2011/01/05

ハルモニ助けるため学生がエコバッグ開発


国際平和人権センターとは、慰安婦博物館のことだろうか?


大学生たちが慰安婦被害ハルモニの憩い場「ナムヌの家」を助けようと額を突き合わせて収益をもたらすことが可能な商品を作り、小さな実を結び始めた。

5 日、高麗大によれば経営大学サークル「SIFE」会員ベギョンジン(22.心理学)・・・など6人が昨年12月から「親環境エコバック」を製作して販売している。

エコバックの名前は「花を咲かせる(Blooming)」という英語単語を使って「Blooming Bag」になった。 「歴史的な痛みにより、まだ咲かない慰安婦ハルモニたちの花を咲かせてあげたい」という意味を含んでいる。

これらは「ナムヌの家」財政の80%以上が寄付金で充当されて外部依存度が高い点を変えてみようと自ら収益を創出できる「記念品事業活性化」アイディアを出した。

昨年3月から企画をはじめ、高麗大の公募展に事業計画を提出ハゴソ初期資金として300万ウォンを受け取った。昨年3月から企画を始めて高麗(コリョ)大公募展に事業計画を提出して初期資金で300万ウォンを受けた。  

一過性のビジネスにとどまらないようにしようとする製品の製作から、取引先の確保、販路開拓までの収益を確保するシステムの作成に努めている。

バッグには、『ナヌムの家』の同意を得て、慰安婦被害者の故キム・スンドクが描いた『モトダピン花』という作品で、少女の横にある花の形だけを取ってきてプリントした。

・・・初めてリリースしたエコバックは、先月末から現在までですでに半分ほどの250枚ほどが売れ、200万ウォン余りの収益を出した。

ある大企業の支店の代表取締役が、これらの趣旨に共感し、なんと200枚のバッグをまとめて買ってくれたのに支えられて得た成果だ。

二番目エコバックはデザイナーのキム・ソンユン氏の才能寄付で図案が確定し、早ければ来月から販売される。 

収益金全額は、バッグに再投資するか、ナヌムの家で推進する国際平和人権センターの建設費用として使用する予定である。

背景の陳氏は、「デモだけでなく、消費する商品を通じても、慰安婦被害お婆さんたちの問題を知らせることができると思う。 バッグを通じて人々が歴史的なイシューに簡単に接近するようにし、参加まで引き出せば満たされるだろう」と話した。  

朝鮮日報 2011.1.5

2011年最初の水曜デモ【戦略の転換期?】



 

韓国の慰安婦運動にも、時代によって変遷がある。2009年あたりまでが、第三国の議会や国際機関を利用した外圧戦術の時代なら、今は日本市民との交流が深まり、より広く日本国内に理解者を増やし内側から攻略するという流れに変わってきているようだ。

これは意識的な戦術の転換というより、自民党より「良心的」と思われている民主党に政権が移ったこと、長年に渡る日本市民の活動が、2007年のアメリカの下院決議をキッカケに各地の自治体でドミノ現象のように「意見書」 採択の成果を上げたことの反映だろう。

その一方で、欧米やオーストラリアでさらなる非難決議をという運動は成果を出せずにいる。これもソフトイメージの民主党が政権の座にいるからだろう。あのような運動は安倍政権のような「敵役」がいないと難しい。

韓国挺身隊問題対策協議会は5日、ソウル・鐘路区の在韓日本大使館前で、ことし最初の「水曜集会」を開いた。・・・951回目を迎えたこの日の集会は、昨年12月31日とことし1月3日に死去した元慰安婦、チョン・ユンホンさんとイ・ギソンさんを追悼する黙とうで始まった。

協議会は、先ごろ菅直人首相が「反省することは反省し、未来を見据えた協力関係を構築していくよう努める」と発言したことを評価。また、日本の36の地方議会が慰安婦問題をめぐる政府への意見書を可決したこと信頼を寄せるとし、日本政府の態度に注目する姿勢を強調した。

韓国政府に対しては、慰安婦問題解決に向け国レベルで国際活動を展開するなど、より積極的な対応を求めた。


「(韓)国レベルで国際活動を展開するなど、より積極的な対応を求めた」・・・もちろん国際戦略(外圧作戦)を放棄したわけではない。

台湾中央放送局が伝える慰安婦の声「日本人は傲慢」



先月の馬英九台湾総統が出席した慰安婦展のニュース。日本語のソースもあったので追加しておく。これは、台湾の中央放送局(Radio Taiwan International)の報道。

