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2013/08/08

慰安婦絵本制作追ったドキュメンタリー公開

絵本「花のハルモニ」 日本語版の出版は断念

この絵本について最初に取り上げたのは三年前。その後、紆余曲折あったようだ。結局日本語版の出版は断念したらしい。日本の右翼の攻撃を警戒したのだと関係者は言う。アン・セホン騒動もあったから、そういった事はあったのかもしれないが、レイプ・オブ・南京のように、突っ込みどころが多すぎて出版を断念せざるを得なかったケースもある。シム・ダルヨンは、野草をつみに出た所を日本軍に拉致されたと言っている。




慰安婦テーマの絵本制作を追った映画公開へ=韓国

旧日本軍の従軍慰安婦だったシム・ダルヨンさんは押し花が唯一の趣味。美しい色と形をそのまま乾燥させた花は、シムさんの奪われた青春を象徴するかのようだ。

絵本作家の権倫徳(クォン・ユンドク)氏は、シムさんの証言を基に従軍慰安婦の物語を絵本にして平和の大切さを伝えようと決心した。

この計画は2007年に韓国と日本、中国の絵本作家が、それぞれが考える「平和」を絵本で表現し、同時出版する企画がきっかけとなった。韓国の出版社「サゲジョル(四季の意味)」が日本の出版社「童心社」とともに企画した。

韓国で今月公開されるドキュメンタリー映画「描きたいもの」(原題)は権氏が絵本「花のおばあさん」(原題)を完成させるまでを記録したものだ。

当初、慰安婦だったおばあさんの絵本をつくるという権氏の計画にはたくさんの支持があった。だが、権氏のスケッチが次第に具体化していくと状況は一変した。

日本軍が配った避妊具と天皇を並べて描いたスケッチに、日本の出版社側が難色を示した。日本の軍人個人の過ちではなく戦争に動員される状況そのものの残忍性を表現するため、顔のない軍人を描いたこともやはり子どもたちに見せるには残忍だという指摘を受けた。

また、子どもたちに「戦争」や「侵略」を説明するのは難しいという理由で、日本軍が慰安婦の少女の髪をつかんで引っ張っていく場面を修正してほしいと言われた。

権氏は絵本作家の創作を侵害するこうした指摘に不満を示しながらも、3カ国で平和の絵本を出版するという大義のためスケッチを何度も修正した。

こうした時間の流れとともに権氏の心境にも変化があった。権氏個人にも口には出せない心の傷があり、絵本を書きながらあふれる感情を描いた。自身の苦痛を絵本に反映せざるを得なかった。

しかし、3年という時間が経ち、自ら傷を癒してさらに成長し、子どもたちに元慰安婦の女性たちが抱える痛みや平和の価値をどう伝えるのが良いのか答えを見つけた。

こうして完成させた絵本は韓国と日本の小学生を対象にしたモニタリングで大きな反響を得た。権氏の絵本に接した日本の子どもたちは「そんなことがあったなんて知りませんでした。とてもショックです」と感想を話した。

こうした成果があったにもかかわらず、権氏の絵本は韓国でのみ出版される。童心社は権氏の絵本を評価しながらも、日本の右翼からの攻撃を警戒し出版をためらっている。その間、絵本の主人公になったシムさんが亡くなった。

4年余りの過程を丁寧に記録したこのドキュメンタリー映画は、シムさんの現実を映し、戦争という歴史の犠牲になった女性の痛み、またその歴史が今どう失われていくのかを映し出す。

元慰安婦の証言に耳を傾けてこなかった韓国社会の無関心も痛感させられる。絵本の中の切なく美しい花と少女の絵を映した映画のエンディングも涙を誘う。

同作の監督を務めたクォン・ヒョ監督と製作スタッフ、配給会社は公開を前に特別試写会を開き、その収益金全額を「日本軍慰安婦歴史館建立基金」に寄付する予定だ。

同作は15日に韓国で封切られる。


オマケ: 2年半前の関係者のインタビュー

2011/03/11

青い目の芸術家が慰安婦問題を訴える【米国】S.カバルロ



 韓国と日本(沖縄)以外で最初の「慰安婦の碑」として韓国でも注目された米国ニュージャージー州に建立されたモニュメント。デザインしたのは、米国人の絵かきだった。

彼にアドバイスしたキム・デシル。彼を支援した韓国人有権者センター(KAVC)。ひいては地元の自治体から反対論が出たのを韓国系の若者を動員して説得させたこと。完成した碑文には日本軍が20万人のアジアの女性を誘拐したとかなり史実を逸脱した内容が彫り込まれていたこと、などについては以前にエントリーしているのでリンク先を参照して下さい。

