ラベル bo-ボランティア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル bo-ボランティア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013/08/09

[メモ]


元慰安婦の家でボランティアすれば「内申点」 国家ぐるみで繰り広げられる歴史捏造のおぞましさ

文=藤原修平(在韓国ジャーナリスト)

韓国では「日本軍慰安婦」が反日キャンペーンの一大看板と化している。主に韓国の若い世代を対象にして繰り広げられている「慰安婦プロパガンダ」の実態を報告する。

6月8日、土曜午後のソウル中心部・光化門広場は物々しい雰囲気に包まれていた。世宗大王像の目の前で、民主労働組合総連盟をはじめとする複数の左翼団体が合同で主催する集会が開かれ、大勢の機動隊が出動していたからだ。

「民族民主烈士・犠牲者、汎国民追慕祭」と題されたこの日の催しは、民主化に寄与した人々を追慕するという名目で開かれたもので、保守系の朴槿惠政権に反対する政治集会のはずだが、そこには慰安婦問題をめぐって日本政府に抗議するプラカードも掲げられていた。

この集会に並行して、光化門の目の前では宗教団体、NGOが主催する「平和宣言式と懺悔 200万拝ヒーリングコンサート」が行なわれた。こちらは世界平和と反戦を謳いつつ、中心に「慰安婦問題」を据えている。

ステージ前には「懺悔台」が設けられ、「日本軍慰安婦被害者の痛みと傷への無関心、守ってあげられなかったことへの不甲斐なさに、私はひとつの懺悔を拝します」と大書されている。20万人を募って一人10回懺悔する(直立姿勢から土下座で拝する動作を繰り返す)ことで、合計200万の懺悔を目指す企画だ。

来賓の与党セヌリ党国会議員は、「女性の人権保護を主導する国」を目指し、日本に「慰安婦への賠償を求めていく」と宣言した。人権保護の法的整備を進める朴政権の方針が、慰安婦問題にも“流用”されているのだ。

韓国の「慰安婦」抗議行動と言えば、少女の像が設置された日本大使館前の「水曜集会」が知られている。20年以上続く「水曜集会」の中心には日本政府の謝罪や国家賠償を求め続ける市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が存在するが、最近はそうした特定の市民団体と直接関係のないところで、若い世代を中心に「日本軍慰安婦問題」を学ぶ者が増えている。

韓国の歴史の授業で慰安婦問題が取り上げられるのは、日本の植民地時代に入り、「内鮮一体、国家総動員法の名のもとに朝鮮半島から物資や人材が搾取された」という文脈においてである。

歴史教科書の中でもメジャーな『高等学校 韓国史』(志学社、2012年版)では、2ページにわたって記述が見られる。以下、慰安婦の定義が書かれた箇所を引用する。

「日本軍“慰安婦”とは、日帝植民地時代に日本軍の慰安所に連行されて強制的に性暴行を受けた女性たちを指す言葉である。日帝は日中戦争と太平洋戦争を行なうあいだ、日本の軍人たちの性的欲求を満たすために集団的な性行為施設である慰安所を制度化し、植民地と占領地にいる数多くの若い女性たちを強制的に戦線に輸送性奴隷の役割を強要した。彼女たちは慰安所に配置され、繰り返し性暴行を受けていた」(231ページ)

改めて指摘しておくと、「強制連行」されたという証言は元慰安婦のものだけである。証拠も第三者の目撃証言もない。むしろ慰安婦を好条件で募集する新聞広告などが残っており、朝鮮人も慰安婦募集に関わっていた。

この教科書では当然そんな事実は無視し、「強制」や「性奴隷」といった表現を何度も用いている。教科書編集側の“刷り込み”の意図を感じざるを得ない。

教師の中には、渾身の手作り資料で講義する者もいる。学校の授業で慰安婦問題に目覚めた生徒たちは、次なるステップを踏むことになる。

その舞台の一つが「ナヌムの家」だ。これはハルモニ(おばあさん)と呼ばれる元慰安婦たちがボランティアスタッフとともに共同生活を送る民間施設で、併設の資料館には元慰安婦の証言や写真、慰安所の内部を再現した展示がある。多くの児童・生徒が修学旅行で見学に訪れたり、高校生以上の若者たちが一定期間泊まり込んでハルモニと生活を共にしながら話を聞く“奉仕活動”を行なっている。

韓国の高校ではボランティア活動に費やした時間が点数化され、進学や進級の際に内申点として加算される。また、就職活動ではボランティア歴を記入することで得点を稼ぐこともできる。そのため教師が生徒にナヌムの家での奉仕活動を勧めたり、若者が就職活動を有利にするために訪れたりするケースは多い。