・・・馬・総統は同展示会に出席し挨拶した際、「慰安婦問題は世界的問題だ。そのため、国連人権委員会1995年、特別な委員会を発足させ、関連の国を調査に訪れた。国連はのちに発表した報告で慰安婦を軍人の性的奴隷と表現し、人道に反した犯罪行為だと確認した。しかし、日本の裁判所は素直にそれに向き合えない」と述べ、日本政府が歴史に向き合い、慰安婦問題で過ちを認め、謝罪しないことに極めて遺憾だとした。

今年89歳の元慰安婦、陳桃さんは“日本人は傲慢だ。われわれの話に耳を傾けてくれず、自分だけが話し終わったらさっさと出ようとした。頭に来て責めたが一向に相手にしてもらえなかった”と語るなど、日本人裁判官の無礼さを明かした。馬・総統は陳さんの手を握り、政府は必ず最後まで協力すると約束した。

Radio Taiwan International 2010/12/26
http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=116407



慰安婦損害賠償請求訴訟で敗訴、馬・総統が遺憾

台北市政府と婦女救援基金会主催の「長期にわたった台湾籍元慰安婦の対日訴訟過程特別展」が26日に開幕。日本統治時代、慰安所で働くことを強要された台湾の女性たち(現在13人しか残っていない)は1999年に婦女救援基金会による協力のもと、日本政府に賠償を求め、訴訟を提起したが、5年前の2005年に敗訴となった。これらの歴史が忘れられないよう、台北市政府と関連団体は特別に関連の映像展示会を行った。

馬・総統は同展示会に出席し挨拶した際、「慰安婦問題は世界的問題だ。そのため、国連人権委員会は1995年、特別な委員会を発足させ、関連の国を調査に訪れた。国連はのちに発表した報告で慰安婦を軍人の性的奴隷と表現し、人道に反した犯罪行為だと確認した。しかし、日本の裁判所は素直にそれに向き合えない」と述べ、日本政府が歴史に向き合い、慰安婦問題で過ちを認め、謝罪しないことに極めて遺憾だとした。

今年89歳の元慰安婦、陳桃さんは“日本人は傲慢だ。われわれの話に耳を傾けてくれず、自分だけが話し終わったらさっさと出ようとした。頭に来て責めたが一向に相手にしてもらえなかった”と語るなど、日本人裁判官の無礼さを明かした。馬・総統は陳さんの手を握り、政府は必ず最後まで協力すると約束した。

Radio Taiwan International 2010/12/26
http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=116407

2011/01/04

訃報【チョン・ユンホン】Korea Heraldはどう伝えた?




「日本軍慰安婦被害者」チョン・ユンホンが、昨年末90歳で亡くなった。それを報じる韓国の新聞記事を紹介する。一つ目は連合ニュース(ハングル・機械翻訳)。二つ目は、英字紙コリア・ヘラルド。

連合ニュースは22歳で「連行された」、コリア・ヘラルドは夫ともども「徴用(ドラフト)された」としている。ハンギョレには二十歳の時に先に夫が「徴用連行された」とある(20살 때 징용으로 끌려간 남편)。

夫の「連行」が1940~41年のことだとすると、国民徴用令は44年、官斡旋でも42年の3月からだから、 夫の場合も徴用というのは違うような気がする。チョン本人も終戦を待たずに帰国している。


1933年に結婚し二人の子供を産んだが、22才だった1942年連行されて(연행돼)中国で慰安婦生活を送り、1945年解放直前身ごもったまま帰ってきた。
連合ニュース(ハングル) 2011.1.4
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/01/03/0906000000AKR20110103029400004.HTML


Jeong was drafted as a comfort woman in 1942. She served in China after learning about the death of her husband, who was also drafted to the war. She was discharged the following year after becoming pregnant. 
チョンは1942年に慰安婦として徴用(draft)された。同じく徴用された夫の死を知った後、中国で働いていた。翌年妊娠を機に解放(discharged)された。

コリア・ヘラルド2011.1.4
http://www.koreaherald.com/national/Detail.jsp?newsMLId=20110103000719


