2011/02/08

毎日新聞 NHK問題に絡め久しぶりの長文記事



朝日が慰安婦問題から距離をとるようになってから、支援者にとって毎日新聞が「最後の望み」のようになってしまった感があるが、その毎日新聞でも最近はこの問題をあまり取り上げていないようだ。少なくともネットで見ている限りでは。前は地方版に時々記事が載っていたものだが・・・。

「韓国や台湾、欧州連合(EU)の各議会でも同様の決議が相次いで可決されている」・・・そもそも、毎日新聞はアメリカで慰安婦決議が採択された時、「歴史認識のずれを埋める対話は米国ともアジア各国とも続ける必要がある」とか、「河野談話で示した謝罪と反省を、繰り返し丁寧に説明する努力を怠ってはならない」http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070801k0000m070155000c.html(リンク切れ)などと複雑な心情を垣間見せるような社説を掲載していなかったか?

この記事の内容は普段市民団体が集会などで喋っているそのままである。想像だが、現場で見かける毎日新聞の記者が日頃紙面に書きたくて、デスクに規制されていた思いを吐き出したという感じではなかったか。今回は、NHKやジャーナリズムの問題ということでデスクを通り易かったのかもしれない。 臺宏士、内藤陽記者のこの記事はWam(女たちの戦争と平和資料館)の主張を代弁してるだけ。これでは新聞記者として失格ではないのか?


NHK特番問題:「慰安婦」放送10年 語り始めた現場職員

旧日本軍の従軍慰安婦問題の責任を追及した民衆法廷を取り上げたNHK教育テレビ「ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力」が01年1月30日に放送されてから10年。元慰安婦らの法廷証言が削除されるなどした政治圧力の有無を巡る、制作現場とNHK側との見解はいまも対立したままだ。NHKが「改変問題」の検証番組の制作を拒み続ける中で、当時の現場職員は出版や講演などを通じて、「真相」を語り始めている。【臺宏士、内藤陽】

先月30日、NHK放送センター(東京都渋谷区)近くの会場で開かれたNHK番組改変問題について考えるシンポジウム。ゲストスピーカーに招かれた同番組のチーフプロデューサーだった永田浩三さん(武蔵大教授)は「なぜ10年間、慰安婦番組は作られていないのか。ドキュメンタリーは、市民の人たちの力を借りながら作っていくものだ。慰安婦については、バウネット(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)やワム(女たちの戦争と平和資料館)の力を借りなければできない。まず、(市民団体に)話を聞くことから事は始まる」と述べた。

同番組の制作に協力したバウネットは「事前説明と異なる番組内容に改変された」として、NHKなどを相手に損害賠償を求めて東京地裁に提訴。最高裁は08年6月、NHK側に200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(07年1月)を破棄し請求を棄却した。ただ、高裁が認定した「政治家の意図をそんたくして当たり障りのない番組にすることを考え(番組の)改変が行われた」としたことについて、最高裁は判断しなかった。

その後も市民グループとNHKとの間で深まった溝は埋まらないままだという。永田さんは「裁判は終わっているのに、(NHKが)前に進もうとしないのであれば番組化することはできない」と危機感を口にした。

番組担当デスクで永田さんの部下だった長井暁さんが05年1月に内部告発。2人は1年半後に制作現場から外され、09年2~3月、続けて退職した。そして永田さんは昨年7月、「NHK、鉄の沈黙はだれのために--番組改変事件10年目の告白」(柏書房)を出版した。その本の中で、当時番組制作局長で番組の内容を変えるよう指示した側にいた伊東律子・元理事(09年死去)から、その指示は海老沢勝二会長(当時)からだったとの証言を引き出している。また本には、吉岡民夫・教養番組部長(当時)が改変箇所を書き留めた台本にあった「フルヤ アベ アライ」の手書きメモの写真も掲載している。当時、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などのメンバーだった古屋圭司、安倍晋三、荒井広幸の現職の国会議員の名前だとみられる。3人とも放送前にNHK幹部と面会した事実は認めている。緊迫した局内の様子を物語る「証拠」だともいえる。

