「21世紀の親日派になりたい」
「嫌韓デモを身を持って防ぎたい」
単なる変人かもしれない。しかし、迫害を恐れず、人生を賭けて日韓友好を訴えているかもしれない。自費出版を行い訴訟覚悟でネットで日本擁護論、挺対協批判を展開。注目を集める為に、反日団体の集会にも赴き警察につまみ出されたりしているのが、写真の人物シン・ミンチョル(ペンネーム:ソ・ギソク)。
彼の本を読んだわけではないので、どの程度の知識に裏づけられているのか分からないが、『親日派のための弁明』を書いたキム・ワンソプを思い出した。自らを「骨の髄まで親日派」という言う彼は、キム・ワンソプより少し下の世代で短期だが日本留学の経験がある。経歴はオーマイニュースの取材である程度確認されたようである。
彼は、挺対協を批判し、日本軍の慰安婦を民間人女性を守る為の先進的なシステムだと主張する(キム・ワンソプも似たような事を言っていたような気がする)。「21世紀の親日派になりたい」、日本に広がる嫌韓デモを全身を投げ打って防ぎたいからだと言う。
当然ネット上では「売国奴」「日本のスパイ」と
ヘイトの連鎖は終わるか?
オーマイニュースも彼のような韓国人が今後増えることを予想している。精神障害者扱いされても、ごく一部には彼の主張に共感する韓国人がいて、第二のシン・ミンチョルや実社会に現れる「親日派」が今後増えるだろうとオーマイニュースは予想している。懸念している、と言った方が正確か。
シン・ミンチョルだけではない。挺対協への風当たりは強まっている。ハルモニが全員他界すれば日韓間の最大の懸案事項は自然消滅する。それまで辛抱すればいい、という訳には行かなくなっていた。挺対協がダムの役割を果たしていたが、そのダムが脆くなって来たからだ。韓国で、未だ少数とはいえ、ポリティカルコレクトネスに意を唱える人が現れ始め、本当の意味での親日派が少しずつ社会に顔を出し始めたというのなら、時代は確実に変化している。遅かれ早かれ、日韓は「手打ち」をする運命にあったのだろう。
「慰安婦は自発的」 単独デモ敢行したソ・ギソクの正体
[人物追跡] 「少女像を撤去しよう」などイルベ닮은「極右」主張する背景を見たら・・・
「慰安婦少女像を撤去しよう。挺対協ユン・ミヒャンと従北主義者は自爆せよ」
「ナヌムの家の慰安婦お婆さん、真っ赤な嘘は止めて下さい。あなた方が自発的に慰安婦になったという真実を、私ははっきり知っています」
日本軍慰安婦問題を交渉する韓国と日本の外交長官会談が開かれた昨年の28日の午後、会談場所であるソウル市鍾路区の外交部(外務省)前は騒々しかった。
「会談の結論(結果)が日本が法的責任を回避する『政治的野合』となる可能性がある」として平和市民団体が憂慮の念を濃くした記者会見を行っていた最中 、『大韓民国時代精神』の著者だと名乗るソ・キソク氏が乱入し「慰安婦は自発的だった」と主張し、騒動を引き起こした。彼は続けて「少女像を撤去しよう」と書いたプラカードを掲げたが、警察に制止された。
後日の嵐は激しかった。「自発的慰安婦」のプラカードを持って写った写真が報道されてから、フェイスブックやツイッターなどネット上では写真の人物に対する容赦ない非難が荒れ狂った。一部の市民団体はツイッターに写真を載せ「売国奴」として彼を「公開手配」することまでした。そこには「『大韓民国時代精神』を使ったソ・ギソク(実名シン・ミンチョル)」として「日本のスパイ」というコメントなどが走った(?)。7日現在、シン氏はツイッター上で「日本のスパイ」として知らされている。彼は本当に日本のスパイなのだろうか、彼は5日の午後<オーマイニュース>との電話インタビュー(?)で、「(私は)日本と韓国を親しく、友好的にさせるという意味で親日派だ」と語った。続けて「本名がシン・ミンチョルでペンネームがソ・ギソクというのは、間違いないか」という記者の質問に、「100%正しい」と答えた。「慰安婦は先進的・人権的な制度」極端な主張繰り広げる極端な主張をするシン氏(ペンネーム:ソ・ギソク)がどのような人物なのかを調べてみた。結論から言えば、日本のスパイではないものの、日本の一部極右勢力と見紛うばかりに極端な考え(の持ち主?)だった。彼は全部で3つのブログを開設しており、三つのブログ全てのIDが「親日派ソ・ギソク」だ。2015年の2月に出た著書『大韓民国時代精神』の中で彼は自分を1970年に韓国の江原道で生まれたと明かしている。