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2014/01/29

強姦事件絡めインド系の取り込み図るジャパン・ディスカウント

新しい碑の除幕式にはインド系の有力者も出席
「インドでも残虐な出来事が起きている。私たちは(こうした出来事を)容赦しない」

アメリカで活動する韓国系の団体が、インドで多発するレイプ事件と慰安婦問題を絡めてインド系の取り込みを図っていると産経は伝えている。

日本を国際的に孤立化させる為には、民族を超えて輪を広げる必要がある。

彼らは、ユダヤ系に始まり、アフリカ(黒人)系、アルメニア系と取り込み、インド系も取り込もうとしている。既に日系人すら取り込まれているのである。それぞれの民族集団には攻略するポイントがある。ユダヤ系には「ホロコースト」を、アルメニア系には「トルコによる虐殺」、日系人には「強制収容所」の記憶を呼び覚ませばいい。そして、フィクションと事実を混同させる。「他人事でない」だと思わせれば成功。

確かに、これはカルトのやり口である。しかし、翻って日本はこの20年の間に民族の壁を超えた同調者をどれだけ確保出来たのか?民族を超えて説得できる言葉を工夫しない限り、日本はいつまでも孤立したままだろう。


米東部、NY州 新たな慰安婦碑、建立 インドのレイプ事件と絡める

【ニューヨーク=黒沢潤】米東部ニューヨーク州ウエストバリーで24日、新たな「慰安婦」碑の除幕式が行われた。慰安婦関連で建立された碑や像は全米で5つ目。米国では最近、慰安婦問題がナチス・ドイツによる「ホロコースト」(ユダヤ人大虐殺)のみならず、インドで多発するレイプ事件と絡めて紹介される傾向にあり、日系関係者らは懸念を強めている。

式典は、民間団体「韓国系米国人公共問題委員会」(本部・ニューヨーク州)の主催で、州議員、地元有力者ら約20人が参加した。

碑は2つからなり、昨年1月に州上院、5月に州下院で採択された「慰安婦制度非難決議」がそれぞれ刻まれている。上院の碑は「アジアや太平洋の島々で、約20万人の若い女性が『慰安婦システム』に従事させられた」などと記述。下院の碑では慰安婦問題を「人道の罪」と強調している。

上院での決議採択を主導したトニー・アベラ上院議員は式典で、「日本は(慰安婦問題を)きちんと認識していない。恥ずかしいことだ」と批判した。

米国ではここ数年、約600万人のユダヤ人が犠牲となったホロコーストと絡めて、慰安婦問題に焦点が当てられ、韓国系団体はニューヨーク州などで、慰安婦関係者とユダヤ系住民らの催しを開催してきた。

また韓国系団体は最近、インドで女性住民や外国人旅行者がレイプされる事件が続発していることを受け、母国でのレイプ事件に心を痛めるインド系住民の“取り込み”にも力を注いでいる。「慰安婦問題と(インドでのレイプ事件が)セットで語られ、日韓関係の“影”の部分が過度に強調される傾向がある」(関係者)という。

式典でも、チャック・ラビン下院議員が「氷点下8度という今日の異常な寒さも(慰安婦たちの)苦痛に比べたら無に等しい」と指摘、「インドでも残虐な出来事が起きている。私たちは(こうした出来事を)容赦しない」などと語った。式典にはインド系の地元有力者(58)の姿もあり、関係の緊密さをうかがわせた。

韓国系団体の動きが一段と活発化するなか、ニューヨークの日本総領事館は「日本政府としては、慰安婦問題を政治・外交問題化すべきでないと思っている。今後、適切に対応していく」(広報担当者)と述べるにとどまっている。

産経 2014.1.25
http://www.peeep.us/017e1d25

2014/01/17

パク大統領、インドでも慰安婦問題


安倍首相が中国包囲網なら、朴大統領は日本包囲網。日本をアジアから、世界から孤立させる大作戦。

インド人はあまり興味を示していないだろうが、これまでにも何度かインドのメディアで慰安婦問題は取り上げられている。いずれの記事も、慰安婦に対する認識は欧米のそれと変わらなかった。

インドでも慰安婦問題提起 韓国大統領

聯合ニュースによると、インド訪問中の韓国の朴槿恵大統領は16日、インド下院の有力女性議員との会談で、旧日本軍の慰安婦問題に「格別な関心と支援」を寄せるよう依頼した。韓国大統領府がニューデリーで明らかにした。

