2014/12/16

オランダ人慰安婦の娘がカナダで証言すると・・・


カナダのトロントアルファが先月、慰安婦証言集会を開催した。ただし、証言したのは体験者本人ではなかった。

元慰安婦(というより、この場合性暴力被害者)自身の証言ではなく、その子供が証言するようになった。時代なのだろう。日系人強制収容所に関する証言にもこういう傾向があるらしい。直接体験していない世代が語り出すと、話がいい加減になり、かえって実際が分からなくなる。日本でも同様に事実と異なる戦争体験がテレビなどで語られている、と体験者の父も言っていた。慰安婦の物語は、今後ますますまことしやかに、出鱈目に語られていくことになるだろう。オランダ人女性が慰安所に連れ込まれた事件は、スマラン(白馬)事件が有名だが、スキャンダル発覚後軍が慰安所を閉鎖させるなどしているから終戦まで慰安所に入れられていたという話は疑わしい。

中国系の反日団体であるトロントアルファに、韓国系が合流しつつあるらしい。

「母と叔母が慰安婦に連れて行かれ・・・」
被害者家族カナダ人お婆さん「血の涙」の証言、トロント・アルファ主催

第2次大戦の際、日本軍がアジアで犯した蛮行を知らせる目的でNGO活動を行っている「トロント・アルファ」(代表:ジョセフ・ウォン)が3日、トロント大学校で人権分野の専門家と学生および一般市民100人余りが参加する中で日本軍慰安婦被害者家族を招き人権イベントを開催した。

「トロント・アルファ」はトロント所在のユダヤ系人権団体であるホロコースト教育センター(Sarah and Chaim Neuberger Holocaust Education Centre)と合同でThea can der Walさん(女、74歳)さを招き日本軍慰安婦とその家族の凄惨な人生を光を当てるイベントを行った。

現在のカナダに移住してオンタリオ州ポルリントンに居住しているピジェンボゴお婆さんは過去オランダ国籍で両親がインドネシア、ジャワ島に定住し、1941年に現地で生まれて育った。 第2次大戦が進行される中で日本軍が1942年10月からジャワ島を占領してピジェンボゴお婆さんのみじめな家族史も始まった。 家族と親戚たちは全員日本軍監視下に収容所生活をし、この過程でビルマ鉄道公社に連行され彼女のお父さんは強制労働に苦しみ亡くなった。彼女の母と叔母は1944年1月から終戦まで恥辱的な日本軍慰安婦生活を経験した。

ピジェンボゴお婆さんは当時とても幼く、母と叔母が毎日泣く理由を分からなかったが戦争が終了した後オランダに戻り、2003年お母さんが死亡(叔母は1996年死亡)した後、生存する末の叔母を通じ彼らの慰安婦生活を知ったという。 証言イベントでピジェンボゴお婆さんは羞恥心で一生苦痛受けて亡くなった母と叔母に言及する部分で泣き出す(?)などしばしば話をつなぐことができず当日参席者は粛然とした雰囲気で一部は一緒に涙を流した。

ピジェンボゴお婆さんは日本政府の歴史否定に憤り、第2次大戦時日本軍が犯した蛮行を広く知らしめてこのような不幸な歴史が繰り返されないように今後慰安婦人権回復運動に積極的に参加するという意思を明かした。

一方「トロント・アルファ」は当日韓国、中国、フィリピンなど3ヶ国に散り困難な中で暮らしている日本軍慰安婦被害者の人生を扱ったドキュメンタリー「Within Every Woman」の予告篇を上映し、トロント大学校音大'ジョシュア ピルチョ'教授の韓国人慰安婦おばあさんが歌った歌に対する研究結果発表の時間を持った。 現在「トロント・アルファ」にはジュディ・ジョーさん、ホン・キテクさんなど韓国人同胞が主導的役割を受け持ち積極的な活動を展開している。


“어머니와 이모가 위안부로 끌려가…”
피해자 가족 加 노인 ‘ 피울음’증언
토론토 알파 주관

2차 대전 당시 일본군이 아시아 지역에서 저지른 만행을 알릴 목적으로 NGO 활동을 벌이고 있는 '토론토 알파'(대표 : 조셉 웡)가 지난 3일 토론토대학교에서 인권분야 전문가와 학생 및 일반 시민 100여명이 참석한 가운데 일본군 위안부 피해자 가족을 초청한 인권행사를 개최했다.

