2014/12/18

日中戦争前に満州で挺身隊(慰安婦)目撃したスーパー証言者現る

WW2はるか前に満州で挺身隊(慰安婦)を見た

バタフライ(蝶々)USAとは、アメリカに最近出来た慰安婦支援団体である。KACEKAFCといった政治系の団体とは性質が異なる。こういったサークルは、本国韓国にも幾つか出来ているが、昨今の慰安婦ブームでアメリカにも次々と誕生(ワシントンやシカゴにも存在するらしい)。彼女たちは韓国の挺対協と繋がっている(詳細は後日)。

で、2013年以降に出来たアマチュア団体が貴重な慰安婦強制動員の目撃者を発見したというのだから話が出来すぎている。しかも、目撃者は彼女たちの膝元アメリカにいたというのである。韓国国内にも慰安婦の強制動員を目撃した人はいない。厳密に言うといないわけではなく、目撃したという罪の意識から名乗り出られないというワケの分からない目撃者しかいない。で、今回の証言者は、日本軍の為に仕事をしたという悔悟から本名を明かせないと言っている。

アンジェラ会長(右)とリンダ・リー副会長
バタフライUSA

しかし、1935年に満州に慰安所というのは、時期的に早すぎないだろうか?第一次上海事変の際、海軍が上海に慰安所を設置したのは事実だが、この老人がいたのは朝鮮に近い満州で、日中戦争(1937~)もまだ始まっていない。また、太平洋戦争中(1941~)朝鮮半島で挺身隊と慰安婦の混同(誤解)があったと言われるが、戦地で慰安婦が挺身隊と呼ばれていたという事実はない。そもそも、女子挺身隊が創設されたのは1943年である。その7~8年前に、日本軍の陣地にトラックで運び込まれる朝鮮人挺身隊(慰安婦)を見たとこの老人は言うのである。

「日帝慰安所惨状、今でも目に鮮明」

「日本軍討伐隊カメラマン」103歳の韓国人証言
朝鮮服着た娘数十人が毎週軍隊に連れて来られた

「今でも目に生々しいんです、朝鮮の幼い少女が苦痛の中に引きずられて来た場面です」今年で103才になった老人は、残酷だった日帝強制占領期を回想して歯ぎしりした。 満州での日帝の蛮行が極に達した1930年代、日本軍のカメラマンとして現場を駆け回ったキム・ジェフン(仮名)牧師は80年近く含んでいた惨状を慎重に語り出した。

日本軍のために仕事をしたという過去に対する悔恨がまだ残っていると、身分を明らかにすることは避けたが、彼の証言には日帝の人権蹂躪に対する告発の声が生々しかった。

12日、ロサンゼルスのコリアタウンのとあるカフェで会ったキム牧師の証言は日本軍慰安婦の真相究明と被害者支援に乗り出した「蝶々(バタフライ)USA LA」(会長 イ・アンジェラ)が後援者の繋がりで1年余りの説得の末実現した。 イ牧師も日本が慰安婦問題について歴史を前にして一貫して嘘をつく(?)のをこれ以上見ていられないと考え証言に臨んだ。

咸鏡南道甲山郡出身で(?)ロサンゼルスに住む引退した牧師であるキム氏は、24歳だった1935年、満州、延辺図們地区(現延辺朝鮮族自治州の図們市か?)独島(ドクト)守備隊と呼ばれた日本軍討伐隊のカメラマンとして1年間働き現地で目撃した全てを覚えている。

キム牧師は「今は慰安婦という単語自体浄化されている。 その当時は挺身隊、すなわち日本軍に献身するものと呼ばれていた」「その当時、少女を乗せた軍用トラックは1ヶ月に4回、すなわち週に一度の割合で軍中に入った」と言う。

キム牧師は「討伐隊の討伐後、いつも軍用トラックで20~30人余りの少女が軍中に入った。 この中には15才の幼い少女もいたし、全て未婚の少女だった。 彼女たちは全員朝鮮服を着ていて、派手さはなくあどけない様子の田舎娘だった」と話した。続けて「この少女たちには笑顔が全くなく、恐怖で一杯だった。下着を着ずにスカート一つで日に40~50人以上の男を相手にしていた」と証言した。

