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2015/01/02

大晦日の水曜デモに数百人「2015年こそ謝罪しろ」

明治神宮か成田山新勝寺かと思いきや

大晦日だというのに、行く年を惜しむでもなく、日本大使館の前に慰安婦の遺影を持ち込みイベントを執り行う挺対協。数百人を動員したというから、2015年も先が思いやられる日韓関係である。こういうヘイトキャンペーンが世間からそっぽを向かれるようになれば、希望も出て来るのだが・・・。

ペ・チュンヒの遺影とキル・ウォノク(左)キム・ボクトン(右)
実は、親日派のペはナヌムの家で浮いていたと言われる

今年亡くなったのは、ファン・クムジャとペ・チュンヒ。元気な頃のファンは、「日本野郎を引き裂いて食らって死ぬ」と啖呵を切るような人だったが、晩年は老人性痴呆症を患い気の毒な様子であった。ペは親日派の慰安婦で、ナヌムの家では浮いた存在だった。キル・ウォノクが彼女の遺影に顕花したというが、どういう気持ちだったのだろうか。

今回も大勢の子供が動員された

挺対協のユン・ミヒャンが来年も水曜デモは続くと宣言すれば、16歳の女子高生が日韓両政府が問題を解決してデモが開かれることのないように、などとコメントしている。解決を邪魔しているのは、そこのオバサンなんですけどね。ところでそのユン、このような犯罪を二度と犯させないなどと立派なことを言っているが、挺対協は米軍慰安婦訴訟の初公判に顔を見せなかったようではないか。何をかいわんやである。

久し振りに村山一兵の名前を見た。彼はナヌムの家を追放された日本人ボランティアだが、まだ韓国にいるのだろうか?親日派の慰安婦に、失脚した良心的日本人、水曜デモも複雑である。

「慰安婦」被害者追慕祭…「2015年も忘れない」

「2015年光復70周年を目前にした今だが、うれしい解放の踊りを私たちはまだ踊れない」

今年最後の日である31日の午後、ソウル市鍾路区の日本大使館の前で開かれた第1159回日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモは2014年日本軍「慰安婦」被害者追慕祭を同時に開き、被害ハルモニを記憶するという心を集めた。

韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)等が主催した今回の水曜デモには、光栄女高生の生徒など市民500人余り(警察推計250人)が参加した。

慰安婦被害ハルモニは日本軍慰安婦という悲劇のクビキをまだ投げ捨てられないまま一人二人亡くなっている。 今年にもペ・チュンヒ、ファン・クムジャお婆さんが亡くなった。

復活を意味する紫色の布で覆われた祭壇の上には「無名で(?)犠牲になった日本軍慰安婦被害者の冥福を祈る」という言葉が書かれた黒い額縁が立っていた。

黄色と紫色キャンドルで作られた祭壇中央には、黄色い蝶々に囲まれた故ペ・チュンヒとファン・クムジャお婆さんの遺影が置かれた。

この日デモに参加したキム・ボクトン、キル・ウォノク・ハルモニらは学生たちが与えたホットパックを手に持ち膝に毛布を覆ったまま椅子に座った。 「ハルモニ愛してます」「ハルモニ、私たちが覚えています」記憶します」と(?)書かれたプラカードを手にした子供たちと写真を撮った。

平和の少女像のそばに「2015年には謝罪しろ」「耳を開き閉じた目をあけ、閉ざした口を開け」と書かれたプラカードがあった。

ユン・ミヒャン(50・女)挺身隊対策協常任代表は「2014年最後の水曜日に、再びこのような痛ましいこと経験すまいという気持ちで、今年亡くなったペ・チュンヒ、ファン・クムジャお婆さんの為の追悼式を開く」「我が国が日帝植民地から解放されて70年、分断70年など歴史的意味が多い2015年を最後になることを祈る」と訴えた。

また「ハルモニへの(?)真の追悼は、ハルモニたちが夢見る世の中を早める(早く実現させる?)こと」と言い「日本政府が真実を明らかにし、責任を認めてこのような犯罪を再び犯さないという約束を受け取るために、来年も水曜デモは続ける」と話した。

ソウル、陽川区光栄女子高のテホン蝶々に所属するチェ・スンジュ(17歳)さんは「ペ・チュンヒお婆さんとファン・クムジャお婆さんの息遣いをもう感じることが出来ないということに悲しみを支える方法はないが、座り込んでいるだけではいけない(?)」「今年最後の日を最後に、人々がハルモニだけのことでなく、人権と世界平和のためだという認識を持って欲しい」と希望した。

この席には、故人を助けたボランティアメンバーも参加した。

ナムヌの家で5年間働き、ペ・チュンヒ・ハルモニと一緒だったという村山一平(34)さんは「戦争の時の話をし、歌が好きな人でした」「当時非常に大変で痛かった心を交わして(?)下さった。 そんな心を交わすハルモニたちにありがとう(と言いたい?)」と追悼した。

追悼の辞が終わった後、キル・ウォンオクお婆さんとキム・ボクトンお婆さんを先頭に(?)献花式が行われた。キル・ハルモニは追悼の気持ちを込め、手袋を脱ぎ厳しい寒さのために真っ赤になった手でピンク色花を祭壇の上に置いた

献花式には準備された100輪の花を交互に使うほど市民の行列が列をなした。 ある女子高生は口を硬く閉じたまま涙を流した。

追悼式が終わった後ある女子高生は慎ましい表情でハルモニに近付き、直接描いた図をプレゼントした。

城南市(ソンナムシ)불곡高校のペク・スンヨン(16・女)さんは「少女が翁草を持ち目を閉じたまま考える絵を描いた。 悲しい思い出を持つ少女の心を表現した」として「来年にはデモが開かれないよう、日本政府と我が国の政府が問題をよく解決したらいいと思う」と話した。

ニューシス 2014.12.31[2]

'위안부' 피해자 추모제…"2015년에도 잊지 않겠다"

【서울=뉴시스】오동현 기자 = "2015년 광복 70주년을 눈앞에 둔 지금이지만 기쁜 해방의 춤을 우린 아직 추지 못합니다." 

올해 마지막 날인 31일 오후 서울 종로구 일본대사관 앞에서 열린 제1159차 일본군 '위안부' 문제 해결을 위한 수요시위는 2014년 일본군 '위안부' 피해자 추모제를 함께 열고 피해 할머니들을 기억하겠다는 마음을 모았다.

한국정신대문제대책협의회(정대협) 등이 주최한 이번 수요시위에는 광영여자고등학교 학생 등 시민 500여명(경찰 추산 250여명)이 참석했다.

위안부 피해 할머니들은 일본군 위안부라는 비극의 굴레를 아직까지 벗어던지지 못한 채 하나 둘 세상을 떠나고 있다. 올 해에도 배춘희·황금자 할머니가 별세했다.

부활을 의미하는 보라색 천을 덮은 제단 위에는 '이름 없이 희생된 일본군 위안부 피해자들의 명복을 기원합니다'라는 글이 적힌 검은 액자들이 서 있었다. 

노란색과 보라색 양초들로 꾸며진 제단 중앙에는 노란 나비로 둘러싸인 고 배춘희·황금자 할머니 사진의 액자가 놓여졌다.

이날 시위에 참석한 김복동, 길원옥 할머니는 학생들이 쥐어준 핫팩을 손에 쥐고 무릎에 담요를 덮은 채 의자에 앉았다. '할머니 사랑해요', '할머니 우리가 기억하겠습니다'라로 적힌 피켓을 손에 쥔 학생들과 사진을 찍기도 했다. 

평화의 소녀상 옆에는 '2015년엔 사죄해라', '막은 귀 열고 감은 눈 뜨고 다문 입 열어라'고 적힌 피켓이 있었다.

윤미향(50·여) 정대협 상임대표는 "2014년 마지막 수요일 다시는 이런 아픈 일 겪지 않겠다는 마음으로 올해 돌아가신 배춘희, 황금자 할머니를 향한 추모식을 연다"며 "우리나라가 일제식민지로부터 해방된 지 70년이자 분단 70년이 되는 등 역사적 의미가 많은 2015년을 마지막이 되길 기원한다"고 호소했다.

또 "할머니들에게 진정한 추모는 그들이 꿈꾸는 세상을 앞당기는 것"이라며 "일본정부가 진실을 밝히고 책임을 인정해 이런 범죄를 다시 저지르지 않겠다는 약속을 받아내기 위해 내년에도 수요시위는 계속 될 것"이라고 말했다.