今年数え年で47才、学生運動の先頭に立った(?)386世代(60年代生まれ)の直後に生まれたわけだ。シン氏は著書の中で自分が「韓国外国語大学政治外交学科を卒業(確認した結果、韓国外大政治外交学科91年度入学生に、実際に1970年生まれのシン・ミンチョルがいる。-記者)」「若い(?)頃から『歴史』について深い関心と情熱を抱き、小学生から大統領まで全ての韓国民が「親日派」がならなければならないという信念を持った」と書いている。 彼は「一日30分瞑想をしながら知恵と自由を耽溺する自由な魂の所有者」と自分を紹介している。
シン氏が書いた文章には彼の極端な見解がそのまま表れている。 自ら「慰安婦ハルモニに告訴・告発される覚悟で使った」と紹介するこの本の副題は「骨の髄まで親日派が送る丁寧な呼び掛け」だ。 本人のブログと本の中でシン氏は繰り返し次のように主張する。 ▲慰安婦少女像を全て撤去しなければならない▲慰安婦ハルモニは嘘をついている▲水曜デモは従北勢力の統一戦線戦術だ、というのがそれだ。
著書を詳しく見て行くとさらに驚くべき主張が展開されている。「李承晩は高宗がアメリカに送った密使(122ページ)」「,(伊藤博文を狙撃した)安重根は愚かな事をした(99ページ)」、「独島が正確に韓国領土という証拠はない、韓国人の自尊心と劣等感が表出される執着の現場が独島である(86ページ)」というものだ。 彼は慰安婦制度が「先進的かつ人権的」だったとも主張している。 戦時であったから止むを得なかったといった風(?)だ。
「慰安婦については、実際多くの誤解がある。戦時兵士たちは死の恐怖の前で深刻なストレスを受ける。そのような重度なストレスに苦しめられる兵士たちはややもすると民間人女性たちを強姦するなど残忍な行動をしかね(?)ない。日本軍はこのようなことを防ぐために慰安婦制度を運用した。 (…)慰安婦は複数の点で(?)日本軍が民間女性を保護するための先進的で人権的な制度であった」 (<大韓民国時代精神> 46ページ)
「늙은 계집(「老ビッチ」のようなニュアンスか?)」など刺激的な言葉で主張する理由昨年の(12月)28日デモの現場、騒ぎを起こして警察に連行されて行きながらも彼はプラカードに自分の著書とペンネーム、ブログのアドレスまで書いてこれを宣伝した。 それ以後、ツイッターなどのSNSと彼のブログでは「売国奴」「韓国人とは全く思えない(?)」「日本に行ってしまえ(?)」などの非難のコメントが走った。 それでもシン氏がこのような主張を繰り返す理由は何なのか。
ヒントは彼が残した文章にある。シン氏は単独デモの4日前の12月24日、収益型ブログで悩む人々のオンラインの集いである「ブログ収益化の全て」カフェで自分のブログを紹介した。
彼は自分を「政治・社会・歴史」分野のブロガーと紹介し」(ブログの)一日訪問者数3千人」と書いた。インターネットユーザーがたくさん訪れるのが自慢らしい。単独デモで議論になった後、ブログ訪問者数は3~4日で1万人近く増えた。
一種の「ノイズ・マーケティング」の性格も伺える。ブログによれば、シンさんは今月の18日に別の著書の出版を控えている。単独デモの際写真に写り図らずも宣伝になったブログの名前も、ブログのエントリーのそこかしこで「要注目」と著書を宣伝した。被害者ハルモニを「늙은 계집」「ばばあ(?)」などと刺激的に描写して公憤を呼び起こすのも同じ脈絡だ。彼は韓国政府の対中外交を批判し、「習近平という中国共産党の老いたキツネ-똥오줌을 못가리는 パク・クネ」というタイトルの文章も書いた。
「日本政府と韓国政府は難しい交渉をよく解決した。拍手を贈りたい。ユン・ミヒャン従北主義者と自発的に慰安婦になった嘘つき慰安婦ハルモニ、老ビッチ(?)が最後の必死のあがきをしている。大韓民国5千400万の国民が、彼らの汚く邪悪な本質を直視しなければならない」 (本人のブログ)