キム牧師はまた、当時日本軍討伐隊が慰安婦動員はもちろん住民たちを対象にした放火、略奪もはばからなかったと伝えた。

これは本当に涙なしでは見られない胸が痛い場面だと話を繋いでいったキム牧師は「強制的に連れて来られたのは明らかで、実際に目撃し体験した人々がいるのに真実を隠そうとしてはならない」「日本政府は真実を明らかにし、被害者に対する謝罪と補償をしなければならない」と強調した。

彼は「もうこれ以上このような人権の蹂躪が発生しないよう真実を糾明しなければならない」「私だけでなく、その当時を証言できる人々が既にとても高齢で、正義を求める若い人々が最後までこの問題の真実が明らかになる時まで戦ってくれるのを伏して願うばかり」と付け加えた。

一方蝶々USA LAはキム牧師の証言を入れた映像を韓国挺身隊問題対策協議会と共同で真実を糾明する資料として使う予定。


“일제 위안소 참상, 지금도 눈에 생생”

‘일본군 토벌대 사진기자’103세 한인 증언
한복 입은 처녀 수십명 매주 군대에 끌려와

“지금도 눈에 생생합니다, 조선의 어린 소녀들이 고통 속에 끌려가던 그 장면이요”올해로 103세가 된 노옹은 참혹했던 일제 강점기를 회상하며 치를 떨었다. 만주에서 일제의 만행이 극에 달하던 1930년대 일본군의 사진기자로 현장을 누볐던 김재훈(가명) 목사는 80년 가까이 담고 있었던 참상을 조심스레 꺼내놓았다. 

일본군을 위해 일했었다는 과거에 대한 회한이 아직도 남아 있다며 신분을 밝히기는 꺼려했지만, 그의 증언에는 일제의 인권유린에 대한 고발의 목소리가 생생했다.

12일 LA 한인타운의 한 카페에서 만난 김 목사의 증언은 일본군 위안부 진실 규명과 피해자 돕기에 나서고 있는 ‘나비 USA LA’(회장 안젤라 이)가 후원자와의 연결고리를 통해 1년여 간의 설득 끝에 이루어졌다. 이 목사도 일본이 위안부 문제 대해 역사 앞에 거짓으로 일관하는 행태를 더 이상 보고만 있을 수 없다는 생각으로 증언에 임했다.

함경남도 갑산이 고향으로 LA에 거주하는 은퇴목사인 김씨는 24세이던 1935년 당시 만주 연변 도문 지역 독도 수비대로 불린 일본군 토벌대의 사진기자로 1년간 일하면서 현장에서 목격했던 모든 일을 기억하고 있다.

김 목사는 “지금은 위안부라는 단어 자체도 그나마 단어가 순화되어 있다. 하지만 그 당시에는 정신대, 즉 일본군에게 몸을 바친다는 것으로 불렸다”며 “그 당시 소녀들을 태운 군용트럭은 한 달에 4번, 즉 일주일에 한 번 꼴로 군안으로 들어갔다”고 전했다.

김 목사는 “토벌대가 항상 토벌 후에는 군용트럭에 20~30여명의 처녀들이 군 안으로 들어갔다. 이 중에는 15세의 어린 소녀들도 있었고 전부 다 결혼하지 않은 처녀들이었다. 이들은 모두 한복을 입고 있었지만 화려하지 않은 앳된 시골 소녀들이었다”고 말했다. 이어 “이 소녀들은 웃음기가 전혀 없고 두려움에 가득 차 있었고 속옷을 입지 않고 맨 치마만 입으며 하루에 40~50여명의 남성을 상대해 왔다”고 증언했다.

김 목사는 또 당시 일본군 토벌대가 위안부 동원은 물론 주민들을 대상으로 한 방화, 약탈도 서슴지 않았다고 전했다.