'토론토 알파'는 토론토 소재 유태계 인권단체인 홀로코스트 교육센터 (Sarah and Chaim Neuberger Holocaust Education Centre)와 합동으로 '테아 비젠버거 반 데르 왈'(여, 74세)씨를 초청해 일본군 위안부와 그들 가족의 처참한 삶을 조명해보는 행사를 열었다.

현재 캐나다로 이주해 온타리오주 벌링턴에 거주하고 있는 비젠버거 할머니는 과거 네덜란드 국적으로 부모가 인도네시아 자바섬에 정착하면서 1941년에 현지에서 태어나고 자라났다. 2차 대전이 진행되는 과정에서 일본군이 1942년 10월부터 자바섬을 점령하면서 비젠버거 할머니의 비참한 가족사도 함께 시작됐다. 가족과 친척들은 모두 일본군 감시하에 수용소 생활을 했으며, 이 과정에서 버마 철도공사에 끌려간 그녀의 아버지는 강제 노역에 시달리다가 사망했으며 그녀의 어머니와 이모는 19944년 1월부터 전쟁이 끝날 때까지 치욕적인 일본군 위안부 생활을 경험했다.

비젠버거 할머니는 당시 너무 어려서 어머니와 이모가 날마다 우는 이유를 몰랐다가 전쟁이 종료된 후 네덜란드로 돌아와 2003년 어머니가 사망(이모는 1996년 사망)한 후에야 생존한 막내 이모를 통해 그들의 위안부 생활을 알게 되었다고 한다. 증언행사에서 비젠버거 할머니는 수치심으로 평생 고통 받고 사망했을 어머니와 이모를 언급하는 대목에서 울음을 터뜨리는 등 수시로 말을 잇지 못했으며 당일 참석자들은 숙연한 분위기에 일부는 함께 눈물을 흘렸다.

비젠버거 할머니는 일본 정부의 과거사 부정에 분노하면서 2차 대전 당시 일본군이 저지른 만행을 널리 알리고 이러한 불행한 역사가 반복되지 않도록 향후 위안부 인권회복 운동에 적극적으로 참여하겠다는 뜻을 밝혔다.

한편 '토론토 알파'는 당일 한국 중국 필리핀 등 3개국에 흩어져 어렵게 살아가고 있는 일본군 위안부 피해자의 삶을 다룬 다큐멘터리 'Within Every Woman' 예고편을 상영했으며, 토론토대학교 음대 '조슈아 필저' 교수의 한국인 위안부 할머니들이 부른 노래에 대한 연구결과 발표시간도 가졌다. 현재 '토론토 알파'에는 주디 조씨, 홍기택씨 등 한인 동포들이 주도적 역할을 맡아 적극적인 활동을 펼치고 있다.

14 件のコメント:

  1. いよいよ韓国は中国に飲み込まれそう

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    1. どっちがリードしているのやら・・・(アルファの話です)。

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  2. 日系人の強制収容問題については、実際に強制収容を経験しなかった世代の人々、とりわけ、多くの三世(本田議員のように、一部の三世は実際に強制収容を経験した)にとっても、ひとつの「トラウマ的出来事」となりました。

    実際に強制収容を経験しなくても、それを実際に経験した両親や他の大人たちに囲まれていたわけですから、経験者たちがかかえていた「トラウマ」の影響を、三世は受けました。

    強制収容が日系人にもたらしたものは、経済的な損失のみならず、アイデンティティの否定(ドキュメンタリー「月に映える兎」を参照)にはじまり、さらには、いわゆる二級市民的扱いなど、精神的な面における「トラウマ」は、はかり知れないものでした。多くの日系人は、このようなことを語ることなく、この世を去ってしまったことは、悲劇です。しかしながら、CWIRCの証言台に立ち、みずからの「トラウマ」を積極的に語った「勇者」たちもいました。「勇者」たちのなかには、三世の人々もいました。(CWIRCの立石氏、市岡氏らの証言を参照すべき。)

