シリーズでお伝えしている「語り継ぐ沖縄戦」。きょうはその性質上、これまであまり語られてこなかった問題を取り上げます。
第32軍司令部壕の説明板の記述をめぐり、ことし再び注目を集めることになった「従軍慰安婦」。多くの資料や証言で明らかになるその被害の実態とは。
那覇市首里の第32軍司令部壕。ことし3月、県が設置した説明板が注目を集めました。
沖縄戦の研究者らで構成する説明板設置のための検討委員会が作成した文案から、県が「慰安婦」などの記述を削除したのです。
知事「県の一種の公文書みたいなものですから、内容によって事実であるかどうかというのは、県は県で判断して書くというのは当然ではありませんか」
新城委員「(検証が)足りなければ、さらに資料を持ってきたり研究者を加えたり、色んな工夫ができるわけです。そういったことを一切排除して、これで決定しましたということが納得いかない」
記述の削除について「(第32軍壕に関しては)確証が持てないため」とする県。再検証を求める検討委員会や市民団体。議論は平行線のまま、今も決着はついていません。
企画展実行委・高里鈴代さん「実はこの130余りの慰安所が沖縄本島全域にできてくるわけです」
高里鈴代さん。仲間と共に、市町村史や日本軍の資料などから、沖縄戦で日本軍の慰安作業を強いられた女性たちがいたことを明らかにする企画展をつくりあげました。
性行為を介する問題であることから、元慰安婦や加害者として関わった兵士たちが、公に声をあげる例は数えるほどしかありません。
高里さん「段々と問題が曖昧になってくると、好きでやってたんでしょうとか、慰安婦にされた女性のほうに視点がいくんだけれども、そもそもなぜこれが存在するのかということが限りなく軍の行為なんですよ」
企画展では、慰安婦制度の目的が兵士の地元女性への強姦を抑制するという「強姦対策」、戦力を維持するための「性病予防」や「ストレス発散」などにあったと指摘。慰安婦にするため、日本軍によって、植民地だった朝鮮や中国などから連れてこられた女性たちがいたこと。県内でも辻遊郭の女性などが、ターゲットにされたことを紹介しています。
1日に数十人もの兵士の相手を強いられたという性奴隷そのものの暮らし。暴力や性病などにも苦しみました。
日本軍の資料には「軍人倶楽部」と称された慰安所の設計図が。
アメリカ軍が作成した第32軍壕の見取り図には「女性たちの部屋」があったことが記されています。
(鉄血勤皇隊として壕にいた)大田昌秀さん「その時は慰安婦ということはわからなかった。ただ女性たちがいることは見ていて、なぜ戦場に女性がいるのかということを(仲間と)話し合ってた」
展示された資料や証言は「慰安婦」制度が軍によって組織的に行われたものであること。そして第32軍壕をはじめ、県内各地に多くの慰安婦がいたことを浮きぼりにするのです。
来場者の中には留学生の姿も。
ミャンマー人留学生「こんなことがあってはならない。戦争によって起きたことです」
中国人留学生「この沖縄で、日本で戦争で被害にあった日本の女性だけではなく、朝鮮や中国の女性の被害も経験もみんなに教えることはこの戦争の一種の証拠になりますよね」
会場には、慰安婦であったことを初めて明らかにしたペ・ポンギさんの遺品も。
(親戚の家が慰安所にされた)吉川さん「韓国から来て、非常に色が白くてすっきりしたお姉さん達を見て、子ども心にもきれいなお姉さんたちだなとそういう印象が強かったですね。当時は、これは差別の激しいものですからね。性の奴隷というのかな。(兵士は)あんまり罪悪感もなかったんじゃないですかね」
戦後のアメリカ兵による性暴力犯罪に関するコーナーも。
企画展実行委・浦崎成子さん「敵国の女性に対しては、何をしてもいいという考えを持ってるということ。それは日本軍であれ米軍であれ同じように、軍隊が女性に向かっていく性暴力は同じだということ」
そして、軍だけではなく、私たちにも加害者だった一面があると指摘します。
高里さん「実は強姦防止のためには必要だという眼差しで見ていたり、蔑みの眼で見ていたりというものが、実はある意味、戦争を構成していく、進めていくものの大きな要素となっているのではと思います」
来場者「なかなか広く共有されてこなかったという点でも、戦争の捉え方とか、考えることがあるのかな」「戦争の罪というのでしょうか。そういうことを私たちは見守り続けていかないといけないというふうに思います」
読谷村にある慰霊碑。朝鮮人慰安婦らの思いを刻んだ碑は、私たちに問いかけます。
「この島はなぜ寡黙になってしまったのか なぜ語ろうとしないのか 女たちの悲しみを」
慰安婦問題を通して気づかされる私たち自身の差別意識や加害者性。忘れてはならない沖縄戦の一面です。
慰安婦に関する書籍などを買う人の中には、かつて兵士として関わった人が少なくないといいます。反省の念からなのか、思い出話としてなのか。その理由は人それぞれです。
実行委員会のメンバーは、今も当時の記憶に苦しむ元慰安婦の方がいたら「あなたは戦争の被害者だったんです」と伝えたい、と話していました。
企画展は27日までです。
琉球朝日放送 ステーションQ 2012.6.21
2012/06/30
[メモ] 琉球朝日放送と慰安婦展
2012/06/25
朝日新聞は史実にこだわらない
命令が無くとも「空気」の中で自殺すれば「強制死」
朝日にとって、細川ガラシャの死も「強制死」か?