이는 정말 눈물 없이는 볼 수 없는 가슴 아픈 장면이라며 말을 이어나간 김 목사는 “강제로 끌려온 게 뻔하고, 실제로 보고 겪은 사람들이 있는데 진실을 숨기려고 해서는 안 된다”며 “일본 정부는 진실을 밝히고 피해자들에 대한 사과와 함께 보상을 해야 한다”고 강조했다.

그는 “더 이상은 이와 같은 인권유린이 발생하지 않게 진실을 규명해야 한다”며 “나뿐만 아니라 그 당시를 증언할 수 있는 사람들이 이제는 너무 나이를 먹어, 정의를 찾는 젊은 사람들이 끝까지 이 문제의 진실이 밝혀질 때까지 투쟁해 주길 간곡히 바랄뿐”이라고 덧붙였다.

한편 나비 USA LA는 김 목사의 증언을 담은 영상을 한국 정신대문제 대책협의회와 연대해서 진실을 규명하는 자료로 쓸 예정이다. 

13 件のコメント:

  1. 本名を明かせないところからして、胡散臭い。
    日本軍に協力したのが後ろめたいといわれても、当時の韓国人・朝鮮人はほぼ全員そうだった。本当に自身があれば実名名乗るべき。

    返信削除
    返信
    1. 強制連行して無理やりカメラマンをやらされていた、と言い張る手も・・・。

      削除
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/東北抗日聯軍
    (とうほくこうにちれんぐん)は、満州に展開した
    中国共産党指導下の抗日パルチザン組織。
    それまで満州で活動していた共産党系の朝鮮人・中国人の
    パルチザン部隊東北人民革命軍が門戸を広げ、右派抗日武装団も
    受け入れて、1936年から再編成されていった。
    金日成など朝鮮独立運動の要人が所属し、後にその構成員が
    彼を中心として朝鮮民主主義人民共和国の権力の中枢を
    占めたことで知られる。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/東北抗日義勇軍
    東北抗日義勇軍は1931年の満州事変以降、中国東北部の平民や警察や
    東北軍の一部の官兵によって構成された義勇軍、救国軍、自衛隊などの
    抗日武装の総称である。
    東北抗日義勇軍の各部分の由来は以下を含むが、
    それだけに限定されない。

    これらに対峙したのが、老人のいう日本軍の討伐隊なのですかね?
    この件は、日本政府もきちんと調べて反論すべきですね。
    場所と時期がわかっているのなら、ネット上でも
    日本軍のどの部隊のことをいっているのかわかりそうですね・・
    韓国紙も、せめてそういう裏付けくらいとって報道しろよと
    いつも思いますね・・・
    証言なんていってますが、言い捨てでどうせ老人だからと
    こちらから反論して糾弾するわけにもいかず、
    それを見越したこういうやり方で日本を誹謗中傷するのは
    卑劣な方法ですね。

    返信削除
    返信
    1. >日本軍のどの部隊のことをいっているのかわかりそうですね・・

      証言者も部隊名を明らかにしていないようですね。

      東北抗日聯軍について解説参考になりました。

      削除
  3. なにげに竹島(独島)なんか放り込んできて意図が見え見えですね。真面目に反論するのも馬鹿らしいのですが参考までにと言うことで。  
    大高氏(安教授としっかりしろ!)が1930年代の中国における朝鮮人娼婦について当時の記者が取材した記事を紹介しています。
    http://nadesiko-action.org/?page_id=3314
    >窮乏した朝鮮農民の娘達を二束三文で売り買いし、時には拉致までして業者が売りとばすのだが、肝心なのはこれらの業者は日本人ではなく、朝鮮人や中国人であったということだ。『こういった朝鮮人の女衒は“ある者は地方の軍警や巡警と結託して、アフリカ黒奴隷を白人が狩するように鉄砲とサーベルで威嚇して拉し去るのがある。日本の憲兵の手の及ばない地方は随分あるのだ”。又、顔も見知りの軍警や巡警に一家もろとも拉致監禁され、後に一人だけ、麻袋に詰められて2日間も馬車につまれて天津に売られた娘の話が出てくるが、その時の業者は 『天津まで出れば占めたものです。日本の警察権なんかは租界内だけで、賄賂さえ払えば堂々と連れて歩けます』  

