2021/03/06

ラムザイヤー論文批判への反論(イ・ウヨン)


ようやく崩れ始めた「慰安婦強制連行説」の虚構
あくまでも性労働者だった慰安婦の現実。日本人よ、声を上げよ
李 宇衍

ラムザイヤー論文批判の中身

 ハーバード大学のラムザイヤー教授は自身の論文にて、慰安婦と慰安所は契約の関係であったと主張した。これに異を唱える韓国や米国の研究者の一部は、いまだに批判を続けている。批判の中核は、契約の関係を立証する契約書、つまり契約内容の書かれた「紙」を提示できないということだ。ここには、合意内容を必ず文書に残す欧米の契約文化と、口頭契約の依存度が高かった韓国の契約文化との違いを理解していないという背景がある。

「契約書がない」という批判は、「契約自体なかった」という「確信」がベースにある。「契約がないのだから契約書も当然ない」という論理だ。批判者たちに共通しているのは、女性たちは契約ではなく日本の軍人や警察、官吏などに強制連行されて慰安婦になったという認識である。「強制連行だったのになぜ契約書や契約の話が出てくるのか」と責めているのだ。

 批判者たちは「確信」する根拠が山ほどあるという。「被害者」である元慰安婦たちの「証言」、「加害者」である吉田清治氏の「告白」、1992年に吉見義明氏が発見したという「強制連行」を指示した日本軍の文書、1993年に日本政府が発表した「謝罪」の織り込まれた河野談話、1996年に国連人権委員会で公表されたクマラスワミ報告書のように、アムネスティ・インタナショナルや国際法律家委員会(ICJ)などのNGO(非政府組織)が発表した各種調査結果である。だが、その「確信」のベースになった「証拠」の中で、いまも健在なのは元慰安婦の「証言」のみだ。それ以外はすべて虚構か、あるいはこの「証言」を根拠にしたものである。

 国際機関の報告書はどれも元慰安婦と吉田清治氏の証言、日本軍の文書、河野談話に拠っていた。河野談話は、「被害者と加害者の証言があり、これを客観的に立証する日本軍の文書がある」と多くの人が確信する状況において、追い込まれた日本政府が作成したものだ。しかしその後、その日本軍の文書は「強制連行」と無関係であることが立証され、他の文書は発見されていない。また、吉田清治氏の「告白」は創作だったことが明らかになる。日本で吉田氏を集中的に取り上げて報道した朝日新聞は、その名声もむなしく、それらの報道を取り消すに至った。一見すると証拠が山のように積まれているが、実際は元慰安婦の証言だけしか残っていない。

 では、元慰安婦たちの言う「強制連行だった」は信じられるのか。

政治的に「汚染」された被害者の証言
 彼女たちがカミングアウトした1990年代初めの証言は「強制連行」と無関係だった。朝鮮人による就職詐欺や親に売られて慰安婦になったと証言しているのだ。ところが、慰安婦問題が韓国の社会的・政治的問題になり、韓日間の外交問題に発展すると言葉を変え、「強制連行」と言い出した。
(中略)
慰安婦になるために必要だった幾重もの本人確認
 ラムザイヤー教授批判の先頭に立ち、韓国で有名になった米コネチカット大学歴史学科のアレクシス・ダデン(Alexis Bray Dudden)教授は、「主張を裏付ける書類がないのなら、そして証拠がないなら、その主張は真実ではありません」とテレビで述べた。そして、「無惨で」「典型的な」「詐欺」という単語を使った。元慰安婦たちの「証言」はダデン教授の基準をクリアできたのだろうか。

 日本の官憲による「強制連行」でなかったとしたら、女性たちはどんなきっかけや経路で日本軍慰安婦になったのだろうか。朝鮮人斡旋業者が「いい仕事を紹介してやる」と言い(就職詐欺)、慰安婦として働くことを知らせずに女性を連れていったり、親をだまして売らせたりしたケースがあった。この場合、慰安婦の雇用契約は不要となり、前借金が支払われないか、最初から慰安婦として連れていく場合よりも小額が払われた。朝鮮において就職詐欺を含む誘拐は、戦前から警察の取り締まり対象になっていた。当時、朝鮮では数千人もの職業斡旋業者が横行していたのだ。

 朝鮮から慰安所に女性を連れていくには、さまざまな公的書類が必要だった。中国や東南アジアなどへ行く旅行者は全員、旅行の目的などを記入した書類を提出し、警察署長の発給する「身元証明書」を取らなければならなかった。慰安婦の場合の手続きはさらに厳しかった。