「論争が続いている」と言いながら、朝日新聞は一方の言い分しか取り上げない。文科省が何をした地元の人が何と言っている、ばかりで自分の考えは明かさない。自分の「社説」は「歴史を学べる場を残せ」ぐらい。説明板の内容が史実かどうかについて言質も取らせないくせに、「地元の声」を利用して読者を印象操作しようとしている。
32軍壕の説明板から慰安婦の記述を削除させたのが、地元沖縄の仲井真知事であったことすら、社説には触れられていない。知事は、「証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない」から説明板に記載するのは「適切ではない」と言っていたはずである。イデオロギーを優先して史実の検証をなおざりにして来たのは、朝日新聞の方である。
慰安婦の強制連行は事実だったのか、そもそも壕には慰安婦がいたのか、沖縄の住民は本当に軍によって自決を強制されたのか、朝日新聞は「地元の声」の後ろに隠れていないで、明確に「社説」を表明すべきである。
県の旧平和祈念資料館の設立理念を記した文には、住民「自ら命を絶ち」という記述があった。だが、2000年に開いた現在の平和祈念資料館では論議の末に「自ら命を絶たされ」に直した。館内の説明も「強制による集団死」に改めた。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と詠んで死んだ細川ガラシャを、日本語では「強制による死」とは言わない。こういう議論のやり方を強弁と言う。
安良城さんは講義で旧日本軍の史料を使う。例えば1945年6月15日の「鹿山文書」は旧日本軍による住民虐殺が起きた久米島で、海軍通信隊長が出した文書だ。米軍の投降勧告ビラを持っている者は「敵のスパイとみなして銃殺する」とある。
「強制の空気」を醸成した当時の朝日新聞の記事も、よい史料になることだろう。ぜひ沖縄国際大学に提供されたい。
米軍基地問題では仲井真知事を引用する朝日だが
知事が慰安婦記述は不適切とした事には触れない
知事が慰安婦記述は不適切とした事には触れない
以下、今日の朝日新聞の社説。
沖縄慰霊の日―戦争の史実にこだわる
歴史を伝える。そのために残すべき言葉をめぐり、沖縄で論争が続いている。
沖縄県が那覇市の首里城公園内に設けた説明板のことだ。
ここには、沖縄戦でこの地域の旧陸軍を指揮した第32軍司令部壕(ごう)があった。
説明文の原案は、県から委嘱された大学教員らの検討委員会がまとめたが、原案にあった壕内にいた「慰安婦」や、壕周辺であった「日本軍による住民虐殺」の言葉が、県によって削除された。安全を理由に、今後、壕を埋めることもあるという。
検討委員会の委員を務めた村上有慶さんは「説明板を一度撤去し、文案を練り直してほしい」と批判している。
大切な戦争遺跡だ。豊見城(とみぐすく)市にある旧海軍司令部壕のように歴史を学べる場所になるよう整備し、保存するべきだ。
折しも、米軍の新型輸送機オスプレイの配備を拒む県民の闘争が島ぐるみになりつつある。
そんな状況の下で、6月23日の沖縄慰霊の日を迎えた。
平和を希求する県民の心は、歴史を大切にする思いと重なっている。
沖縄戦をめぐっては、旧文部省や文部科学省が高校日本史の教科書検定で、日本兵による住民虐殺の記述の削除を求めたり、集団死への「日本軍の強制」を消させたりした。
そうした動きに、沖縄国際大学で国際平和学を教える安良城(あらしろ)米子さんは、教科書執筆者が証拠となる史料に基づいて、沖縄戦の本質を記すべきだという。