서울 양천구 광영여고 대홍나비 소속 최승주(17·여)양은 "배춘희 할머니와 황금자 할머니의 숨결을 더 이상 느낄 수 없음에 슬픔을 가눌 길이 없지만 주저앉아 있지만은 않겠다"며 "올해 마지막 날을 끝으로 사람들이 할머니만의 일이 아닌 인권과 세계평화를 위한 일이란 인식을 가졌으면 한다"고 희망했다.

이 자리에는 고인들을 도왔던 자원봉사자들도 함께 했다.

나눔의집에서 5년간 일하면서 배춘희 할머니와 함께 했다는 무라야마 잇페이(34)씨는 "전쟁 때 이야기를 들려주시고 노래를 좋아하시던 분으로 기억한다"며 "당시 많이 힘들고 아프셨던 마음을 나눠주셨다. 그런 마음을 나누는 할머니들에게 고맙다"고 추모했다.

추모사가 끝난 후에는 길원옥 할머니와 김복동 할머니를 시작으로 헌화식이 거행됐다. 길 할머니는 추모의 마음을 담아 장갑을 벗고 차디찬 바람에 새빨개진 맨손으로 분홍색 꽃을 제단 위에 놓았다. 

헌화식에는 준비된 100송이의 꽃을 번갈아 쓸 정도로 시민들의 행렬이 줄지었다. 한 여고생은 입을 굳게 다문 채 눈물을 흘리기도 했다. 

추모식이 끝난 후 한 여고생은 수줍은 표정으로 할머니들에게 다가가 직접 그린 그림을 선물했다.

성남시 불곡고등학교 백승연(16·여)양은 "소녀가 할미꽃을 들고 눈을 감은 채 생각하는 그림을 그렸다. 슬픈 추억을 가진 소녀의 마음을 표현했다"며 "새해에는 시위가 열리지 않도록 일본 정부와 우리 정부가 문제를 잘 해결했으면 좋겠다"고 말했다. 

2010/12/24

ファン・ハルモニの寄付【奨学金】計1億ウォンに



このような美談は素直に流すべきなのだろうが、慰安婦の寄付(資産状況)の問題は、 彼女たち(ファン・クムジャについては分からないが)のバックについている挺対協が彼女たちの代理人と称して日本政府に「賠償金」を要求しつつ、その遺産を寄付として受け取っているという現実と、日本の一部の国会議員が「金銭的補償」に熱心であることを踏まえて注目してきた。

ファン・クムジャの寄付の話を取り上げたのは昨年に続き二度目。

この状況でも、なぜああまでして「金銭的補償」にこだわるのか?岡崎トミ子は「被害者の名誉と尊厳の回復のため」と繰り返していたが・・・。



慰安婦ハルモニ、政府補助金などを節約して3000万ウォンを奨学金に

ソウル、江西区(カンソグ)は24日ファン・クムジャ(86)ハルモニが日本軍慰安婦生活安定支援金と国民基礎受給者生計費などを惜しんで貯めた3000万ウォンを寄付してきたと明らかにした。 ファン・ハルモニが区に奨学金を寄付したのは今回で三度目に、2006年に4000万ウォン、2008年に3000万ウォンなど計1億ウォンだ。

ファン・ハルモニは現在の江西区、登村洞(トゥンチョンドン)永久賃貸アパートで一人で生活しており、毎月支援される慰安婦生活安定支援金(約130万ウォン)と国民基礎需給界生計費(約36万ウォン)等を惜しんで奨学金にと寄付したと区は伝えた。

1924年咸鏡道(ハムギョンド)で生まれたファン・ハルモニは13才の時道を歩いていて日本の巡査に捕まってガラス工場に引きずられて行った(連行?)後また間島(カンド)地方に移り慰安婦生活で苦痛を受けた。

解放後、故国に帰ってきたファン・ハルモニは、カジョンブサリをしたり古物を拾って売って生活し、1994年登村洞賃貸アパートに定着した。 慰安婦生活の衝撃で苦痛を受けたハルモニは結婚の代わりに養子を育てたが、それまで10才の時失う痛みを経験しなければならなかった。

生涯を一人で暮らしてきたハルモニは「お金でもなければならない」という気持ちで政府補助金などをあくせく貯めた。 そのようにしてむやみにお金を貯めたファン・ハルモニは健康が悪くなるとすぐに実の息子のように過ごしたある福祉社の勧誘を受けて2006年から奨学金寄託を始めた。

ファン・ハルモニは「慰安婦生活は二度と考えたくない程苦痛だが、その代価で受けたお金は意味ある所に使わなければならないと考えた」と話した。

ファン・ハルモニが寄託した1億ウォンは(財)江西区奨学会で引き受け、毎年難しい大学生に奨学金で支給される。 江西区(カンソグ)は27日午後4時区庁庁長室でファン・ハルモニが参加して奨学金寄託式を開く予定だ。

世界日報2010.12.24



정부보조 생계비 모아 장학금 ‘기부 천사’

[세계일보]위안부 할머니가 정부 보조금 등을 절약해 3000만원을 장학금으로 내놨다.

서울 강서구는 24일 황금자(86·사진) 할머니가 일본군 위안부 생활안정지원금과 국민기초수급자 생계비 등을 아껴 모은 3000만원을 전달해왔다고 밝혔다. 황 할머니가 구에 장학금을 전달하기는 이번이 세 번째로 2006년 4000만원, 2008년 3000만원 등 모두 1억원이다.

황 할머니는 현재 강서구 등촌동 영구임대 아파트에서 혼자 생활하고 있으며, 매달 지원받는 위안부 생활안정지원금(약 130만원)과 국민기초수급계 생계비(약 36만원) 등을 아껴 장학금으로 전달했다고 구는 전했다.

1924년 함경도에서 태어난 황 할머니는 13살 때 길을 걷다 일본 순사에게 붙잡혀 유리공장으로 끌려간 뒤 다시 간도 지방으로 옮겨가 위안부 생활로 고통받았다.

광복 후 고국에 돌아온 황 할머니는 가정부살이를 하거나 고물을 주워 팔며 살아오다 1994년 등촌동 임대아파트에 정착했다. 위안부 생활의 충격으로 고통받던 할머니는 결혼 대신 양자를 키웠지만 그마저 10살 때 잃는 아픔을 겪어야 했다.

평생을 혼자 살아온 할머니는 ‘돈이라도 있어야 한다’는 마음으로 정부 보조금 등을 악착같이 모았다. 그렇게 무작정 돈을 모은 황 할머니는 건강이 나빠지자 친아들처럼 지내던 한 복지사의 권유를 받고 2006년부터 장학금 기탁을 시작했다.

황 할머니는 “위안부 생활은 두번 다시 생각하고 싶지 않을 만큼 고통스럽지만, 그 대가로 받은 돈은 의미 있는 곳에 써야겠다고 생각했다”고 말했다.

황 할머니가 기탁한 1억원은 (재)강서구장학회에서 맡아 매년 어려운 대학생에게 장학금으로 지급된다. 강서구는 27일 오후 4시 구청 청장실에서 황 할머니가 참석한 가운데 장학금 기탁식을 열 예정이다.

안용성 기자

2010/12/27

慰安婦生活で指が曲がる【ファン・クムジャ】収入の内訳



ファン・クムジャ(グムジャ)の寄付を伝えるニュースだが、前回のエントリーとかわって、こちらは日本語記事がソースなので、機械翻訳より情報としての精度は高いだろう。改めて彼女の収入の内訳が垣間見できる。

80歳を超えても「古紙を集めて売り、生計の足しにしてきた」というから、働き者で倹約家であることは事実なのだろうし、それを寄付したというのも美談ではあるのだろう。しかし・・・

元慰安婦を対象とした生活安定支援金136万ウォン(約9万8000円)と、生活保護費36万ウォン(約2万6000円)を受け取っている。家族がいないファンさんは、洞事務所(区の出張所)が運営する、自宅近くの無料給食施設で三度の食事を取っている。

という話を読むと困惑を禁じ得ない。生活安定支援金とは年額なのだろうか、それとも月額なのだろうか?これが月額だとすれば、最大で14万円に満たない東京特別区の生活保護と殆ど変らない。

いくら倹約家と言っても、2年おきに217~290万円(3~4千万ウォン・現在のレートで計算)の寄付が出来るというのは、ちょっと一般の日本人の慰安婦に対するイメージを変えてしまうのではないだろうか?

