2012/10/10

美輪明宏と日本人慰安婦


美輪明宏が語った日本人慰安婦。(音源データは、一時撤去しています)

で今度は、あの、女の人のね、今従軍慰安婦のことでね、モメたりもしてますけれどもね。あれはねぇ、ま、私が戦後仲良くなった従軍慰安婦で帰って来た人達はね、みな日本人でしたよ。貧しい農家のね、娘さんたちが、あたしが売られて行けば、父ちゃんも母ちゃんも弟たちも餓え死にせんですむからっていうことでね、でそれで、満州にいい働き口があるって言われて、行ってみたらそれが従軍慰安婦でね。それでね。あの、敵が来るとね、あの、銃を渡されてね男たちと一緒に戦ったんですって。でそして、あの、とにかく、流れ弾に当たって死んだりするでしょ?そうするとね、日本婦人までも戦わせてそういうことをしたって、日本軍の恥になるからってんでモンペを脱がされちゃって、あの、中国服にね、着替えさせられて放り出されちゃって、後は野ざらし雨ざらし。線香一本上げてもらえない。埋めてももらえない。そういう状態だったって。

でそして帰って来たら帰って来たで、村の人達に、とにかく、慰安婦やってたって、汚らわしいどの面下げて帰って来たかって。うちでも家名に泥を塗ったって言われて。うちの為、国の為にあたしたちは行ったのに、なんだこれはって、もうボロボロボロボロ涙を流して。あたしはホントもらい泣きしましたよ。可哀想でね。 で、それがね。私の歌を聞いてね。ああこれで私は成仏できますって言ってくれた時に、ホント私は良かったですけどね。ま、戦争というものはね、いろんなことがあるの。もう二度としちゃ駄目ですよね。ですから日本ももっとプライドを持ってね。えーとにかく今度は知性と凛とした気概を持ってね。ご先祖様に恥をかかせないように、気概を持って政治家も何も、官僚も全てが生きて行ってもらいたいですね。

TBSラジオ 2012.8.12

それで作ったのが、この曲なのだろう。「男はなんていいんだろう、羨ましいじゃないか、死ねば死んだで名誉の戦死とやらで・・・」 美輪明宏、作詞作曲。「祖国と女たち」は慰安婦の悲しみを歌った歌。1970年代の曲である。



北は青森から 南は沖縄
売られ買われて 今日も旅行く
違うお国訛りで 慰めあいながら
捕虜の女囚も 同じ仲間さ
荒れ果てた肌に やせこけた頬
今日も覚悟の最後の衣装
万歳 万歳

毎日百から二百 兵隊相手に
朝日が昇り 月が落ちるまで
いずれ死んでゆくことが 決まっている男
虚ろに空を 見つめる女
涙も渇れはて痛みもないさ
そこには 神も仏もない
万歳 万歳

誰の子かわからぬ 赤子残して
死んだ女やら 銃を片手に
愛する若い兵士と散った女やら
歌える女は 子守唄を唄う
あまりの怖さに狂った女
嫌な将校に斬られた女
万歳 万歳

男はなんていいんだろう羨ましいじゃないか

死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
立派な社に奉られるんだろ
私も男に生まれていたら
今ごろきっと勲章だらけ
万歳 万歳

戦に負けて帰れば 国の人たちに
勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて
祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
万歳 万歳
ニッポン 万歳
大日本帝国 万歳 万歳 万歳


そういえば、ソン・シンド(宋神道)も兵隊と一緒に歩哨に立った話をしていた。

美輪が聞いた慰安婦の話は、多少誇張されていたのかもしれない。しかし、苦労された人も実際多かったのだろう。

16 件のコメント:

  1. 北は間島、南は釜山という歌詞が入らなかったところが、戦後世代の限界でしょうか。

    美輪明宏の歌は民族差別の視点が欠けていると思います。

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    1. 美和は終戦時10歳ぐらいだったはずですから、戦場の実際は知らないはずです。慰安婦について教えてくれたのは、友達の元慰安婦で、全員が日本人だったのでしょう。

