記事を書いたのは、
国際部のキル・ユンヒョン記者
ハンギョレ紙の東京特派員が日本政府の真意を正確に読者に解説しているのを見て、軽く目を見張った。日本政府の真意を理解し得た初めての韓国の新聞記者かもしれない(分かっていて、トボけているのもいそうだが)。河野談話から実に四半世紀も経って漸く。
(日本政府は)犯罪を犯した主体、すなわち省略された主語は「業者」であり、軍や日本政府ではないことから、日本政府に「法的責任」はなく、「道義的な責任」があるだけという立場を維持している
日本軍が・・・「強制連行」を「直接示すような記述は見られなかった」と言うことは、政府の従来の立場を改めて確認したのに過ぎない。
これはこの通りで、この日本政府の真意が、国外に伝わらないのはナゼなのか?キル記者は、「コミュニケーション方式の違い」による誤解と言うが、少なくとも主因ではないだろう。河野談話から一貫して日本政府の言うことが曖昧なのは、韓国政府や慰安婦の顔を立てたからである。
日本政府(軍)が犯罪を行ったわけではないが道義的な責任は感じている、そう言えば良かったのだが、いらぬ配慮をした結果が「(業者による)強制性」(≠強制連行)を認めた河野談話であり、河野談話の呪縛から逃れられない安倍政権もまた、曖昧な言葉で韓国政府と手打ちせざるを得なかった。ただし、問われれば強制連行の証拠なしとした2007年の閣議決定を、これも肯定せざるを得ない。だから安倍首相(日本政府)の言動はまったく矛盾していない・・・という事にキル記者は気づいたわけである。
東京に赴任してから2年が過ぎ、改めて感じることだが、韓日両国の関係悪化をもたらした真の理由は、両国国民のコミュニケーション方式の違いにあるのではないかと思う。特に、間接話法や引用句、あいまいな語尾の処理などで塗り固められた日本の政治家たちの話を聞いていると、今でもあの人は何を言っているのか、混乱する場合が多い
確かに、韓国への配慮であっても河野談話後の追加措置として日本政府はもう少し明確に出来たはずである。何について認め、何について謝ったのかを。また政府がハッキリしないのをいい事に、日本の「強制連行派」や海外の反日屋が河野談話を悪用した影響も大きい。
河野談話の明確化など、今からでも日本政府がやれる事はあるはずである。
[...]安倍首相は、今月18日の参議院予算委員会で「今まで『政府が発見した資料には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述は見られなかった』という立場を2007年に閣議決定した。この立場に何ら変更はない」、「(今回の合意を関して)戦争犯罪のたぐいのものを認めたわけではない」と述べた。この発言を19日付の中央日報などが大きく報道し、野党の「共に民主党」は「先月の韓日慰安婦合意が無効であると宣言したことに他ならない」と批判した。
安倍首相は、12・28合意を否定したのだろうか?そうではない。
(中略)
しかし、人身売買という犯罪を犯した主体、すなわち省略された主語は「業者」であり、軍や日本政府ではないことから、日本政府に「法的責任」はなく、「道義的な責任」があるだけという立場を維持している。結局、日本が認める“責任”とは、人身売買という犯罪を犯した業者を適切に管理・監督できなかった道義的、二次的な責任にとどまる。
そのため、安倍首相が、日本軍が戦争犯罪に当たる「強制連行」(人間狩りをするように髪の毛を引っ張っていくこと)を「直接示すような記述は見られなかった」と言うことは、政府の従来の立場を改めて確認したのに過ぎない。つまり、「強制性=道義的な責任=(業者による)人身売買」は認めるが、「強制連行=法的責任=戦争犯罪」は認めないということだ。安倍首相としては認めたことがないため、事実上、覆すものもない。
この点を見直してみると、12・28合意を通じて韓国政府が慰安婦問題に対する日本政府の認識を変えたのは、事実上何もないという結論を下さざるを得ない。