントアルファが先月、慰安婦証言集会を開催した。ただし、証言したのは体験者本人ではなかった。

元慰安婦(というより、この場合性暴力被害者)自身の証言ではなく、その子供が証言するようになった。時代なのだろう。日系人強制収容所に関する証言にもこういう傾向があるらしい。直接体験していない世代が語り出すと、話がいい加減になり、かえって実際が分からなくなる。日本でも同様に事実と異なる戦争体験がテレビなどで語られている、と体験者の父も言っていた。慰安婦の物語は、今後ますますまことしやかに、出鱈目に語られていくことになるだろう。オランダ人女性が慰安所に連れ込まれた事件は、スマラン(白馬)事件が有名だが、スキャンダル発覚後軍が慰安所を閉鎖させるなどしているから終戦まで慰安所に入れられていたという話は疑わしい。

中国系の反日団体であるトロントアルファに、韓国系が合流しつつあるらしい。

「母と叔母が慰安婦に連れて行かれ・・・」
被害者家族カナダ人お婆さん「血の涙」の証言、トロント・アルファ主催

第2次大戦の際、日本軍がアジアで犯した蛮行を知らせる目的でNGO活動を行っている「トロント・アルファ」(代表:ジョセフ・ウォン)が3日、トロント大学校で人権分野の専門家と学生および一般市民100人余りが参加する中で日本軍慰安婦被害者家族を招き人権イベントを開催した。

「トロント・アルファ」はトロント所在のユダヤ系人権団体であるホロコースト教育センター(Sarah and Chaim Neuberger Holocaust Education Centre)と合同でThea can der Walさん(女、74歳)さを招き日本軍慰安婦とその家族の凄惨な人生を光を当てるイベントを行った。

現在のカナダに移住してオンタリオ州ポルリントンに居住しているピジェンボゴお婆さんは過去オランダ国籍で両親がインドネシア、ジャワ島に定住し、1941年に現地で生まれて育った。 第2次大戦が進行される中で日本軍が1942年10月からジャワ島を占領してピジェンボゴお婆さんのみじめな家族史も始まった。 家族と親戚たちは全員日本軍監視下に収容所生活をし、この過程でビルマ鉄道公社に連行され彼女のお父さんは強制労働に苦しみ亡くなった。彼女の母と叔母は1944年1月から終戦まで恥辱的な日本軍慰安婦生活を経験した。

ピジェンボゴお婆さんは当時とても幼く、母と叔母が毎日泣く理由を分からなかったが戦争が終了した後オランダに戻り、2003年お母さんが死亡(叔母は1996年死亡)した後、生存する末の叔母を通じ彼らの慰安婦生活を知ったという。 証言イベントでピジェンボゴお婆さんは羞恥心で一生苦痛受けて亡くなった母と叔母に言及する部分で泣き出す(?)などしばしば話をつなぐことができず当日参席者は粛然とした雰囲気で一部は一緒に涙を流した。

ピジェンボゴお婆さんは日本政府の歴史否定に憤り、第2次大戦時日本軍が犯した蛮行を広く知らしめてこのような不幸な歴史が繰り返されないように今後慰安婦人権回復運動に積極的に参加するという意思を明かした。

一方「トロント・アルファ」は当日韓国、中国、フィリピンなど3ヶ国に散り困難な中で暮らしている日本軍慰安婦被害者の人生を扱ったドキュメンタリー「Within Every Woman」の予告篇を上映し、トロント大学校音大'ジョシュア ピルチョ'教授の韓国人慰安婦おばあさんが歌った歌に対する研究結果発表の時間を持った。 現在「トロント・アルファ」にはジュディ・ジョーさん、ホン・キテクさんなど韓国人同胞が主導的役割を受け持ち積極的な活動を展開している。


“어머니와 이모가 위안부로 끌려가…”
피해자 가족 加 노인 ‘ 피울음’증언
토론토 알파 주관

2차 대전 당시 일본군이 아시아 지역에서 저지른 만행을 알릴 목적으로 NGO 활동을 벌이고 있는 '토론토 알파'(대표 : 조셉 웡)가 지난 3일 토론토대학교에서 인권분야 전문가와 학생 및 일반 시민 100여명이 참석한 가운데 일본군 위안부 피해자 가족을 초청한 인권행사를 개최했다.

'토론토 알파'는 토론토 소재 유태계 인권단체인 홀로코스트 교육센터 (Sarah and Chaim Neuberger Holocaust Education Centre)와 합동으로 '테아 비젠버거 반 데르 왈'(여, 74세)씨를 초청해 일본군 위안부와 그들 가족의 처참한 삶을 조명해보는 행사를 열었다.