 女性と慰安所業者が共に作成する申請書といえる「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、世帯主と女性本人が捺印した就業承諾書、世帯主と女性本人の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成・発給してもらえない)が必要であり、日本領事館の職員も慰安所就業の意思があるかどうか、女性に対して調査を行った。女性を就職詐欺で連れてきたり拉致してきたりしたのなら、このような書類は用意できなかったはずだ(『反日種族主義』の著者、李栄薫教授が主催する「李承晩学堂」のユーチューブで朱益鐘氏が上記を主張している)。

 本人の意思で慰安所に来ていない場合は、女性が着いてからも問題になった。慰安所の利用と管理を担当する部隊は、慰安婦本人がどんな仕事をするのか知っていて来たのかを確認した。前述のような書類を軍部隊で確認する手続きがあったため、だまされて連れてこられた女性を故郷に送り返したケースもある。

 以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、何をするのか知りながら親が娘を売る人身売買のケースのほうがはるかに多かったといえる。当時の新聞を見ると、親が娘を売ることなどざらにあり、社会問題の一つになるほどだった。1920年代半ば、日本でも同様の状況が起こった。日本の二・二六事件(1926年)でも、娘を売らなければならないほど貧しかったことが、事件を触発する重要なきっかけの一つとなっている。

「売春婦は志願者か親に売られた人」という証言
 前回の寄稿(「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」)で述べたように、このような取り引きは人身売買という違法と、戸籍制度下における正当な権利行使と職業斡旋という合法との境界線にあった。「人肉市場」と呼ばれる人身売買が横行し、社会的問題になる一方で、その容疑で捕まった人たちの大半が無罪に処された。

 以上のような状況から考えると、募集業者と取り引きする親は、娘がどこへ行って何をするかを知っていたと見るべきである。文書に基づく明示的な契約がなかったとしても、両親がそのような事実に気付いていたなら、これは我々が一般的に言う契約に間違いない。韓国と米国の批判者たちは、このような当時の実情を全く知らない。

「慰安婦と業者の間で契約が行われた代表的なケースは、朝鮮内外で戦前からすでに売春婦として働いていた女性だったと考えられる」と前回の寄稿文でも書いた。当時の状況を描写した朝鮮人の証言がある。1945年初め、米軍に捕らえられた朝鮮人捕虜3人に対する尋問調書だ(Composite Report on Three Korean Navy [Imperial Japanese Navy] Civilians List No. 78, dated 25 March 1945, Re Special Questions on Koreans)。

 質問は「日本軍のために売春婦(prostitute)として働く朝鮮人女性を募集していることを、朝鮮人は知っているのか。これに対して普通の朝鮮人はどのような態度を取るのか。君たちはそれによって引き起こされた騒乱や摩擦について知っているか」であった。答えは次の通りだ。

「私たちが見てきた売春婦はすべて、志願者(volunteers)か、親に売られた人たちだ。これは朝鮮的な考え方だが、日本人が女性を直接徴発(direct conscription)したら、年寄りも若者も憤怒して立ち上がっただろう。男たちは怒り、我が身がどうなろうとも日本人たちを殺したはずだ」

 この答弁は「強制連行」はなかったしあり得ない、という事実とともに、慰安婦になる一般的な経路は親の人身売買や売春婦の転職、一般人の就職だったことを物語っている。慰安婦になる過程に関してこれほど総合的な証言を私は寡聞にして知らない。

あくまでも「セックスワーカー」だった慰安婦
 慰安婦の募集方法において、親による人身売買や売春婦の転職が中心なら、やはり慰安婦自身あるいは親が業者と経済契約を結んだと考えるべきである。慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)だったのだ。彼女たちが性労働を行うために斡旋業者や事業主と契約を結ぶのは、我々が結ぶ労働者と経営者の間の労働契約と同じである。

 行為者がいて、その者が一定のパターンに基づいて行動したならば、それは契約当事者が契約に基づいて行動したものであり、契約が存在したことを意味する。これを否定するには、前借金の収受、契約期間の存在、慰安婦と慰安所の間の売上げ分割などのように、ラムザイヤー教授が契約の実体として主張するものが存在しなかったことを証明しなければならない

 しかし、部分的にすら、ラムザイヤー教授の論文に対する批判は証明できていない。これを機に、韓国をはじめとする世界の学界で慰安婦問題を本格的に討論できるのではないかと、私は確信している。
  
  JB press 2021.3.5(一部