「シンシアリーのブログ」で紹介された、1950年代の韓国で小学校の近くに米軍慰安所を作ろうとして父兄に反対されたという話。東亜日報のこの古い記事は彼が見つけたものだろうか?東豆川小学校というのが今もあるが、1923年開校だから日帝残滓ですね。後に揚州市から独立した東豆川市は今も市域の4割が米軍関連らしいから、当然こういった施設が必要とされたのだろうが、小学校の周囲を見ると、昔のことは分からないが、少なくとも現在は住宅地に見える。確かに、なぜこんな所にレイプセンター・・・もとい慰安所を作ろうとしたのだろう?
現在の東豆川小
国民校の近くに慰安所を建立。学父兄たち猛反対
ヤンジュ郡イダム面の東豆川国民学校北側109メートル地点に、最近、いわゆる特認販店=俗に集団慰安所という米軍を相手にした売店やキャバレーなどの大規模工事が一般の湧き出すような非難をあざ笑うかのように強行されており特にこのような施設で純真な児童教育に及ぼす影響が大きいことにより、同校学父兄側は去る8日午後2時、緊急学父兄総会を招集、学園環境の浄化のために今の位置での建築工事反対推進委員会を構成し、店主側の道義上の猛省を促すと同時に、陳情書を提出するなど皆で立ち上がることを決意した。(東亜日報 1957.11.13)
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