2013/04/03

もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (2)


吉田は、この種の朝鮮人女性のエピソードを沢山書き連ねているが、ここではその一部だけ紹介する。九州での自分の体験を交えて書いているのだろうが、どこまでが本当か分からない。吉田の「強制連行」話を真に受けた人は多い。それだけ彼には文章力があったということなのだろう。読んでいて、そう感じる。

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光子は土間に積みあげたぼろぎれのなかから、シャツやズボンをえりわけていた。古い男物のシャツを着て作業ズボンをはいていたが、色白で目が大きくきれいな女だった。名簿には二十一歳となっていた。日本人が入っていっても別におどろかなかった。

「なにか用ですか」

「今日は警察の用じゃない。労務報国会の部長さんがおまえに話があるそうだ」

「うちには徴用にいくような男はいません。姉とそのちいさい男の子だけです。兄は刑事さんがつれていったからるすです」

「兄さんは社会主義の親玉じゃないか。当分帰れんよ。おまえは女だから警察のお情けで帰してもらえたんだ。今どき社会主義なんかやるやつは、無事ですまんくらいはわかっとるじゃろう。おまえが下関におると、警察もよけいな手数がかかるからな。こんど労報で対馬行きの女を集めておられるんで、おまえに行ってもらいたい」

「なにも悪いことをしないのに、下関に住んではいけませんか。朝鮮人の女にも徴用がかかるようになったんですか」

光子は私を見つめて表情も変えなかった。日本人の前でこんな理屈を言う朝鮮人の女は私ははじめてだった。「朝鮮人狩り」ばかりやってきた私は、こんな態度であしらわれて思わず大きな声をだした。

「おまえが志願しなければ、おまえだけ徴用をかける。対馬の陸軍病院の雑役婦で月給三十円だから、ほかの者はみんな志願している」

「どうせつれていかれるのなら、志願にしてください。朝鮮人は徴用がきらいですから」

七日朝の出頭を命じて表に出ると、本通りへもどって坂道をのぼりながら、佐々木刑事が話した。

「大山光子は、県立高等女学校へ三年までいっとります。おやじは牛市場の役員までしていたから、朝鮮人のなかでは大物でしたが、統制で牛市場がなくなって大阪へ引っ越しました。去年おやじが死んで長男が下関へもどると、大阪の警察から主義者として手配されてきました。二、三回あげましたが、こちらではたいした事はしてなかったが、時局がら保護観察で山口の刑務所へ送ってあります。女房は主義者じゃないんです。なかなかの働き者で百姓の手伝いに行ったり、安岡の浜でてんぐさとったりしています。しかし妹の光子は女学校へ行ったくらいですから、本が読めるし油断がならんですよ。天井から社会主義の宣伝ビラなんかでてきたので、三ヶ月ばかりしぼりましたが、取り調べには手をやきました。兄よりしぶとかったですよ。しばらく泳がしとるんですが、このさい海南島の慰安所へ送れば手間がはぶけますからね」

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食後二人は西大坪の産婆の朝島波子の家へ行った。下関で正式の免状を持った朝鮮人の産婆は朝島一人だった。佐々木刑事の話では、朝島は朝鮮人の堕胎をやっているが、警察になにかと役にたつことを通報してくれるので、どうせ朝鮮人の子供をおろすのだからと警察では見のがしてやっているそうだ。

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「今日はなにか、お話があるんでしょう」

「こちらは労務報国会の動員部長さんですが、こんど労務報国会で、対馬の陸軍病院の女の雑役を百人ばかり募集しているんです。それで朝島さんにたのんですこし集めてもらおうと思って来ました。待遇はいいですよ。食事付きで月給三十円、それに支度金が二十円前渡しされます」

「いまどき大坪の女の人たちには、とってもいいお話ですね。佐々木さん、それ雑役ではなくて、慰安婦でしょう。陸軍病院に女の雑役が百人なんて、おかしいですわ」

「これはまいった。息子さんが軍医中尉殿だから、陸軍病院なんてごまかしてもしようがない。朝島さんは軍国の母だから、ほんとうのことを言いましょう。実は軍の命令で労務報国会が慰安婦を百人供出することになったんですが、動員部長さんがだれでも見さかいなく徴用をかけるのはかわいそうだから、なるべく水商売の経験のある者や生活に困っている者を選びたいと言われるんです。こういうことは、あまりおおっぴらにしてはいかんので、陸軍病院の雑役婦の募集ということにしてあるんです」

「わかりました。そんなことをしゃべったりはいたしません」

「どうですか、十人ばかり心あたりはありませんか」

「このごろは炭鉱の慰安所からも募集にきています。流産したばかりのひとがお金のためにつれていかれました。みんな困っていますから、そのうち大坪の娘はみんな売られていきますよ。おなじことなら炭鉱より軍の慰安所のほうがましかもしれませんね。十人くらいなら話してみましょう。行き先は秘密なんでしょうね」

「支那の海南島です。あそこは前線ではないから命の心配はないですよ」

「対馬といっておきますが、戦争が終わったら帰れますわね」

「そのときは息子さんも凱旋ですよ。これもお国のためですからお願いします」

朝島波子は私の顔を見ようとせず、話しかけもしなかった。いくら日本人らしくなっていても、やはり朝鮮人の女だから、朝鮮人に徴用をかける労務報国会をきらうのはあたりまえだった。

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大田里子の家は年とった母親が小さな飲食店をやっていた。長屋のはしの家で「酒」と書いた入り口の障子は古びて破れていた。土間に古いテーブルを二つならべて、いすは手製の木の腰かけだった。

客が一人来ていた。新しい作業服を着て革靴をはいた体格のよい四十代の男だった。私たちがはいっていくと、里子と婆さんに何か朝鮮語で言ってあわてて出て行った。

「部長、あれは炭鉱の慰安所の男ですよ。女を集めとるんですね。あしたくるなんて言いましたよ」

「そうかもしれん。今ごろあんなかっこうをした朝鮮人が大坪へ来るはずがない」

「あんなやつがうろつくと、こちらの商売のじゃまですよ。特高にたのんであいつをブタ箱へ入れてもらいましょう」

「大坪へ見なれん朝鮮人が来たら特高がつかまえますよ。このごろ特高は事件がなくて、李の店でごろごろしています」

私は林が言うように慰安婦の供出がすむまで特高にぜげんの取締りをたのむつもりで里子にたずねた。

「今の男はお前の知りあいか」

「はじめてきたお客です。しごとの世話をすると言いました」

「あんな男の言うことを聞いたら、また炭鉱の料理屋へ売られるぞ。お前は大峯の料理屋から帰ったばかりじゃないか」

「あのひとの言うことは信用できんよ。五十円だすと言うたが、それ借金になることあたし知っている。きものとおびが六十円も引かれるから、なんぼお客をとっても借金がふえるばっかり。あたし大峯で四年もはたらいたよ」

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「つしまで三十円になるなら、あたし行ってもいいよ。いつ行くのですか」

「行くのは十日だが、あした身体検査がある。病気がなかったらあさって二十円渡す」

「あたしはいま病気ないよ。帰るまえに病院の検査の日であれからお客とってないから、だいじょうぶです」

里子は婆さんに朝鮮語で話しはじめた。林が朝鮮語をつかって話に加わった。里子林の話に嬌声をあげた。この女なら船が海南島へ着いても、すぐあきらめて働くだろう。小ぶとりして大きな胸は酌婦をしてきたからだった。



つづく