安良城さんは講義で旧日本軍の史料を使う。例えば1945年6月15日の「鹿山文書」は旧日本軍による住民虐殺が起きた久米島で、海軍通信隊長が出した文書だ。米軍の投降勧告ビラを持っている者は「敵のスパイとみなして銃殺する」とある。
住民の証言を裏づける史料といえる。沖縄戦で軍は住民を守らなかった。「それどころか、日本軍の軍事作戦で住民が直接に日本軍に殺害されたり、死に追い込まれたりしたことを学生は学ぶ」という。そして安良城さんは、「集団自決」という言葉にも慎重に、と求める。
県の旧平和祈念資料館の設立理念を記した文には、住民「自ら命を絶ち」という記述があった。だが、2000年に開いた現在の平和祈念資料館では論議の末に「自ら命を絶たされ」に直した。館内の説明も「強制による集団死」に改めた。
「集団自決」という言葉には国に殉じたものとして賛美し、強制された死を隠す意図があると、地元の人は感じている。
朝日新聞 2012.6.25
県によって(削除された)→村上さんは(批判している)→文科省が(削除した)→安良城さんは(と求める)→平和祈念資料館では(表記を改めた)→地元の人は(感じている)
・・・朝日新聞の「社説」はどこにあるのだ?
2012/04/24
32軍壕問題 検討委の反論
32軍司令部壕の説明板を巡る騒動から、こんな情報も出ていた。参加者が「『慰安婦』『住民虐殺』は軍隊は住民を守らないという沖縄戦の本質を語る上で欠かせない実相」と語ったというように、非常に政治色の強い騒動と見える。若藤楼の話は興味深いが、一般的に運動家にとっては自分の意志で慰安婦になることはあり得ないというのが前提にあるようである。
32軍壕「慰安婦は史実」検討委が反論
県が第32軍司令部壕の説明板から「慰安婦」「住民虐殺」を削除した問題のシンポジウムが22日、那覇市であり、文案をまとめた検討委員が経過を報告した。会場から「記述は日本軍をおとしめる」と批判が出たのに対し、検討委の池田榮史委員長(琉球大教授)らは「32軍がどういう軍隊だったのか、史実を明らかにしているにすぎない」と反論した。
質疑応答の時間に、自衛隊OBでつくる県隊友会の元副会長、奥茂治さんが発言した。削除を求めて県に意見書を出したと明らかにした上で、軍命令の中で壕内に女性が居たことが明記されている料亭「若藤」楼について「慰安所なのか」と質問した。
これに対し、村上有慶委員は「若藤楼は軍命で『玉倶楽部』という民営の慰安所になった」と説明。池田委員長は「若藤楼に慰安婦にならざるを得なかった女性たちがいて、32軍壕にいたことは事実だ」と指摘した。
県が独断で文言を削除し、検討委員と話し合う前に説明板を設置したことについて、池田委員長は「外部委員会を愚弄(ぐろう)するやり方。県は今後、答申など聞かないと宣言するようなものだ」と批判した。今後、検討委として文案を再度まとめ、公表する考えを示した。
沖縄平和ネットワークの北上田源さんは、平和ガイドの立場から報告。「32軍壕は、日本軍の加害を兵士個人の問題として例外化させず、組織の問題として語る場として重要だ」と強調した。
会場となった那覇市の教育福祉会館には、約80人が集まった。参加者は「『慰安婦』『住民虐殺』は軍隊は住民を守らないという沖縄戦の本質を語る上で欠かせない実相」として、検討委の継続開催と説明板の見直しを求めるアピールを採択した。
沖縄タイムズ 2012.4.23
2012/03/18
日本軍司令部跡に慰安婦・住民虐殺記載アピール 沖縄
集団自決を「強制集団死」と言い変えたり、慰安婦を「性奴隷」と呼んでみたり。最近は「住民虐殺」という言葉を流行らせたいらしい。こういう人達は、サラリーマンを「社畜」と呼んでいるのだろうか?