    日系人の強制収容問題については、すでに多数の研究書物などが発表されましたが、とりわけ、強制収容がおこなわれていた当時の記録として、JAERSを無視するわけにはいきません。当時のことを調べること、事実は、容易に調べられます。重要なことは、これらの事実があって、一世、二世、三世は、どのように受けとめたのか、どういったかたちで「記憶」にしていったかだと思います。「直接体験していない世代」であっても、先の戦争については、「極めて重要なこと」を語ってくれるのが、日系人の強制収容問題にかんする、ひとつの要素なのだと思います。

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    1. 日本人もまた、日系米国人が想像も出来ないような戦争体験をした人々の二世三世ですから、トラウマも抱えていますし(意識していない人も多いかもしれませんが)、記憶を語り継ぐ大切さも理解出来ます。しかし、私たちは直接の体験者ではなく、世代を越えるにつれ記憶の不正確性や実像よりも象徴性が増してしまう傾向があるのも事実です。私たちはその事に謙虚であるべきだと思いますし、日系米国人も同じであるべきだと思います。ホンダ氏のように、私たちの「一世」が語り継いだ話を「歴史修正主義」と蔑むような人々に対しては辛抱強く反論していくべきだと考えます。

      貴重なアドバイスありがとうございました。

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    2. ・二世、三世という言葉のニュアンスなどについて

      あなたは現代社会に生きる日本人のことを、戦争を体験した日本人の子孫にあたることから、二世、三世という言葉を使って表現しましたが、日系人コミュニティの歴史に向きあう立場として、日系人コミュニティにおける「二世」や「三世」のニュアンスについて言及しなければなりません。

      日系人コミュニティにおける「一世」とは、文字どおり、「裸一貫」で日本からアメリカにやってきて、アメリカ社会のなかにおいて日系人コミュニティを興し、アメリカ社会に存在するさまざまな人種差別と「闘い」、子供たち、孫たちである「二世」、「三世」を育てあげた人々のことを指します。さらには、彼ら、彼女らは、日本人が戦争を起こしたことによって、強制収容という「辛酸」をなめた人々でもあります。

      日系人コミュニティの歴史に向きあっている立場として、あなたが使った二世、三世という言葉が、日系人コミュニティにおける「二世」、「三世」とはまったく異なるものであること「強調」しておきます。

      日系人と日本人、とりわけ、アメリカの日系人と日本人の関係は、「極めて複雑な関係」にあることを理解しなければなりません。さまざまな原因がありますが、とりわけ、アメリカ社会において、日系人という存在が、日米関係の「影響」を最も大きく受けてきたことは、アメリカ社会においては、ひとつの事実です。先の戦争において、日本人がアメリカを相手に戦争を始めたことにより、日系人は強制収容という「辛酸」をなめました。さらには、戦後まもない頃、カリフォルニアはサリナスにおいては、日本人によるフィリピンでの戦争犯罪(いわゆる、バーターンのデスマーチ)を理由に、日系人を標的としたヘイト・クライムが発生しました。(ほかの地域においても、日本人の戦争犯罪などを理由とした、日系人にたいするヘイト・クライムが発生しました。ダイナマイトを送りつけられたケースもありました。)先の戦争においては、日系人は「被害者」の側に立つと思います。その一方で、日本人は、「被害者」という面が存在しますが、それと同時に、あるいは、それ以上に、「加害者」の側にも立っていることも、事実です。先の戦争において、日本人は「加害者」であるという自覚をもつことは、必要だと思います。日系人のなめた「辛酸」がどういったものなのか、知れば知るほど、日本人としての「良心」が強く問われると思います。(さらには、ブラジルでは「勝ち組」、「負け組」の争いもありました。)

