2011/02/28

馬英九総統、再び慰安婦に支援を約束

台湾の馬英九総統の慰安婦絡みのニュースは、昨年の末から今年の正月明けにかけて二三件紹介した。下の「馬英九」タグをクリックしてもらえれば、前の記事が出てくるはず。もともとこの人は、それ以前からこの問題に熱心で、台湾の教科書にも慰安婦問題を取り上げると宣言して元慰安婦を喜ばせたりしていた。

馬総統は、台湾の元慰安婦が日本から法的な賠償を得られるよう支援することを約束した。新竹県にする86歳のLu Man-meiは台湾に生存する13人の慰安婦の一人、1999年に9人の元慰安婦が日本政府に対して訴訟を起こしたが、2005年に最高裁で敗訴が確定した。

馬総統に若かりし頃の写真を見せたLu Man-meiは最近までクリーニング屋で働いていたが、旧正月の直前に怪我をして、それ以来動けないという。チャイナ・ポストは、日本軍は第二次大戦中最低でも40万人の中国、朝鮮、台湾、フィリピンの女性を強制的に売春させていた(Japanese army forced into prostitution at least 400,000 women in China, Korea, Taiwan, Indonesia and the Philippines)と書いている。今過去のエントリーを確認したら、これは二年前に台湾の他の新聞(タイワン・トゥデイ)が同じことを書いていた。


台湾では犠牲者の数は1200から1400人と推定されているが、台湾婦女救援基金会が戦争被害者として認定されているのは、その内の58人(チャイナ・ポスト)ということである。

それにしても、昨年末のニュースでは、台湾政府が年明けにも日本政府と交渉を始めると言っていたのに、一向に国内のメディアからはニュースが出て来ない。

TAIPEI--President Ma Ying-jeou promised Sunday to assist Taiwanese “comfort women” in their legal efforts to obtain reparation from Japan.

During a call to one of the surviving “comfort women” in Taiwan, the president said his government will provide legal assistance to war victims like her to seek compensation and an apology from the Japanese authorities.

The 86-year-old woman, Lu Man-mei of Hsinchu County, was one of those who were forced to provide sexual services to Japanese soldiers during World War II.

She is one of 13 surviving “comfort women” in Taiwan. In 1999, nine of the Taiwanese women filed a lawsuit against the Japanese government, but it was dismissed by the Japanese Supreme Court in 2005.

During Ma's visit, Lu showed him photos of herself when she was young.

She had been working in the laundry business until recently, but got hurt just before the Lunar New Year and has not been able to work since then, she said.

During World War II, the Japanese army forced into prostitution at least 400,000 women in China, Korea, Taiwan, Indonesia and the Philippines.

In Taiwan, the number of victims was estimated at 1,200 to 2,000, but only 58 were confirmed as war victims by the Taipei Women's Rescue Foundation (TWRF).

Most of the 13 surviving “comfort women” in Taiwan live alone and suffer from diseases related to uterus damage, according to the TWRF.

China Post 2011.2.28

追記: タイペイ・ニュース3月1日

2011/02/27

少年工作員 朝鮮戦争



朝鮮戦争:裁判所が「少年工作員」の存在を認定
強制徴集され、戦死…「補償金支給」の判決

6・25戦争(朝鮮戦争)の際、韓国軍が京畿道坡州で村の少年たちを強制徴集し、北派(北朝鮮派遣)工作員として活用、相当数が戦死もしくは行方不明になったという家族の訴えを、裁判所が初めて受け入れた。韓国政府はこれまで「証拠がない」として、少年工作員の存在を否定していた。

ソウル行政裁判所行政14部(ソン・ジヨン裁判長)は24日、「戦死した実兄への補償金申請を棄却した決定を取り消してほしい」として、パクさん(70)が特殊任務遂行者補償審議委員会を相手取り起こした訴訟で、原告勝訴の判決を下した。パクさんは「兄は15歳だった1951年、坡州の諜報部隊に強制徴集され、情報員として北に派遣され戦死した」として補償金を申請したが、委員会はこれを棄却した。

韓国軍が少年たちを連行、工作員として訓練し北朝鮮に送り込んだという話は、これまでうわさ話として伝えられてきた。ナチス・ドイツから着想を得た軍人たちが、逃げ遅れた住民のうち15歳以下の少年およそ30人を徴集し、2週間にわたり教育した後、開城・開豊地域に送り込んで軍事機密を入手するよう指示した。このうち、およそ10人が戦死もしくは行方不明になったという内容だ。

パクさんは「当時、軍人たちが、勉強させてやると偽って兄と同じ年ごろの少年たちを呼び集めた。どこかに連れて行こうとしたため、一部が恐怖を抱いて帰ろうとすると、少年たちを全員うつぶせに寝かせて殴り、無理やり引っ張って行った」と語った。

犠牲者の家族は、このうち一部が実際に戦死者として認定されている事実を根拠として、少年スパイの存在を主張した。韓国政府は当初、一部について補償金の支給も行ったが、昨年9月に「証拠がないため、存在しなかったというのが最終結論」としてこれを取り戻そうとしたところ、遺族たちが反発した。

しかし、問題の部隊で将校として勤務していたキム氏は、裁判で「同僚の将校が、“ドイツの少年工作隊にならって少年たちを訓練し、工作活動をさせる”と報告するのを聞き、実際に派遣されたという話も聞いた」と証言した。

裁判部は「証言の内容を見ると、当時、部隊が付近の少年たちを強制的に連行し、敵地に送り込んだ事実が認められる。パク氏の兄も、指示を受けて敵地に侵入した後、行方不明になったとみられる」と判断した。

このほか、パクさんと同じ村で暮らしていた少年たちの遺族が起こした2件の訴訟についても、来月初めに判決が言い渡される。

鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
朝鮮日報2011.2.27

2011/02/22

東北アジア歴史財団【強制連行】北海道研修ツアー



Wikipediaによると雨竜第一ダムの建設には連合軍捕虜も動員されたらしい。労働は過酷だったとされているが、朝鮮日報の記事も触れているように日本人も働いていた。現在は近くにあったお寺の本堂が「笹の墓展示館」という名の歴史展示館になっている(写真左)。

これまでにも、韓国と交流のある反戦平和団体などがワークショップを開くなどしていたようであるが、今回は東北アジア歴史財団がここで歴史教師向けのツアーを組んだらしい(写真下、祈っているのが韓国から来日した高校教師たち)。東北アジア歴史財団と言えば、盧武鉉前韓国大統領が設立した抗(?)中、抗日組織でしたね。最近では資源を抗日に集中していると言う話ですが。

記事はかなり割愛してあるので、必要な人は下の原文を参照して下さい。


15から18日にかけて開かれた「東北アジア歴史財団(理事長チョン・ジェソン)第2回東アジア社教員現場研修」は強制徴用の痛みが漂う北海道で執り行なわれた。踏査のテーマは「故郷を失った人々の土地、北海道で会う東アジア」踏査に参加した「歴史教師」 25人は歴史と寒さ、出会いと疎通を行き来しながら本願寺札幌別院~朱鞠内  笹の墓展示館~北海道開拓記念館を現地調査した。ハン・ヘイン建国(コングク)大研究教授(日本近現代史)が招聘講師としてこれらと共にした。

笹野の墓展示館は本来光顕寺という寺(?)だ。第二次大戦が頂点に駆け上がった1938 ~1943年私を近隣の山の麓で戦時中の電力供給のための雨竜ダムの建設が進められ、日本人と共に朝鮮人少なくとも3000人が動員された。 強制労働中に命を失った日本人と朝鮮人死体はここで一夜泊まってから埋葬された。

...強制労働に連行された朝鮮人の人生は南の九州より北の北海道がはるかに気味が悪く大変だった。九州は日本本土と繋がっており逃亡を夢見ることが出来たが、北海道は逃げても島繋がなかったためだ。宿舎を出て幾日も歩き回っても、結局荒野を抜け出すことはできない場合が多かった。日本人に当てられた朝鮮人労働者が朝鮮女性を性的に利用する「産業慰安婦」もいた。 ハン・ヘイン教授は「朝鮮人労働者らが逃げないようにしようと、企業などが料理屋兼慰安所の『チョ・ソンオク』を運営、労働者らに紙切れを与えて使わせた」と説明した...