朴氏は女性議員に、慰安婦問題は日韓両国間だけの懸案ではないとし「女性の人権侵害の問題で、高齢の被害者たちにあまり時間が残されていないことを考えれば早期の解決が極めて重要だ」と指摘したという。

朴氏は昨年2月の就任以来、外国訪問の際に度々、演説や相手国のメディアのインタビューで日本との間の歴史問題を取り上げている。

インドには、今月末に安倍晋三首相も訪問を予定しており、インド国内で慰安婦問題への関心を高め、安倍氏に圧力をかける思惑もあるとみられる。(共同)

産経 2014.1.16

[再掲・参考]


旧ブログのエントリー(2009年)。後ほどリライトする予定。



インドの新聞(ネット)がフィリピンの慰安婦支援団体Lolas Kampanyera の関係者とのインタビューを元に慰安婦問題を紹介している。

・・・Maria Rosa Henson またの名をLola Rosaは1992年9月12日に公式に名乗り出た最初のフィリピン人慰安婦である。彼女のお陰で50年間秘密を抱えたまま生きていた沢山のフィリピン人が名乗り出て、真実の告発と謝罪を求めて訴えるきっかけをもらった。

マリアが強姦され慰安所に押し込まれたのは15歳の時だった。9ヶ月に渡って日本兵によって強姦される苦難の日々であった。

女性の中には6年もこのような待遇に耐えた人もいた。



彼女(マリア)の本の中で彼女は詳しく物語る「食事も喉を通らなかった。痛みが激しく、膣が腫れ上がりました。母親を呼んで泣き暮らしました。兵隊を拒否することは出来ませんでした。殺されるかもしれないから。他にどうしようもないでしょう?毎日午後2時から夜の10時まで兵隊が私の部屋の前に並んでいました。他に6人の女性がいました。暴行の後、体を洗う間もありませんでした。

express buzz 2009.3.30

以下が、このインドの(インターネット)新聞の日本軍慰安婦に関する解説。

WW II “Comfort Women” are the 200,000 girls and women abducted by the Japanese Imperial Army during WWII and forced to experience a life of systematic rape and enslavement. They are now mostly in their 80’s. They were taken from Korea, China, Indonesia, the Philippines and Taiwan. Around 1,000 girls were abducted in the Philippines.
(第二次大戦の「慰安婦」とは、日本軍によって誘拐され組織的なレイプと奴隷としての生活を強制された20万の少女と女性たちのことである。彼女らは朝鮮、中国、インドネシア、フィリピンそして台湾から連行された。フィリピンからは1000人ほどの少女が誘拐された)

Champion of comfort women’s rights

BANGALORE: Nelia Sancho, National Coordinator of Lolas Kampanyera — an organisation of WWII Filipino Comfort Women, Survivors of Japanese Military Sexual Slavery, was in the city to participate in an International Reflection/ Roundtable on the Courts of Women titled “Towards New Forms of Justice’’. She tells Jayadevan PK the tale of the fight for justice by women who were forced into prostitution as a form of sexual slavery by the Japanese military during World War

Maria Rosa Henson, or Lola Rosa, was the first Filipino Comfort Woman of WWII to come forward publicly on September 12, 1992. Because of Lola Rosa, many other Filipinos who had been living with this secret for over 50 years found the courage to come forward and speak their truth and ask for their apology.

Maria was 15 when she was gangraped and forced into slavery at a comfort station. Her ordeal of daily rape by Japanese soldiers lasted for about nine months.

There are women who have endured up to six years of such treatment.

Maria suffered permanent damage due to head injuries at the hands of angry soldiers. Her speech was slurred, and she sometimes drooled. She could not find a job. After a couple of years in recovery, she was married and gave birth to three children. However, the trauma of sexual assault had long lasting effect on her.

In her book, Comfort Woman: Slave of Destiny, Maria recounts: “I could not eat. I felt much pain and my vagina was swollen. I cried and cried, calling my mother. I could not resist the soldiers because they might kill me. So what else could I do? Every day, from two in the afternoon to ten in the evening, the soldiers lined up outside my room and the rooms of the six other women there. I did not have time to wash after each assault.

