2013/03/03

朝日新聞・慰安婦取材班の後悔

市川記者 「慰安婦の為に何か出来る事があると思っただけ」
「韓国メディアが騒ぎ立て、外交問題にした」

慰安婦騒動の黎明期、朝日新聞取材班のリーダーだった市川速水記者と、産経新聞の黒田勝弘記者の対談。朝日VS.産経 ソウル発(朝日新書)より。90年代、善意からであっても結果的に慰安婦騒動に加担してしまった人々の一部は、現在寡黙である。慰安婦問題が日韓関係改善の最大の障害の一つとなってしまった今、朝日新聞の記者にも後悔の気持ちはあるようなのだが・・・。

それにしても市川記者のこの回想(2006年)、徹頭徹尾、他人に責任転嫁している。慰安婦騒動が日韓関係を「ぐちゃぐちゃ」にしたという自覚はあるが、それは産経新聞の黒田勝弘や韓国のマスコミが悪いのだと彼は言う。

市川: 1991~1992年に僕は東京本社の社会部にいて、取材班の中心になってこの問題を追っかけていた。[...]当時、韓国は、まるで新たな問題が発生したかのように、日本がこれまで隠蔽していた問題であるかのようにワーッと騒ぎ立てたわけでしょ。

日本でこの問題を追っていた僕らは[...]、何かできる余地があるんじゃないか、日本政府の責任と関与について日本人として考えるべきなんじゃないか、そういう問題意識でやっていたのに、たとえば韓国マスコミは、挺身隊イコール慰安婦であるとか、誤解を植え付けて、外交問題になって、宮沢首相も謝罪せざるを得なくなって、そのうちに黒田さんが「慰安婦狩り証言はウソだ」という記事をバーンと書いて、日韓関係もぐちゃぐちゃになった[...]結局あれはなんだったんだという忸怩たる思いは今もあります。

宿命的に、この手の話は日本人同士でちょっと考えようと思っても中国・韓国の反応が外交問題に発展したり、その途中で日韓のマスメディア同士が足の引っ張り合いをしたり、必ずしも本質がみんなに理解されないまま、どんどん問題が複雑化してしまうと思うんですけど、どうでしょう。

1992年1月、朝日新聞が「軍関与」の証拠が発見されたとスクープを打ち「慰安婦問題のビッグバン」を引き起こした。秦郁彦は、前年に吉見義明が発見した(実際には新発見ではなかった)資料の公表を朝日新聞が宮沢首相の訪韓(92年1月16日)のタイミングにぶつけたのは、意図的だったと見ている。事実関係を確認する暇がなかった日本政府は混乱し、首相が韓国で謝罪を繰り返した。


”朝日のタツノ(?)記者としかるべきタイミングで発表する話がついていた”(4:40~)

それまで日本政府は慰安婦が国家総動員法に基づいて徴用されたことを示す資料を探していたので、朝日新聞のスクープはミスリードであり、これがその後の騒動のきっかけになった。韓国のマスコミが後から挺身隊=慰安婦という誤解を植え付けたというより、そういう誤解があったところに朝日新聞が「証拠発見」と報じ、宮沢首相が謝罪したことで韓国民が確信を抱くに至ったのだろう。日韓関係を「ぐちゃぐちゃに」したのは、市川ら朝日新聞であり、黒田ではない。当時韓国の女性団体は日本政府に慰安婦の強制連行(徴用)を認めよと要求していたのであり、市川らの真意など韓国民にとって興味の対象ではなかったのである。

日本は65年の日韓協定でカタがついたという。それは法的には確かにそうだと思います。[...]でも、それを日本の側が「終わった」「もう関係ない」「話を聞く必要もない」と言っていいのか。裁判官は終わったと判断したとしても、日本政府として、個人として、日本社会として、何かできることがあればやったほうがいいでしょう。

韓国の市民団体は「何かできることがあればやったほうがいい」ではなく、関係者の(戦争犯罪者としての)処罰まで要求していたのである。実際に挺対協や松井やよりらは、民衆法廷を開き昭和天皇らを犯罪者に認定した。

「慰安婦の強制連行はなかった」という論がまかり通っています。[...]僕の取材でも、(引用者注:韓国では)腕を引っ張られて、猿ぐつわはめられて、連行されたという人は一人も現れていません。だから、強制的ではなかった、さらに慰安婦問題はなかったとさえ言う人がいるわけです。でも、そうじゃなくて、証言の共通項を見ていくと、あの人たちは貧乏な家で、女衒にだまされて、気がついたら戦地に行かされて、中国などで慰安婦をさせられた。僕は10人くらいかなあ、実際に細かく証言を聞いたけど、もちろん好きで行った人はいないし[...]
ではなぜ行かされたのか。本人も親も、抵抗できなかったからです。土地を取り上げられ、それは朝鮮人や日本の小役人のやったことだけど、植民地支配だったから、それまで朝鮮人が持っていた土地を取り上げることがたやすかったからでしょう。そうでなければそういう目に遭わなかった。構造的にみたときに、日本には責任がないとはいえない、という思いがずっとするんですね。