朝鮮日報2011.2.21



역사 교사, 홋카이도 강제징용 현장 답사
101명의 유골, 3개 함에 뒤섞여… "이 아픔, 제자들에게 전해줄 것"

지난 16일 오후 일본 홋카이도 슈마리나이(朱鞠內)에 있는 '사사노보효전시관(笹の墓標展示館·강제노동자료관)'. 가로 60㎝, 세로 30㎝ 크기의 나무상자가 눈에 들어왔다. 스님이 상자 뚜껑을 열자 갈색으로 변한 팔과 다리 부분 인골이 눈에 들어왔다. 일제 강점기에 슈마리나이에 끌려와 일하다 죽은 어느 조선인은 이제 유골이 되어 한국인 을 맞이하고 있었다. 1997년 8월 절에서 1㎞ 떨어진 공동묘지에서 발견된 이 유골은 신원이 확인되지 않아 조국으로 돌아가지 못하고 납골당에 보관 중이었다. 방문자들은 유골 앞에 한국에서 가져간 술을 바치고 두 번 깊이 절했다.

15~18일 열린 '동북아역사재단(이사장 정재정) 제2회 동아시아사 교원현장 연수'는 강제 징용의 아픔이 서린 홋카이도에서 펼쳐졌다. 답사의 주제는 '고향을 잃은 사람들의 땅, 홋카이도에서 만나는 동아시아'. 답사에 참가한 '역사 선생님' 25명은 역사와 추위, 만남과 소통을 넘나들면서 혼간지 삿포로 별원~슈마리나이 사사노보효전시관~홋카이도 개척 기념관을 답사했다. 한혜인 건국대 연구교수(일본 근현대사)가 초빙강사로 이들과 함께했다.

사사노보효전시관은 원래 고겐지(光顯寺)라는 절이었다. 2차대전이 정점으로 치닫던 1938 ~1943년 절 인근 산자락에서 전시(戰時) 중 전력 공급을 위한 우류댐 건설이 진행됐고, 일본인과 더불어 조선인도 최소 3000명이 동원됐다. 강제노동 도중 목숨을 잃은 일본인과 조선인 시체는 이 절에서 하룻밤 묵다가 매장됐다.

홋카이도 북부 내륙에 자리한 슈마리나이는 영하 41.2도까지 내려간 기록이 있는, 일본에서도 가장 추운 곳이다. 현재도 우류댐은 일본에서 9번째, 건설 당시에는 아시아에서 가장 큰 댐이었다. 어른 허리 높이만큼 쌓인 눈을 이고 말없이 서 있는 콘크리트 댐을 보며 답사단은 저마다 다른 아픔에 빠져들었다. "너무 추워서 벌레도 살지 않을 것 같은 이곳에 조선인들의 피와 땀이 밴 댐을 보니 눈물이 날 것 같다." "상처받은 땅, 너무 아프네요. 빨리 여길 벗어나고 싶다…." 너무 아픈 역사는 지난 이야기가 아니라 차라리 현재의 상처로 남는다.

댐 건설로 인근에는 담수 면적이 2373㏊나 되는 일본 최대의 인공 호수 슈마리나이호가 생겼다. 이날 호수에서는 일본인들이 빙어 낚시를 즐기고 있었다. 설정아 광양고 교사는 "아름다운 설경과 아픈 역사가 뚜렷이 대비돼 착잡하다"고 했고, 신선호 교육과학기술부 교육연구사는 "일본인들이 끌어올려야 할 건 빙어가 아니라 동아시아의 진정한 평화"라고 말했다.

강 제 노역에 끌려간 조선인의 삶은 남쪽 규슈보다 북쪽 홋카이도가 훨씬 더 징그럽게 힘들었다. 규슈는 일본 본토와 연결돼 있어 도망을 꿈꿀 수 있었지만 홋카이도는 도망가봤자 섬 안이었기 때문이다. 숙소를 나와 며칠을 돌아다녀도 결국 허허벌판을 벗어날 수 없는 경우가 많았다. 일본인에게 당하던 조선인 노동자가 조선 여성을 성적으로 이용하는 '산업 위안부'도 있었다. 한혜인 교수는 "조선인 노동자들이 도망가지 못하게 하려고 업체들이 요릿집 겸 위안소인 '조선옥'을 운영, 노동자들에게 딱지를 줘서 사용하게 했다"고 설명했다.

답사단은 전날인 15일 오후에는 삿포로에 있는 정토신종 혼간지(本願寺)파 삿포로 별원(別院)을 방문해 조선인 징용자 유골에 조의를 표했다. '별원'은 무명(無名), 즉 사람의 이름이 없다는 뜻이다. 조선인·중국인· 일본인으로 여겨지는 101명의 유골은 3개의 유골함에 뒤섞여 일본 신자들만 안치될 수 있는 이곳 납골당 1층 제일 한갓진 자리에 놓여 있었다. 김혜진 전주공업고 교사가 탄식했다. "조그만 납골당에 101명을 한꺼번에 밀어 넣어놓다니…."

길지 않은 시간이었지만 답사단의 기억에는 어떤 깨달음이 각인됐다. 허현주 의왕고 교사는 드라마 '싸인'의 한 대사를 인용했다. "'죽은 자는 진실을 말하고 살아있는 자는 거짓을 말한다'고 했어요. 유골을 보며 조선인 징용자들이 무슨 말을 하고 싶었을까 상상해봤죠. 책에서 읽은 내용과 직접 와서 본 것은 하늘과 땅 차이였습니다. 현장에서 느낀 한기와 설움을 제자들에게 고스란히 전해줄 겁니다."

