2012/02/21

総連と沖縄のハルモニ



ここで出てくる元慰安婦ペ・ポンギに関しては、初期のインタビューが残っている。インタビューから見えて来る彼女の人柄は、とても素朴で、戦争という極限状態を体験しながら、その思い出を淡々と語っている。実際に自分が知っている多くの戦争体験者はこんな感じだった。

ソン・シンドにも当てはまるが、こういう素朴なお婆さんを「支援者」たちが変えて行く。そして最終的には運動家たちの理論の代弁者になり、死後もこのように過去の発言がひとり歩きし始める。もちろん、その中には実際に故人が喋った通りの言葉もあるかもしれないが、死んだ慰安婦に自分たちの政治的主張を仮託しているのではないかと思われるフシもある。

「夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん」

金洙燮という人は、元沖縄県本部委員長だったらしい。もしかしたら、ペ・ポンギは当時、金から総連の政治的主張も色々と吹きこまれたのかもしれない。


「平和のため闘った人」 ペ・ポンギさん、没後20年しのぶ

沖縄戦中、旧日本軍の「慰安婦」にさせられ、戦後も沖縄で過ごした朝鮮半島出身のペ・ポンギさんをしのぶ「没後20年、ペ・ポンギさんを偲ぶ 戦時性奴隷『慰安婦』問題は今?」(NPO法人沖縄恨之碑の会主催)が18日、那覇市の県男女共同参画センターてぃるるであった。ペさんが亡くなるまで交流し支え続けた金洙燮(キムスソプ)さん、賢玉(ヒョクノ)さん夫妻が「人間的に尊敬できる人だった。平和のための闘いを続けてきた人だった」と思い出を語った。

ペさんは1944年にだまされて連れてこられ、渡嘉敷島の慰安所で1日20~30人の日本兵の性の相手をさせられた。戦後も故郷には帰らず、県内で暮らし91年10月に那覇市内で死去した。

金夫妻がペさんと出会ったのは75年。当時のペさんは他人を拒否する状態。夫妻は行っては断られ、追い出され、心を開いてくれるまで3年近くかかったという。

夫妻との交流で、朝鮮戦争により故郷が分断されたことや、沖縄が朝鮮戦争の出撃基地だったこと、韓国に米軍基地があることを知ったペさん。賢玉さんは「沖縄県民が二度と戦争に加担したくないと基地や戦争に反対していることに感謝の気持ちを抱いていた」と話した。

洙燮さんは「ペさんは、分断され米軍基地があって支配されている故郷には行けないと大泣きしたことがあった」と語った。

賢玉さんは「70年代、80年代のペさんの踏ん張りが小さな火となり線となり本土の『慰安婦』に力を与え運動が広がっていった。ペさんは『統一した朝鮮に帰り、日本政府に賠償してほしい』と言っていたことを忘れないでほしい」と結んだ。

琉球新報 2012.2.20


再録になるが、山谷哲夫によるペ・ポンギのインタビューも下に紹介する。このインタビューは、70年代のもの。短いが、彼女の人柄がよく現れていると思う。


山谷 おばあさん、天皇陛下が有難いと思ったことありますか。

ペ・ポンギ(本では仮名) ・・・。

山谷 渡嘉敷にいるとき、兵隊さんたち、死ぬとき、「天皇陛下万歳」といって死にましたか?

ペ これは、「万歳」っていうのは聞かないですが。だいぶ怪我したり、また死んだ人もいるしね、怪我してくる人もいる。

山谷 一緒にいた7人のうち一人が爆撃で死にましたね。

ペ ええ。

山谷 死ぬときは、おばあさん見ましたか。

ペ あの若い人3名は、炊事場に入って、うちら4名は風呂場に座っておったんです。ああ、上からもうやるんですよ、二三日も。もう、バンバンバンバン落ちてね、まっ黒くして何も見えない。その話聞くどころか、みんな銘々逃げる。うちはそのときゲタ履いて、ゲタ履いて逃げるとき入口でころんでね、草の中に、もう、入って隠れておったんですが。自分の身体がこんなこんなする・・・。

山谷 ハルモニ、たとえば、渡嘉敷で商売しなさいと言ったのは、結局(昭和)天皇陛下なんですけども、いままだ、天皇陛下は生きているんですけども、どう思いますか?