      戦後になって、日本からアメリカに移住した日本人については、彼ら、彼女らは、日系人コミュニティにおいては、「新一世」とよばれています。戦前にアメリカに移住した人々とは、同じ日本人ではありますが、「まったく異なる歴史」を歩んだわけですから、「一世」という呼称は、彼ら、彼女らにはふさわしくありません。戦後~現代にかけての日系人コミュニティにおける「ブレイン」として知られた上田博士、宇野博士らは、戦後移住者らにたいしては、「新一世」という呼称が適切であると主張していました。

      ・>世代を越えるにつれ記憶の不正確性や実像よりも象徴性が増してしまう傾向があるのも事実です

      日系人コミュニティにおいて、過去の「記憶」が、ある種の象徴のようなものになったことについては、それが1970年代~1980年代において顕著にみられたことは、ひとつの事実だと思います。では、このとき、日系人コミュニティにおいては、どんなことがあったのでしょうか? 答えは、リドレス活動です。アメリカにおいては、「正義」が重んじられる。ならば、その「正義」がアメリカ社会にきちんと存在すること、さらには、そのことを対外的にアピールしようではないか。日系人コミュニティにとってリドレス活動とは、「アメリカ人として認められるための試練」という解釈があると思います。このとき、超巨額の国家賠償を請求した、ある二世の男性は、「私達はアメリカという国に恥をかかせているわけではない。アメリカという国に正義があることを明らかにしたいだけだ。」、と強調していました。過去の歴史を「追及」すること、さらには、謝罪や賠償金を要求することは、「正義」が存在することを、アピールする手段でもあったと思います。単なる「銭ゲバ的存在」ではないのです。

      では、現在、日系人コミュニティにおいて、過去の「記憶」が象徴のようなものになっているかどうか、というと、決して、そういったことではないと思います。実情についていえば、何かを「象徴化」するのではなく、むしろ、「純粋な語り」にたいする関心が高まっていると思います。この点について、日本社会においては、どうでしょうか?

      ・>本田議員について

      本田議員については、まず大前提として、彼が強制収容の被害者であることと、彼が幼少期に父親から従軍経験について聞かされたこと、さらには、青年期に平和部隊に志願したこと、これら3点について考えねばなりません。本田議員はかつて、みずからの対日批判について、日本に恥をかかせるためのものではないことを強調しました。過去のリドレス活動のさいに、「我々はアメリカに恥をかかせるわけではない。」という意見に類似するものだと思います。

      まず、極めて重要な点として、なぜ、彼にとっての強制収容とはどういったものなのか。そして、なぜ、彼が平和部隊に志願したのか。これら2点の「問題」を解かない限り、公平な視点において、本田議員のことを評価することはできないと思います。彼が平和部隊に志願した当時、アメリカ社会においては、若者らを中心に、ヴェトナムへの派兵に反対する運動がおこなわれていましたが、そういった、当時の社会の動きに関連したものだったのでしょうか? まずは、日本人のほうから、彼を「理解」する姿勢をとったうえで、彼に「質問」すべきだと思います。

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    3. 日系米国人に関する丁寧な説明、ありがとうございます。時間があればもう少し深く学べればと思います。ただ、ここでは一点だけ、新しく米国市民になる日本人を「新一世」と呼ぶことについて、「元祖一世」側にどういった心理があるのかという点、これが少々気になります。もちろん、人それぞれなのでしょうが、例えば日韓併合時代に渡来した在日一世が戦後の渡来者を「新一世」と区別したがるだろうかと。両者(旧世代と新世代)において違いがあるのは、日系人も在日朝鮮人も同じであるはずですが。

      ホンダ議員の件に関しては、ダブルスタンダード、不正確な認識に基づく他者への批判は、どういう生い立ちであろうと正当化は出来ないと私は考えています。黒人奴隷の末裔であろうと、(犯)罪を免れないのは他の人種と同じであるはずです。ホンダ氏の発言は、ここ数年で都合よく微修正されています。始めは正義感からであったとしても、現在の彼は確信犯であり、同じく強制収容所体験を持ち出すマイク・モチヅキ氏とは異なります。

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    4. >「元祖一世」側にどういった心理があるのか