2011/02/20

NHKは嘘を暴かなかった【池田信夫】





元NHK職員で現在は経済学者として活躍している池田信夫が先週ツイッターで、こんな事をつぶやいていた。彼はNHK時代、終戦特集のような番組にも関わり朝鮮人強制連行の番組も手がけた。そんな彼の感想である。

彼が言うように、罪滅ぼしのつもりで、証言者の話がおかしいと思っても日本人はそれを指摘してこなかった。それが河野談話にもつながり、慰安婦問題が国際問題に発展する原因になったのだと思われる。

それにしても「無縁社会」キャンペーンは長い。菊池寛賞とか取って気をよくしたのかな。私の経験では、こういうセンチメンタルな話を好むのは社会情報グループ。昔も「中国残留孤児」というキャンペーンを何年もやって私も巻き込まれたが、あれはほとんど嘘だった

残留孤児も最初のころは本物で親も見つかったが、最後のほうになると見つかるのは50人中2~3人で、親の名前もでたらめ。「日本に行けば30万円(年収を超える)もらえる」というので、エージェントがそれらしいのを集めてきた。厚生省もNHKも「罪滅ぼし」で嘘を暴かなかった



2011/02/18

ロラ・マシン・ミュージカル




私は中学生なのですが!




  • 9. きょちち★2008年06月12日 18:45

スタッフしてくれたんですね

ほわー(・ω・)
ありがとうございました★

私は中学生なのですが!
この公演をしるまで.
従軍慰安婦をしりませんでした
日直のスピーチでこのことをいいました!
みんなしりませんでした!

ニュースでみたのですが
NHKの従軍慰安婦のやつ
(って表現でわかりますか?)
国って何でそんなにこのことを隠そうと
するのでしょうかね...

って語っちゃったあ(`・ω・)ノ
またブログ見させてください★
池田地区に家近いですよ!笑


2011/02/14

元法相のナヌムの家訪問は、新たな「最低でも県外」?



こういった報道からだけでは、本人の真意というのは分からないものだが、鳩山由紀夫という人物を総理大臣にして日本人が思い知ったのは、他人を喜ばせようと前後を考えずリップサービスすると、結局は相手をより深く傷つけてしまうということだ。

ナヌムの家のハルモニは、支援団体らに「日本政府は謝ったことがない」と教えられ、そう信じている。元大臣経験者が訪れたとなれば、日本が方針を転換する予兆のように受けとられるかもしれない。しかし実際はどうなのだろう?杉浦には何かあてでも有るのだろうか?

「私的な訪問」と杉浦は言うが、問題は、韓国のマスコミやハルモニがどう受け取るかである。実際韓国の東亜日報の記事では、元慰安婦の一人が、「韓日過去史清算のかを見ていない日本政府の謝罪と補償を受けるまで絶対に死なない」と話したと伝えられている。

杉浦は、小泉首相が慰安婦に送った謝罪の手紙の事をハルモニたちに再度確認したのだろうか?欧米の学者の中にも、一連の日本側の誠意(?)は韓国のNGOなどにより妨害されたと指摘している人がいるのだが?

小泉純一郎内閣で法相を務めた杉浦正健氏が13日、韓国の金成浩元法相とともに、元従軍慰安婦の女性が共同生活するソウル近郊の施設「ナヌムの家」に、女性らを訪問した。聯合ニュースが伝えた。

同ニュースによると、杉浦氏は、私的な訪問だと説明した上で「会って被害を確認したかった。(見聞きしたことは)日本に帰って知らせたい」とし「若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と述べたという。

ナヌムの家には現在、元慰安婦の女性8人が暮らしている。写真左の人物は、韓国の金成浩元法相らしい。

共同2011.2.14

たとえ、杉浦が「(日本)の若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と言ったのだとしても、それは彼が日本の歴史教科書が歪曲されていることを認めたものとは限らないだろう。しかし、韓国ではどう受け止められるか、それが問題なのである。

写真を見る限り、ハルモニは本気で感動しているように見える。

追記: 朝鮮日報

韓国と日本の法相経験者が、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性たちが暮らす京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪問した。日本の杉浦正健元法相(76)と、金成浩(キム・ソンホ)法務部(省に相当)長官(61)は13日、「ナヌムの家」の追悼公園で献花し、教育観や歴史観について意見を交わした後、生活館で元慰安婦たちと面会した。今回の訪問には、「ナヌムの家」の後援会長を務める李翰成(イ・ハンソン)議員(ハンナラ党)や、韓国文化財団イ・チャング理事も同行した。

杉浦元法相は「個人的に韓国を訪問した」と前置きした上で「元慰安婦の女性たちと直接会い、被害の実情を確認したかった。日本に帰って、今回見聞きしたことを伝えたい。未来を信じ、若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と語った。衆議院議員を通算6期務めた杉浦氏は、2005年から06年にかけて法相を務めた。一方、金元長官は現在、財団法人「幸福財団」の理事長を務めている。

元慰安婦たちは「歴史問題の解決に向け、前向きな姿勢を見せない日本政府の謝罪や補償が実現するまでは絶対に死ねない」と発言した。これに対し金元長官は「謝罪を望むのであれば、長生きしなければいけない」と語りかけた。「ナヌムの家」側は「純粋に一民間人として、悲しい歴史の現場を訪れ、被害の実情を把握し痛みを分かち合うため、今回の訪問を快諾した」と話した。現在、「ナヌムの家」には生存している元慰安婦75人のうち8人が暮らしている。

朝鮮日報2011.2.14

2011/02/12

冤罪が晴らされる時【トヨタ】




このニュースは、9日の朝、寝ぼけた状態でBBCで聞いていた。厳格に調査した結果トヨタ車の電子制御には問題はなかった、と力を込めて話していたのは、ラフード長官だったのだろう。その力のこもった口調にちょっと感動を覚えたのだが、そうか、この人は一年前激しくトヨタを口撃していたから、それを取り繕う意味もあったのかもしれない。

慰安婦問題も同じだ。これくらい徹底調査をした上で、それでもなお、マイク・ホンダは「強制連行はなかったが、強制性はあった」などと開き直れるのかどうか。

ラフード米運輸長官は8日の記者会見で「娘もトヨタ自動車の車を買った」と述べ、安全性にお墨付きを与えた。1年前は議会で「運転をやめるべきだ」と話すなど厳しいトヨタ攻撃で物議を醸しただけに、この日の会見は“安全運転”に徹した。

長官は、娘から電話で「2011年型のトヨタ車購入を検討している」と相談を受けたとし、部下に確認した上で「買うべきだ」と忠告したことを明らかにした。

長官は「トヨタは非常に協力的で好意的だった」と擁護。昨年はトヨタの報告遅れを厳しく指弾したが「われわれは安全が最優先で(国内外の)自動車メーカーを平等に扱っている」とし、トヨタ狙い撃ちではないと説明した。(共同)

産経 2011.2.9

もちろん、運転席のフロアマットがペダルにひっつくという欠陥があったのは事実だし、トヨタの対応も良くなかったのだろう。しかし、あれだけバッシングを浴びせておきながら、この期に及んで開き直れる人はいないだろう、と思ったら・・・甘かった。

...ワシントン・ポストは9日付の朝刊一面で当局の調査結果を詳報。社説では、米公聴会では問題の確信に迫ることにより話題作りが目的になることがあると指摘。「政治的に誘引された(世論の)ヒステリー状態も責められるべきだ」とした。

一方、一連の問題でトヨタに対する批判が目立ったロサンゼエルス・タイムズ紙は、当局の判定について「納得できない」とする消費者の声を紹介。裁判でトヨタを訴えている原告弁護士らが、独自調査で「システムに重大な欠陥を見つけた」と話していると伝えた。

米誌ビジネスウイーク(電子版)は11日、ラジオ番組司会者のエド・ウォレス氏の寄稿を掲載。急加速するトヨタ車の映像を繰り返し流した米テレビを「報道の正確さより視聴率稼ぎを優先し民衆の不安をあおった」と批判した。

トヨタ生産方式に関する研究で知られるジェフリー・ライカー米ミシガン大教授は11日、ハーバード・ビジネス・レビュー誌(電子版)に寄稿。政府やメディアは、問題を解決する際に秩序だった手法を用いるトヨタから何かを学ぶべきだと皮肉った。

日経2011.2.12

「独自調査」で欠陥(証拠)を見つけてくる「専門家」が現れるのも、慰安婦騒動と同じか・・・?

