2015/09/05

武藤前特命全権大使 「挺対協に武器を与え続けてきた朝日の罪は重い」


武藤正敏著『日韓対立の真相』。在韓国特命全権大使を務めた人物だけに、温和な人物である。読んでいて歯痒く感じてしまう部分も多いのだが、朝日新聞と挺対協に関してはかなり厳しい。

朝日新聞が第三者委員会に過去の慰安婦報道の検証を依頼したのは昨年。報告書は12月に公表された。この中で委員の一人は、外国の新聞を分析して朝日新聞の慰安婦報道は国際社会に対してあまり影響しなかったと結論づけた(報告書 p.82)。ただし、そう結論づけた委員(林香里)自身、調査の限界も指摘しており、影響は無かったという結論に釈然としない人も多かったろう。

武藤は、外国メディアが朝日新聞を直接引用したか否かではない、韓国の慰安婦支援団体を通じて、朝日新聞は間接的に外国メディアに誤解を広めたと見ている。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。(外国の)報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼ら(挺対協)の主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。・・・海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

韓国民は挺対協によってマインドコントロールされており、挺対協は「一部であったかもしれない状況を誇張し」それを一般化することで現在の慰安婦のイメージを作り上げた、日韓が首脳会談を行えないのも挺対協が原因だと武藤前大使は分析する。

嫌韓の始まりを作ったのも朝日新聞?
92年1月11日の一面 首相訪韓のタイミングにぶつけたと言われている。

武藤はまた、嫌韓の始まりも朝日新聞の例の1992年1月11日の記事が原因だったと考えている。当時武藤は、外務省のアジア局で韓国を担当していた。「浴衣がけで来てほしい」と招かれていた宮沢首相の訪韓は朝日の報道で青天の霹靂となり、韓国側の態度は日本の親韓議員すら憤慨させた(朝日新聞は、この記事を宮沢首相の訪韓のタイミングに意図的にぶつけたと言われている)。「日本人の嫌韓感情の始まりだった」・・・そして現在の最悪の日韓関係に至る。朝日新聞の罪は重い。

この「慰安婦報道」の国際的な影響については、第三者委員会でも分析しています。林香里委員(東京大学大学院情報学環教授)は、「国際社会に対する朝日新聞による慰安婦報道の影響」について定量分析を行ない、「欧宋の報道機関の朝日新聞からの引用数は三十一本にすぎなかった」とし、「韓国における吉田氏への吉田氏への言及もわずか六十八本だった」と述べています。

他の委員やインタビューに応じた海外の有識者らにしても、日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にしたとのイメージが相当定着しているとしたうえで、「朝日新聞がそういうイメージの形成に大きな影響を及ぼした決定的な証拠はない」としています。

しかし一方で、「韓国側の慰安婦問題に関する過激な言説を、朝日新聞その他、日本のメディアはいわばエンドース(裏書)してきた。それは韓国における過激な批判に弾みをつけ、さらに過激化させた」と、同委員会は指摘しています。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼らの主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。

韓国のマスコミや有識者はよく「良心的日本人」の意見を紹介します。彼らのなかには「竹島は韓国の領土だ」とすら言う人がいて、韓国では英雄として扱われています。同様に、日本で「もっとも信頼度が高い」とされてきた朝日新聞か、慰安婦問題について日本を貶めるイメージを報道すればどうなるでしょうか。

また、海外のメディアが引用する回数が少ないといっても、外国で慰安婦像を次々に設置して報道を焚きつけている挺対協に、朝日新聞は「武器」を与え続けてきたのです。海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

朝日新聞がミスリードした罪

韓国の人々は挺対協によってマインドコントロールされており、その主張が通説となっています。彼らは一部であったかもしれない状況を誇張し、それを一般化して流布することで現在のイメージを形成しているのです。しかし、韓国政府も有識者たちも、それがおかしいとは言えない。といって、日本側が否定しても取り合おうとはしません。

この団体は、日本への悪印象を韓国社会に定着させ、彼らが主張する人道的な不法行為に対して法的責任を認めさせ、謝罪と賠償が実現するまで日韓関係を改善するべきではないと言い張っています。朴大統領が「日本政府が誠意を示すまでは首脳会談は行なわない」と頑なな姿勢を崩さないのも、挺対協の主張に振り回されているからです。朝日新聞の報道は、その流れをつくった大きな要素だったと言えるでしょう。

とくに日韓関係を転換させる重要なエポックとなったのが、。一九九二年一月十一日の記事です。宮沢総理の韓国訪問直前のこの日、朝日新聞は第一面で「慰安所の運営にあたり、軍の関与を示す新資料を発見した」と報じたのです。

同時に解説や社説を通して「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は八万とも二十万とも言われる」と伝えられました。これこそ、のちの挺身隊の主張そのものです。

このような記事が掲載されたことで、蘆泰愚大統領の追及が厳しくなり、宮沢総理は謝罪するとともに、調査を約束せざるをえない状況となりました。当初、「浴衣がけで来てほしい」との招待を受けていた総理でしたが、訪韓したら様相はがらりと変わっていました。もちろん、朝日報道だけが原因ではなかったのでしょうが、大きな影響を与えたことは間違いないと考えます。

そして、私はこのときの総理訪韓における韓国側の対応が日本人の嫌韓感情の始まりだったと見ています。当時、私はアジア局で韓国担当の課長を務めていたのですが、帰国後、多くの国会議員の方々から「韓国は実にけしからん。この状況をなぜ防げなかったのだ」と、大変厳しいお叱りをいただきました。とくに、それまで日韓関係のために努力をしてこられた議員からの声が大きかったと記憶しています。

朝日新聞の報道がどれほど日韓関係に悪影響を及ぼしたのか、当事者である朝日のみなさんがどの程度わかっていたのかは知る由もありません。しかし、私が先輩に教わってきたように、外務省の人間がマスコミをミスリードすることは絶対避けるべきであるのと同様、マスコミも世論をミスリードすることは許されないはずです。

「吉田証言」に誤りがあると判断した時点、あるいは疑わしいと考えた時点で訂正するべきだったのではないでしょうか。それを放っておいたために現在の難局を招いた朝日新聞の責任は甚大だと言わざるをえません。