2013/01/06

靖国放火犯問題 朝鮮日報の強気


朝鮮日報によれば韓国は日本の裁判所の判断を尊重しているそうだから、日韓基本条約で解決済みという裁判所の判断をまさか無視していませんよね?・・・ですよね?

同紙は韓国の裁判所の判断を金科玉条のように掲げているが、毎日新聞は、韓国の法廷は民意になびく傾向があるという韓国内の冷めた見方を紹介している。朝鮮日報によると、教師であった劉強の曾祖父は中学生に朝鮮語を教えたかどで拷問されて殺されたのだそうである。そして彼を日本に引き渡せば、政治的迫害を受ける心配があるのだという。どこの平行宇宙の話かと。

韓国紙の河野談話に対する解釈にはブレが見られるが、今回の朝鮮日報は「強制動員への介入」を認めたもの、ということになっている。先月のコラムでは「日本軍による...強制動員を謝罪した」ものと文化部次長が書いていたのだが・・・。

産経の黒田勝弘記者によれば、韓国には報道機関という言葉はなく、言論機関という言い方をするという。そういう積もりで読めばいいのかもしれない。

【社説】日本は靖国放火犯引き渡し拒否の意図を読み取れ

靖国神社に放火した容疑で日本から引き渡しを求められた中国籍の劉強・元受刑者について、韓国の裁判所はこれを拒否する決定を下し、劉・元受刑者は4日に中国へ帰国した。今回の裁判所の決定について中国政府は歓迎の意を示したが、日本の安倍晋三首相は遺憾の意を表明し「強く抗議したい」などと発言した。

今回の決定は、大韓民国司法の独自の判断に基づくものだ。韓国が日本の裁判所の判断を尊重するように、日本も韓国の判断を尊重すべきなのは言うまでもない。もちろん、中国と日本の双方が互いに引き渡しを求めた劉・元受刑者の事案は、3カ国の歴史問題が絡む微妙な問題だということは間違いない。しかしだからこそ、各国の指導者は法的な手続きに沿って粛々と処理すべきであり、それが国家間の無用な摩擦を避ける懸命な方法だということを忘れてはならない。

2011年12月、靖国神社に火炎瓶を投げつけ、昨年1月にもソウルの在韓日本大使館に火炎瓶を投げつけたとして身柄を拘束された劉・元受刑者は、その後韓国で懲役10月の刑を宣告され服役していた。中国籍を持つ劉・元受刑者の祖父は抗日闘争中に戦死、韓国人である外祖母は日帝強占期に日本軍の慰安婦となり、中学校教師だった母方の曽祖父は生徒に韓国語を教えたとして、拷問を受け死亡したという。日本は犯罪人引き渡し条約を理由に劉・元受刑者の引き渡しを求めたが、劉・元受刑者は裁判で家族が受けてきた苦しみについて語り「軍国主義に戻ろうとする日本に警告がしたかった」と主張。裁判長も「劉・元受刑者の犯行と政治的目的には関連性がある」と判断した。韓日犯罪人引き渡し条約は、その犯罪が政治的問題に由来し、引き渡し後に犯罪人が政治的迫害を受けることが予想される場合、引き渡しを拒否できることになっている。

日本の一部政治家の間からは「放火犯が政治犯か」「韓国は中国の圧力に屈した」などと韓国政府や裁判所を非難する声が相次いでいる。しかし大韓民国の裁判所は「劉・元受刑者の認識と見解は大韓民国憲法の理念や国際機関、大多数の文明国が目指す普遍的価値と一致している」との判断を下した。劉・元受刑者の行動を単なる放火と見なす日本人は、裁判所がこのような判断を下した背景について、まずは考えなければならない

日本は1995年の「村山談話」で政府として植民地支配を謝罪しており、また93年の「河野談話」では従軍慰安婦に対する強制動員への介入を認めている。ところが日本の政界では最近、両談話を否定する発言が相次いでおり、安倍首相は両談話の見直しも示唆している。日本が劉・元受刑者を単なる放火犯と見なし、犯罪人引き渡し条約を盾にしようとすればするほど、軍国主義時代の日本による反文明的な罪状が浮き彫りになるだけだ。


中央日報の方は、「侵略の過去に対する日本の態度は怒りを買うのに十分だ」「全人類の名前で糾弾しなければならない」「劉強は義に徹した人物だ」などと大袈裟な言葉で予防線を張ってはいるが、ちょっとは疚しい気持ちもあるらしい。