昨年、アメリカ下院の公聴会で涙を流して被害を訴えていた「被害者」。 "Shame on you Toyota" (トヨタ恥を知れ)↓ 彼女によると、ブレーキをかけてもエンジンを切っても、車は止まらず加速を続けたという。この頃から、彼女の証言を疑問視する者はいたが、時折声を詰まらせながら話す被害者に議員たちは神妙な面持ちで耳を傾けていたものだ。

フェミニストたちは、「被害者の証言を疑うのは、セカンドレイプ」というが、真相究明に、そんな言い訳は通じない。


2011/02/10

詩的な慰安婦劇【ホテル・スプレンディッド】



米国人の劇作家Lavonne Muellerが作った戯曲ホテル・スプレンディッド(一流ホテル)については、これまで二度ほど紹介した。作者は、韓国の専門家を取材してこの作品を書いたが、かなり勘違いしている。

情報としては、特に新しいものはないようだ。 ポスターぐらいか。

・ 米国人劇作家【ドイツはホロコーストを謝罪した】  
・ ホテル・スプレンディッド英語字幕版【9月】  

慰安婦女性たちの話を外国人の観点で描き出した演劇「一流ホテル」が公演される。 戯曲「一流ホテル」は米国劇作家ラボンヌ・ミュラーが日本に滞留中に偶然に慰安婦に関する話に接してから、数年間執筆に没頭して完成させた。当時慰安婦の兵舎を指し示した「一流ホテル(ホテル・スプレンディッド)」をタイトルにして作品の象徴性を浮上させた。 この作品は「日本軍隊に蹂躙され性奴隷になった女性4人の人生を、訴えるように描き出した」という評価を受け、2001年の国際平和賞と反転(?)演劇賞を受賞した。

「一流ホテル」は2008年劇団초인(チョイン)によってソウル演劇祭に参加、アルコ芸術劇場大劇場での初演を始め、2009年大学路芸術劇場小劇場公演、アルゼンチン フェスティバル招請公演を成功裏に終え、作品の完成度を高めてきた。 引き続き2010年には2nd大学路優秀作品インキュベイティン支援作に選ばれ、2011年、南山芸術センターの公演が確定した。

公演関係者は企画意図について、「これまでに発表された数点の慰安婦を題材にした作品が過度に感性的なアプローチをしてきたとすれば、この作品は詩的なセリフと客観的距離をおくことを通じて理性的接近、美学的完成度を高めようとする試みで製作された。 芸術的完成度だけでなく慰安婦問題の深刻性を表わし、国民的な関心を誘導しようと思う意図も含んでいる」と明らかにした。

この作品の演出家パク・ジョンウイは「作品の焦点は人間だ。 しかし人間、その存在の軽いということでない崇高な人間性の勝利で描き出すこと」としながら「主観的感情にだけ偏らないように努めた。 歴史的事件に対してより写実的で客観的に描写しながらも美学的な舞台まで整えた、一つの芸術作品を完成したかった」と伝えた。

関係者は「2007年米国、カナダ、オランダ、そしてヨーロッパ連合議会で日本軍慰安婦問題に対する日本政府の謝罪を促す決議案が採択された。 しかし本来最大の被害当事国の韓国でこの問題に関する国民的関心はまだ微小だといえる」として「遠い過去の話でもないまさに今日、彼女たちの話は私たち自身の話となる。 観客らはこの公演を通じて舞台の上彼らに直接会って痛みと悲しみを共有することになるだろう」と話した。

俳優ではジョンウイスンイサンヒギムギジュンアンコトニムシンジョンウォン、イジョンフンイウンソンイソンジェリュドンホンなどが共にして公演は2月25日から3月6日まで南山芸術センターのドラマセンターで会うことができる。

PRESSian 2011.2.10

これは以前の講演のもの。[予備動画]

追記:ナヌムの家の告知には、20万人の朝鮮人女性が日本軍によって誘拐されたと解説されている。

위안부 여성들의 이야기를 외국인의 관점에서 그려낸 연극 '특급호텔'이 공연된다. 연극 '특급호텔'은 미국 극작가 라본느 뮐러가 일본에 체류하던 중 우연히 위안부에 관한 이야기를 접한 뒤 수년간 집필에 몰두해 완성, 당시 위안부 막사를 지칭했던 '특급호텔'을 원제로 붙여 작품의 상징성을 부각시켰다. 이 작품은 '일본 군대에 유린되고 성의 노예가 된 네 여인의 삶을 호소력 있게 그려냈다'는 평을 받으며 2001년 국제평화상과 반전연극상을 수상한 바 있다.


연극 '특급호텔'은 2008년 극단 초인에 의해 서울연극제에 참가, 아르코예술극장 대극장에서의 초연을 시작으로 2009년 대학로예술극장 소극장 공연, 아르헨티나 페스티벌 초청 공연을 성공적으로 마치며 작품의 완성도를 높여왔다. 이어 2010년에는 2nd대학로 우수작품 인큐베이팅 지원작으로 선정돼 2011년, 남산예술센터의 공연이 확정됐다.

공연관계자는 기획의도에 대해 "그간 발표되었던 몇 편의 위안부 소재 작품들이 지나치게 감성적 접근을 해왔다면 이 작품은 시적인 대사와 객관적 거리두기를 통해 이성적 접근, 미학적 완성도를 높이려는 시도로 제작됐다. 예술적 완성도뿐 아니라 위안부 문제의 심각성을 드러내고 국민적인 관심을 유도하고자 하는 의도 또한 담겨있다"고 밝혔다.

이 작품의 연출가 박정의는 "작품의 초점은 인간이다. 그러나 인간, 그 존재의 가벼움이 아닌 숭고한 인간성의 승리로 그려낼 것"이라며 "주관적 감정에만 치우치지 않도록 애썼다. 역사적 사건에 대해 보다 사실적이고 객관적으로 묘사하면서도 미학적인 무대까지 갖춘, 한 편의 예술작품을 완성하고 싶었다"고 전했다.

관계자는 "2007년 미국, 캐나다, 네덜란드, 그리고 유럽연합의회에서 일본군 위안부 문제에 대한 일본 정부의 사죄를 촉구하는 결의안이 채택됐다. 그러나 정작 가장 큰 피해 당사국인 한국에서 이 문제에 관한 국민적 관심은 아직 미미하다 할 수 있다"며 "먼 과거의 이야기도 아닌 바로 오늘, 그녀들의 이야기는 우리들 자신의 이야기가 된다. 관객들은 이 공연을 통해 무대 위 그들을 직접 만나 아픔과 슬픔을 함께 나누게 될 것"이라고 말했다.