英字紙コリア・ヘラルドの記事はかなり詳しく、チョンを日本兵のための性奴隷制に強制されたサバイバーとして紹介している。慰安婦問題は植民地時代の日韓間の問題としてもっとも困難な問題であり、日本政府は今だ慰安婦は自発的だったとして強く抵抗している、しかしながら国連その他はこれを非人道的な犯罪と定義し、アメリカの議会ではすみやかな解決を促す決議が上がったと解説している。

もちろんここは日本の英字紙が、日本は全ての慰安婦が自発的だったなどとは主張していない、むしろその境遇に同情とお詫びの気持ちを表明していると言った記事を掲載してバランスをとってくれる・・・などという事は期待できない2011年の正月なのであった。 明けましておめでとうございます。

日本語の記事は見当たらなかったので、参考までに3日に亡くなったイ・ギソンの訃報(連合ニュース・日本語版)を紹介する。

旧日本軍の元慰安婦、イ・ギソンさんが3日午前11時半ごろ持病のため病院で死去した。享年87歳。

・・・1923年に慶尚南道・統営で生まれたイ(ギソン)さんは、1939年に中国へ連行され慰安婦として暮らし、第二次世界大戦終戦(植民地支配からの解放)直後に統営に戻った。1993年に慰安婦被害者の申告を行い、地元を中心に慰安婦問題の解決を訴えてきた。

連合ニュース(日本語版)2011.1.4
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/01/04/0200000000AJP20110104000700882.HTML


한미희 기자 = 일본군 위안부 피해자인 정윤홍 할머니가 지난해 12월31일 오후 9시께 경기도 일산 자택에서 노환으로 별세했다. 향년 90세.

   한국정신대문제대책협의회에 따르면 1920년 충남 당진에서 태어난 정 할머니는 1933년 결혼해 두 아이를 낳았으나 22살이던 1942년 연행돼 중국 동안에서 위안부 생활을 하다 1945년 해방 직전 임신한 채 돌아왔다.

   1982년 경기도 평택으로 옮겨 노점상을 하며 생계를 이어왔으며 1995년 위안부 피해자 신고를 했다.

   앞서 같은 달 10일에는 1942년 싱가포르로 끌려가 위안부 생활을 한 이양근 할머니가 전북 익산에서 87세를 일기로 세상을 떠났다.

   작년에만 9명의 위안부 할머니가 별세해 정부에 등록한 위안부 피해 생존자는 이제 79명으로 줄었다.

連合ニュース2011.1.3
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/01/03/0906000000AKR20110103029400004.HTML



Jeong Yun-hong, one of the few surviving former “comfort women,” who were forced into sexual slavery for Japanese soldiers during World War II, died on Dec. 31 at her home in Ilsan, northwest of Seoul, a support group said Monday. She was 90 years old.

Her death reduced the number of the state-registered former Korean comfort women to 79.

Jeong Yun-hong

The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan, a civic group seeking compensation for comfort women, said that Jeong was drafted as a comfort woman in 1942. She served in China after learning about the death of her husband, who was also drafted to the war.

She was discharged the following year after becoming pregnant. She made a living by working as a street vendor in Pyeongtaek, Gyeonggi Province after giving birth. She stayed at the support group’s shelter in 2003 and fought to get the Japanese government to recognize and apologize to the victims.

“It is time the government should step up efforts to solve the problem. The witnesses and victims are dying,” a spokeswoman for the KCW told The Korea Herald.

The comfort women is one of the thorniest issues between Seoul and Tokyo regarding Japan’s colonial rule of Korea from 1910-45. Amid strong resistance from the Japanese government, which still claims the women’s sexual service was voluntary, the practice was defined by the U.N. and the International Labor Organization, as well as other international agencies, as an inhumane crime. In 2007, the U.S. Congress also passed a resolution requesting the Japanese government’s swift response to resolve it.

Supporters of the comfort women note time is running out to resolve the issue as many victims are now dying. Nine died last year and the majority of the survivors are in poor health.

Last month, lawyers from Japan and South Korea demanded the Japanese government apologize to the victims and pay them compensation.
A support group member pays tribute to deceased comfort women at a weekly Wednesday protest in front of the Japanese Embassy in Seoul on Dec. 29. (Yonhap News)

In November, activists from all over the world collected signatures of 300,000 people calling for a swift settlement of the issue.

“It is time to make aggressive progress,” Yang Noh-ja, director of the KCW, said in an interview held before the event.