      *注意*

      「元祖一世」という言葉で表現するのではなく、「一世」と表現してほしい。日系人コミュニティについて、あまり知らないそうだが、最低限の「配慮」を要求する。

      これについては、すでに述べたとおり、上田博士、宇野博士らの主張にポイントがあります。

      「一世」とは、明治~大正にかけて、日本からアメリカに渡り、みずからの身ひとつで財産と家族、さらにはコミュニティを築いた人々です。

      「新一世」とは、日本敗戦後にアメリカに渡った人々です。彼ら、彼女らのなかには、難民というかたちでアメリカに渡った人々、(歴史的な経緯は異なりますが)戦争花嫁としてアメリカに渡った人々、さらには、日本が高度経済成長期を迎えた時期に、商機を得るためにアメリカに渡った人々(たとえば、板前さんら)、さらには、駐在員や学生としてアメリカに渡り、家族の事情があってアメリカ国籍を取得した人々、などが挙げられると思います。

      「一世」の立場としては、日本敗戦後にアメリカに渡った人々を「一世」と呼ぶことには、抵抗感があったと思います。なぜならば、これはすでに上田博士や宇野博士らが指摘したのですが、先の戦争のさなか、アメリカ社会において「辛酸」をなめた人々は(さらには、「被害者」であった日系人、「加害者」であった日本人)、日系人コミュニティにおいては、極めて重要な存在であり、特別な存在でもあります。「ゼロからすべてをつくった人々」が、「日本敗戦後に、すでにゼロからイチになっていた状態のときにアメリカにやってきた人々」と同じ呼称が使われることは、適切ではないと思います。

      日本敗戦後にアメリカにやってきた日本人のなかには、「一世」が苦労をして築きあげたコミュニティ、さらには、「一世」が苦労をして築きあげた、アメリカ社会における「信用」を、まるで甘い汁を吸うかのようにして、さらには、息を吸う、吐くように、言葉は悪いのですが、「のうのうと」生きるように、つまり、過去の先人たちの「苦労」の上に、あぐらをかく存在が少なくありません。

      さらには、「二世」は従軍という過去があった。「二世」は多くの血を流した。多くの血を流したことにより、アメリカ社会における「信用」を大きなものに、不動のものにした。そういった歴史的な経緯があるわけです。アメリカ社会における、「ジャパニーズの信用」とは、「一世」、「二世」が命をかけて勝ちとり、守っているものです。(それを「利用」したことで成功したのが、日本敗戦後にアメリカに渡った日本企業でした。)

      「新一世」の人々のなかには、そういった歴史的経緯を知らずに、先述のように、アメリカ社会のなかにおいて、まるで甘い汁を吸うかのようにして、さらには、息を吸う、吐くように、言葉は悪いのですが、「のうのうと」生きている人々がいたことは事実です。「一世」や「二世」、「三世」や「四世」、さらには「五世」といった、日系人コミュニティとのつながりを重視しない人々もいました。(現在は、そのような事情は、少しずつではありますが、カイゼンされています。)

      近代のあけぼのとともにアメリカに渡った日本人と、彼ら、彼女らの子孫の人々にとっては、「新一世」もふくめて、日本敗戦後にアメリカからやってきた日本人という存在は、「距離を置きたくなる存在」であったと思います。とりわけ、日本企業駐在員にたいする批判については、厳しい批判があいついだ時代がありました。(「お金儲け」に走る日本人―その一方で、駐在員の配偶者らで結成されたグループのなかには、コミュニティサービスをとおして、「対日イメージ」のカイゼンに貢献した人々がいたことを、忘れてはならない。)

      「感謝すること」

      「新一世」のみならず、アメリカに渡った日本人、アメリカ滞在の経験のある日本人がすべきことは、アメリカ社会における、「ジャパニーズの信用」を築いた、日系人にたいする感謝の気持ちを忘れないことです。日系人コミュニティにおける「感謝」、「気持ち」とは、日本社会におけるそれらとは、大きく異なります。言葉の「意味」、さらには、「重み」がまったく異なります。日系人コミュニティにおける「感謝」、「気持ち」のほうが、ずっと重く、たくさんの意味を含んでいます。(日本社会でいうところの、「あざーっす!」というものでは決してない。)なぜならば、日系人コミュニティにおいては、リドレス活動の影響もあるが、「過去」に真摯であることが重要とされるからです。

