スマラン事件については散々議論されているから、ここでは感想は述べない。
ただ、梶村太一郎が、この資料を訳出して朝日新聞がこれを報じた経緯を書いているから、その部分だけここに抜き出してみる。
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このハーグの王立公文書館に眠っていた史料を初めて手にして訳出した日本人は、他ならぬわたしである。
いきさつはこうだ。一九九二年の春、当時オランダの元捕虜や民間人が起こそうとしていた強制労働補償裁判の準備のために、新美隆弁護士、田中宏教授らがオランダを訪問したのに同行した。九〇年に結成された「対日道義補償請求財団」との協議のなかで、理事長が「強制売春の被害者はわたしたちの仲間にもおり、裁判記録もある」と述べたのだ。当時は韓国人「元慰安婦」の三人が初めて提訴して半年にもならない時期である。聞き逃せない言葉だ。やがて理事長からベルリンのわたしのもとへ、バタビア臨時軍法会議によるBC級戦犯裁判の中の強制売春に関する二件の判決文と公判記録の分厚い書類が届いた。
当時は使用に価する蘭日辞典などもないため、蘭独辞典を脇に解読を試みたのだが、その内容に眠られぬほど興奮したことだけは忘れられない。・・・とまれ、彼マトーさんのすばらしいドイツ語訳と原文を前に翻訳をすすめ、朝日新聞が第一報をしたのは七月二一日。それを終えて、夏休みを兼ねて直接ハーグの公文書館とアムステルダムの戦争資料館を長期間訪問し、新たに史料提供を受けた。それらを基にして、かなり詳しい報道ができたのは八月末になってからである。その間、オランダ紙も詳しく事実と背景を報道している。同地でも大ニュースとなった。
オランダ政府はこれを契機に、膨大な史料を専門家にゆだね、九四年一月に「日本占領下蘭領東印度におけるオランダ人女性に対する強制売春に関する政府所蔵文書調査報告書」を発表した。・・・
前述のように、わたしは九二年の夏休み、家族連れでオランダを訪問した。・・・そのころすでにオランダ政府は、オランダ人女性強制売春に関する報告書作成の準備に着手していた。このとき信頼関係ができた政府関係者のひとりから次のようなことを聴いた。「『スマラン事件』は氷山の一角で、おそらくヨーロッパ系の女性の被害者で確認できるのは数百人でしょう。しかし、中国系被害者はもっと多く、インドネシア人女性にいたっては膨大な人数です。その史料もありますが、内容がすさまじく、外交的配慮から公表はできません」
こう語る相手の真剣な表情がいま甦ってくる。
季刊中帰連07.5