By Bae Ji-sook (baejisook@heraldm.com)

コリア・ヘラルド 2011.1.3
http://www.koreaherald.com/national/Detail.jsp?newsMLId=20110103000719


일본군 위안부 피해자인 정윤홍(사진)씨가 31일 밤 9시 별세했다. 향년 90. 충남 당진에서 태어난 고인은 20살 때 징용으로 끌려간 남편의 사망 소식을 들었고, 22살 되던 해인 1942년 연행돼 중국 동안성에서 위안부 생활을 했다.

1945년 해방 직전 위안소에서 임신한 채 돌아왔고, 그해 9월 출산했다. 1982년 경기도 평택에서 노점상 등을 운영하며 생계를 이어왔다. 1995년 일본군 위안부 피해자 신고를 했고, 2003년 한국정신대문제대책협의회(정대협) 쉼터에서 1년간 머물기도 했다. 이로써 정부에 등록된 위안부 할머니 생존자는 79명으로 줄었다. 발인은 3일 오전 8시 동국대 일산병원에서 한다.

김민경 기자, 사진 한국정신대문제대책협의회 제공

2011/01/03

村山一兵【08年】右翼は慰安婦を否定する



ナヌムの家で研究員として働いている村山一兵。研究者というより広報官といった感じか?それにしても、昨年この人の話を聞きに行った時は、こんな無茶な話はしていなかった。二年の間に多少は学んだか。

韓国にいて慰安婦について学ぶことは難しい。 韓国では客観的な情報がなかなか入って来ないからだ。

これは二年前のインタビュー。


韓日の架け橋としてさらに積極的に取り組みたい思いから、慰安婦の被害者に関する漫画を日本語に翻訳したこともあった。

その漫画は漫画家クォン・テソンさんが韓国挺身隊問題対策協議会とナヌムの家から得た資料と証言を元に描いた『もう一度生まれたら、花に』。彼はこれを翻訳してインターネットに載せると、『戦争と性-韓国で「慰安婦」と向き合う』というに収録された。・・・彼の努力で日本で最初に知られ始めたこの漫画の韓国語版は今月出版され、英訳本(Born Again as a Flower)も出版された。

彼は翻訳本を「ネイバージャパン」と「ヤフージャパン」のサイトに載せた。掲載から3日ほど過ぎると右翼たちによる悪質な書き込みでいっぱいになった。

『慰安婦は存在しなかった』という書き込みが多いですね。れっきとした証拠が日本軍の資料にも残っているのにですよ。でもそれより重要なことは日本の普通の人々の考えです。右翼らの考えは柔軟性も何もないが、普通の人々はこの問題に対して知らない人が多いんです。

そんな中、右翼たちは有名な漫画家に高額を支払って自分たちの主張を込めた漫画を描かせています。慰安婦を悪いキャラクターに設定して描くんですよ。そんな背景があるから『もう一度生まれたら、花に』の翻訳に打ち込みました」

中央日報2008.01.24 [閉架]


下にあるのが、彼が日本語訳した「もう一度生まれたら、花に」。史実に忠実かというと、かなり疑わしい。翻訳していてそれに気付けない村山は、当然なぜ日本人が反発するのかも理解できない。


彼が右翼の書き込みと思っているものの大部分は、実は普通のネチズンのものだ。韓国で竹島を日本の領土だと言えば非難が殺到する。その程度の話で、とくに右翼というほどの連中ではないはずだ。

「考えに柔軟性がない」のはお互い様。

ハルモニの葬儀と日本人ボランティア【08年】




ハルモニをお見舞いに行く度に日本政府が謝ったかどうか聞かれる、それが辛い。これは二年前の記事だが、村山一兵は今でもこの話を繰り返している。しかしそれならなぜ、「日本政府は謝った」と本当の事を教えてやらないのだろうか?

