2012/02/15

慰安婦像の前で泣き崩れる日本人牧師



2chでは相変わらず国籍を調べろなどと毒づいている人がいるが、実はこういうタイプの日本人は多いのである。特にキリスト者に目立つ。先々月ある韓国在住の日本人牧師の講演を聞きに行ったが、思ったのは、この宗教の教義自体にこの種の陥穽にはまり易い弱点があるらしいということ(誤解のないように言っておくと、キリスト教徒の中にもこういった人々に対して批判的な人はいる)。キリスト教とは関係ないが、在日朝鮮人(差別)問題と慰安婦問題を混同して冷静な判断が出来なくなるのは、村山一兵と同じパターン。


韓国の政治団体が日本政府に対する当てつけに作った偶像(彼女たちはこれを「平和の像」と名付けた)の前で泣き崩れる姿は、確かに一種の偶像崇拝であって合理的思考とは無縁な印象を与える。吉田清治のような詐話師でないにしても韓国のマスコミにとっては好餌なのだろう、カメラが周囲に群がっている。

この野村基之という人物は、過去にこのような文章も書いていたようである。

「大日本帝国の侵略を受け始めた後、1910年からは酷い植民地支配を受けるようになりました。[...]このような寒村にも嘗て日本軍の軍旗がはためき軍靴の音が轟きわたり、住民、特に婦女子を恐怖のどん底に突き落としたのか…あるいは鳥撃帽を深くかぶった特高が嗅ぎ廻っていたのか?…などと想像をしただけでも、日本人青年の一人としてあの穏やかで美しい田舎の土地の上に立つのに罪悪感を覚えたのを今でも鮮明に記憶しています。(日本による過去の侵略の歴史を全く学んでいない現在の日本の若者は韓国映画の俳優に夢中になっています。 極めて不幸な国民だと私はいつも戸惑っています。)」(韓国春川の白基豊校長先生

真実を探求するより想像力を優先させてしまうこの人の性向は、若い頃から変わっていなかったという事だろう。本当に「軍靴の音が轟きわたり」、婦女子が「恐怖のどん底に突き落と」されたのか、村の古老に聞いてみれば良かったのである。ある意味不幸なのはこの人の方である。「平和を愛する人々」と日本の社会に訴えたいと彼は言う。慰安婦像は「平和の像」。運動家たちは日本大使館前の通りを「平和通り」と名付けようとも訴えている。平和という言葉がどんどん胡散臭くなっていくようである。

追記: 中央日報と聯合ニュースの英語版の記事も追加した。中央日報では、野村は forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army(日本帝国陸軍によって性奴隷になる事を強制された)慰安婦を象徴する像にJapan's wartime atrocities(戦時の日本の残虐行為--慰安所システム?)を謝罪した事にされている。野村の場合は彼の本心とさして違わないのかもしれないが、大体において良心的日本人の行動を韓国メディアが解説する場合、話が膨らむ傾向にあるようである。聯合ニュースには日本軍が強制したとは書かれていないが、女性たちは強制された、日本政府が the war crimes(この戦争犯罪)について謝罪も賠償もしていないと書いている。

″花を踏みにじった日本、申し訳ない心を持つのは当然″

'清渓川貧民運動' 野村牧師‘鳳仙花’を演奏し、バラの花を献花
日本大使館への抗議訪問は不発

染みが浮かんだ八十歳の老人の手がフルートの上に用心深く乗せられた。 指を動かし、歌曲‘鳳仙花’の悲しい韻律がソウル、鍾路区の駐韓日本大使館前に鳴り響いた。‘ウルミッテソン ポンソンファヤ(垣根の下に咲いた鳳仙花)ネモヤンギ チョリャンハダ(君の形がわびしい…)’老人が準備したフルート演奏と一輪のバラは日本軍‘慰安婦’被害少女のためのものだった。
13日午前、少女の姿を形象化した‘平和碑’前に立った老人は、演奏を終えてひざまずいた。 そして涙を流した。彼は日本人社会運動家 野村基之(81・山梨県ベタニヤ教会)牧師だ。 「鳳仙花の歌詞の中の秋風は日本の侵略を意味し、落ちた花は‘慰安婦’被害者ですよね。5才の頃、日本人たちが朝鮮人を苛めるのを見て心が痛みました。その申し訳ない心を持って演奏したいと思いました。」