At the end of the day, I just closed my eyes and cried.” Winding up the story, Nelia says, “There are thousands of other women who have shared the same fate as Maria. We demand justice, an official apology has to be legislated and legal compensation must be paid to victims by the Japanese government.”

WW II “Comfort Women” are the 200,000 girls and women abducted by the Japanese Imperial Army during WWII and forced to experience a life of systematic rape and enslavement. They are now mostly in their 80’s. They were taken from Korea, China, Indonesia, the Philippines and Taiwan. Around 1,000 girls were abducted in the Philippines.

2013/10/05

生まれながらの売春婦 (インド)


「生まれながらの売春婦」インドの現実 豊かになっても児童売春は増加の一途

インドの他の多くの少女と同様、同国北部バラトプルに住むスチトラさんの進路は一つだけだった。思春期になる前にスチトラさんは、将来に備えて母親から性行為でのさまざまな体位や顧客を喜ばせる方法を教えられた。

14歳のある日、面識のない男が家に現れた。スチトラさんは車に乗せられ、6時間後に到着したのはニューデリーの売春宿だった。

・ 「他に道がなかった」

20歳になったスチトラさんは「これは私の宿命。家族が暮らしていくには他に道がなかった」と語る。

スチトラさんの故郷を含む何百もの村では何世紀にもわたり、少女のほとんどが売春の道に入る。世界第2の人口を有するこの国では、豊かになっても児童売春の数が増加の一途をたどっており、売春を始める年齢も9~12歳に低下している。

インドの性目的の人身売買産業は40億ドル(約3920億円)規模。バラトプルなど、女性の半分が読み書きのできない地域がその温床となっている。同国の売春婦は300万人。うち120万人は18歳未満だ。南アジアは、世界で一番、性の人身売買が多い地域だ。

過去10年間、国内総生産(GDP)が毎年平均約8%上昇しているような国での未成年売春の増加は、世界最大の民主国家での女性の扱いやカースト制度の威力を物語っている。インドでは、全世界で実施される女性の不妊手術の約40%が行われており、平均21分に1人の女性がレイプされ、全女性の3分の1は読み書きができないでいる。女性の地位がいまなお低く見られているのだ。

最下層のカーストに属する家庭はすべて、娘が売春で得る収入を頼りにしており、そういった家庭では往々にして父親や男兄弟が売春を斡旋(あっせん)している。少女は思春期に達すると、初めての相手がオークションで決まることが多い。

カースト最下級のベディア族出身のスチトラさんを見ていると、カースト制度がいかに職業や社会的地位を決定するかが分かる。宗教に基づき何千年も続いてきた構造が、特定の集団を過小評価し、女性を孤立と虐待のサイクルに閉じ込めている。

約2000人のベディア族の女性の多くは「自分たちはのけ者のように扱われる」と語る。売春をしていると結婚はできず、店では接客を断られ、「娼婦」と呼ばれ、レイプをされても警察は無関心だ。

スチトラさんの部屋を照らすのは裸電球が1つだけ。床には使用済みのコンドームが散らばり、尿や汗の染みがある。部屋には安物の香水の香りが立ち込め、廊下にはごみが山積みになりネズミがたかっている。

スチトラさんによると、1回わずか100ルピー(約160円)で、1日に数多くの男性と性行為をするという。部屋のほとんどを占領するコンクリート板がベッドとなり、そこで寝たり仕事をしたりする。顧客にナイフや銃、ビール瓶で脅されることもあるという。

生まれながらの売春婦という習慣の打破に取り組む政府関係者や活動家の話では、高い非識字率とカーストに基づく偏見により、女性が他の手段で生計を立てることが難しくなっている。

・ 家族からの圧力受け

バラトプルの政府トップでベディア族の習慣に立ち向かうニラジ・パワン氏は「スキルがなく、売春婦になれという家族の大きな圧力を受けている読み書きができない少女に、どうやって今の10分の1しか稼げない職に就くように説得すればいいのか」と苦悩を打ち明けた。

ベディア族の女性は、売春婦として1日1000~2000ルピー稼ぐことができるという。一方、インドの平均日給は188ルピーにすぎない。

売春婦として育つ少女の多くは胸を早く大きくするために、子宮を収縮させる作用もあるオキシトシンというホルモンを打たれるという。他のカーストでは男の子が生まれることが好まれるが、ベディア族では収入源になることから女の子が好まれる。