ネットに上がっている訪問記などを読むと分かるが、実はナヌムの家のハルモニと日本人はとても良い関係にある。しかしながら、大勢の日本人ボランティアがいても一向に誤解は解けない。それは、日本人が本当のことを伝えないからなのだろう。


ムン・ピルギ・ハルモニの告別式…ボランティアの日本人留学生「私たち申し訳なくて」

日本軍慰安婦被害者ムン・ピルギ(82)ハルモニの告別式が7日京畿(キョンギ)広州市(クァンジュシ)、光州(クァンジュ)葬儀場で開かれた。

1943年慰安婦で強制動員されたムン・ハルモニは2003年10月からナムヌの家に暮らし5日亡くなった。

ムン・ハルモニは結婚ぜず血縁は妹一人だけだ。 だが、告別式場は遺族の代わりに弔問客をむかえる若者たちで混みあった。

日本人留学生と市民運動家など30人余りが眼に入った。 語学研修や留学のため韓国に来て帰ってナムヌの家と縁を結んだ人々だ。

彼らは普段からナムヌの家を定期的に探してハルモニたちを慰めた。 また、韓国と日本を行き来して証言集会を開くなど慰安婦問題を知らせる活動をしてきた。

彼らはムン・ハルモニの死亡の報を聞き三日間交代で葬儀室を守った。 告別式場では弔問客を案内して他の慰安婦ハルモニの挙動を助けた。

日本人代表で追悼の辞を読んだ村山一兵氏は「ハルモニが病院に入院中に訪ねて行くと、いつも「日本は謝罪したか?」と気にしなかったことがなく胸が痛い。 いつも孫のようによく接して下さる感謝しまう」と最後の挨拶をした。

一兵氏は2003年延世大に留学に来てナムヌの家を訪問した後、日本に帰らず慰安婦歴史館研究員として働いている(注: 村山は一度帰国して大学を卒業している。機械翻訳が正確でないのかもしれない)。

彼はムン・ハルモニの葬式の後、当日の午後慰安婦証言集会のために北海道に発った。

また他の日本人留学生は「日本の若者たちが訪ねてくる度に、ハルモニたちは顔を一度もしかめなかった」「手を握ってくれ、君たちだけ信じると歓迎したハルモニたちにとても申し訳ない」と目がしらを赤くした。

ナムヌの家アン・シングォン(46)事務局長は「ムン・ハルモニは性格が明るく、情が深く日本学生たちがたくさん従った」として「最後行くところが孤独でなかっただろう」と話した。

ムン・ハルモニの死亡でナムヌの家にはキム・クンジャ(82)ハルモニら7人が残った。

東亜日報 2008.3.8
http://www.donga.com/fbin/output?n=200803080156


恨 못풀고 간 위안부 할머니 마지막 길 지킨 일본 청년들

문필기 할머니 영결식… 자원봉사 日 유학생 “저희가 죄송스러워”

일본군 위안부 피해자 문필기(82) 할머니의 영결식이 7일 경기 광주시 광주장례식장에서 열렸다.

1943년 위안부로 강제 동원됐던 문 할머니는 2003년 10월부터 나눔의 집에서 살다가 5일 세상을 떠났다.

문 할머니는 결혼을 하지 않아 혈육이라곤 여동생 1명뿐이다. 하지만 영결식장은 유족 대신 조문객을 맞는 젊은이들로 붐볐다.

일본인 유학생과 시민운동가 등 30여 명도 눈에 띄었다. 어학연수나 유학차 한국에 왔다가 나눔의 집과 인연을 맺은 사람들이다.

이들은 평소에도 나눔의 집을 정기적으로 찾아 할머니들을 위로했다. 또 한국과 일본을 오가며 증언 집회를 여는 등 위안부 문제를 알리는 활동을 해 왔다.

이들은 문 할머니의 별세 소식을 듣고 사흘간 교대로 빈소를 지켰다. 영결식장에서는 조문객을 안내하고 다른 위안부 할머니의 거동을 도왔다.

일본인 대표로 추도사를 한 무라야마 잇페이(村山一兵) 씨는 “할머니가 병원에 입원 중일 때 찾아가면 항상 ‘일본이 사죄했느냐’며 관심을 놓은 적이 없었는데 가슴이 아프다. 항상 손자처럼 잘 대해 주셔서 감사드린다”고 마지막 인사를 드렸다.

잇페이 씨는 2003년 연세대에 유학 왔다가 나눔의 집을 방문한 뒤 일본에 돌아가지 않고 위안부역사관 연구원으로 일하고 있다.

그는 문 할머니의 장례식 뒤 이날 오후 위안부 증언 집회를 위해 일본 홋카이도(北海道)로 떠났다.

또 다른 일본인 유학생은 “일본 젊은이들이 찾아올 때마다 할머니들이 얼굴 한번 찌푸리지 않았다”며 “손을 잡아주며 너희들만 믿는다고 반겨준 할머니들께 너무 죄송하다”며 눈시울을 붉혔다.