현재 캐나다로 이주해 온타리오주 벌링턴에 거주하고 있는 비젠버거 할머니는 과거 네덜란드 국적으로 부모가 인도네시아 자바섬에 정착하면서 1941년에 현지에서 태어나고 자라났다. 2차 대전이 진행되는 과정에서 일본군이 1942년 10월부터 자바섬을 점령하면서 비젠버거 할머니의 비참한 가족사도 함께 시작됐다. 가족과 친척들은 모두 일본군 감시하에 수용소 생활을 했으며, 이 과정에서 버마 철도공사에 끌려간 그녀의 아버지는 강제 노역에 시달리다가 사망했으며 그녀의 어머니와 이모는 19944년 1월부터 전쟁이 끝날 때까지 치욕적인 일본군 위안부 생활을 경험했다.

비젠버거 할머니는 당시 너무 어려서 어머니와 이모가 날마다 우는 이유를 몰랐다가 전쟁이 종료된 후 네덜란드로 돌아와 2003년 어머니가 사망(이모는 1996년 사망)한 후에야 생존한 막내 이모를 통해 그들의 위안부 생활을 알게 되었다고 한다. 증언행사에서 비젠버거 할머니는 수치심으로 평생 고통 받고 사망했을 어머니와 이모를 언급하는 대목에서 울음을 터뜨리는 등 수시로 말을 잇지 못했으며 당일 참석자들은 숙연한 분위기에 일부는 함께 눈물을 흘렸다.

비젠버거 할머니는 일본 정부의 과거사 부정에 분노하면서 2차 대전 당시 일본군이 저지른 만행을 널리 알리고 이러한 불행한 역사가 반복되지 않도록 향후 위안부 인권회복 운동에 적극적으로 참여하겠다는 뜻을 밝혔다.

한편 '토론토 알파'는 당일 한국 중국 필리핀 등 3개국에 흩어져 어렵게 살아가고 있는 일본군 위안부 피해자의 삶을 다룬 다큐멘터리 'Within Every Woman' 예고편을 상영했으며, 토론토대학교 음대 '조슈아 필저' 교수의 한국인 위안부 할머니들이 부른 노래에 대한 연구결과 발표시간도 가졌다. 현재 '토론토 알파'에는 주디 조씨, 홍기택씨 등 한인 동포들이 주도적 역할을 맡아 적극적인 활동을 펼치고 있다.

2014/12/15

KACE慰安婦碑の民族教育利用を教育関係者と打ち合わせ

右端:KACEのキム・ドンソク

KACEなどは、アメリカにおける(韓国系の)民族意識の高揚、ひいては団体の勢力拡大に慰安婦問題を利用している。バーゲン郡(ニュージャージー州)の関係者を騙すようにして設置させたこの記念碑も以前から民族教育に利用していた。この度教育関係者の協力を得て、その動きを本格化させる模様。韓国で行われて来た反日教育。90年代からその重要部分を担うようになった慰安婦問題。これがアメリカの韓国系社会に持ち込まれつつある。何をもたらすことになるのか・・・。

ハッケンサック(バーゲン郡)の裁判所前の碑とは、アメリカで三番目に作られた慰安婦の碑。「日本帝国の軍隊によって性奴隷制に強制された数十万人もの朝鮮、中国、台湾、フィリピン、オランダやインドネシアの女性や少女たちを記念して」・・・と刻まれている。

慰安婦顕彰碑、歴史教育に活用

在米韓国学校協議会ニュージャージー慰安婦顕彰碑参拝

在米韓国学校協議会(総会長チェ・ミヨン)役員陣がニュージャージーにある市民参加センター(KACE)事務室を訪問、韓国人二世のアイデンティティー教育と韓国史教育についての懇談会を持った。

ハッケンサック裁判所庁舎の前の「正義の広場」にある慰安婦顕彰碑も参拝した。

在米韓国学校協議会の役員たちの顕彰碑参拝は、来年7月16日からニューヨークで開催される在米韓国学校協議会第33回総会および学術大会の準備のためにニューヨークを訪問して実現した。 ニューヨークでの総会および学術大会は、22年ぶりに開催される。

チェ・ミヨン総会長、イ・スンミン副会長、五情善美事務総長、ソン・ヨンジュ編集長などは市民参加センター(KACE)のキム・トンチャン所長およびキム・ドンソク常任理事と交わした会話を通じ韓国人1.5世や二世のアイデンティティー教育の重要性を認識し、この種の教育方法などに関して議論した後、さらに効率的な教育のために今後二団体が相互協力することにした。

協議会会長団は引き続きハッケンサック裁判所庁舎の前「定義の広場」にある慰安婦顕彰碑を訪問、黙祷を捧げた後顕彰碑の内容に対する説明を聞いた。

チェ総会長は「今後近傍の韓国学校から慰安婦顕彰碑を訪問して碑を歴史教育に活用する方法を研究し、世界史と関連して韓国の歴史を教える」と明かした。


위안부 기림비, 역사교육에 활용할 것

재미한국학교협의회 뉴저지 위안부 기림비 참배

재미한국학교협의회(총회장 최미영) 임원진들이 뉴저지에 있는 시민참여센터 사무실을 방문, 한인2세들의 정체성 교육과 한국역사 교육에 대한 간담회를 가졌다.