だが「(実名がシン・ミンチョルでペンネームがソ・ギソクというのは)100%正しいという彼の話によれば、初めての本『大韓民国時代精『』は本人が直接書いて出版まで一貫した(?)ように思える。本の裏(?)に著者ソ・ギソク、発行シン・ミンチョル、発行元「위대한탄생비트코인出版社」とされているからだ。インターネットあちこちに「(株)위대한탄생비트코인上 シン・ミンチョル代表」が残した跡がある。 本に紹介されたEメールIDは二つとも「親日派ソ・ギソク」が運営するブログのIDと一致する。「自発的慰安婦」等主張が溢れているが、根拠は無いか少ない「極右」とは、辞書では極端に保守主義的とか国粋主義的傾向の人や勢力の意味だが、シン氏が書いたブログの文章や著書を見ると、彼を「極右」と呼ぶのも曖昧だ。 むしろ彼が主張するように「骨の髄まで親日派」、すなわち韓国よりも日本と近い人物と言った方が合う。
彼は本の中で「韓国は日本の文明圏に属している(202ページ)」として韓国を日本の属国と見る。 「日本と韓国には100年の差がある」として「朝鮮500年歴史は太宗イ・バンウォンと世宗大王の時代を除けばこれという成果が一つもない半(ほとんど)未開文明だった」とも書く。シン氏は生存者の証言や写真、学術論文など歴史的資料が明確に残っている 「堤岩里虐殺事件」も「日本軍が果たしてそのような残忍蛮行を犯したのだろうか。堤岩里虐殺事件は小説で虚実だ」と主張する。 これは1919年の3・1万歳運動が起きた京畿水原(現華城市堤岩里で日本軍が住民30人余りを教会に追い立てた末、銃撃を加え火を着けて殺した事件だ。
シン氏は著書を通じ典型的な植民地近代化論を主張する。 「朝鮮人は日本統治の下、徐々に文明世界へ入り、幸福感と自信を感じ始めた(120ページ)」とか、「1910年韓日併合は歴史のジン(?)より、朝鮮半島という小さな野蛮国に日本の近代文明が輸入された進歩(109ページ)」といった感じだ。しかし溢れ出る主張に比して、根拠は殆ど無いか少ない。本の序文(?)からしてそうだ。「誤った歴史観と世界観により苦痛を受ける大韓民国」という大げさなタイトルに比べ、実際の内容は全て推測だ。「日本の土である独島を韓国が不法占拠しているではないか」とか「安重根は烈士かテロリストか」という背中、序文の合計45の文章のうち23が推定を現わす語尾「가」または「-か」で終わる。
慰安婦は自発的だった」という主張の根拠も同じだ。被害生存者のうちの一人であるイ・ヨンスお婆さんが初期の証言で「真っ赤なワンピースと革靴が見えた、幼い心にどれくらい嬉しかったか分からない、思わず他のことは考えないでついて行くことになった」という(?)発言を問題にする。 シン氏はしかし同じ証言で、ハルモニが「옷보퉁이を押し退け、これ持っていないから家に送ってくれと言って泣き続けた」とか「日本人の男から電気拷問にあって気を失い、日本の軍人に便所で強姦された事実は問題視しなかった。
同じサイトに上がってきた数多くの他の被害証言は無視された。彼はこれと関連した日本の責任はもちろん、戦争当時の状況と性別間の差別も認めない。不確実な情況証拠を根拠に「1940年代朝鮮の貧しい女性が生計のために日本軍に従って行った」と断定する。
「強制的に連行されて行った20万人の少女」は過大な主張という印象を拭えない。(…) 1940年代の朝鮮の貧しい女性たちは生計のために日本軍に従っていった。様々な情況証拠から推論してみる時、私は就職詐欺にあったり日本軍と官憲によって強制的に連行されて行ったケースは20~30%未満という慎重な推定を試みる」 (<大韓民国時代精神> 55ページ)
これと関連してナヌムの家のアン・シングォン所長は「日本の右翼が主張するのと全く同じだ」として「(シン氏は)被害者の強制性を無視するが、これは国連の人権委など国際社会と河野談話等を通じてすでに認められたことだ」と反論した。 実際にシン氏は「日本軍が強制的に慰安婦を連行することはなかった(57ページ)」と書いた。日本軍慰安婦被害者と共にある「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」側はシン氏について、「相手にする価値もない」と一蹴した。20代に日本留学後「親日派」に変身、「イルベ」に投稿した文章が削除されることも地元韓国人であるシン氏がこのように日本に友好的な「親日派」になったのは、20年前、つまり27才の時の日本留学の影響と見られる。 韓国に戻った後、彼はソウルの日本大使館の前で24年目開かれている「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜デモ」に行っても「日本大使館の職員が非常に苦労しているという残念な気持ちになる」(本55ページ)と書いた。 