バラトプルのベディア族出身のスワティ・クマリさん(25)は男の子を産んだがために、何カ月も夫や義理の両親から虐待を受けた。

代わりに売春をするよう言われたが断るとひどくなり、何度も髪を引っ張られ、顔を殴られ、物を投げられた。その後、自分の両親の家に逃げた。息子も夫や家族から身体的虐待を受けたということだった。

国連の2013年の報告書によると、ベディアやナット、カンジャール族は収入を支えるために、他族から子供を誘拐する人身売買組織に関わり、誘拐した子供を自分たちの村で育てているという。中にはムンバイや中東諸国へ送られる少女もおり、ダンスバーで働いたりエスコートサービスに従事したりしているという。

一方、米国務省は13年人身売買報告書のインドの章で「人身売買への政府関係者の関与は深刻な問題であり、政府はほぼ放置状態だ。腐敗を取り締まる側に、性目的の人身売買の犠牲者の移動に手を貸したり、人身売買の容疑者を保護したり、賄賂を受け取ったりしている者がいる」と報告した。

デリーの売春街を管轄するデリー警察の副長官によると、警察は定期的な強制捜査により、売春宿に売られた女性や少女を助けている。同副長官は、警察官が人身売買に関わっているかについては知らないという。(ブルームバーグ Andrew MacAskill、Bibhudatta Pradhan)

産経ビズ 2013.10.3 1 2 3 4 5

2012/10/09

[参考] 年間5万人の子供が失踪するインド

インドで年間5万人の子どもたちが失踪、 写真の欠如が阻む捜査

【10月8日 AFP】インドの首都ニューデリー(New Delhi)に住んでいた13歳の少年、シバム・シン(Shivam Singh)君は7月のある夕方、帰ってから宿題をすると母親のピンキー・シン(Pinky Singh)さんに言い残し、お菓子をもらってくると外に駆け出していった。それっきり、シバム君は家に戻っていない。シバム君のように、インドでは毎年5万人もの子どもたちが失踪している。

「本を開きっぱなしにしたまま、息子はサンダルを履き、髪をとかして出かけていった。あれが息子の姿を見た最後になってしまった」。ピンキーさんはシバム君が姿を消した当時の状況を涙ながらに語った。それから3か月。シバム君の部屋でおもちゃやスポーツ大会のトロフィーに囲まれ、ピンキーさんはシバム君が使っていたベッドに腰掛け、息子の身に何が起こったのだろうと不安を募らせている。「薬物に関わったり物乞いを強いられていないことを祈るしかない。息子は純真で勉強好きな子だったの」

■狙われる貧困地区の子どもたち

直近の犯罪データによると、ニューデリーでは毎日、14人の子どもの行方が分からなくなり、このうち少なくとも6人が人身売買の犠牲になっている。特にデリー(Delhi)やムンバイ(Mumbai)といったインドの大都市は犯罪組織に狙われやすい。警察によれば、こうした犯罪組織は薬物取引と似たような手口で子どもたちの人身売買を行っているという。

犯罪組織による子どもの人身売買を解決する取り組みが不十分だとの申し立てを受けて、インドの最高裁判所は今年8月、連邦政府および各州政府に対し、失踪中の子どもたち5万人に関するデータの提供を命じた。

警察関係者は、複数の工場から子ども数百人を救出し、児童買春組織の大規模摘発も行っていると、取り締まりの一定の成果を強調する。だが一方では子ども人身売買問題の規模は警察が無力さを感じるほど、あまりに大きいと認めた。

インドの連邦捜査官らは前年、国内全土で子どもを誘拐し児童買春や物乞いを強制している犯罪組織は815団体、構成員5000人余りに上ると発表している。

デリー警察のラジャン・バガット(Rajan Bhagat)報道官はAFP通信に対し、「誘拐された子どもたちが、安い労働力として工場や店舗、家で働かされている事例は非常に多い。そうした子どもたちは、性行為を強要されたり、児童ポルノ産業に追いやられる場合もある」と説明。犯罪組織は特に、都市部の貧困地区に住む子どもたちを狙っているという。子どもたちの行動を把握しやすく、食べ物で誘い出して簡単に誘拐できるとの理由からだ。