또한 해켄색 법원 청사 앞 '정의의 광장'에 있는 위안부 기림비를 참배하기도 했다.

재미한국학교협의회 임원진의 기림비 참배는 내년7월16일부터 뉴욕에서 개최될 재미한국학교협의회 33회 총회 및 학술대회 준비를 위해 뉴욕을 방문했다가 이뤄진 것이다. 뉴욕에서의 총회 및 학술대회는 22년 만에 개최되는 것이다.

최미영 총회장, 이승민 부회장, 오정선미 사무총장, 송용주 편집장 등은 시민참여센터(KACE)의 김동찬 소장 및 김동석 상임이사와 함께 나눈 대화를 통해 한인 1.5세, 2세들의 정체성 교육의 중요성을 인식하고 이 같은 교육 방법 등에 대해서 논의한 후 더 효율적인 교육을 위해 앞으로 두 단체가 상호 협조키로 했다.

협의회 회장단은 이어 이어 해켄색 법원 청사 앞 ‘정의의 광장’에 있는 위안부 기림비를 방문, 묵념을 올린 후 기림비의 내용에 대한 설명을 들었다.

최 총회장은 "앞으로 가까운 지역의 한국학교들로부터 위안부 기림비를 방문하고 위안부 기림비를 역사교육에 활용할 방안을 연구하여 세계사와 연계하여 한국의 역사를 가르치겠다"고 밝혔다.

<이광희 기자>

재미한국학교협의회 최미영 회장(왼쪽에서 세 번째)를 비롯한 임원진들이 뉴저지 해켄색 법원 청사 앞 '정의의 광장'에 있는 위안부 기림비를 참배한 후 기념촬영을 하고 있다.

2014/12/14

中韓連帯、豪州慰安婦像へ仕切り直し

「河野談話に触れるな」 (右端)オク元副市長
安倍をヒトラーに例えるのはお馴染みの光景

オーストラリアのストラスフィールドに慰安婦像を作ろうとして失敗した全豪中韓反日本戦争犯罪連盟(United Austral Korean-Chinese Alliance Against Japanese War Crimes)が、仕切り直し。ストラスフィールドの市会議員でもあるオクが代表職から降り、韓人会の会長が中韓連盟のトップに座る。連続してトップを韓国系が務める。中韓連帯と言いながら韓国系の主導か?日本政府の仕込みらしいと彼らがdisっている慰安婦像の設置に反対した人々は本物の地元民である。

豪州在住の元オランダ人「慰安婦」を引っ張り出したオク

韓中連帯、慰安婦少女像建立再推進する

これ以上時間をかけることは出来ない。書簡送り運動推進

オーストラリアの同胞社会が日本政府の強力なロビーで無期限保留されたオーストラリア国内の日本軍慰安婦少女像の建設を再び推進する。

シドニー韓人会のソン・ソクチュン会長は最近Gulian Vaccariストラスフィールド市長に今後の慰安婦少女像設置許可を促す書簡を送り、日本軍慰安婦の少女像の建設を推進することにした。

これと関連し、韓中連帯(全豪中韓反日本戦争犯罪連盟)の代表職を務めていたサン・オク(Sang Ok)ストラスフィールド市会議員は代表職から退き、公式にソン会長が代表職に着き推進する計画。オーストラリアの韓国と中国海外同胞社会は4月にストラスフィールド市議会の表決保留決定以降事実上空転していた少女像建設を再び推進することにした。

オク議員は自身が代表職にあれば議会決定に悪影響をもたらしかねず、団体に利益にならないと自主的に辞任すると明らかにした。

ソン会長は書簡で「4月の慰安婦少女像設置問題を巡りストラスフィールド市で聴聞会を開催してから6ヶ月以上待ったが何の連絡もない状態だ」として「オーストラリアに慰安婦少女像を建てるなら後代に女性の人権の重要性を呼び覚ます象徴になるだろう」と強調した。

ストラスフィールド市はこの4月、韓中海外同胞社会が請願した慰安婦少女像設置問題について賛否両側の意見を聴取する公聴会まで開催したが、日本側の強力なロビーに押されて結局表決保留の決定を下したことがある。

当時日本はシドニー総領事が慰安婦少女像の設置を防ごうとストラスフィールド市を直接訪問するかと思えば、あらかじめ準備されたように見える人々を反対側討論者として全面に出し市会議員を説得した。

これに対し、市議会は表決保留の決定と共に「州政府と連邦政府の意見を聴取して出て再議論する」という立場を決めたが、数ヶ月の後、州政府と連邦政府は「ストラスフィールド市で決定すべき事案」という回答を送った。 ボールは再び市議会に戻ったが、今度は「日本の首相も参加する主なG20首脳会議の終了まで保留してほしい」という連邦政府の要請で再び決定が先延ばしにされた。

