2015/09/06

朝日OB 「イデオロギーに囚われた記者が虚報と混乱をもたらした」


産経新聞が植村隆元朝日新聞記者のインタビューを何回にも分けて連載しているが、長い。まだ終わらない(6日現在)。植村へのバッシングは明らかに行き過ぎで、産経紙上に反論の機会を得たのは植村としては僥倖であった。産経は植村に塩を送る積りはなかったろうが、前半戦では、植村の反論に阿比留記者らがグウの音も出なくなっていた。当然である。産経の慰安婦報道は雑なのである。

産経VS植村の全景は別の機会に見て行くとして、連載後半になって植村が自分の事だけでなく朝日新聞の報道自体について開き直る様子を見せているので、ちょっと、他のOBの意見も取り上げたい。朝日関係者で朝日の慰安婦報道を批判しているのは、前川恵司だけではない。植村は(朝日以外も含めて)記者は皆善意だったと繰り返すのだが・・・。

侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪、おわび。そういう気持ちがやっぱり社の一つのジャーナリズムの柱だったと思う。だから慰安婦問題も多分そういう流れ。女性の人権の流れ。松井やよりさん、ご存じだと思うんですけども松井やよりさんが、80年代にさまざまな形で発掘してきた、そういう流れがあった。...松井やよりさんは、(韓国挺身隊問題対策協議会代表の)尹貞玉さんとも交流があって、やっておったわけですよね。...朝日新聞がやってきた、アジアへの侵略戦争の反省と、それを伝えようという作業。そういう作業というのは、僕自身、それを誇りに思っている


松井やより
「新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした」(長岡)

では、その松井やよりを同じ朝日OBの長岡昇はどう語っているか。長岡は松井の振る舞いを活動家だったと回想している。「イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した」とまで言っているのである。そういう記者たちが「慰安婦問題の虚報と混乱をもたらした」と。

1978年から30年余り、私は朝日新聞で記者として働きました。体力的にも精神的にも一番エネルギッシュな時期を新聞記者として働き、そのことを喜びとしていた者にとって、慰安婦問題をめぐる不祥事は耐えがたいものがあります。[...]慰安婦報道をめぐる過ちは、勘違いや単純ミスによる記事の訂正と同列に論じるわけにはいきません。[...]「問題の本質は何か」などという論理で逃げるのはおかしい。[...]

慰安婦報道に関して思い出すのは、この問題に深くかかわっていた松井やより元編集委員のことです。彼女は退社した後、私がジャカルタ支局長をしていた時にインドネシアを訪れ、かつての日本軍政時代のことを取材していきました。来訪した彼女に対して、私は後輩の記者として知り得る限りの情報と資料を提供しようとしたのですが、彼女は私の話にまったく耳を傾けようとしませんでした。ただ、自分の意見と主張を繰り返すだけ。それは新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした。[...]イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題の虚報と混乱をもたらしたのだ、と私は考えています。(以下略)