沖縄の32軍司令部壕跡に説明版が立てられることになり、市民グループがそこに慰安婦や住民虐殺を記載させようと運動を展開。仲井真沖縄県知事はこれを却下したが、「市民」たちは諦めていない。
第32軍司令部壕、記述削除再検討を アピール採択
県が第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(池田榮史委員長)がまとめた壕の説明板の文案から「慰安婦」と日本軍による住民虐殺、翻訳文から「捨て石」などの記述を削除した問題で、県内の平和ガイドなど10団体は17日、那覇市の教育福祉会館で緊急学習会を開いた。関係者ら約250人が参加。県に対し検討委員会との議論を踏まえた上での再検討を求めるアピール文を全会一致で採択した。
鉄血勤皇師範隊として沖縄戦に動員され、当時司令部壕にいた元学徒兵の渡久山朝章さん(84)は、壕内に多くの女性がいたことや虐殺の様子など自身が目撃したことを克明に証言。県の対応には「沖縄戦の実相の歪曲(わいきょく)につながる。多くの女性の存在と虐殺が削除されると、わたしの記憶も否定されたことになり心に穴があく」と声を震わせた。
県史編集委員で元県立博物館長の大城将保さんは「住民虐殺」について「多くの証言や資料が残っており否定しようがない事実だ。知らないなら分かるが、なかったことをどう証明するのか。両論あり記載できないというのはずさんだ」と県の姿勢を批判した。
検討委員会の委員の1人、新城俊昭沖縄大学客員教授は文案作成の経緯などを説明した。
10団体でつくる同学習会実行委員会は19日にも、仲井真弘多知事、高嶺善伸県議会議長に再検討を求め陳情する準備を進めている。
琉球新報 2012.3.18
2012/03/17
第32軍司令部壕説明板問題で市民派が反発
今日行われる催しだが、さすがに沖縄まで見に行けない。Youtubeなどで講演の内容を公開してくれないだろうか?その価値は十分あると思うのだが?第32軍司令部壕説明板問題で慰安婦・住民虐殺記述削除反対派が反発している。
「沖縄の歴史と文化の中心に、人工の壕を掘り、司令部を置くことを、例えるなら、東京の皇居の下に戦争用の壕をつくるようなものです。 如何に日本軍が沖縄の歴史と文化を踏みにじっていたかを、如実に表しています」・・・さすがに戦後70年も経つと、戦時中には沖縄の住民ですら考えもつかなかったような、こんな呑気な話も出てくるのだろう。
県による「慰安婦」「住民虐殺」記述削除についての緊急学習会
1 講 演 ・・・ 沖縄戦研究者による史実から見た「慰安婦」「住民虐殺」問題について
講師:大城 将保さん(県史編集委員・元県立博物館長)
2 報 告 ・・・ 第32軍司令部壕説明板検討委員会委員による経過説明等
報告者:新城 俊昭さん(説明板設置検討委員・沖縄大学客員教授)
3 証 言 ・・・ 司令部壕にいた元学徒兵の証言
証言者:渡久山 朝章さん(元鉄血勤皇師範隊)
4 集会アピール
● 日 時 3月17日(土) 午後6時~8時30分
● 場 所 教育福祉会館3階ホール(興南高校隣り)
主催:平和ガイド団体多数、青春を語る会、沖教組、高教組
第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)は、首里城の下を掘りぬいた、陣地壕であり、第32軍司令部が置かれました。
首里城は、沖縄の歴史と文化の象徴であり、現在は、首里城は復元され、首里城公園として多くの観光客で賑わっています。
その首里城公園の近くの、首里城と弁財天の間にあり、私たち「語りつぐ会」も戦跡の一つとして、案内しています。
沖縄の歴史と文化の中心に、人工の壕を掘り、司令部を置くことを、例えるなら、東京の皇居の下に戦争用の壕をつくるようなものです。
如何に日本軍が沖縄の歴史と文化を踏みにじっていたかを、如実に表しています。
その第32軍司令部壕跡には、戦跡の説明板がなかったのですが、それを沖縄県が作成するにあたり、文案をまとめた同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)が要望している文言を否定し、沖縄県知事の判断で、設置予定の説明板文案から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言削除を決めました。
仲井真知事は、代表質問で「初めて説明板を置くにあたり、慰安婦の話だとか、虐殺が壕の中ないし周辺であったかどうかで、証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない。(慰安婦と住民虐殺)その文言を入れるというのは、わたしは適切ではないと思っている」と述べました。
日本軍を英雄として取扱い、戦前の日本に回帰したい皆様は、日本軍が住民虐殺をしていない、壕の中に慰安婦もいなかったということにしたいようです。
物的証拠がない中では、ある一部の証言者の言葉を使って、「壕の中には慰安婦はいなかった」と歴史修正主義者は大キャンペーンを行っています。その証言者は嘘はついていないでしょう。ただ、直接見ることはなかっただけだと思います。
しかし、多くの証言の中の一部だけ取り上げて、「慰安婦はいなかった」とするのか、証言者の多くが言っている「慰安婦はいた」とするのか、私たちは、もっともっと、証言者の話や、研究者の話を聞き、真実を見抜く目を養わないといけません。