過去の話にしても、慰安婦問題に興味を持ってから娼婦のノンフィクションを読むようになったが、特有の職業病として子どもが出来にくい体質になる、性病による後遺症と言った話はよく目にしたが、指がつぶれるという話は聞いたことがない。

彼女の場合は、「日本兵に軍靴で踏み付けられたため、節々がよじれたり、つぶれたりし、無傷な指は1本もない」という有様だという。普通は部屋の中では靴は脱ぐはずだから(慰安婦が脚絆を巻いてくれたという証言もあれば、時間がないから靴はそのままと言われたという話もあるにはある)、どういう状況でそんな目にあったのか分らない。日本軍では、日常的に慰安婦を拷問していたという事なのか?

日本統治下の朝鮮半島で警察に捕まったというから、事実とすれば「強制連行」説を裏付ける貴重な証言者であるということになるのだが・・・。




旧日本軍の従軍慰安婦だったファン・グムジャさん(86)は、ソウル市江西区登村洞の狭いアパートに、17年にわたって住んでいる。30年ぶりの寒さというここ数日間、部屋の床は足がしびれるほど冷たいが、ファンさんは暖房費を抑えるため、部屋の中でも厚いジャンパーを着用している。  ファンさんは政府から、元慰安婦を対象とした生活安定支援金 136万ウォン(約9万8000円)と、生活保護費36万ウォン(約2万6000円)を受け取っている。家族がいないファンさんは、洞事務所(区の出張 所)が運営する、自宅近くの無料給食施設で三度の食事を取っている。アパートの家賃は月に7万ウォン(約5000円)、電気・ガス・水道の料金は3万ウォ ン(約2200円)前後で、小遣いを除いた約25万ウォン(約1万8000円)はすべて銀行に預金している。昨年までは古紙を集めて売り、生計の足しにし てきたが、体調が悪化したため辞めた。

ファンさんは、こうしてためた3000万ウォン(約216万円)を、生活が苦しい大学生のための奨学金として、今年も江西区へ寄付した。2006 年に4000万ウォン(約288万円)を寄付して以来、08年に3000万ウォンを寄付したのに続き、3回目となる。寄付した額をすべて合わせれば1億 ウォン(約720万円)になる。

咸鏡道(現・北朝鮮地域)で生まれたファンさんは、13歳ぐらいのときに日本の警察官に捕まり、興南(現・咸鏡南道咸興市)のガラス工場へ連れて いかれて3年間働き、その後、日本軍の慰安婦として間島(旧満州〈現・中国東北部〉の韓民族〈朝鮮民族〉居住地域)へ連れていかれた。このときに健康状態 が悪化し、その後たびたび病気に苦しめられただけでなく、周囲から仲間外れにされた。夜になれば誰かが部屋のドアをたたくような幻聴に苦しめられ、また制 服姿の高校生たちを見れば、旧日本軍の兵士かと思い込み、恐怖にさいなまれてきた。ファンさんの手の指は慰安婦時代、日本兵に軍靴で踏み付けられたため、 節々がよじれたり、つぶれたりし、無傷な指は1本もない。

ファンさんは、「わたしは国を失った民として、不幸な人生を送ってきたが、若い学生たちには幸せになってもらいたい」と話した。その平凡ながらも 痛切な願いは、ファンさんがどれだけ過酷な日々を耐えてきたかを物語るものだ。ファンさんが寒い部屋で我慢しながら、4年間にわたって提供してきた寄付金 は、正月に海外旅行へ出掛ける人たちだけでなく、子どもの家庭教師の費用も払えないほど生活が苦しい人たちも含めたすべての国民に、「決心さえすれば何で もできる」ということを物語り、そして実践を促すものだ。

朝鮮日報2010.12.27

2011/07/17

表彰される慰安婦



元日本軍慰安婦ファン・クムジャとイ・オクソンが李明博大統領から表彰された。財産を公共の福祉の為に寄付した功績が認められた。ファン・クムジャの寄付のニュースに関しては以前のエントリー参照。



李明博大統領が15日大統領府で開かれた「分かち合いと奉仕の主人公褒賞」の行事で生涯に集めた財産1億ウォンを寄付した日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ氏に国民勲章椿章を歩いてくれている。 イ大統領はこの日行事で「分かち合いと奉仕の美しい香りが全国津々浦々に広がることを願う」と明かした。 褒賞受賞者は国民勲章7人、国民褒章9人、大統領表彰5人、国務総理表彰3人...

이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 ‘나눔과 봉사의 주인공 포상’ 행사에서 평생 모은 재산 1억원을 기부한 일본군 위안부 피해자 황금자씨에게 국민훈장 동백장을 걸어주고 있다. 이 대통령은 이날 행사에서 “나눔과 봉사의 아름다운 향기가 전국 곳곳에 퍼지기를 바란다”고 밝혔다. 포상 수상자는 국민훈장 7명, 국민포장 9명, 대통령 표창 5명, 국무총리 표창 3명이다. 최고 등급인 국민훈장 무궁화장은 아프리카 수단에서 의료봉사활동을 펼치다 지난해 숨진 고 이태석 신부에게 돌아갔다.


イ・ミョンバク大統領が15日大統領府で開かれた国民が直接選んだ「分かち合いと奉仕の主人公」褒賞式および昼食会で、日本軍慰安婦被害者で2千万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付したイ・オクソン(81)ハルモニに国民褒章を授与している。




박동욱 기자 = 이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 국민이 직접 뽑은 '나눔과 봉사의 주인공'포상식 및 오찬에서 일본군 위안부 피해자로 2천만원을 보은군민장학회에 기부한 이옥선(81) 할머니에게 국민포장을 수여하고 있다.




イ・オクソンに関して、先月のニュースから・・

家の前の門に太極旗を掲揚して愛国精神を強調して有名税をせい減らしたイ・オクソン(女・81・写真・報恩郡(ポウングン)、俗離山面(ソンニサンミョン)社内リ)氏が政府褒賞国民推薦国民褒章受賞者に選ばれた。

国民推薦褒賞制は難しい環境で奉仕と寄付、先行を持続実践した隠れた功労者を国民の手で発掘して政府次元で褒賞するために導入した制度だ。 イ氏は日本軍慰安婦被害者で政府の基礎生活需給金と女性部が慰安婦被害者にあたえる生活安定支援金などを節約して一生集めた全財産2000万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付した。

イ氏は幼い時難しい生活環境で学習の夢をあきらめなければならなかっただけでなく慰安婦被害によってひっそりと静まって生涯を生きていくべきである痛みがあったが“国が富強にするなら人材を育てなければならなくて、それでもう二度と国を失う不幸がないように人材を育てなければならない”面人材養成に強い情熱を現わした。

今でもイ氏は学習に対する情熱で読書と文を書くのに熱中するなど学習を継続している。

집 앞 대문에 태극기를 게양하며 애국정신을 강조해 유명세를 탓던 이옥선(여·81·사진·보은군 속리산면 사내리)씨가 정부포상 국민추천 국민포장 수상자로 선정됐다.


국민추천 포상제는 어려운 환경에서 봉사와 기부, 선행을 지속 실천한 숨은 공로자를 국민의 손으로 발굴해 정부 차원에서 포상하기 위해 도입한 제도다. 이씨는 일본군 위안부 피해자로 정부의 기초생활수급금과 여성부가 위안부 피해자에게 주는 생활안정지원금 등을 절약하여 평생 모은 전 재산 2000만원을 보은군민장학회에 기부했다.


이씨는 어린시절 어려운 생활환경으로 배움의 꿈을 접어야 했을 뿐만 아니라 위안부 피해로 인해 남몰래 숨죽여 평생을 살아가야 하는 아픔이 있었지만 “나라가 부강하려면 인재를 키워야 하고, 그래서 두 번 다시 나라를 잃는 불행이 없도록 인재를 키워야 한다”면 인재양성에 강한 열정을 나타냈다.


지금도 이씨는 배움에 대한 열정으로 독서와 글쓰기에 열중하는 등 배움을 이어가고 있다.

東洋日報 2011.6.29

2011/02/01

ハルモニに国務総理が感謝の訪問




元慰安婦であったファン・クムジャが計一億ウォンを奨学金として区に寄付をした話は、以前のエントリーをご覧ください。今回は韓国の国務総理大臣が感謝の意を伝える為にファンの元を訪れた。

キム・ファンシク国務総理が31日の午後、ソウル、江西区登村洞の日本軍慰安婦被害者日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ・ハルモニの自宅を訪れ、奨学金の寄付に対する感謝の気持ちと慰労を伝えている。

Daum2011.1.31

박종민 기자 = 김황식 국무총리가 31일 오후 서울 강서구 등촌동 일본군 위안부 피해자 황금자 할머니 댁을 방문, 장학금 기탁에 대한 감사의 뜻과 위로의 말을 전하고 있다.