    この原文は国会図書館にあるようです。原文は去年から慰安婦問題に取り組んでいるフランス人ブロガーの daisukinipponfranceさんのブログで画像として確認出来ます。
    http://daisukinipponfrance.over-blog.com/2014/05/article-d-origine-en-1932-sur-les-prostituees-coreennes-en-chine.html  

    今回の証言者の老人が本当に強制連行を目撃したのなら、『鮮娼!これでも人間か?』の書かれている様子の方がピッタリのような気がしますけどね。    

    返信削除
    返信
    1. 満州でからゆきさんが朝鮮人売春婦に駆逐された、という状況ですね。生々しい証言です。初めて見ました。ありがとうございます。

      削除
    2. 紹介したdaisukinipponfranceさんのブログは私たち日本人にはないセンスで慰安婦問題に切り込み発信してくれています。
      皆様に大変参考になるブログだと思います。お勧め致します。

      削除
  4. 話は変わりますが、基地村慰安婦訴訟の第1回口頭弁論が開かれたようです。
    http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2014/12/19/0200000000AKR20141219104600004.HTML

    聯合ニュースが伝えていますが掲載は韓国語版だけ。日本語版や英語版は2日経過しても発信はないようです。いつものことか?

    こちらの新聞では政府側の見解も伝えています。http://www.womennews.co.kr/news/78989#.VJPYo14gAA

    >出席した政府側弁護人は、国家賠償が成立されるにおばあちゃん122人一人一人が、個々の公務員の担当者の具体的な行為などを立証しなければならないと、警察の黙認ほう助、地域の保健所職員の強制検査と强禁止部屋などについて違法行為を証明していないされたと述べた

    まさか、元慰安婦側に立証責任を求めるとはね...。

    返信削除
    返信
    1. 同じ日にあった朴大統領とマイク・ホンダ氏との会談はしっかり日本語配信しているんですけどね。
      http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2014/12/19/0900000000AJP20141219003500882.HTML

      削除
    2. ありがとうございます。基地村売春問題の初公判とMホンダのニュースを二つまとめてエントリーにしました。上げるのは明日になりますが。

      削除
  5. こんにちは、根本と申します。偶然ここをみつけたので
    コメントしたくなりました。
    まず、慰安婦問題の専門家・林博史先生にメールできいたのですが、
    満州でもっとも早い慰安所開設は1932年なのだそうです。
    (何の資料が根拠なのかは聞きませんでした)。
    さらに、私のサイトの http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/syoronten/ ここにちょっと書いたのですが、1943年よりずっと前から、「挺身隊」という言葉は日本でも朝鮮でも広く使用されていたようです。資料や証言もいくつかあります。
    だからこの韓国人の老人の証言はいちおう「有り得る」ことなんじゃないでしょうか。

    返信削除
    返信
    1. 始めまして。

      挺身という言葉は今はあまり使いませんが、当時はもっと普通に使われていたものと思われます。ただ、言葉があるからといって、朝鮮半島の女性が挺身隊の名目で徴発されていたと考えて良いかは疑問です。

      例えば、「消費」という言葉を我々は日常的に使いますし、消費税という言葉も昔からありました。しかし、「消費税便乗値上げ」は1988年の消費税導入があってはじめて起こりえた現象でしょう。消費税がない時代に消費税を口実にした詐欺は現実的に成立しません。同様に女性が女子挺身隊として動員されるようになる以前に、慰安婦が(女子)挺身隊の名目で強制的に集められたというのはちょっと考え難いだろうと私は思います。

      削除
    2. >何の資料が根拠なのかは聞きませんでした

      ぜひ聞いてみて下さい。

      削除