ペ まだ元気ですよ。少しは腰が曲がってるね、ちょっと前よりはね。

山谷 天皇陛下がね。

ペ 天皇陛下。まだ奥さん(香淳皇后)は、まだピンピンするね。少し腰曲がってるね、天皇陛下。

山谷 天皇陛下は嫌いじゃないわけですか。

ペ そんなことわからないですよ、嫌い好き、そんなこと・・・。


なお、沖縄恨之碑の会は、この様にペ・ポンギを紹介しているが[※1]、たぶん彼女は強制連行とは無関係。ぼかされてはいるが、琉球新報にもあるように女衒の甘言に釣られて慰安婦になったケース。

[...]アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)がいる。[...]

CML 2012.2.15
恨之碑の会の前身は、「恨之碑建立をすすめる会沖縄」。08年頃から韓国の市民団体と連携を始めた。恨之碑の会の名前は出て来ないが、この年に韓国挺身隊問題対策協議会の尹・貞玉(ユン・ジョンオク)が来島して宮古島の市長に慰安婦の碑を建てることを訴えているから、挺対協と恨之碑の会が結びついたということだろう。


※1
沖縄恨(ハン)之碑の会より連続講座のご案内です。


*重複配信失礼します。


今週の土曜日、ぜひご参加ください。


●第18回ポンソナ講座
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ -戦時性奴隷「慰安婦」問題は今?


●日時 2月18日(土) 午後6時半~
●会場 てぃるる 沖縄県男女共同参加センター
那覇市西町 パシフィックホテル奥側
●参加費 500円


●第一部  
DVD「希望へと羽ばたく蝶-20年の歴史 ハルモニの平和」
東京・ソウル集会に参加して  上間芳子さん
「慰安婦」問題の今   浦崎成子さん
●第二部
没後20年、ペ ポンギさんを偲ぶ
キム スソプさん、キム ヒョノクさん、安里英子さん
結語  平良 修さん
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ソウルの日本大使館前では、毎週水曜日に日本政府に「日本軍『慰安婦』問題の解決を求める」、水曜デモが
行われる。それは、1992年に始まり、昨年の12月14日でちょうど20年となり、デモは1000回を数えた。その日、
ソウルの水曜デモに呼応して東京をはじめ日本の各地、沖縄でもデモと集会がもたれた。夏の暑い日も、酷寒の
冬でも、ハルモニ (おばあさん) たちとその支援者は、なぜ、デモを続けてきたのか。




アジア太平洋戦争中、中国や朝鮮半島の多くの若い女性たち (中には、10代半ばの少女まで) が、日本軍
の性奴隷として犠牲になった。
沖縄には、延べ約140カ所にのぼる「慰安所」が設置された。強制連行された女性たちの数はよくわかっていないが、そのうちの一人に戦後も沖縄に生き続け、ついに故郷に帰ることなく亡くなったペ ポンギさん(1991年没)
がいる。ペ ポンギさんが亡くなって20年。今度のポンソナ講座では、ペ ポンギさんが1975年に「慰安婦」だったこと
を名乗り出ていらい、ずっとペ ポンギさんのお世話をしてきた、キム スソプ、キム
ヒョノク夫妻に、ペ ポンギ
さんの思い出を語ってもらう。
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●NPO法人沖縄恨之碑の会は、2004年から戦後補償問題、特に朝鮮人強制連行の問題や朝鮮半島と沖縄をむすぶ平和課題についての学習会「ポンソナ講座」を開催しています。
ポンソナとは、ハングル(朝鮮・韓国語)です。日本語では、「鳳仙花」。ウチナー語で、「てぃんさぐぬ花」の意味です。
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【お問い合わせ・連絡先】


NPO法人沖縄恨之碑の会
Tel・Fax 098-863-4776
携帯   090-3970-8772 (事務局まで)

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