2013/01/20

韓国人慰安婦の3~4割が「償い金」を受け取っていた

ファンは実は大人しい人物だった?
活動家に利用された慰安婦

激高した女性活動家とはユン・ミヒャンの事だろうと想像されるが、10年前に産経のソウル支局を訪れた慰安婦とは誰だったのか?今月3日に亡くなったファン・クムジャだろうか?ファンはカメラの前では派手なパフォーマンスで有名だったから、所在無げな様子だったとすれば少々意外である。挺対協が引っ張り出してくる慰安婦とすれば候補は多くないはずなのだが・・・。

黒田が言うように、慰安婦たちは利用されていると見るべきだろう。そして支援団体こそが、今も昔も問題解決の最大の障害であった。

236人中61人ならば25%という事になるが、黒田の計算は償い事業が行われていた当時の登録者数に基づいているのだろう。韓国人慰安婦の3割から4割が、支援(!)団体の激しい妨害工作にも関わらずアジア女性基金から「償い金」を受け取っていたという現実をどう考えるかだが・・・。

こんな写真が美談として報じられた事も(2012.7)

公道上に不法に設置されながら、当局が撤去させられずにいる日本大使館前の慰安婦像について、大使館警備の警察官までテレビで堂々と慰安婦像を守ると宣言しているというから、これでは当局も手が出せないはずである。

ソウル・黒田勝弘 対日強硬派、解決阻む

ソウルの日本大使館玄関前に反日団体が置いた慰安婦記念像が、昨年12月で設置1年になった。今や“反日名所”として日本人を含め内外の見学者が絶えない。1周年で記念イベントなど盛り上がりが予想されたが、大統領選で関心がそがれ比較的静かだった。

それでもマスコミは、テレビなどが特集をやっていた。韓国に抗議する日本人による嫌がらせ的パフォーマンスがあったといって「受難の少女像」などと、反日番組に仕立てたものだったが、大使館警備の警官への現場インタビューで「元慰安婦のおばあさんたちは気の毒だ。日本が憎い。記念像はしっかり守ります!」などと言わせていた。

火炎瓶やトラック突入など“反日テロ”から大使館(外国公館)を守るというのではなく、無許可・不法施設の慰安婦像の方を守るというのだ。

現場の警官に平気でそんなことを言わせ、それをテレビで堂々と放送するのだからすごい。相変わらず日本非難なら何でもありだ。

季節のせいだろうか、年末から年初にかけ老齢の元慰安婦2人の死亡がニュースになっていた。彼女らは反日支援団体とマスコミによって今や「抗日独立運動功労者」並みの扱いだから、新聞には顔写真付きで必ず死亡記事が掲載される。

その一人は今から10年ほど前、支援の女性活動家に連れられ産経新聞ソウル支局に抗議に来たことがある。筆者が日本で出版した著書(文春新書「韓国人の歴史観」)が問題だというのだ。「旧日本軍将兵のために苦労した元慰安婦に対し現代の日本人の一人として述べる言葉があるとすれば『感謝と慰労』だと思う」と書いた部分がケシカランという。

抗議は「感謝と慰労では日本に協力したということになるから認められない。あれは強制だった」といって聞かないのだ。

しかし、激高する女性活動家をよそに、元慰安婦の老女は所在なげで論争には加わらなかった。圧力材料(?)として連れてこられたように見えた。以来、支援団体は老女たちを率いて10年以上、日本大使館前で毎週デモを続けている。

ところで最近、慰安婦問題をめぐって1995~2007年に日本の官民合同で設立、運営された「アジア女性基金」への再評価論が出ている。基金は韓国をはじめ、各国の旧日本軍関連慰安婦に対し「償い事業」を行った。当事者には慰労金や「おわびと反省」の首相書簡を伝達したのだが、韓国で批判が強く事態解決にはつながらなかった。

韓国政府に登録され生活支援を受けてきた元慰安婦は236人。その後、高齢で多くが死亡し現在、58人しか残っていない。

このうち基金の支援を受けとった人数はこれまで非公表だったが、実際は61人いたことが分かった(日本大使館筋)。基金を推進した和田春樹・東大名誉教授は後に「過半数には及ばなかった」と振り返っているが、実際は、当時の30~40%が日本の措置に賛同していたことになる。

基金からの支援を受け取った元慰安婦たちは支援団体から村八分的に排除された。人道支援を拒否し、あくまで日本政府に対する「法的(国家的)謝罪」と「国家補償」を執拗(しつよう)に要求する現在の運動は、残った拒否者と支援団体で続けられた。対日強硬派の支援団体が問題解決の大きな障害になっていることが分かる。

産経 2013.1.19

2016/07/03

「慰安婦の日」イベント化で既得権化狙う (グレンデール)

市のイベントとして定着すれば少女像も安泰?

グレンデール市が「朝鮮人慰安婦」の日を制定して数年になる。その朝鮮人慰安婦の日(「朝鮮人慰安婦」という所がミソ)を有名にする為に、プロのイベントプランナーがこれを市の行事にしようと考えた。今や市の4大イベントになったと誇らしげなのが、芸術監督を務めるイベント・プランナー、チョン・ヘヨン。彼女の肩書を見ると、地元の韓国系アメリカ人が、というより韓国人がアメリカで工作しているような印象を受ける。

彼女がここまで熱心なのは、不安を感じているからでもあるらしい。アメリカ(の公共の場)にこれ以上「少女像」を建てるのは難しいと彼女も感づいている。最近は色々と情報がアメリカ人の耳にも届くようになり、反日プロパガンダが以前ほど効かなくなってきたのではないか。GAHTによる訴訟も効いて来ているようで、住民の中には訴訟の為に税金が使われていることを快く思っていない人もいると、彼女は認めている。

彼女はそこで、「朝鮮人慰安婦の日」をグレンデール市のイベントとして定着させる事により、慰安婦問題の永続化、ひいては「アメリカ唯一の」慰安婦像を永遠のものにしようと考えている。その為に韓国社会の支援が必要だと彼女は訴えている。今も韓国文化芸術委員会を利用して資金集めをしている。

「グレンデールの慰安婦少女像は歴史的事実の最前線

「韓日慰安婦合意が歴史の真実を隠す免罪符になってはいけません。すべての過ちと負債が清算されたという意味でなく歴史的真実を明確にし、その痛みを治癒する出発点にならなければなりません」

アメリカのカリフォルニア州、グレンデール市で今年で5回目になる「慰安婦の日」文化イベントを準備中のチョン・ヘヨン芸術監督(43)の바람だ。 このイベントは来月(7月)の18日から8月の3日までアメリカで行われる。10月には韓国でも開かれる計画だ。

チョン監督は「少女像を撤去しようとする日本側の意図に対抗して辛い歴史を知らせる努力をするのは当然」としながら「グレンデール市の少女像は公共の場に建てられたアメリカ唯一の少女像であり、私たちが絶対に守らなければならない」と語った。

チョン監督がイベントをプロデュース(総括企画)するのは今年が三回目だ。彼女がイベントを企画することになったのは偶然だった。jeon監督は2014年1月、知人に誘われて韓国人イベントに参加してグレンデール市中央公園を立ち寄った。アメリカの下院外交委院長だったエド・ロイスが献花する最中だった。慰安婦だったファン・クムジャお婆さんが亡くなった日でもあった。献花を終えたロイス委員長は、日本の報道機関のインタビューに応じて「日本は心から謝らなければならない」と厳しく批判した。

これを見たチョン監督は、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。 彼女は「外国人が韓国の辛い歴史を語り加害者の過ちを叱責するのに、韓国人である私が手をこまねいているのが恥かしかった」と打ち明けた。

グレンデール市は2012年に慰安婦の日を宣言した。ほぼ同じ時期、グレンデールの日系人市民と日本の右翼が協力して少女像の撤去を求めて訴訟を起した。jeon監督は「もう私がやらなければいけない」として血が煮えたぎる思いだった。情熱を感じた。

彼女は「日本側は、公共の場に自分たちの過去の過ちを掘り起こすモニュメントが設置された事実に耐えられなかった」とし「日本側の強力なロビーで、アメリカの他の場所にこれ以上少女上の設置する事が出来ないのが現実」と語った。

