2015/09/09

強制動員名簿で認定された慰安婦、連行時10歳

どう考えても慰安婦ではない

83歳。終戦時は13歳くらい。12歳で日本に連れて行かれたと言うが、国民学校4年生なら、満年齢で9~10歳か。原爆が投下された1945年には広島にいた。この時、13歳。

1992年に慰安婦として韓国政府に認定されたような事が書かれているが、92年と言えば、韓国のマスコミが戦時中の学籍簿を漁って小学生が従軍慰安婦に動員された大騒ぎした年。その顛末は、産経の黒田記者の説明が分かり易い。中央日報も、学籍簿には学徒たちに対する説得過程・動員経緯・出発の日付・場所まで記録されていた、日本政府が体系的に従軍慰安婦の動員に関与していたことが証明されたなどと騒いでいたようである。

本人は、思い出せない悪夢を口にしたくないと言っているが、断片をどう読んでも慰安婦の体験談とは思えない。戦後70年。高齢の女性から亡くなって行くと、ますますあり得ないような年齢の「被害者」が目立ってくる。今年の6月には、80歳の元慰安婦の訃報がニュースになった。一応、今年は戦後70年である。

<慰安婦生存者13人証言>12歳で経験した悪夢…その痛みを包んだ暖かいコート

  先月12日、慶尚南道昌原(チャンウォン)の金福善(キム・ボクソン)さん(83)の家を訪問すると、金さんは壁に静かにもたれてテレビを見ていた。ニュースが放送されるテレビから安倍晋三首相の名前が聞こえた。金さんはすぐに背を向けた。「安倍の話が出てくればテレビを消してしまう。あまりにも憎くて。以前の首相はまだこれほどではなかったが、この人は違う。私たち慰安婦被害者の話を少し聞くべきなのに…」。 

  金さんは12歳の時に日本に連れて行かれた。当時は国民学校(小学校)4年だった。誰かが当時のことを尋ねると、金さんは「はっきりと思い出せない」と答える。あまりにも幼かったということもあるが、それよりは悪夢を口に出したくないからだ。しかし金さんは「言葉で表現できない、日本は…」としながら話を続けた。「私たちが貧しく、もやしを育ててご飯を食べさせたが、警察や日本の人が来て器を足で蹴飛ばした。よい印象がない、日本は。慰安婦の時もあちこちに連れて行かれ、どこかはっきりと分からなかったが、本当に苦しかった」。

  金さんは広島の原爆の恐怖も振り返った。「広島県に爆弾が落ちた。その爆弾が落ちたところの近くに私たちがいた。それで布団などを持ってみんな出て行き、堀端に隠れていた。爆弾を受けないように。それははっきりと覚えている」。

  解放後に韓国に戻った金さんは遅れて中学校に入った。当時は中学校まで行くケースが多くなかったため、金さんが自慢する記憶だ。その後は結婚して子どももできた。みんなが貧しかった時代、金さんも子どもの腹を満たすためにあらゆる苦労をした。最初に始めたのは木の器を売る商売だった。休む間もなく働いていると、いつのまにか子どもが成長してかわいい孫が生まれ、小さな家も持った。しかし金さんの傷は癒えなかった。

  慰安婦被害者調査・登録が始まった1992年、政府は金さんが通った小学校の強制動員名簿を確認し、金さんを被害者として登録した。その後、一度だけ放送に出て被害事実を証言したが、当時に受けた傷のため二度と被害事実を述べたり写真を撮影したりはないという。

  「当時、近所の女性たちが私について『ああ、あの人の家はどれほど貧しかったのか…。あんなところに連れて行かれて』と話していた。私の中学校の同窓生もまだ近所に暮らしていたが、親しい友人も同じだった。それでいかなる行事に行っても絶対に写真も撮らず話もしない。私は…」。

  周囲の誰にも堂々と話すことができず、むしろ罪人のように暮らした。冷たい視線を向けられるのでは、子どもが被害を受けるのでは、と思うと怖かった。その金さんに小さな慰めになったのは別の被害女性だった。金さんは数年前から近い地域にいる被害女性と親しくなり、外出したりもする。小さな喜びも享受する時間は多くない。金さんはあきらめることなく日本政府から謝罪を受ける日を待っている。認知症にならないよう外出して人に会い、歌の教室にも通っている。金さんに最も重要なのは女性家族部から昨年贈られた冬用のコートだ。