沖縄平和運動センターも、研究学習会への参加の呼びかけを行っているところです。
私たち、「語りつぐ沖縄平和の会」へも、副会長 上江洲(高教組)さんや、会長 下地(沖教組)さんへ、参加の話があり、上記の学習会に参加することにしました。
会員の皆様をはじめ、多くの皆様のご参加をお願いします。
語りつぐ沖縄平和の会 2012.3.15
2012/03/01
慰安婦文言削除は仲井真知事の判断
24日のニュースの続報だが、翌日(25日)の記事を見落としていた。32軍司令部壕の説明板から慰安婦や住民虐殺の文言を削ったのは、仲井真知事の判断だった。進歩的市民がなんとしても押し込みたかった文言だったが、知事は「慰安婦の話だとか、虐殺が壕の中ないし周辺であったかどうかで、証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない」「適切ではないと思っている」と記者たちに答えた。
23日に知事が「「委員会でちゃんとつくった案を部長が独断でそういうこと(記述変更)やれないんじゃないか」と言ったのは、部長の越権行為を非難したのではなく、自分の指示だったかららしい。
「慰安婦」「虐殺」の削除 知事が判断
仲井真弘多知事は24日、県が那覇市の首里城公園近くの第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)に設置予定の説明板文案から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言削除を決めたことについて、「最終的にはわたしの判断だ」と述べ、自身が削除を決めたことを明らかにした。県庁で記者団に答えた。同日の県議会2月定例会代表質問では「(削除決定を)撤回しない」と述べ、文案をまとめた同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)が要望している文言復活を否定した。
仲井真知事は23日の沖縄タイムスの取材では、説明板の文言削除を「知らない」と答えていたが、24日には一転、(削除報告があったのを)「失念していたかもしれない」と釈明した。
仲井真知事は代表質問で「初めて説明板を置くにあたり、慰安婦の話だとか、虐殺が壕の中ないし周辺であったかどうかで、証言が二つ違うものがある中で、県が責任を持たなければならない。(慰安婦と住民虐殺)その文言を入れるというのは、わたしは適切ではないと思っている」と述べた。嘉陽宗儀氏(共産)に答えた。
環境生活部の下地寛部長は「説明板設置にあたっては、第32軍司令部壕がそこにあったこと、壕が造られた経緯、沖縄戦において果たした役割、壕の存在で沖縄県の受けた被害などが記載されていれば十分設置目的を果たすと考えている。沖縄戦全体の意味については検討していない」との見解を示した。その上で、「県としては、検討委員会の文案を否定したものではない」と述べた。
沖縄タイムズ 2012.2.25
2012/02/25
第32軍司令部壕説明板から慰安婦削除
このニュースの続報。けっきょく県は、説明板設置検討委員会の「慰安婦」記述を拒否した。「沖縄戦研究者ら」は「2点(慰安婦・住民虐殺)の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」と主張しているらしい。仲井真知事も不満そうである。まだひと揉めありそうだ(追記: 翌日の報道で、削除の決定を下したのが仲井真知事である事が明らかになった)。
この壕であったかどうか忘れたが、沖縄の壕の中から回収した櫛を慰安婦の遺品だと言って中国に出来た慰安婦資料館に寄贈したというニュースもあったような[要確認]。女子供を含む民間人が避難していた壕の中で見つけた櫛が何で慰安婦の持ち物だと判るのか不思議に思った記憶がある。仏舎利でもあるまいし。
埼玉県平和資料館の「従軍慰安婦」表記を巡って運動家や民団が押し寄せて来るように、ある種の人達にとっては、こういう事はとても大事らしい。従軍慰安婦という言葉は当時は存在しなかったとか、慰安婦が壕の中にいたかどうか確認できないと説明しても納得しない。慰安婦(問題)が信仰の対象になってしまったからだろう。
「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定
那覇市の首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕の第1坑道入り口付近(園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の裏手)に設置予定の司令部壕説明板で、県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(会長・池田榮史琉球大教授)がまとめた説明文から、証言が分かれていることを理由に「慰安婦」という文言と、日本軍による住民虐殺に関する記述を削除することを23日までに決めた。同委は沖縄戦の実相を伝えるためには欠かせないとして同日午後、下地寛環境生活部長に削除撤回を求める意見書を提出した。
これに対し下地部長は「慰安婦の問題は明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない。虐殺についてもあったという証言と、なかったという証言の両方あって不確か。限られた範囲内で両論併記も難しい」と削除の方針を変えないとした。
