以下、黒田勝弘「韓国人の歴史観」より
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韓国の歴史教科書で1940年代が「空白」に近いほど簡単な記述になっているのには、いくつかの理由がある。最大の理由は、その「抵抗史観」にしたがえばこの時期には目ぼしい抵抗の歴史が見当たらないためである。解放後に「金日成抗日革命神話」を作り上げた北朝鮮においてすら、1940年代は空白の歴史になっている。・・・海外でも独自の「独立戦争」は存在しなかったのである。
そしてより大きな理由は・・・この時代こそ韓国人の日本に対する「協力」が最も進んだ時代であり、「韓国の歴史」としては本当は思い出したくも触れたくもない時期だったからである。教科書もいうように、この時代はまさに韓国人を日本人にしようとした時代であり、実際に韓国人の多くは日本人になりつつあった。
これは当時を生きた韓国人の多くがそう証言している。とくに当時、少年だった韓国人たちは戦時体制下の教育で意識は90%以上、日本人だったといっている。筆者の知り合いの韓国人の証言によると、昭和19年の1944年春、留学先の東京から一時帰郷した時、ソウル(当時は京城)の韓国人街だった鍾路の映画館に入ったところ、ニュース映画で上映される日本軍の戦況に関するニュースに観客が熱狂する様子を見て驚いたという。
彼によると当時の東京の映画館でさえこれほどではなかった。彼は「韓国人もとうとう日本人になってしまったなあ」と複雑な心境になったと語っている。
韓国の歴史教科書には日本に対する「協力」の文字はいっさい登場しない。国定史観としての「抵抗史観」からすれば当然である。日本支配時代は「韓国人の歴史」としては抵抗あるのみであって、協力などあってはならない。あったとしても、それは見たくないし、しかもその協力はすべて強制によるものでなければならないのである。
いわゆる従軍慰安婦問題で韓国側が「強制」にこだわるのも同じ背景である。誤解をおそれずに書けば、従軍慰安婦の本質もまた、戦時体制下の圧倒的な日本人化の流れの中での「協力」現象だったということができるだろう。しかし「韓国人の歴史」としては「協力」ではなく「強制」でなければならないのである。
・・・従軍慰安婦問題でも相手が日本軍(将兵)で日本軍の管理下というのは、当時の歴史状況からすればひょっとして悪というよりむしろ相対的には善という位置付ではなかったかというのが、歴史への想像力である。「日本軍による保証」はむしろ安心と安全の証しになったのではないかというわけだ。
しかし現在の韓国の公式歴史解釈では韓国人従軍慰安婦と日本軍(将兵)は絶対的な敵対関係として、すべてが「強制」で語られている。・・・それは理解できる。だから「強制」という言葉が付くことによってはじめて慰安婦問題は歴史教科書に登場した。