  「これは私がデパートに行って自分で選んだ。本当に気に入って冬によく着た。健康が悪化して認知症になってはいけないので、できるだけ外に出ようと思う」。



2015/09/08

女性省長官、大学生に日本軍慰安婦問題を講義


「日本軍慰安婦被害者問題と関連した本質と惨状、問題解決のための我が国政府と市民団体、国際社会の努力を」紹介。紛争地の女子供に対する暴力を学び、世界平和の守りとなって欲しいと女性省の長官が次代を担う子供たちに訴える。まぁ、大人の言うことだから、韓国政府が基地村売春婦に訴えられている件については、触れないつもりだろう。「被害者」に対して、違法行為を立証しなければならないと突っぱねる韓国政府のダブルスタンダードに対して、この子供たちが目覚める日は来るのだろうか?

それでも、キム・ヒジョン長官は前任者に比べれば大人しいか。

キム・ヒジョン長官、同徳女子大で慰安婦問題解決特別抗議

女性家族部(省)のキム・ヒジョン長官は8日午後、ソウル市城北区の同徳女子大学を訪れ、学生400人余りを対象に日本軍慰安婦問題解決のための青年の役割に対して講義する。

女家省によれば今回の講義は同徳女子大が名士を呼んで実施する「同徳リーダーシップ特講」講演者としてキム長官を招請して実現した。

キム長官はこの席で「真実を求める叫び、平和のための行動!」というタイトルで、日本軍慰安婦被害者問題と関連した本質と惨状、問題解決のための我が国政府と市民団体、国際社会の努力を紹介する予定だ。

また、全世界の紛争地域に蔓延する女性・児童対象性暴行実態を伝え、我が国(?)の青年が歴史の真実をまともに勉強してその教訓を実践することによって世界平和の守りになって欲しいと要請する予定だ。

キム長官はこれに先立ち、今年の前半、民族史観高校と大元外国語高校の生徒たちを対象に同じ内容の講義を行っている。

ZUM 2015.9.[2]

김희정 장관, 동덕여대서 위안부 문제 해결 특강

권혜진 기자 = 김희정 여성가족부 장관은 8일 오후 서울 성북구 동덕여자대학교를 찾아 대학생 400여명을 대상으로 일본군 위안부 문제 해결을 위한 청년의 역할에 대해 강의한다.

여가부에 따르면 이번 강의는 동덕여대가 사회 명사를 초청해 실시하는 '동덕 리더십 특강' 강연자로 김 장관을 초청해 성사됐다.

김 장관은 이 자리에서 '진실을 위한 외침, 평화를 위한 행동!'이란 제목으로 일본군 위안부 피해자 문제와 관련된 본질과 참상, 문제 해결을 위한 우리 정부와 시민단체, 국제사회의 노력을 소개할 예정이다.

또 전 세계 분쟁지역에서 벌어지는 여성·아동 대상 성폭력 실태를 전달하고 우리 청년들이 역사적 진실을 제대로 공부해 그 교훈을 실천함으로써 세계 평화의 지킴이가 되어 달라고 요청할 계획이다.

김 장관은 앞서 올 상반기 민족사관고등학교와 대원외국어고등학교 학생들을 대상으로 같은 내용으로 강의한 바 있다.

2015/09/07

[絵で見る強制連行 3] 学生絵画コンテスト


8月15日にソウルの光化門広場で開催された学生を対象にした慰安婦をテーマにした絵画コンテストの入選作らしい。[ソース]



2015/09/06

朝日OB 「イデオロギーに囚われた記者が虚報と混乱をもたらした」


産経新聞が植村隆元朝日新聞記者のインタビューを何回にも分けて連載しているが、長い。まだ終わらない(6日現在)。植村へのバッシングは明らかに行き過ぎで、産経紙上に反論の機会を得たのは植村としては僥倖であった。産経は植村に塩を送る積りはなかったろうが、前半戦では、植村の反論に阿比留記者らがグウの音も出なくなっていた。当然である。産経の慰安婦報道は雑なのである。

産経VS植村の全景は別の機会に見て行くとして、連載後半になって植村が自分の事だけでなく朝日新聞の報道自体について開き直る様子を見せているので、ちょっと、他のOBの意見も取り上げたい。朝日関係者で朝日の慰安婦報道を批判しているのは、前川恵司だけではない。植村は(朝日以外も含めて)記者は皆善意だったと繰り返すのだが・・・。

侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪、おわび。そういう気持ちがやっぱり社の一つのジャーナリズムの柱だったと思う。だから慰安婦問題も多分そういう流れ。女性の人権の流れ。松井やよりさん、ご存じだと思うんですけども松井やよりさんが、80年代にさまざまな形で発掘してきた、そういう流れがあった。...松井やよりさんは、(韓国挺身隊問題対策協議会代表の)尹貞玉さんとも交流があって、やっておったわけですよね。...朝日新聞がやってきた、アジアへの侵略戦争の反省と、それを伝えようという作業。そういう作業というのは、僕自身、それを誇りに思っている


松井やより
「新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした」(長岡)

では、その松井やよりを同じ朝日OBの長岡昇はどう語っているか。長岡は松井の振る舞いを活動家だったと回想している。「イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した」とまで言っているのである。そういう記者たちが「慰安婦問題の虚報と混乱をもたらした」と。

1978年から30年余り、私は朝日新聞で記者として働きました。体力的にも精神的にも一番エネルギッシュな時期を新聞記者として働き、そのことを喜びとしていた者にとって、慰安婦問題をめぐる不祥事は耐えがたいものがあります。[...]慰安婦報道をめぐる過ちは、勘違いや単純ミスによる記事の訂正と同列に論じるわけにはいきません。[...]「問題の本質は何か」などという論理で逃げるのはおかしい。[...]

慰安婦報道に関して思い出すのは、この問題に深くかかわっていた松井やより元編集委員のことです。彼女は退社した後、私がジャカルタ支局長をしていた時にインドネシアを訪れ、かつての日本軍政時代のことを取材していきました。来訪した彼女に対して、私は後輩の記者として知り得る限りの情報と資料を提供しようとしたのですが、彼女は私の話にまったく耳を傾けようとしませんでした。ただ、自分の意見と主張を繰り返すだけ。それは新聞記者としての振る舞いではなく、活動家のそれでした。[...]イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題の虚報と混乱をもたらしたのだ、と私は考えています。(以下略)

2015/09/05

武藤前特命全権大使 「挺対協に武器を与え続けてきた朝日の罪は重い」


武藤正敏著『日韓対立の真相』。在韓国特命全権大使を務めた人物だけに、温和な人物である。読んでいて歯痒く感じてしまう部分も多いのだが、朝日新聞と挺対協に関してはかなり厳しい。

朝日新聞が第三者委員会に過去の慰安婦報道の検証を依頼したのは昨年。報告書は12月に公表された。この中で委員の一人は、外国の新聞を分析して朝日新聞の慰安婦報道は国際社会に対してあまり影響しなかったと結論づけた(報告書 p.82)。ただし、そう結論づけた委員(林香里)自身、調査の限界も指摘しており、影響は無かったという結論に釈然としない人も多かったろう。

武藤は、外国メディアが朝日新聞を直接引用したか否かではない、韓国の慰安婦支援団体を通じて、朝日新聞は間接的に外国メディアに誤解を広めたと見ている。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。(外国の)報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼ら(挺対協)の主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。・・・海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

韓国民は挺対協によってマインドコントロールされており、挺対協は「一部であったかもしれない状況を誇張し」それを一般化することで現在の慰安婦のイメージを作り上げた、日韓が首脳会談を行えないのも挺対協が原因だと武藤前大使は分析する。

嫌韓の始まりを作ったのも朝日新聞?
92年1月11日の一面 首相訪韓のタイミングにぶつけたと言われている。

武藤はまた、嫌韓の始まりも朝日新聞の例の1992年1月11日の記事が原因だったと考えている。当時武藤は、外務省のアジア局で韓国を担当していた。「浴衣がけで来てほしい」と招かれていた宮沢首相の訪韓は朝日の報道で青天の霹靂となり、韓国側の態度は日本の親韓議員すら憤慨させた(朝日新聞は、この記事を宮沢首相の訪韓のタイミングに意図的にぶつけたと言われている)。「日本人の嫌韓感情の始まりだった」・・・そして現在の最悪の日韓関係に至る。朝日新聞の罪は重い。