■捜査の鍵となる子どもの写真もなく…

バガット報道官によると、貧困家庭の親たちの中には、警察に通報することさえ怖がる場合もあるうえ、警察が証拠として提出を求める子どもの写真がない事例が大半を占めている。

子ども誘拐の危険を誰よりもよく知るのは、ニューデリー市内の小売店主の息子、シャラト・クマール(Sharath Kumar)君(12)だろう。クマール君は9歳の時に誘拐されかけた経験を持つ。

当時、クマール君は学校で母親の迎えを待っていた。すると突然、年配の男に頭から黒い布をかぶせられて、身体ごと引きずり込まれた。「騒いだら殺すと脅された」という。幸いクマール君の悲鳴を聞きつけた若者たちがクマール君を助け出し母親のもとに連れて行ってくれたため、誘拐は未遂で終わった。母親は「息子は本当に運が良かった。でも家に帰ってからもショック状態で、長い時間泣いていた」と当時を振り返った。

この事件によって、クマール君の母親が学んだ重要な教訓がある。誘拐未遂事件を受けて、警察は母親にクマール君の最近の写真を提出するよう求めた。だが、クマール君の写真は1枚もなかったのだ。母親は「不用意だった自分と夫を恨んだ」という。今では2人の息子のポートレートサイズ写真を半年ごとに撮影していると、クマール君の母親はAFP通信に語った。

捜査当局によれば、証拠となる失踪した子どもの画像なしには捜索は、まず不可能だ。ニューデリーの上級警察官、V・レンガナタン(V. Renganathan)氏は「犯罪組織の大半は6歳から13歳の子どもを標的としており、写真がなければ追跡できない」と話す。レンガナタン氏は、貧困地区で記録用に子どもたちの写真を撮影し、焼き増し写真を家族らに配布する活動を立ち上げている。活動の目的は「貧しい地区に住む弱い立場の子どもたちを守ること」だという。インド国内に「何百万とある貧困家庭では、子どもの写真を撮影するなど、考えることさえ難しい」からだ。

ピンキーさんも、警察に行方が分からないままのシバム君の写真を提出した。後はただ、捜査が進展したとの知らせを待つだけだ。「毎朝、息子の帰りを待つために目覚め、夜は息子の帰りを待ちながら眠りにつく。今は待つことだけが私の生きる術なんです」

AFP 2012.10.8

2012/02/23

中国・朝鮮人を強制的に慰安婦にした日本人の異常性--Madan G Singh



写真やこれまでのコラムから見るとインド系かその周辺といった所ではないかと思われるが、このコラムを書いたMadan G Singhという人物がどこの国のどういう人物かは分からない。世界中に広まった「日本軍性奴隷」伝説は、アルジャジーラに取り上げられたこともあるし、インドの新聞が記事にしたこともある。インド系?の彼がこの問題をどのように認識しているか訳してみた。ちょっと超訳になったかもしれないが、その辺は下の原文で補正して欲しい。

日本帝国陸軍の慰安婦

古の軍隊(陸軍)は「キャンプ・フォロワー(軍隊に随行する娼婦) 」として知られる女性の随行員を伴って行動した。英印軍の場合、女性、コック、ヘルパーや同種の兵員といった莫大な数の非戦闘員が戦闘や行軍の際に随行した。
アメリカの南北戦争の際も、同様の女性達が軍隊(陸軍)の一部を成した。兵士たちの性的要求を処理するという目的の為に奉仕したこの女性たちは、お金の為に自発的に軍隊と共に旅をしたのである。

一方、日本帝国陸軍は、従属させた国家の女性を強制的に徴集して慰安婦、あるいはキャンプ・フォロワーとした。英印軍や南北戦争の軍隊のキャンプ・フォロワーとは微妙な違いがあった。これらの軍隊は女性を募集するのに強制はしなかったし、敗れた軍隊の女性が当然の事として(?)徴集されることもなかった(引用者注: 占領国の女性を強制的に慰安婦にしたという意味か?)。それに対して帝国陸軍は、慰安婦にするのに主に朝鮮人と中国人の女性をターゲットにした。これらの女性は強制的に徴集され、さらに悪いことに非人道的に扱われた。

彼女たちは満足に食べさせてもらえず、数千人が日本人たちの気をわずらわせる事なく死んで行った。日本人たちは捕まえて来た朝鮮人や中国人の少女たちで簡単に死んだ少女たちの穴埋めをした。