      >民族差別の視点が欠けていると思います。

      「沖縄のハルモニ――証言・従軍慰安婦」という著書もある山谷哲夫は、民族差別という視点には批判的です。いろいろですね。
      http://hazama.iza.ne.jp/blog/entry/1743898/

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  2. 戦争しかけてきたのはユダヤの手下共だろ
    アメリカかロシアに行って講演しろよ

    日本でそんなこと言っても無意味

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    1. 美輪氏は「日本ももっとプライドを持って・・・生きて行ってもらいたい」と仰っています。これは日本人に対するメッセージだと思います。

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  3. この記事上げられたのは慰安婦問題に肯定的なお立場だからでしょう。
    日本人と大陸からの慰安婦が同じところに派遣されてたかどうかは疑問です。

    外国人慰安婦は居なかった、と言う論議は いつから存在したんでしょうか? 僕が知らなかっただけ?;;

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    1. 私の考えは、
      「ご挨拶とお断り」http://ianfukangaeru.blogspot.jp/p/blog-page.html
      「慰安婦問題とは何か」http://ianfukangaeru.blogspot.jp/p/blog-page_7.html
      にまとめてあります。よろしければお読み下さい。

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  4. 日本軍や大日本帝国をおちょくっているところ等、一見GHQ洗脳政策の落とし子ソングのように受け取れますが、反日ではなさそうですね。むしろ日本を愛するがゆえの日本に対する戒め、そして親マイノリティー(慰安婦)反戦ソング?マイノリティーの悲哀と不条理をいやというほど思い知らされてきた自分自身の投影、叫びとも解釈できますが。ただ、左翼や反日活動家に利用されやすい材料なのが残念。

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    1. お上批判ではあっても、反日ではないでしょうね。

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  5. 私は50才過ぎなのですが、父方の叔母に会っていない人がいます。

    祖母によって遊郭に売られたとのこと。

    家族構成は男兄弟5人と女(叔母)一人の6人。イ・ヨンスと同じですね。祖父は早く亡くなっていたので、女手一人で6人の子を抱えた祖母の苦労はいかばかりだったろうかと思いますが、そのことで父は何かにつけ祖母を責めつづけていました。
    「姉さんを売りやがって」
    と。祖母がうちに居つかなかったのは、そのせいらしく、末弟にあたる叔父の家で亡くなりました。

    叔母の話は親戚のなかでタブーでした。私がこのことを知ったのは、40才をすぎてからのことです。

    叔母は遊郭に通っていた人と結婚し、その人は戦後、ラード(動物油)の搾油工場を持つ事業家になったので、子供二人をもうけて幸せに暮らしたとのことですが、苦労がたたったせいか早死にしてしまいました。私にとっていとこにあたる二人の兄弟は、もう70歳を過ぎているはずですが、若い頃から毎年、祖母も叔母も眠る墓への墓参を欠かしていません。

    母方は代々農家のうえに祖父が電気工を兼業していたので戦中・戦後を通じて食べるものに困らず、祖父からみて前妻・後妻合わせて10人を超える子沢山なのに、誰もそのような立場にならずにすみました。

    昭和恐慌から戦争、そして戦後の貧しい日本を生き抜いた人たちには、現代の我々など想像のできない苦労の連続だったと思います。三輪明宏の唄は、さほど昔のことではない日本の情景として受け止めて生きて行きたいものです。

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    1. 貴重なお話を、ありがとうございます。

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  6. 美輪明宏さんが、TBSラジオで「従軍慰安婦」という言葉を本当に使われたのでしょうか?
    これは、明らかに、間違いだと思います。

    戦争当時、従軍というのは、従軍記者、従軍看護婦、従軍僧はあったが、
    従軍慰安婦は、いなかったからです。

    従軍慰安婦という言葉は、戦後になって、1973年千田夏光という人が書いた小説のタイトルが、最初です。
    従軍慰安婦という言葉は、千田夏光が、勝手につくった造語なんです。