この「慰安婦報道」の国際的な影響については、第三者委員会でも分析しています。林香里委員(東京大学大学院情報学環教授)は、「国際社会に対する朝日新聞による慰安婦報道の影響」について定量分析を行ない、「欧宋の報道機関の朝日新聞からの引用数は三十一本にすぎなかった」とし、「韓国における吉田氏への吉田氏への言及もわずか六十八本だった」と述べています。

他の委員やインタビューに応じた海外の有識者らにしても、日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にしたとのイメージが相当定着しているとしたうえで、「朝日新聞がそういうイメージの形成に大きな影響を及ぼした決定的な証拠はない」としています。

しかし一方で、「韓国側の慰安婦問題に関する過激な言説を、朝日新聞その他、日本のメディアはいわばエンドース(裏書)してきた。それは韓国における過激な批判に弾みをつけ、さらに過激化させた」と、同委員会は指摘しています。

韓国でもっとも過激な物言いをしているのは、もはやご承知のとおり、挺対協です。報道機関がどれだけ朝日新聞を引用しているかも重要ですが、それ以上に肝心なことは、彼らの主張の根拠を朝日新聞が提供してきたということです。

韓国のマスコミや有識者はよく「良心的日本人」の意見を紹介します。彼らのなかには「竹島は韓国の領土だ」とすら言う人がいて、韓国では英雄として扱われています。同様に、日本で「もっとも信頼度が高い」とされてきた朝日新聞か、慰安婦問題について日本を貶めるイメージを報道すればどうなるでしょうか。

また、海外のメディアが引用する回数が少ないといっても、外国で慰安婦像を次々に設置して報道を焚きつけている挺対協に、朝日新聞は「武器」を与え続けてきたのです。海外における慰安婦問題の認識は挺対協の影響を大きく受けているのですから、その罪は非常に重いと言えるでしょう。

朝日新聞がミスリードした罪

韓国の人々は挺対協によってマインドコントロールされており、その主張が通説となっています。彼らは一部であったかもしれない状況を誇張し、それを一般化して流布することで現在のイメージを形成しているのです。しかし、韓国政府も有識者たちも、それがおかしいとは言えない。といって、日本側が否定しても取り合おうとはしません。

この団体は、日本への悪印象を韓国社会に定着させ、彼らが主張する人道的な不法行為に対して法的責任を認めさせ、謝罪と賠償が実現するまで日韓関係を改善するべきではないと言い張っています。朴大統領が「日本政府が誠意を示すまでは首脳会談は行なわない」と頑なな姿勢を崩さないのも、挺対協の主張に振り回されているからです。朝日新聞の報道は、その流れをつくった大きな要素だったと言えるでしょう。

とくに日韓関係を転換させる重要なエポックとなったのが、。一九九二年一月十一日の記事です。宮沢総理の韓国訪問直前のこの日、朝日新聞は第一面で「慰安所の運営にあたり、軍の関与を示す新資料を発見した」と報じたのです。

同時に解説や社説を通して「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は八万とも二十万とも言われる」と伝えられました。これこそ、のちの挺身隊の主張そのものです。

このような記事が掲載されたことで、蘆泰愚大統領の追及が厳しくなり、宮沢総理は謝罪するとともに、調査を約束せざるをえない状況となりました。当初、「浴衣がけで来てほしい」との招待を受けていた総理でしたが、訪韓したら様相はがらりと変わっていました。もちろん、朝日報道だけが原因ではなかったのでしょうが、大きな影響を与えたことは間違いないと考えます。

そして、私はこのときの総理訪韓における韓国側の対応が日本人の嫌韓感情の始まりだったと見ています。当時、私はアジア局で韓国担当の課長を務めていたのですが、帰国後、多くの国会議員の方々から「韓国は実にけしからん。この状況をなぜ防げなかったのだ」と、大変厳しいお叱りをいただきました。とくに、それまで日韓関係のために努力をしてこられた議員からの声が大きかったと記憶しています。

朝日新聞の報道がどれほど日韓関係に悪影響を及ぼしたのか、当事者である朝日のみなさんがどの程度わかっていたのかは知る由もありません。しかし、私が先輩に教わってきたように、外務省の人間がマスコミをミスリードすることは絶対避けるべきであるのと同様、マスコミも世論をミスリードすることは許されないはずです。

「吉田証言」に誤りがあると判断した時点、あるいは疑わしいと考えた時点で訂正するべきだったのではないでしょうか。それを放っておいたために現在の難局を招いた朝日新聞の責任は甚大だと言わざるをえません。



