2011/03/03

日本が過ちを認めないのは『無知』だから 良心的日本人牧師





吉田牧師は、竹島について「野球には逆転ホームランがあるが、歴史にはない。韓国は日本より千年も前から独島を管轄していたのに、日本が領有権を主張するのは間違っている」と話したという。

ネット上ではよく言われていることだが、ハングルを普及させたのは朝鮮総督府だという指摘もある。

この記事を取上げた2chスレでは、こんな秀逸な書き込みもあった(笑)

「128:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/03/01(火) 14:17:24.91 ID:5NLYq+MS
そうそう、だから、バチカンでも日本は先進国から外して、韓国を代わりに先進国にしようという動きもあるね、鯨を殺したりする残虐性がどうもキリスト教の諸行無常の考えに反するとか 」


「知っていればこそ悔い改め、謝罪もできるのです。日本が本当に過去の過ちを認めて謝罪しないのは『無知』だからです。

国民も為政者も政府当局者も皆そろって無知なのです」

韓国唯一の日本人教会、ソウル市城東区聖水洞にある「ソウル日本人教会」の吉田耕三牧師(69)は、日本からの学生訪問団や教会関係者が韓国に来ると必ず連れていく場所がある。

独立記念館、西大門刑務所跡、タプコル公園をはじめ、日本の植民地時代に日本人による韓国人キリスト教信者の虐殺が行われた堤岩里教会などだ。

日本人が景福宮に行こうと言うと「ちょっとタプコル公園に寄って行こう」と話し「遠回り」して案内する。
時には、日本の学生たちが元慰安婦の女性たちに会う機会も設ける。

「元慰安婦のおばあさんたちに昔のつらい経験を思い出させるのは申し訳ないが、学生たちのような若い年代に、経験したことを話して聞かせるのに勝る教育はない」と考えるからだ。

このような過程を経て、「歴史に対する認識や人生観が変わった。韓国をはじめアジアの人々に役立つ仕事をしたい」という日本人学生も出てきた。

■日本人牧師、韓国の歴史にはまる

吉田牧師は、1981年9月から30年間「謝罪と和解の牧会」を行っている。

「日本による植民地統治も創氏改名も韓国人に頼まれてやったこと」と発言する石原慎太郎・東京都知事のように、妄言を吐く日本の政治家や閣僚をたしなめる手紙を送り、朝日新聞や毎日新聞などの有力紙に日本を批判する文章を寄稿したこともある。

吉田牧師は、少し日本語のイントネーションが感じられる韓国語で「日帝」「ひっ迫」「謝罪」などの単語を力強く発音した。

「日本の反省」を叫ぶようになったきっかけは、1974年にソウル・汝矣島で開催された世界宣教大会「エクスプロ74」だった。

東京神学校を卒業した後、愛知県で牧師をしていた同氏は、日本による蛮行の現場を韓国で初めて目の当たりにして衝撃を受けた。

「タプコル公園や堤岩里教会を見て、少しでも謝罪の気持ちを示すために何かしなくてはと決心した」。
家族に対し韓国に行くと告げたとき、姉は大反対した。「韓国に行けば、あなたは間違いなく韓国人に殺される

■日の丸、君が代は悪行の名残

一大決心をして韓国に渡った後、自然と歴史問題に深くかかわっていくようになった。
君が代、日の丸、靖国、独島に対する吉田牧師の立場は堅い。

「君が代は植民地時代に天皇をたたえた歌で、日の丸は植民地時代に悪行を受けた被害者が見たら過去の苦痛を思い出させる象徴です。 公式に国家や国旗と認めてはいけない」。

同氏はさらに「普段は優しい韓国人も、独島の話が出ると目じりがつり上がる」と話し、指で自分の目をつり上げる仕草をした。

「日本人は決して韓国人の独島に対する愛情に勝つことはできない」

吉田牧師は、日本の子どもたちによる感想文40編を見せてくれた。

タプコル公園に立ち寄り、3・1独立運動の話を聞いた女性教師が、子どもたちが書いた文章を送ってきたのだ。

日本の蛮行に対する悩みと悲しみが、子どもたちの感想文にそのまま表れている。大切に保管している」

吉田牧師は、渡韓準備をしていた70年代末、NHKに抗議の手紙を送った。

「韓国は隣の国で、日本による植民地時代にわれわれが言語を奪おうとした国なのに、どうして韓国語の講座がないのか」。

これに対しNHK側は「『韓国語講座』とすると在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)から抗議を受け、『朝鮮語講座』とすると在日本大韓民国民団(民団)から抗議が来るためできない」と回答した。

すると吉田牧師は「神様の知恵」でこのような提案をした。「では、南北双方が使う言葉で『ハングル講座』としてはどうだろうか」。

こうして81年、NHKはラジオでハングル講座を開始し、現在はテレビ講座も行われている。

韓国で牧会を行う父親を見ながら「牧師と結婚するのはいやだ」と言っていた長女の範子さん(38)は、淑明女子大4年のとき、板門店を訪れた日本人伝道師と出会って結婚し、牧師の妻となった。

牧師になると決心した次女、由架子さん(34)は今年、神学校を卒業する。家族には至らない父親だったが、吉田牧師は気にしていない。

「韓国にいたため両親の臨終にも立ち会えなかったが、それでも神様の国へ行けば、2人が『ご苦労さん』と言って肩をたたいてくれると信じている」

李泰勲(イ・テフン)記者

朝鮮日報 2011.3.1