慰安婦とは彼が考えているような存在ではないと言う日本人と、ナヌムの家を訪れる純朴な日本の青少年の反応を比べ、日本の旧世代とは違うと感心(?)する様子は、米国自身が慰安婦の利用者であったことすら知らず、自国が日本に謝るように言ったことを誇りに思うなどと言い放ったアメリカ人劇作家Lavonne Muellerと同じタイプである。

当時の朝鮮人は強制的に日本名をつけねばならなかった。日本語を話さねばならなかったと語る彼らはけっきょく、韓国の公定史観の受け売りをしているだけ。

なぜ彼がこの問題に深く関わるようになったか。韓国政府の公式ウェブサイトであるコリア・ネットは昨年、「銅版プレートの製作は韓人作家ではなく、米 国人の作家に依頼した。慰安婦問題に対する米国内の世論の拡大に有利という判断からだ」と明かしている。これも真相の一部なのだろう。


2011年02月28日-- 「まだ生存しておられる従軍慰安婦ハルモニが一人でも生きておられる間に、この悲劇を広く知らしめたかったです。 この悲劇の被害者たちは彼女たちが体験したつらい記憶を世の中に知らせたいのです。 これを私がその方たちと共にして感じたのです」

三一節が目前に迫った中で米国のニュージャージーに居住する青い目の画家が私たちの民族的悲劇の従軍慰安婦問題を芸術的に昇華した作品を相次いで発表、展示し、さらに一歩進んで、最近では米国、ニュージャージーに直接本人がデザインした韓国の従軍慰安婦記念碑の建立を主導するなど米国で大きな反響を巻き起こしている。

話題の主役はスティーブン・カバルロ(Steven Cavallo,男、55才)氏だ。 スティーブン・カバルロ氏は昨年10月23日、彼が直接デザインした従軍慰安婦の記念碑を米国ニュージャージー州パラセイズ・パーク257 2nd Streetに建立した。 記念碑の前には戦争の犠牲の羊になった従軍慰安婦女性たちを追慕する新しい花束が置かれている。
 パラセイズ・パークの関係者を説得する学生(2010年夏)

「本当に多くの人々が助けられました。 特にKorean American Voters Council (KAVC,韓国人有権者センター)とパラセイズ・パーク市長のJames Rotundoが大いに助けてくれました。記念碑の建設費用は大体2000ドル程になりました。 地域レストランなどがレセプションのための食べ物を準備して下さり、基金募金者を通じて建設費を用意されました。 皆が一体になって動いた結果です。 カリフォルニア州の方からある知人からEメールを受け取りましたが、先にLAにも記念碑を建設する予定という話を聞きました。 もちろん記念碑建設に反対が全くなかったわけではありません。記念碑に反対した中の何人かは私に『従軍慰安婦の話は単に歴史一問の各夜昼こいつ、それほど重要ではないと! 単に脚注だけだ!』と話したこともありました」と話した。

彼は「私が初めて韓国の従軍慰安婦を知ることになった契機は、1992年子供向けの童話を描きながら偶然に強制収用所の絵をスケッチする作業中に、隣りに住んでいた韓国人の隣人を通じてでした。 第2次世界大戦中に従軍慰安婦のような残酷な行為があったという事実自体が私には非常に衝撃的でした」と話した。

スティーブン・カバルロ氏が当時なかなか理解できなかったのは、「従軍慰安婦」の事自体、米国で学校の歴史授業などで習う機会もなかったし、周辺で聞いてみることもできなかった点だった。 だが、彼にとって韓国の従軍慰安婦こそ戦争の惨状と悲劇を芸術的に形象化でき、彼の芸術魂を燃やすことができる立派な土壌だったという点だ。
 キム・デシルとカバルロ

スティーブン・カバルロ氏は「私は従軍慰安婦問題をさらに理解するために韓国キム・デシル先生の「沈黙の声(1999年)」という本を求めて読みました。 この本は過去の慰安婦女性たちの生き生きした証言が入れられた本でした。 私は当時キム・デシル 先生から直接従軍慰安婦に関するその方の講義を聞けたのに、キム先生の本とお言葉はその後私の作品になくてはならない土台になりました」と述懐した。

彼は「キム先生はドキュメンタリー形式で作ったフィルムを私にたくさん譲り渡しました。 本当に私には多くの助けを与えたでしょう。 Palisades Park図書館でフィルム上映会を通じて、私はこの悲劇的で歴史的な事実をさらに生き生き分かれたし私には多くの勇気と力を集中されました。 恐らく先生の助けなしでは私のプロジェクトはとても大変だったでしょう」と話した。