韓中連帯は先月15~16日ブリスベンで開かれたG20首脳会議も終えられただけこれ以上慰安婦少女像の設置を先送りする理由はないという態度だ。

ソン会長は「これ以上時間がかかることは許されない。海外同胞社会を中心にパカリ市長に迅速な建設許可を促す書簡送り運動を広げるつもりだ」と話した。

韓中連帯はオーストラリア人(引用者注:元オランダ人)にも日本軍慰安婦被害者がいた点を考慮し、韓国と中国、オーストラリア人慰安婦を象徴する3人の少女が並んで手を握る形ちの像を建設する計画だ。

The Australia Christian Herald(?) 2014.12.4

한.중연대, 위안부 소녀상 건립 재추진 한다

더 시간을 끌 수는 없어 서한 보내기 운동 추진 중..



호주 교민사회가 일본 정부의 강력한 로비로 무기한 보류됐던 호주 내 일본군 위안부 소녀상 건립을 재추진한다.

시드니 한인회 송석준 회장은 최근 줄리안 바카리 스트라스필드 시장 앞으로 위안부 소녀상 건립 허가를 촉구하는 서한을 보내고 일본군 위안부 소녀상 건립을 추진하기로 했다.

이와 관련 한.중연대 대표직을 맡고 있던 옥상두 스트라스필드 시의원은 대표직에서 물러나고 공식적으로 송 회장이 대표직을 맡아 추진할 계획으로 호주 내 한국과 중국 교민사회는 지난 4월 스트라스필드 시의회의 표결 보류 결정 이후 사실상 공전하던 소녀상 건립을 다시 추진하기로 했다.

옥 의원은 자신이 대표직을 맡고 있으면 의회 결정에 악 영향을 가져올 수 있고 단체에 이익이 되지 않아 자진 사임 한다고 밝혔다.

송 회장은 서한에서 “지난 4월 위안부 소녀상 건립 문제를 놓고 스트라스필드 시에서 청문회를 개최하고 나서 6개월 이상 기다렸지만 아무런 소식이 없는 상태”라며 “호주에 위안부 소녀상을 세운다면 후대에 여성 인권의 중요성을 일깨우는 상징이 될 것”이라고 강조했다.

스트라스필드시는 지난 4월 한중 교민사회가 청원한 위안부 소녀상 건립 문제를 놓고 찬반 양측의 의견을 청취하는 청문회까지 개최했으나 일본 측의 강력한 로비에 밀려 결국 표결 보류 결정을 내린 바 있다.

당시 일본은 시드니 총영사가 위안부 소녀상 건립을 막으려고 스트라스필드시를 직접 방문하는가 하면 미리 준비된 것처럼 보이는 인사들을 반대 측 토론자로 내세워 시의원들을 설득했다.

이에 시의회는 표결 보류 결정과 함께 ‘주 정부와 연방정부의 의견을 청취하고 나서 재논의한다’는 입장을 정했으나 수개월 뒤 주 정부와 연방정부는 ‘스트라스필드 시에서 결정할 사안’이라는 회신을 보냈다. 공은 다시 시의회로 넘어왔지만, 이번에는 ‘일본 총리도 참석하는 주요 20개국(G20) 정상회의가 끝날 때까지만 보류해 달라’는 연방정부의 요청으로 또다시 결정이 미뤄졌다.

한.중연대는 지난달 15~16일 브리즈번에서 열렸던 G20 정상회의도 마무리된 만큼 더는 위안부 소녀상 건립을 미룰 명분이 없다는 태도이다.

송 회장은 “더는 시간을 끌 수는 없으며 교민사회를 중심으로 바카리 시장에게 신속한 건립 허가를 촉구하는 서한 보내기 운동을 펼칠 것”이라고 말했다.

한.중연대는 호주인 중에도 일본군 위안부 피해자가 있었던 점을 고려해 한국과 중국, 호주인 위안부를 상징하는 3명의 소녀가 나란히 손을 잡는 형태의 상을 건립할 계획이다.