      では、日本人はどうだろうか? いわゆる慰安婦の問題もふくめて、さまざまな歴史認識問題をかかえ、さらには、それらから「派生」した、領土問題なども存在している。

      「当事者がみんな死んでしまえばいい。」

      そのようなロジックではあってはならない。日系人社会においては、家族の歴史を残そうと、人々は必死になっています。では、日本人はどうだろうか? 戦争体験にかんする新聞記事がたびたび出されるが、過去を語ることや、過去にたいする関心は、それほど高くはない。過去に向きあおうとする人々はいるが、それは、過去に向きあうことではなく、極めて部分的な、歴史的の一面だけを、まるでおぼれている人々にとっての「ワラ」のように扱い、それは他国を非難するための、あるいは、みずからの自尊心をまもるための手段と化している。

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    5. > *注意*「元祖一世」という言葉で表現するのではなく、「一世」と表現してほしい。日系人コミュニティについて、あまり知らないそうだが、最低限の「配慮」を要求する。

      もし、私に「元祖一世」という言葉を許さないというなら、私は「新一世」という言葉を拒否します。もともと、その様な言葉は私たちの「国語」にはありませんから。もう一点、私の方からも配慮を要求します。エントリーの本題から外れた話を延々と続けるのはお控え下さい。

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  3. 外国人慰安婦問題と日系人強制収容問題とは性質が全く異なります。
    (1)朝鮮人慰安婦問題は日本と韓国の問題。日系人強制収容は政府と国民の問題
    (2)国外での事件と国内での事件
    (3)事実が不明と「容易に調べられる」
    触れないほうが賢明です。

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  4. >外国人慰安婦問題と日系人強制収容問題とは性質が全く異なります。・・・ 触れないほうが賢明です。

    日本人の立場からすると、確かに、「触れない」ほうが議論しやすいし、「日本人の言い分」を通しやすくなるものと思います。

    しかしながら、この問題に本田議員がかかわっていることと、彼が強制収容~リドレスまでのアメリカ社会の動きを意識したうえで、この問題を論じているので、「避ける」わけにはいかない、というのが実情だと思います。

    言いかえると、日本人の立場からした場合、日本人にとっては「極めて不利な土俵」の上に立たざるをえなくなってしまった、ということになると思います。

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  5. 不利な状況はあるんでしょうけど、論理的には不利を感じません。
    ホンダ議員は韓国訪問するなら日本に立ち寄って、日本人と日本政府を説得したらと思うのですが。日系三世ですから適任です。ついでに祖先の墓参りをしたらいい。何故祖国(祖先の国ですから祖国です。米国人になっても)に立ち寄らないのでしょうか?

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    1. >ホンダ議員は韓国訪問するなら日本に立ち寄って、日本人と日本政府を説得したらと思うのですが。日系三世ですから適任です。

      そのためには、まずは、日本人のほうが、本田議員を理解するための「素地」をつくる必要があります。

      ①なぜ、彼は平和主義と人道主義に傾倒したのか?

      ・本田議員は熊本県系の日系三世で、生まれてまもなく、強制収容施設に送られました。コロラドのアマチ(グラナダ)でした。当時、コロラド各地には日系人コミュニティがあって、「自由の身」であった日系人と、「囚われの身」であった日系人がいました。住んでいた州が違っただけで、なぜ、このような「異なる扱い」が存在したのでしょうか? 人道主義を重視したコロラド州知事にたいして、カリフォルニアにおいては、ウォレンという、のちに連邦最高裁長官になった人物でしたが、当時の彼は、「根っからの反日主義者」であり、アメリカ社会から日本人、日系人をたたき出すことに熱心になっていた人物でした。(この人物は、日本敗戦後、「転向」をして、日系人の権利擁護に前向きになりました・・・。)