シン氏は留学当時の経験を描写してこのように書く。「私は1996年に6ヶ月間東京で語学研修を受けた。当時<朝日新聞>には慰安婦ハルモニのインタビューがたくさん載っていた。そして日本のマスコミで韓国に関する報道が多かった。私は「日本は韓国を非常に重要視しているのだ、韓国と緊密に協力したいのだ」という印象を受けた。 慰安婦問題についても日本もたくさん努力しているのだなという印象を受けた」 (<大韓民国時代精神> 63ページ)極右・極論を繰り広げるという点でシン氏の主張はインターネットコミュニティ「日刊ベスト貯蔵所(イルベ)」とぶつかる(?)こともある。 シン氏は実際に自身の主張と著書の紹介をイルベに継続して上げ、掲示文を削除されたりしている。
彼は昨年の3月28日、「親日派イ・ギソク」のIDでイルベに「日帝統治35年を眺める視点などについて私が書いた文章が削除された、とんでもない」として「イルベには表現の自由がないのか」と抗議する文章を掲載した。
それでもシン氏は自分をむしろ真実を語り迫害を受ける人間」と描写する。 「この記事を書き無数の非難を聞くことを考えると、多少心配が先に立つ。 どうしようと、誰か一人でも真実を言わなければならないと思う(89ページ)」と、逆に彼と異なる多数の韓国人が「70年間反日洗脳教育」を受けて来たと考える。 彼は「中国と韓国の歴史教科書が間違っていて、日本の歴史教科書は間違っていない(133ページ)」という危険な主張を展開する。
一部ではシン氏を精神異常者扱いし、再考する価値もないと言われる。しかし注目すべきは、以前とは違いシン氏が自分の意見を「単独デモ」という形で不特定多数の人々に公然と表明したという点だ。 以来、彼の意見に同調する人も現れた。 ブログで大多数の人はシン氏を非難したが、ごく少数の幾人かは「真実を恐れない姿が素晴らしい」「私も志を同じくしたい」とコメントした。
オンラインだけでなくオフラインでも似た主張が出始めた。「もう日本を許そう」と、4日の日に記者会見を行った「ママ部隊奉仕団」はソウルにある挺対協の事務所に赴き「挺対協にはハルモニを前面に出して社会を乱そうとうする不純な動機があるようだ」と語った。6日、保守系団体「父母連合」も「(水曜デモを先導する)挺対協指導部は北朝鮮を称賛する勢力」と主張し、「従北レッテル」を貼った。
水曜デモが従北?オン・オフラインあちこちに「第2のシン氏」出現極右主張を広げる「第2のシン氏」や他の「親日派」たちのオフライン出現は今後さらに頻繁になるものと見られる。 セウォル号特調委員の弁護士がイルベの掲示文をSNSで拡散し(?)国政監査の場でイルベサイトに接続する「イルベ国会議員」がいる(?)限り、ネット上やオフラインで同じような主張を根拠無く繰り(?)広げる人々が現れるだろう。イルベ利用者のインタビューやデータ分析などを通じて週刊誌<시사인>と一緒にイルベを分析した「아르스프락시아」のキム・ドフン代表はイルベの生存戦略を「센 놈에 붙어라」と定義する。 彼は「この戦略で少数者に手を差し延べ連帯するのはタブーだ、『国家-父』に対する順応は少数者嫌悪の原動力になる」と付け加えた。「韓国政府は難しい交渉をよく解決したが嘘つき慰安婦ハルモニ、老ビッチ(?)が最後の必死のあがきをしている」というシン氏の発言とピッタリ一致する。シン氏は当初、6日の日に<オーマイニュース>と会ってインタビューを受ける予定だった。しかし彼は前日の午後になって突然電話でインタビューをキャンセルし、(電話での?)インタビューを拒否した。「インタビューの話を聞いた周囲の人々が私を心配するのが想像以上(?)、私の考えが整理されるまでは報道機関のインタビューには応じない」というのが理由だった。
シン氏は「私が書いた本は告訴・告発されることを覚悟して心血を注いで書いた」「どんなことでも十分に責任を負う覚悟は決めている」と話し、急いで電話を切った。
「私は21世紀の親日派になろうと思う。なぜか?私は日本で広がる嫌韓デモを全身を投げ打って防ぎたい気持ちが切実(?)だからだ。(…)もう過去を忘れよう。韓日軍事同盟を結ぶためにも過去の歴史を下ろそう。慰安婦少女像を撤去することが韓国と日本の未来のために賢明な道だと確信する。 慰安婦問題で日本政府をこれ以上圧迫するのをやめよう」 (<大韓民国時代精神> 70,231ページ)