2014/12/12

「事実に角度をつけるのは解釈の違い」 火付け役、辰濃元朝日新聞記者

「事実に角度をつけることは解釈の違いに過ぎない」
ジャーナリストにしてはいけないタイプか

「軍関与の証拠」「政府見解揺らぐ」。1992年1月、宮沢首相訪韓直前の朝日新聞のこの報道で、日韓関係は坂を転がり落ちるように壊れて行く(この時点では、その変化も目立たなかっただろうが・・・)。政府は軍の関与など否定していなかったにも関わらず、世間を混乱させたこの報道。資料を発見したと主張する吉見義明(実際には公開済みの資料だった)に朝日新聞が単純に乗せられたのかと思っていたが、朝日新聞側も主体的に動いていたらしい。この誤報を仕掛けた(?)記者が、辰濃哲郎であった。本人は宮沢訪韓は頭になかったと主張しているが、果たして。

政府は国会で「民間業者が連れて歩いた」という答弁をしていた。私たちが防衛庁の資料等で確認したところ、慰安婦を戦地まで輸送する際、軍が便宜を図ったという内容だった。それで「関与をしていた」と記事にした。

政府は、民間業者が連れ歩いているような状態で国家総動員法業務に関係する省庁には資料がないと言っていただけ。それを辰濃らが、軍が便宜を図っていたからという理由で「政府見解揺らぐ(日本政府のウソ発覚)」と報じたのである。「事実に『角度』をつけることは『解釈の違い』に過ぎない」と言い張る辰濃。こういう人たちがこの騒動を作り出した。

持ち込んだのは吉見義明、記事にしたのは辰野


元朝日新聞記者の証言

辰濃哲郎さんは元朝日新聞記者として慰安婦報道に関わった。「われわれのようなプロが訓練を積んでも事実を見極めることは難しい。これは朝日だけでなく、すべてのマスコミに言える。今の状況は天に唾している」と語り始めた。

軍関与を示す資料の提示が吉見義明さん(中央大教授)からあったが、政府は国会で「民間業者が連れて歩いた」という答弁をしていた。私たちが防衛庁の資料等で確認したところ、慰安婦を戦地まで輸送する際、軍が便宜を図ったという内容だった。それで「関与をしていた」と記事にした。「吉田証言」が偽りであることは、当時は分からなかった。史実と感情論やイデオロギーを結びつけると複雑になる。補償の問題となるとさらに難しくなる。

朝日は「福島原発吉田調書」でも謝罪すべきだったのか。命令違反ではないが、「退避」は事実だった。事実に「角度」をつけることは「解釈の違い」に過ぎない。社長会見は情けない。社員は何をしているのか。上に反骨できないのなら、社内の言論の危機だ。

かけはし(一部) 2014.11.17[2]

「命令違反ではないが、退避は事実だった」・・・こういう事を言う人だから始末に悪い。

2014/12/07

韓国の子供が学校で教わる慰安婦 (読売新聞取材班)

慰安婦問題を学ぶ中学生(蔚山)

読売新聞の取材班は、90年代以前にも韓国の教科書には微妙な表現があったと言う。確かに、若い女性が強制的に戦場に連行されたという記述は微妙である。ただ、これは本当に微妙。ハッキリと慰安婦の名が教科書に登場するのは、韓国より日本の方が早かったと言われる(要確認)。日韓いずれが先だったにせよ、90年代に始まった慰安婦騒動で状況が一変したのは間違いないらしい。

2002年の韓国の教科書にある、女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ一部を慰安婦にしたというのは、本来の意味の「慰安婦の強制連行」である(吉田清治が証言したのもこれ)。2012年からは「広義の強制連行」へのシフトと見られる記述が現れるが、2014年になっても挺身隊の一部を慰安婦にした・・説が韓国の教科書には生き残っているという状況らしい。

2010年から民間会社が教科書を製作する体制になり、歯止めがかからない状況になったであろうことは容易に想像出来る。取材班は「写真やイラストなども加わり・・・記述が一層充実化する傾向にある」と報告している。比較的ドライに記述した教学社の教科書がバッシングに曝されるという事件もあった。言うまでもないが、教育現場における左翼系の影響(黒田勝弘)は日本も同じで、日本の教科書の中には韓国紙のお墨付きを得る物もあったくらい。しかし、国内にはこれにブレーキをかけようという動きもある。しかし、こと慰安婦問題に関する限り韓国ではそういった動きは期待出来そうにない。

※ なお、ブログ主は歴史の光も影も教えるべきだと言う立場で、ホルホル教育には組しない。一応。


韓国では2002年まで、歴史教科書は、中学、高校とも国定教科書の1種類だけ。そこに慰安婦に関連する記述が初めて登場したのは、1968年の高校用だった。「か弱い女性も女性挺身隊という名で強制動員した」と記述された。

当時の韓国では、慰安婦と挺身隊が混同されていたため、慰安婦のことを指すのかどうか判然としない記述だ。

79年には中学の「国史」にも、「はなはだしきは若い女性も産業施設と戦線に強制的に連行した」と記述された。82年改定の中学用では、「韓国の女性も侵略戦争の犠牲にした」、90年改定の中学用では「女性も挺身隊という名で侵略戦争の犠牲となった」との表現に変わるが、まだ間接的な表現にとどまっている。

しかし、90年代初めの朝日の報道などを受けて慰安婦問題が日韓の間で外交問題化したのを境に教科書の表現も具体化していった。

96年改定の高校国史で「女性まで挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」と初めて慰安婦という単語が登場する。97年の中学国史でも「女性も挺身隊という名で連れて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」とした。