これを契機にチョン監督は「慰安婦の日」をより広く知らしめるための文化イベントを市に提案し、市がこれを受け入れた。

チョン監督は2014年から「正しい事をなせ(Do the right thing)」という題で文化イベントを企画している。 韓国とアメリカと中国の現代美術家が慰安婦関連の歴史のみじめさを知らせるアートを展示した。2014年と2015年の慰安婦の日には1400人余りがイベントに参加する成果もおさめた。 アメリカの下院議員も相当数イベントに参加して「日本の心からの謝罪を促す」という内容の声明を発表した。

彼女が企画したイベントは、グレンデール市が主催する4大イベントになるまで大きくなった。また、昨年2月には米カリフォルニア州1審裁判所が日本側が提起した少女像の撤去訴訟を棄却する成果もおさめた。

しかしチョン監督はこの先のことを心配している。日本側は少女像撤去のための訴訟を最高裁まで持っていくと見られるが、訴訟費用としてグレンデール市の予算数百万ドルが必要とされるからだ。 jeon監督は「訴訟に税金が使われる事を受け入れ難い市民がいるのは明らか」としながら「彼らを納得させるためにも、文化イベントは続ければならない」と明かした。

チョン監督は韓国文化芸術委員会の<芸術の木(artistree.or.kr)>を通じ、今月末までクラウドファンディングを行っている。 アメリカのイベントでは、今まではアメリカ僑胞(海外在住韓国人)など現地の後援支援金と寄付金で維持されていたが、もう韓国国民の役割も必要だと思うからだ。 jeon監督は「少女像が無くならないよう、韓国民の継続的な関心が必要だ」と訴えた。jeon監督は釜山ビエンナーレの(?)中国アーティストコーディネーター、文化体育観光部障害者創作アートフェアの芸術監督など多くの国際交流展示と文化イベントを手がけたキュレーターだ。 現在の同徳女子大(?)の造形研究所責任(?)研究員として講義をしながら独立プランナーとして活動している。

毎日経済 2016.6 [2]

"글렌데일 위안부 소녀상은 역사적 진실의 최전선"

"한·일 위안부 합의가 역사적 진실을 은폐하는 면죄부가 돼서는 안 됩니다. 모든 과오와 빚이 청산됐다는 뜻이 아니라 역사적 진실을 분명히 하면서 그 아픔을 치유하는 출발점이 돼야 합니다."
미국 캘리포니아주 글렌데일시에서 올해로 5회째 열리는 '위안부의 날' 문화행사를 준비 중인 전혜연 예술감독(43)의 바람이다. 이 행사는 다음달 18일부터 8월 3일까지 미국에서 진행한다. 10월에는 한국에서도 선보일 계획이다. 
전 감독은 "소녀상을 철거하려는 일본 측 의도에 맞서 쓰라린 역사를 알리는 노력은 당연한 일"이라며 "글렌데일시의 소녀상은 공공용지에 건립된 미국 내 유일한 소녀상으로 우리가 반드시 지켜야 한다"고 말했다.
전 감독이 행사를 총괄 기획하는 것은 올해가 세 번째다. 그가 행사를 기획하게 된 것은 우연이었다. 전 감독은 2014년 1월, 지인 초청으로 한인행사에 나섰다가 글렌데일시 중앙공원을 들렀다. 미국 하원 외교위원장이던 에드 로이스가 헌화하던 중이었다. 위안부였던 황금자 할머니가 돌아가신 날이기도 했다. 헌화를 마친 로이스 위원장은 일본 언론과 인터뷰를 하며 "일본은 진심으로 사과해야 한다"고 날선 비판을 했다.
이를 지켜본 전 감독은 머리를 망치로 얻어맞은 듯한 충격을 느꼈다. 그는 "외국인이 한국의 아픈 역사를 이야기하며 가해자의 잘못을 질타하는데, 정작 한국인인 나는 수수방관하고 있어 부끄러웠다"고 털어놨다.
글렌데일시는 2012년 위안부의 날을 선포한 바 있다. 때마침 비슷한 시기 일본계 글렌데일 시민과 일본 우익이 힘을 합쳐 소녀상 철거를 위한 소송을 제기했다. 전 감독은 "이제 내가 나서야 한다"며 피가 끓어오르는 열정을 느꼈다.
그는 "일본 측은 공공용지에 자신들의 과거 잘못을 들춰내는 상징물이 설치됐다는 사실을 견디기 힘들었을 것"이라며 "미국 내 다른 지역에는 일본 측의 강력한 로비로 더 이상 소녀상 설치가 불가능한 게 현실"이라고 말했다.
이 일을 계기로 전 감독은 '위안부의 날'을 보다 널리 알리기 위한 문화행사를 시에 제안했고, 시가 이를 받아들였다.
전 감독은 2014년부터 '올바른 일을 하라(Do the right thing)'라는 주제로 문화 행사를 기획하고 있다. 한국·미국·중국 현대미술가들이 위안부 관련 역사의 참담함을 알리는 미술 작품을 전시했다. 2014년과 2015년 위안부의 날에는 1400여 명이 행사에 참여하는 성과도 거뒀다. 미국 하원의원들도 상당수 행사에 참석해 "일본의 진심 어린 사과를 촉구한다"는 내용의 성명을 발표했다.
그가 기획한 행사는 글렌데일시 주최 4대 행사에 포함될 만큼 커졌고, 지난해 2월에는 미 캘리포니아주 1심 법원이 일본 측이 제기한 소녀상 철거 소송을 기각하는 성과도 거뒀다. 
그러나 전 감독은 앞으로가 더 걱정이다. 일본 측은 소녀상 철거를 위한 소송을 대법원까지 끌고 갈 것으로 보이는데, 소송비용으로 수백만 달러의 글렌데일시 재정이 소요되기 때문이다. 전 감독은 "소송에 세금이 쓰이는 것을 받아들이기 힘든 시민들이 분명 있을 것"이라며 "그들을 이해시키기 위해서라도 문화 행사는 지속돼야 한다"고 밝혔다.
전 감독은 한국문화예술위원회 '예술나무(artistree.or.kr)'를 통해 이번달 말까지 크라우드 펀딩을 진행 중이다. 미국 내 행사가 지금까지는 미국 교포 등 현지 후원금과 기부금으로 유지됐지만 이제는 한국 국민의 역할도 필요하다고 믿기 때문이다. 전 감독은 "소녀상이 사라지지 않도록 한국민들의 지속적인 관심이 필요하다"고 호소했다. 전 감독은 부산 비엔날레 중국 작가 코디네이터, 문화체육관광부 장애인 창작아트페어 예술감독 등 다수의 국제교류 전시와 문화 행사를 진행한 큐레이터다. 현재 동덕여대 조형연구소 책임연구원으로 강의를 하면서 독립기획자로 활동 중이다.

2014/05/19

豪州韓国人会「慰安婦像で日本を孤立させる」

ス市では慰安婦像を巡ってタウンミーティングが開かれた(4月)

オーストラリア在住日本人向けの生活情報誌のこの記事は日本談児さんに教えて頂いた。丁寧な質問は、取材者が慰安婦問題を良く勉強している事を示しているし、オーストラリアで慰安婦像設置運動を先導している人々の本質を上手くあぶり出している。

慰安婦像(三姉妹像)の設置運動を先導している現地の韓国人会会長の側近は、「両国(日韓)の明るい未来」などと綺麗ごとを言いながら、「日本人特有の嘘」などと日本人に対する人種偏見丸出し。慰安婦像で日本を全世界から孤立させると言っている。

からゆきさんについて薀蓄を垂れる様子はしっかりと理論武装してきたという自信の表れなのだろうが、皮肉なことに、

「文無しののらくらが・・・普通の家庭の女の子たちを拉致して、海外に売り始めました。・・・堂々と親の許可で連れて行ったケースも多かったようです。貧乏の家に口数を減らすため、後で金をたくさん稼いで送金してもらうと言えば、反対する親は特にいなかったわけです。・・・女の子たちは、自分も唐人行になってお金を稼ぎたいと夢をみるようになりました。親を説得して連れて行くのが難しい家庭では、誘拐ないし拉致をして国から売り出していました」

・・・そのまま主語を(朝鮮人)慰安婦に変えても通ずる(日本人慰安は、比較的年齢が高かったと言われている)。記者が、軍票が無価値になってしまった為に結果的に(!)給料を貰えなかったのではないかと訊ねると、「100%そのケースでしょう」と答える辺りは、漫才である。

ファン・クムジャ(故人)を知らないとはモグリ?