韓国紙の報道によると、教師に勧められて高校1年の夏休みにナヌムの家で奉仕活動し、ハルモニたちの話を聞いた女子生徒の一人は「中学校の歴史の授業で習った内容だけでは想像もつかないほど衝撃的だった」と語っている。

元慰安婦は「強制」があったと証言している。繰り返すが、それを立証するものはない。そのような証言にどれほどの信憑性があるだろうか。それでも「強制」や「性奴隷」を連呼する教科書の記述は、元慰安婦たちを「反日戦士」に仕立て上げている

慰安婦の説明に「性奴隷」という表現を用いるのは、ネット上でも同じことだ。性奴隷をそのままハングルで読んだ●●●で検索すると、上位の検索結果のうち半分近くが「日本軍慰安婦」に関わるものである。

さらに踏み込んだ教育も始まりつつある。今年3月、慶尚南道教育庁は元慰安婦の証言記録を集めた書籍『私を忘れないでください』を製作し、道内すべての小中高校に配布した。同教育庁はこれを教材に用い、今年から年2時間以上の授業を実施するという。

その授業の様子を韓国KBSがニュース動画で配信している。「討論の時間」に本を読んで感じたことをグループごとに発表する生徒たち。授業後のインタビューでは「日本は私たちに謝罪しなければいけないと感じた」などと発言する者もいた。

教育を通じた一連のプロパガンダ策はすでに効果をあげ始めている。

今年5月にナヌムの家を訪ねた済州道ナムジュ高等学校1年7組は、その後同施設に支援金を寄付した。

ハルモニの証言を聞いた生徒たちが「日本が懺悔することを願い、水曜集会などに役立ててほしいという気持ちから、クラス会議で毎月定期的に募金して支援金を寄付することに決めた」と韓国のニュースサイトは報じている。

6月6日、韓国映画『最後の慰安婦』がクランクインした。注目すべきは、ロケ地に2018年冬季五輪会場の江原道平昌が選ばれたことだ。これまでも韓国では数本の「慰安婦」映画が作られてきたが、スポーツの祭典に乗じてプロパガンダを仕掛ける意図が窺える。映画のキャッチコピーにはこうある。

「胸冷え切った慰安婦の悲しみが、今、世に送り出される」

niftyニュース 2013.8.8    
(SAPIO 2013年8月号掲載)

2012/04/28

日本軍により送り帰された慰安婦

「統営・巨済市民の会」については、旧ブログ時代を含め何度かエントリーしている。両市では過去に「慰安婦決議」も採択され、慰安婦問題に熱心な地域である。一昨年には、ソン・ドジャ代表(右下の写真)が来日して日本の国会議員たちに「問題解決」を促している

昨日のニュースからも分かるように、両市の慰安婦支援者たちは青少年を運動に取り込むのに熱心である。二年前の話だが、彼女らによって教育された子供達が、日本の国会議員たちに送るハガキの中で「鬱憤をこらえることができず激しく心情を表現した」というような状況が出来した。歴史教育の資料とするためにDVDを制作するという活動も行なっている。

もう一つのポイントとして、慰安婦による寄付の話題も時々出てくる。官民からの支援が手厚い韓国人元慰安婦たちは生活にはあまり困らないようで、蓄えがあるのだろう、しばしば遺産(財産)を寄付する。もちろんお婆さんにとっては善意なのだろうが、これを韓国の支援団体やメディアが美談として大々的に取り上げるのは、注目を集める為と日本に対する当てつけの部分もあるのかもしれない。

ただ、報道はよく読み込む必要がある。朝鮮日報では日本の敗戦直前に「劇的に脱出し、釜山を経て故郷に戻った」としか書かれていないが、ハンギョレ紙によれば、彼女は「解放直前に日本軍艦に乗って長崎港に到着した」・・・つまり日本の敗戦前に軍により送り帰されているのである。少なくとも本土までは。また、朝鮮日報はハルモニが「日本軍の言葉にだまされ」たとしているが、これには多くの人が首を傾げるだろう。

日本軍は、敗戦目前の時期に貴重な艦艇を使い(朝鮮人)慰安婦を送り帰していた。もちろん戦地に置き去りにされた慰安婦もいれば、置き去りになった従軍看護婦もいる。白骨街道の一部になった兵士もいた。しかし、この記事からだけでも慰安婦を見捨てるのが日本軍の基本方針でなかった事は推測できる。プロパガンダを見破る情報は、案外発信者側の言葉の中にあるものなのである。

・・・もっとも、日本軍が慰安婦を従軍看護婦(軍属)名義で帰還させようとした事実を「『看護婦』とすることで、当局が慰安婦の存在を連合国側から隠ぺいしようとした可能性」があるなどと言い出す「専門家」もいるわけであるが。