【時視各角】靖国放火容疑者の釈放、果たして正しかったのか

中国人の劉強は2011年12月26日、日本の靖国神社の神門に放火した。そしてその日午後、ソウルに来た。日本は犯罪人引き渡し条約に基づき、劉強を日本に引き渡すよう要求した。韓国の検察はこれを受け入れ、裁判所に請求した。しかしソウル高裁はこれを棄却し、劉強は中国に帰国した。日本では非難世論が激しい。「韓国が国際社会の信頼を失う」という批判まで出ている。韓国では「司法府の決定が正しいから日本はこれを尊重すべき」という意見が多い。

では、韓国裁判所の判断は果たして正しいのか。国際法的に日本が受けた不利益はないのか。今回の決定が韓国・日本、さらに北東アジアに及ぼす副作用はないのだろうか。

裁判所は、劉強は一般刑事犯ではなく、「相対的政治犯」と規定した。国際法上、政治犯には2つの種類がある。絶対的政治犯は、国家の体制や政策に反対し、内乱・騒擾・保安法違反などに関連した人をいう。歴史的に共産圏や後進国独裁体制に抵抗した人たちが主に値する。最近ではアラブ反独裁闘争がある。こういう人たちの身柄引き渡しは拒否することができる。

「相対的政治犯」は、政治的な目的で一般犯罪を行う場合だ。ほとんどの場合は引き渡さなければならない。テロリストがよい例だ。ところが裁判所は相対的政治犯の場合、政治性と犯罪性を比較して、引き渡すかどうかを判断しなければならないと述べた。劉強は政治性がより大きいため、不引渡し対象になると決めた。もちろん劉強の政治的犯行動機は十分に理解できる。韓国人の祖母は日本軍慰安婦であり、中国人の祖父は抗日武装闘争中に戦死した。劉強は過去の歴史に対する日本政府の態度に抗議するため放火した。

しかし「犯罪性」は小さかったのだろうか。裁判所は「神社の外部の出入り口の一部が損傷しただけ」という。しかし靖国神社は日本人にとって単なる建物ではない。そこへの外国人の放火は相当な精神的被害となる可能性がある。劉強はソウルでは日本大使館に火炎瓶を投げた。これも被害は小さかった。ところが韓国は司法権を行使し、懲役10月で劉強を断罪した。韓国の司法権は重要で、日本の司法権は重要でないのか。犯罪人引き渡し条約は、両国がお互いの法益と司法権を尊重するという意味ではないのか。

「相対的政治犯」に対する寛容を拡大するのも問題がある。父が韓国戦争(19050-53)中に米軍に虐殺された人がいるとしよう。彼は反米主義者になり、マッカーサー銅像を破壊した後、反米性向の国に行って身を守った。その国が彼を引き渡さなければ、韓国人は納得するだろうか。

朝鮮戦争中に先祖が中国共産軍に虐殺された韓国人がいるとしよう。彼が中国の韓国戦争参戦記念館の入口に火をつけ、他の国に行った。その国が彼を保護すれば、中国はそれを受け入れるだろうか。政治的な目的が大きいからといって犯罪人を保護すれば「抗議と怒りの放火」はさらに増えるだろう。どの国も被害から抜け出せない。

侵略の過去に対する日本の態度は怒りを買うのに十分だ。被害者だけでなく、全人類の名前で糾弾しなければならない。しかし方法はあくまでも理性的かつ合理的でなければならない。歴史的な感情が法を圧迫してはならない。韓日中は過去が敏感で、現在が複雑で、未来が不透明な、かなり難しい関係だ。日本の責任は絶対的だが、とにかく現実はそうだ。こういう関係では情緒が法に先立てば、問題がさらに歪む。

韓日中の間では特に暴力に対する格別な警戒心が必要だ。お互い戦争をした経験があるからだ。名分があるという理由で暴力という手段が広範囲に容認されるのなら、「暴力の時代」がまた来るかもしれない。情緒的な理由で日本に対する暴力を容認すれば、地域の新しい絶対強者に誤ったメッセージを与えかねない。

劉強は義に徹した人物だ。義のために放火したとすれば、劉強は現場で日本の警察に手錠を掛けられ、法廷で日本に向かって自分の大義を主張するべきではなかっただろうか。安重根(アン・ジュングン)義士のように…。

中央日報日本語版 2013.1.7