      ・本田議員は幼少期、従軍した父親から、戦争体験について、いくつかのことを聞かされました。彼の父はMISとして、アメリカ軍に従軍していました。MISとして従軍した人々にとっての戦争体験は、実際に欧州戦線で戦った人々のそれとは、大きくことなるものでした。訓練では実弾を使ったのですが、実際のにんむにあたっては、実弾とは無縁の任務についた人々も少なくありませんでした。しかしながら、MISは「情報を用いた戦い」であり、戦争体験にはかわりありませんでした。「武器をともなった戦い」とはニュアンスの異なるものではあるものの、戦争であることには、かわりはありません。本田議員は、みずからの父親から、戦争の「悲惨さ」を聞かされていたと思います。その経験が、のちに、平和部隊を志願した、ひとつの理由になったと思います。

      ②アジア大洋州系コミュニティの「連携」のために

      ・アメリカ社会において、アジア大洋州系コミュニティは、成長率の点においては、最も成長率の高いグループではありますが、いぜんとして、「マイノリティのなかのマイノリティ」とされています。そのような立場において、アメリカ社会のなかにおいて、発言力をもつこと、経済的、社会的、政治的なプリゼンスを高めるには、「連携」が必要であると、1960年代以来、日系などが率先して、コミュニティの「連携」のための社会運動を展開してきました。

      本田議員にとっては、アジア大洋州系コミュニティの「連携」において、日本人による戦争犯罪は、ひとつの課題であるという認識があると思います。日系という立場でありながら、あえて、火中の栗を拾うかのように、リスクをとって、日本人の戦争犯罪の問題に向きあっているという点は、公平な視点においては、評価すべき点であると思います。同様のことが、日系カナダ人の作家の、コガワ氏にもいえると思います。

      ③日本での親戚探しの「困難さ」

      >ついでに祖先の墓参りをしたらいい。何故祖国(祖先の国ですから祖国です。米国人になっても)に立ち寄らないのでしょうか?

      ・日本人が起こした先の戦争は、日系人と日本人の「縁」を切るような出来事でもありました。この出来事を理由に、多くの日系人が、日本との「縁」を絶たざるをえなくなりました。

      「祖先の墓参りをしたらいい」と言いますが、多くの日系人にとって、それは容易なことではありません。日本人にとっても、ご先祖様がアメリカに行ったことを知らない日本人は、少なくないと思います。日本人が日系人の歴史に関心を示さないことに、問題があると思います。

      *本田議員のことについて思うことは、日本人のほうから、彼を理解する必要があると思います。そのほうが、「戦略的」な意味においても、いいのではないでしょうか・・・。

      >日本人と日本政府を説得したらと思うのですが。日系三世ですから適任です

      かつて、ある日系人の大物議員が日系人を駐日大使にしようと日本政府に働きかけたのですが、ある国会議員の手によって、この案がひねりつぶされました。そういえば、このときに、彼の提案を粉砕したのみならず、日系人を侮辱した国家議員の孫は、いまの日本の首相です・・・

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    2. 《日本での親戚探しの「困難さ」》
      Arrived in Osaka,happy to be in country of my ancestry. #JapanSeries
      11月の日米野球で来日したガスリー投手のツイッターです。
      日系4世で母が日系人、祖母の広島を訪問し、大勢の親戚に囲まれてお墓まいりをしました。
      一時期連絡を絶ったとしても、調べる意思があれば簡単に分かります。出身の村の名前は知っているはず。戸籍も残っている。出世して錦を飾るのになんの障害もない。

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    3. 《火中の栗を拾う》
      ちょっと調べてみました。私も間違って覚えていた。
      日英同盟だったかな、教科書で風刺画にそう表現されてた。何だ熱いだけでなんの得も無かったのか?

      Take the chestnuts out of the fire with the cat's paw.
      これはイソップ童話が元で、そそのかされたネコが火中の栗を拾ったが猿に食べられ火傷しただけという話。
      To run risks for others.
      他人のために危険を犯して、なんにも得られないおバカさんのこと。
      有力政治家になったから美味しい栗を自分で食べたんでしょう。

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