検討委は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を県に答申した。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
沖縄戦研究者らは「2点の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」「もう少し歴史資料を踏まえて丁寧に書くべきだ」などとしている。
<用語>32軍司令部壕
沖縄守備軍・第32軍司令部が首里城の地下一帯に構築した壕。守礼門、園比屋武御嶽石門付近から金城町方向に延びる。司令部壕の規模は南北400メートル、総延長は1キロ超。壕構築は1944年12月上旬に開始、沖縄師範学校男子部の学生らが動員された。32軍司令部は米軍の猛攻撃を受け45年5月下旬に壕を放棄し本島南部に撤退。軍民が混在する地上戦が南部で展開され、犠牲者の増大を招いた。
琉球新報 2012.2.24
「住民虐殺」削る 司令部壕の説明板
那覇市の首里城公園近くにある第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)の説明板の設置を進めている県が、壕内の様子を紹介する説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言を削除したことが23日、分かった。文案をまとめた有識者でつくる同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)は同日、県に削除した文言の復活を求める意見書を送付した。県環境生活部は削除理由を「二つの史実について県は確証が持てない」ためとした。「慰安婦はいなかっただろう」とする証言記録が1件あること、住民虐殺は「証言内容の場所が特定できない」ことなどを記述削除の根拠としている。
同検討委員会の池田委員長は「慰安婦や住民虐殺の記述を『行政の責任で抜きました』と県は説明したが、そのプロセスが理解できない。2回の委員会で県側から異論はなかった。県として沖縄戦をどう伝えるのかに関わる問題だ。記述削除の撤回を求め、県と話し合いを続けていきたい」とコメントした。
県は昨年から2回にわたり第32軍司令部壕を平和教育・学習の場として活用するための説明板を設置する目的で検討委員会を開催。委員会は同年11月に壕内部の様子などを説明する文案で「(壕内に)1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居」「壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」と明記した。
県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。
環境生活部は1月に仲井真弘多知事に内容を報告、同20日に部長決裁した。下地寛部長は「説明板設置は壕があった事実とつくられた経緯や役割、影響などを広く知らせるのが目的。さまざまな証言があり、県として事実の確証が持てないため削除した」と述べ、文言を復活する考えはないとした。
県は説明板の発注も済ませており、3月中にも設置する予定。説明板設置事業の予算は約215万円。
知事「知らない 確認する」
仲井真弘多知事は23日、第32軍司令部壕に設置予定の説明板の記述が変更されたことについて「知らない。確認させてほしい」と述べた。その上で「委員会でちゃんとつくった案を部長が独断でそういうこと(記述変更)やれないんじゃないか」との認識を示した。県庁内で沖縄タイムスの取材に答えた。
沖縄タイムズ 2012.2.24
2011/12/16
水曜デモ1000回アクション in 沖縄
従軍慰安婦問題 感心の低さ指摘
韓国水曜デモ1000回アクション@沖縄島実行委員会(高里鈴代実行委員長)は14日夕、那覇市古島の教育福祉会館で、慰安婦問題を考える集会を開いた。
旧日本軍が慰安婦として従軍させた韓国人女性らが日本政府に謝罪と賠償を求め、ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に開く「水曜デモ」が同日、千回に達した節目に合わせて開催。約40人が参加し、慰安婦問題を沖縄から考えていく重要性について、講演会やリレートークで議論を深めた。
県内の慰安所マップを作成している女性史研究家の浦崎成子さん(64)は、首里城近くにある第32軍司令部壕説明板の文面案に、県の検討委員会が慰安婦の存在を記述したことを評価。
「司令部に慰安婦がいたことはさまざまな証言や文献で明らかになっている」と指摘し、県へ同説明板の実現を早期に実現するよう働き掛けようと訴えた。
リレートークでは「教科書で集団自決(強制集団死)の記述が後退したら県民大会が開かれるが、慰安婦では大会はなかった」と、慰安婦問題へ関心が低いことが指摘された。
高里委員長は「戦時中は沖縄の女性も慰安婦にされた。真の解決に至るまで、日本、沖縄からしっかりと問題に向き合うべきだ」と訴えた。
沖縄タイムズ 2011.12.15
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