2015/06/19

藤岡信勝187人声明に反論(強制リクルートなし)討論会を提案

Forced recruitment(強制リクルート)は無かったという藤岡
海外の日本研究者たちを納得させられるか

日本軍の慰安婦問題を「その規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において・・・特筆すべきもの」と断じた世界の日本研究者らによる187人声明に対し、藤岡信勝教授が賛同者の全員に反論書→[日本語版 強調引用者]を送ったという。

声明の賛同者は最終的に450人を超えた。多くは、勧められるまま良く分らずに署名したのだろうと思われるので、一人一人にこうして問い質すのは良い考えだと思う。藤岡教授がこの機会を「好機到来」と捉えたのにも同感である。エズラ・ヴォーゲル、ジョン・ダワー、アンドルー・ゴードンといった日本研究者が名指しされているが、こうなってしまった以上、彼らは署名してしまった事実に、これから向き合って生きて行かねばならない。大量破壊兵器の存在を信じてイラク攻撃を支持した人々と同じ十字架を背負ったわけである。

敗戦と同時にこの問題から開放された日本軍と、基地村売春、ベトナムの「慰安所」など、アメリカ軍には半世紀を軽く超える買春の歴史がある。そんな彼らが生み出した「被害者」が、20年足らずの日本軍慰安所による「被害者」より少ないと何を根拠に言うのか、彼らは自分の口で説明しなければならない。「アメリカの『日本研究者』よりも、日本の、多少とも啓蒙された国民のほうが、慰安婦問題の真相を知っている」というのは、藤岡の言う通りだろう。日本研究者の面目丸潰れである。


一国をこのように断定して非難の対象とするからには、よほど慎重な事実の検討と、比較作業の積み重ねが必要です。質問しますが、皆様方はそのような慎重な作業をなさったのですか「187人の歴史家声明」に対する応答と提案 強調引用者)


藤岡が反論の為に持ち出す米軍の公文書
実は強制リクルート説に有利な内容でもある

ただ、藤岡の反論には危なっかしさもある。「吉見義明は、日本のテレビの討論番組で、『朝鮮半島における強制リクルート英語版)の証拠はない』と述べています」という説明には、外国人はポカンと口を開けるかもしれない。


the only Japanese scholar who the nineteen American historians cited as endorsing their viewpoint was Yoshimi Yoshiaki, who stated on a Japanese TV talk show that, “There is no evidence for forced recruitment of comfort women on the Korean peninsula.”

A Counter Response and Proposal to the “Open Letter” written by 187 Historians

吉見教授の発言は、当時の日本においてこそ衝撃的だったが、(韓国だけでなく)アジア中から集められた女性が強制売春に従事させられていた問題と聞かされている欧米人のニワカ集団(日本研究者)には、問題の矮小化と受け取られるかもしれない。そもそも、吉見は著書の中で朝鮮半島でも強制リクルートはあったと書いているではないか、と彼らは思うだろう(吉見曰く、騙されて慰安婦になるのも強制)。日本人に通じる説明がそのまま外国人にも理解出来ると考えない方がいい。

藤岡が反証のつもりで持ち出している『尋問調書第49号』や朝日新聞の過去記事撤回だが、アメリカでは逆に、強制リクルートと安倍政権下の言論弾圧の証拠と見なされている。

「日本人男性が特筆すべき強い性欲の持ち主でないことだけは確か」であるとか「日本人には・・・猟奇的な趣味はなく(い)」というのも、何だろう?性欲の問題があるから慰安所を設置したのであるし、日本人だけが残虐性とは無縁というような物言いは相手にされないだろう(四肢切断という文化についてはともかく)。「現地での強姦事件が殆どなかった」という主張は、藤岡自身が文中で何度も引用している秦郁彦の見解とも矛盾する。秦は、著書の中で(第二次大戦に限れば)日本軍は英米軍よりこの点で「お行儀が悪かった」と言っていたはずである。

それでも、日米の研究者による討論会をという提案は歓迎したい。「植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた女性を搾取した」日本軍(本当は内地人が多かったらしい)は問題だが米軍は敗戦国(日本)の女性を搾取したのだから非難には価しないと言うなら、とんだ知日派である。


結論として、私は最後に、日米の研究者の間の真摯な、一連の討論会の開催を提案します。テーマは、日本軍の慰安婦制度とは何であったのか、戦場の性処理問題の国際比較、現在の世界で繰り広げられている深刻な人権問題、などについてです。討論は、証拠と論理に基づく冷静で学術的なものとします。

そうした場を日本の外務省がつくってもいいし、民間の財団が旗を振っていただいてもよいと思います。相手の視点から学ぶ相互対話が今ほどふさわしい時はありません。
私達が力を合わせれば、21世紀を「希望の世紀」とすることができるはずです。