彼は約40年前にも幼い息子・娘を連れて日帝が虐殺を犯した京畿道(キョンギド)華城(ファソン)、堤岩里(チェアムリ)教会と独立活動家が獄苦にあえいだ西大門(ソデムン)刑務所を訪ねた。 野村牧師と韓国の縁は尋常ではない。韓国戦争が勃発する前に日本、東京に留学に来た韓国人の友人を知ってから韓国は彼にとって近い国になった。1968年、宣教師として韓国の地に第1歩を踏み、ソウル、清渓川の貧民街の惨状を目撃した。 野村牧師は1980年代中盤まで韓国と日本を50余回にわたり往復し清渓川で布教と貧民救済活動を行った。‘貧民運動の父’故チェ・ジョング前議員と共にしたことだった。‘平和碑’献花に先立ち、彼は12日慶南(キョンナム)、統営(トンヨン)で開かれたチェ前議員13周忌追悼式に参加した。 昨年も日帰りで韓国に立ち寄った。清渓川で布教活動をして縁を結んだおばさんが亡くなり、後に残った病院の借金800万ウォンを渡すためであった。

野村牧師は日本政府が‘慰安婦’問題の始末をつけなければならないと語った。1965年、韓-日協定を結んだが両国共にこの問題を覆いかくし適当にやりすごしたということだ。「‘慰安婦’被害は明らかな事実ではないですか。 申し訳ない心を持つのは私の良心としては当然のことです。」彼はこの日、駐韓日本大使館を訪問しようとしたが取材陣が集まり志を達せなかった。日本の一市民として‘慰安婦’問題に対する日本政府の立場を聞き、韓国人が納得できる措置を取ってほしいという話をしようとした。「2つの民族がなくなりはしないでしょう。 争うより仲良く過ごすのが良くないのかと、お願いしたかったのです。」

野村牧師の携帯電話の液晶画面には空を飛ぶ飛行機の写真がある。彼の家の窓を開けば空に見える日本成田空港と仁川空港を行き来する飛行機だ。彼はきちんとした韓国語で話を続けた。「飛行機を見るたびに韓国の友人を思います。」 15日に日本に戻る彼は平和を愛する人々と共に‘慰安婦’問題解決を望む意を日本社会に伝えると語った。

ハンギョレ 2012.2.13
livedoorニュース(訳) 2012.2.14

Remorse Over 'Comfort Women'

Japanese pastor Motoyuki Nomura bowed in apology for Japan's wartime atrocities on Monday in front of a statue representing the "comfort women" forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army during World War II. He played a Korean song on the flute in front of the statue, which was set up in December last year near the Japanese Embassy in Seoul.

Nomura is known for his volunteer work in the 1970s and 80s when he visited Korea 50 times to help the poor living in slums along the Cheonggye Stream.


Japanese pastor's atonement over comfort women in Seoul

Motoyuki Nomura (R), a Japanese pastor, weeps after playing a Korean song on the flute at the Peace Monument, a statue of a young girl that symbolizes sex slaves known as "comfort women," in front of the Japanese Embassy in Seoul on Feb. 13, 2012. Nomura, 81, who hails from Japan's Yamanashi Prefecture and worked for the relief of poor people in South Korea in the 1970s and '80s, made the visit as a gesture of his own atonement for Japan's wartime atrocities. The monument was dedicated to now-elderly Korean women who were forced into sexual slavery for Japanese soldiers during World War II. Former comfort women, along with their supporters, have called for an apology and compensation from the Japanese government, which has yet to offer either for the war crimes.