水曜デモで活躍したファン・クムジャ(故人、晩年は認知症を患っていた)を知らなかったり、韓国の家庭を聴き取り調査した結果20万人の強制連行(日本政府による動員)が裏づけられたと思い込んでいたりと、肝心の慰安婦問題についてはまるで無知であることを露呈。故国でヘイト教育に洗脳された移民一世が反日ネタに飛びついただけ。

設置運動のもう一方の牽引役である中国系も「アウン・サン・スー・チー氏の写真を示し『この日本人女性も日本の非を反省しているだろ』と得意顔」だったそうだから、こちらもかなりお粗末。

韓国人会会長宋錫準(ソング・ソクジュン)さんの最側近の人物に、慰安婦像設置の可能性を問う

下記は宋錫準(ソング・ソクジュン)会長様へ対しての質問になります。失礼に当たる内容もあるかもしれませんが、公平な立場を持って原稿を仕上げたいと考えておりますので、前向きにご回答いただければとお伝えください。

両国の明るい未来のために役に立つことならいつでも声をかけてください。両国の真情なる和解の上に共存同栄できることなら、なんでも躊躇なしにやりたいと存じます。

まず、おふたりはどのような関係なのでしょうか。

私は会長の最側近であり、31年前の豪州入国同期生に、同じ英語学校の同期生です。今回は会長に代わって私が代弁をしますが、内容に関しては会長にも確認をとりますので、会長の同意のもとの返答となります。


今回なぜオーストラリアに慰安婦像を建設することになったのでしょうか。その理由をお聞かせください。

韓国人なら世界どこに住んでいても過去史歪曲、強制慰安婦の存在否定、その他あらゆる妄言を次から次へと並べる日本の政治家らをこれ以上許してはいけないという強い思いで、日本にはっきり伝達しないといけなくなったわけです。米国グレンデールでの銅像建立に伴われた一連の日本側のさまざまな妨害工作(米国議員ら、市長などに日本国会議員ら、企業人、日本大使などによる投資撤回などの脅迫、経済制裁など嫌悪感を持たせる卑劣な工作振り)に呆れて、世界中の人々に日本の過去と現在の蛮行を広く知らせるためです。


建設予定地はどこでしょうか。またいつ頃を予定していますか?

シドニー市内の中心地と、韓人タウン内(ストラスフィルード内建設予定)、および豪州全国の10箇所を予定しております。

日本側は一般的には、『韓国との請求権、経済協力協定』ならびに『サンフランシスコ平和条約』にて、韓国への謝罪および賠償責任は済ませたといった認識を持っているようですが、韓国会会長は韓国との請求権、経済協力協定をどのようにお考えでしょうか。 参考資料① 参考資料②

賠償責任は済ましたという発想は、加害者の責任回避本能からの弁明ですが、政府間の協定で日本政府や日本企業による強制や詐欺性連行により、強制売春、死亡、傷害、拷問による被害は国家間の協定で源泉解消できることではありません。韓日政府間協定にそのように書いているとしても、英米法の契約法によれば、公平じゃない契約内容はそれに後で気がついても、無効になるとの趣旨を尊重しています。ですので被害者たちに賠償すべきです。

無効にするためには、公的な手続きをとる必要があると思われますが、実際に韓国政府はなにか無効にするために公的なアクションを行ってきたでしょうか

当時韓国の政府は軍事クーデターで執権した軍政だったので、正統性問題に弱点があり、可能なら早速回りの主要国政府の承認を受けなければならない事情がありました。対日協商においてもハンディキャップがあり、それを看破した日本政府は最大限その弱点を利用して、賠償額を最小限へ減らしました。特に民間人賠償問題は再び挙論しないように韓国政府に圧力をかけました。成功したかどうかはわからないですが、相手側の弱点をついて自分たちの利得を取ったのはとても卑劣な手法として歴史に記録されるでしょう。

『韓国との請求権、経済協力協定』で、韓国政府は「個人への補償は韓国政府が行うので、日本は韓国政府へ一括して支払うべき」とし、現金合計21億ドルと各種現物返還を請求。次の日韓交渉で日本は韓国政府へ一括支払いは承諾したが21億ドルと各種現物返還は拒否し、その後、請求額に関しては韓国が妥協して、日本は前述の記載通り「独立祝賀金」と「発展途上国支援」として無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び融資を行いました。個人への保障は政府が行うとのことでしたが、このとき実際に、慰安婦への保障はされたのでしょうか。参考資料①

あなたの述べた文中で、金額と名目に差異があります。実際は無償3億ドル、有償2億に、工場プラント1億譲与でした。これを当時は3+2+1と読(ママ)んでいたそうですが。日本側がその賠償額を「独立祝賀金」や「発展途上国支援」とか一方的に名づけたものの、韓国側の同意を得たわけではありません。韓国では「対日請求権」と呼ばれたと記憶していますし、慰安婦賠償問題はどちらにも案件に載せてない状態だったようです。

『サンフランシスコ条約』に関しまして、「南北戦争中、勝戦国と日本側がその内容を一方的に決めることになった」というふうにおっしゃっていましたが、この当時の状況はどのようなものだったのでしょうか。 参考資料②

サンフランシスコ条約は日本側だけがうるさく言っていますが、法的な価値は全然ないし、これ以上日本が無理を押し続けても世界中の非難を浴びるだけだと思います。添付しました独島(竹島)に関する資料が韓国外交部の公式立場ですし、歴史的にも無理のない事実であります。下記は独島に関する大韓民国の外交部の公式立場です。ご参考までに。http://www.youtube.com/watch?v=7Ido7y1V0dA

朴正煕大統領はその当時、韓国国民からはどのように思われていましたか?

日本側にほぼ全部取られて譲ったと、国内世論は最悪でした。それに学生たちの「韓日会談無効」を叫ぶデモで日が立ち、デモで日が暮れる毎日でした。朴と金鐘必は国を売った最悪の売国奴として罵倒されていました。

デモを行うこと自体がその会談が一度は成立したことの裏づけとは考えられないのでしょうか。

いいえ。軍事クーデターで執権した正統性のない政権が、国民的な意見聴取なしに急いで一方的に押し付けた合意は、国民の共感なき、いや国民無視の会談結果だったので憤怒したわけです。もちろんそういう結果に賛同できないとはっきり言わないといけないから、デモで反対の意思を表現しないといけなかったのです。

グレンデールの慰安婦像設立のあと、日本人であるというだけで子供たちがいじめにあっているということですが、これについては認識はありますでしょうか。

全然ないことで、日本人特有の嘘だと思っています。韓国人は子供のときから小人輩(心の狭く子供っぽいことをやる度量のない者)にやられたことを同じことで返すと、自分も小人輩になる、との教育ですので、そんなことはしません。逆に日本人がそんなことをやるなら「やはり島国の者だ」と嘲笑うのが韓国人でしょう。

では、いじめがあるないは別にして、建設することで人種を問わず分別のつかない子供たちの間でいじめが起こる可能性は無視できないと思います。現地の日本人と韓国人や中国人同士のトラブルを招くといった発想はお持ちでしょうか。具体的に対応策は考えていますか?

加害者の日本が反省せず、さらには被害者の元慰安婦のお婆さんたちを侮辱ていることを棚に上げて、自分の子供たちにまだ遭ってもないことを想像して叱るなんて、やはり日本らしき手法だと思われるでしょう。対応策も何も日本側がやることをやれば問題は自動的に解決されるはずです。

慰安婦問題に関しまして、双方の国家間はもちろん、国内ですらも意見が対立する中、首脳会談が行われないといった状況で、いまだことの真意も判断できない状況とも言えますが、このタイミングで「20万人の被害者」と記した像の建設に着手するというのは、やや時期尚早という声も上がっているようです。決議に踏み切った理由をお聞かせください。

安部総理をはじめ、右翼自民党の立場は、歴代の総理大臣らが慰安婦に対し、談話を通じて謝罪したことを否定している状況で、日本の蛮行を全世界に知らせて孤立させることで、何が悪かったのかを自ら気づかせるしかないと判断したわけです。常識のあるものなら時期尚早じゃなく晩事之嘆と直すべきじゃないですか?