94歳の元慰安婦、女子高に奨学金を寄付 /統営

 
生存する最高齢の元従軍慰安婦が女子高校に奨学金を寄付する。

元慰安婦の支援団体「日本軍慰安婦のおばあさんと共にする統営・巨済市民の会」(ソン・ドジャ代表)によると、慶尚南道統営市北新洞に住むキム・ボクトゥクさん(94)が30日、統営女子高校に2000万ウォン(約140万円)の奨学基金を寄付するという。

基金は、キムさんが政府の支援金(生活保護)などを少しずつためたもので、キムさんと統営・巨済市民の会は「慰安婦問題を解決して正義を成し遂げよう」との意味を込め、基金の名称を「正義奨学会」とした。

統営女子高校への寄付を決めたのは、2010年から自宅を訪ね、ボランティア活動をしてくれた同校の生徒たちに感謝の気持ちを表すためだという。

同校の「韓国青少年政治外交連合」に所属する生徒たちは、週末にキムさんの自宅を訪ね、掃除や洗濯を手伝い、食事を共にして話し相手になっていた。統営・巨済市民の会のソン・ドジャ代表は「キムさんが『親切な生徒たちに応えたい』と、寄付の意向を示した」と語った。

統営市で生まれたキムさんは、19歳だった1937年、工場に就職させてやるという日本軍の言葉にだまされ、フィリピンや中国で慰安婦としての生活を強いられた。植民地支配からの解放(1945年)直前、劇的に脱出し、釜山を経て故郷に戻ったという。元慰安婦に対する日本政府の謝罪や賠償を求め、ソウルの日本大使館前で行われる「水曜集会」に参加するなど、慰安婦問題の解決に向け積極的な活動を続けてきた。

奨学基金の伝達式は30日午後3時から統営女子高校の校長室で行われ、統営・巨済市民の会関係者や教職員、韓国青少年政治外交連合のメンバーたちが出席する。

昌原= 姜仁範(カン・インボム)記者

2011/03/08

大学生によるハルモニ・エコバッグ第二弾


大学生がハルモニを支援する目的でエコバッグを開発して、商用ルートに乗せたというニュースは以前紹介した。この度、そのエコバッグの第二弾が発表された。前回より可愛らしいデザインになっている。

昨年の第一弾は450/500が売れたという。

「慰安婦被害ハルモニたちの「モッタ咲いた花」をパッと吸って差し上げたいです。 辛い歴史の生き証人が消えるのは私たち皆の悲しみですから。"春雨がおりた先月27日午後ソウル、城北区(ソンブクク)、安岩洞(アナムドン)のとあるコーヒーショップ.

地域社会生活の質を高めるために大学と企業が協力してプロジェクトを推進する非営利団体サイプ(SIFE・Students In Free Enterprise)所属大学生らがピンク色の大きな花がぶら下がったカバンを持って集まった。 商品名は「Blooming Bag」だ。

花の立体感を点検したチョン・ヒョニョン氏(25・高麗(コリョ)大)は「花はハルモニたちの奪われた青春を象徴している」として「若い世代の『優しい消費』を通じ、ハルモニの『花』を共に吸おうという意味をこめて三一節に合わせて新しく製作した商品」と説明した。

234人中生存者75人. 平均年齢86才. 数字で見た慰安婦被害ハルモニたちの現住所だ。

「韓日過去の歴史清算意志を見せない日本政府の謝罪と補償を受ける前まで絶対に死なない」という最後の夢をついに成し遂げられずに亡くなったハルモニが3分の1を越えた。

女性家族部によれば現在の生存する日本軍慰安婦被害者の中で90%以上が75~90才高齢の上に当時被害による病気でからだの具合が悪くて大部分一人で暮らすから経済的支援も切実だ。 「何年か過ぎればおばあさんらの証言まで直接聞くことができなくて慰安婦イシューが埋もれてしまうかも知れません。 慰安婦イシューを着実に知らせておばあさんらを経済的に助けることができる方法を探してみたかったです」。

慰安婦ハルモニたちの消えうせた夢を代わりに成し遂げると出た大学生らの抱負だ。

このように2009年末組まれた高麗大サイプ デザインチームは慰安婦ハルモニたちが集まって住む国内唯一の憩い場の京畿道広州市素材ナムヌの家を探した。 チョン・ヒョニョン氏は「慰安婦問題を広報しようとするなら安定した収入源確保が必要だが当時ナムヌの家は財政の80%以上を寄付金に依存していた」として「年間訪問者が1万人を越えるのにもマグカップ、ティーシャツなど当然な記念品がなくて記念品事業活性化プロジェクトをローンチした」と話した。 会員たちは喜んで歩き回った。 往復四時間以上かかったがタクシーとバスに乗り換えて一月に一度慰安婦ハルモニたちを探した。