나눔의 집 안신권(46) 사무국장은 “문 할머니가 성격이 밝고 정이 많아 일본 학생들이 많이 따랐다”며 “마지막 가시는 길이 외롭지 않았을 것”이라고 말했다.

문 할머니의 별세로 나눔의 집에는 김군자(82) 할머니 등 7명이 남았다.

donga.com 2008-03-08

「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」と国益【07年】


それにしても、スマラン事件は「強制連行(徴用)」とは関係ないだろうに・・・。保守系議員の「まっすぐ君」にも困ったものである。

こういう人間はブーメランパンチばかりなので、隙が多くつけ込まれやすい。けっきょく自ら国益を損うことになる。

慰安婦問題に関する「日本の前途と歴史教育を考える議員の会(会長:中山成彬)」の提言。


1.「慰安婦」問題に関し、今、米国下院に提出されている決議案は、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化」、「輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴行が含まれるかつて例のない」、「20世紀最大の人身売買」などの客観的史実に基づかない一方的な認識により、日本政府に対して謝罪を求めている。日本の名誉のためにも米下院関係者を含め、「慰安婦」問題に関して内外に正確な理解を求め、決議案が採択されないよう、引続き外交努力を行う。

2.今回の慰安婦決議案も含めた数々の「慰安婦」問題に対する誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている。当時は公娼制度が認められており、慰安婦の中には不幸な境遇の方々がおられたことは認識している。この点に関しては同情を禁じえないし、遺憾の意を表する。しかし、我々の調査では、民間の業者による本人の意思に反する強制連行はあっても、軍や政府による強制連行という事実はなかった。1件だけ、ジャワ島における「スラマン事件」があったが、これは直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものである。政府として本問題の根本的解決のため、再度の実態調査を行い、関連する資料等の結果を全面的に公開することを求める。》 


3年後、中山ら自民党は野に下り、慰安婦問題に熱心な与党の岡崎トミ子議員を追及することになるが、その時、岡崎は「(慰安婦の)名誉と尊厳」というフレーズを繰り返した。すると、保守派は日本人の、進歩派は慰安婦の名誉の為に戦っているわけだ。つまりこれは「名誉と尊厳」の奪い合いであるらしい。


朝日記者 提言をまとめるまでの間、国内外からも反発があり、色々、影響があったかと思うが、この間の活動を総括して、国益上のメリット、デメリットはどういうものがあったか。

中山氏 ・・・私どもは日本の、日本人の名誉のため、先の戦争でお国の犠牲になられた旧日本兵の方々、沢山の日本人の方々がいらっしゃるので、その方々の名誉のためにも事実は事実としてはっきりと世界に示して、日本人の誇りを取り戻すべきだと思いますよ。・・・

朝日記者 (吐き捨てるように)特にデメリットはなかったということでよろしいんですね。

中山氏 デメリットって何ですか?

朝日記者 いや、つまり国益上のですね…。

中山氏 我々は国益を守るためにやってるんですよ。今日も申し上げたんですけどね、これは国家的ないじめだと。黙っていると、日本の子供達は黙っているといじめられちゃうんで。・・・やはり、反論すべき事は反論していくと。こういう姿勢を貫いていかないと、これからの国際社会において日本の存在感は薄れていくと思いますよ。そういう意味で、私たちは国益のためにやってるんです。国益を損ねようとしている、損なっているとは全く思っていません。

TBS記者 国益のためにやっているというが、米国人等の感情を刺激するのは良くないと、かえって悪い方向に行かないように、という意見はなかったか。

中山氏 私は最初からこの問題は非常に微妙な問題、国内的にも国際的にも非常に微妙なので、非常に慎重にして行かなきゃいけないと思っておりました。しかし、あらぬ誤解とか、曲解に基づく批判に対しては、はっきりと反論していかなきゃいけない。降りかかる火の粉は払わなければ、日本の存在そのものが危ういと。そこが国益じゃないかと思ってます。だから、日本の若い留学生達が例えばアメリカとかカナダに行って、中国の留学生から「あんたの祖先は悪いことばっかりしたんだ」と批判されてね、それに対して反論も出来ずに小さくなっているという人もいる。そういう意味で、歴史教育についてもしっかりやっていかなければならないということじゃないかと思います。》