2002年改定ではより表現が過激になっている。中学が「日本は、多くの女性を強制的に動員して日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦にして非人間的な生活をするようにした」、高校が「若い女性を強制動員して軍需工場などで酷使させ、その一部は前線に連行して日本軍慰安婦にする蛮行を犯した」となった。

そして国定から、民間の複数の教科書から選択できる検定制度に完全移行した2010年以降は、写真やイラストなども加わり、慰安婦に関する記述が一層充実化する傾向にある。

キョウハク図書『中学歴史(下)』(2012年発行)では、「歴史との対話」という別コーナーで慰安婦問題を1ベージで特集。日本軍慰安婦の宿所の写真や、元慰安婦の強制連行の様子を描いた絵画とともに「ある日、男が良い職場を紹介してやると言って私を連れて行った」などとする「ある日本軍慰安婦のおばあさんの証言」を掲載している。元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が毎週、ソウルの日本大使館前で行っている水曜デモについて写真入りで紹介している。

水曜デモについては、「現在、日本政府は日本軍慰安婦の募集、移送、管理などに日本軍が日本軍が介人したことを認めながらも法的な賠償ではない慰労金レベルで問題を解決しようとした。これに日本軍慰安婦の被害者の中の多数は、慰労金名目でお金を受け取ることを拒否して今も水曜デモを続けている」となっている。

良い本新思考社の『中学校歴史②』(2013年発行)も「性奴隷生活を強要された日本軍慰安婦」を1ページで特集した。「妊娠した朝鮮『日本軍慰安婦』」のキャプションがついた写真や挺対協の水曜デモの模様を日本大使館前に設置された少女像の写真入りで紹介している。

朝日が2014年8月に「虚偽」と認めて取り消した吉田清治氏の以下の証言も、「日本軍慰安婦の真実」として紹介されている。

「6000人ほど直接連行した。村に到着すればまず女性全員を道路に引っ張り出した。逃げ出したら木刀でなぐり、若く健康な女性を選んでトラックに乗せた・・・」

この部分について、教科書本文の記述では「数十万人の女性を軍需工場に動員し、はなはだしくは若い女性を日本軍慰安婦という名目で強制動員して性奴隷生活を強要した」となっている。

ピサン教育『中学校歴史2』は、慰安婦問題をめぐる日本政府の対応について
批判的に記述している。

「日帝は韓国をはじめ中国、台湾、インドネシアなどで数十万人に達する女性を強制的に動員した」とし、「しかし、日本は日本軍慰安婦たちが受けた被害を認めておらず、『自発的に軍について行った』という意味の『従軍慰安婦』という表現を使っている」と事実誤認の内容も含まれている。

さらに「資料の調査を通じて日本軍慰安婦について整理してみよう」として日本軍慰安婦についてまとめたインターネット上の動画映像のアドレスなども記述した。

高校教科書では、慰安婦問題について生徒に考えさせる問題も提示している。
チハク社『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「水曜デモに関連した資料を調べ、このようなデモが続いている理由を書いてみよう」とし、条件として「関連する新聞記事やおばあさんの証言などを活用すること」としている。

歴史的に定かでない数字も独り歩きしている。チョンジエ教育『高等学校韓国史』(2014年発行)では、「日本軍慰安婦として動員された女性は約20万人と推定されている」と記述している。

読売新聞が調べた中学用13冊と高校用5冊の計18冊のうち、強制連行された慰安婦の数が「20万人」と記述している教科書は3冊。強制連行されたと記述しているのが10冊、性奴隷という表現を使っているのが11冊。少女豫の写真を掲載したのが9冊、慰安婦の写真を掲載したのが6冊だった。

各教科書の主な記述は以下の通り。

DAEKYO『中学校歴史(下)』

本文では「女性達の場合、女子勤労挺身隊という名前で軍需工場に連行され、労働力を搾取された。さらに多くの女性を日本軍が駐屯する地域に送り、強制的に日本軍慰安婦にした」と記述。歴史特集「日帝の侵略戦争で被害を受けた韓国人」では徴用被害者、被爆者とともに慰安婦を取り上げ、元慰安婦の証言を掲載した。

「朴トゥリおばあさんは17歳たった1940年に村を訪れた日本人募集業者の日本工場に入れてあげるという言葉にだまされ台湾に連行され日本軍慰安婦になった。20人余りの韓国人女性だちと共に5年ほど生活した。そこではフジコと呼ばれた。日本語を使えと強要され、食事もまともに与えられずいつも空腹だった。慰安所で右ももがひどく腫れる病気にかかり手術をしなければならなかった。慰安所の主人と管理人にひどくなぐられたことが原囚で耳も遠かった」

