一億総玉砕の雰囲気の中で集団自決に追い込まれた沖縄(満州・樺太)の民間人の悲劇。それを沖縄のケースに限って「強制」「関与」という言葉を使うことにより、「軍が 自決を強制した」と話をすり替えていく。慰安婦 問題でもこれと同じやり方で、運動家や一部の歴史学者がすり替えを行った。今は距離を置いているが、日本を代表する朝日新聞もかつてこれに加担したのである。
琉球新報が教科書会社の「自己規制」と言っているのは、進歩的イメージのある民主 党政権になっても、教科書の検定内容がブレないからか?
「国の行く末を危うくしてはならない」と新報は言う。こんな新聞ばかりだと、ジャーナリズムの行く末の方が心配になってくる。
...82年に沖縄戦で軍が住民を虐殺した記述が削除された。2008年度から使用された高校歴史教科書は、住民が日本軍による強制と誘導などによって集団的な死に追いやられた事実について、削除・修正された。
当時(07年)民主 党代表代行だった菅 直人首相は、衆院予算 委員会で住民の集団死について「軍の関与が否定されるということはあり得ない」と明言。文科 省の介入を批判し、検定意見の撤回を福田 康夫首相に求めた。
このとき、針の穴をくぐり抜けるようにして生き延びた人々が声を上げ、県民総ぐるみで検定内容の撤回を求めた。
今回、申請した7社が「集団自決」という表現を使っているが、それだけでは不十分だ。自国軍によって住民が死に追いやられたという事実が明確に記述されていないからだ。
教科書検定の透明性が求められている。どういう議論を経て結論が導かれたのか国民にきちんと説明してもらいたい。
さらに教科書執筆者や出版社が自己規制しているとしたら問題だ。文科省の顔色をうかがうのではなく、見識を発揮してほしい。
過去の過ちに目をつぶるような教科書、教育によって、国の行く末を危うくしてはならない。
琉球新報2011.4.7