ちょっと在庫処分。昨年の東京新聞より。
戦時中、労働力を補う為に日本に渡ったのは、朝鮮人女子挺身隊だけではない。もちろん、全てはお国の為という空気の中、誘いを断れなかったケースもあったろう。しかし、戦後こういった事象に「(強制)連行」という言葉をあてた進歩的日本人や一部の在日朝鮮人もまた強引ではなかったか?
台湾の元少年工に旭日小綬章 日台交流かけ橋
戦争中に「高座海軍工廠(こうしょう)」(神奈川県座間市、大和市など)で働いていた台湾人元少年工約二百五十人が八日に訪日する。今年は元少年工が働きはじめてから七十年にあたり、座間市内で歓迎大会が開かれる。元少年工は戦後、「台湾高座会」を結成して日台交流に貢献。会長の李雪峰さん(86)には旭日小綬章が贈られる。 (台北・迫田勝敏)
高座海軍工廠では、戦時下の労働力不足を埋めるため、一九四三(昭和十八)年から計約八千四百人の台湾人少年工が集められた。戦闘機「雷電」などを生産しながら訓練所で勉強した。
李さんは「少年工はみんな俺も日本人だという意識があった。日本に貢献したいと、親の目を盗んで申請書にはんこを押した人もいた」と話し、少年工らが志願してきたと強調する。「当時の台湾人の気持ちは日本人には分からない」とも。
李さんは働きはじめて間もなく、少年工千八百人のリーダーとして名古屋市の三菱重工に派遣された。四四年十二月に空襲に遭い、二十五人の仲間を失った。少年工は旧制中学の卒業資格が得られるとの条件で募集されたが、終戦でもらえなかった。李さんは戦後、少年工の卒業証明の取得に奔走し、十年前に念願をかなえた。
元少年工の平均年齢はすでに八十代半ば。高座会の会員は年々減り、現在は約千六百人。十年ごとに開かれてきた歓迎大会は日台交流に貢献してきたが、李さんは「八十周年は難しい。これが最後」と話す。
今回の歓迎大会は座間市役所前の「ハーモニーホール座間」で開かれ、森喜朗元首相が李さんら元少年工に感謝状を手渡す。予定されていた台湾の李登輝元総統の講演は体調不良で中止になった。
東京新聞 2013.5.8