배우로는 정의순, 이상희, 김기준, 안꽃님, 신정원, 이종훈, 이은성, 이성재, 류동헌 등이 함께하며 공연은 2월 25일부터 3월 6일까지 남산예술센터 드라마센터에서 만나볼 수 있다.

日本の元法相ナヌムの家訪問へ【痛みを分かち合う】



Wikipediaによれば、小泉純一郎総理の側近の一人であったとか。法務大臣在職中は、死刑執行命令者への署名を拒み通した。ナヌムの家の説明によると、「痛みを分かち合う」のが趣旨であるとのこと。


自民党前衆院議員の杉浦正健・元法相は13日午後1時に旧日本軍慰安婦の女性らが共同生活する京畿道・広州の施設「ナヌムの家」を訪れる。

杉浦元法相は、慰安婦被害女性らを慰労するほか、追悼公園や慰安婦歴史館にも足を運ぶ。韓国側は金成浩(キム・ソンホ)元法務部長官らが出席する。

「ナヌムの家」関係者は、「韓日両国の元法相が民間レベルで歴史の痛切な現場を訪れ、慰安婦被害女性の実情を把握し、痛みを分かち合う」と説明した。

杉浦元法相は、内閣官房副長官(2004年)を経て、自民党の国家戦略本部事務総長などを歴任した。

2011/02/08

毎日新聞 NHK問題に絡め久しぶりの長文記事



朝日が慰安婦問題から距離をとるようになってから、支援者にとって毎日新聞が「最後の望み」のようになってしまった感があるが、その毎日新聞でも最近はこの問題をあまり取り上げていないようだ。少なくともネットで見ている限りでは。前は地方版に時々記事が載っていたものだが・・・。

「韓国や台湾、欧州連合(EU)の各議会でも同様の決議が相次いで可決されている」・・・そもそも、毎日新聞はアメリカで慰安婦決議が採択された時、「歴史認識のずれを埋める対話は米国ともアジア各国とも続ける必要がある」とか、「河野談話で示した謝罪と反省を、繰り返し丁寧に説明する努力を怠ってはならない」http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070801k0000m070155000c.html(リンク切れ)などと複雑な心情を垣間見せるような社説を掲載していなかったか?

この記事の内容は普段市民団体が集会などで喋っているそのままである。想像だが、現場で見かける毎日新聞の記者が日頃紙面に書きたくて、デスクに規制されていた思いを吐き出したという感じではなかったか。今回は、NHKやジャーナリズムの問題ということでデスクを通り易かったのかもしれない。 臺宏士、内藤陽記者のこの記事はWam(女たちの戦争と平和資料館)の主張を代弁してるだけ。これでは新聞記者として失格ではないのか?


NHK特番問題:「慰安婦」放送10年 語り始めた現場職員

旧日本軍の従軍慰安婦問題の責任を追及した民衆法廷を取り上げたNHK教育テレビ「ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力」が01年1月30日に放送されてから10年。元慰安婦らの法廷証言が削除されるなどした政治圧力の有無を巡る、制作現場とNHK側との見解はいまも対立したままだ。NHKが「改変問題」の検証番組の制作を拒み続ける中で、当時の現場職員は出版や講演などを通じて、「真相」を語り始めている。【臺宏士、内藤陽】

先月30日、NHK放送センター(東京都渋谷区)近くの会場で開かれたNHK番組改変問題について考えるシンポジウム。ゲストスピーカーに招かれた同番組のチーフプロデューサーだった永田浩三さん(武蔵大教授)は「なぜ10年間、慰安婦番組は作られていないのか。ドキュメンタリーは、市民の人たちの力を借りながら作っていくものだ。慰安婦については、バウネット(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)やワム(女たちの戦争と平和資料館)の力を借りなければできない。まず、(市民団体に)話を聞くことから事は始まる」と述べた。

同番組の制作に協力したバウネットは「事前説明と異なる番組内容に改変された」として、NHKなどを相手に損害賠償を求めて東京地裁に提訴。最高裁は08年6月、NHK側に200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(07年1月)を破棄し請求を棄却した。ただ、高裁が認定した「政治家の意図をそんたくして当たり障りのない番組にすることを考え(番組の)改変が行われた」としたことについて、最高裁は判断しなかった。

その後も市民グループとNHKとの間で深まった溝は埋まらないままだという。永田さんは「裁判は終わっているのに、(NHKが)前に進もうとしないのであれば番組化することはできない」と危機感を口にした。

番組担当デスクで永田さんの部下だった長井暁さんが05年1月に内部告発。2人は1年半後に制作現場から外され、09年2~3月、続けて退職した。そして永田さんは昨年7月、「NHK、鉄の沈黙はだれのために--番組改変事件10年目の告白」(柏書房)を出版した。その本の中で、当時番組制作局長で番組の内容を変えるよう指示した側にいた伊東律子・元理事(09年死去)から、その指示は海老沢勝二会長(当時)からだったとの証言を引き出している。また本には、吉岡民夫・教養番組部長(当時)が改変箇所を書き留めた台本にあった「フルヤ アベ アライ」の手書きメモの写真も掲載している。当時、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などのメンバーだった古屋圭司、安倍晋三、荒井広幸の現職の国会議員の名前だとみられる。3人とも放送前にNHK幹部と面会した事実は認めている。緊迫した局内の様子を物語る「証拠」だともいえる。

さらに上からの指示に異議を唱える永田さんに対して松尾武・放送総局長(当時)は「いくらでも慰安婦の問題はできる。これが最後ではない」と明言したという。永田さんは「出版後にNHK関係者を名乗る人物から連絡があり、『会長の指示の下で国会担当の3人の職員が動いていた』と言ってきた。30年以上NHKにいたがあんな異常なことは初めてだった。二度と繰り返さないためにも、当時の幹部には真相を語ってもらいたい」と述べた。

一方、長井さんも昨年10月に東京都千代田区の明治大学で開かれたシンポジウムで、「あの時、何が起きたのか?」という演題で講演した。長井さんはその後も関係者への取材を続けているといい、「自民党の政治家たちが番組を変えようと、国会対策担当局長を通じて番組に手を突っ込み、NHKの編集権、自主・自立が損なわれた事件だった」と振り返った。ただ、自身が内部告発するまでには放送後4年が必要だった。この点については「自分自身の問題としてあのときなぜ戦えなかったのか。処分されたり、組織の中で自分の居場所がなくなってしまうことを恐れた。ジャーナリストの良心に反する要求を拒否するすべはないのか。日本ではあまり議論されてこなかったが、大きな問題だ」と語った。

◇検証番組、制作せず

番組改変問題の影響はいまも残っている。NHKは過去に放送した番組を各地の放送局などで公開しているが、「問われる戦時性暴力」は対象外だ。職員でさえも見られない状態が続いているという。

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は09年4月、改変問題に関する意見書で職員に対して、「番組を自分の目で見、意見書や資料と突き合わせ、自らたしかめ、考えていただきたい」とNHK内部での活発な議論を要望した。福地茂雄会長(当時)も09年5月の会見で、会長自身が職員とこの問題について意見交換することに「職員の中でそういう声が強くあれば、考えてもいい」と述べたが、いまも実現していない。