《「慰安婦」問題に関し「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、「慰安婦問題に関する小委員会」を立ち上げ、昨年12月より有識者、歴史研究者等からの資料の提供、聞き取り等を踏まえ、調査、検証を重ねてきた。
我々としては、歴史の事実に対し、常に誠実、謙虚でありたいと考える。同時に事実ではない、あるいは証左に基づかない非難に対しては明確に正当な主張、反論を行う必要があると考える。

以上を踏まえ、我々は政府に対し、次のように提言する。

1.「慰安婦」問題に関し、今、米国下院に提出されている決議案は、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化」、「輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴行が含まれるかつて例のない」、「20世紀最大の人身売買」などの客観的史実に基づかない一方的な認識により、日本政府に対して謝罪を求めている。日本の名誉のためにも米下院関係者を含め、「慰安婦」問題に関して内外に正確な理解を求め、決議案が採択されないよう、引続き外交努力を行う。

2.今回の慰安婦決議案も含めた数々の「慰安婦」問題に対する誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている。当時は公娼制度が認められており、慰安婦の中には不幸な境遇の方々がおられたことは認識している。この点に関しては同情を禁じえないし、遺憾の意を表する。しかし、我々の調査では、民間の業者による本人の意思に反する強制連行はあっても、軍や政府による強制連行という事実はなかった。1件だけ、ジャワ島における「スラマン事件」があったが、これは直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものである。政府として本問題の根本的解決のため、再度の実態調査を行い、関連する資料等の結果を全面的に公開することを求める。》

さて、この提言に関する中山成彬会長の記者ブリーフの中で、一部、興味深いやりとりがありました。社のスタンスがうかがえます。いかにも、というか。ここ数年、サヨク・リベラルの人たちが、以前は忌み嫌っていた「国益」という言葉をよく使うので面白いなあ、と思います。

《朝日記者 提言をまとめるまでの間、国内外からも反発があり、色々、影響があったかと思うが、この間の活動を総括して、国益上のメリット、デメリットはどういうものがあったか。

中山氏 反発?反発だけじゃなかったですよ。支援の声も多かったですよ。私どもは日本の、日本人の名誉のため、先の戦争でお国の犠牲になられた旧日本兵の方々、沢山の日本人の方々がいらっしゃるので、その方々の名誉のためにも事実は事実としてはっきりと世界に示して、日本人の誇りを取り戻すべきだと思いますよ。そういう観点からやったんであって、一部のマスコミから批判があったことは事実ですけど、ほとんどのマスコミの方々からはむしろ支持の声が強かったと、私はそういう認識をしております。

朝日記者 (吐き捨てるように)特にデメリットはなかったということでよろしいんですね。

中山氏 デメリットって何ですか?

朝日記者 いや、つまり国益上のですね…。

中山氏 我々は国益を守るためにやってるんですよ。今日も申し上げたんですけどね、これは国家的ないじめだと。黙っていると、日本の子供達は黙っているといじめられちゃうんで。私は教育再生の委員長もやってますが、いじめはなくさないといけませんが、いじめに屈しない強い子供達を育てていかなきゃいけないと思いますよ。ですから国際的にも日本人は大人しいから黙ってるんですけどね。黙ってるといじめられることが多いんでね。やはり、反論すべき事は反論していくと。こういう姿勢を貫いていかないと、これからの国際社会において日本の存在感は薄れていくと思いますよ。そういう意味で、私たちは国益のためにやってるんです。国益を損ねようとしている、損なっているとは全く思っていません。

TBS記者 国益のためにやっているというが、米国人等の感情を刺激するのは良くないと、かえって悪い方向に行かないように、という意見はなかったか。

中山氏 私は最初からこの問題は非常に微妙な問題、国内的にも国際的にも非常に微妙なので、非常に慎重にして行かなきゃいけないと思っておりました。しかし、あらぬ誤解とか、曲解に基づく批判に対しては、はっきりと反論していかなきゃいけない。降りかかる火の粉は払わなければ、日本の存在そのものが危ういと。そこが国益じゃないかと思ってます。だから、日本の若い留学生達が例えばアメリカとかカナダに行って、中国の留学生から「あんたの祖先は悪いことばっかりしたんだ」と批判されてね、それに対して反論も出来ずに小さくなっているという人もいる。そういう意味で、歴史教育についてもしっかりやっていかなければならないということじゃないかと思います。》