半年の間、週に2~3回ずつ集まって歴史勉強をするなど会議を繰り返して「花を咲かせる」というコンセプトのエコバックをアイテムに定めた。 近隣中・高等学校などを訪問して100人超えてアンケート調査を行ったしカバンに印刷する図案を持って生産業者を探すために足がすりへるように東大門市場も飛び回った。 昨年末初めて製作されたカバンは500個の中で現在まで450個以上売れた。 そして最近去る1年近く準備した第二弾のエコバックがいよいよ完成した。

今回の三一節はより一層意味深い日になった。 朴氏は「三一節に合わせて新しいデザインのエコバック200枚生産を終えてナムヌの家で開かれる追慕祭の時販売ブースを設置して100個をリリースすることにした」と明かした。

MKニュース2011.2.28

일본이 무참히 꺾은 위안부할머니의 꽃…우리가 피워드려요

"위안부 피해 할머니들의 `못다 핀 꽃`을 활짝 피워드리고 싶습니다. 아픈 역사의 산증인들이 사라지는 것은 우리 모두의 슬픔이니까요." 봄비가 내린 지난달 27일 오후 서울 성북구 안암동의 한 커피숍.

지역사회 삶의 질을 높이기 위해 대학과 기업이 협력해 프로젝트를 추진하는 비영리 단체 사이프(SIFEㆍStudents In Free Enterprise) 소속 대학생들이 분홍색의 커다란 꽃이 달린 가방을 들고 모였다. 상품명은 `블루밍 백(Blooming Bag)`이다.

꽃의 입체감을 점검하던 정현영 씨(25ㆍ고려대)는 "꽃은 할머니들의 빼앗긴 청춘을 상징한다"며 "젊은 세대의 `착한 소비`를 통해 할머니의 `꽃`을 함께 피우자는 의미를 담아 삼일절에 맞춰 새로 제작한 상품"이라고 설명했다.

234명 중 생존자 75명. 평균 연령 86세. 숫자로 본 위안부 피해 할머니들의 현주소다.

`한일 과거사 청산 의지를 보이지 않는 일본 정부의 사죄와 보상을 받기 전까지 절대로 죽지 않겠다`는 마지막 꿈을 끝내 이루지 못하고 세상을 떠난 할머니들이 3분의 1을 넘어섰다.

여성가족부에 따르면 현재 생존하는 일본군 위안부 피해자 가운데 90% 이상이 75~90세 고령인 데다 당시 피해로 인한 질병으로 몸이 불편하고 대부분 혼자 살기 때문에 경제적 지원도 절실하다. "몇 년만 지나면 할머니들의 증언마저 직접 듣지 못하고 위안부 이슈가 묻힐지도 모릅니다. 위안부 이슈를 꾸준히 알리고 할머니들을 경제적으로 도울 수 있는 방법을 찾아보고 싶었습니다."

위안부 할머니들의 스러진 꿈을 대신 이루겠다고 나선 대학생들의 포부다.

이렇게 2009년 말 꾸려진 고려대 사이프 디자인팀은 위안부 할머니들이 모여 사는 국내 유일한 쉼터인 경기도 광주시 소재 나눔의 집을 찾았다. 정현영 씨는 "위안부 문제를 홍보하려면 안정적인 수입원 확보가 필요한데 당시 나눔의 집은 재정의 80% 이상을 기부금에 의존하고 있었다"며 "연간 방문자가 1만명이 넘는데도 머그잔, 티셔츠 등 마땅한 기념품이 없어 기념품 사업 활성화 프로젝트를 론칭했다"고 말했다. 회원들은 기꺼이 발품을 팔았다. 왕복 네 시간 이상 걸렸지만 택시와 버스를 갈아타며 한 달에 한 번 위안부 할머니들을 찾았다.

반년 동안 일주일에 두세 번씩 모여 역사 공부를 하는 등 회의를 거듭해 `꽃을 피운다`는 컨셉트의 에코백을 아이템으로 정했다. 인근 중ㆍ고등학교 등을 방문해 100명 넘게 설문조사를 벌였고 가방에 인쇄할 도안을 들고 생산 업체를 찾기 위해 발이 닳도록 동대문시장도 뛰어다녔다. 작년 말 처음 제작된 가방은 500장 가운데 현재까지 450장 이상 팔려 나갔다. 그리고 최근 지난 1년 가까이 준비한 두 번째 에코백이 드디어 완성됐다.

이번 삼일절은 더욱 뜻깊은 날이 됐다. 박씨는 "삼일절에 맞춰 새로운 디자인의 에코백 200장 생산을 마치고 나눔의 집에서 열리는 추모제 때 판매 부스를 설치해 100장을 선보이기로 했다"고 밝혔다.

関連ニュース