晩事之嘆とは韓国の言葉でしょうか。

はい、韓国の四字成語です。意味は「遅すぎて怨み嘆く」との意味です。

従軍慰安婦につきまして、当時は儒教が強く、元慰安婦は、処女を失った自分は家族に合わせる顔がない、とひとり孤独に死んでいったという悲しい話を聞きました。行く場所がない人はソウルなどに集まって皆で暮らしていた。またオーストラリアにも、もと慰安婦で生存者がいると伺いましたが、これは本当でしょうか。

韓国人の慰安婦がオーストラリアにいるとは聞いたことがありませんが、オランダ人の元慰安婦のお婆さんがアデレードにお住まいで、数年前シドニーの慰安婦対策委員会の招待でシドニー集会に参加したときに会ったことがあります。その同時に韓国から来た吉の名字のお婆さんがシドニーで証言したときのデモにも参加したこともあります。

シドニーの慰安婦対策委員会とは、どのような活動をされていますか? 吉さんの証言をされたときの状況をお伝えください。

元慰安婦たちを助ける活動です。吉さんは2回ほど委員会の招待に応じてシド二ーに来たことがあります。シティの日本総領事館の前で忌憚大会を開いたとき、被害者として証言したことがあるようです。

1983年に吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という本を出していますが、これはご存知でしょか。吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語っています。一方で『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった。吉田は嘘をついていると語っていると、1989年8月14日同紙に記載されています。これ以降で慰安婦問題が浮上したとも言われているようですが、これに関してはどのように考えていますか? 参考資料③

唐人行さんのことを聞いたことがありますか? 明治維新以降、幕府は人種純化の名目で九州の長崎など外国の貿易船が入出港する所で、西洋人船乗りとの性交を通じて生まれた間の子の女性が多かったんです。幕府は彼女らを海外へ追い出して血統の純粋さを守ると考え、10~20代の女の子らを強制に船に乗せて、韓国(当時は朝鮮)や中国、東南アジアへ送りました。彼女らは技術も才能もありませんでしたが、生存するため外国の港町の酒場で笑いと体を売って生活を営為したようです。彼女らにとって日本は自分を追い出した憎い祖国ですが、それにも関わらず自分の家族たちに売春で稼いだ金銭を送金していたようです。一方それを見ていた文無しののらくらが、今度は混血じゃない普通の家庭の女の子たちを拉致して、海外に売り始めました。もちろん都市の家庭の子の拉致はばれる危険性が高いので、田舎の貧しい家庭を訪ねて8歳から10代の女の子らを収集して海外へ送りました。このときは拉致じゃなく、堂々と親の許可で連れて行ったケースも多かったようです。貧乏の家に口数を減らすため、後で金をたくさん稼いで送金してもらうと言えば、反対する親は特にいなかったわけです。隣の家の人が娘を売ると、海外から送金が届き、土地と新しい家を買っている。それを見ていた周りの女の子たちは、自分も唐人行になってお金を稼ぎたいと夢をみるようになりました。親を説得して連れて行くのが難しい家庭では、誘拐ないし拉致をして国から売り出していました。そういうわけで東南アジアの各国の港町は、日本からの唐人行で売春商売が盛り上がっていたようです。戦争のときは、彼女らが祖国のために募金して日本政府に送った戦費が無視できないほどの金額だったといいます。明治以降、終戦のときまでアジアの各国で商売をしてた唐人行は、大体3万名だったそうです。日本の海外輸出第一号はトランジスタラジオじゃなく、唐人行だといいます。私がこの話をする理由は、戦争のときの慰安婦拉致、誘拐は日本では唐人行のとき既に経験したものの、別に罪意識なしに外国の女たちにやっただけじゃないかということです。日本人が女性拉致や誘拐を罪意識なしに行った理由は、唐人行のとき、すでに予防注射を受けたからじゃないでしょうか。 問題は予防注射を受けた日本が、受けてない他国民に納得しろと言われても納得できるのか、ということです。

なるほど。唐人行のことは分かりましたが、吉田清治に関しては、韓国では認知があるのでしょうか。フィクションの『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』に影響を受けた人間が少なくはなかったのではないでしょうか。

韓国人は日本人の名士はあまり知りません。知るなら侵略の元凶であり、安重根義士に射殺された伊藤博文ぐらいでしょうか?

慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」の作成経緯を政府が検証することになりました。菅義偉官房長官が衆院予算委で検証チーム設置の方針を表明していますが、これについては賛成ですか?
参考資料⑥

安部政権の意図はただひとつ。「河野談話の内容は被虐性変態報告書であり、捏造だ!」と叫んで廃棄するはずです。当然「ショーは止めとけ! 手の裏で太陽が隠せると思うのか」と叱りたいだけですね。

※3月14日の時点で安倍晋三首相は、安倍内閣で見直すことは考えていない」と言明しています。また、慰安婦として従軍した女性に関し「筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む」と語っている。

河野談話は日本の政府見解であるのに、自国民より先に韓国側に通報され、韓国側からの強い提案を受け入れながらその手が加わって成立したと日本国内では言われています。韓国ではどのように言われていますか。

初耳です。きっと日本国内用の世論造作でしょう。

韓国側から修正要求はなかったという解釈が韓国国民にはあるのでしょうか。

充分ではないけど歴代日本政治家の一貫した反省なしの態度と比べて、ある意味で韓国民の目には新鮮に映ったことはあると思います。

慰安婦問題につきまして、ポイントとなる箇所は、『強制』であったかどうかという点だと察しますが、オーストラリアに慰安婦像を建設するということで、説得力のある説明および証拠が不可欠だと思うのですが、物的証拠などの一部で今回提出する予定のものは開示できますか?

証拠は今まで数え切れないほど見せました。日本の右翼政権には何の証拠を目の前に出しても信じません。彼らには真実なんかどうでもいいのでしょう。元慰安婦らが一人も残らずに死ぬまでは、証拠も証拠じゃなく、証人は証人じゃないといい続けるのではないでしょうか。

証拠といえば、1944年に米軍によって行われた聞き取り調査をもとに、制作された公文書がありますが、そこには『強制』が、当時の慰安婦募集のさいには存在しなかったことが記されています。『雇用された』、『給料が出ていた』ようなことも書かれていますが、これはご覧になられましたか? 参考資料⑤  

初耳です。その米軍がどんな経緯でそういう調査をしたのかを先に調査すべきであります。隠蔽に命をかけてる人たちには手段と方法を区分せずになんでもやるはずです。

当時ビルマのミートキナを制圧した米軍が、捕らえた韓国人慰安婦20人に尋問した記録をまとめた公文書です。証拠価値が高いのは、当時敵対していたアメリカの公文書ということと、別に訴訟のためのものではないから、変な誘導尋問をしているわけではなく、客観性がかなり高いからです。もっともこれが全貌を示すものと言うことはできませんが

一方で慰安婦の方々には『苦痛軽減のため「女性のためのアジア平和国民基金」を通じて償い金を支払い、当時の橋本内閣総理大臣および歴代の総理大臣も連名でおわびの手紙を送っている』と、日本政府の菅義偉官房長官が3月6日、ジュネーブでの国連人権理事会で話しています。2007年で一部幕を閉じたものの、デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」で、永久的にその当時の行為に謝罪しております。これについてはどうお考えでしょうか。 参考資料⑦ 参考資料⑧ 

聞いた話では「日本の民間で募金して被害者たちに払おうとの計画があったようですが、被害者らの反応は冷たかったそうですね。なぜなら金額の大小を問わず、日本政府に謝罪と賠償を要求しているのに、なぜ民間人団体が募金するのか、われらは乞食じゃないといった憤りだったと聞きました。

慰安婦に支払われたお金は軍用手票でしたか? それとも日本通貨だったのでしょうか。

軍票だと聞きました

それら軍票が敗戦と同時に反故になり、慰安婦たちが結果的に給料を貰えなかったという状況に追い込まれたという可能性はありますか?

100パーセントそのケースでしょう

※やはり慰安婦には給料が支払われていたということなのだろうか。そして反故したから結果的に貰っていないと証言しているのだろうか。

世界中で強制連行をした、という証拠がいくらでもあるという風に聞きましたが、どのようなものがあるのでしょうか。今回紙面で比較するために掲載したいのですが一部をお借りすることは可能でしょうか。

新聞に頻繁に発表されていますが、同じく日本は一貫して造作だと叫んで終えましたね。

ではその新聞のコピーなどはありますか? ひとつだけでいいですので、お送りいただけますか?