2015/09/02

ストラスフィールド 「慰安婦像失敗、豪州の民主主義が勝利」

「三姉妹像」
姿に惑わされてはいけない

オーストラリアのストラスフィールド市を一年以上悩ませていた慰安婦像設置を巡る騒ぎに、先月漸く終止符が打たれた(たまには、英字新聞も翻訳してみた)。

地元紙がタイトルに使った「オーストラリアのデモクラシーの勝利」、これはVaccari市長の言葉らしいのだが、実はこの市長が慰安婦像推進派に取り込まれており、インタビューに決着に15ヶ月も要した言い訳をしているが、長引いた原因の一つはこの人物らしい。彼としては、こう言う他なかったのだろう。前市長の息子は、問題を大きくしてしまった市を批判している。Vaccari市長周辺の動きは、現地で反対運動を行っているAustralia-Japan Community Networkのウェブサイトに詳しい。もしも像の設置が決まっていたら、市長はどう言ったろう?新聞はどんなタイトルをつけたろう?やはり「オーストラリアのデモクラシーの勝利」と言ったろうか?新聞はともかく、市長はこうは言わなかったような気がする。

確かに、慰安婦像のオーストラリア大陸進出はひとまず阻止された。しかし、誤解が解けたわけではない。カナダやオーストラリアは慰安婦像の設置を食い止めたが、現地の日本人は、歴史論争には踏み込まず、モニュメント設置(既成事実作り)を阻止することに専念する、いわば言いたいことも言わず我慢する作戦を取っているからである。

それでも、なんとなくオーストラリアの雰囲気が微妙に変わって来てはいまいか?住民へのアンケートの結果、慰安婦像を支持する声は少数で連邦政府も像の設置にいい顔をしていなかったようである。これは、像のテーマが市の規定に適っていないというだけの理由だろうか?議員の中には、市が反日団体に嵌められたとハッキリと言う者までいた。

それにしても、「オーストラリアの勝利!」・・・こういうのがウケるのは、やはり移民国家だからなのだろうか?

※Ourstrathfieldの記事は江川さんから

慰安婦像の挫折、デモクラシーの勝利

国際社会が見つめる中でのオーストラリア・デモクラシーの勝利というのが衆目の一致するところだった。ストラスフィールド議会は今夜、第二次大戦中のいわゆる慰安婦を追悼するモニュメント(像)の設置を見送ることを票決した。

この決定により、ストラスフィールドの広場がこのような記念碑に相応しいかどうかについて、長く、時に感情的となった議論に終止符を打たれると見られている。

この問題は、70年前、20万人の若い女性が朝鮮や中国やその他のアジアの国々から日本兵の性奴隷として連れ去られたという主張を巡る議論の渦中にある二つの国--日本と韓国でニュースになっていた。

この問題は大きな歴史論争となり、昨夜、この問題の為だけの特別議会が開かれたストラスフィールドの公民館にへと流れ込んだのである。

入り口を警備員が固める中、日本人と韓国人を主体とした160人を超える人々が、あるいは意見を表明する為に、あるいは聴衆となる為に集まった。

テレビの画面では三ヶ国語の実況解説が流れ、日英韓国語によるストラスフィールド・シーン(ローカル紙)の特別版が配られた。

一部で懸念されたような抗議活動には発展せず、討論は繊細にかつそつなく進められ、文明的だった。

議長を務めたVaccari市長は、三人の外国メディアのレポーターに向かい、「オーストラリアのデモクラシーの勝利です。オーストラリアのデモクラシーが生きていることを知りました」と語った。

結論が出るまでに15ヶ月を要したことについて長過ぎたと思うかと問われ、市長は「もっと早く片付けば良かったと思う。・・・だけど、キチンとする必要があったので」と答えた。