日本人たちはニコバル諸島でも虐殺を行った。男たちを殺してから女性たちを兵士たちの相手役や束の間のめかけにしたのである。この日本人の精神と文化の特徴は、これまで適切に説明された事はない。3000年の伝統を自慢していた文明が、その文化全体の面目を永遠に失ったのである。これら第2次大戦中の振る舞いにについて、日本人たち自身が何と言うか聞いてみたいものである。

Expertscolumn 2012.2.21

アンダマン諸島の慰安所というのは海軍の管轄で、軍人だけでなく、商社員も利用していたという。韓国のメディアは例によって朝鮮人慰安婦がこんな南方の島まで連行されて行った・・「ハルモニたちの苦難に満ちた旅路はどこまで続いていたのか」などと慨嘆してみせるが、河東三郎の「草津の墓碑銘-ある軍属の物語」によると、ここには日本人慰安婦も(連行されて??)いたようである。

アンダマン・ニコバル諸島の住民に対する日本軍による弾圧はあったのかもしれないし、もしかしたらそのドサクサに一部の女性が慰安婦にされた事もあったかもしれない。これについて自分は何とも言えないが、Madan G Singhがインドで色々と問題も起こしていたはずのイギリス軍に比べても日本軍が特筆すべき残虐な軍隊であったと考える根拠は、日本軍が従属させた国家(朝鮮や中国)から女性を強制的に徴集し、それらをキャンプ・フォロワーにした挙句、虐待して死ぬにまかせていたという特殊性にあるようだ。彼はそんな日本人の異常(特殊)な精神性・文化が学術的に解明されるべきだと考えているようだ。

インドでイギリス兵が児童買春していた話はカール・ヨネダが書いているし、南北戦争でキャンプ・フォロワーが活躍したことは風と共に去りぬ(小説)に出てくる。英字でインターネットを眺めている限り、慰安婦問題に対する欧米人の認識は彼と五十歩百歩といった所だろうという印象である。喧伝されている日本軍慰安所の特異性は、慰安所に軍隊が関与したことでもなければ、生活の中の強制性でもなく、日本軍が use(d) force to recruit the women--つまり慰安婦たちが強制連行によって集められたということである。

彼は反日でも日本の悪口を言っているつもりでもなく、ネガキャンとしての慰安婦問題を真に受けてしまっただけなのだろう(ただし、彼は現地を訪れた経験があり、自分で見聞きした情報から日本軍にはかなり批判的である。参考:Japanese Army, Tribal Girls and Occupation of Car Nicobar Island)。こういうケースが着実に増えているから、多くの人がこの問題は何とかしなければならない、反論しなければならないと考えているのである。アメリカの下院決議案のどこに「強制連行」と書かれているのか!と「ネトウヨ」をやりこめて凱歌を挙げている左派系日本人ブロガー達は、故意かどうかは分からないが、こういう現実を無視していると思う。


The olden armies travelled with a retinue of women who were known as 'Camp Followers'. The British Indian army had a vast retinue of non-combatants like women, cooks, helpers and similar personnel who accompanied the army in battle and while on the march. Similarly women were also part of the armies during the American civil war. The women served a definite purpose in looking after the sexual needs of the troops. The women were volunteers who for consideration of money travelled with the troops.


The Japanese Imperial army on the other conscripted by force women of the sugjugated nations as comfory women or campfollowers. There was a subtle difference between the camp followers with the British Indian army and the American civil war armies. These armies did not use
force to recruit the women and the defeated armies women were not conscripted by right. The Imperial on the other hand especially targetted Korean and Chinese girls as comfort women. These women were conscripted by force and worse treated inhumanly. They were not fed properly and thousands were allowed to die with the Japanese batting an eyelid. The Japanese simply replaced the dead girls by another batch of captured Korean and Chinese girls.


The Japanese also carried out a massacre in the Car Nicobar islands and after killing the men the women were handed to Japanese soldiers as companions and transitory mistresses. This trait of Japanese ethos and culture has never been properly explained . A CIVILIZATION THAT BOASTED OF A HERITAGE OF 3000 YEARS debased their entire culture for all time to come. I wonder what the Japanese have themselves to say of these acts during the Second World War.