また、一部の経営委員や視聴者団体から求められた「検証番組」の制作にも消極的だ。松本正之会長は今月3日の記者会見で、「最高裁判決も出されたことで区切りがついたと思っている。私はNHKの原点、放送法の目的に立って、視聴者の期待に応えたいと考えている。(この問題は)01年の話だ。これまでを振り返るのでなく、これから前に向かって放送法の原点にしっかり立ってやっていきたい」といい、「(慰安婦番組については)必要な時に必要な番組を作る。それに尽きる。検証番組は制作するつもりはない」と述べた。

放送倫理検証委員会委員の服部孝章・立教大教授(メディア法)は「この10年間に慰安婦番組が制作されなかったり、ライブラリーで番組を公開していないのは、NHKが問われた『政治との距離』について、いずれ世の中の人が忘れてしまうことを期待しているのではないかと思われてもやむを得ないと思う。また、BPOは現場職員にこの番組問題を考えてもらうことを期待したが、その声が聞こえてこないのは残念だ」と指摘する。

◇国内外で関心高く

番組が放送された後、この問題は国内外で広がりを見せている。

05年8月には慰安婦問題の拠点として「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)が開館した。名乗り出た被害者が高齢で年を追うごとに亡くなっている中で、08年3月、兵庫県宝塚市議会が慰安婦問題解決を政府に求める意見書を全国で初めて可決した。同資料館によると、これまでに36の地方議会が真相究明や被害者の尊厳回復を求める意見書を可決した。

野党だった民主党は00年、被害者に国家賠償の道を開く「戦時性的強制被害者問題の解決促進に関する法案」を初めて参院に提出。その後も共産、社民両党との共同提案が繰り返されている。民主党は09年政策集で慰安婦問題に取り組む考えを表明したが、政権交代後も成立には至っていない。また、同問題を取り上げる教科書は減少。元慰安婦が起こした戦後補償裁判も、10件すべてが原告側敗訴に終わっている。

一方、国際的には08年に国連の自由権規約委員会が日本政府に解決を図るよう勧告。07年から08年にかけて、米、カナダ、オランダ、韓国や台湾、欧州連合(EU)の各議会でも同様の決議が相次いで可決されている

元NHKディレクターで、「女たちの戦争と平和資料館」の池田恵理子館長は「この10年間、慰安婦問題を巡って多くの動きがあった。NHKで番組にできないはずはないと思う」と話している。

毎日新聞2011.2.7

2011/02/06

マイク・ホンダ【2007~10年】韓国系献金額トップ




マイク・ホンダが2007年にアメリカの慰安婦決議を主導したのは、彼が中国政府の差し金だったからだとか、在日朝鮮人の子孫だからといった話は論外。恐らく彼は、日本人にもよくいる正義感にあふれた頓珍漢の一人なのだろう。「まっすぐ君」とも言う。なまじ本人が真剣であるだけに始末に悪い。

しかし、陰謀論はともかく、慰安婦決議で有名になった彼に韓国系から政治資金が集まるようになったというのは事実らしい。彼は昨年、アメリカの上下院議員の中で、韓国系からもっとも多額の寄付を受け取った議員となった。

(最近、あるアメリカの新聞が、2007年の慰安婦決議が韓国系アメリカ人の政治運動の分水嶺になった可能性があると指摘していた)

ここに登場するニューヨーク・ニュージャージー州韓国有権者センター(KAVC)については、これまで何度かこの(前身の)ブログで取り上げている。(下の写真が、KAVCのキム・トンチャン代表) 

ニューヨーク市、立候補者に108万ドル
在米韓国人の連邦議員、政治後援支援金4年間で300万ドル

この4年間韓国人(注:米国国籍or永住者)が連邦議員たちに寄付した政治後援支援金が300万ドルに達すると調査された。 また、この期間ニューヨーク市の選挙立候補者に対する韓国人たちの寄付金は約108万ドルと集計された。

ニューヨーク・ニュージャージー韓国人有権者センター(代表キム・トンチャン)は2007~2010会計年度上半期まで米全国で2,292人の韓国人が総額294万5,752ドルの政治後援支援金を連邦上.下院議員らに寄付したことが集計されたと3日明らかにした。 このうち1,000ドル未満を寄付した小額寄付者が1,292人で最も多い比重を占めたし引き続き▲1,000~1,999ドル479人▲2,000~2,999ドル303人▲4,000~4,999ドル100人▲3,000~3,999ドル57人▲5,000~5,999ドル46人▲1万~1万9,999ドル12人▲2万~3万9,999ドル4人▲4万ドル以上1人などの順だった。

州別では、カリフォルニアに続きニューヨークの韓国人が39万4,148ドルで2位を記録、ニュージャージーの韓国人は4番目の16万9,520ドルを寄付した。<リンク先の表参照> 政党別では民主党候補に渡たされた金額が179万7,155ドルで全体の61%を占め、共和党候補とその他政党候補に寄付された後援支援金は各々113万7,397ドルと1万1,200ドルと集計された。 年度別で見ると、大統領選挙があった2008年に最も多い101万2,195ドル(1,539件)が寄付され、続いて▲2009年(86万4,099ドル・1,013件) ▲2007年(70万4,669ドル・917件) ▲2010年(36万4,789ドル・499件)などの順で現れた。

上下院議員の中で韓国系から最も多くの後援支援金を受けた議員は慰安婦決議案下院通過に主導的な役割をしたマイケル・ホンダ(民主・カリフォルニア)下院議員で13万9,154ドル(1150万円)と調査された。 ニューヨークのゲリー・エコメン下院議員とジョセフ・クラウリー下院議員は各々10万7,182ドルと2万7,100ドルを受けた。

一方2006~2010年までニューヨーク市の選挙の立候補者に寄付した韓国人政治後援支援金は107万8,874ドルで、この中2009年市会議員に挑戦したキャビン・キム候補が36万8,061ドルで最も多い後援支援金を受けた。 チョン・スンジン候補とジョン・チェ、P・J・キム候補は各々12万635ドルと6万8,081ドル、5万2,296ドルの後援支援金を受けたことで記録された。 他人種候補の中ではジョン・リウ監査院長が27万4,8880ドルでキャビン・キム候補に続き韓国人後援支援金を最も多い候補と調査された。


関連エントリー:

慰安婦決議から3年、もう一度アメリカから圧力を(KAVC) 2010.7
(KAVCは26日米下院を訪問、記者会見を持って日本政府の慰安婦 問題公式認定と謝罪を促す声明を発表した。韓 国人有権者センターのキム・ドンソク所長はまた、この日インターン学生および父兄など30人余りの韓 国人らと共に関連議員室を訪問して米議会の積極的な後続措置を要請した)

影響力増すコリア系【米国議会】KAVC 2010.10
(特に今年にとりわけ加えた理由は両党が激しく競っており、しかも2007年の日本軍慰安婦決議案通過以後に連邦議会を相手にする韓国系米国人たちの集団的な接触が多くなったためだ)




뉴욕시 출마자에 108만달러
미주한인 연방의원 정치후원금 4년간 300만달러

입력일자: 2011-02-04 (금)
지난 4년간 한인들이 연방의원들에게 기부한 정치 후원금이 300만 달러에 달하는 것으로 조사됐다. 또 이 기간 뉴욕시 선거 출마자에 대한 한인들의 기부금은 약 108만 달러로 집계됐다.