住民の意識調査の結果、過半数が碑に反対と分った。そして、オーストラリアの首相府と外務省に問い合わせた結果も。

6人の議員は無記名投票で、碑が市の方針に反すると言う議会のスタッフたちの勧告通り、設置の提案について実行しない方向に票を投じた。

記念碑は、地域住民の献身を記念する物であるべきだと議会スタッフらは報告していた。本件は、「市の記念碑の基準に合致しない」と。

Sang Ok議員は、自分は日本の戦争犯罪を追及する全豪州中韓連合の前(? passed)議長だったという理由で議事には参加しなかった。

賛成反対双方から4名ずつ、8名の演説者が意見表明の為に5分ずつ時間を与えられた。退席する際、全員に拍手が送られた。

慰安婦問題はオーストラリアと日米の関係を不安定化させる陰謀であるという主張もあった。また、歴史の過ちを正すために像を建てて欲しいという訴えもあった。

日本人の妻が最近子供を出産した南アフリカ生まれのGlenn McRaeは、碑は「人道問題とも女性の人権問題とも関係ない」と主張した。

Peter Wertheimは会場に向かい、「多文化社会であるストラスフィールドで記念出来ずに、どこでやるのか?」と問うた。

McRae氏は、一部の移住者のコミュニティーは、オーストラリアに移民して来ても歴史的敵意を徹底していると主張した。「彼らは、我がオーストラリアの価値観を受け入れるべきだし、尊重すべきなのです」。

シドニー工科大でジェノサイドを教えるPanayiotis Diamadis博士は、イスラム国(ISS)が女性や若い娘を人身売買しているという話は、慰安婦問題によって提起された問題は今も生きている。碑は全ての民族の女性の為の物だと主張した。

前市長の息子でありストラスフィールド市のalderman(参事会員?市会議員?)でもある元新聞販売業Geoff Boyceは、記念碑に関する市議会のポリシーは地域の英霊の為の物というものであって、この碑には無理があると述べた。

「ここはオーストラリアであって・・・ここには韓国人や中国人やアメリカ市民の支部は存在しません。我々は皆オーストラリア人なのです」

彼は、議会の「幾分不注意」がこの問題をここまで大きくしてしまったと付け加えた。

シドニー・インナーウェスト区中華ビジネス連合と「日本の戦争犯罪を追及する全豪州中韓連合」のDong Dong Yang氏は、「この碑は・・・戦時下で苦しんだ全ての民族の女性を象徴する物です」と述べた。

しかし、ゴトウ・メイコは、この碑がオーストラリアの国家安全保障を損なう(?compromise)、日本は慰安婦問題について何度も謝罪して来たと主張した。

最後に21歳のYeo Ji Yanは、碑が全ての女性に対する暴力を抑止する役に立つと述べた。

Helen McLucas議員は、会場の人々に、これは市で扱うべき問題ではなかったのに「反日」組織によって「我々に押し付けられた」と話した。

地元のコミュニティからは碑に対する支持は無かったし、(オーストラリアの)ANZACデーに絡め、この碑が全ての女性に対する暴力を防止するなどと主張するのは「侮辱だ」と彼女は述べた。

「この碑は、地域に大きな分裂をもたらしている」と彼女は付け加えた。

Daniel Bott議員は、これは外務省が扱うべき問題であり、ストラスフィールド市の問題ではないと主張した。

Stephanie Kokkolis議員は、自分は、過半数が碑を支持しないと言っている住民の見解に従うことに決めたと述べた。Andrew Soulos議員は、これに同意し、時期的に不適当だと述べた。

Vaccari議員は、会場に向かってこう述べた。「戦争に勝者はない。男にとっても女にとっても、人間にとって悲劇なのです」。

「この話には二つの側面がある」ことを認めつつ、彼もまた、この問題は「ストラスフィールド市の手に余り」連邦政府が扱うべき問題だと主張した。

最後にRaj Datta議員が、このような討論の場が設けられることは、オーストラリアの勲章(オーストラリアへの贈り物)であると述べた。結局は、殆どの者が決定を受け入れ、「オーストラリア人として家路に着くのです」。

そういうわけで、集会は平和裏に解散となり、どうやらその通りになったようだ。


AAAプロジェクト 韓人団体らとワシントン日本大使館前で「リメンバー・パールハーバー」


「後悔は謝罪ではない」「慰安婦決議はどこへ行った?」「リメンバー・パールハーバー」。8月26日、ロサンゼルスから自転車でやって来た二人連れの若者たちと、ワシントンの日本大使館でデモを行っているのは、メリーランド州韓人会とワシントン挺対協のメンバー。

自転車の二人は、AAAプロジェクトと銘打ち、慰安婦問題を訴える為に北米大陸を横断して来た。AAAプロジェクトについては、いろいろニュースがあったがまとめ切れないでいる。スタート地点は、例のグレンデールの慰安婦像の前だった。 [ソース 他]