植民地支配もなにか、確かに100%、無条件に悪い、というのは今の価値観でやる暴論ですよ。[...]僕が言っているのは、どの歴史観で裁くにしろ、被害者が存在しているということ。被害者に対しては、日本は謝るべき余地があれば謝るべきではないのかということですよ。

日本が土地を奪ったという話は、韓国内でも異論が出るようになって久しい。また、朝鮮人を上回ったかもしれない数の日本人が慰安婦として外地に出ていたこと、植民地支配がなくともオーストラリアやアメリカに売春婦が遠征して行く韓国の現状を考えると、2006年にもなって、植民地支配という強制性の所為などと言っているのはナイーブ過ぎるように思える。

市川: 慰安婦問題については、95年にアジア女性基金ができたのが一つのゴールだと思います。韓国は猛反発しているし、結果的にうまくいかなかったけれど。政府は関与していないという日本政府の名目上の責任のとり方としては精いっぱいだったと思います。あのあと、朝日新聞も僕も、さらに責任を取れとは言っていないですよ。主に91年から95年、特に93年8月の河野長官談話まではキャンペーンを張りましたし、政府や日本人が知らんぷりをしているということには僕も憤りを感じましたけれども、結局、基金ができた。それでも韓国は納得しない。

僕の取材では、韓国政府は一度は日本の基金設立についてOKのサインを出したが、韓国の市民団体が「民間基金では日本政府の責任が明確でない」と反対し、被害者に一時金の受け取り拒否を勧めた。韓国の内部事情も大きく関係しているわけです。ところが、つい最近の盧武鉉大統領の演説でも、対日批判のくだりで、歴史認識とともに慰安婦問題が入っていましたよね。では、具体的に何を求めてるのかと聞くと、韓国政府の幹部に聞いても返事が返ってきません。その言い方というのはまさに、「歴史問題として法的道義的責任がある」というものですが、それ以上の説明がないというのは、僕も理解できない

黒田: だから、これはさっき言ったように、韓国側の事情なんですよ。ことあるごとに靖国、島、教科書の三点セット、プラス慰安婦を蒸し返して、日本政府に謝罪、反省、補償などを要求するってことは国家として、日本政府に対する外交カードになるということなんですね。心的圧力あるいは道徳的圧力になると思うから、執拗に日本批判をしているんです。

市川: でも、実際、心理的圧力も道徳的圧力もかかっていないじゃないですか。

黒田: しかし彼らはそれを言うことによって、道徳的優位に立ったと思ってるし、朝日をはじめそれに呼応する声が日本にありますからね。[...]


道徳カードとして利用されていると言う黒田に市川は反論するが・・

果たして道徳的圧力はなかったのか。河野談話当時の韓国側の外交担当者はこう回想している。
「・・・私たちの道徳的優位措置で慰安婦問題の流れが変わった。補償局面で日本が政府の責任を認めなければならない局面に変わったのだ」
今年の1月にも朝鮮日報は社説で道徳性を持ち出していたし、それにこれは市川が担当を外れた後の話かもしれないが(93年)、朝日新聞の変わらぬ書生論が事態を悪化させた様子を秦郁彦はこの様に批判している。
「韓国マスコミのなかでも、『朝鮮日報』のように『われわれが補償し、もうこの恥ずかしい過去の幕を下ろそうではないか』(九三年八月五日付)と呼びかけるところが出た。ところが、朝日新聞は「日本の道義が試されている」と題した社説で「だからといって・・・それに甘えるような対応は許されまい・・・<補償は求めない>という韓国側の態度に、安直な対応はできようはずもない」(九三年三月二十日付)と不満を示した。これこそ盧泰愚が嘆いた日本マスコミによる『焚きつけ』の見本だろう」

なんのことはない。日本に道徳的圧力を加えていたのは朝日新聞だったのである。これに対し黒田は、「慰安婦カード」は日本に「教訓を垂れることのできる貴重なカード」として利用されていると看破している。

[メモ] 「従軍慰安婦問題は世界が日本の良識を評価する物差しであり、その気になればすぐにでも解決できる問題だ」 朝鮮日報 (2012.8.16)