뉴욕·뉴저지한인유권자센터(대표 김동찬)는 2007~2010회계연도 상반기까지 미 전국에서 2,292명의 한인들이 총 294만5,752달러의 정치 후원금을 연방 상·하원 의원들에게 기부한 것으로 집계됐다고 3일 밝혔다. 이 중 1,000달러 미만을 기부한 소액기부자가 1,292명으로 가장 많은 비중을 차지했으며 이어
▲1,000~1,999달러 479명 ▲2,000~2,999달러 303명 ▲4,000~4,999달러 100명 ▲3,000~3,999달러 57명 ▲5,000~5,999달러 46명 ▲1만~1만9,999달러 12명 ▲2만~3만9,999달러 4명 ▲4만달러 이상 1명 등의 순이었다.

주별로는 캘리포니아에 이어 뉴욕 한인이 39만4,148달러로 2위를 기록했고 뉴저지 한인은 4번째로 많은 16만9,520달러를 기부했다.<표 참조>
정당별로는 민주당 후보에게 전달된 금액이 179만7,155달러로 전체의 61%를 차지했고 공화당 후보와 기타 정당 후보에 기부된 후원금은 각각 113만7,397달러와 1만1,200달러로 집계됐다. 연도별로 보면 대통령 선거가 있었던 2008년에 가장 많은 101만2,195달러(1,539건)가 기부됐고 그 다음은 ▲2009년(86만4,099달러·1,013건) ▲2007년(70만4,669달러·917건) ▲2010년(36만4,789달러·499건) 등의 순으로 나타났다.

상·하원 의원 중 한인들로부터 가장 많은 후원금을 전달받은 의원은 위안부 결의안 하원 통과에 주도적인 역할을 한 마이클 혼다(민주·캘리포니아) 하원의원으로 13만9,154달러로 조사됐다. 뉴욕의 게리 애커맨 하원의원과 조셉 크라울리 하원의원은 각각 10만7,182달러와 2만7,100달러를 받았다.

한편 2006~2010년까지 뉴욕시 선거 출마자들에게 기부한 한인 정치후원금은 107만8,874달러로 이 중 2009년 시의원에 도전했던 케빈 김 후보가 36만8,061달러로 가장 많은 후원금을 받았다. 정승진 후보와 존 최, PJ 김 후보는 각각 12만635달러와 6만8,081달러, 5만2,296달러의 후원금을 받은 것으로 기록됐다. 타인종 후보 가운데는 존 리우 감사원장이 27만4,8880달러로 케빈 김 후보에 이어 한인 후원금을 가장 많은 후보로 조사됐다. <윤재호 기자>

2011/02/04

慰安婦支援団体【親日派】児童文学者糾弾



昌原市民の会(慰安婦支援団体)は、昨年日本の国会に代表を送り込んできたが、こういう政治団体は一旦できると、他の方向にもその活動を拡張させる。

彼女たちは現在、他の市民団体と共に韓国を代表する童謡「故郷の春」の作詞者としても知られるイ・ウォンス(李元寿)の生誕祭に抗議している。李は親日派リストに名前を載せられた4772人の一人で、以来バッシングが続いていた

児童文学者イ・ウォンス誕生100周年記念事業に対して市民団体らが親日作家とし反対し始めた。昌原地域で活動中の開かれた社会希望連帯、慰安婦ハルモニ問題昌原市民の会などが26日、市庁プレスセンターで記者会見を開き「親日作家の李元寿に対し、市民の血税を入れて記念事業を支援するのは理解することも容認することもできない」と明らかにした。

NEWSIS 2011.1.26


故郷の春 イ・ウォンス作詞

2011/02/03

日帝が小学生を慰安婦にした話【黒田勝弘】92年




女子挺身隊に送った教え子の安否を気遣った日本人教師の話が、韓国のマスコミによって日帝の蛮行の話にすり替えられたこの一件は、黒田と同じく当時ソウルにいた西岡力も書いてる。彼は問題の記事を書いた記者の一人に直接取材し、少女たちが慰安婦でなかったことを知りながら、あえてあのような書き方をしたのだという事を聴き出している。そのくだりと東亜日報の問題の記事は以前のエントリーで確認いただければと思う。

ここでは黒田の著書より引用。


話は終戦の前年、当時ソウルで国民学校(小学校)の先生をしていた日本女性が、女子児童6人を内地(日本)の軍需工場に「女子挺身隊」として派遣したことが戦後も気掛かりで、韓国を訪問して教え子たちの消息をたずね歩き、全員が無事だったことを確認したというものだった。

ところがこの話をもとに韓国マスコミは、韓国の小学校に保管されている過去の学籍簿から「女子挺身隊選抜」の記録を探し出し「日帝の蛮行!」と一斉に伝えた。

「女子挺身隊」は工場での勤労奉仕を意味する「勤労挺身隊」だったのだが、韓国では以前から「挺身隊イコール慰安婦」という思い込みができあがっていたため、世論は「児童を慰安婦として連れていった」と理解し激高した。マスコミはあえて「工場での勤労動員であって慰安婦ではない」と否定しなかったからだ。

当時のメモを振り返ると、新聞社説は「12歳の国民学校生徒まで戦場での性的おもちゃとして踏みにじった」とし「勤労挺身隊は真っ赤なウソ」とまで書いている。テレビ解説は「12歳の幼い少女を戦場での性のいけにえぬするという残酷きわまりない日本の蛮行」と伝えている。

韓国の12歳は数えだから満でいえば11歳だ。こんな報道がマスコミあげて大々的に展開されればどこの国民だって民族感情を刺激され激高するだろう。この報道ぶりは「意図的な誤報」といってもいいが、これでは反日感情はいやがうえにも高まらざるをえない

2011/02/01

タイに住む朝鮮人ハルモニ




ノ・スボク・ハルモニ、安東(アンドン)が故郷である彼女は今年92才だ。 彼女は21才だった1942年の秋ある日、釜山近郊東欧の外井戸の場所で洗濯をしている間に日本の警察に強制的に引きずられて行った後、東南アジア戦線に配置され約3年間日本軍の性奴隷生活を強要された。1945年日本が降参した時、同じ年頃の朝鮮人日本軍「慰安婦」女性一人と共にマレーシアにあった日本軍収容所を逃がれ出た。


'위안부' 피해자 노수복 할머니가 부르는 '아리랑'
태국 핫야이에 살고 있는 일본군 '위안부' 피해자 노수복 할머니
11.01.10 17:00 ㅣ최종 업데이트 11.01.10 17:01

노수복 할머니, 안동이 고향인 그녀는 올해 나이 92세이다. 그녀는 스물 한 살이던 1942년 가을 어느 날, 부산 근교 동구밖 우물터에서 빨래를 하던 중 일본경찰에 강제로 끌려간 후 동남아전선에 배치되어 약 3년간 일본군 성노예 생활을 강요당했다. 1945년 일본이 항복을 하던 때에 또래 조선인 일본군 '위안부' 여성 한 명과 함께 말레이시아에 있던 일본군 수용소를 도망쳐 나왔다.