ミレエン社『中学校歴史2』

本文では「女子勤労挺身隊などの名前で女性も連行され労働力を搾取され、そのうち一部は日本軍慰安婦として連行された」と記述。これとは別に「日本大使館前の定期水曜デモ、1000回の叫び」とのタイトルで挺対協が実施している水曜デモを特集している。

「日帝は、中日戦争と太平洋戦争を起こし、日本軍が駐屯する地域に軍隊慰安所を設置して、占領地の多くの若い女性を強制連行して日本軍の性奴隷の役割を強要した。日帝時代に日本軍慰安婦として連行された女性は20万人余りと推定されている。日本軍慰安婦としての生は長い間、歴史の陰に埋もれていたが、日本軍慰安婦のおばあさんだちと市民団体は1992年から毎週、日本大使館前で水曜デモを実施し、日本政府の公式謝罪と賠償を要求している。しかし、日本政府は国家として日本軍慰安婦を募集したことはないといい、これまで公式謝罪や賠償を拒否している」

チョッジエ教科書『中学校歴史2』

本文とは別に「女性勤労挺身隊、日本軍慰安婦のおばあさん」とのタイトルで慰安婦を特集。「第2次世界大戦中、日本は韓国女性達を勤労挺身隊といって軍需工場に追い立て、そのうち一部の女性達を日本軍慰安婦(JAPANESE Military Sexual Slavery)として連行した。該当地域の日本軍が降伏を拒否して自爆する際、秘密の流出を防ぐ狙いから共に死ぬことを強要されたりもした。国連人権理事会は2008年、日本の慰安婦動員に対する責任の認定と謝罪、補償を求めたが、日本は日本軍慰安婦が自発的な活動だったと言い、これまで補償を拒否している。これに抗議して1992年1月から現在まで日本大使館前で日本軍慰安婦のおばあさんたちが毎週水曜集会を開いている」

ミレエッ社の水曜デモの記述とも共通するのは、日本政府が1995年に国民の募金などで設立したアジア女性基金を通じた「償い金」など1人当たり計500万円の支給事業や首相のおわびの手紙の交付に取り組んできたことに全く触れていないことだ。

チハク社『中学校歴史2』では「日帝の蛮行を糾弾する声」として水曜デモを特集。「1000回目を迎え、韓国だけでなく世界各国の人々から注目されている。こうした努力の結果、1998年、国連人権委員会の小委員会は日本政府に日本軍慰安婦問題の解決に乗り出すよう勧告した。2007年、米国議会では、被害者たちに対する謝罪を求める決議案を採択した」と記述し、韓国の主張が国際世論の支持を得ていると強調している。

2014/12/01

歴史否定犯罪法で慰安婦否定論取り締まるべき (前田朗)


前田朗東京造形大学教授が東北アジア歴史財団で開かれた学術会議で、慰安婦問題のような歴史上の重大犯罪を否定する発言を取り締まる法律をアジアで成立させる必要性を訴えた。

前田教授は日帝が朝鮮で軍慰安婦を移送したのも植民地犯罪に該当する可能性が高いとし「軍慰安婦自体存在しなかった」など日本の侵略と植民地支配事実を否定する発言を処罰する「歴史否定犯罪法」の制定を提案した。・・・「ドイツの『アウシュビッツの嘘』を処罰するための民衆扇動罪のような規定・・・東アジアにはこのような刑法規定がない」と語った。

空っぽな理屈で遊ぶ日本の進歩的知識人たち。無邪気な隣国を誤解させ、東北アジア歴史財団のような組織に進んで利用される。前田がこうしたアイディアに潜む危険性を認識していないはずはないが、どうせ言いっ放しだからと高を括っているのだろう。

脱線になるが、ツイッターでバイリンガルの人から「慰安婦否定論(者) comfort women denialism(denier)」について注意を受けた。ようするに、慰安婦の存在を否定していなくとも、(国際的な定説より?)数や被害を少なく見積もったりすると、ホロコースト・ディナイアー(否定論者)ならぬ慰安婦否定論者なのだと言う。その定義に従えば、私も「慰安婦否定論者」であり、前田の提案が実現した暁には、私もまた合法的に取り締まられる対象になるわけだ。それでは赤狩りと変わらん。乱暴なレッテル貼りは、マイケル・ヨンまでドイツテレビのプロデューサーにcomfort women denier呼ばわりされている。

ヘイトスピーチの法規制も
法律で取り締まるのが好きらしい



「東アジア各国に『軍慰安婦否定発言処罰法』必要」

前田朗教授東北アジア財団学術会議で主張

東アジア各国が日本軍慰安婦の存在の否定など歴史歪曲発言を処罰する法律を制定しなければならないと日本の学者が主張した。

前田朗東京造形大学教授が28日、ソウルの西大門区渼芹洞の東北アジア歴史財団で開かれた「植民地責任清算の世界的動向と課題」なる国際学術会議で「植民地犯罪概念を問い直す」というテーマの発表を通じ、このような意見を明らかにした。

