埼玉平和資料館の展示物から一時期新聞などでも用いられていた「従軍慰安婦」という言葉が取り下げられ、「慰安婦」という言葉に改められた件で、何年にも渡って市民活動家達が資料館側に抗議している。「従軍」の文字が無くなると「強制」の事実が消されてしまうと彼らは主張している。もともと従軍慰安婦という言葉は戦争当時にはなく、資料館としては正確を期したものだろうが、「市民」側は納得しない。
しかし、この話で滑稽なのは、慰安婦の最大の支援団体である韓国の挺対協では、従軍という言葉は女性が進んで従ったという意味になるから不当であるという立場をとっていることである。だから、埼玉で抗議している日本市民たちは梯子を外された・・・というより、梯子のない状態で窓枠にぶら下がっているような状態になっている。宗教論争にありがちな、もはや何の為の議論だか分からない状態である。ようするに、彼らは5年前の上田埼玉県知事の発言に反発しているだけなのだろう。
「市民のためのメディア」で長らくこの問題を追っていた芹沢昇雄記者も、ついには「『日本軍慰安婦』(原注:今、一般的に使われている)など、強制の事実が解る表記に戻すべきである」と、以前よりも輪をかけてはぐらかした言い方になった。
「従軍慰安婦」という言葉から「従軍」という言葉を削ったのは納得いかない。よって復元せよ、と言っているわけだが、挺対協などが反発している「従軍***」に戻せとは言いづらい。「日本軍慰安婦」に戻せと言っているようにも見えるが、これだと日本語としておかしい。「日本軍***」は当初の表記ではなかったのだから。・・・苦し紛れに「『日本軍慰安婦』など、強制の事実が解る表記」に戻すべきだ、と書く他ないのである。
言うまでもないことだが、この場合、「従軍慰安婦」以外では復元にはならない。例えば「日本軍強制性奴隷慰安婦」なら「書き直し」であって、復元ではないのである。
埼玉県平和資料館が8月30日、東松山市高坂図書館の会議室で定例の「運営協議会」(第三者機関)を開いた。
今回、委員の一部に変更があり委員紹介や会長に森田武氏(埼玉大学名誉教授)の選任などの後議事に入り、当日の傍聴者は9人であった。
最初に報告事項として、1.東日本大震災の影響について、2.入館者の状況について、3.平成23年度事業実施状況について、4.平成22年度第2回運営協議会に係る意見について、の報告と質疑の後「協議事項」に入った。平成23年度事業計画案にについて提案があり協議・意見交換の後、「その他」の項に入いった。
上田清司知事が06年の県議会で『古今東西慰安婦はいても従軍慰安婦はいない、埼県平和資料館の歴史年表にある表示は間違っている』と発言した。しかし、当時の館長は館は独立しており「書き換えはしない」と言明していたが、翌年の館長交代で新館長が年表表記の「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き換え、長い間、批判・抗議が続き、今回も議事の「その他」の項でこの問題が取り上げられた。
知事の発言当時、館は定例の「運営協議会」を急遽前倒しして開き、この用語書き換えを運営協議会に諮問し、協議会は「両論併記」の答申をしたが、その後、館の判断で「従軍慰安婦」の表現が削除・書き換えられ、その後の運営委員会でも協議が続いてきた。
館は今までその理由を「当時、従軍慰安婦の言葉はなく、当時使われていた言葉を使った」と、用語の問題と何ら反論にならない理由を押し通してきた。
今回の協議で新崎博昭委員(埼玉県平和資料館を考える会)が不適切と復元を求める意見表明をし、新たに委員に就任した杉田明宏委員(大東文化大学準教授)も「隠すような表現とも受け取り兼ねない」と指摘した。
また、杉田委員が08年10月に立命館大学で開催された『国際平和博物館会議』への出欠の質問に館は「参加していない」と応え、杉田委員はせっかく日本で開かれたのに参加姿勢が欲しかったとの意思表示があった。結果として、この「従軍慰安婦」問題は継続審議として議事を終了した。既にこの問題は5年以上、『埼玉県平和資料館を考える会』(石垣敏夫・代表)などが傍聴を続けながら復元運動を続けている。
また、埼玉県では8月25日「新しい教科書を作る会」系の育鵬社版の教科書が採択されたが、その直前の16日、上田知事が定例記者会見で【間違っても『伊藤博文射殺』と書いている教科書を選んではならない。日本の英雄(伊藤博初代首相)を日本人自身が『射殺』と書いてどうする】などと述べ、歴史・公民教育についての私見を披露し、教育委員会への間接的圧力・介入と批判されている。
(記者私見)
単なる「慰安婦」では強制の事実は伝わらず、当時「慰安婦」は合法的で問題ではなく、「強制」の事実が批判されており政府も上田知事もその事実を認めており、「日本軍慰安婦」(原注:今、一般的に使われている)など、強制の事実が解る表記に戻すべきである。
伊藤博文の射殺にについては自国への貢献だけではなく、朝鮮の強制的併合と共にその初代統監であり、朝鮮民族への弾圧の責任者でもあり、安重根になぜ射殺されたかの、その理由もキチント教えるべきである。
JANJAN 2011.9.2
もっとも、過去記事を改めて検証してみると、復元運動を支援した学者やジャーナリストの中で、芹沢はかなり早い段階から「従軍***」という表記へこだわる事へのリスクに気づいていたのかもしれない。「『従軍』の言葉に拘らなくても強制の事実を伝える義務が」などという微妙な言い回しでハッキリ「従軍慰安婦」という用語を使うべきだとは主張していない。ただし、「学芸員の...『従軍慰安婦と慰安婦は同じ』との発言には開いた口がふさがらない」「和田春樹(東大名誉教授)、吉見義明(中央大学教授)、西野瑠美子(WAM館長)の各氏も『従軍慰安婦』と『慰安婦』は違うと主張しうると指摘しても、『私たちはそう思わない』と鉄面皮であった」とも書いているから、本音は「従軍慰安婦」なのだろう。
「日本市民」以外にも、埼玉平和資料館には民団や元慰安婦が抗議に訪れる。