彼は戦争の惨状を表現するためにホロコースト、日本強制収容所、従軍慰安婦女性などを彼だけの水彩画で表現したがthe Kent State Shooting,and Kim Phuc fleaing from the Napalm attack in Vietnamなどの作品を描いた。 当時韓国の女性たちが体験しなければならなかった苦痛を表現するために“Once I was Beautiful,” “Once I was warm,”そして“Once I had dreams”という暗いシリーズをひき続き発表することになる。

スティーブン・カバルロは「私が残したこのシリーズ中に闇の中で縮めている女性たちの姿、日本の仮面を脱いだある女性の姿がありますが、この絵はその当時すべての韓国の人々は彼らの意志とは関係なく日本の名前を強制的に作らなければならなかったし、日本語で対話しなければならなかった。もし朝鮮語を使う場合に日本人たちからひどく殴られたという悲劇的現実を形象化したのです」と話す。

スティーブン・カバルロ氏は直接韓国に入国して生存している従軍慰安婦ハルモニと一緒に過ごしながらその時状況を直接入ることになる。 彼は「過去のつらい記憶を話す時は体をひどくぶるぶる震えるお婆さんもおられました。 だが恥じたり恥ずかしがるお婆さんは一人もなかったのです。 一度は私が京畿道広州のナムヌの家を訪問した時、20人余りなる若い日本の学生が団体で分け前に家を訪問したのに、私の考えでは多くの日本の人々、特に幼い二世たちの従軍慰安婦問題に対する態度は今の日本の既成世代とは大いに違うと思います」と話した。
 「日本帝国政府の軍隊により誘拐された20万人以上の女性」 

スティーブン・カバルロ氏は「米国にいる日本人たちと従軍慰安婦問題について話を交わしたことがありますが、彼らの大部分は慰安婦女性たちが軍人らから強制的に性暴行にあったのでなく本人意志で体を売った女性だと考える人々が多かったです。 私がその方にこのように話しました。 「もしあなたが被害者女性たちと顔を突き合わせてその人々の苦痛を直接見ることができるならば強制的に性暴行にあって被害を受けた人々というものを全身で感じるはずだ」と応酬したのを思い出します」と話した。

スティーブン・カバルロ氏は今年韓国の光復節に合わせてニューヨークのクィーンズのある大学の招請で展示会を開く予定だ。 場所はクィーンズ コミュニティカレッジ・ホロコーストセンターだ。 その前に、イングルウッド・ニュージャージーにある芸術公演センターのポゲン パック(Performing Arts Center)で5月に展示会を計画しており、2月にはニューヨークのフラッシングにあるギャラリー予感で同じ主題で展示会をした。 既存には水彩画作業をしたが、最後の2月展示では油絵の作品を披露し好評だった。 今後も従軍慰安婦に関する作品をミュージアムやギャラリーで展示する計画だ。
 「良心的」教師に「正しい歴史」を学んだ日本人の若者も多い

スティーブン・カバルロ氏の妻は事実春川(チュンチョン)出身の韓国女性だ。 自然に韓国文化に馴染んでおり、一緒に仕事をする作家の大部分は韓国人だ。 彼が共にする多くの集い中少なくとも半分以上は韓国の人であるほどだ。 彼は「私は韓国の食べ物マニアです。 特に妻がする韓国食べ物はあきれますね。 特にビビンパとカルビ、三枚肉、雑菜(チャプチェ)などが好きです。 韓国のアリランのような伝統音楽はなぜか音調が弱々しくて繊細で時々聞きます」と話した。

彼は「私一人だけがひたすら韓国の人でないという考えはしてみたことがありません。 ある程度の時間が流れた後、今は人が持っているいかなる背景も見なくなって私たち皆は芸術家で友人です。 芸術は全てのものを一つにします。 私の芸術に最も大きな影響を及ぼした人として、私の妻を上げられます。 私たちは作品を下記転科する間にも多いことらを相談します。 また、私の妻は数多くの私の作品に登場するモデルです。 韓国に対する影響でこれよりより大きい影響はないでしょう」と話した。

スティーブン・カバルロ氏は1956年米国、ニュージャージーで生まれ、現在の韓国人妻と膝下にジュリーとヒェジ(?)二人の娘を置いている。 彼はニューヨークのマンハッタンにある視覚芸術学校とSVA(School of Visual Art)で絵勉強を始め、偉大な芸術家であるTom Dalyから多くのことを学んだ。 1970年~1990年代は商業芸術家として仕事をし、1999年度に商業芸術が退化し、正式な芸術家に切り替えた。 1997年にアンドリュー・チャン教授とファン・ラン氏に会うことになりながら韓国芸術家たちを助け始め、現在はPalisades Park図書館の中にある限りギャラリーのキュレーターとプログラマーで仕事をしている。 去る20年余りの間数多くの展示会を持ったことがある。