前田教授は近代国際法が植民地を容認するという点で限界があると指摘し、「植民地支配下で強行された虐殺と拷問だけを犯罪と見るのでなく、植民支配その物の犯罪性を問わねばならない」と話した。

彼は「植民地を容認したり、せいぜい植民地に独立を付与する宣言レベルの国際法ではなく、植民地支配それ自体を犯罪として認識する視点を確立する必要がある」と強調した。

これと関連し、前田教授は1998年の国際刑事裁判所規定に「侵略罪」「大量虐殺」「反人道的犯罪」 「戦争犯罪」など4つの類型が収録されただけで、植民地支配の犯罪概念が削除された点を取り上げ論じた。

彼は自身が考える削除理由として▲過去の植民地宗主国の反発▲植民支配犯罪の法的定義が困難▲植民地犯罪に対する不充分な被害認識を挙げた。

前田教授は日帝が朝鮮で軍慰安婦を移送したのも植民地犯罪に該当する可能性が高いとし「軍慰安婦自体存在しなかった」など日本の侵略と植民地支配事実を否定する発言を処罰する「歴史否定犯罪法」の制定を提案した。

彼は「このように歴史上の重大犯罪の事実を否定する発言は西欧各国では刑法犯罪に該当する」として「ドイツの『アウシュビッツの嘘』処罰のための民衆扇動罪のような規定はフランス、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン公国、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどにも存在するが東アジアにはこのような刑法規定がない」と話した。

前田教授は「侵略と植民支配の歴史を教訓にして重大な人権侵害が再発することを防止しようと東アジア各国に歴史否定犯罪法を制定しなければならない」「東アジア人は植民地責任論、植民地犯罪ではおよび歴史否定犯罪法に対してより一層深みのある議論をして、実践に繋げて(?)行かねばならない」と強調した。

ソウル経済 2014.11.28[2]

"동아시아 각국에 '軍위안부 부정 발언 처벌법' 필요"

마에다 아키라 교수 동북아재단 학술회의서 주장

동아시아 각국이 일본군 위안부 존재 부정 등 역사 왜곡 발언을 처벌하는 법을 제정해야 한다고 한 일본 학자가 주장했다.

마에다 아키라(前田朗) 도쿄 조케이(造形)대학 교수는 28일 서울 서대문구 미근동 동북아역사재단에서 열린 '식민지 책임 청산의 세계적 동향과 과제' 국제학술회의에서 '식민지 범죄 개념을 되묻다'라는 주제발표를 통해 이런 의견을 밝혔다.

마에다 교수는 근대 국제법이 식민지를 용인한다는 점에서 한계가 있다고 지적하면서 "식민지 지배하에서 자행된 학살과 고문만 범죄로 볼 것이 아니라 식민지배 자체의 범죄성을 물어야 한다"고 말했다.

그는 "식민지를 용인하거나 고작해야 식민지에 독립을 부여하는 선언 수준의 국제법이 아니라 식민지 지배 그 자체를 범죄로 인식하는 관점을 확립할 필요가 있다"고 강조했다.

이와 관련, 마에다 교수는 1998년 국제형사재판소 규정에 '침략죄' '대량 학살' ' 반인도적 범죄' '전쟁 범죄' 등 4개 유형이 수록됐을 뿐 식민지 지배의 범죄 개념은 삭제된 점을 거론했다.

그는 자신이 생각하는 삭제 이유로 ▲ 옛 식민지 종주국들의 반발 ▲ 식민지배 범죄의 법적 정의가 곤란함 ▲ 식민지 범죄에 대한 불충분한 피해 인식을 꼽았다.

마에다 교수는 일제가 조선에서 군 위안부를 이송한 것도 식민지 범죄에 해당할 가능성이 크다며 '군 위안부 자체가 존재하지 않았다' 등 일본의 침략과 식민지 지배 사실을 부정하는 발언을 처벌할 '역사부정범죄법' 제정을 제안했다.

그는 "이처럼 역사상 중대 범죄사실을 부정하는 발언은 서구 각국에서는 형법상 범죄에 해당한다"며 "독일의 '아우슈비츠의 거짓말' 처벌을 위한 민중 선동죄와 같은 규정은 프랑스, 오스트리아, 스위스, 리히텐슈타인 공국, 스페인, 포르투갈, 그리스 등에도 존재하지만 동아시아에는 이런 형법 규정이 없다"고 말했다.

마에다 교수는 "침략과 식민지배의 역사를 교훈삼아 중대 인권침해가 재발하는 일을 방지하고자 동아시아 각국에 역사부정범죄법을 제정해야 한다"며 "동아시아인들은 식민지 책임론, 식민지 범죄론 및 역사부정범죄법에 대해 더욱 깊이있는 논의를 하고 실천으로 이어나가야 할 것"이라고 강조했다.