    美輪さんの話だと、終戦後仲良くなった従軍慰安婦として帰った来た人達という話ですけど、これは、ちょっと変ですね。

    終戦直後から、1973年まで、戦地の売春婦の事を、だれも、従軍慰安婦とは言わなかったからです。 
    私の母は、90歳で、戦時中は、満州の長春にいましたけど、
    朝鮮人経営の売春宿は、いっぱいあって、朝鮮人も日本人もいたそうです。
    でも、従軍慰安婦という言葉は、聞いたことがないと言っていました。

    「祖国と女達」のサブタイトルが、「従軍慰安婦の唄」として、拡散されていますけど、これは、美輪さんの承認があったのでしょうか。
    ちょっと疑問に感じている所です。
    この唄は、とっても悲惨で悲しい唄ですけど、従軍慰安婦の唄ではないと思います。
    個人的な意見としては、サブタイトルは、「売春婦の唄」のほうが適切のように思います。

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    1. 従軍慰安婦という言葉を最初に使ったのが誰かはハッキリしないそうですが(田中美津という女性が最初に使ったという説も)、一般的に千田夏光の著作が切っかけで広まったと言われています。戦時中の言葉ではないと思います。ただ、最近ではマスコミでもこの言葉はよく使われているようです。美輪氏も、番組の中で実際にこの言葉を使っています(録音を確認済み)。

      1914年生まれの私の祖母は、関西のある町から娼妓が旗行列で送り出されるのを記憶しています。そういう雰囲気も(一部かもしれませんが)当時あったのでしょうね。

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  7. 「従軍慰安婦」という言葉が最初に使われたのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦 "声なき"女八万人の告発』(1973年)で、千田氏が取材したレポートです。

    小説と言ってる人は嘘つきですね。

    当時なかった言葉が、後に歴史用語として一般に定着し使われるのは自然なことです。 例をあげると「鎖国」「明治維新」「自由民権運動」「第一次世界大戦」「大正デモクラシー」「日中戦争」も、当時使われてなかった言葉です。

    「従軍慰安婦」という言葉を問題視するのならば、これらの言葉も問題視すべきでしょう。

    「慰安婦」「慰安所」という言葉は当時から使われてました。公文書にも残っています。

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    1. 従軍という言葉には、従軍牧師や従軍記者の様に自発的に軍に従うという意味があり、意思に反して軍と行動を共にした女性を「従軍」と称するのは適当でないという批判もあるようです(私の考えではなく、そういう事を言う人もいるという意味です)。

      「鎖国」「明治維新」「自由民権運動」「第一次世界大戦」「大正デモクラシー」「日中戦争」という言葉が問題視されないのは、そういった誤解の恐れがないという事でしょう。

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  8. その批判は知っていますが、「従軍」という言葉に「自発的」という意味はありません。

    辞書で調べていただければ確実ですが、普通に考えても「従う」に「軍」なのでわかりそうなものです。

    イメージだけで言うのならば「売春婦」などという言葉の方が、よっぽど自発的なイメージがあるんじゃないでしょうか。

    それから、私のコメントの趣旨を取り違えています。

    「当時なかった言葉」という理由で「従軍慰安婦」という言葉が適当でないというのならば、「鎖国」などの言葉も当時なかった言葉だから適当でないという理由で問題視すべき。

    …ということが言いたかったんですが、今回はご理解いただけたでしょうか?

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    1. >辞書で調べていただければ確実です

      私に言われても困りますね。そう感じる人が日本にも韓国にもいるのだという話ですから。不快に感じる人がいるのに、なぜ敢えて新しい言葉を使うのかということでしょう。たとえ当時の言葉であっても、「支那事変」という言葉に反発を覚える人もいるでしょう。もともと支那という言葉には差別的な意味はないとも言いますが、嫌がる人の前で敢えて使うかどうかとなると議論の余地があるでしょう。

      >私のコメントの趣旨を取り違えています。

      かーしーさんは、焼け跡世代で慰安婦とつき合いもあった美輪氏が「従軍慰安婦」という言葉を使ったというのは不自然ではないかと仰ったのです。それに対して私は、音源を確認したが美輪氏は間違いなく「従軍慰安婦」という言葉を使っていました、と申し上げたのです。貴方がやり取りの趣旨を取り違えたのです。

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