Newswire 2011.2.28

2011/01/23

絵本作家クォン・ユンドクが語る慰安婦




日本ペンクラブと国際子ども図書館が主催した講演会「いま、韓国の子どもの本は?」の感想がネットに上がっている。クォン・ユンドクのインタビューの内容が読める。

韓国では絵本のテーマとしても慰安婦は人気があるようで、彼女の「花のハルモニ」という作品については以前にも紹介した。今年の6月には日本語版も出版されるという。

このインタビューを読むと、慰安婦に対するイメージが固定化している韓国の作家が語る慰安婦論は、けっきょくは定型から一歩も出られないのだな、と思う。



・・13歳で無理やり拉致されて船に乗り込まされ、気がついたところは日本軍の駐屯地で20人くらいの女の子が狭い個室に一人ずつ入れられ、日に10人、多い時は30人もの男性の相手をさせられる…想像しただけで胸が苦しくなります。そういう事実を淡々と伝えつつも、最後は今も続く世界の紛争地に想いを馳せ、何を私たちがしなければいけないかを問う形になっています。クォンさんは、この絵本を韓国の子ども達が読んで反日意識を強くしてしまったらどうしよう、そうではなく、平和の大切さを考えるきっかけにしてほしいと、構想から3年以上苦しんだ結果が、その優しい色合いの絵本になっていったのです。


慰安婦問題は一部の不良軍人の犯罪ではなく、「国家が」「組織的に」「動員」した「植民地の女性を制度的に性暴行した事件」とクォンは言う。

もともと「制度」や「組織的」といった言葉は、運動家たちが政治的理由(Wikipediaの「強制連行」の頁を読むとイメージできると思う)があって使っているのである。作家なら、そういう人達からは距離を置いて自分なりの分析を試みるべきだ。それに、このような説明では内地(日本)出身の慰安婦たちが可哀そうだ。「慰安婦問題の核心の当事者は、まさに軍隊と国家に違いない」という最後の部分は、吉見本そのまま。


クォンさんは、講演の中で「慰安婦問題は、一部の質の悪い日本帝国軍人たちが罪のない女性個人を性暴行した事件を示すのではありません。その問題の本質は、戦争という非人間的な状況下において、弱者である植民地の女性たち制度的に性暴行した事件というところにあります。軍隊が駐留した全地域には、慰安所が設置されて、国家によって組織的・体系的に人員が動員されて管理されました。慰安婦問題の革新(ママ)の当事者は、まさに軍隊と国家に違いないのです。


クォンは戦時性暴力は絶えず起きていると言いつつも、「日本帝国軍隊の蛮行(慰安所システム?)は明確に特別な物」と考えているらしい。↓


また一つ、重要な点は、その問題が単純に過去の問題ではないというところにあります。太平洋戦争期の日本帝国軍隊の蛮行は、明確に特別な物がありましたけれども、国家の積極的な介入や黙認の下に行われた軍隊の性暴力は、最近でも世界中あちこちの戦場で絶えず起きています。・・・戦争が終わった後も、軍隊が駐留したところであるならば、女性に対する性暴力から自由ではないのです。慰安婦問題の本質には、こうした点が存在していて、したがって絵本『花のおばあさん』もいかなる方式であっても、こうした点を表現しなければなりませんでした。」と語っています。


「事実」「和解」「信頼」「過去の問題ではない」、「教科書から記述が削除(された)」。


この絵本プロジェクトに携わった日本の絵本作家・・・童心社の編集長池田さん、韓国側の出版社の編集長の方々からもお話がありました。

そこで共通して語られたのは、まずは真実を知ること、そして悩むこと、そして伝えたことで憎しみを増すのではなく、互いを理解し、和解し、平和を求めてほしいということでした。東アジアの一員として、互いに信頼を築くためにも、特に教科書から記述が削除され知らされないままに育っている日本の子ども達・・・



クォの「花のハルモニ」の主人公シム・タリョンは、挺対協によれば、朝鮮半島において「野草取りに出かけたところ日本軍につかまりトラックに載せられ台湾の慰安所に連行」されたというから、本当なら議論の多い強制連行(徴用)の生き証人ということになる。日本の国連常任理事国入り反対運動にも関わり、昨年の12月に亡くなった。




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