전쟁은 끝났지만 노수복은 고향으로 돌아오지 못하고 말레이시아 잇포에서 가정부생활을 하다가 다시 핫자이로 거처를 옮겨 조그만 태국음식점 종업원으로 일하며 타국에서 전쟁같은 삶을 계속해야 했다. 그러던 중 중국계 태국인 첸 차오씨를 만나 결혼을 했다.

그러나 노수복이 일본군 '위안부' 후유증으로 아이를 낳을 수 없었기에 남편은 두 번째 부인을 맞아들였다. 해방이 되었지만 그녀의 고난은 연속이었다. 한국말도 잊어버렸다. 태국에 살면서도 태국인으로 귀화하지 않고 계속 한국 국적을 갖고 있는 그녀는 매년 비자갱신을 하면서도 국적을 포기하지 않고 살고 있었다. 나라가 그녀를 위해 해 준 것이 무엇이 있다고. 일본군의 '위안부'로 끌려가게 방치하고, 전쟁이 끝난후에도 버렸던 조국이었는데….

그녀는 그렇게 조국을 잊지 않으려고 힘든 삶을 자처하며 감내하고 있었다. 그래서 그녀는 의료보험 등 사회보장제도의 혜택을 전혀 받지 못해 병원비도 다른 노인들보다 갑절이 많다.

현재 노수복은 말레이시아와 가까운 태국 핫야이에 홀로 살고 있다. 할머니와는 전혀 관계가 없는 남편의 동생의 딸들이 할머니와는 전혀 혈육관계가 아님에도 주변에서 계속 보살피고 있다. 그나마 낮에는 조카들이 일하러 나가야 해서 돌볼 이가 없는 형편이다. 게다가 지난 2010년에 할머니는 폐의 한쪽을 절개하는 수술을 하느라 병원빚을 많이 졌다고 한다.

이 소식을 들은 한국정신대문제대책협의회(이하 정대협, 상임대표 윤미향)는 할머니의 어깨에 얹힌 삶의 무게를 조금이나라 덜어들이고 싶어 지난해 8월, 약 두 주간에 걸쳐서 인터넷 모금을 했다. 그 결과 할머니가 안고 있는 은행빚에 해당하는 약 200만 원의 성금을 모았다. 그 성금도 전달하고, 고향의 소식도 전할겸, 정대협 일행은 노수복 할머니를 만나기 위해 지난 1월 5일~8일에 태국 핫야이를 방문했다.

정대협 일행이 방문했을 때 할머니는 때마침 태국에 비가 많이 와서 집이 물에 잠기는 바람에 조카의 집으로 옮겨 지내고 있었다.

할머니께 고향소식으로 드리려고 갖고간 일본군 '위안부' 할머니들의 활동사진첩, 유자차, 김, 한과, 전통부채, 홍삼제품 등을 할머니앞에 풀어놓으니 할머니의 얼굴에 함박꽃이 피어났다. 같은 일본군 '위안부' 피해자들의 사진을 볼 때는 슬픈 듯, 반가운 듯한 표정들을 표해내기도 했다.

병원비로 진 빚을 갚으라며 성금을 건네니 할머니는 "뭘 이런 걸 주느냐"며 받지 않으려 하였다. 고향사람들의 마음이라고 간곡히 부탁하며 드리니 받아들고는 이제 병원빚은 다 갚게 되었다며 아주 좋아하셨다.

어린 나이에 고향을 떠나 타국에서 사느라 한국말은 알아듣기도 힘들어 했고, 더군다나 한국말은 전혀 하지 못했다. 그러나 노수복 할머니는 자신이 살았던 곳이 안동시 삼동면 안심리라고 우리말로 표현했고, 아버지, 동생들 이름도 정확하게 기억을 하고 있었다.

고향을 그리는 듯, 지난 아픈 역사의 상처를 호소하는 듯 '아리랑' 노래를 토해내셨다.

"아리랑~ 아리랑~ 아라리~요. 아리랑 고~개~를 넘어간다. 나를 버리고 가시는 님은 십리도 못~가서 발병난다. 아리랑 아리랑 아라리요~"

오래간만에 고국의 냄새를 느껴서일까? 자청해서 도라지 노래를 부르겠다고 하더니 "도라지 도라지~ 백도~라~지..." 숨이 차는지 더이상 노래를 잊지 못하였다. 다른 것은 다 잊어버려도 고향만큼은, 아리랑 노래만큼은 잊어버릴 수 없었던 할머니의 삶이 아픔으로 다가왔다.

할머니는 생일이 언제인지 몰라 해방되던 8월 15을 생일로 기념하고 있었다.

올해 2011년 생일에 할머니를 초청하겠다고 말씀드리니 혼자서는 못 온다고 하신다. 그래서 조카님과 함께 모시겠다고 하니 그러겠다며, 선물로 드린 홍삼도 열심히 먹고, 운동도 열심히 해서 건강관리를 잘하겠다고 한다. 귀가 잘 들리지 않아 소리를 질어야 하는 불편함이 있었지만, 의사소통이 되지 않아 통역자가 중간에서 마음을 전달해야 하는 불편함이 있었지만 가슴따뜻하고, 할머니 얼굴에 핀 웃음을 볼 수 있어서 좋았다.

할머니께 보청기도 보내드리고, 홍삼도 계속 끊기지 않게 보내드리겠다고 약속을 하고 왔다. 간병인을 쓸 수 있도록 지원방안도 만들어보겠다는 약속을 했다. 올해 아흔 두 번째 생신은 할머니가 그리워 하는 부산 영도다리도 모셔가고, 안동 고향에도 모셔가며 한국에서 생일잔치를 해드리겠다고도 약속했다.

많은 약속을 했지만 지난 90평생 힘들게 살아온 노수복 할머니의 고난의 삶에 조금이나마 함께하는 방법은 이 약속을 지키는 일이라고 생각한다. 지금부터 따뜻한 생일잔치를 준비해야겠다. 생일잔치에 함께 참여할 가족이 될 사람들도 모아야겠다.

'노수복 할머니를 고향에 초대하는 사람들 모임'에 함께 참여하고 싶은 사람들의 손길이 많아지길 기대해본다. (노수복 할머니 후원 문의는 정신대문제대책협의회)

ハルモニに国務総理が感謝の訪問




元慰安婦であったファン・クムジャが計一億ウォンを奨学金として区に寄付をした話は、以前のエントリーをご覧ください。今回は韓国の国務総理大臣が感謝の意を伝える為にファンの元を訪れた。

キム・ファンシク国務総理が31日の午後、ソウル、江西区登村洞の日本軍慰安婦被害者日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ・ハルモニの自宅を訪れ、奨学金の寄付に対する感謝の気持ちと慰労を伝えている。

Daum2011.1.31

박종민 기자 = 김황식 국무총리가 31일 오후 서울 강서구 등촌동 일본군 위안부 피해자 황금자 할머니 댁을 방문, 장학금 기탁에 대한 감사의 뜻과 위로의 말을 전하고 있다.

第954回水曜デモ【動画】



先月13日に亡くなったイム・ジョンジャ(89)とキム・ソニ(83)の追悼と、学生参加者の自由発言、声明書朗読などが行われたという。映像を見る限り、参加した元慰安婦は二人だけであったようだ。若い参加者と宗教関係者の姿も目立つ。