これが参考になるでしょうか。
http://megalodon.jp/2014-0519-2025-05/news.hankooki.com/ArticleView/ArticleView.php?url=world/201401/h2014011810114122470.htm&ver=v002

従軍慰安婦 「黄錦周」(ファン・クムジュ)さんの証言は、時と場所によって内容が変わってしまうといった特徴があります。これは忘れたい過去、トラウマがそうさせてしまうのかもしれず、それ自体を攻(ママ)めることは心苦しいですが、一方でこうしたことが原因で、聞き手が慰安婦の証言に対して不信に思ってしまうひとつの原因だと感じられます。これはどのようにお考えでしょうか。

その人については初耳です。面白いのは、日本は韓国側が発掘した証人については、少しも興味を持たずに知らんぶりするのに、反論に使う証人はよくも発掘することです。

では証人で真実性の高いひとはどなたでしょうか。

慰安婦お婆さんたちです

※韓国側が人選した元慰安婦16人の聞き取り調査報告書では、証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しにあ内容だったという意見もある。また軍や官僚による強制連行を示す政府資料は一切見つかっていないようだ。

オーストラリアに慰安婦像のアイデアを出したのは、あなたでしたか

そうです。私が初めてだと憶えてます。公式席上で発言したのが2年前のことですね。

グレンデール市長へ日本企業からの脅迫があったとのことを伺いましたが、これは本当でしょうか。

本当です。それを叱ると彼らはいつも「ロビー活動は自由」だと答えます。

グレンデールでの動きとオーストラリアでの活動は連動しているのでしょうか。総合的に指揮をしている人間はいるのでしょうか。

いや。常識のある人間なら指揮なんかなくても自ら動くものです。ただ日本政府のロビー活動が卑劣だから、どうしても反発心を持たせてしまいます。

今後、ほかの国にも建設を予定しているのでしょうか

そう望んでます。常識のある人間なら同じことをするのも当然ですね。

グレンデールの慰安婦増には『20万人を超える少女を強制動員』という表記がなされていますが、オーストラリアにも同内容を掲載する予定ですか?

その数字が正しいなら掲載を反対する理由もないでしょう。もちろん正しいと信じています

その20万人という数字はどのようにはじき出されたのでしょうか。根拠の乏しい数字だと思いますが。

当時日本巡査が来て女の子を連れて行った家庭に聞いて統計を出したのだと思います。

20万人が強制的に連れて行かれたということでしょうか。

はい、そうです

シドニーで3月あたりをめどに日本政府に対するデモが行われるとのことですが、これにも会長は関与していますか?

会長は居住民の投票で当選したので、居住民の望むことなら何でもやらなくてはならないので、きっと関与すべきです。

阿部(ママ)政権は、河野談話を踏襲すると公言しています。また、「侵略や植民地支配を否定したことは一度もない」とも語っていますが、阿部政権に関してどのようにお考えでしょうか。また今後どのようなことを要求しますか? 
参考資料⑥ 参考資料⑨

以前の総理大臣の良心発言を非難、否定しつつ、国際的な批判にぶつかると「そうじゃなく云々」と逃げるのが何より卑劣さを感じてしまいます。米国が何でも応援してくれると思ったのに、そうじゃないとわかったらいったん足を抜くものです。

日本の軍国主義復活を懸念とのことでしたが、これはどの行動や言動を見てそう思われましたか? 参考資料⑩ 参考資料⑪ 

平和憲法を改定し、海外派兵を可能にさせるとか連合軍の米軍を助けるためにどこの国でも許可なしに進駐するとか。領海拡張宣言で隣国との摩擦をわざと起こす振りをみてわかります。

今回の慰安婦像建設ですが、現状で建設の可能性はどのくらいでしょうか。 また、日本人の間では反対の署名を集める動きが出てきているようですが、それをどのようにお考えでしょうか。

可能性は100%に近いです。日本人には銅像反対の署名じゃなく、安部(ママ)反対の署名が自分の祖国を守る道だと伝えてもらいたいです。

確かに日本人のなかにも政府の方針に否定的に考えている人はいます。日本人全体が国防軍を持つことに賛成しているわけではありませんが、それはご存知ですか?

知っています。日本国内でそういう良心勢力はどれぐらいの比率でしょうか。たとえ相当の人数だとしても、執権勢力の自民党、右翼などの国会占有率が圧倒的に多いので、小数勢力の声が響くことを期待するのは無理ですね。

オーストラリア国内の韓国人は賛成をしているのでしょうか。 若い方の支持を得ていないという話も聞きますが、その辺はどうでしょうか。

100パーセント賛成ですね。そうしないと韓国人じゃないでしょう。若者の方が強制慰安婦問題にもっと憤怒していると聞いています。

仮に河野談話が見直された場合に、今後の活動はどのように変化しますか?

別に全然影響ないですね。むしろもっと活発に日本の軍国主義反対運動を展開すべきです。

現地日本人へ対してのコメントがあればお願いします。

日本で右翼偏向教育されたと鸚鵡やロボットのように安部(ママ)を一方的に支持しないで、自分で考えてみてほしいです。天皇陛下万歳と叫んで死んでいった神風特攻隊の死を繰り返さないようにお願いします

今件において、自国民の名誉のために大統領をはじめコミュニティレベルでも努力を惜しまない姿勢に、一部日本国民として見習うべきこともあると感銘を受けた一方で、自国民単位でことを考えるのではなく、『フェミニズムの有り方』という、より大きな枠組みで捉える時期に来ているのではないかとも感じざるを得ません。韓国人をはじめ、中国人、北朝鮮人、ベトナム人、フィリピン人、ロシア人、オランダ人、日本人、その他諸外国の女性、戦争で被害を受けた被害者の数は計り知れません。目の前で平然と人が殺される日常を生き、当時の常識的感覚で女性がまったく被害に遭っていないと考える方が現実味がないのかも知れません。しかし韓国人女性だけがその被害に遭ったといえば、そういうわけではなかったのだとも感じます。だからといって決して正当化されることではありません。国民レベルにおいても、お互いに違う認識を持っていることをまず認めあい、建設的な議論を重ねたうえで真意を問いていき、反省するべきことは改めて真摯に受け止め反省し、未来の子供たちの平和のために慎重な行動をしていくことを願わんばかりです。今回オーストラリアで起こっている慰安婦像建設に関しまして、その記載内容や存在意義、国民に与えうる影響につきまして、まず現地日系コミュニティ団体や国家機関とも情報交換をする機会を設けていただくことを強く望みます

それは素晴らしいお話ですね。ただ現在の自民党と安部総理の妄言ぶりを聴くと、すべてのことが絵の中の餅みたいな理想論にすぎないとしか思われませんね。その素晴らしい提案が現実性のない美辞麗句だけで終わらないように、右翼好戦主義者らを常に監視し、叱責する姿勢こそ世界平和へ向かう第一歩じゃないでしょうか? 最後に想起させてもらうなら、英国のチャーチル総理の言った「過去を反省しない民族に未来はない」との言葉ですね。

最後に

3月15日弊紙発行直前、安倍内閣は参院予算委員会集中審議で、「河野談話を安倍内閣で見直すことは考えていない」と言明した。また、慰安婦として従軍した女性に関し「筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む」と語っている。日本の植民地支配と侵略を謝罪した95年の村山富市首相談話などにも言及し、「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と改めて強調している。韓国政府が朴槿恵大統領と阿部首相との首脳会談に応じる条件として、従軍慰安婦問題への誠意ある対応を求めていることに配慮し、日米韓首脳会談の実現に向けて首相自身の立場を明確にしたものとみえる。菅義偉官房長官は河野談話の作成過程で韓国政府と擦り合わせをしたかどうかについて、「談話作成過程の実態を把握することが必要だ。しかるべき形で明らかにすべきだ」と指摘。検証作業を行って調査結果を公表する方針には変わりがないことを示した。 

弊紙は、同インタビューと平行して、グレンデール慰安婦像撤去訴訟で戦うNPO法人「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」とコンタクトを取った。その結果、同団体との協力体制を築くことができた。グレンデール訴訟での対応、教訓など貴重な情報を参考に、今後の対応に邁進していきたい。また、グレンデールでの訴訟の争点のひとつのように、地方自治体レベルが外交に関わるような行為が許されるのか、といったことも追求しつつ、地方自治体には良識ある判断を望みたい。
今回取材を進めるにあたり、世論調査などで、当事者である日本人と韓国人の、特に若年層の歴史観に対しての探究心や、真意は抜くが歴史認識の量の差を感じざるを得なかった。今回の特集がこれからを担う読者にとって、歴史と向き合う第一歩となってくれたら嬉しい。繊細なトピックで、取材を進める難しさを感じ、内容に関しても本来の意向とはそぐわなかった部分もあるが、こうして形にできたのは、この取材を匿名ではあるものの、日本語での対応を快く承諾知れくれたインタビュイーの存在は否定できない。インタビュイーの方、並びに関係者の皆様、取材協力ありがとうございました。

大庭祐介

CHEERS  [B2]