「慰安所」とドイツ兵
これはラインハルト・ツェルナーの本論ではない。その事はお断りしておかねばならない。
本論では「日本では『性奴隷』と『強制』が国際的な議論の場において、どのような文脈で論じられているかがよく理解されていない」とか、日本の名誉回復とは「犠牲者の苦しみに心を寄せる」ことだと安倍首相に注文している。日本の保守派にKY度が甚だしいのはその通りなのだろうが、「学術的に見ても、河野談話を見直す必要性はまったくない」というツェルナーも、なんだかなぁという感じではある。最新号ということもあり、今回その部分は転載しなかった。ツェルナーが余談として、ドイツ軍の性の問題とそれに対する後始末について述べているのがこの部分である。
ドイツといえば、強制収容所における強制(究極の選択)売春が有名だが、国防軍用の慰安所も存在した。そして、慰安婦に対しドイツは謝罪していないとツェルナーは指摘している(慰安所が「日本帝国軍の特有なものだった」と言い切ったフランクフルト新聞の記者もいたが・・・)。
そして、以下の部分。
日本はこの問題に二〇年間以上ひとりで取り組んで来た。そして、その結果、史料調査、方法論、人道対策などの面でかなり専門的なノウハウを蓄積している。ただ、それに見合った満足できる政治的成果を得られていない。
これはこの通りで、河野談話の恣意的解釈を許さぬよう明確化した上で、逆に日本を見習ってみよと国際社会にアピールするような攻めの姿勢があってもいい。
他国の慰安婦問題を持ち出すことには、昨年9月の朝生でも、それで日本の名誉が回復するのか、それはその国が考えることだとムキになる識者もいたが、「蓄積してきた知識と知恵を生かしてともに研究し、責任を解明し、人道的な対策を取ろうと呼び掛け」ること(ツェルナー)に、反対する理由が自分には分からない。彼が言うように、日本はこの問題に20年以上ひとりで取り組んで来たのであり、結果として、救われたのは日本軍の慰安婦だけなのである。
「日本の名誉回復」には何が必要なのか(一部) ラインハルト・ツェルナー
・・・ドイツは戦後処理をうまく行なったと言われているが、第二次大戦中にドイツ国防軍のための慰安所を国が運営していた。このことについて現在まで公に論議されたことはないし、政府としての反省も元慰安婦に対する謝罪もしていない。戦争責任の面で日本は「ドイツから学べ」と言われるが、この問題に関してはそうも言えないのだ。
第二次大戦における性暴力の問題が、戦後、体系的かつ徹底的に論じられたのは、これまで日本の慰安婦問題以外にない。日本はこの問題に二〇年間以上ひとりで取り組んで来た。そして、その結果、史料調査、方法論、人道対策などの面でかなり専門的なノウハウを蓄積している。ただ、それに見合った満足できる政治的成果を得られていない。
他方でドイツは、強制労働、ナチスによる美術品略奪、ナチスではないドイツ国防軍による戦争犯罪などの問題の処理は済み、外交上も成功を収めたが、強制収容所内慰安所や国防軍がフランスで運営していた慰安所、東欧の前線で行なわれた強姦、アーリア人化のためのレーベンスボルン(生命の泉)計画などの戦時下の性暴力問題に関する態度は曖昧だ。
しかし、日本が過去の責任をともに担い、アクチュアルな人権問題との関連においてこの問題を捉えよう、日独それぞれが蓄積してきた知識と知恵を生かしてともに研究し、責任を解明し、人道的な対策を取ろうと呼び掛ければ、ドイツは必ず建設的に応じるだろう。第二次大戦開戦八〇周年の二〇一九年を目途に、日本とドイツの協働を開始することはできないものだろうか。「日本の名誉回復」を実現するためにも。
ただし、急いだ方がいい。もう時間はあまり残されていない。
世界 2015.2 P.149