“꽃송이 짓밟은 일본, 죄송한 마음 갖는건 당연”
팔순의 일본인, 위안부 소녀상에 무릎꿇다


'청계천 빈민운동' 노무라 목사
‘봉선화’ 연주하며 장미꽃 헌화
일본대사관 항의방문은 불발


검버섯이 핀 팔순 노인의 손이 플루트 위에 조심스레 얹어졌다. 손가락을 움직이자, 가곡 ‘봉선화’의 서글픈 운율이 서울 종로구 주한 일본대사관 앞길에 울려 퍼졌다. ‘울 밑에 선 봉선화야 네 모양이 처량하다….’ 노인이 준비한 플루트 연주와 장미꽃 한 송이는 일본군 ‘위안부’ 피해 소녀를 위한 것이었다.
13일 오전 소녀의 모습을 형상화한 ‘평화비’앞에 선 노인은 연주를 마친 뒤 무릎을 꿇었다. 그리고 이내 흐느꼈다. 그는 일본인 사회운동가 노무라 모토유키(81·야마나시현 베다니교회) 목사다. “봉선화 노랫말 속 가을바람은 일본 침략을 의미하고, 떨어진 꽃송이는 ‘위안부’ 피해자들 같아요. 5살 무렵, 일본인들이 조선인을 무시하는 것을 보고 마음이 아팠습니다. 그 미안한 마음을 가지고 연주하고 싶었어요.”


그는 약 40년 전에도 어린 아들·딸을 데리고 일제가 학살을 저지른 경기도 화성 제암리 교회를 찾았었다. 노무라 목사와 한국의 인연은 남다르다. 한국전쟁이 발발하기 전 일본 도쿄에 유학 온 한국인 친구를 알게 되면서 한국은 그에게 가까운 나라가 됐다. 1968년 선교사로 한국 땅에 첫 발을 디디면서 서울 청계천 판자촌의 참상을 목격했다. 노무라 목사는 1980년대 중반까지 한국과 일본을 50여차례 오가며 청계천에서 선교와 빈민구제 활동을 했다. ‘빈민운동의 대부’ 고 제정구 전 의원과 함께 한 일이었다. ‘평화비’ 헌화에 앞서, 그는 12일 경남 고성에서 열린 제 전 의원 13주기 추모식에 참석했다. 지난해에도 하루 일정으로 한국에 들렀다. 청계천에서 선교활동을 하며 연을 맺은 아주머니가 숨지면서 남긴 병원 빚 800만원을 내주기 위해서였다.


노무라 목사는 일본 정부가 ‘위안부’ 문제를 매듭지어야 한다고 말했다. 1965년 한-일 협정을 맺었지만 양국 모두 이 문제를 덮고 적당히 넘어갔다는 것이다. “‘위안부’피해는 분명한 사실 아닙니까. 죄송한 마음을 갖는 건 내 양심으로서는 당연한 일입니다.” 그는 이날 주한 일본대사관을 방문하려 했으나 취재진이 몰려 뜻을 이루진 못했다. 일본 시민으로서 ‘위안부’ 문제에 대한 일본 정부의 입장을 묻고, 한국인들이 납득할 수 있는 조처를 취해달라는 말을 하려 했었다. “두 민족이 사라지진 않잖아요. 싸우기보다 친하게 지내는 게 좋지 않느냐고, 부탁하고 싶었습니다.”


노무라 목사 휴대폰 액정화면에는 하늘을 날고 있는 비행기 사진이 있다. 그의 집 창을 열면 하늘 위로 보이는, 일본 나리타공항과 인천공항을 오가는 비행기다. 그는 또박또박 한국어로 말을 이었다. “비행기를 볼 때마다 한국 친구들을 생각합니다.” 15일 일본으로 돌아가는 그는 평화를 사랑하는 이들과 함께 ‘위안부’ 문제 해결을 바라는 뜻을 일본 사회에 전하겠다고 했다.

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