さらに上からの指示に異議を唱える永田さんに対して松尾武・放送総局長(当時)は「いくらでも慰安婦の問題はできる。これが最後ではない」と明言したという。永田さんは「出版後にNHK関係者を名乗る人物から連絡があり、『会長の指示の下で国会担当の3人の職員が動いていた』と言ってきた。30年以上NHKにいたがあんな異常なことは初めてだった。二度と繰り返さないためにも、当時の幹部には真相を語ってもらいたい」と述べた。

一方、長井さんも昨年10月に東京都千代田区の明治大学で開かれたシンポジウムで、「あの時、何が起きたのか?」という演題で講演した。長井さんはその後も関係者への取材を続けているといい、「自民党の政治家たちが番組を変えようと、国会対策担当局長を通じて番組に手を突っ込み、NHKの編集権、自主・自立が損なわれた事件だった」と振り返った。ただ、自身が内部告発するまでには放送後4年が必要だった。この点については「自分自身の問題としてあのときなぜ戦えなかったのか。処分されたり、組織の中で自分の居場所がなくなってしまうことを恐れた。ジャーナリストの良心に反する要求を拒否するすべはないのか。日本ではあまり議論されてこなかったが、大きな問題だ」と語った。

◇検証番組、制作せず

番組改変問題の影響はいまも残っている。NHKは過去に放送した番組を各地の放送局などで公開しているが、「問われる戦時性暴力」は対象外だ。職員でさえも見られない状態が続いているという。

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は09年4月、改変問題に関する意見書で職員に対して、「番組を自分の目で見、意見書や資料と突き合わせ、自らたしかめ、考えていただきたい」とNHK内部での活発な議論を要望した。福地茂雄会長(当時)も09年5月の会見で、会長自身が職員とこの問題について意見交換することに「職員の中でそういう声が強くあれば、考えてもいい」と述べたが、いまも実現していない。

また、一部の経営委員や視聴者団体から求められた「検証番組」の制作にも消極的だ。松本正之会長は今月3日の記者会見で、「最高裁判決も出されたことで区切りがついたと思っている。私はNHKの原点、放送法の目的に立って、視聴者の期待に応えたいと考えている。(この問題は)01年の話だ。これまでを振り返るのでなく、これから前に向かって放送法の原点にしっかり立ってやっていきたい」といい、「(慰安婦番組については)必要な時に必要な番組を作る。それに尽きる。検証番組は制作するつもりはない」と述べた。

放送倫理検証委員会委員の服部孝章・立教大教授(メディア法)は「この10年間に慰安婦番組が制作されなかったり、ライブラリーで番組を公開していないのは、NHKが問われた『政治との距離』について、いずれ世の中の人が忘れてしまうことを期待しているのではないかと思われてもやむを得ないと思う。また、BPOは現場職員にこの番組問題を考えてもらうことを期待したが、その声が聞こえてこないのは残念だ」と指摘する。

◇国内外で関心高く

番組が放送された後、この問題は国内外で広がりを見せている。

05年8月には慰安婦問題の拠点として「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)が開館した。名乗り出た被害者が高齢で年を追うごとに亡くなっている中で、08年3月、兵庫県宝塚市議会が慰安婦問題解決を政府に求める意見書を全国で初めて可決した。同資料館によると、これまでに36の地方議会が真相究明や被害者の尊厳回復を求める意見書を可決した。

野党だった民主党は00年、被害者に国家賠償の道を開く「戦時性的強制被害者問題の解決促進に関する法案」を初めて参院に提出。その後も共産、社民両党との共同提案が繰り返されている。民主党は09年政策集で慰安婦問題に取り組む考えを表明したが、政権交代後も成立には至っていない。また、同問題を取り上げる教科書は減少。元慰安婦が起こした戦後補償裁判も、10件すべてが原告側敗訴に終わっている。

一方、国際的には08年に国連の自由権規約委員会が日本政府に解決を図るよう勧告。07年から08年にかけて、米、カナダ、オランダ、韓国や台湾、欧州連合(EU)の各議会でも同様の決議が相次いで可決されている

元NHKディレクターで、「女たちの戦争と平和資料館」の池田恵理子館長は「この10年間、慰安婦問題を巡って多くの動きがあった。NHKで番組にできないはずはないと思う」と話している。

毎日新聞2011.2.7

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